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横浜町 - Wikipedia

横浜よこはままち

青森あおもりけん上北かみきたぐんまち

横浜よこはままち(よこはままち)は、青森あおもりけん下北半島しもきたはんとうなかあいだ陸奥湾むつわんめんするまち上北かみきたぐんぞくする。

よこはままち ウィキデータを編集
横浜よこはままち
はなはたけ大豆田おおまめだウィンドファーム
地図
横浜よこはままちはた 横浜よこはままちあきら
1970ねん9月制定せいてい[1]
くに 日本の旗 日本にっぽん
地方ちほう 東北とうほく地方ちほう
都道府県とどうふけん 青森あおもりけん
ぐん 上北かみきたぐん
市町村しちょうそんコード 02406-6
法人ほうじん番号ばんごう 4000020024066 ウィキデータを編集
面積めんせき 126.38km2
そう人口じんこう 3,925ひと [編集へんしゅう]
推計すいけい人口じんこう、2024ねん6がつ1にち
人口じんこう密度みつど 31.1ひと/km2
隣接りんせつ自治体じちたい むつ上北かみきたぐん野辺地のへじまちろくヶ所かしょむら下北しもきたぐん東通ひがしどおりむら
まち つきけやき
まちはな はな
のシンボル まちとり: 浜千鳥はまちどり
まちさかな: 横浜よこはまナマコ
横浜よこはままち役場やくば
町長ちょうちょう 石橋いしばし勝大かつおお
所在地しょざいち 039-4145
青森あおもりけん上北かみきたぐん横浜よこはままち寺下てらした35
北緯ほくい4104ふん59びょう 東経とうけい14114ふん52びょう / 北緯ほくい41.08314 東経とうけい141.24781 / 41.08314; 141.24781座標ざひょう: 北緯ほくい4104ふん59びょう 東経とうけい14114ふん52びょう / 北緯ほくい41.08314 東経とうけい141.24781 / 41.08314; 141.24781
2008年5月撮影
外部がいぶリンク 公式こうしきウェブサイト

横浜町位置図

/ まち / むら

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下北半島しもきたはんとうなかあいだ位置いちし、西にし陸奥湾むつわんひがし吹越烏帽子ふっこしえぼし金津山かなづやまとう山岳さんがく地帯ちたいかこまれる。

隣接りんせつする自治体じちたい

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ながびるはまがあり、おく方向ほうこうには山々やまやまさえぎっているため細長ほそなが地形ちけいから自然しぜんについた地名ちめいおもわれる[2]

「よこはま」自体じたいアイヌ起源きげんではないが、名前なまえにはアイヌ起源きげんのものもある。たとえば、鶏沢にわとりざわ(ニワトリザワ)はふるくはニヤチヤまたはニワチャであり、アイヌ起源きげんかんがえられている[2]

このまち神奈川かながわけん横浜よこはまよりもさき誕生たんじょうした。

町内ちょうないから縄文じょうもん土器どきをはじめとする遺物いぶつ発掘はっくつされていることから、先史せんしころよりこのひとんでいたことがかる。

現在げんざいさんはち上北かみきた地方ちほうは、ふるくはぬかぐん(ぬかのぶ)とばれる地域ちいき一部いちぶであった。文治ぶんじ5ねん(1189ねん)、南部なんぶ三郎さぶろう光行みつゆきぬかぐんふうぜられる[3]ただし、このころぬか宇曽うそ安藤あんどう支配しはいされていたようだ。[よう出典しゅってん]

康正こうせい2ねん(1456ねん)、蠣崎かきざき蔵人くろうどらんまれる。『東北とうほく太平たいへい』にある下北しもきたには城砦じょうさいとして「よこ平城ひらじろ横浜よこはまカゲユ」のがみえる[4]

弘治こうじ元年がんねん(1555ねん)、南部なんぶ庶家である七戸しちのへ右近うこんちょうけいけいそく横浜よこはまかんおもとなり、横浜よこはま名乗なのる。系図けいずによると「横浜よこはま左衛門尉さえもんのじょうけいそく横浜よこはまぼう養子ようし」と記事きじがある[5]

ぶんろく2ねん(1593ねん)、ぶんろくやく名護屋なごや陣中じんちゅう南部なんぶしんただし書状しょじょうに「野辺地のへじよこはまにてえぞふねあまたつくこう……」とあり、横浜よこはま造船ぞうせんおこなわれていたことがうかがえる[6]

江戸えど時代じだいより天然てんねんひのき、またナマコ中心ちゅうしんとした海産物かいさんぶつ上方かみがた貿易ぼうえきにより繁栄はんえいむかえる。越前えちぜんさんこくよし左衛門さえもんという商人しょうにん横浜よこはまみ、「色濃いろこ」という紺色こんいろ木綿こわたをヒノキざい交換こうかんしていた[7]幕末ばくまつ盛岡もりおか藩士はんし漆戸うるしど茂樹しげきの『北奥きたおく路程ろてい』は横浜よこはま言及げんきゅうし、いわく「横浜よこはまきゅうヶ村かそんという。そう戸数こすうはちじゅうきゅうけん出入でいぐちしがらみり。ひのき柾目まさめどうはばななすんながよんしゃくのものよんまい大阪おおさか木綿もめんいちはん交換こうかん」とある。地元じもとのものはこの規定きていサイズのヒノキばんを「寸法すんぽう」とび、大阪おおさか木綿もめんを「すん(すんぽ)」とんでいる。昭和しょうわ末期まっきでも地元じもとひと木綿もめんぬのもとめるときすんかたぎんでいたという[6]

横浜よこはま北郡ほくそぎよん宿場しゅくば伝法寺でんぼうじえき藤島ふじしまえき有戸ありとえき横浜よこはまえき)のひとつであり、宿屋やどや給水きゅうすいしょ高札こうさつじょうもうけられていた。

寛永かんえい11ねん(1634ねんぬかぐん分割ぶんかつ寛文ひろふみ4ねん(1664ねん)、南部なんぶはん断絶だんぜつ盛岡もりおかはん八戸はちのへはん分割ぶんかつ天和てんわ2ねん(1682ねん)、南部なんぶ領内りょうない管轄かんかつ改正かいせい横浜よこはまはちヶ村かそん北郡ほくそぎ野辺地のへじどお横浜よこはまむら○○むらとなる[注釈ちゅうしゃく 1]

17世紀せいきまつごろにかれた古文書こもんじょ横浜よこはまつたわっており『横浜よこはま文書ぶんしょ』とばれている。これによると、かつて泊川とまりかわ左近さこん、またの横浜よこはま左近さこんなるもの泊川とまりかわたてっていた[8]蠣崎かきざき婚姻こんいん関係かんけいむすんでいたという[9]。この横浜よこはま左近さこんが、南部なんぶななけい横浜よこはまであったのか、それともけいそく横浜よこはまはいまえ地元じもと土豪どごう系統けいとうであったのかはからないが、横浜よこはまたがいに対立たいりつしている蠣崎かきざき南部なんぶはさまれ微妙びみょう立地りっちであったことがうかがえる。 また、『横浜よこはま文書ぶんしょ』は横浜よこはま衰退すいたいした様子ようすについてべている。このころ横浜よこはまはちヶ村かそんのヒノキはくしてようばかりとなった。ついにたかられき13ねん(1763ねん)、伐採ばっさいはん役人やくにんきびしく規制きせいされることとなった。こうしてヒノキのだしざいりょう激減げきげんし、他国たこく商人しょうにん材木ざいもく取引とりひきからくことになる[10]

明治めいじ2ねん戊辰戦争ぼしんせんそうともな盛岡もりおかはんげんふうけん設置せっち布告ふこく会津あいづはんうたてふうて、きたぐんみなみはんりょう一部いちぶとなる。明治めいじ4ねん廃藩置県はいはんちけん詔書しょうしょにより横浜よこはまむらみなみけんはいる。同年どうねんみなみけん弘前ひろさきけん吸収きゅうしゅうされ、さらに青森あおもりけん改称かいしょう

明治めいじ24ねん東北とうほく本線ほんせん開業かいぎょうし、蝦夷えぞわた旅客りょかく東北本線とうほくほんせん青森あおもりられるようになり、野辺地のへじふく田名部たなべ街道かいどう沿いのまち重要じゅうようせいはぐっと低下ていかした[8]

ふるくより尻屋崎しりやざきうみ難所なんしょであることが問題もんだいされていた。南部なんぶはんではのべたから元年がんねん(1673ねん)に下北半島しもきたはんとう横断おうだんする運河うんが開鑿かいさくする計画けいかくがり、3ルートについて調査ちょうさおこなわれた。そのうちのひとつが横浜よこはま-ろくヶ所かしょむらとまりあいだ運河うんがでつなぐというものであった。3ルートとも計画けいかくのみでわっている[11]

明治めいじ26ねん幸田こうだ露伴ろはんおそれやま参詣さんけいおり横浜よこはまとおり、『枕頭ちんとう山水さんすい』に紀行きこうしるす。

おも男性だんせい北海道ほっかいどう方面ほうめん漁撈ぎょろう出稼でかせぎし、農業のうぎょう女性じょせい中心ちゅうしん半農半漁はんのうはんぎょ生活せいかつであったため、昭和しょうわはいっても自家用じかよう作物さくもつ確保かくほするのがしらげいちはい農業のうぎょう技術ぎじゅつ進歩しんぽがみられなかった。昭和しょうわだい凶作きょうさくのちの1932ねん昭和しょうわ7ねん)に農業のうぎょう経済けいざい更生こうせい指定していむら指定していされ、村長そんちょうみずか指揮しき農業のうぎょう効率こうりつ改善かいぜんつとめた。このときにナタネを導入どうにゅうしたのがいまはな栽培さいばいはじまりである[12]

隣村りんそんろくヶ所かしょむらとともに野辺地のへじまちとのつながりがつよいが、平成へいせいだい合併がっぺいむつ中心ちゅうしんとしたむつ下北しもきた地域ちいき合併がっぺい協議きょうぎかい参加さんか合併がっぺいしん議会ぎかい定数ていすうめぐ対立たいりつとうにて大間だいままち脱退だったいともな協議きょうぎかい廃止はいしされた。

伝説でんせつ

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横浜よこはままち桧木ひのき八幡やはた神社じんじゃには八幡やはた太郎たろう伝説でんせつがある。1053ねんてん年間ねんかん)、安倍貞任あべのさだとうらのえびす征伐せいばつかえり、みなもと軍団ぐんだんったふねだいあらしった。そこで源義家みなもとのよしいえゆんつついのると時化しけがおさまった。なみのち軽石かるいしとなってはまがったとわれ、そのあたりのはまを「源氏げんじうら」とび、そのはま軽石かるいし神体しんたいとする八幡やはた神社じんじゃ勧進かんじんしたという。ゆえにこの神社じんじゃ軽石かるいし八幡やはた神社じんじゃともしょうされている [8]祭神さいじん誉田ほんだべつみことうけたまわこよみ元年がんねん(1077)勧進かんじん元禄げんろくよんねん(1691)の由来ゆらいしょによると、狄の蜂起ほうき戦乱せんらんとなり村人むらびと離散りさんして祭祀さいし途切とぎみやしゃ衰亡すいぼうしていたが、げんぞくいんという山伏やまぶし復興ふっこうしたという[13]。 またくに重要じゅうよう無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい指定していされている「のうまい」がつたわっており、18めん能面のうめんどう神社じんじゃ保存ほぞんされている。またけん無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい指定していの「獅子舞ししまい」「神楽かぐら」などが、八幡やはた神社じんじゃれい大祭たいさい披露ひろうされる。

行政ぎょうせい

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警察けいさつしょ

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消防署しょうぼうしょ

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産業さんぎょう

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農業のうぎょう

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  • はな作付さくづ面積めんせき全国ぜんこくだい2ほこる。2012ねん作付さくづけ面積めんせき128ヘクタールで全国ぜんこくいち奪還だっかんした。連作れんさく障害しょうがいこしやすいジャガイモの輪作りんさく作物さくもつとして定着ていちゃくしている[15]
    • まちのNPO法人ほうじん開発かいはつした『なたねあぶら』は、優良ゆうりょうふるさと食品しょくひん中央ちゅうおうコンクールにて2010ねん農林のうりん水産すいさん大臣だいじんしょう受賞じゅしょう[16]。『なたねあぶら』のナタネは緑肥りょくひこめぬかペレットを使つかい、化学かがく肥料ひりょう使つかわない有機ゆうき栽培さいばい[17][18]。さらに有機ゆうき溶剤ようざい使用しようせず機械きかいしぼりにより抽出ちゅうしゅつするあぶせんじ[19]
  • じゃがいも
  • もうまめ:さやに茶褐色ちゃかっしょく産毛うぶげのある枝豆えだまめ特産とくさんまめ『あおもり豊丸とよまる』『あおもり福丸ふくまる』のブランド目指めざしてんでいる[16][20]
  • 養豚ようとん:インターファーム株式会社かぶしきがいしゃ 横浜よこはま農場のうじょう
  • 養鶏ようけい日本にっぽんホワイトファーム株式会社かぶしきがいしゃ 東北とうほく生産せいさん

漁業ぎょぎょう

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  • 横浜よこはま漁港ぎょこう
  • 鶏沢にわとりざわ漁港ぎょこう
  • 百目木どうめき漁港ぎょこう
  • 源氏げんじうら漁港ぎょこう

特産とくさんひん

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  • 横浜よこはまナマコまちさかな指定していされ、地域ちいきれるナマコよりやわらかくしょくかんもよい。「横浜よこはまなまこ」として地域ちいき団体だんたい商標しょうひょう登録とうろくされている[22]
  • ホタテガイ:ホタテ養殖ようしょくみみづり)は平内ひらうちまち青森あおもりけんだい2

生産せいさん

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人口じんこう

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平成へいせい27ねん国勢調査こくせいちょうさより前回ぜんかい調査ちょうさからの人口じんこう増減ぞうげんをみると、7.09%げんの4,535にんであり、増減ぞうげんりつ県下けんか40市町村しちょうそんちゅう21

 
横浜よこはままち全国ぜんこく年齢ねんれいべつ人口じんこう分布ぶんぷ(2005ねん 横浜よこはままち年齢ねんれい男女だんじょべつ人口じんこう分布ぶんぷ(2005ねん
紫色むらさきいろ横浜よこはままち
緑色みどりいろ日本にっぽん全国ぜんこく
青色あおいろ男性だんせい
赤色あかいろ女性じょせい
横浜よこはままち(に相当そうとうする地域ちいき)の人口じんこう推移すいい
1970ねん昭和しょうわ45ねん 7,144にん
1975ねん昭和しょうわ50ねん 7,047にん
1980ねん昭和しょうわ55ねん 6,590にん
1985ねん昭和しょうわ60ねん 6,626にん
1990ねん平成へいせい2ねん 6,126にん
1995ねん平成へいせい7ねん 5,806にん
2000ねん平成へいせい12ねん 5,508にん
2005ねん平成へいせい17ねん 5,097にん
2010ねん平成へいせい22ねん 4,881にん
2015ねん平成へいせい27ねん 4,535にん
2020ねんれい2ねん 4,229にん
総務そうむしょう統計とうけいきょく 国勢調査こくせいちょうさより


教育きょういく

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中学校ちゅうがっこう

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小学校しょうがっこう

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郵便ゆうびん

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金融きんゆう機関きかん

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  • ふれあいセンター。町民ちょうみん図書館としょかんおよび入浴にゅうよく施設しせつ横浜よこはま温泉おんせん併設へいせつ
  • 自然しぜん体験たいけんランド 「自然しぜんえん(じねんえん)」
  • 横浜よこはままちトレーニングセンター

郷土きょうど料理りょうり

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交通こうつう

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陸奥みちのく横浜よこはまえき

鉄道てつどう

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名所めいしょ旧跡きゅうせき観光かんこうスポット・祭事さいじ催事さいじ

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  • はなはたけ
    作付さくづ面積めんせき全国ぜんこくだい22010ねん平成へいせい22ねん現在げんざいだい1北海道ほっかいどう滝川たきがわ)、はなまちのシンボルとしてまちおこしの中心ちゅうしんえる。平成へいせい元年がんねんには全国ぜんこく1記録きろく
  • はなフェスティバル
    はな開花かいか期間きかんちゅう(5がつ初旬しょじゅんから下旬げじゅんにかけて)。はなかんしたイベントが集中しゅうちゅうしておこなわれる。2004ねん平成へいせい16ねんは2まんにん観光かんこうきゃくおとずれた。
  • 風力ふうりょく発電はつでんしょ
    豊田通商とよたつうしょう系列けいれつのウィンドテック横浜よこはまにより大豆田おおまめだ(まめだ)地区ちく設立せつりつ風力ふうりょく発電はつでん6そう発電はつでんりょう10500kW。
  • みちえきよこはま
    特産とくさんひん販売はんばいしょ、レストラン「鮮菜」などの施設しせつそなえる。愛称あいしょうは“はなプラザ”。
  • 砂浜すなはま海岸かいがん海水浴かいすいよくじょう
    なつ大勢おおぜい海水浴かいすいよくきゃくにぎわう。予約よやく宿泊しゅくはくできるコテージもある。
  • なたねとう
    砂浜すなはま海岸かいがん海水浴かいすいよくじょうからみなみ位置いちする出島でじまじんおおい。
  • 砂浜すなはま海岸かいがんフェスティバル
    8がつ横浜よこはままち砂浜すなはま海岸かいがん海水浴かいすいよくじょうにておこなわれる。人間にんげんばんば大会たいかい子供こども宝探たからさがし、水中すいちゅうロデオなどのイベントも開催かいさい
  • 三保野みほの公園こうえん
    テニスコート、ミニサッカーじょうなどがある。
  • よこはまなつまつり花火はなび大会たいかい
    毎年まいとし8がつ14にち開催かいさいされる。ひる三保野みほの公園こうえんにてさかなのつかみり、いもかいなどのイベント、よるにはやく2000はつ花火はなび横浜よこはま漁港ぎょこうにてげられる。
  • 横浜よこはままち神楽じんらく
    けん指定してい無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい[23]
  • 北限ほくげんのゲンジボタル
    横浜よこはままちゲンジボタル生息せいそく北限ほくげんとされ、「横浜よこはままちのゲンジボタルおよびその生息せいそく」として青森あおもりけん天然記念物てんねんきねんぶつ指定していされている。吹越ふっこしまちほたるむらでは毎年まいとし7がつだい1またはだい2土曜日どようびにホタル&みずまつりを開催かいさいしている。
  • 吹越烏帽子ふっこしえぼし
    とうまちろくヶ所かしょむらにまたがってそびえる、標高ひょうこう507.8mのやま
  • 出身しゅっしん著名ちょめいじん

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    脚注きゃくちゅう

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    注釈ちゅうしゃく

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    1. ^ はちヶ村かそんは、吹越ふきこしうしさわ横浜よこはま桧木ひのき(ヒノキ)、大豆田おおまめだ(マメダ)、鶏沢にわとりざわ(ニワトリザワ)、有畑ありはた百目木どうめき(ドウメキ)である。

    出典しゅってん

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    1. ^ てん 日本にっぽん市町村しちょうそんあきら p28
    2. ^ a b 横浜よこはままち教職員きょうしょくいん社会しゃかいグループ発行はっこう横浜よこはままち郷土きょうど』(昭和しょうわ35ねんつい
    3. ^ 聞老のここと
    4. ^ 東北とうほく太平たいへい
    5. ^ 横浜よこはままち編纂へんさん委員いいんかいへん横浜よこはままち郷土きょうど年表ねんぴょう』(昭和しょうわ57ねん)。同書どうしょ岩手いわてけん引用いんようしている。
    6. ^ a b 横浜よこはままち歴史れきし地誌ちしかたかい『よこはま』(平成へいせい2ねん
    7. ^ 新撰しんせん陸奥みちのくこく
    8. ^ a b c 横浜よこはままち郷土きょうど
    9. ^ 横浜よこはままち郷土きょうど年表ねんぴょう』。年表ねんぴょう野辺地のへじ飯田いいだつたわる文書ぶんしょによるとしている
    10. ^ 横浜よこはままち編纂へんさん委員いいんかい開村かいそんひゃく周年しゅうねん町制ちょうせい施行しこうじゅう周年しゅうねん記念きねん ふるさと物語ものがたり』(昭和しょうわ53ねん)、p.33-35
    11. ^ ろくヶ所かしょむら編纂へんさん委員いいんかいへんろくヶ所かしょむら なか』p.619。むら青森あおもり『「陸奥みちのく運河うんが」にかんする考察こうさつ』(1962ねん)を参照さんしょうしている
    12. ^ 『ふるさと物語ものがたり』p.236, p140
    13. ^ 横浜よこはままち編纂へんさん委員いいんかい横浜よこはままち資料しりょうだいいちしゅう 神社じんじゃへん昭和しょうわ53ねん、p.3
    14. ^ 町長ちょうちょう部屋へや - 横浜よこはままち役場やくば”. www.town.yokohama.lg.jp. 2022ねん4がつ11にち閲覧えつらん
    15. ^ 東奥ひがしおく日報にっぽう2014ねん4がつ5にち1めん
    16. ^ a b c 東奥日報社とうおうにっぽうしゃ東奥ひがしおく年鑑ねんかん 平成へいせい23年版ねんばん』p.226
    17. ^ 東奥ひがしおく日報にっぽう2015ねん9がつ21にちめん
    18. ^ デイリー東北とうほく2015ねん9がつ6にちめん
    19. ^ 東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう株式会社かぶしきがいしゃ『トランヴェール』2016ねん3がつごう、p.43
    20. ^ JA十和田とわだおいらせ横浜よこはままち支店してん横浜よこはままちまめのブランド目指めざした取組とりくみ
    21. ^ れい年度ねんど日本にっぽん農林のうりん漁業ぎょぎょう振興しんこうかい会長かいちょうしょう受賞じゅしょうしゃ受賞じゅしょう理由りゆう概要がいよう 畜産ちくさん部門ぶもん” (PDF). 日本にっぽん農林のうりん漁業ぎょぎょう振興しんこうかい. 2024ねん2がつ14にち閲覧えつらん
    22. ^ 東奥ひがしおく日報にっぽう2015ねん8がつ27にち
    23. ^ 青森あおもりけん教育きょういく委員いいんかい青森あおもりけん民俗みんぞく芸能げいのう緊急きんきゅう調査ちょうさ報告ほうこくしょ平成へいせいはちねん

    外部がいぶリンク

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