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源清延 - Wikipedia

みなもと清延きよのぶ

平安へいあん時代じだい中期ちゅうき貴族きぞくしたがえさん播磨はりままもる参議さんぎ

みなもと 清延きよのぶ(みなもと の きよのぶ、延長えんちょう4ねん926ねん)または延喜えんぎ12ねん912ねん) - ちょういさお2ねん1がつ17にち996ねん2がつ8にち))は、平安へいあん時代じだい中期ちゅうき貴族きぞく光孝みつたか源氏げんじ治部じぶきょうみなもときんぜんまご内蔵ないぞうあたまみなもとはじめうみ官位かんいしたがえさん播磨はりままもる

経歴けいれき

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村上むらかみ天皇てんのう春宮とうぐう時代じだい春宮とうぐうぼう帯刀たいとうつとめ、村上むらかみちょうではひだり兵衛ひょうえじょう任官にんかん円融えんゆうちょうでは上総かずさかいとして受領じゅりょうとなり、てんのべ元年がんねん973ねん再任さいにんされている。

いちじょうあさ初頭しょとう伊予いよもりつとめる。えい元年がんねん989ねん)3がつ除目じもく播磨はりままもる藤原ふじわらけい舒と官職かんしょくわり、清延きよのぶ播磨はりままもるけい舒が伊予いよもりにんぜられ、藤原ふじわらみのるにこのような任官にんかんいたことがないとひょうされている。よくえい2ねん990ねんぶくもん造営ぞうえい功労こうろうによりしたがえさんじょせられ公卿くぎょうれつした。

せいこよみ2ねん991ねん任期にんき満了まんりょうにより播磨はりままもるすと官界かんかい退しりぞき、ちょういさお元年がんねん995ねん)11月25にち出家しゅっけした。最終さいしゅう官位かんいぜん播磨はりままもるしたがえさんよくちょうとく2ねん996ねん正月しょうがつ17にち薨去こうきょ享年きょうねん71[1]または85[2]

かんれき

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注記ちゅうきのないものは『公卿くぎょう補任ほにん』による。

注記ちゅうきのないものは『尊卑そんぴ分脈ぶんみゃく』による。

  • ちちみなもとはじめうみ
  • ははばん[2]または大江おおえたまふちむすめ
  • つま藤原ふじわら義文よしふみむすめ
    • 男子だんしみなもと奉職ほうしょく
  • 生母せいぼしょう子女しじょ
    • 男子だんしみなもとまさししょく
    • 男子だんしみなもとのべしょく
    • 男子だんしみなもとふところしょく
    • 男子だんしみなもと国政くにまさ(?-998) - みなもととおる養子ようし[7]
    • 女子じょし藤原ふじわらみのる乳母子うばこ[8]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 尊卑そんぴ分脈ぶんみゃく
  2. ^ a b 公卿くぎょう補任ほにん
  3. ^ きゅうれき
  4. ^ しょう右記うきまん寿ことぶき3ねん4がつ1にちじょう
  5. ^ おやしんきょう
  6. ^ a b しょう右記うき
  7. ^ けんちょうとく4ねん7がつ7にちじょう
  8. ^ しょう右記うき長和ながわ4ねん6がつ7にちじょう

参考さんこう文献ぶんけん

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