コンカニ語 ご の方言 ほうげん は複雑 ふくざつ で、出身 しゅっしん 地 ち のほかに宗教 しゅうきょう でも分 わ かれる。16世紀 せいき にポルトガル人 じん が現在 げんざい のゴア州 しゅう 中心 ちゅうしん 部 ぶ を支配 しはい したとき、ヒンドゥー教徒 きょうと はキリスト教 きりすときょう に改宗 かいしゅう するか、またはポルトガル支配 しはい 地 ち の外 そと に移住 いじゅう しなければならなかった。このため、この地 ち のキリスト教徒 きりすときょうと は古 ふる くからの方言 ほうげん を話 はな すが、ヒンドゥー教徒 きょうと は後 のち に周辺 しゅうへん 地域 ちいき からやってきた人々 ひとびと であり、両者 りょうしゃ の交流 こうりゅう が少 すく なかったこともあって異 こと なる方言 ほうげん を話 はな している[6] 。ゴア州 しゅう ではヒンドゥー教徒 きょうと の方言 ほうげん が事実 じじつ 上 じょう の標準 ひょうじゅん 語 ご の位置 いち を占 し める[7] 。
カルナータカ州 しゅう でもキリスト教徒 きりすときょうと とヒンドゥー教徒 きょうと は大 おお きく異 こと なる方言 ほうげん を話 はな すが、その一方 いっぽう でカルナータカ州 しゅう のヒンドゥー教徒 きょうと の方言 ほうげん はゴアのキリスト教徒 きりすときょうと の南部 なんぶ 方言 ほうげん (サシティ方言 ほうげん )に近 ちか い。この地 ち のヒンドゥー教徒 きょうと が16世紀 せいき にサシティ地域 ちいき から移住 いじゅう してきたのに対 たい し、キリスト教徒 きりすときょうと は北部 ほくぶ から18世紀 せいき に移住 いじゅう してきたためである[6] 。
カルナータカ州 しゅう のヒンドゥー教徒 きょうと の方言 ほうげん (Karwari, South Saraswat)は語末 ごまつ の短 たん 母音 ぼいん が消滅 しょうめつ しておらず、古 ふる い重 じゅう 子音 しいん が残 のこ るなど、もっとも保守 ほしゅ 的 てき な要素 ようそ を残 のこ している。
バラモン とそれ以外 いがい で代名詞 だいめいし や「行 い く・来 く る」などの動詞 どうし が異 こと なる。この違 ちが いはヒンドゥー教徒 きょうと だけでなく、キリスト教徒 きりすときょうと にも存在 そんざい する[6] 。
ISO 639-3 ではコンカニ語 ご をマクロランゲージ とし、以下 いか の2つに分 わ ける。
16世紀 せいき にゴア中心地 ちゅうしんち を支配 しはい したポルトガル人 じん は、コンカニ語 ご を Concanim または Canarim と呼 よ んだ。後者 こうしゃ はカンナダ語 ご を意味 いみ したが、誤解 ごかい であることがわかった後 のち もこの語 かたり は長 なが く使 つか われた。
当初 とうしょ 、ポルトガル人 じん はキリスト教 きりすときょう の布教 ふきょう のためにコンカニ語 ご を積極 せっきょく 的 てき に利用 りよう し、17世紀 せいき はじめにはコンカニ語 ご の文法 ぶんぽう 書 しょ や辞典 じてん 、カテキズム の翻訳 ほんやく などが出版 しゅっぱん された。天地 てんち 創造 そうぞう からキリストの生涯 しょうがい までを韻文 いんぶん で記 しる した『クリスタ・プラーナ 』(英語 えいご 版 ばん )という書物 しょもつ も編纂 へんさん された。しかし、異端 いたん 審問 しんもん の影響 えいきょう で、1684年 ねん にはキリスト教 きりすときょう の布教 ふきょう にはポルトガル語 ご のみが使用 しよう されるようになり、コンカニ語 ご の使用 しよう は禁止 きんし された。
当初 とうしょ ポルトガル人 じん はヒンドゥー教 きょう を禁止 きんし したため、隣接 りんせつ する州 しゅう に多 おお くの人口 じんこう が流出 りゅうしゅつ した。これらの州 しゅう にはオランダ の影響 えいきょう が強 つよ く、アムステルダム で1678年 ねん に出版 しゅっぱん された『Hortus Indicus Malabaricus』というケーララ州 しゅう のマラバール海岸 かいがん の植物 しょくぶつ 学 がく に関 かん する著作 ちょさく には、この地 ち に移住 いじゅう したヒンドゥー教徒 きょうと がコンカニ語 ご で書 か いた植物 しょくぶつ の一覧 いちらん が載 の せられた。これは歴史 れきし 上 じょう デーヴァナーガリー で書 か かれた最初 さいしょ の印刷物 いんさつぶつ である(ただし活字 かつじ ではなく整 せい 版 ばん )[10] 。
いっぽう、ゴア州 しゅう のヒンドゥー教徒 きょうと はコンカニ語 ご を口語 こうご としてのみとらえ、書 か くときにはマラーティー語 ご を使用 しよう した[11] 。
その後 ご 長 なが い間 あいだ 、コンカニ語 ご は口語 こうご としてのみ使 つか われたが、19世紀 せいき 末 まつ になるとコンカニ語 ご の雑誌 ざっし が出現 しゅつげん するようになった。
日本 にっぽん では、戸部 とべ 実 みのる 之 これ による『コンカニ語 ご 入門 にゅうもん 』が泰 たい 流 りゅう 社 しゃ より1993年 ねん に出版 しゅっぱん されているが、この著者 ちょしゃ はこの言語 げんご の専門 せんもん 家 か ではなく、専門 せんもん 家 か による信頼 しんらい できる文献 ぶんけん はいまだ出版 しゅっぱん されていない。
Jain, Dhanesh (2007) [2003]. “Sociolinguistics of the Indo-Aryan Languages”. In George Cardona; Dhanesh Jain. The Indo-Aryan Languages (paperback ed.). Routledge. pp. 46-66. ISBN 9780415772945
Miranda, Rocky V (2007) [2003]. “Konkani”. In George Cardona; Dhanesh Jain. The Indo-Aryan Languages (paperback ed.). Routledge. pp. 729-765. ISBN 9780415772945
SarDessai, ManoharRai (2000). A History of Konkani Literature (From 1500 to 1992) . New Delhi: Sahitya Akademi. ISBN 8172016646