(Translated by https://www.hiragana.jp/)
カシミール - Wikipedia

カシミール

インド大陸たいりく最北端さいほくたん地域ちいき

カシミールあるいはカシュミールカシミール: کٔشِیر / कॅशीर, 英語えいご: Kashmir, ウルドゥー: کشمیر‎)は、インド北部ほくぶパキスタン北東ほくとう国境こっきょう付近ふきんにひろがる山岳さんがく地域ちいきである。標高ひょうこう8000mきゅうカラコルム山脈さんみゃくがあり、パキスタン中国ちゅうごく国境こっきょうには世界せかいだい2の高峰こうほうK2がそびえる。

現在げんざいのカシミールの実効じっこう支配しはい勢力せいりょく
ジャンムー・カシミールしゅううち宗教しゅうきょう分布ぶんぷ
カシミールの: みどりはパキスタン支配しはい, オレンジはインド支配しはい. あかわくないきゅうジャンムー・カシミールはん王国おうこく支配しはい

概要がいよう

編集へんしゅう

カシミールの帰属きぞくをめぐっては、インド・パキスタン・中国ちゅうごくの3こくとくしるしパの対立たいりつえない。中世ちゅうせいにはカシミール・スルターンあさ支配しはいし、そのとき住民じゅうみんおおくがムスリム改宗かいしゅうした[1]対立たいりつ背景はいけいにはイスラム教いすらむきょう(パキスタン)とヒンドゥーきょう(インド)の対立たいりつがあり、インド実効じっこう支配しはい地域ちいきでのイスラム教いすらむきょうけい組織そしきによる分離ぶんり独立どくりつ運動うんどう広義こうぎのカシミール問題もんだいふくめられる。

日本にっぽん学校がっこう教育きょういく用地ようちちょうでは、パキスタンから中国ちゅうごく割譲かつじょうされた地域ちいきのぞき、しるしちゅう3こく主張しゅちょうするすべての地域ちいき所属しょぞく未定みていとし、軍事ぐんじ境界きょうかいせんである実効じっこう支配しはいせん管理かんりラインのみをえが手法しゅほうがとられている。

各国かっこく実効じっこう支配しはい地域ちいき

編集へんしゅう

インドの実効じっこう支配しはい地域ちいきは、かつてジャンムー・カシミールはん王国おうこく(1846ねん - 1947ねん)があった地域ちいきで、現在げんざいジャンムー・カシミール連邦れんぽう直轄ちょっかつりょうおよびラダック連邦れんぽう直轄ちょっかつりょうとなっている。文化ぶんか宗教しゅうきょうてきに3つにけるならば、カシミール渓谷けいこく地域ちいき(ムスリム95%)、ジャンムー地域ちいき(ヒンドゥーが過半数かはんすう)、ラダック地域ちいき仏教徒ぶっきょうととムスリムがほぼ半数はんすうずつ)の西にしはん地域ちいきである。なかでもカシミール渓谷けいこく自然しぜんうつくしさと係争けいそう同居どうきょするしゅう中心ちゅうしんである。州都しゅうとかつ最大さいだい都市としは、避暑ひしょとしてられるシュリーナガル

高級こうきゅう織物おりものカシミアは、この地域ちいき原産げんさんカシミアヤギ英語えいごばんからつくられたことに由来ゆらいする。

パキスタンの実効じっこう支配しはい地域ちいきは、ギルギット・バルティスタンおよアザド・カシミールばれている。

中国ちゅうごく実効じっこう支配しはい地域ちいきは、ラダック地方ちほうひがしはんにあたるアクサイチンおよカラコルム回廊かいろうとなっている。アクサイチンだい部分ぶぶん新疆しんきょうウイグル自治じちホータン地区ちくホータンけん南部なんぶ一部いちぶチベット自治じちガリ地区ちくルトクけんとなっている。カラコルム回廊かいろう新疆しんきょうウイグル自治じちカシュガル地区ちくタシュクルガン・タジク自治じちけんとなっている。

18世紀せいきドゥッラーニーあさムガル帝国ていこくは、マラーター同盟どうめいとの度重たびかさなる戦闘せんとうマラーターのインド北西部ほくせいぶ侵攻しんこう英語えいごばんだいさんパーニーパットのたたかノウシェーラのたたか英語えいごばん)で弱体じゃくたいし、ドゥッラーニーあさ影響えいきょうおよばなくなった空白くうはく地帯ちたいに、1801ねん新興しんこうこくシク王国おうこく登場とうじょうした。

カシミールの東側ひがしがわ半分はんぶん以上いじょうめるヒマラヤ山脈ひまらやさんみゃくカラコルム山脈さんみゃくはさまれた一帯いったいラダック(およびザンスカール地方ちほうバルティスターン地方ちほうは、元々もともとチベットけいラダック王国おうこく英語えいごばんがあったが、1834ねん最後さいごおうTsepal Namgyalシク王国おうこくやぶれ、en:Stok追放ついほうされ、シク王国おうこく支配しはいはいった[2]

1841ねんにはシク王国おうこくドーグラー勢力せいりょくチベットとのあいだドーグラー戦争せんそうきた。そのさい捕虜ほりょとなったカシミール兵士へいし末裔まつえいすうせんにんが、ラサなど中央ちゅうおうチベットに居住きょじゅうしている。これらはカチェ(チベットでカシミールじん)とばれ、イスラム教いすらむきょう信仰しんこうたもっているが、言語げんごだい部分ぶぶん習俗しゅうぞくはチベットじん同化どうかしている。これがひいてはチベットでイスラーム教徒きょうと移民いみん漠然ばくぜんとカチェとぶようになり、青海あおみしょう甘粛かんせいしょう方面ほうめんから移住いじゅうしてきたかいぞくもギャナ・カチェ(直訳ちょくやくすれば「中国ちゅうごくのカシミールじん」の)とばれる[3][4]

だが1845ねんからのシク戦争せんそうでは、だい1シク戦争せんそうソブラーオーンのたたか英語えいごばんイギリスがシク王国おうこくやぶり、ラホール条約じょうやく締結ていけつした。この条約じょうやくをもってイギリス間接かんせつ統治とうちジャンムー・カシミールはん王国おうこく成立せいりつした[5]

グレートゲーム

編集へんしゅう

イギリス植民しょくみん統治とうちのインドでは、国内こくない様々さまざま地域ちいき大小だいしょう無数むすう散在さんざいするはん王国おうこくをイギリスが間接かんせつてき統治とうちしていた。

1885ねんアフガニスタン首長しゅちょうこくen)とロシア帝国ていこくとのパンジェ紛争ふんそう英語えいごばん発生はっせい

1886ねんフランシス・ヤングハズバンド満州まんしゅうからゴビ砂漠ごびさばく横断おうだんし、カラコルム山脈さんみゃくマスタフとうげ英語えいごばんえてインドいたる「中国ちゅうごく-インドあいだのルート」を開拓かいたく

1889ねんフンザによる「ヤルカンド-インドあいだ交易こうえき」への襲撃しゅうげき激化げきか1890ねんに、ヤングハズバンドが南下なんかするロシア帝国ていこくブロニスラフ・グロンブチェフスキー英語えいごばんひきいるロシアぐん兵士へいしワハーン回廊かいろうボザイ・グンバズ英語えいごばん拘束こうそくされそうになる事件じけん発生はっせいし、1891ねんフンザ・ナガル戦争せんそう英語えいごばん勃発ぼっぱつ

カシミール紛争ふんそう

編集へんしゅう

1947ねん8がつ、それまでイギリス植民しょくみんイギリスりょうインド帝国ていこくとして1つのまとまりだった広大こうだい地域ちいきが、植民しょくみん独立どくりつ契機けいきに、ヒンドゥー教徒きょうと多数たすうであるが民族みんぞく宗教しゅうきょう国是こくぜガンディーの「いち民族みんぞくろん」)をかかげるインドと、イスラム教徒きょうと別個べっこ民族みんぞくなすジンナーらの「民族みんぞくろん」にもとづきイスラム教いすらむきょう国教こっきょうとするパキスタンの2つの国家こっかおおきく分裂ぶんれつした。

このインド・パキスタン分離ぶんり独立どくりつによって、それぞれはん王国おうこくはいずれかのがわ帰属きぞくすることをせまられていた。しかし、カシミールはんおうハリ・シング自身じしんがヒンドゥー教徒きょうとたいして住民じゅうみんの80%はムスリム(イスラーム教徒きょうと)という微妙びみょう立場たちばにあり、独立どくりつかんがえていた。パキスタンが武力ぶりょく介入かいにゅうしてきたことで、ハリ・シングはインドへの帰属きぞく表明ひょうめいし、インド政府せいふ派兵はへいもとめた。これがだいいちしるし戦争せんそうしるし戦争せんそう)の発端ほったんである[6][7][8]以後いご、この地域ちいきについてはパキスタンとインドが領有りょうゆう主張しゅちょうし、これまで大小だいしょう軍事ぐんじ衝突しょうとつカシミール紛争ふんそう)をかえし、だいしるし戦争せんそうだいさんしるし戦争せんそうカールギル紛争ふんそうまであらそっている[6][7][8]。また、インドは中国ちゅうごくとも領有りょうゆうけんあらそい、カシミールとその東部とうぶ地域ちいきアクサイチンおよびラダックザンスカールバルティスターンはげしい戦闘せんとうとなった(中印なかいん国境こっきょう紛争ふんそう)。その、ほぼ中間ちゅうかん付近ふきん管理かんりライン(LOC)がかれ[6]、2000年代ねんだい後半こうはんにはインドはジャンムー・カシミールしゅうを、パキスタンはアーザード(自由じゆう)・カシミールしゅうギルギット・バルティスタン旧称きゅうしょう北方ほっぽう地域ちいき)を、中国ちゅうごくアクサイチンおよカラコルム回廊かいろう実効じっこう支配しはいすることとなった[6][7][8]

1990年代ねんだいはいるとパキスタンの支援しえんけた過激かげきテロ頻発ひんぱつし、治安ちあん部隊ぶたい過剰かじょうともいえる反撃はんげきつづいた[6]

2002ねんしゅう議会ぎかい選挙せんきょとき、ジャンムー・カシミールのヒンドゥー勢力せいりょくしゅうを3分割ぶんかつしてジャンムーしゅう建設けんせつすべきとの主張しゅちょうをした。また、ラダック地域ちいきでは自治じちけん拡大かくだい要求ようきゅうきている。

2006ねんインドじん観光かんこうきゃくもどはじめたが、それらの観光かんこうきゃくねらったテロが横行おうこうした。

2014ねんにインドの首相しゅしょう就任しゅうにんしたナレンドラ・モディヒンドゥー至上しじょう主義しゅぎものでカシミール問題もんだいでパキスタンにたいして強硬きょうこう路線ろせん[9][10]双方そうほう砲撃ほうげき銃撃じゅうげきせんきるなど両国りょうこく非難ひなん応酬おうしゅうがされ[11][12]2019ねん2がつにはインドは48ねんぶりにパキスタンの越境えっきょう空爆くうばくバーラーコート空爆くうばく)をおこな[13]、パキスタン空軍くうぐんとインド空軍くうぐんがカシミール地方ちほう空中くうちゅうせんおこなってパキスタンはインド空軍くうぐん2、インドはパキスタン空軍くうぐん1撃墜げきついしたとそれぞれ発表はっぴょうして緊張きんちょう状態じょうたいになった[14]

同年どうねん8がつ5にち、インド政府せいふ国内こくない唯一ゆいいつイスラム教徒きょうと多数たすうとなっているジャンムー・カシミールしゅう特別とくべつ自治じちけんについて規定きていしていたインド憲法けんぽうだい370じょう英語えいごばん廃止はいしすることを決定けっていし、特別とくべつ自治じちけん剥奪はくだつする大統領だいとうりょうれい公布こうふ[15]してインターネット通信つうしんなどを制限せいげんした[16]。また、インド政府せいふ議会ぎかいジャンムー・カシミールしゅうさい編成へんせいほう英語えいごばん提出ていしゅつ、かねてから特別とくべつ自治じちけん撤廃てっぱい主張しゅちょうしてきた[17]インド人民じんみんとう賛成さんせい承認しょうにんされ、8がつ9にち成立せいりつした。これにたいして抗議こうぎするデモたい治安ちあん部隊ぶたい衝突しょうとつ[18]住民じゅうみんたいする治安ちあん部隊ぶたい暴行ぼうこう拷問ごうもんもあったとほうじられており[19]、パキスタンは人権じんけん侵害しんがい反発はんぱつした[20]

ジャンムー・カシミールしゅうさい編成へんせいほう規定きていにより、ジャンムー・カシミールしゅうは2019ねん10がつ31にちけで廃止はいしされ、ラダック連邦れんぽう直轄ちょっかつりょうジャンムー・カシミール連邦れんぽう直轄ちょっかつりょうとに分割ぶんかつされた[21][22]

カシミール地震じしん

編集へんしゅう

一部いちぶで「カシミール地震じしん」ともばれる2005ねん10月8にちパキスタン地震じしんのち同地どうち莫大ばくだい労力ろうりょく巨額きょがく復興ふっこう費用ひよう必要ひつようとしている。

ダウラト・ベグ・オルディ

編集へんしゅう

2013ねん4がつダウラト・ベグ・オルディ2013ねんダウラト・ベグ・オルディ事件じけん英語えいごばん勃発ぼっぱつした。

住民じゅうみん

編集へんしゅう

民族みんぞく

編集へんしゅう

カシミールじんラージプートなど。

カシミールじん言語げんごインドカシミールなどの諸語しょごで、ラダックではチベット西部せいぶ方言ほうげんぞくするラダック、バルティスターンではラダックバルティ方言ほうげん英語えいごばんはなされる。

宗教しゅうきょう

編集へんしゅう

住人じゅうにん宗教しゅうきょうイスラームきょう支配しはいてきであるが、この地域ちいきイスラム教いすらむきょうは、スーフィズムヒンドゥー影響えいきょうけた非常ひじょう独特どくとくのものである。このすべてのものが絶対ぜったいかみアッラー)の化身けしんであるとかんがえ、多神教たしんきょうとの折衷せっちゅうてき汎神論はんしんろんてき世界せかいかん保有ほゆうしている。この世界せかいかんもとづき預言よげんしゃつうじずにかみとの交信こうしん可能かのうであるとかんがえられており、独特どくとく神秘しんぴてき儀式ぎしき多数たすう存在そんざいしている。

ヒンドゥーきょうとイスラーム教徒きょうと対立たいりつするカシミール問題もんだいなかでは看過かんかされがちであるが、チベットけんぞくするラダック地方ちほうではチベット仏教ぶっきょう信仰しんこうされ、現在げんざいではもっともよくチベット仏教ぶっきょう伝統でんとう保存ほぞんする重要じゅうよう信仰しんこう拠点きょてんの1つとなっている。またバルティスターンは、チベットけい民族みんぞくでありながらイスラームきょう信仰しんこうする特徴とくちょうてき地域ちいきである[23]

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ 小谷おたにひろし 2007, p. 133.
  2. ^ BestLadakh: ラダック”. 2017ねん12月11にち閲覧えつらん
  3. ^ チベット年表ねんぴょう/1838-1855 - ★'s Lab”. 東京外国語大学とうきょうがいこくごだいがく. 2017ねん12月11にち閲覧えつらん
  4. ^ clearwater『チベットの歴史れきし(1/7)』。オリジナルの2015ねん5がつ21にち時点じてんにおけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20150508201643/http://www3.ocn.ne.jp/~kenro/history/tibet/1.html 
  5. ^ シク戦争せんそう”. Y-History 教材きょうざい工房こうぼう. 2017ねん12月11にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c d e 井上いのうえあえか『だい3しょう カシミール問題もんだい現状げんじょう -武装ぶそう闘争とうそう発生はっせい変容へんよう-』(PDF)日本にっぽん貿易ぼうえき振興しんこう機構きこうオリジナルの2017ねん5がつ16にち時点じてんにおけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20170516111711/http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Report/pdf/2001_03_06_03.pdf 
  7. ^ a b c カシミール紛争ふんそう』。オリジナルの2015ねん5がつ8にち時点じてんにおけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20150508065956/http://www.geocities.jp/paz_del_mundo/kasimirh1.htm 
  8. ^ a b c カシミール地域ちいき紛争ふんそう”. 岐阜女子大学ぎふじょしだいがく. 2017ねん12月11にち閲覧えつらん
  9. ^ “インドのモディ首相しゅしょう、パキスタンでの首脳しゅのう会議かいぎ出席しゅっせき拒否きょひ カシミールのテロで関係かんけい緊張きんちょう. 産経新聞さんけいしんぶん. (2016ねん9がつ28にち). https://www.sankei.com/article/20160928-NVZ6VBDUBNOL3MVCAN2JTYZLCY/ 2016ねん10がつ14にち閲覧えつらん 
  10. ^ インドに「対抗たいこう措置そち警告けいこく パキスタン首相しゅしょう軍拡ぐんかく非難ひなん - 産経新聞さんけいしんぶん 2015ねん11がつ10日とおか閲覧えつらん
  11. ^ しるしりょうぐん砲撃ほうげき応酬おうしゅう カシミール、双方そうほう死者ししゃ. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. (2019ねん10がつ21にち). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51212840R21C19A0EAF000/ 2019ねん11月20にち閲覧えつらん 
  12. ^ しるしパ、実効じっこう支配しはいせん銃撃じゅうげき軍事ぐんじ作戦さくせん発展はってん主張しゅちょうちがい、非難ひなん応酬おうしゅう・カシミール”. 時事通信じじつうしん. (2016ねん9がつ30にち). http://medical.jiji.com/news/1458 2016ねん10がつ14にち閲覧えつらん 
  13. ^ “インド軍機ぐんきがパキスタン空爆くうばく 「テロリストの拠点きょてん」”. 産経さんけいニュース. (2019ねん2がつ26にち). https://www.sankei.com/article/20190226-ICPGXMJPOVJB3DCE5223LS4IGI/ 2019ねん11月20にち閲覧えつらん 
  14. ^ “パキスタンとインド、たがいに軍機ぐんき撃墜げきつい報復ほうふく激化げきかおそれ”. 朝日新聞あさひしんぶん. (2019ねん2がつ27にち). https://www.asahi.com/articles/ASM2W573WM2WUHBI045.html 2019ねん11月20にち閲覧えつらん 
  15. ^ “インド政府せいふ、ジャム・カシミールしゅう特別とくべつ自治じちけん剥奪はくだつ. AFP通信つうしん. (2019ねん8がつ5にち). https://www.afpbb.com/articles/-/3238581 2019ねん11月20にち閲覧えつらん 
  16. ^ 通信つうしん通行つうこう制限せいげんつづく=カシミール自治じちけん剥奪はくだつ1カ月かげつ. AFPBB. (2019ねん9がつ5にち). https://www.afpbb.com/articles/-/3243227 2019ねん11月20にち閲覧えつらん 
  17. ^ “インド最大さいだい野党やとう政権せいけん公約こうやく公表こうひょうかく政策せいさく見直みなおしへ”. ロイタろいた通信つうしん. (2014ねん4がつ7にち). https://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYEA3606020140407/ 2014ねん4がつ8にち閲覧えつらん 
  18. ^ “デモたい治安ちあん部隊ぶたい衝突しょうとつすうせんにん参加さんかか-いんカシミール”. 時事通信じじつうしん. (2019ねん8がつ16にち). https://www.jiji.com/jc/article?k=2019081601179 2019ねん11月20にち閲覧えつらん 
  19. ^ “「なぐるくらいならころしてくれ」 カシミール住民じゅうみんがインドぐん拷問ごうもんうったえ”. BBC. (2019ねん8がつ30にち). https://www.bbc.com/japanese/49519985 2019ねん11月20にち閲覧えつらん 
  20. ^ “「人権じんけん侵害しんがい」としるし非難ひなん カシミールめぐりパキスタン”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. (2019ねん9がつ20日はつか). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49652270Q9A910C1910M00/ 2019ねん11月20にち閲覧えつらん 
  21. ^ “10がつまつにカシミールしゅう消滅しょうめつ インド、連邦れんぽう政府せいふ直轄ちょっかつに”. 共同通信きょうどうつうしん. (2019ねん8がつ10日とおか). https://web.archive.org/web/20190810095135/https://this.kiji.is/532668908785927265 2019ねん11月20にち閲覧えつらん 
  22. ^ “インド、カシミール自治じちけん撤廃てっぱい パキスタン・中国ちゅうごく反発はんぱつ. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル. (2019ねん8がつ7にち). https://www.asahi.com/sp/articles/ASM871PPCM87UHBI001.html?iref=sp_ss_date 2019ねん11月20にち閲覧えつらん 
  23. ^ 山本やまもと高樹たかぎ. “ラダックの歴史れきし - Days in Ladakh”. 2017ねん12月11にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • 小谷おたにひろしこれ へんみなみアジア2 : 中世ちゅうせい近世きんせい山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ世界せかい歴史れきし大系たいけい〉、2007ねんISBN 978-4-634-46209-0 

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう