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安倍貞任 - Wikipedia

安倍貞任あべのさだとう

?-1062, 平安へいあん時代じだい中期ちゅうき武将ぶしょう

安倍あべ さだにん (あべ の さだとう)は、平安へいあん時代じだい中期ちゅうき武将ぶしょう安倍あべ棟梁とうりょうで、おくろくぐん支配しはいする俘囚ふしゅうちょう安倍頼時あべのよりときだい2次男じなん[4]厨川くりやがわしがらみしゅとして、安倍あべ厨川くりやがわ次郎じろうさだにんとも。いもうとむこ藤原ふじわらけいきよし奥州おうしゅう藤原ふじわら初代しょだい藤原清衡ふじわらのきよひらちち)がおり、さだにんきよし衡は伯父おじおい関係かんけいにあたる。

 
安倍あべ さだにん
ぜんきゅうねん合戦かっせん絵巻えまき写本しゃほんより安倍貞任あべのさだとう
時代じだい 平安へいあん時代じだい中期ちゅうき
生誕せいたん 寛仁かんじん3ねん1019ねん)? [1]
死没しぼつ 康平こうへい5ねん9月17にち1062ねん10月22にち
別名べつめい 厨川くりやがわ次郎じろう
氏族しぞく 安倍あべ
父母ちちはは たよとききむためぎょういもうと[2]
兄弟きょうだい りょうむねさだにんそうつとむせいにんいえにん重任じゅうにんのりにんくだりにん平永ひらながしつ藤原ふじわらけいきよしむろ有加ゆかいち乃末陪
つま きむためぎょうむすめ千里せんり
千代ちよ童子どうじ[ちゅう 1]はる童子どうじこうほし
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経歴けいれき

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ながうけたまわ6ねん1051ねん)に、安倍あべ京都きょうと朝廷ちょうていから派遣はけんされていた陸奥むつまもる藤原ふじわらのぼりつとむとのあらそ[ちゅう 2]はしはっして、以降いこう12年間ねんかんにわたってつづいたぜんきゅうねんやくにおいて、東北とうほく各地かくち善戦ぜんせんする。のぼりつとむ後任こうにんとして源頼義みなもとのよりよしよくながうけたまわ7ねん1052ねん)に赴任ふにんすると、後冷泉天皇ごれいぜいてんのう祖母そぼ上東門院じょうとうもんいん藤原ふじわら彰子あきこ)の病気びょうき快癒かいゆ祈願きがんのために大赦たいしゃおこなわれ、安倍あべ朝廷ちょうていさからったつみゆるされることとなったが、てん4ねん1056ねん)に、阿久あくとしがわにおいて藤原ふじわら光貞みつさだ営舎えいしゃ襲撃しゅうげきされる阿久あくとしがわ事件じけんこると、頼義よりちか事件じけん張本人ちょうほんにん断定だんていされたさだにん身柄みがら要求ようきゅうし、ちちよりゆきがこれを拒絶きょぜつしてふたた開戦かいせんとなる。てん5ねん1057ねん)、安倍頼時あべのよりとき戦死せんししたためさだにんあとぎ、おとうとそうつとむとともに一族いちぞくひきいてたたかいをつづけた[6]

同年どうねん11がつには河崎かわさきしがらみって黄海こうかいたたか国府こくふぐん大勝たいしょうした。以後いご衣川きぬがわ以南いなんにも進出しんしゅつして、勢威せいいるったが、康平こうへい5ねん1062ねん)7がつ国府こくふがわ清原きよはら頼義よりちかがわ加勢かせいしたので形勢けいせい逆転ぎゃくてん劣勢れっせいとなり、安倍あべ拠点きょてんであった小松こまつしがらみ衣川きぬがわしがらみ鳥海とりうみしがらみ次々つぎつぎとされ、9月17にちには厨川くりやがわたたかさだにんやぶれてたれた。深手ふかでってらえられたさだにんは、巨体きょたいだてせられ頼義よりちか面前めんぜんされたが、頼義よりちか一瞥いちべつしただけでいきったという。享年きょうねん44、もしくは34[ちゅう 3]。そのくび[ちゅう 4]丸太まるたくぎけられ、朝廷ちょうていおくられた[ちゅう 5]。なお、おとうとそうつとむ投降とうこうし、どう7ねん3がつ伊予いよこく配流はいるされ、さらにれき3ねん(1067ねん太宰府だざいふうつされた[7]

背丈せたけろくしゃくえ、こしまわりはななしゃくよんすんという容貌ようぼう魁偉かいい色白いろじろ肥満ひまんたいであった(『陸奥みちのくはなし』による記述きじゅつ)。衣川きぬがわしがらみたたかいにおいては、源義家みなもとのよしいえ和歌わか問答もんどうをしたとされる逸話いつわられる。 『今昔こんじゃく物語ものがたり』には、安倍頼時あべのよりときさだにんちち)は陸奥みちのくこくおくむ「えびす」と同心どうしんしたため源頼義みなもとのよりよしめられ、さだにんそうつとむ兄弟きょうだいらは一族いちぞくとともに「うみきた[ちゅう 6]北海道ほっかいどう)にふねわたかわ上流じょうりゅうを30にちあまさかのぼったたりで「みずうみこくひと[ちゅう 7]軍勢ぐんぜい遭遇そうぐうした、とつたえられている[8]

後裔こうえい

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  • 津軽つがる地方ちほう豪族ごうぞく安東あんどう(のち秋田あきた)はさだにんこうほしこう星丸ほしまる)の後裔こうえいしょうした。
  • 群馬ぐんまけん利根とねぐんみなかみまちにある湯檜曽ゆびそ温泉おんせんは、さだにん子孫しそんによって発見はっけんされたとわれている[9]とう温泉おんせんにはその子孫しそんによって営業えいぎょうつづけてきたという温泉おんせん宿やど本家ほんけ旅館りょかん」(みなかみまち湯桧曽ゆびそ120)があった[10]
  • さだにん息子むすこふくんだ残党ざんとう奥羽おうう山脈さんみゃく尾根おねどう南下なんか新潟にいがた群馬ぐんま県境けんきょうさんわかれ、それぞれせいを「阿部あべ」にえ、新潟にいがたけん南魚沼みなみうおぬま清水しみず群馬ぐんまけん湯桧曽ゆびそ群馬ぐんまけん奥利根おくとね藤原ふじわらかれみ、昭和しょうわ戦後せんごぐらいまでさんいえがあった[11]
 
本家ほんけ旅館りょかんあと
明治めいじはつ年頃としごろ創業そうぎょうゆたかな自然しぜんなか、270にん収容しゅうようする7かいての近代きんだいてき建物たてもの特徴とくちょうだった[10]が、廃業はいぎょうした。
埋葬まいそう

埋葬まいそうあきらかではないが、各地かくち伝承でんしょうとしてのこされているものがある。

  • さだにんとうげ (京都きょうと
  • あししゅたに (京都きょうと
  • ひととうげ (京都きょうと
  • 下宇津しもうつ八幡宮はちまんぐう (京都きょうと
  • 船井ふない神社じんじゃうで(かいな)もり (京都きょうとみなみ八木やぎまち
  • 久留くるまもる神社じんじゃ (京都きょうとみなみ八木やぎまち刑部おさかべ
  • 安倍貞任あべのさだとうはか (山口やまぐちけん山陽さんようまち
  • たてせん安倍貞任あべのさだとうはか (福岡ふくおかけん朝倉あさくら佐田さた
慰霊いれい

厨川くりやがわしがらみうたぐてい中心ちゅうしんに、寺社じしゃまつられている。

  • 天昌寺てんしょうじ (岩手いわてけん盛岡もりおか天昌寺てんしょうじまち
  • さだにんそうつとむ神社じんじゃ (岩手いわてけん盛岡もりおか安倍館あべたてまち

関連かんれん地名ちめいなど

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  • さだにんきょう (岩手いわてけん盛岡もりおか上厨川かみくりやがわ
  • さだにん高原こうげん (岩手いわてけん遠野とおの

史料しりょう

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ながうけたまわ3ねん1048ねん)?〜康平こうへい5ねん1062ねん)。享年きょうねん15?。ぜんきゅうねんやく一時いちじ助命じょめい検討けんとうされるが清原武則きよはらのたけのりの諫言により、処刑しょけいされた。生年せいねんにはながうけたまわ5(1050ねん)というせつもあり、これにしたがえば享年きょうねん13となる。また、『平治へいじ物語ものがたり』では、戦死せんししたときの年齢ねんれいが12さいとなっている[3]
  2. ^ 安倍あべ支配しはい地域ちいきであった陸奥みちのくおくろくぐん地方ちほう胆沢いさわ江刺えさし和賀わが稗貫ひえぬきむらさきなみ岩手いわて)から衣川きぬがわえて南進なんしんしたことにはじまる[5]
  3. ^ 陸奥みちのくはなし』では享年きょうねん34となっている。
  4. ^ いねとみ伸明のぶあき「にゃまくび」『ふねとりでつる書房しょぼう、2022ねん首級しゅきゅう警固けいご上洛じょうらくする軍旅ぐんりょねこ視点してんえがいた小説しょうせつ
  5. ^ この故事こじならい、後年こうねんみなもと頼朝よりともによって藤原ふじわらやすしくび同様どうよう措置そちがされた。平泉ひらいずみ中尊寺ちゅうそんじ現存げんそんするたい衡のくびには、くぎあとのこっている。
  6. ^ 当時とうじ北海道ほっかいどうは「ころもべつしま」(えぞのわけしま)とばれていた。
  7. ^ 沿海州えんかいしゅうからアムールかわ付近ふきんいた東北とうほくアジア騎馬きば遊牧民ゆうぼくみんすという。

出典しゅってん

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  1. ^ ながもと2ねん(1029ねん)?(田中たなかただしあきら安倍貞任あべのさだとう」( 小野おの一之かずゆき鈴木すずきあきら谷口たにぐちさかえ樋口ひぐちしゅうおとこへん人物じんぶつでんしょう辞典じてん 古代こだい中世ちゅうせいへん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、2004ねん、 8ページ)
  2. ^ 樋口ひぐちともこころざしぜんきゅうねんこうさんねん合戦かっせんへい時代じだい』(吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2016ねん
  3. ^ 安藤あんどう系図けいず
  4. ^ 上田うえだただしあきら津田つだ秀夫ひでお永原ながはらけい藤井ふじい松一しょういち藤原ふじわらあきら『コンサイス日本人にっぽんじんめい辞典じてん だい5はん』(株式会社かぶしきがいしゃ三省堂さんせいどう、2009ねん)47ぺーじ
  5. ^ 田中たなかただしあきら安倍貞任あべのさだとう」( 小野おの一之かずゆき鈴木すずきあきら谷口たにぐちさかえ樋口ひぐちしゅうおとこへん人物じんぶつでんしょう辞典じてん 古代こだい中世ちゅうせいへん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、2004ねん、 8ページ)
  6. ^ 田中たなかただしあきら安倍貞任あべのさだとう」( 小野おの一之かずゆき鈴木すずきあきら谷口たにぐちさかえ樋口ひぐちしゅうおとこへん人物じんぶつでんしょう辞典じてん 古代こだい中世ちゅうせいへん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、2004ねん、 8-9ページ)
  7. ^ 田中たなかただしあきら安倍貞任あべのさだとう」( 小野おの一之かずゆき鈴木すずきあきら谷口たにぐちさかえ樋口ひぐちしゅうおとこへん人物じんぶつでんしょう辞典じてん 古代こだい中世ちゅうせいへん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、2004ねん、9ページ)
  8. ^ 田中たなかただしあきら安倍貞任あべのさだとう」( 小野おの一之かずゆき鈴木すずきあきら谷口たにぐちさかえ樋口ひぐちしゅうおとこへん人物じんぶつでんしょう辞典じてん 古代こだい中世ちゅうせいへん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、2004ねん、10ページ)
  9. ^ 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ) 湯檜曽ゆびそ温泉おんせん”. コトバンク. 2016ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
  10. ^ a b 水上すいじょう温泉おんせん旅館りょかん協同きょうどう組合くみあい創立そうりつ50周年しゅうねん記念きねん みなかみ』68ページ。
  11. ^ 塩沢しおざわまち

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • 水上みずかみ温泉おんせん旅館りょかん協同きょうどう組合くみあい創立そうりつ50周年しゅうねん記念きねん みなかみ』水上みずかみ温泉おんせん旅館りょかん協同きょうどう組合くみあい、1983ねん3がつ25にち

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう
映画えいが
  • 安倍貞任あべのさだとう』:1915ねん大正たいしょう4ねん
TVドラマ