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今参局 - Wikipedia

こんさんきょく(いままいりのつぼね、おうひさし11ねん1404ねん〉? - 長禄ちょうろく3ねん1がつ19にち[1]1459ねん2がつ22にち[1]〉)は、室町むろまち時代ときよ女性じょせい通称つうしょういま室町むろまち幕府ばくふだい8だい将軍しょうぐん足利あしかが義政よしまさ乳母うば大舘おおたちまんふゆ(みつふゆ)のむすめ[1][2]あに大舘おおたちきょう(のりうじ)がいる。ちちあにはそれぞれ、義政よしまさ祖父そふ義満よしみつ(3だい将軍しょうぐん)、ちち義教よしのり(6だい将軍しょうぐん)からへんいみな授与じゅよけている。こんさんきょく自身じしん本名ほんみょう不明ふめい[ちゅう 1]

義政よしまさ側近そっきん有力ゆうりょくしゃとして烏丸からすまにん有馬ありま持家もちいえともさん(おい、からす、あり)としょうされた[1][2]。なお、かつてはこんさんきょく義政よしまさ愛妾あいしょうしんじられていたが、のち同族どうぞくけいじょあまねによる『だいたて持房もちふさ行状ぎょうじょう』が発見はっけんされ、義政よしまさ乳母うばであることが判明はんめいしたため、現在げんざい否定ひていされている[3]

生涯しょうがい

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だいたて新田にった一門いちもんで、新田にった義貞よしさだ重臣じゅうしんであるだいたてあきらたが、そのふゆ室町むろまち幕府ばくふり、以降いこう近臣きんしんとして歴代れきだい将軍しょうぐんつかえた。こんさんきょくは、よしふゆまごである大舘おおたちまんふゆむすめとしてまれた。なお、義政よしまさ側室そくしつである大舘おおたち同族どうぞくにあたる。

たからいさお元年がんねん1449ねん)に8だい将軍しょうぐんとなった義政よしまさは、宝徳ほうとく3ねん1451ねん)には尾張おわりこく守護しゅごだい人事じんじ介入かいにゅうし、守護しゅご斯波しばよしけんたいして織田おだ敏広としひろ更迭こうてつして織田おだごうひろ守護しゅごだいにさせようとする[1]。この人事じんじ管領かんりょう細川ほそかわ勝元かつもと畠山はたけやま持国もちくにらに反対はんたいされ、義政よしまさはは日野ひの重子しげこ出奔しゅっぽんする事件じけんこるが、この政策せいさくには義政よしまさ乳母うば養育よういくがかり)として幕政ばくせい影響えいきょうりょくこんさんきょくかかわっていたとされる[1]

長禄ちょうろく3ねん1459ねん正月しょうがつ9にち義政よしまさ正室せいしつ日野ひの富子とみこんだまれてもなく死去しきょすると、こんさんきょく呪詛じゅそであるという風聞ふうぶんひろまった[1][2]はんこんさんきょく勢力せいりょく守護しゅご大名だいみょう日野ひの重子しげこらはこの早世そうせいいまさんきょく呪詛じゅそによるものとうったえ、こんさんきょく琵琶湖びわこ沖ノ島おきのしま流罪るざいとされた。配流はいるされる途中とちゅう、1がつ19にち重子しげこらがおくった刺客しかく襲撃しゅうげきされたため、自害じがいした。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ そもそも「こんさんきょく」とは新入しんいりの女官にょかん意味いみする普通ふつう名詞めいしだが、ただ「こんさんきょく」といえばこの大舘おおたちむすめ[1]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h "こんさんきょく". ちょうにち日本にっぽん歴史れきし人物じんぶつ事典じてん, デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plus. コトバンクより2023ねん3がつ7にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c "こんさん". 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だい2はん. コトバンクより2023ねん3がつ7にち閲覧えつらん
  3. ^ 福田ふくだ豊彦とよひこ ちょだいたて持房もちふさ行状ぎょうじょう」、国史こくしだい辞典じてん編集へんしゅう委員いいんかい へん国史こくしだい辞典じてんだい15かんうえ》、吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1996ねん6がつ、35-36ぺーじASIN 4642005153ISBN 978-4-642-00515-9NCID BN00117433OCLC 834275566全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:97035434 

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外部がいぶリンク

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