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目梨郡 - Wikipedia

目梨めなしぐん

北海道ほっかいどう根室ねむろこく)のぐん

目梨めなしぐん(めなしぐん)は、北海道ほっかいどう根室ねむろこく根室ねむろ振興しんこうきょくぐん

北海道ほっかいどう目梨めなしぐん位置いちみどり羅臼らうすまち うすのちぐん編入へんにゅうした区域くいき

人口じんこう4,296にん面積めんせき397.72km²、人口じんこう密度みつど10.8にん/km²。(2024ねん5がつ31にち住民じゅうみん基本きほん台帳だいちょう人口じんこう

以下いかの1まちふくむ。

ぐんいき

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1879ねん明治めいじ12ねん)に行政ぎょうせい区画くかくとして発足ほっそくした当時とうじぐんいきは、上記じょうき1まち標津しべつぐん標津しべつまち一部いちぶ崎無異さきむい薫別くんねべつ古多糠こたぬか忠類ちゅうるい)をくわえた区域くいきにあたる。

名称めいしょう由来ゆらい

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アイヌ由来ゆらいする。由来ゆらいとなったアイヌの「メナㇱ(menas)」には「ひがし」「東風こち」の2つのがあり、そのどちらであるかははっきりしていない。アイヌ研究けんきゅうしゃ山田やまだ秀三しゅうぞうは「ひがし(の土地とち)」の解釈かいしゃくするにとどめている[1]

なお、もともとは現在げんざい目梨めなしぐんのほか、現在げんざい標津しべつ付近ふきんふく地方ちほうめいだった[1]

ぐん発足ほっそくまでの沿革えんかく

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江戸えど時代じだい目梨めなしぐんいきは、松前まさきはんによってひらかれたネモロ場所ばしょふくまれた。松前まさきはんの「しん記録きろく」によると、元和がんわ元年がんねんから元和がんわ7ねんごろ、メナシ地方ちほう蝦夷えぞアイヌ)が、100せきちかふねわしはねやラッコの毛皮けがわなどをみ、松前まさき交易こうえきしたと記録きろくされている。寛政かんせい元年がんねん蝦夷えぞ人々ひとびと蜂起ほうきしたクナシリ・メナシのたたかい(寛政かんせい蝦夷えぞ蜂起ほうき勃発ぼっぱつ、メナシ地方ちほうでも多数たすう和人わじん殺害さつがいされる。同年どうねん羅臼らうす温泉おんせん発見はっけんされた。

江戸えど時代じだい後期こうき目梨めなしぐんいきひがし蝦夷えぞぞくしていた。南下なんか政策せいさく強力きょうりょくすすめるロシア脅威きょういそな寛政かんせい11ねん目梨めなしぐんいき天領てんりょうとされた。文政ぶんせい4ねん一旦いったん松前まさきはんりょうふくしたものの、安政あんせい2ねんふたた天領てんりょうとなり会津あいづはん警固けいごをおこなった。また、羅臼らうす神社じんじゃ創立そうりつ安政あんせい年間ねんかんつたわる。安政あんせい3 - 4ねんころ知床半島しれとこはんとう硫黄山いおうさん噴火ふんかがあった。安政あんせい6ねんの6はんぶんりょう以降いこう会津あいづはんりょうとなった。戊辰戦争ぼしんせんそうはこかん戦争せんそう終結しゅうけつ直後ちょくご1869ねん大宝たいほう律令りつりょうくにぐんさとせい踏襲とうしゅうして目梨めなしぐんかれた。

ぐん発足ほっそく以降いこう沿革えんかく

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根室ねむろこく市町村しちょうそん(5.羅臼らうすまち目梨めなしぐん
明治めいじ9ねんだい
  • だい25だい
    • 5しょう忠類ちゅうるいむら薫別くんねべつむら崎無異さきむいむらうえべつむら

行政ぎょうせい

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特記とっきなき場合ばあい根室ねむろ千島ちしま歴史れきし人名じんめい事典じてん』による[2]

根室ねむろぐんがいはちぐんちょう
だい 氏名しめい 就任しゅうにん年月日ねんがっぴ 退任たいにん年月日ねんがっぴ 備考びこう
1 和田わだただしなえ 明治めいじ13ねん(1880ねん)7がつ15にち 明治めいじ18ねん(1885ねん 花咲はなさきぐん一部いちぶから色丹しこたんぐん分立ぶんりつ
根室ねむろぐんがいきゅうぐんちょう
だい 氏名しめい 就任しゅうにん年月日ねんがっぴ 退任たいにん年月日ねんがっぴ 備考びこう
1 松下まつした兼清けんせい 明治めいじ18ねん(1885ねん 明治めいじ19ねん(1886ねん
2 広田ひろた千秋ちあき 明治めいじ19ねん(1886ねん)12月 明治めいじ22ねん(1889ねん
3 細川ほそかわあおい 明治めいじ22ねん(1889ねん)7がつ 明治めいじ23ねん(1890ねん)7がつ
4 高岡たかおか直吉なおきち 明治めいじ23ねん(1890ねん)8がつ11にち 明治めいじ28ねん(1895ねん)12月3にち
5 はやし悦郎えつろう 明治めいじ28ねん(1895ねん)12月18にち 明治めいじ30ねん(1897ねん)11月5にち 根室ねむろぐんがいきゅうぐん役所やくしょはい根室ねむろ支庁しちょうく。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 山田やまだ秀三しゅうぞう北海道ほっかいどう地名ちめい』(2はんくさふうかん浦安うらやす〈アイヌ地名ちめい研究けんきゅう 山田やまだ秀三しゅうぞう著作ちょさくしゅう 別巻べっかん〉、2018ねん11月30にち、225ぺーじISBN 978-4-88323-114-0 
  2. ^ 根室ねむろ・千島歴史人名事典編集委員会 2002, 364ぺーじ.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 根室ねむろ・千島歴史人名事典編集委員会 へん根室ねむろ千島ちしま歴史れきし人名じんめい事典じてん根室ねむろ千島ちしま歴史れきし人名じんめい事典じてん刊行かんこうかい、2002ねん 
  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 1 北海道ほっかいどう

関連かんれん項目こうもく

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