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フォークロック - Wikipedia

フォークロック英語えいご: Folk rock)は、音楽おんがくジャンルひとつで、フォークロック要素ようそ融合ゆうごうした音楽おんがくす。全盛期ぜんせいき1960年代ねんだいなかばから1970年代ねんだい前半ぜんはんである。フォーク音楽おんがくに、電気でんき楽器がっき導入どうにゅうしたことで誕生たんじょうしたとされている。

フォークロック
げん地名ちめい Folk rock
様式ようしきてき起源きげん
派生はせいジャンル
サブジャンル
関連かんれん項目こうもく
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アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく

編集へんしゅう

1964ねん6がつ9にちの19からよく10日とおかの130ふんにかけ、ボブ・ディランはニューヨークのコロムビア・スタジオで14きょくをレコーディングした[1]同年どうねん8がつ8にち、そのうちの11きょく収録しゅうろくした4さくのアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』が発売はつばいされた。収録しゅうろくかられたのは「デニス」、「ママ、ユー・ビーン・オン・マイ・マインド」、そしてランブリン・ジャック・エリオットとデュエットした「ミスター・タンブリン・マン[2]であった。同年どうねん8がつロジャー・マッギンジーン・クラークデヴィッド・クロスビー、マイケル・クラークからるグループ「ジェット・セット」のマネージャーのジム・ディックソンはディランの音楽おんがく出版しゅっぱんしゃから「ミスター・タンブリン・マン」のアセテートばん入手にゅうしゅした[3][4]。バンドのメンバーは当初とうしょどうきょくにあまり感銘かんめいけなかったが、マッギンは拍子ひょうしえ、ビートルズのようなサウンドを目指めざし、メンバーとともにリハーサルを開始かいしした[5][6]。ちょうど8がつ11にち米国べいこくでも『ビートルズがやってるヤァ!ヤァ!ヤァ!』が公開こうかいされ[7]、メンバーはたちまち映画えいがの4にんにとりこになった。マッギンはリッケンバッカーの12げんギター、クラークはラディックのドラム・キットをそろえた[8][9]。10月、クリス・ヒルマンがベーシストとしてくわわり[10]、ジェット・セットはバンドめいバーズえた。

1965ねん1がつ13にち、14にち、15にちの3日間にちかん、ディランはエレクトリック・セットの楽曲がっきょく従来じゅうらいのスタイルの楽曲がっきょく両方りょうほうをレコーディングした。そのなかには「ミスター・タンブリン・マン」のさい録音ろくおんふくまれていた[11]。それから5にちの1がつ20日はつか、バーズはロサンゼルスのコロムビア・スタジオで、テリー・メルチャーのプロデュースのした、「ミスター・タンブリン・マン」のレコーディングにかった。メルチャーの判断はんだんにより、演奏えんそうはマッギンのみが12げんギターで参加さんかし、ラリー・ネクテル(ベース)やハル・ブレイン(ドラム)らによってベーシック・トラックがろくられた。

同年どうねん3がつ22にち、ディランの5さくのアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』が発売はつばいされる。Aめんにエレクトリック・サウンドのきょくを、Bめんにアコースティックを主体しゅたいとしたきょくおさめたこのアルバムによって、ディランは「フォークロックを発明はつめいした」ともわれる[12]同年どうねん4がつ12にち、バーズはシングル「ミスター・タンブリン・マン」を発表はっぴょう[13]、デビューきょくながら6がつ26にちづけビルボード・Hot 100で1記録きろく。そのほか米国べいこくのキャッシュボックス、イギリス、アイルランドでも1かがやいた。

ジャーナリストのエリオット・シーゲルは6がつ12にち発行はっこうのビルボードにおいて、「フォークロック」という言葉ことばはじめて使つかった[14]。シーゲルはバーズに言及げんきゅうするとともに、ビリー・J・クレイマージャッキー・デシャノンソニー&シェールらが「シングルにフォーク志向しこう素材そざいはじめた」とき、ラヴィン・スプーンフルなどをあたらしいフォークロックバンドとしてげた[14]

1965ねん7がつニューポート・フォーク・フェスティバル英語えいごばんで、ディランはマイク・ブルームフィールドアル・クーパーらとともにロック・バンドとして演奏えんそうし、はげしいブーイングびた[15]当初とうしょ聴衆ちょうしゅうがわから音楽おんがくてき堕落だらく世俗せぞく機械きかい文明ぶんめいへの迎合げいごうといった反発はんぱつがあったことから、当時とうじ若者わかものによるフォークの解釈かいしゃくることができる。同年どうねん7がつ20日はつか発売はつばいされたディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」が全米ぜんべい2記録きろく。フォークロックはきたアメリカにおける主要しゅよう音楽おんがくジャンルとなった.[16][17]。バーズはピート・シーガーの「ターン・ターン・ターン」をカバーし、このきょく全米ぜんべい1記録きろくした[18]

タートルズは1965ねん、ロサンゼルスに設立せつりつされたばかりのレコード会社かいしゃ、ホワイト・ホエール・レコードと契約けいやくした。デビューシングルにえらんだのはディランの「かなしきベイブ」だった。同年どうねん7がつ発売はつばいされたどうきょく[19]全米ぜんべい8記録きろくした。同年どうねん9がつ13にちサイモン&ガーファンクルのシングル「サウンド・オブ・サイレンス」が発売はつばい[20]同年どうねん12がつママス&パパスのシングル「ゆめのカリフォルニア」が発売はつばい

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくもっともフォークロックが活動かつどうてきであったのは1960年代ねんだい中頃なかごろから1970年代ねんだい中頃なかごろだった。これはヒッピー[注釈ちゅうしゃく 1]現象げんしょうとほぼときおなじくする。ボブ・ディランやそれ以前いぜんのウディ・ガスリーらのミュージシャンのフォークソング、フォーク・リヴァイヴァルにおけるボーカル・グループ、ロックなどの要素ようそ融合ゆうごうされ、さらにハンク・ウィリアムズらのふるいカントリーからの影響えいきょうられるようになった。

1967ねんにはスコット・マッケンジージェファーソン・エアプレインらがヒットをはなった。

1968ねんジュディ・コリンズ前年ぜんねんにリリースしたアルバム『Wildflowers』から、ジョニ・ミッチェルさくの「青春せいしゅんひかりかげ」をシングルカット。ビルボード・Hot 100で8記録きろくし、ビルボードのイージーリスニング・チャートで3記録きろくした。

1970年代ねんだいにはジャクソン・ブラウン、ブルース・スプリングスティーンら、80年代ねんだいにはスザンヌ・ヴェガ、トレイシー・チャップマンら、90年代ねんだい以降いこうには4ノン・ブロンズ、シックスペンス・ノン・ザ・リッチャーらが活躍かつやくした。

1964ねん6がつ19にち発売はつばいされたアニマルズによる「朝日あさひのあたるいえ」のカバー・バージョンもフォークロックの範疇はんちゅうふくまれることがある[21]どうきょくはビルボードHot100、キャッシュボックス、ぜんえいシングルチャート、カナダRPMなどでいずれも1記録きろくした。

ボブ・ディランらを刺激しげきした、アメリカのはん体制たいせいてき文学ぶんがくビート・ジェネレーションは、モダン・ジャズ愛好あいこうし、イギリスのモッズ文化ぶんか誕生たんじょうのきっかけのひとつにもなった。戦後せんご世代せだいのイギリスの若者わかものあいだでのフォークやロック、ブルース、ブルース・ロックのブームが、1960年代ねんだい到来とうらいした。

ビートルズやローリング・ストーンズらを中心ちゅうしんとしたブリティッシュ・インヴェイジョンは、アメリカ、イギリスのフォーク・ロックの隆盛りゅうせいに、おおきな影響えいきょうあたえた[22]。フォーク・ミュージシャンによるみでは、ドノヴァンが1965ねんデビュー、1966ねん(イギリス発売はつばいは1967ねん)ドノヴァンはアルバム「サンシャイン・スーパーマン」を発表はっぴょう。このとしからプロデュースを担当たんとうするミッキー・モスト初期しょきサイケデリック・ロック影響えいきょうをここにみアレンジに工夫くふうらした。

1968ねんペンタングル結成けっせい。フォークソロ歌手かしゅジャッキー・マクシーとそのギタリストバート・ヤンシュジョン・レンボーンに、ドラムスとウッド・ベースはジャズ奏者そうしゃで、アコースティック楽器がっき電気でんき増幅ぞうふく音量おんりょうおおきくした、ジャズしょくのあるアレンジでトラディショナル・ブリティッシュ・フォークやオリジナルを演奏えんそうした[23]。1962ねん創業そうぎょうでフォーク作品さくひん中心ちゅうしん販売はんばいしていたトランスアトランティック・レコード(en)と契約けいやく、このころはイギリスで「エレクトリック・フォーク」(Electric Folk) ともんでいた。

1967ねんデビューのフェアポート・コンヴェンションはイギリス独自どくじのフォーク・ロックを提示ていじした。1970ねんスティーライ・スパンは、フェアポート・コンヴェンションを脱退だったいしたアシュリー・ハッチングスが結成けっせいした。ギター奏者そうしゃマーティン・カーシー参加さんか。アルバム『テン・マン・モップ、あるいはレザヴォア・バトラー捲土重来けんどじゅうらい発表はっぴょう、ハッチングスとカーシーは脱退だったい、スティーライ・スパンはマディ・プライヤー中心ちゅうしんにドラムス担当たんとう加入かにゅうさせトラディショナル・フォークをロックりにしたフォークロックを展開てんかいした。

マーティン・カーシーはふたた伝承でんしょう民謡みんようでソロ活動かつどう基本きほんもどり、平行へいこうしてアシュリー・ハッチングスらのセッションやブラス・モンキー参加さんか現在げんざいいたる。左派さはけいのトピック・レコードは、フォークのレコードを多数たすう発表はっぴょうした。そしてヒッピー・バンド、インクレディブル・ストリング・バンドのようなイギリスのフォークロックにおけるこころみは、サイケ・フォークへつながっていく。

きたアメリカでのうごきに触発しょくはつされ、イギリスケルトけんでも様々さまざまなフォークロックの様式ようしきられるようになった。スコットランドウェールズコーンウォールブルターニュなど、かく地域ちいき民俗みんぞく音楽おんがくとロックの融合ゆうごうはかられた。この音楽おんがくてきこころみには、フォーク・ミュージック(民俗みんぞく音楽おんがく)とロック双方そうほう分野ぶんやミュージシャンんだ。そしてさらに、ヨーロッパほか地域ちいきでもフォークロックに音楽家おんがくかあらわれてきた。ウディ・ガスリー[注釈ちゅうしゃく 2]ピート・シーガー、および戦前せんぜん1930年代ねんだい左翼さよく人民戦線じんみんせんせん運動うんどうからまれた文化ぶんかつよ影響えいきょうけている。

西欧せいおう南欧なんおう北欧ほくおう東欧とうおう

編集へんしゅう

スウェーデンではガルバナ、ジェゼベル、ビョルン&ベニーなどが活躍かつやくした[24]フランスのフォークロックではTri Yannらが活動かつどうした。アイルランドでは、ヴァン・モリソン[注釈ちゅうしゃく 3]とゼム[注釈ちゅうしゃく 4]活躍かつやくした。後年こうねんザ・ポーグスらがアイルランド民謡みんようパンク・ロックむすわせた。

ドイツのフォーク・ロックには、オライリー・バンド、ダルタニアンらがいた。ノルウェーでは、ゴーテが、ノルウェーの伝承でんしょう文学ぶんがくのひとつであるスティーヴ(stev、即興そっきょう)とロックの融合ゆうごうこころみられた。東欧とうおうルーマニアでは、1962ねん結成けっせいされたトランシルヴァニア・フェニックスや、スピタルル・デ・ウルジェンツァ活動かつどうした。また、ウクライナの西方せいほう位置いちするモルドバズドッブ・シ・ズドッブは、民族みんぞく音楽おんがくとロックを融合ゆうごうした楽曲がっきょく発表はっぴょうした。

日本にっぽんのフォークロック

編集へんしゅう

1960年代ねんだい後半こうはん、GS時代じだいのカバーとしては「今日きょうきよう」をカバーしたテンプターズ[25]PPMの「500マイル」をカバーしたザ・スパイダース、 フォーク・サイドでは、「ベリー・ラスト・デイ」(PPM)のトワ・エ・モワ、ママス&パパスゆめのカリフォルニア」のモダン・フォーク・フェローズなどがあげられる。アメリカのバーズラヴィン・スプーンフルなどをてカバー/コピーから吸収きゅうしゅうし、日本にっぽん民謡みんよう(フォーク)をれた寺内てらうちタケシとバニーズ、などのバンドやフォーク・グループが登場とうじょうし、マイク眞木まきバラがいた」の作詞さくし作曲さっきょく浜口はまぐち庫之助くらのすけ担当たんとう村井むらい邦彦くにひこ[注釈ちゅうしゃく 5]いずみたくらがあたらしい日本にっぽんのポップス・ロック音楽おんがく模索もさくしていた。

1969ねん11月村井むらい邦彦くにひこ日本にほんコロムビアとの契約けいやくから発足ほっそく村井むらい先行せんこうして1967ねん作曲さっきょく家業かぎょう開始かいし作詞さくし山上さんじょうおっと安井やすいかずみなどときょうさくし、様々さまざまなバンドやミュージシャンのプロデュースと編曲へんきょくつとめている。アルファ初期しょきにはあかとりガロ[注釈ちゅうしゃく 6]などが在籍ざいせき他社たしゃ東芝とうしばおんこう村井むらい山上さんじょう楽曲がっきょく提供ていきょうしたトワ・エ・モワなど カレッジ・フォークけい[注釈ちゅうしゃく 7]ともぶミュージシャンたちと制作せいさく作業さぎょうおこなった。

フォークけいミュージシャンは岡林おかばやし信康のぶやす高田たかだわたる加川かがわりょう、フォーク・クルセダーズ、ソルティ・シュガー、いつつのあか風船ふうせん遠藤えんどう賢司けんじ、あがたもりぎょ頭脳ずのう警察けいさつ初期しょきのRCサクセション、上條かみじょう恒彦つねひころくぶんぜに森山もりやま良子りょうこ、トワ・エ・モワ、いつつのあか風船ふうせんマイク眞木まきザ・リガニーズ、ふきのとうなどが活躍かつやくした。70年代ねんだい前半ぜんはんには、井上いのうえ陽水ようすい吉田よしだ拓郎たくろうだいヒットをはなった。荒井あらいゆかりじつ1975ねんに、ばんばんに「いちご白書はくしょをもう一度いちど」を提供ていきょうした。1970年代ねんだい後半こうはんには、ニューミュージックの登場とうじょうにより、フォークロックは衰退すいたいしていった。

都市とし拠点きょてんとしてフォークソングをうたはじめたのは、アルマナック・シンガーズであった。このグループは、1930年代ねんだい後期こうきから1940年代ねんだい初期しょきにかけて、ガスリーシーガー、リー・ヘイズ、メンバーをえつつ活動かつどうした。だい世界せかい大戦たいせんした1947ねんに、シーガーとヘイズは、ロニー・ギルバート、フレッド・ヘルマンとみ、ウィーヴァーズ結成けっせいする。ウィーヴァーズは、レッドベリーの「アイリーン」をカバーしだいヒットさせ、この分野ぶんや一般いっぱん大衆たいしゅうあいだひろがっていった。文学ぶんがく1950年代ねんだい隆盛りゅうせいをきわめたビート・ジェネレーションは、ジャズと密接みっせつ関係かんけい一方いっぽう、ボブ・ディランらそののフォーク・シンガーたちおおきな影響えいきょうをもたらした。

かれらは1950年代ねんだい初期しょき赤狩あかがきこまれ、1955ねんピート・シーガー下院かいんべい活動かつどう委員いいんかいで、かれ思想しそうてき所属しょぞく証言しょうげんすることを拒否きょひしたことで、有罪ゆうざい判決はんけつけた[26]。シーガーらのサウンド、および民俗みんぞく音楽おんがく社会しゃかい問題もんだい題材だいざいとした楽曲がっきょくは、キングストン・トリオチャド・ミッチェル・トリオや、ピーター・ポール&マリー、モダン・フォーク・カルテットなどに影響えいきょうあたえた。かれらの歌詞かし音楽おんがくせいは、プロテスト・フォークやブロードサイド・バラッド(時事じじ問題もんだいあつか社会しゃかいせいつようた)の発展はってんおおきく寄与きよした。 1963ねんのワシントンだい行進こうしんには、ボブ・ディラン俳優はいゆうマーロン・ブランドらが参加さんかしている。

おもなミュージシャン

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米国べいこく/カナダ

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ソロ・シンガー

アメリカ、カナダのフォークロック音楽家おんがくか

ボブ・ディラン[27]
ニール・ヤング[注釈ちゅうしゃく 8]
バリー・マクガイア[注釈ちゅうしゃく 9]
メラニー[注釈ちゅうしゃく 10]
ウッドストック・フェスティバルに出演しゅつえん
バフィー・セントメリー[注釈ちゅうしゃく 11]
映画えいがいちご白書はくしょ』の主題歌しゅだいかサークル・ゲーム」(ジョニ・ミッチェル作詞さくし作曲さっきょく)でられる、ネイティヴ・アメリカンけい女性じょせいフォークシンガー。
ホセ・フェリシアーノ[28]
リッチー・ヘヴンス
ジョニ・ミッチェル[注釈ちゅうしゃく 12]
カナダ出身しゅっしん
ティム・ハーディン
ティム・バックリー
ロジャー・マッギン
ギリアン・ウェルチ
マンハッタン出身しゅっしん、ロサンジェルスそだち。ブルーグラス、オールドタイム、ネオトラディショナル・カントリーのシンガーソングライター。
フィル・オクス[29]
1940ねん、テキサスしゅうエル・パソ出身しゅっしん。トピカルソング・シンガー。
アーロ・ガスリー[注釈ちゅうしゃく 13]
ドン・マクリーン[注釈ちゅうしゃく 14]
ジム・クロウチ
1943ねんフィラデルフィア出身しゅっしん。1973ねん飛行機ひこうき事故じこ死去しきょ
レナード・コーエン
カナダ モントリオール出身しゅっしん詩人しじん小説しょうせつ、シンガーソングライター。
ジュディ・コリンズ
ポール・サイモン
ははきずな」がヒット。
アート・ガーファンクル
ハリー・チェイピン
フレッド・ニール
ジェリー・ジェフ・ウォーカー
ミスター・ボージャングルス」を作曲さっきょくしたシンガーソングライター。
ジェシ・コリン・ヤング
もとヤングブラッズ。
ジョン・セバスチャン
ゴードン・ライトフット
カナダのシンガーソングライター。1938ねんまれ。1950年代ねんだい後半こうはん活動かつどう開始かいし
ロボ
片思かたおもいとぼく」を発表はっぴょう
ウォーレン・ジヴォン[注釈ちゅうしゃく 15]
ジョーン・バエズ
ジュディ・シル
ジョン・プライン
スティーヴ・グッドマン
ジャクソン・ブラウン
ブルース・スプリングスティーン
スザンヌ・ヴェガ
トレイシー・チャップマン
リンダ・パーハクス
ジョアンナ・ニューサム
イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー[30]
インディゴ・ガールズ
1985ねんにジョージアしゅう結成けっせいしたデュオ。
グレイト・ビッグ・シー
カナダのフォークロック・バンド。きたアメリカにおける初期しょきのフォークロックに類似るいじしている。
グレープス・オブ・ラズ
カナダのフォークロック・バンド。1983ねん結成けっせい、1992ねん解散かいさん
CSN&Y
ケイト&アナ・マグリガル
ケルタエ
ケープブレトンとうニューファンドランドとう民俗みんぞく音楽おんがく融合ゆうごうさせたケルト・フォークロック・バンド。それぞれの伝承でんしょうきょくあじのこしつつ、ロックやジャズの要素ようそふくんでいる。
サイモン&ガーファンクル
サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンド[31]
シールズ&クロフツ
シックス・ペンス・ノン・ザ・リッチャー
スピリット・オブ・ザ・ウェスト
カナダのバンド。きたアメリカにおける初期しょきのフォークロックに類似るいじしている。
ザ・ダックス
ニール・ヤングのロック・バンド。1977ねん活動かつどう
タートルズ
1965ねんにカリフォルニアで結成けっせい。「ハッピー・トゥゲザー」やボブ・ディランの「かなしきベイブ」のカバーがヒット。
ニュー・クリスティ・ミンストレルズ
バーズ
バッファロー・スプリングフィールド
ザ・バンド
ピーター・ポール&マリー
ファッグス
4ノン・ブロンズ
フラタニティー・オブ・マン[注釈ちゅうしゃく 16]
ボー・ブラメルズ
1963ねんサンフランシスコ結成けっせいビートルズなどのイギリスのバンドに影響えいきょうけている。
ホーリー・モーダル・ラウンダーズ
ママス&パパス
ミミ&リチャード・ファリーニャ
ヤングブラッズ
ラヴィン・スプーンフル
ロギンス&メッシーナ

その(USA)

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一般いっぱんてきにはフォークロックに分類ぶんるいされていないが、その傾向けいこうられるソロ・ミュージシャンとバンド。

グィック・シルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス
グレイトフル・デッド
1965ねんにサンフランシスコで結成けっせい。フォーク、ブルーグラス、ブルース、カントリー、ジャズなどを融合ゆうごうさせたサイケデリックロック・バンド。
ソニー&シェール
1960年代ねんだい男女だんじょデュオ。
ジェファーソン・エアプレイン
1965ねんにサンフランシスコで結成けっせい活動かつどう当初とうしょはフォークロックを指向しこうしていたが、やがてサイケデリックロックへと転身てんしんした。
モビー・グレープ
1966ねんにカリフォルニアで結成けっせい。ジャズ、カントリー、ブルースなどを融合ゆうごうさせたサイケデリックロック・バンド。
ラヴ
1965ねんにロサンジェルスで結成けっせい。ロックンロール、ガレージロック、フォークなどを融合ゆうごうさせたサイケデリックロック・バンド。

イギリス/アイルランド

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シンガーソングライター

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キャット・スティーヴンス
ヴァン・モリソン
チーフタンズとフォークロックの楽曲がっきょく共同きょうどう制作せいさくしている。
ディック・ゴーハン
英国えいこくのフォーク、フォークロックのミュージシャン。
アル・スチュアート
ビリー・ブラッグ
ジャッキー・マクシー
ドノヴァン
リチャード・トンプソン
フェアポート・コンヴェンションの創設そうせつメンバーの一人ひとり。フォークロックのギタリストとしても著名ちょめい
ロイ・ハーパー
英国えいこくのフォーク歌手かしゅ
エディ・リーダー
アン・ブリッグス
フィラモア・リンカーン
ルーシー・ローズ
ロジャー・ウィテッカー
アンディ・ホワイト(SSW)
シンガーソングライター。1962ねんきたアイルランドベルファストまれ。1985ねんデビュー。
ゴードン・ギルトラップ
英国えいこく著名ちょめいギタリスト。1948ねんまれ。フォークロック以外いがいにも、フォーク、ロック、ブルースなど、多彩たさい分野ぶんや活動かつどうしている。
エイミー・マクドナルド
1987ねんまれ。スコットランド出身しゅっしんシンガーソングライター
アメリカ(UK)
インクレディブル・ストリング・バンド
1965ねん結成けっせい。サイケデリックなフォーク・バンドとしてられているが、フォークロック・バンドとして活動かつどう開始かいしした。
エナジー・ オーチャード
アイルランドのフォークロック・バンド。1980年代ねんだい後半こうはんきたアイルランドベルファスト結成けっせい
カパーケリー
スコットランドのフォーク・バンド。
ザ・コアーズ
1991ねん結成けっせいした、アイルランドのフォークロック・バンド。
サンダークラップ・ニューマン
スティーライ・スパン
イギリスのフォークロック・バンド。1970ねん結成けっせいされ、2006ねん現在げんざい活動かつどうちゅう
シャーリー&ドリーコリンズ
代表だいひょうさくは、アンセムズインエデン。あねがドリー、いもうとがシャーリー。
ヴィグラス&オズボーン[注釈ちゅうしゃく 17]
ドクター・ストレンジリー・ストレンジ(アイルランド)
ドリーム・アカデミー
ティラノザウルス・レックス
ファイブ・ハンド・リール
フェア・グラウンド・アトラクションヒットきょく「パーフェクト」。
フェアポート・コンヴェンション
1967ねんにイギリスで結成けっせいしたフォークロック・バンド。ウェストコーストふうのカバーから活動かつどう開始かいししたが、イギリス民謡みんようんでいくようになった。
フォザリンゲイ
フォレスト
プランクシティ
1972ねん結成けっせいされたアイルランドのフォーク・バンド。
ヘッジホッグ・パイ
ブリティッシュ・トラッドをベースとしたプログレッシブ・ロックしょくつよいバンド。
ペンタングル
1967ねんにイギリスで結成けっせいしたフォークロック・バンド。
ザ・ポーグス
アイルランドじんのシェイン・マガウアンを中心ちゅうしんとして1982ねん結成けっせいされた、イギリスのフォークロック・バンド。
ホースリップス
アイルランドのジグリール、をベースとしたケルトロック・バンド。
マグナ・カルタ
1969ねんにロンドンで結成けっせいしたフォークバンド。
ランリグ
スコットランドのフォークロック・バンド。1973ねん結成けっせいゲールによるロックを演奏えんそうする。
リンディスファーン
イギリスのフォークロック・バンド。
ルネッサンス
イギリス民謡みんようとクラシック音楽おんがくをベースとしたプログレッシブ・ロック・バンド。1969ねんにイギリスで結成けっせい

その(UK)

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レヴェラーズ
イギリスのロック・バンド。ノン・フォークとされているが、フェアポート・コンヴェンションとも共演きょうえんしている。1988ねん結成けっせい。イギリス民謡みんようとパンクロックを混合こんごう
ジェスロ・タル
イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド。すべての楽曲がっきょくにフォークの要素ようそがあるわけではないが、『神秘しんぴもり』(Song From The Wood、1977ねん)、『たくましいうま』(Heavy Horses、1978ねん)、『ストーム・ウォッチ~北海ほっかい油田ゆでんなぞ』(Stormwatch、1979ねん)は、フォークロックの分野ぶんやぞくする。
ストローブス
1964ねんにイギリスで結成けっせいしたロック・バンド。ブルーグラス・バンドとして活動かつどう開始かいしし、一時いちじリック・ウェイクマン参加さんかしていたことがある。フォークロックや、プログレッシブロックなど多様たよう音楽おんがくせい表現ひょうげんし、労働党ろうどうとう支持しじした「パート・オブ・ユニオン」(1972)のヒットがある。
ホリーズ「バス・ストップ」など
エルトン・ジョン「ユア・ソング」など
ジョージ・ハリスン「ギヴ・ミー・ラヴ」など
ジョン・レノン平和へいわとう」(ギヴ・ピース・ア・チャンス)など
ニック・カーショウ「ザ・リドル」

西欧せいおう/北欧ほくおう

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パーソンズ・パック
スウェーデンのフォークロック・バンド。[32]
グンドゥラ・クラウス
ドイツのフォーク・バイオリスト。1992ねんにデビュー。ロサンゼルスでブルーグラスやケイジャン音楽おんがくまなび、アイルランドでアイルランド民謡みんようやフォークロックをまなんだ。
ロイツマ
フィンランドのフォークユニット。
レッドガム
オーストラリアのフォークロック・バンド[注釈ちゅうしゃく 18]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 反戦はんせん平和へいわ主張しゅちょうした。グレイトフル・デッドやジョン・レノン、ニール・ヤングらおおくのミュージシャンもつよ影響えいきょうけている。
  2. ^ 祖国そこく英語えいごばん」でられる。アーロ・ガスリーの父親ちちおや
  3. ^ ゼムを脱退だったい発表はっぴょうした「ブラウン・アイド・ガール」がヒットした。
  4. ^ 代表だいひょうきょくは「グローリア」。
  5. ^ エメラルドの伝説でんせつ」「よるあさあいだに」などを作曲さっきょく
  6. ^ 代表だいひょうきょくは「学生がくせいがい喫茶店きっさてん
  7. ^ カレッジ・フォーク」は、一説いっせつには東芝とうしばおんこう考案こうあんした用語ようご宣伝せんでんキャッチコピーとされる。日本にっぽんのフォークけい音楽おんがくミュージシャンなどの説明せつめいとアングラ・フォークなど区別くべつ他社たしゃレーベルなども使用しようした。用語ようごとして1970ねん前後ぜんごする時期じき昭和しょうわ40年代ねんだい)に活躍かつやくしたコーラス、ハーモニーに主点しゅてんくフォークのミュージシャンやグループなどにもちいられることがおおい。
  8. ^ バッファロー・スプリングフィールド、CSN&Yなどに在籍ざいせきした。 カナダ出身しゅっしん。1972ねんの「孤独こどく旅路たびじ」が全米ぜんべい1記録きろく
  9. ^ 「イヴ・オブ・ディストラクション」がヒットした。
  10. ^ 72ねんに「ブランニュー・キー」がヒットしたヒッピーけい女性じょせいシンガー。
  11. ^ 「ユニバーサル・ソルジャー」は反戦はんせんとしてられている。カナダの女性じょせい歌手かしゅ
  12. ^ 「サークル・ゲーム」「青春せいしゅんひかりかげ」の作者さくしゃ
  13. ^ ウディ・ガスリーの息子むすこ
  14. ^ 「アメリカン・パイ」がだいヒットした。
  15. ^ 1978ねんに「ロンドンのオオカミおとこ」がヒットした。
  16. ^ 映画えいが「イージー・ライダー」のサントラばん収録しゅうろく
  17. ^ あきはひとりぼっち」が1972ねん日本にっぽんでヒット。
  18. ^ 1983ねんに「アイム・オンリー19」がオーストラリアのナショナル・チャートで1だいヒットになった

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ Olof Björner. “Still On The Road 1964 Concerts and Recording Sessions”. Still On The Road. 2024ねん9がつ7にち閲覧えつらん
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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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