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郡 - Wikipedia

ぐん

漢字かんじ文化ぶんかけん行政ぎょうせい区画くかく

ぐん(ぐん)は、行政ぎょうせい区画くかく一種いっしゅ日本にっぽん中国ちゅうごく朝鮮ちょうせんなどの、漢字かんじ文化ぶんかけん導入どうにゅうされたものである。

なお、欧米おうべいなどの行政ぎょうせい区画くかく一部いちぶ日本語にほんご翻訳ほんやくするさいに、訳語やくごとしてこのかたりてることがある(カウンティ参照さんしょう)。

日本にっぽんぐん

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古代こだいぐんは、律令制りつりょうせい行政ぎょうせい区画くかくで、くに(=れいせいこく)のしたかれた。『日本書紀にほんしょき』は、大化たいか改新かいしんときに「ぐん」(こおり)が成立せいりつしたとしるされているが、当時とうじ実際じっさいは「ひょう」(こおり)といていた[1]

大宝たいほう律令りつりょう成立せいりつときに「ぐん」が設置せっちされ、かつての国造くにのみやつこなどが郡司ぐんじとなって管轄かんかつした。ぐんにはぐんかれ、はん徴税ちょうぜい管理かんり重要じゅうよう任務にんむたし、律令りつりょう制度せいど中央ちゅうおう集権しゅうけんてき行政ぎょうせい末端まったん位置いちした。延喜えんぎしきでは591ぐんがあったとされる。くにしたぐんき、ぐんしたを501さとさと編成へんせいした。7世紀せいき後半こうはんからくに・コオリ(ひょう)・サト(じゅうさと)の体制たいせいられ、701(大宝たいほう1)大宝たいほうれいくにぐんさとせい成立せいりつ。717(れいかめ3)ごろから740(天平てんぴょう12)まではぐんしたさとさとしたさとかれこくぐん郷里きょうり編成へんせいとなり(郷里きょうりせい)、そのくにぐんきょうとなった。郷里きょうりせいはそれまでのさとさと改称かいしょうし、そのした下級かきゅう単位たんいとして新設しんせつした2~3のさと(コザト)をいたものである。これと連動れんどうして、編成へんせい従来じゅうらい郷戸ごうどぼうの2段階だんかいとし、せきちょうつうじてほんぬきでの人民じんみん把握はあく強化きょうかはかった。しかし本来ほんらい流動的りゅうどうてき人口じんこう動態どうたい固定こていする制度せいどには限界げんかいがあり、739(天平てんぴょう11)まつごろにはさと廃止はいしされ、くにぐんきょうの3段階だんかいせいとなった。ぐんは、さとかずによってだいうえなかしたしょう等級とうきゅうかれていた。みなみ伊勢いせ度会わたらいひょうは「かみぐん」というかたちで、なか自律じりつてき行政ぎょうせい単位たんいであった。

しかし10世紀せいきには、筆頭ひっとう国司こくしである受領じゅりょう権力けんりょく強化きょうかなどにより、ぐん機能きのう低下ていかはじめた。11世紀せいきには、荘園しょうえんいちえん領域りょういきして国衙こくが支配しはいから自立じりつし、ぐん管轄かんかつからもはずれてった。国衙こくががわのこされたおおやけりょうさい編成へんせいし、下部かぶさと組織そしきしたぐんから国衙こくが直結ちょっけつした、ぐんさとたもていんじょう別名べつめいなどの並立へいりつ体制たいせいとなった。これにともない、旧来きゅうらい在地ざいち豪族ごうぞく系譜けいふ郡司ぐんじそう急速きゅうそく没落ぼつらくした。没落ぼつらくした郡司ぐんじそうおおくが国衙こくが近侍きんじし、在庁ざいちょうかんじんとなった。在庁ざいちょうかんじんには受領じゅりょうれてきた実務じつむ官僚かんりょうなどがくわわり、あらたに再編さいへんされた郡司ぐんじ郷司ごうし保司やすしなどの管理かんりしゃとして任命にんめいされた。また、受領じゅりょう自体じたい任期にんきちゅうわたしりょう獲得かくとくしたり、在地ざいち豪族ごうぞく入婿いりむこしたりして土着どちゃくし、子弟してい在庁ざいちょうかんじんするケースもられる。やがてこれら在庁ざいちょうかんじん武士ぶししていった。

中世ちゅうせい近世きんせい

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鎌倉かまくら時代ときよになると、国内こくない並列へいれつする荘園しょうえんぐんさとなどは、管理かんりしゃである荘司しょうじ郡司ぐんじ郷司ごうし保司やすしらのおおくが御家人ごけにんとなり、地頭じとう任命にんめいされ、武士ぶしたちの基礎きそてき領地りょうち単位たんいとなった。

戦国せんごく時代じだいには戦国せんごく大名だいみょうらの地域ちいき権力けんりょく領国りょうごく拡大かくだいおこない、本国ほんごくふんこく領域りょういき支配しはい一環いっかんとして、支配しはい領域りょういき古代こだい以来いらいくにぐんせいとはことなる独自どくじ支配しはい領域りょういき区分くぶんである「ぐん単位たんい分割ぶんかつし、かくぐんごとに郡代ぐんだい配置はいちした。

相模さがみこくこう北条ほうじょうにおいてはぐん単位たんい公事こうじ賦課ふかおこなった郡代ぐんだい支配しはい展開てんかいし、やがてこれは郡代ぐんだい支配しはいいだささえじょうせいへと完成かんせいしていくことが指摘してきされる。一方いっぽうで、戦国せんごく大名だいみょう領域りょういき支配しはい本国ほんごくふんこく歴史れきしてき経緯けいい領国りょうごく時期じき差異さい自立じりつてきくにしゅ存在そんざいなどにより一様いちようではなく多様たようせいがあり、かならずしも郡代ぐんだいささえじょうせい支配しはいにより均一きんいつ支配しはいでなかったてん指摘してきされている[2]

江戸えど時代じだいまくはん体制たいせいしたにおいて、江戸えど幕府ばくふかくはんでは、地方ちほう(じかた)の統治とうちさいして郡代ぐんだいぐん奉行ぶぎょうといった役職やくしょくくことがあった。幕府ばくふ郡代ぐんだい広域こういき幕府ばくふりょう天領てんりょう)を管轄かんかつする役職やくしょくであって、その管轄かんかつ範囲はんい歴史れきしてき地域ちいき区分くぶんとしてのぐんよりもひろい。しょはんでは、それぞれ独自どくじ地方ちほう区分くぶんもうけている場合ばあいもある(たとえば、南部なんぶはんつう(とおり)、熊本くまもとはんひさし(てなが)など)。

近代きんだい

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1869ねん時点じてんぐんいき琉球りゅうきゅう奄美あまみあいだきりふくむ。ただしこしぐん合併がっぺい境界きょうかいせん不明ふめい区域くいきになったむらは、そのぐん編入へんにゅうされた部分ぶぶん大字だいじまたは市町村しちょうそん単位たんい反映はんえい
 
きゅう東山梨ひがしやまなしぐん役所やくしょ博物館はくぶつかん明治めいじむら

明治めいじ初年しょねんにおいて「ぐん」は地理ちりてき区分くぶんとどまっていた。1878ねん制定せいていされたこおり町村ちょうそん編制へんせいほう明治めいじ11ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい17ごう)によって行政ぎょうせい区画くかくとしてのぐん復活ふっかつした(施行しこう一律いちりつではなく、府県ふけんごとにことなる)。どうほうは、府県ふけんしたに「ぐん」をき、ちょうとして「ぐんちょう」を任命にんめいすることをさだめた。この制度せいどぐん自治体じちたいではなく、ぐんちょう以下いか中央ちゅうおう政府せいふから派遣はけんされた官僚かんりょうであった。ぐん役人やくにん勤務きんむする役所やくしょを「ぐん役所やくしょ」といった。このときに、広大こうだいぐん分割ぶんかつおこなわれた(たとえば、青森あおもりけん北郡ほくそぎ上北かみきたぐん下北しもきたぐん分割ぶんかつされた)。また、ぐんちょうはすべてのぐんに1にんずつ配置はいちされたわけではなかった(たとえば、千葉ちばけん安房あわぐんたいらぐんあさえびすぐんながせまぐん管轄かんかつしたのは「安房あわたいらちょうえびすちょうせまぐんちょう」であった)。

1890ねん府県ふけんせいとともにぐんせい明治めいじ23ねん法律ほうりつだい36ごう)が公布こうふされた。ぐん府県ふけん町村ちょうそん中間ちゅうかん地方ちほう公共こうきょう団体だんたいとして規定きていされ、議決ぎけつ機関きかんとして「ぐんかい」(ぐん会議かいぎいん公選こうせん)と「ぐん参事さんじかい」がかれた。このさいぐん統合とうごう再編さいへんおこなわれた(たとえば、上述じょうじゅつの「安房あわたいらちょうえびすちょうせまぐんちょう管轄かんかつの4ぐん安房あわぐん統合とうごうされた)。

1896ねんには 「沖縄おきなわけんぐん編制へんせいせきスルけん」(明治めいじ29ねんみことのりれいだい13ごう)が施行しこうされ、ぐんかれていなかった沖縄おきなわけんにもあらたにぐん編成へんせいされた(それまではあいだきりという行政ぎょうせい区分くぶんかれていた)。1915ねんには当時とうじ外地がいちであった樺太からふとでも内地ないちじゅんじたぐん編成へんせいおこなわれているが、ぐんかいもうけられず自治体じちたいとしての性格せいかくたなかった。

1921ねん原内はらうちかくによりぐんせい廃止はいしほう公布こうふされて1923ねんぐんかい廃止はいしされた。また、1926ねんぐんちょうぐん役所やくしょ廃止はいしされ、ぐんふたたたんなる地理ちりてき区分くぶんになった。

だい世界せかい大戦たいせんちゅう1942ねんには、内務省ないむしょう告示こくじによって、北海道ほっかいどう以外いがいすべての府県ふけんに、府県ふけん出先でさき機関きかんとして地方ちほう事務所じむしょ設置せっちされた。地方ちほう事務所じむしょは、原則げんそくとしてぐん単位たんいにして設置せっちされていたため、事実じじつじょうぐん役所やくしょ復活ふっかつしたかたちとなった。

現代げんだい

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戦後せんごの1947ねん施行しこう地方ちほう自治じちほうでは、地方ちほう事務所じむしょ支庁しちょうなどの都道府県とどうふけん出先でさき機関きかんは、かく都道府県とどうふけん条例じょうれいによって設置せっち廃止はいしすることができるようになり、ぐん地方ちほう行政ぎょうせいいち単位たんいとされることはなくなった。現在げんざいぐんは、住所じゅうしょ表記ひょうきや、けんさだめる広域こういき連合体れんごうたい広域こういき行政ぎょうせいけん)の区割くわり、都道府県とどうふけん議会ぎかい選挙せんきょ区割くわりなどにもちいられるにまる。

ぐんはいおけ分合ぶんごうは、都道府県とどうふけん知事ちじ権限けんげんち、都道府県とどうふけん議会ぎかい議決ぎけつさだめ、総務そうむ大臣だいじんとどることとなっている(地方ちほう自治じちほうだい259じょう)。

明治めいじ以降いこうぐんにはぞくさない。そのため、町村ちょうそん市制しせい施行しこうされるとその範囲はんいぐんいきからのぞかれる[3]当初とうしょ範囲はんい市街しがいされた地域ちいきかぎられており、市部しぶ郡部ぐんぶ市街地しがいちのうやま漁港ぎょこう対応たいおうしていた。しかし、のち合併がっぺいにより市町村しちょうそん面積めんせきひろがると、のうやま漁港ぎょこうかかむようになり市部しぶ郡部ぐんぶ区別くべつ意義いぎうすれた。また、ぐんからのぞかれるルールにわりなかったため、ぐんいち町村ちょうそんしかぞくさなくなったり、ぐん消滅しょうめつするようになった。

平成へいせい市町村しちょうそん合併がっぺいでは、合併がっぺいでできた明治めいじ時代じだいぐん相当そうとうする面積めんせきつこともめずらしくない[4]岐阜ぎふけん郡上こおりかみぐん郡上こおりかみに、宮城みやぎけん栗原くりはらぐん栗原くりはらにといった具合ぐあいである。また宮城みやぎけん登米とよね滋賀しがけん高島たかしまなど明治めいじ時代じだいぐん完全かんぜんふく誕生たんじょうした。新潟にいがたけん佐渡さど佐渡さどぐん全域ぜんいきふくみ、れいせいこく佐渡さどこく全域ぜんいきたる。長崎ながさきけん壱岐いき壱岐いきぐん全域ぜんいきふくみ、壱岐いきこく全域ぜんいきたる。長崎ながさきけん対馬つしまいたっては、対馬つしまこく全域ぜんいきであり、上県かみあがたぐん下県しもあがたぐんの2ぐん完全かんぜん包括ほうかつしている。

変遷へんせんじょうでも、市域しいき除去じょきょ考慮こうりょしなければ奈良なら時代じだい名称めいしょう区域くいきをほぼそのまま継承けいしょうしているぐんすくなからずある(ぎゃく安八あんぱちぐんのように、市域しいき考慮こうりょしなければ原形げんけいめないといえるぐんもある)。しかし、江戸えど時代じだいまでに再編さいへん改称かいしょうたところもあり、明治めいじ初期しょきにはさらにおおくのぐん変更へんこうけた。いわゆる平成へいせいだい合併がっぺい影響えいきょうで、ぐんぐんぞくする町村ちょうそん激減げきげん一途いっとをたどっている。岡山おかやまけん加賀かがぐん2004ねん)、石川いしかわけんおおとりたまぐん2005ねん)、福井ふくいけん三方みかた上中かみなかぐん(2005ねん)、北海道ほっかいどううみぐん(2005ねん)、北海道ほっかいどう日高ひだかぐん2006ねん)などのぐんまれ新設しんせつされているが、ぐんさかいえた町村ちょうそん合併がっぺいさい合併がっぺい人口じんこう昇格しょうかく条件じょうけんたないための措置そちかんがえられ、ぐんぞくする町村ちょうそん減少げんしょうれいひとつにぎない。

かつて群馬ぐんまけんには「東村あずまむら」が5むら存在そんざいし、いずれも「あずまむら」もしくは「あづまむら」とむため、所属しょぞくぐんして呼称こしょう区別くべつする慣習かんしゅうがあった[5]。いわゆる昭和しょうわだい合併がっぺい平成へいせいだい合併がっぺい現在げんざいでは、県内けんないすべての「東村あずまむら」は廃止はいしされ、県内けんないにおいてぐんにより区別くべつする意義いぎきわめて希薄きはくとなった。

なお、東京とうきょう島嶼とうしょかく町村ちょうそんぐんぞくしていない。

日本にっぽんぐん一覧いちらん

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以下いか現行げんこうぐん一覧いちらんである(けい:307)。消滅しょうめつしたぐんは「消滅しょうめつしたぐん一覧いちらん」および「消滅しょうめつしたぐん都道府県とどうふけんべつ一覧いちらん」を参照さんしょう

所属しょぞく
自治体じちたい
ぐんめい 創設そうせつ年月日ねんがっぴ 所属しょぞくする町村ちょうそん 所属しょぞく町村ちょうそんすう
北海道ほっかいどう 石狩いしかりぐん[6] 1879ねん07がつ23にち 当別とうべつまち新篠津しんしのつむら 2
松前まさきぐん[7] 1881ねん07がつ27にち 松前まさきまち福島ふくしままち 2
上磯かみいそぐん[7] 1881ねん07がつ23にち 知内しりうちまち木古内きこないまち 2
亀田かめだぐん[7] 1871ねん07がつ23にち 七飯ななえまち 1
茅部かやべぐん[7] 1879ねん07がつ23にち 鹿部しかべまち森町もりまち 2
うみぐん[7] 2005ねん10がつ01にち 八雲やくもまち 1
山越やまぐいぐん[7] 1869ねん09がつ20日はつか 長万部おしゃまんべまち 1
檜山ひやまぐん[8] 1869ねん09がつ20日はつか 江差えさしまち上ノ国かみのくにまち厚沢部あっさぶまち 3
爾志にしぐん[8] 1869ねん09がつ20日はつか 乙部おとべまち 1
奥尻おくしりぐん[8] 1869ねん09がつ20日はつか 奥尻おくしりまち 1
瀬棚せたなぐん[8] 1869ねん09がつ20日はつか 今金いまかねまち 1
久遠くどおぐん[8] 1869ねん09がつ20日はつか せたなまち 1
島牧しままきぐん[9] 1869ねん09がつ20日はつか 島牧しままきむら 1
寿都すっつぐん[9] 1869ねん09がつ20日はつか 寿都すっつまち黒松内くろまつないまち 2
磯谷いそだにぐん[9] 1869ねん09がつ20日はつか 蘭越らんこしまち 1
虻田あぶたぐん[9][10] 1869ねん09がつ20日はつか 豊浦とようらまち洞爺湖とうやこまちニセコまち真狩まっかりむら留寿都るすつむら喜茂別きもべつまち京極きょうごくまち倶知安くっちゃんまち 8
岩内いわうちぐん[9] 1869ねん09がつ20日はつか 共和きょうわまち岩内いわうちまち 2
古宇ふるうぐん[9] 1869ねん09がつ20日はつか とまりむら神恵内かもえないむら 2
積丹しゃこたんぐん[9] 1869ねん09がつ20日はつか 積丹しゃこたんまち 1
古平ふるびらぐん[9] 1869ねん09がつ20日はつか 古平ふるびらまち 1
余市よいちぐん[9] 1869ねん09がつ20日はつか 仁木につきまち余市よいちまち赤井川あかいかわむら 3
空知そらちぐん[11][12] 1869ねん09がつ20日はつか 南幌なんぽろまち奈井江ないえまち上砂川かみすながわまち上富良野かみふらのまち中富良野なかふらのまち南富良野みなみふらのまち 6
夕張ゆうばりぐん[11] 1869ねん09がつ20日はつか 由仁ゆにまち長沼ながぬままち栗山くりやままち 3
樺戸かばとぐん[11] 1869ねん09がつ20日はつか 月形つきがたまち浦臼うらうすまち新十津川しんとつかわまち 3
雨竜うりゅうぐん[11][12] 1869ねん09がつ20日はつか 妹背牛もせうしまち秩父別ちっぷべつまち雨竜うりゅうまち北竜ほくりゅうまち沼田ぬまたまち幌加内ほろかないまち 6
上川かみかわぐん[12] 1869ねん09がつ20日はつか 鷹栖たかすまち東神楽ひがしかぐらまち当麻とうままち比布ひふまち愛別あいべつまち上川かみかわまち東川ひがしがわまち美瑛びえいまち 8
勇払ゆうふつぐん[12][10] 1869ねん09がつ20日はつか 厚真あつままち安平あびらまちむかわまち占冠しむかっぷむら 4
上川かみかわぐん[12] 1869ねん09がつ20日はつか 和寒わっさむまち剣淵けんぶちまち下川しもかわまち 3
中川なかがわぐん[12] 1869ねん09がつ20日はつか 美深びふかまち音威子府おといねっぷむら中川なかがわまち 3
増毛ましけぐん[13] 1869ねん09がつ20日はつか 増毛ましけまち 1
留萌るもいぐん[13] 1869ねん09がつ20日はつか 小平こだいらまち 1
苫前とままえぐん[13] 1869ねん09がつ20日はつか 苫前とままえまち羽幌はぼろまち初山別しょさんべつむら 3
天塩てしおぐん[13][14] 1869ねん09がつ20日はつか 遠別えんべつまち天塩てしおまち豊富とよとみまち幌延ほろのべまち 4
宗谷そうやぐん[14] 1869ねん09がつ20日はつか 猿払さるふつむら 1
枝幸えさしぐん[14] 1869ねん09がつ20日はつか 浜頓別はまとんべつまち中頓別なかとんべつまち枝幸えさしまち 3
礼文れぶんぐん[14] 1869ねん09がつ20日はつか 礼文れぶんまち 1
利尻りしりぐん[14] 1869ねん09がつ20日はつか 利尻りしりまち利尻富士りしりふじまち 2
網走あばしりぐん[15] 1869ねん09がつ20日はつか 美幌びほろまち津別つべつまち大空おおぞらまち 3
斜里しゃりぐん[15] 1869ねん09がつ20日はつか 斜里しゃりまち清里きよさとまち小清水こしみずまち 3
常呂ところぐん[15] 1869ねん09がつ20日はつか 訓子府くんねっぷまち置戸おけとまち佐呂間さろままち 3
紋別もんべつぐん[15] 1869ねん09がつ20日はつか 遠軽えんがるまち湧別ゆうべつまち滝上たきのうえまち興部おこっぺまち西興部にしおこっぺむら雄武おうむまち 6
有珠うすぐん[10] 1869ねん09がつ20日はつか 壮瞥そうべつまち 1
白老しらおいぐん[10] 1869ねん09がつ20日はつか 白老しらおいまち 1
沙流さるぐん[16] 1869ねん09がつ20日はつか 日高ひだかまち平取びらとりまち 2
新冠にいかっぷぐん[16] 1869ねん09がつ20日はつか 新冠にいかっぷまち 1
浦河うらかわぐん[16] 1869ねん09がつ20日はつか 浦河うらかわまち 1
様似さまにぐん[16] 1869ねん09がつ20日はつか 様似さまにまち 1
幌泉ほろいずみぐん[16] 1869ねん09がつ20日はつか えりもまち 1
日高ひだかぐん[16] 2006ねん03月31にち しんひだかまち 1
河東かとうぐん[17] 1869ねん09がつ20日はつか 音更おとふけまち士幌しほろまち上士幌かみしほろまち鹿追しかおいまち 4
上川かみかわぐん[17] 1869ねん09がつ20日はつか 新得しんとくまち清水しみずまち 2
河西かさいぐん[17] 1869ねん09がつ20日はつか 芽室めむろまち中札内なかさつないむら更別さらべつむら 3
広尾ひろおぐん[17] 1869ねん09がつ20日はつか 大樹たいきまち広尾ひろおまち 2
中川なかがわぐん[17] 1869ねん09がつ20日はつか 幕別まくべつまち池田いけだまち豊頃とよころまち本別ほんべつまち 4
足寄あしょろぐん[17] 1869ねん09がつ20日はつか 足寄あしょろまち陸別りくべつまち 2
十勝とかちぐん[17] 1869ねん09がつ20日はつか 浦幌うらほろまち 1
釧路くしろぐん[18] 1869ねん09がつ20日はつか 釧路くしろまち 1
厚岸あっけしぐん[18] 1869ねん09がつ20日はつか 厚岸あっけしまち浜中はまなかまち 2
川上かわかみぐん[18] 1869ねん09がつ20日はつか 標茶しべちゃまち弟子屈てしかがまち 2
阿寒あかんぐん[18] 1869ねん09がつ20日はつか 鶴居つるいむら 1
白糠しらぬかぐん[18] 1869ねん09がつ20日はつか 白糠しらぬかまち 1
野付のっけぐん[19] 1869ねん09がつ20日はつか 別海べっかいまち 1
標津しべつぐん[19] 1869ねん09がつ20日はつか 中標津なかしべつまち標津しべつまち 2
目梨めなしぐん[19] 1869ねん09がつ20日はつか 羅臼らうすまち 1
色丹しこたんぐん[19] 1886ねん01がつ06にち 色丹しこたんむら 1
国後くなしりぐん[19] 1869ねん09がつ20日はつか とまりむらとめよるべつむら 2
択捉えとろふぐん[19] 1869ねん09がつ20日はつか 留別りゅうべつむら 1
しゃぐん[19] 1869ねん09がつ20日はつか しゃむら 1
しべぐん[19] 1869ねん09がつ20日はつか しべむら 1
青森あおもりけん 東津軽ひがしつがるぐん 1878ねん10がつ30にち 平内ひらうちまち今別いまべつまち蓬田よもぎたむらそと浜町はまちょう 4
西津軽にしつがるぐん 1878ねん10がつ30にち あじさわまち深浦ふかうらまち 2
中津軽なかつがるぐん 1878ねん10がつ30にち 西目屋にしめやむら 1
南津軽みなみつがるぐん 1878ねん10がつ30にち 藤崎ふじさきまち大鰐おおわにまち田舎館いなかだてむら 3
北津軽きたつがるぐん 1878ねん10がつ30にち 板柳いたやなぎまち鶴田つるたまち中泊なかどまりまち 3
上北かみきたぐん 1878ねん10がつ30にち 野辺地のへじまち七戸しちのへまち六戸ろくのへまち横浜よこはままち東北とうほくまちろくヶ所かしょむらおいらせまち 7
下北しもきたぐん 1878ねん10がつ30にち 大間だいままち東通ひがしどおりむら風間浦かざまうらむら佐井さいむら 4
三戸さんのへぐん 1634ねん 三戸さんのへまち五戸ごのへまち田子たごまち南部なんぶまち階上はしかみまち新郷しんごうむら 6
岩手いわてけん 岩手いわてぐん 1897ねん04がつ01にち 雫石しずくいしまち葛巻かずらまきまち岩手いわてまち 3
紫波しわぐん 811ねん 紫波しわまち矢巾やはばまち 2
和賀わがぐん 1897ねん04がつ01にち 西にし和賀わがまち 1
胆沢いさわぐん 804ねん 金ケ崎かねがさきまち 1
西磐井にしいわいぐん 1879ねん01がつ04にち 平泉ひらいずみまち 1
気仙けせんぐん 0800/8世紀せいき 住田すみたまち 1
上閉伊かみへいぐん 1897ねん04がつ01にち 大槌おおつちまち 1
下閉伊しもへいぐん 1897ねん04がつ01にち 山田やまだまち岩泉いわいずみまち田野畑たのはたむら普代ふだいむら 4
九戸くのへぐん 1897ねん04がつ01にち 軽米かるまいまち野田のだむら九戸くのへむらようまち 4
二戸ふたどぐん 1634ねん 一戸いちのへまち 1
宮城みやぎけん 刈田かりたぐん 721ねん 蔵王ざおうまち七ヶ宿しちがしゅくまち 2
柴田しばたぐん 701ねん 大河原おおがわらまち村田むらたまち柴田しばたまち川崎かわさきまち 4
伊具いぐぐん 701ねん 丸森まるもりまち 1
亘理わたりぐん 701ねん 亘理わたりまち山元やまもとまち 2
宮城みやぎぐん 701ねん 松島まつしままち七ヶ浜しちがはままち利府りふまち 3
黒川くろかわぐん 701ねん 大和やまとまち大郷おおさとまち大衡おおひらむら 3
加美かみぐん 701ねん 色麻しかままち加美かみまち 2
遠田えんたぐん 701ねん 涌谷わくやまち美里みさと<