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ハーブ・アルパート - Wikipedia

ハーブ・アルパートHerb Alpert1935ねん3月31にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく出身しゅっしんのトランペット奏者そうしゃ作曲さっきょく編曲へんきょく音楽おんがくプロデューサー、歌手かしゅ、ティファナ・ブラス(The Tijuana Brass)のリーダー、A&Mレコード創始そうししゃ。なお、A&Mの"A"はアルパート(Alpert)をす。

ハーブ・アルパート
ハーブ・アルパート、1967ねん
基本きほん情報じょうほう
生誕せいたん
ジャンル
職業しょくぎょう
担当たんとう楽器がっき トランペット
活動かつどう期間きかん 1957ねん -
レーベル

代表だいひょうきょくには「みつあじ」「ビター・スウィート・サンバ」「マルタとうすな」「かなしき闘牛とうぎゅう」「ディス・ガイ」「ライズ」「ダイアモンド」などがある。そのサウンドはアメリカ音楽おんがくとメキシコのマリアッチをわせた音楽おんがくとして「アメリアッチ」とばれた時期じきもあった。ニッポン放送にっぽんほうそう深夜しんやラジオ番組ばんぐみ、『オールナイトニッポン』のテーマソングとして「ビター・スウィート・サンバ」が長年ながねん使つかわれている。ヴォーカルきょくとインストゥルメンタルきょく両方りょうほうで、ビルボード全米ぜんべいシングル・チャートNo.1を獲得かくとくした唯一ゆいいつ人物じんぶつでもある。

バイオグラフィ

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A&M設立せつりつまで

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1935ねん3月31にち、カリフォルニアしゅうロサンゼルスにてユダヤけいルーマニア移民いみん両親りょうしんあいだまれた。8さいよりトランペットをならはじめたとのこと。1952ねん高校こうこう卒業そつぎょうみなみカリフォルニア大学だいがく入学にゅうがく在学ざいがくトロジャン・マーチング・バンド英語えいごばんへ2年間ねんかん参加さんかした。1954ねん学士がくしごうどう大学だいがくより修得しゅうとくし、卒業そつぎょうする。

かれのミュージシャンとしてのスタートは、ルー・アドラー英語えいごばんともさくの、サム・クックのヒットでられる、「ワンダフル・ワールド」にはじまる。しかしアルパート自身じしんは、スタンダードナンバーになるようなヒットきょくしながらも、作曲さっきょくとしての自身じしん才能さいのうには執着しゅうちゃくせず、演奏えんそうとしてのみちえらぶ。ドア・アルパート(Dore Alpert)のRCAレコードでキャリアをげ、ジャン&ディーンひとしをプロデュースした。1962ねんジェリー・モスと100ドルずつを出資しゅっししインディーズのA&Mレコード創設そうせつする。A&Mは現在げんざいこそ一大いちだいレーベルであるが、創設そうせつ初期しょきはアルパート自身じしんのレコード・リリースのため設立せつりつしたプライベート・レーベルだった。なお、「A」はアルパート、「M」はモスの頭文字かしらもじである。

1965ねん、「Let's Dance」のヒットをクリス・モンテスがA&Mレコードに移籍いせき。アルパートはモンテスにミドル・オブ・ザ・ロード(イージーリスニング)のスタイルでうたうことをすすめ、モンテスはペトゥラ・クラーク同年どうねん発表はっぴょうした「コール・ミー」をレコーディング。アルパートが編曲へんきょくとプロデュースをつとめたモンテスのどうきょく[2]はビルボードのイージーリスニング・チャートで2記録きろくつづくシングル「The More I See You」もどうチャートの2記録きろく。これらのヒットによりモンテスはイージーリスニング路線ろせん確立かくりつした。

ティファナ・ブラス

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アルパートは自身じしんのガレージないちいさいレコーディング・スタジオをこし、そのだいいちだんとして"The Lonely Bull"(邦題ほうだいかなしき闘牛とうぎゅう」)をレコーディング、自費じひでこのシングルをプレスした。そしてラジオDJをとおして人気にんきひろまりした。

人気にんきおうじてきょく録音ろくおんハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスでデビューアルバム、『The Lonely Bull』をリリースした。このシングルはのちビルボードのポップ・シングル・チャート6にまでたっした。A&Mレーベルはつのヒット・レコードばんとなるが、録音ろくおんしたのはコーンウェイ・レコード(Conway Records)のスタジオだった。

1964ねんわりになると、アルパートはティファナ・ブラスを正式せいしきなバンドへ転換てんかんさせること決意けついし、メンバーのオーディションをおこな態勢たいせいととのえていく。「ただしメンバーのなかヒスパニックはいなかった」。

メンバーはアルパートを中心ちゅうしんに、ジョン・ピサーノ英語えいごばん (guitar) 、ロウ・パガーニ(Lou Pagani) (piano)、 ニック・セロリ(Nick Ceroli) (drums)、 パット・セネター(Pat Senatore) (bass); 、トニー・カラッシュ(Tonni Kalash) (trumpet) 、ボブ・エドモンソン(Bob Edmondson) (trombone & percussion) となる。このバンドは1965ねんにデビューし1969ねんまで活動かつどうした。

日本にっぽん一番いちばん有名ゆうめい楽曲がっきょくられる"ビター・スウィート・サンバ"は1967ねん10月2にちにスタートした深夜しんやラジオ番組ばんぐみ王道おうどうであるニッポン放送にっぽんほうそうけいの「オールナイトニッポン」のテーマ音楽おんがくとしてしたしまれている。このきょくは1965ねんリリースのWhipped Cream & Other Delights収録しゅうろくされており、2006ねんにリイシューCDがリリースされている。

ティファナ・ブラスはすうおおくのヒットきょく、アルバム・チャートNo.1を獲得かくとくするアルバムをした。とくに、1966ねんリリースの アルバム"『What Now my Love』" (邦題ほうだい:そして、いまは) はビルボードのトップ200・アルバム・チャートで9しゅう連続れんぞくNo.1を記録きろくしている。

1968ねんハル・デヴィッド作詞さくしバート・バカラック作曲さっきょくの「ディス・ガイ(This Guy's in Love with You)」をヴォーカリストとして発表はっぴょう。このきょくかれにとって、はつ全米ぜんべいNo.1ヒットになった。

ティファナ・ブラス解散かいさん

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1969ねんにアルパートはバンドを解散かいさん、しかしすうめいのオリジナル・ティファナ・ブラスのメンバーとあらたなメンバーをくわえ、1971ねんから"the T.J.B."名義めいぎでティファナ・ブラスを復活ふっかつさせる一方いっぽうでソロ・ミュージシャンとしての活動かつどうはじめる。

ヒュー・マセケラとの競演きょうえんアルバムを1978ねんにリリース。そのマセケラをくわ新生しんせいティファナ・ブラス結成けっせい画策かくさくしたが上手うまかず断念だんねん

1979ねん、ソロ名義めいぎのアルバム『ライズ』を発表はっぴょう。タイトルきょくライズ英語えいごばん」でソロとしては自身じしんはつのNo.1ヒットきょくになり、さらにどうきょくグラミーしょうベスト・ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス部門ぶもん受賞じゅしょう。また、イギリスのクラブなどで33回転かいてんシングルを45回転かいてんながしたところ評判ひょうばんになり、またたにヒットチャートをがった。のちノトーリアス・B.I.G.が1997ねん発表はっぴょうした"Hypnotize"のサンプリング音源おんげんとしてどうきょく使用しようされている。

1982ねん、アルバム "Fandango" からのシングル、"Route101" がビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートで4記録きろく。1984ねんには、ティファナ・ブラス名義めいぎでアルバム "Bullish" をリリース。

1987ねんには、ジャネット・ジャクソンをヴォーカルにまねいた「ダイアモンド」がヒットした[ちゅう 1]。ソロ名義めいぎのアルバムには、夫人ふじんでセルジオ・メンデスとブラジル'66のもとヴォーカリスト、ラニ・ホール(Lani Hall)が参加さんかし、ヴォーカルさくでの共演きょうえんきょくおおい。1988ねんにはだい22かいスーパーボウル試合しあい開始かいしまえ国歌こっか斉唱せいしょうアメリカ国歌こっか演奏えんそうした。

1962ねんから1992ねんにかけてアルパートはA&Mレコードと所属しょぞくするミュージシャン、バンドとの契約けいやくプロデューサーとしても活動かつどうし、なかでもプロデュースした著名ちょめいなミュージシャンとしては、カーペンターズセルジオ・メンデスビル・メドレージャネット・ジャクソンひとしがいる。

アルパートは現在げんざいでも演奏えんそうとしての活動かつどうつづけており、ガトー・バルビエリリタ・クーリッジジム・ブリックマンブライアン・カルバートソンデイヴィッド・ランツ英語えいごばんひとしにゲスト参加さんかしている。

1990ねんにA&Mをポリグラム売却ばいきゃくはなれる。アルパートはだい人生じんせいとして、抽象ちゅうしょう表現ひょうげん主義しゅぎアーティストとしても活動かつどうはじめる。(アルバムMy Abstruct HeartColoursのジャケットアートはアルパート自身じしんふでによるものである。)ブロードウェイ・ミュージカルのプロデューサーもするようになった。

音楽おんがく活動かつどうとしては1994ねんあらたに自身じしんのプライベートレーベルをふたたびモスとアルモ・サウンズ英語えいごばんげる。今度こんど双方そうほう名前なまえを2文字もじずつとって「ALMO」とした。このレーベルからはSecond Wind(1996)、Passion Dance(1997)、Colors(1999)の3まいのソロ・アルバムをここからリリースされている。また1996ねんにはジェフ・ローバーのバンドとともにモントルー・ジャズ・フェスティヴァル参加さんか

1997ねんにはパートナーであるジェリー・モスとレコード会社かいしゃ役員やくいんとして偉業いぎょうによりグラミー・トラスティーズしょう英語えいごばんた。レコード会社かいしゃへの貢献こうけんにより、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにモスとともきざまれている。

1999ねんColours以降いこう、ソロ活動かつどうひかえ、旧作きゅうさくアルバムの再発さいはつ積極せっきょくてき監督かんとくするようになった。アルパートは2000ねん現在げんざいのA&Mのオーナーのユニバーサル・ミュージックから権利けんりもどし、自身じしんのアルバムのリミックスとリマスタリングをし、再発さいはつはじめている。2005ねんにはShout FactoryレーベルからA&M時代じだいのアルバムをデジタル・リマスタリングしたCDを供給きょうきゅうしており、ティファナ・ブラスの発表はっぴょうきょくふくめたアルバムもリリースしている。これらのアルバムは、日本にっぽんでは1960年代ねんだいにA&Mレーベルを配給はいきゅうしていたキングレコードから新装しんそうばんとして発売はつばいされていた。

2006ねん3月13にちにモスととも演奏えんそうしゃとしてではなく、A&Mレーベルでの貢献こうけんによりロックの殿堂でんどうりをたした。2007ねん4がつ20日はつかNHK総合そうごうのドキュメンタリー番組ばんぐみプレミアム10~カーペンターズ スーパースターの栄光えいこう孤独こどく~」に登場とうじょうした。

2009ねんには、つまのラニ・ホールとのライヴをおさめたアルバムAnything Goes発表はっぴょう、10ねんぶりのアルバムとなった。

2013ねんColours以来いらいのスタジオレコーディングのアルバムsteppin' out発表はっぴょうほんさくだい56かいグラミーしょう(「ベスト・ポップ・インストゥルメンタル・アルバム」部門ぶもん)を受賞じゅしょうした。

アルパートは音楽おんがく教育きょういく後進こうしん育成いくせいのために様々さまざま貢献こうけんおこなっている。1980年代ねんだいにアルパートは莫大ばくだい私財しざいとうじ、音楽おんがく教育きょういく支援しえんするための営利えいり法人ほうじんアルパート財団ざいだん(The Herb Alpert Foundation)[1]設立せつりつした。また、カリフォルニア芸術げいじゅつ大学だいがくにアルパートしょう(The Alpert Awards)[2]もうけ、わか才能さいのうをサポートしている。

2000ねんからはアルパート財団ざいだんつうじて、ボストンのバークリー音楽おんがくいんにハーブアルバート記念きねん客員きゃくいん教授きょうじゅ(Herb Alpert Visiting Professor)をもうけ、世界せかい音楽おんがく業界ぎょうかい活躍かつやくするトップ・ミュージシャンを毎年まいとしどう学院がくいん招聘しょうへいしている[3][4]。また、2000ねんにはバークリー音楽おんがくいんから名誉めいよ博士はかせごう授与じゅよされた[5]

さらに、2007ねんには3せんまんドルをカリフォルニア大学だいがくロサンゼルスこう(UCLA)に寄付きふし、UCLAは音楽学部おんがくがくぶもんをThe UCLA Herb Alpert School of Music[6][7]命名めいめいした。

 
2013ねんバラク・オバマから国民こくみん芸術げいじゅつ勲章くんしょう授与じゅよされたさいのアルパート

2012ねんべい国民こくみん芸術げいじゅつ勲章くんしょう受章じゅしょうしゃえらばれる。

2013ねんバラク・オバマ大統領だいとうりょう(当時とうじ)から米国べいこく芸術げいじゅつ勲章くんしょう授与じゅよされた。

2019ねん新作しんさく「Over the Rainbow」をリリース。ビルボードのジャズ/コンテンポラリー・ジャズ・チャートでNo.1を獲得かくとくした。

日本にっぽんとの関係かんけい

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"Bittersweet Samba"以外いがい日本にっぽんとの関係かんけいとしては、

ディスコグラフィ

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ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス名義めいぎ

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  • The Lonely Bull (1962)
  • Volume 2 (1963) (1966 re-release)
  • South of the Border (1964)
  • Whipped Cream & Other Delights (1965)(※「Whipped Cream」は、TBSラジオ放送ほうそうされている「どくまむし三太夫さんだゆうのミュージックプレゼント」(パーソナリティはどくまむし三太夫さんだゆう)のテーマソングとして使用しようされているものとどうきょくであるがこちらはカバーされたもの)
  • Going Places (1965)
  • What Now My Love (1966)
  • S.R.O. (1966)
  • Sounds Like... (1967)
  • Herb Alpert's Ninth (1967)
  • The Beat of the Brass (1968)
  • The Herb Alpert & The Tijuana Brass Christmas Album (1968)
  • Warm (1969)
  • Greatest Hits (1970)
  • The Brass Are Coming (1969)
  • Summertime (1971)
  • Solid Brass (compilation, 1972)
  • Four Sider (compilation, 1973)
  • You Smile - The Song Begins (1974)
  • Coney Island (1975)
  • Greatest Hits Vol. 2 (compilation, 1977)
  • Bullish (1984)
  • Classics Volume 1 (compilation, 1987)
  • Definitive Hits (compilation, 2001)
  • Lost Treasures (2005)
  • Whipped Cream & Other Delights Rewhipped (remix, 2006)

ハーブ・アルパート(ソロおよびラニ・ホールとの共演きょうえん名義めいぎ

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  • Just You and Me (1976)
  • Herb Alpert/Hugh Masekela (1978)
  • Main Event Live! (1978)
  • Rise (1979)
  • Beyond (1980)
  • Magic Man (1981)
  • Fandango (1982)
  • Blow Your Own Horn (1983)
  • Life is My Song (compilation, 1985)
  • Wild Romance (1985)
  • Classics Volume 20 (compilation, 1987)
  • Keep Your Eye On Me (1987)
  • Under a Spanish Moon (1988)
  • My Abstract Heart (1989)
  • North on South St. (1991)
  • Midnight Sun (1992)
  • Second Wind (1996, ALMO)
  • Passion Dance (1997, ALMO)
  • Colours (1999, ALMO)
  • Definitive Hits (compilation, 2001, Interscope)
  • Anything Goes (2009, Concord Jazz)
  • I Feel You ( & Lani Hall, 2011, Concord Jazz)
  • steppin' out ( featuring Lani Hall, 2013, Shout Factory)
  • In The Mood ( featuring Lani Hall, 2014, Shout Factory)
  • Come Fly With Me (2015, Herb Alpert Presents)
  • Over the Rainbow (2019, Herb Alpert Presents)

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 作曲さっきょくはジャム&ルイス。
  2. ^ セルジオ・メンデス&ブラジル66のヴォーカルをつとめた歌手かしゅ

出典しゅってん

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外部がいぶリンク

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