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カラーテレビ - Wikipedia

カラーテレビ

映像えいぞういろがついているテレビジョン放送ほうそう、その放送ほうそう受像じゅぞう可能かのうなテレビ受像じゅぞう

カラーテレビ英語えいご: Colour television)は、映像えいぞういろいているテレビジョン放送ほうそう、またはこれに対応たいおうしたテレビ受像じゅぞうである。

日本にっぽん登場とうじょうしたばかりのころは「そう天然色てんねんしょくテレビジョン」とばれていた。

アナログテレビにおける三原色さんげんしょく分解ぶんかい変換へんかん方法ほうほう

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モノクロ画像がぞうをカラーにするため三原色さんげんしょく分解ぶんかい変換へんかんする必要ひつようがあるが、NTSCPALSECAMといった方式ほうしき出来上できあがるまでに模索もさくがあり、大別たいべつすると「フィールド順次じゅんじ方式ほうしき逐次ちくじ方式ほうしき)」と「同時どうじ方式ほうしき並列へいれつ方式ほうしき)」、ならびに後者こうしゃじゅんじた「てん順次じゅんじ方式ほうしき」となる[1]

フィールド順次じゅんじ方式ほうしき逐次ちくじ方式ほうしき

編集へんしゅう

テレビ画面がめんを1コマ(フィールド)ごとにあかみどりあおえ、これを高速こうそくすることで残像ざんぞう現象げんしょう自然しぜん色彩しきさいぞうになるというもの[1]

CBS方式ほうしき(Columbia Broadcasting System)
撮影さつえいあかみどりあおいろ放射状ほうしゃじょう配置はいちしたフィルター円盤えんばん撮像さつぞうかんまえき、これをフィールドと同期どうきするように回転かいてんさせ、走査そうさに6フィールドで完全かんぜんなカラー画像がぞうができるようにして、受像じゅぞうがわでもおなじように同期どうきしたフィルター円盤えんばんいてまわせば天然てんねんしょくえるという仕組しく[2]名前なまえとおり、CBS開発かいはつしたもの。
長所ちょうしょ機構きこう単純たんじゅんで、当初とうしょ同時どうじ方式ほうしきくら価格かかくやすかったこと。画像がぞうかさわせが不要ふよう既存きそん白黒しろくろテレビを改造かいぞうしてカラーにすることもできた(1966ねん当時とうじで2〜3まんえんほどのコスト[1])ので、後述こうじゅつ短所たんしょ問題もんだいでない工業こうぎょうようテレビには比較的ひかくてきさかんに利用りようされた[2]
短所たんしょ白黒しろくろテレビより毎秒まいびょうフィールドすうやさないとちらつきがしょうじ、アメリカでは毎秒まいびょう144フィールド(通常つうじょう白黒しろくろテレビは60フィールド)が必要ひつようだったため、番組ばんぐみ白黒しろくろテレビと互換ごかんせいがなく、映像えいぞう周波数しゅうはすうたいおお必要ひつようだったので放送ほうそうようにはてきさなかった[1]。また、構造こうぞうじょうフィルターをモーターでまわすので騒音そうおん発生はっせいし、受像じゅぞう大型おおがたにつながったため、1969ねん時点じてんですでにほとんど使用しようされなくなった[3]

同時どうじ方式ほうしきてん順次じゅんじ方式ほうしき

編集へんしゅう

あかみどりあお信号しんごう同時どうじおくりだすというもの。NTSC方式ほうしきはこの方式ほうしき代表だいひょうれいである[1]白黒しろくろ放送ほうそう映像えいぞうることができ、上位じょうい互換ごかんせいたもっている。また白黒しろくろテレビ受像じゅぞうでもいろかないものの映像えいぞうることができ、下位かい互換ごかんせいたもっていることがつよみ(両立りょうりつせい[4])となり、こちらが主流しゅりゅうになった。

さん撮像さつぞうかんしき(RCAしき[3][1]
撮影さつえいダイクロイックミラー特定とくていいろのみを反射はんしゃ透過とうかするかがみ[4])で3つにけたひかりをそれぞれフィルターで三原色さんげんしょく画像がぞうにし、これを1つの電波でんぱおくす。そのままおくりだすと3ばい周波数しゅうはすうたい必要ひつようになるが、現実げんじつにはごくちいさい面積めんせきでは人間にんげんいろ見分みわけられないのでしょう面積めんせき輝度きど信号しんごうだけおくるようにして白黒しろくろテレビとおな周波数しゅうはすうたいおくれる。その受像じゅぞうがわで3ほんのビームをかさわせる。名前なまえとおり、RCA開発かいはつしたもの。
長所ちょうしょは3しょく映像えいぞう信号しんごう合成ごうせいすれば輝度きど信号しんごうになるので、白黒しろくろテレビでも受像じゅぞうできること[1]
短所たんしょは3つのカメラで同時どうじ撮影さつえいするので、わずかなぞうのひずみもいろずれやいろむらになるので調整ちょうせいむずかしいこと[1]受像じゅぞうおな問題もんだいがあるので設置せっち移動いどうすると問題もんだい場合ばあいがあった[3]
てん順次じゅんじ方式ほうしき[1]
カラー信号しんごう精細せいさい不要ふようであることを積極せっきょくてき利用りようし、撮像さつぞうかんまえあかみどりあおこまかい縦縞たてじまのフィルターをき、出力しゅつりょく信号しんごう一連いちれん三原色さんげんしょくかえ信号しんごうみどりあおあか…など)にして、かく原色げんしょくごとに分離ぶんりていいきフィルター(比較的ひかくてきひく周波しゅうはすうしかとおらない回路かいろ)にれれば平均へいきんして連続れんぞくてき原色げんしょく信号しんごうられる。
長所ちょうしょ撮像さつぞうかんかずらせることいろずれがきないこと
短所たんしょ回路かいろ複雑ふくざつになること
分離ぶんり輝度きど方式ほうしき[1]
てん順次じゅんじ方式ほうしきでは三原色さんげんしょく信号しんごうかさわせても先鋭せんえい輝度きど信号しんごうられないので、もう1つ輝度きど信号しんごうよう撮像さつぞうかん白黒しろくろようまったおなじ)を用意よういしたものでハーフミラーで輝度きどとカラーの信号しんごう分離ぶんり、カラーがわのみてん順次じゅんじ方式ほうしき手順てじゅんむ(かんしき)。なおさん撮像さつぞうかんしきにも分離ぶんり輝度きど方式ほうしき応用おうようでき、この場合ばあい撮像さつぞうかんが4ほん必要ひつようになる(よんかんしき)。
長短ちょうたんてん順次じゅんじ方式ほうしきじゅんじるが、輝度きど信号しんごうがより先鋭せんえいになる長所ちょうしょ撮像さつぞうかんがもう1ほんえて複雑ふくざつする短所たんしょがある。

カラーで画像がぞうおく発想はっそう1928ねん、イギリスのJ・L・ベアードが、三重みえスパイラルニポー円盤えんばん使用しようしてったこころみが最初さいしょで、翌年よくねんにはアメリカのベル研究所けんきゅうじょてん走査そうさ方式ほうしきによる実験じっけんおこなわれた[5]

ブラウン管ぶらうんかん使つかった実用じつようてきカラーテレビ方式ほうしき実験じっけんは、1940ねんのアメリカ・コロンビア放送ほうそうによる初期しょきCBS方式ほうしき実験じっけん最初さいしょだが、戦争せんそうのため中断ちゅうだんされ、戦後せんごこれが再開さいかいされて、1950ねんいちCBS方式ほうしきがアメリカのカラーテレビ放送ほうそう標準ひょうじゅん方式ほうしきとしてFCC(連邦れんぽう通信つうしん委員いいんかい)に採用さいようされたが、RCAを中心ちゅうしんとするアメリカ電子でんし工業こうぎょうかいでは従来じゅうらい白黒しろくろテレビではCBS方式ほうしきまった受像じゅぞうできないことを理由りゆう反対はんたいし、全米ぜんべいテレビジョン方式ほうしき委員いいんかい(NTSC:National Television System Committee)を組織そしきしてぜん電子でんし方式ほうしき開発かいはつ1953ねん公表こうひょう同年どうねんにFCCはNTSC方式ほうしき標準ひょうじゅん方式ほうしきとして採用さいようし、日本にっぽんでも1960ねんにこの方式ほうしき採用さいよう決定けっていされた[5]

世界せかいはつのカラーのほん放送ほうそうNTSC方式ほうしき先行せんこうし、1954ねん1がつ23にち、アメリカのNBCのニューヨークきょくであるWNBCきょく最初さいしょにカラー放送ほうそうおこない、日本にっぽんでは1960ねん9がつ10日とおかほん放送ほうそう開始かいしした[6][ちゅう 1]。そのPAL方式ほうしきSECAM方式ほうしきもカラーほん放送ほうそう開始かいししていった。

ただし、こののちすぐにカラーテレビがひろまったわけではなく、アメリカでも1965ねん4がつ時点じてん白黒しろくろテレビ5260まんだいたいし、カラー330まんだい推定すいてい)と白黒しろくろテレビの1わりほどであった。このとし後半こうはんになってから普及ふきゅう活発かっぱつして、さんだいネットワークの1つであったNBCがゴールデンアワーの95%をカラー放送ほうそうし、のこりのCBS・ABCもこれに刺激しげきされて50%をカラーした。

日本にっぽんでは1965ねん時点じてんでも受像じゅぞう全国ぜんこく台数だいすうは5まんだい以下いかで、カラー番組ばんぐみ週間しゅうかん合計ごうけい時間じかん東京とうきょうの4しゃ(NHK・日本にほんテレビ・TBSテレビ・フジテレビ)が30あいだ程度ていどという状況じょうきょうで、かつ民放みんぽうのカラー番組ばんぐみもカラーテレビの普及ふきゅう促進そくしんじょう家電かでんメーカーいちしゃ提供ていきょうがほとんどという有様ありさまだったが、1964ねん東京とうきょうオリンピック契機けいき電電でんでん公社こうしゃ国内こくない中継ちゅうけい路線ろせんのカラー規格きかくがなされ、撮影さつえい方法ほうほう受像じゅぞうとも画質がしつ改善かいぜんおこなわれたりした結果けっか受像じゅぞう生産せいさん台数だいすうもこの時期じき急激きゅうげきはじめた[5]

 
テレビの世帯せたい普及ふきゅうりつ推移すいい

1968ねん4がつからNHKがラジオ契約けいやく廃止はいししてカラー契約けいやく創設そうせつすることにより、カラー放送ほうそう大幅おおはばやしたことなどから普及ふきゅう促進そくしんされ、1968ねんごろから1970年代ねんだいにかけて「ユニカラー」(東京とうきょう芝浦しばうら電気でんきげん東芝とうしば)、「パナカラー」(松下電器産業まつしたでんきさんぎょうげん:パナソニック))、「キドカラー」(日立製作所ひたちせいさくしょ)、「トリニトロンカラー」(ソニー)、「サンカラー」(三洋電機さんようでんき)、「純白じゅんぱくカラー」(日本にほんビクターげんJVCケンウッド))、「ロングランカラー」(シャープ)、「ダイヤトロン」(三菱電機みつびしでんき)など各社かくしゃから高性能こうせいのうカラーテレビが出揃でそろった。それと同時どうじ大量たいりょう生産せいさん値段ねだんがったことによって、1970ねん大阪おおさか万博ばんぱく前後ぜんごから爆発ばくはつてき普及ふきゅうし、1973ねんにはカラーテレビの普及ふきゅうりつ白黒しろくろテレビを上回うわまわった[7]

1969ねんには日本にっぽん世界せかい生産せいさんだい1こくになるものの、1970ねん日本にっぽん国外こくがいにおいて日本にっぽん国内こくないよりも廉価れんか販売はんばいしていたため、アメリカ政府せいふからダンピング認定にんていけたことから、日本にっぽん国内こくない消費しょうひしゃ団体だんたいにより、価格かかくこうまりしたままのカラーテレビをひかえる運動うんどう推奨すいしょうされた。また、こうしたうごきからダイエーがクラウン(当時とうじ存在そんざいした電機でんきメーカー)と協力きょうりょくして5まんえんだいのカラーテレビを発売はつばいするなど価格かかく破壊はかい仕掛しかけて[8]かくメーカーは国内こくない価格かかく値下ねさげを余儀よぎなくされた。

1970ねんごろから、真空しんくうかん使用しようしたカラーテレビは、トランジスタ使用しようしたモデルに移行いこうはじめた[9]。その日本にっぽん国外こくがいへの工場こうじょう移転いてんすすみ、日本にっぽん国内こくない生産せいさん薄型うすがたテレビへとシフトしていった。

カラーテレビの普及ふきゅう促進そくしんなどの目的もくてきから、カラーテレビ時代じだい意識いしきした番組ばんぐみやプロスポーツチーム(読売よみうりジャイアンツオークランド・アスレチックスなど)も存在そんざいした。

カラーテレビ普及ふきゅう初期しょき番組ばんぐみひょうには、カラー放送ほうそう番組ばんぐみには「カラー」の表記ひょうきあるいはそれをあらわ記号きごうがされ、テレビ放送ほうそうでも番組ばんぐみ開始かいし冒頭ぼうとうでカラー放送ほうそうしめすマーク(「【カラー】とうきょくによってことなる)をすう秒間びょうかん表示ひょうじしていた。ぎゃくにカラー放送ほうそう急速きゅうそく普及ふきゅうし、相対そうたいてき白黒しろくろ番組ばんぐみ減少げんしょういちじるしくなった1971ねんころより、白黒しろくろ放送ほうそう番組ばんぐみに「モノクロ」と表記ひょうきあるいはそれをあらわ記号きごうがされるケースもられた。

カラー放送ほうそうであることをしめす「INCOLOR」アイキャッチ海外かいがいのアニメでは冒頭ぼうとうはいっている場合ばあいがあるが、日本にっぽんでの放映ほうえいでは省略しょうりゃくされることがおおい。

日本にっぽんで、さい放送ほうそうとうのぞいて完全かんぜんにカラー放送ほうそうとなったのは1977ねん10月1にちであった(NHK教育きょういく完全かんぜんカラーによるもの)。新聞しんぶん表記ひょうきの「モノクロ」表記ひょうきおよびそれをあらわ記号きごうもこの時期じきまでに消滅しょうめつした。

カラー契約けいやく

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日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい(NHK)はかつて日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい放送ほうそう受信じゅしん規約きやくいて、カラー契約けいやく普通ふつう契約けいやく衛星えいせいカラー契約けいやくおよ衛星えいせい普通ふつう契約けいやくの4つをもうけ、カラーとモノクロを区別くべつしていた。

2007ねん10月1にち施行しこうした現行げんこう日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい放送ほうそう受信じゅしん規約きやくでは、カラー契約けいやくおよ普通ふつう契約けいやく地上ちじょう契約けいやくに、衛星えいせいカラー契約けいやくおよ衛星えいせい普通ふつう契約けいやく衛星えいせい契約けいやくにそれぞれ統合とうごうされている。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 同日どうじつにカラー放送ほうそう開始かいししたのは、東京とうきょうのNHK(総合そうごう教育きょういく)・日本にほんテレビラジオ東京とうきょうテレビ(げん:TBSテレビ)大阪おおさかのNHK(総合そうごう教育きょういく)・朝日放送あさひほうそう読売よみうりテレビの6きょく8出典しゅってん放送ほうそうそのとき No.26(NHK放送ほうそう技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ)。その日本にっぽん放送ほうそうきょく1960年代ねんだいから随時ずいじカラー放送ほうそう開始かいしし、1968ねんころ以降いこう開局かいきょくした放送ほうそうきょく地上波ちじょうは衛星えいせい放送ほうそうふくめて、ほぼすべてが開局かいきょくよりカラー放送ほうそう開始かいししている。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h i j 小学館しょうがくかん1966) p.348 - 349「カレーテレビジョン〔カラーテレビジョンのしょ方式ほうしき〕」
  2. ^ a b 小学館しょうがくかん1966) p.347「CBS方式ほうしきカラーテレビジョン」
  3. ^ a b c 学研がっけん1969) p.330 - 331「カラーテレビジョンの方式ほうしき
  4. ^ a b 学研がっけん1969) p.332「NTSC方式ほうしき
  5. ^ a b c 小学館しょうがくかん1966) p.348 - 349「カラーテレビジョン〔歴史れきし〕」
  6. ^ 加藤かとう芳孝よしたか『テレビメディア進化しんかろん日新にっしん報道ほうどう、2007ねん7がつ21にち、46ぺーじISBN 9784817406422 
  7. ^ 白黒しろくろテレビからカラーテレビへ(社会しゃかい実情じつじょうデータ図録ずろく
  8. ^ し5せんだい縮小しゅくしょう ダイエーがれる『朝日新聞あさひしんぶん』1970ねん昭和しょうわ45ねん)11月18にち 夕刊ゆうかん 3はん 11めん
  9. ^ くずれひどい 真空しんくうかんがたテレビ 電子でんし工業こうぎょうかい調査ちょうさ朝日新聞あさひしんぶん』1970ねん昭和しょうわ45ねん)11月18にち 夕刊ゆうかん 3はん 11めん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 小学館しょうがくかん へん へん世界せかい原色げんしょく百科辞典ひゃっかじてん2 お-き株式会社かぶしきがいしゃ小学館しょうがくかん、1966ねん、347 - 349ぺーじ 
  • 和田わだ正信まさのぶ「9しょう 信号しんごうつたえる機械きかい」『原色げんしょく現代げんだい科学かがくだい事典じてん10 機械きかい株式会社かぶしきがいしゃ学習がくしゅう研究けんきゅうしゃ、1969ねん、330 - 332ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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