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カート・ヴォネガット - Wikipedia

カート・ヴォネガット

アメリカの小説しょうせつ (1922-2007)

カート・ヴォネガット(Kurt Vonnegut、1922ねん11月11にち - 2007ねん4がつ11にち)は、アメリカ小説しょうせつエッセイストげき作家さっか。1976ねん作品さくひんスラップスティック』より以前いぜん作品さくひんカート・ヴォネガット・ジュニア(Kurt Vonnegut Jr.)の出版しゅっぱんされていた。

カート・ヴォネガット
Kurt Vonnegut
ヴォネガット(1972ねん
誕生たんじょう Kurt Vonnegut, Jr.
1922ねん11月11にち
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
インディアナしゅうインディアナポリス
死没しぼつ (2007-04-11) 2007ねん4がつ11にち(84さいぼつ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ニューヨークしゅうニューヨーク
職業しょくぎょう 小説しょうせつげき作家さっか随筆ずいひつ
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
活動かつどう期間きかん 1949ねん – 2005ねん
ジャンル SF小説しょうせつ
代表だいひょうさく 『タイタンの妖女ようじょ』(1959ねん
ねこのゆりかご』(1963ねん
『スローターハウス5』(1969ねん
署名しょめい
公式こうしきサイト http://vonnegut.com
ウィキポータル 文学ぶんがく
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人類じんるいたいする絶望ぜつぼう皮肉ひにく愛情あいじょうを、シニカルかつユーモラスな筆致ひっちえが人気にんきはくした。現代げんだいアメリカ文学ぶんがく代表だいひょうする作家さっか一人ひとりとみなされている。代表だいひょうさくには『タイタンの妖女ようじょ』、『ねこのゆりかご』(1963ねん)、『スローターハウス5』(1969ねん)、『チャンピオンたちの朝食ちょうしょく』(1973ねん)などがある。ヒューマニストとしてられており、アメリカヒューマニスト協会きょうかい名誉めいよ会長かいちょうつとめたことがある。20世紀せいきアメリカじん作家さっかなかもっとひろ影響えいきょうあたえた人物じんぶつとされている[2]

生涯しょうがい 編集へんしゅう

ぜん半生はんせい 編集へんしゅう

ヴォネガットは1922ねんインディアナしゅうインディアナポリスドイツけい移民いみん家庭かていまれた。かれ誕生たんじょうだいいち世界せかい大戦たいせんの3ねん休戦きゅうせん記念きねんである。ヴォネガットはこのことをほこりとしており、のち祭日さいじつ名称めいしょうが「復員ふくいん軍人ぐんじん」に変更へんこうされたことについて『チャンピオンたちの朝食ちょうしょく』のなか批判ひはんてきげている。ちちカート・ヴォネガット・シニアと祖父そふともMIT出身しゅっしんで、Vonnegut & Bohn というインディアナポリスの建設けんせつ会社かいしゃ建築けんちくつとめていた。祖父そふVonnegut Hardware Company という会社かいしゃ起業きぎょうした人物じんぶつである[3]

1940ねんコーネル大学だいがく入学にゅうがく生化学せいかがくまな一方いっぽう学内がくないの『コーネル・デイリー・サン』のふく編集へんしゅうちょうつとめた[4]。コーネル大学だいがくではちちおなフラタニティである Delta Upsilonぞくしていた。コーネル大学だいがく在学ざいがくちゅうアメリカ陸軍りくぐん徴募ちょうぼされる[5]陸軍りくぐんはヴォネガットをカーネギー工科こうか大学だいがくテネシー大学だいがく転校てんこうさせ、機械きかい工学こうがくまなばせた[2]。1944ねんははははのエディスが睡眠薬すいみんやく過剰かじょう摂取せっしゅ自殺じさつした[6]生活せいかつ困窮こんきゅう息子むすこのドイツ戦線せんせん配属はいぞくにしたものとされている。

だい世界せかい大戦たいせん 編集へんしゅう

 
1940年代ねんだい初頭しょとう、アメリカ陸軍りくぐん肖像しょうぞう

カート・ヴォネガットが兵士へいしおよび捕虜ほりょとして戦争せんそう経験けいけんしたことは、作品さくひんふか影響えいきょうあたえている。1944ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくだい106歩兵ほへい師団しだんだい423普通ふつう連隊れんたい兵卒へいそつとしてだい世界せかい大戦たいせん欧州おうしゅう戦線せんせん参加さんかし、バルジのたたかコートニー・ホッジスひきいるだい1ぐんからだい106歩兵ほへい師団しだん分断ぶんだんされのこされた12月19にち捕虜ほりょとなった。「味方みかたのアメリカぐんとははぐれてしまった。我々われわれはそのたたかうことを余儀よぎなくされた。しかし銃剣じゅうけん戦車せんしゃには太刀打たちうちできない……[7]ドレスデンれてかれたヴォネガットは、ドイツすこしできるということで捕虜ほりょのリーダーの1人ひとりえらばれた。ドイツぐん守衛しゅえいに「…ロシアぐんがやってきたら、やってやろうとおもっていること…」をはなしたことでえられ、リーダーの地位ちい剥奪はくだつされた[8]捕虜ほりょとして1945ねん2がつ同盟どうめいぐんえいべい空爆くうばく部隊ぶたい)によるドレスデンばくげき経験けいけんした。芸術げいじゅつひんうたわれたドレスデン市街しがい壊滅かいめつした。

ヴォネガットをふくむアメリカじん捕虜ほりょ一団いちだんは、ドイツぐんきゅうごしらえの捕虜ほりょ収容しゅうようしょ使用しようした屠畜場とちくじょう地下ちかにく貯蔵ちょぞうしつばくげきびた。ドイツじんはその建物たてものSchlachthof Fünf(スローターハウス5、だい5屠畜場とちくじょう)とんでいたため、捕虜ほりょたちが収容しゅうようしょをそのぶようになっていた。ヴォネガットはそのばくげき結果けっかを「完全かんぜん破壊はかい」であり「はかりがたいだい虐殺ぎゃくさつ」だとっている。この経験けいけん有名ゆうめい長編ちょうへんスローターハウス5』に反映はんえいされており、すくなくともの6さつほん主要しゅようなテーマとなっている。『スローターハウス5』でかれはドレスデン市街しがい残骸ざんがい月面げつめんていたと回想かいそうし、ドイツ市民しみんのこりが捕虜ほりょたちをののしりせきげるなかで、死体したいをまとめて埋葬まいそうするためにあつめる仕事しごとをさせられたことをしるしている[8]。ヴォネガットはさらに「結局けっきょく埋葬まいそうするには死体したいおおすぎた。ドイツぐん火炎かえん放射ほうしゃった部隊ぶたいおくみ、ドイツ市民しみん死体したいすべはいになるまでやした」としるしている[9]

1945ねん5がつ、ヴォネガットはザクセンしゅうチェコスロバキア境界きょうかいせん赤軍せきぐんによって送還そうかんされた[8]。アメリカにもどるとパープルハートあきら授与じゅよされた。これについてかれは「滑稽こっけいなほどるにりない損傷そんしょう」についての勲章くんしょうだとしていたが[10][11]のちに『タイムクエイク』のなか捕虜ほりょ時代じだい凍傷とうしょうたいして授与じゅよされたものだとかしている[12]

戦後せんご 編集へんしゅう

1945ねん除隊じょたいすると幼馴染おさななじみのジェーン・マリー・コックスと結婚けっこん。ヴォネガットはシカゴ大学だいがく大学院だいがくいん人類じんるいがくまなび、同時どうじCity News Bureau of Chicagoはたらいた。これは当時とうじ5あったシカゴの地方ちほう記事きじ提供ていきょうするゆうぐんのようなものだった。『バゴンボのぎタバコれ』によれば、かれ論文ろんぶんテーマ(キュビスム画家がか19世紀せいきすえネイティブ・アメリカン暴動ぼうどうのリーダーたちとの類似るいじてんろんじるもの)は「学術がくじゅつてきでない」という理由りゆう大学だいがくがわ拒絶きょぜつされたという。1947ねんかれはシカゴからニューヨークしゅうスケネクタディうつり、ゼネラル・エレクトリック広報こうほうはたらくようになった(あに開発かいはつ部門ぶもんはたらいていた)。そのころヴォネガットはスケネクタディとはかわはさんだ対岸たいがんまちみ、すう年間ねんかんはボランティアの消防しょうぼうだんいんとして熱心ねっしん活動かつどうした。当時とうじかれんでいたアパートには、いまかれ小説しょうせつくのに使つかっていたつくえがあり、かれ自分じぶん名前なまえったあとのこっている。そこで『スローターハウス5』をはじめたとわれている。なお、シカゴ大学だいがくのち小説しょうせつねこのゆりかご』の人類じんるいがくてき記述きじゅつをヴォネガットの論文ろんぶんとして受理じゅりし、1971ねん修士しゅうしごう授与じゅよした[13]

1950ねん作家さっかデビューをたし、広告こうこくぎょうなどの職業しょくぎょうきながら作品さくひん発表はっぴょうしてゆく。1951ねんマサチューセッツしゅうケープコッドきょうつ[14]サーブのアメリカはつ販売はんばいてん店長てんちょうをつとめた[15]。1952ねんにははつ長編ちょうへんとなる『プレイヤー・ピアノ』が刊行かんこう

1950年代ねんだいなかごろ、ヴォネガットは短期間たんきかんだけスポーツ・イラストレイテッド編集へんしゅうはたらき、しがらみえて逃走とうそうしようとした競走きょうそうについての記事きじくよう指示しじされた。午前ごぜんちゅうずっとタイプライタにはさまったしろかみつめたのちかれは「うまはいまいましいフェンスをえた」とだけタイプし、編集へんしゅうった[16]作家さっかとして評価ひょうかされず、執筆しっぴつをやめてしまおうとする寸前すんぜんの1965ねん、ヴォネガットはアイオワ大学だいがくWriters' Workshop での講師こうししょくた。かれ講義こうぎ受講じゅこうした学生がくせいなかにはジョン・アーヴィングレナード・シュレイダーなどがいた。講師こうしをつとめているあいだに『ねこのゆりかご』がベストセラーとなり、20世紀せいきアメリカ文学ぶんがく最高さいこう傑作けっさくの1つとされている『スローターハウス5』を完成かんせいさせた。はん体制たいせい若者わかものたちのあいだ熱狂ねっきょうてき支持しじされるようになると、1966ねんには絶版ぜっぱんとなっていたぜん作品さくひんがペーパーバックで再版さいはんされた。『スローターハウス5』はタイム[17]や Modern Library[18] のベスト100にえらばれている。

2007ねん4がつ11にちニューヨークにて死去しきょ[2]

私生活しせいかつ 編集へんしゅう

当初とうしょ作者さくしゃめいとして本名ほんみょうの「カート・ヴォネガット・ジュニア」を使つかっていたが、1976ねんの『スラップスティック』から「ジュニア」をとってたんに「カート・ヴォネガット」とするようになった。あにバーナード・ヴォネガット気象きしょうがくものヨウぎんもちいた人工じんこう降雨こううほう開発かいはつしたほか、1997年度ねんどイグノーベルしょう受賞じゅしょうしている。

だい世界せかい大戦たいせんからもどった直後ちょくご幼馴染おさななじみのジェーン・マリー・コックスと結婚けっこんした。プロポーズのいきさつはなん短編たんぺんいている。1970ねん別居べっきょしたが、正式せいしき離婚りこんしたのは1979ねんのことである。マハリシ・マヘッシ・ヨギ傾倒けいとうしていたつま確信かくしんてきかみろんしゃであるヴォネガットのあいだ宗教しゅうきょうじょう不一致ふいっち原因げんいんとされている。ただし、別居べっきょ直後ちょくごのち結婚けっこんすることになる写真しゃしん児童じどう文学ぶんがくしゃのジル・クレメンツと同棲どうせいはじめた[2]。クレメンツとの結婚けっこんは、前妻ぜんさいとの離婚りこん成立せいりつしてのことである。

かれの7にん子供こどものうち、3にんはジェーン・マリーとので、がん早世そうせいしたあねの3にん養子ようしにし、さらにクレメンツの1にん養子ようしとした。そのうちヴォネガットの唯一ゆいいつ実子じっし男子だんしであるマーク・ヴォネガット小児科しょうにかとなった。マークは自身じしんが1960年代ねんだい経験けいけんした統合とうごう失調しっちょうしょうからの回復かいふく記録きろくである『エデン特急とっきゅう―ヒッピーと狂気きょうき記録きろく』をしるした。マークのはヴォネガットがアメリカの聖人せいじんだとかんがえていたマーク・トウェインからとった[19]

むすめのエディスのはヴォネガットのははからとったもので、彼女かのじょのち画家がかになった。そのいもうとのナネットのはヴォネガットの父方ちちかた祖母そぼをとったもので、彼女かのじょは Scott Prior という画家がか結婚けっこんし、なんかモデルをつとめている。

あね3にんったのは、あねおっとが1958ねん9がつ列車れっしゃ事故じこくなり、あね自身じしんもその2にちがんくなったためである。その経緯けいいは『スラップスティック』にえがかれている。

1999ねん11月11にち小惑星しょうわくせい 25399 Vonnegut にヴォネガットのがつけられた[20]

2001ねん1がつ31にち自宅じたく一部いちぶ火事かじになり、ヴォネガットはけむりんで一時いちじ危険きけん状態じょうたいとなり、4日間にちかん入院にゅういんした。いのち別状べつじょうはなかったが、蔵書ぞうしょうしなわれた。退院たいいんはマサチューセッツしゅうノーザンプトンで療養りょうようした。

ヴォネガットはフィルターのないポールモールこのんでっていた。これについてみずから「高級こうきゅう自殺じさつ方法ほうほう」だとかたっていた[21]

2007ねんマンハッタン自宅じたく階段かいだん転倒てんとうしてのう損傷そんしょうい、そのすう週間しゅうかんの4がつ11にち死去しきょ[2][22]

作家さっかとしての経歴けいれき 編集へんしゅう

1950ねん短編たんぺん「バーンハウス効果こうかかんする報告ほうこくしょ」でSF作家さっかとしてデビューした[23]処女しょじょ長編ちょうへんディストピア小説しょうせつ『プレイヤー・ピアノ』(1952) で、人間にんげん労働ろうどうしゃ機械きかいえられていくさまえがいている。その短編たんぺんつづけ、1959ねんだい2長編ちょうへんタイタンの妖女ようじょ』を出版しゅっぱん[24]。1960年代ねんだいには徐々じょじょ作風さくふう変化へんかしていった。『ねこのゆりかご』は比較的ひかくてき普通ふつう構造こうぞうだが、なか自伝じでんてきな『スローターハウス5』ではタイムトラベルをプロット構築こうちく道具どうぐとして実験じっけんてき手法しゅほう採用さいようしている。この作品さくひんから『チャンピオンたちの朝食ちょうしょく以降いこう後期こうきさくがれていく特徴とくちょうてきなスタイル(架空かくう人物じんぶつ自伝じでんてき形態けいたいる、まえがきをつ、イラストの多用たよう印象いんしょうてき挿話そうわつらねる)が全面ぜんめんてき展開てんかいされた。

ベストセラーとなった『チャンピオンたちの朝食ちょうしょく』(1973) では作者さくしゃ本人ほんにんが「デウス・エクス・マキナ」として登場とうじょうする。また、ヴォネガット作品さくひんかえ登場とうじょうする人物じんぶつたちもてくる。とくにSF作家さっかキルゴア・トラウト主役しゅやくきゅう登場とうじょうし、登場とうじょう人物じんぶつたちとやりとりする。

ヴォネガットの作品さくひんには慈善じぜんエリオット・ローズウォーター、ナチ宣伝せんでんいんハワード・W・キャンベル・ジュニアラムファード一族いちぞくトラルファマドールほしじんなどの架空かくう固有こゆうめい複数ふくすう作品さくひんにまたがって登場とうじょうする。

なかでもスタージョンをモデルに造形ぞうけいされたといわれるSF作家さっかキルゴア・トラウトはカート自身じしん分身ぶんしんともわれ『ローズウォーターさん、あなたにかみのおめぐみを』ではつ登場とうじょうして以来いらい長編ちょうへんではおなじみの人物じんぶつであり『タイムクエイク』では主役しゅやくとして活躍かつやくする。『モンキーハウスへようこそ』以降いこう短編たんぺんあらわしていないヴォネガットがトラウトの小説しょうせつのあらすじというかたち短編たんぺんようのアイデアを披露ひろうしている。ヴォネガットはキルゴア・トラウトのりて個人こじんてき意見いけん作品さくひんない表明ひょうめいすることがおおい。

また、SF作家さっかフィリップ・ホセ・ファーマーはキルゴア・トラウト名義めいぎで『貝殻かいがらうえのヴィーナス』(Venus on the Half-Shell 1975ねん)を発表はっぴょう話題わだいとなった。発表はっぴょう当時とうじ、これをヴォネガットの作品さくひん誤解ごかいする読者どくしゃおおく、のち作者さくしゃあきらかにされるとヴォネガットは不快ふかいかん表明ひょうめいした(ヴォネガットはファーマーに執筆しっぴつ許可きょかあたえていたのだが、予想よそうえたさわぎにいかりを表明ひょうめいし、さらなる「トラウト作品さくひん」の刊行かんこう拒否きょひした[25])。

ヴォネガットは1984ねん自殺じさつ未遂みすいしており、のちにいくつかのエッセイでそのことについていている[26]

登場とうじょう人物じんぶつ以外いがいにも頻繁ひんぱん登場とうじょうするテーマまたはアイデアがある。たとえば『ねこのゆりかご』の「アイス・ナイン」である。

ヴォネガット本人ほんにんは「SF作家さっか」とレッテルけされるのをきらったが、一方いっぽうで「現代げんだい作家さっかが、科学かがく技術ぎじゅつ無知むちであることはおかしい」と主張しゅちょうしほとんどの作品さくひんでSFてきなアイデアが使用しようされている。それでもSFというジャンルのかべえて幅広はばひろまれたのは、たんはん権威けんい主義しゅぎてきだったからだけではない。たとえば短編たんぺん「ハリスン・バージロン」は、平等びょうどう主義しゅぎのような精神せいしん行過いきすぎた権力けんりょくむすびついたとき、どれほどおそろしい抑圧よくあつむかをあざやかにえがいてせている。

1997ねんの『タイムクエイク』出版しゅっぱんさいして、ヴォネガットは同書どうしょ最後さいご小説しょうせつになると発表はっぴょうし、以降いこうはエッセイやイラストの発表はっぴょう講演こうえんとう中心ちゅうしん活動かつどうした。2005ねんにはエッセイをまとめた『くにのないおとこ』を出版しゅっぱんし、文筆ぶんぴつぎょうそのものからの引退いんたい表明ひょうめいした[27]

直後ちょくご出版しゅっぱんされたエッセイしゅう追憶ついおくのハルマゲドン』には、発表はっぴょう短編たんぺん小説しょうせつだい世界せかい大戦たいせんちゅう家族かぞくてにいた手紙てがみなどがふくまれている。またヴォネガット本人ほんにんえがいた直前ちょくぜんいたスピーチ原稿げんこうふくまれている。序文じょぶん息子むすこのマーク・ヴォネガットがいている。

ヴォネガットはハーバード大学だいがくえい文学ぶんがく講師こうしをつとめたことがあり、ニューヨーク市立しりつ大学だいがくシティカレッジでも一時期いちじき教授きょうじゅをつとめていた[28]

日本にっぽんでの受容じゅよう 編集へんしゅう

日本にっぽんにおいては1960年代ねんだい後半こうはんから浅倉あさくら久志ひさし伊藤いとう典夫のりおひとしによって精力せいりょくてき紹介しょうかいされていた。1980年代ねんだいになり日本にっぽんでも主要しゅよう作品さくひんおおくが和田わだまことのカバーイラストとともハヤカワ文庫ぶんこSF早川書房はやかわしょぼう)より刊行かんこうされた。

1984ねんには国際こくさいペン大会たいかいロブ=グリエともえきんひとしともにゲストとして来日らいにち大江おおえ健三郎けんざぶろうとも会談かいだんしている。

ヴォネガットから影響えいきょうけた日本人にっぽんじん作家さっかとしては、だいいちさくの『ふううた』でヴォネガットのスタイルを模写もしゃした村上むらかみ春樹はるき高橋たかはし源一郎げんいちろう橋本はしもとおさむひとしがいる。爆笑ばくしょう問題もんだい太田おおたひかり熱心ねっしんなファンとしてられかれらが設立せつりつした所属しょぞく事務所じむしょタイタン」の名称めいしょうは『タイタンの妖女ようじょ』と「太田おおた」のべつみをかけてけられたものである。

政治せいじ姿勢しせい 編集へんしゅう

ヴォネガットは初期しょき社会しゃかい主義しゅぎ労働ろうどうしゃリーダーにつよ影響えいきょうけており、とくにインディアナしゅうPowers Hapgoodユージン・V・デブス作品さくひんないでも頻繁ひんぱん言及げんきゅうしている。登場とうじょう人物じんぶつにもデブスのをつけたり(『ホーカス・ポーカス』や『デッドアイ・ディック』)、ロシアのレフ・トロツキーをつけたり(『ガラパゴス』)している。ヴォネガットはアメリカ自由じゆう人権じんけん協会きょうかい会員かいいんでもあった。

ヴォネガットは倫理りんり問題もんだい政治せいじ問題もんだいあつかうことがおおかったが、具体ぐたいてき政治せいじについて言及げんきゅうするようになったのは小説しょうせつ執筆しっぴつから引退いんたいしてからのことである。『ジェイルバード』の主人公しゅじんこうウォルター・スターバックが囚人しゅうじんとなったのはリチャード・ニクソンウォーターゲート事件じけん原因げんいんだが、物語ものがたり中心ちゅうしんはそこではない。God Bless You, Dr. Kevorkian では、論争ろんそうまととなった自殺じさつ幇助ほうじょしゃジャック・ケヴォーキアン言及げんきゅうしている。

In These Times のコラムでは、ブッシュ政権せいけんとイラク戦争せんそうについて痛烈つうれつ批判ひはん展開てんかいした。「我々われわれのリーダーが権力けんりょくにおぼれたチンパンジーだとったら、わたし中東ちゅうとうたたかんでいっている兵士へいしたちの士気しき台無だいなしにすることになるだろうか?」とヴォネガットはいている。「かれらの士気しき多数たすう死体したいともにすでにばらばらになっている。かれらはまるで金持かねもちのがクリスマスにあたえられたおもちゃのようにあつかわれており、それはわたし兵士へいしだったときとはまったことなる」In These Times ではヴォネガットの言葉ことばとして「ヒトラーブッシュ唯一ゆいいつちがいは、ヒトラーが選挙せんきょえらばれたというてんだ」と引用いんようしている[29][30]。2003ねんのインタビューでヴォネガットは「わがくにのためには、火星かせいじんやボディスナッチャーに侵略しんりゃくされてたたかったほうがましだったとおもう。時々ときどき本当ほんとうにそうだったらよかったのにとおもう。しかし現実げんじつこったのは、きわめて軽薄けいはく低級ていきゅうな「キーストン・コップス」のようなクーデターげきだった。そしていま連邦れんぽう政府せいふ牛耳ぎゅうじっているのは、歴史れきし地理ちりもわからないおぼっちゃん学生がくせいと、それほど閉鎖へいさてきでもない『キリスト教徒きりすときょうと』とばれる白人はくじん至上しじょう主義しゅぎものと、こわがりの精神病せいしんびょうしつしゃすなわちPP (psychopathic personalities) だ」とべている[31]。2003ねんのインタビュー冒頭ぼうとう調子ちょうしたずねられるとかれは「高齢こうれいであることに夢中むちゅうで、アメリカじんであることに夢中むちゅうだ。それはそれとして、OKだ」とこたえた[32]

くにのないおとこ』でかれは「ジョージ・W・ブッシュは、かれ周囲しゅうい歴史れきし地理ちりまったらないおぼっちゃん学生がくせいあつめた」といていた。かれは2004ねん大統領だいとうりょう選挙せんきょについてはまった楽観らっかんしていなかった。ブッシュとジョン・ケリーについてかれは「どちらがってもスカル・アンド・ボーンズ大統領だいとうりょうになることにわりはない。我々われわれ土壌どじょうみず大気たいき汚染おせんしてきたせいで、あらゆる脊椎動物せきついどうぶつ頭蓋骨ずがいこつ(スカル)とほね(ボーンズ)だけになろうってときにだ」とべている[33]

2005ねん、ヴォネガットはオーストラリアンかみによるデイヴィッド・ネイスンのインタビューをけた。そのなか最近さいきんのテロリストについて意見いけんもとめられ、「とても勇敢ゆうかんひとたちだとおもう」とこたえた。さらにかれるとヴォネガットは「かれら(自爆じばくテロはん)は自尊心じそんしんのためにぬ。自尊心じそんしんだれかからうばうというのはひどいことだ。それはあなたの文化ぶんか民族みんぞくすべてを否定ひていされるようなものだ……しんじるもののためにぬことは甘美かんび立派りっぱなことだ」とこたえた。最後さいごぶんホラティウス金言きんげん "Dulce et decorum est pro patria mori"(おくにのためにぬのは甘美かんび適切てきせつだ)をもじったもので、ウィルフレッド・オーエンDulce Et Decorum Est における皮肉ひにく引用いんよう出典しゅってんともかんがえられる。ネイスンはヴォネガットのコメントにはらて、きる希望きぼうをなくしテロリストを面白おもしろがっている老人ろうじんだとけた。ヴォネガットの息子むすこマークはこの記事きじたいする反論はんろんボストン・グローブかみいた。すなわちちちの「挑発ちょうはつてき姿勢しせい」の背後はいごにある理由りゆう説明せつめいし、「まったく防備ぼうびな83さい英語えいごけん人物じんぶつおおやけおもっていることをそのままうと誤解ごかいくびるような解説かいせつしゃは、てきなにかんがえているかも理解りかいできていないのではないかと心配しんぱいすべきだ」としるした[34]

2006ねんローリング・ストーンのインタビュー記事きじには、「…かれ(ヴォネガット)がイラク戦争せんそうのすべてを軽蔑けいべつすることはおどろくべきことではない。2500にんえるアメリカへいが、かれ不要ふよう衝突しょうとつかんがえている状況じょうきょうなかころされているという事実じじつかれをうならせる。『正直しょうじきなところ、ニクソンが大統領だいとうりょうならよかった』とヴォネガットはなげく。『ブッシュはあまりにも無知むちだ』」とある[9]

ヴォネガットはつねはん体制たいせい立場たちばだったが、アーティストが変化へんかをもたらすちからについても悲観ひかんてきだった。「ベトナム戦争せんそうのとき」と2003ねんのあるインタビューでかれっている。「このくにのすべてのまともなアーティストは戦争せんそう反対はんたいだった。それはレーザービームのように一致いっちし、みんなおな方向ほうこういていた。しかしそのちからは6フィートのたかさの脚立きゃたつからカスタードパイをとした程度ていどだった」[32]

宗教しゅうきょう 編集へんしゅう

ヴォネガットは「従来じゅうらい宗教しゅうきょうてき信仰しんこう」に懐疑かいぎてきだったドイツ自由じゆう思想しそう家系かけい出身しゅっしんである[35]祖父そふのクレメンス・ヴォネガットは Instruction in Moralsだいした自由じゆう思想しそうほんいたことがあり、自身じしん葬式そうしきについてはかみ存在そんざい否定ひていし、死後しごせい否定ひていし、キリストきょうつみ救済きゅうさい教義きょうぎ否定ひていした言葉ことばをいいのこしていた。カート・ヴォネガットは『パームサンデー』のなか祖父そふ葬儀そうぎについての言葉ことば再現さいげんし、自由じゆう思想しそうが「先祖せんぞ代々だいだい宗教しゅうきょう」だとしているが、どうしてそれが自分じぶんがれたのかはなぞだとしていた[36]

ヴォネガットは自身じしん懐疑かいぎろんしゃ[36]自由じゆう思想しそういえ[37]ヒューマニスト[37]UU教徒きょうと[38]不可知論ふかちろんもの[36]かみろんもの[38]などと様々さまざまにいいあらわしている。ちょう自然しぜんてきなものはしんじず[36]宗教しゅうきょう教義きょうぎを「あまりにも独断どくだんてき明白めいはく発明はつめいされたたわごと」だとかんがえており、人々ひとびと入信にゅうしんするのはさびしさが原因げんいんだとしんじている[39]

ヴォネガットは自由じゆう思想しそう現代げんだいばんがヒューマニズムだとなしており[40]作品さくひん発言はつげんやインタビューでことあるごとにヒューマニズムへの支持しじ表明ひょうめいしている。Council for Secular Humanism の International Academy of Humanism に名誉めいよヒューマニストとして参加さんかしていた[41]。1992ねんにはアメリカヒューマニスト協会きょうかいによりヒューマニスト・オブ・ザ・イヤーえらばれた。友人ゆうじんアイザック・アシモフからアメリカヒューマニスト協会きょうかい名誉めいよ会長かいちょうぎ、くなるまでそれをつとめた[42]。AHA会員かいいんへの手紙てがみでヴォネガットは「わたしはヒューマニストであり、それはある意味いみ死後しご賞罰しょうばつ予想よそうすることなく上品じょうひんにふるまおうとすることでもある」といている[43]

ヴォネガットは一時期いちじきユニテリアン主義しゅぎ一派いっぱユニテリアン・ユニヴァーサリズム入信にゅうしんしていた[36]。『パームサンデー』には、ヴォネガットがマサチューセッツしゅうケンブリッジの First Parish Unitarian Church でおこなった説教せっきょうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにユニテリアン主義しゅぎをもたらした William Ellery Channingかんするもの)が収録しゅうろくされている。1986ねん、ヴォネガットはニューヨークしゅうロチェスターでユニテリアン・ユニヴァーサリズムの集会しゅうかい講演こうえんし、その原稿げんこうが『よりもわる運命うんめい』に収録しゅうろくされた。同書どうしょには、ニューヨークしゅうバッファローでおこなった「ミサきょく」も収録しゅうろくされている[44]。ヴォネガットによれば、大戦たいせんあいだアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく自由じゆう思想しそうのドイツじんの「宗教しゅうきょうてき狂信きょうしん」の人気にんきがなくなったとき、かれ自由じゆう思想しそう一族いちぞくおおくがユニテリアンに改宗かいしゅうしたという[37]。ヴォネガットの両親りょうしんはユニテリアンしき結婚けっこんをしており、かれ息子むすこ一時期いちじきユニテリアンの聖職せいしょくしゃだったことがある[36]

ヴォネガットの宗教しゅうきょうかん単純たんじゅんなものではない。イエス・キリスト神性しんせい拒絶きょぜつするにもかかわらず[38]、イエスの祝福しゅくふくかれのヒューマニズムの根本こんぽんにあるとしんじている[45]かれ自分じぶん不可知論ふかちろんしゃまたはかみろんしゃだとしているが、同時どうじかみについてよくかたっている[37]。「先祖せんぞ代々だいだい宗教しゅうきょう」が自由じゆう思想しそう、ヒューマニズム、不可知論ふかちろんだと説明せつめいし、ユニテリアン信者しんじゃであるにもかかわらず、自身じしん宗教しゅうきょうだともっている[37]アメリカヒューマニスト協会きょうかいによるプレスリリースでは、かれを「完全かんぜん俗人ぞくじん」だとしていた[43]

出演しゅつえん経験けいけん 編集へんしゅう

  • アラン・メッター監督かんとくした1986ねん映画えいが『バック・トゥ・スクール』(1986ねん)では本人ほんにんやく出演しゅつえんした。
  • また自分じぶん作品さくひん映画えいがした Mother Night と『ブレックファースト・オブ・チャンピオンズ』にもカメオ出演しゅつえんした。
  • エンロン広告こうこく登場とうじょうしたことがある。
  • 1 Giant Leap というバンドの2002ねんのDVDにゲスト出演しゅつえんし、音楽おんがくについてかたっている。
  • 2006ねん8がつSecond Life うちでインタビューをけ、The Infinite Mind というラジオ番組ばんぐみ放送ほうそうされた[46]。Second Life でのインタビューの模様もようYouTube公開こうかいされている。

作品さくひん 編集へんしゅう

長編ちょうへん小説しょうせつ 編集へんしゅう

長編ちょうへん小説しょうせつはすべて日本語にほんごやくされたが、そのうちいくつかは現在げんざいひんきり重版じゅうはん未定みていとなっている。

たん編集へんしゅう 編集へんしゅう

いずれも初期しょき短編たんぺん収録しゅうろくしている。

  • Canary in a Cathouse(1961ねん)、おさめられた短編たんぺん大半たいはんは『モンキーハウスにようこそ』にさいろく
  • モンキーハウスへようこそ(Welcome to the Monkey House 1968ねん伊藤いとう典夫のりお吉田よしだ誠一せいいち浅倉あさくら久志ひさしやく早川書房はやかわしょぼう (ハヤカワ・ノヴェルズ)、1983ねん。のち文庫ぶんこ文庫ぶんこに2かん
  • バゴンボのぎタバコれ(Bagombo Snuff Box 1999ねん浅倉あさくら久志ひさし, 伊藤いとう典夫のりおやく 早川書房はやかわしょぼう 2000ねん、のち文庫ぶんこ
  • はい、チーズ(Look at the Birdie 2009ねん大森おおもりのぞむわけ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2014ねん のち文庫ぶんこ
  • ひとみなねむりて(Mortals Sleep 2011ねん大森おおもりのぞむやく河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2017ねん のち文庫ぶんこ
  • Complete Stories 2017ねん ぜん短編たんぺん日本にっぽんばんは4分冊ぶんさつ刊行かんこうちゅう
    • カート・ヴォネガットぜん短篇たんぺん 1 バターよりじゅう 大森おおもりのぞむ (監修かんしゅうともやく)、早川書房はやかわしょぼう 2018ねん
    • カート・ヴォネガットぜん短篇たんぺん 2 バーンハウス効果こうかかんする報告ほうこくしょ 大森おおもりのぞむ (監修かんしゅうともやく)、早川書房はやかわしょぼう、2018ねん
    • カート・ヴォネガットぜん短篇たんぺん 3 ゆめいえ 大森おおもりのぞむ監修かんしゅうともやく早川書房はやかわしょぼう、2019ねん
    • カート・ヴォネガットぜん短篇たんぺん 4 明日あした明日あしたもその明日あした大森おおもりのぞむ監修かんしゅうともやく早川書房はやかわしょぼう、2019ねん

エッセイなど 編集へんしゅう

戯曲ぎきょく 編集へんしゅう

絵本えほん 編集へんしゅう

  • アイヴァン・チャマイエフ『おさま おつきさま おほしさま』 (Sun, Moon, Star 1980ねん浅倉あさくら久志ひさしやく国書刊行会こくしょかんこうかい、2009ねん

映像えいぞう作品さくひん 編集へんしゅう

関連かんれん文献ぶんけん 編集へんしゅう

  • たましいのイロニー カート・ヴォネガットJr.の研究けんきゅう読本とくほん』(1984ねん きたそうしゃ
  • 現代げんだい作家さっかガイド6 カート・ヴォネガット』たつみ孝之たかゆき監修かんしゅう(2012ねん いろどりりゅうしゃ

脚注きゃくちゅう出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ Douglas Adams Dark Matter Interview”. Darkermatter.com. 2010ねん3がつ13にち閲覧えつらん
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  45. ^ "I say of Jesus, as all humanists do, 'If what he said is good, and so much of it is absolutely beautiful, what does it matter if he was God or not?' But if Christ hadn't delivered the Sermon on the Mount, with its message of mercy and pity, I wouldn't want to be a human being. I'd just as soon be a rattlesnake." Vonnegut, A Man without a Country, pp 80-81
  46. ^ Business Communicators in Virtuality "The Infinite Mind Radio Progam is Now Simulcasting in Second Life" http://freshtakes.typepad.com/sl_communicators/2006/08/the_infinite_mi.html

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう