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ジェファーソン・エアプレイン - Wikipedia

ジェファーソン・エアプレイン

アメリカのロックバンド (1965-73, 89-90)

ジェファーソン・エアプレインJefferson Airplane)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく出身しゅっしんロックバンド。60年代ねんだいのアメリカンにおけるロック黄金おうごん時代じだいから活動かつどうするバンドのひとつで、サイケデリック文化ぶんか象徴しょうちょうする代表だいひょうてきグループ。一度いちど解散かいさんジェファーソン・スターシップJefferson Starship)に改名かいめいして音楽おんがく活動かつどう継続けいぞくし、さらスターシップStarship)へと分離ぶんりした。1996ねんロックの殿堂でんどうり。

ジェファーソン・エアプレイン
1970年代ねんだい初期しょき
基本きほん情報じょうほう
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく カリフォルニアしゅうサンフランシスコ
ジャンル
活動かつどう期間きかん
レーベル
公式こうしきサイト Jefferson Airplane.com
きゅうメンバー 別記べっき参照さんしょう
ジェファーソン・スターシップ
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく カリフォルニアしゅうサンフランシスコ
ジャンル
活動かつどう期間きかん
レーベル
公式こうしきサイト Jefferson Starship.net
メンバー
  • デヴィット・フレイバーグ
  • キャシー・リチャードソン
  • ジュード・ゴールド
  • クリス・スミス
  • ドニー・ボールドウィン
きゅうメンバー 別記べっき参照さんしょう

1990年代ねんだい以降いこうは、ポール・カントナー英語えいごばん再興さいこうしたジェファーソン・スターシップ(Jefferson Starship - The Next Generation)と、ミッキー・トーマス主宰しゅさいするスターシップ(Starship featuring Mickey Thomas)の2つのながれが共存きょうぞんしている。

概要がいよう

編集へんしゅう

ジェファーソン・エアプレイン自体じたいは1965ねんから1970年代ねんだい前半ぜんはんまで活動かつどうしたバンドだが、「ジェファーソン」と名乗なのるバンドのかぎにぎるのは、創設そうせつメンバーであるマーティ・バリン(バーリン、ベイリン)、ポール・カントナーだった。エアプレインにとどまらず、ジェファーソン・スターシップ以降いこう記述きじゅつする。

  1. 「ジェファーソン・エアプレイン」は、アメリカン・ロック・シーンの黎明れいめいフォーク・リバイバル運動うんどうをへて、フォーク・ロックに、サイケデリック・ロック代表だいひょうかくとらえられ、1960年代ねんだい後期こうきカウンター・カルチャー象徴しょうちょうするバンドのひとつになった[7]
  2. 「ジェファーソン・スターシップ」は、ポール・カントナーとグレイス・スリック、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシア、ビル・クルーツマン、ミッキー・ハートに、グラハム・ナッシュデヴィッド・クロスビーいたるのセッション・プロジェクトとして1970ねんはじめたプラネット・アース・ロック・アンド・ロール・オーケストラもとで、クロスビーのソロ・デビュー・アルバム「イフ・アイ・クッド・オンリー・リメンバー・マイ・ネーム」などがつくられている。1974ねんにパーマネント・バンドとして正式せいしきにデビューして、ロック・ビジネスが成長せいちょうして時流じりゅうことにも成功せいこうし、1970年代ねんだい後半こうはん有名ゆうめいアメリカン・バンドのひとつになった。
  3. リード・シンガーをミッキー・トーマスえたバンドは、70年代ねんだいまつはハード・ロック路線ろせんだった。バンドは1980年代ねんだいはいると次第しだい活動かつどう低迷ていめいする。
  4. 1980年代ねんだいはいると「だいジャーニー」をさがすレコード会社かいしゃ要求ようきゅうによって産業さんぎょうロック・サウンドを模索もさく。1985ねんグレイス・スリックとミッキー・トーマスを看板かんばん産業さんぎょうロックと、アダルト・コンテンポラリーのポップ路線ろせんあゆむ「スターシップ」になってしまった。
  5. この時期じき脱退だったいした創設そうせつメンバーのポール・カントナーは自己じこのスタイルで再始動さいしどうし、「KBC」「ジェファーソン・エアプレイン・リユニオン」「ソロ活動かつどう」をて「しん編成へんせいジェファーソン・スターシップ」として現在げんざいいたる。
  6. スターシップ」の最後さいごまで在籍ざいせきしたミッキー・トーマスが、1990年代ねんだい初頭しょとう自己じこのバンドを「スターシップ」名義めいぎさい編成へんせいし、現在げんざいまでポール・カントナーの「ジェファーソン・スターシップ」と同時どうじ存在そんざいしている。

マーティ・バリン/ポール・カントナーの創始そうしメンバーによる『ジェファーソン・エアプレイン』~『ジェファーソン・スターシップ』~『現在げんざいのジェファーソン・スターシップ』、『グレイス・スリック在籍ざいせき時期じきのスターシップ』~『スリック脱退だったいのスターシップ』、および『ミッキー・トーマスひきいる現在げんざいのスターシップ』は、それぞれことなるファンそうち、「まったくべつなバンド」とるのが妥当だとうである。

略歴りゃくれき

編集へんしゅう

ジェファーソン・エアプレイン時代じだい(1965ねん - 1973ねん

編集へんしゅう
 
シグニー・トリー・アンダーソン在籍ざいせき時代じだい (1966ねん)

1960年代ねんだいれたビートルズ旋風せんぷう/ブリティッシュ・インヴェイジョン[ちゅう 1]、その刺激しげきけて続々ぞくぞく誕生たんじょうしたしん世代せだいのUSバンドを代表だいひょうするグループだった。はん体制たいせい薬物やくぶつ体験たいけんうたった歌詞かしなどにより、「60年代ねんだいカウンターカルチャー」のもうともられた。また、ドラッグカルチャーやライトショウを駆使くししたステージに象徴しょうちょうされるサイケデリアの時代じだいに、バンドは最初さいしょのピークをむかえた[ちゅう 2]。そのイメージから、日本にっぽんでは「サイケデリック・ロック」の代表だいひょうかくとしてかたられることおおいのだが、実際じっさいにはそのサイケ時代じだいみじかく、より幅広はばひろ音楽おんがくてき要素ようそっているバンドである。

バンド創設そうせつしゃマーティ・バリン1962ねんポップス/R&Rシンガーとしてシングル・デビューし、そのサンフランシスコにうつりダンサーで活躍かつやくしたり、フォーク・グループに参加さんかしていたが、バンド・スタイルで自分じぶんのグループ結成けっせい目論もくろむ。一方いっぽうっからのフォーキーであるポール・カントナーはフォーク・シンガーとしてサンフランシスコのコーヒーハウスなどで活動かつどうしていた。この2人ふたり出会であ中心ちゅうしんに、1965ねんにジェファーソン・エアプレインの母体ぼたい出来上できあがりライブ・デビュー。RCAとの契約けいやくはサンフランシスコ・エリアのロックバンドではつメジャー契約けいやくのバンドとして一躍いちやく注目ちゅうもくあつめた。当初とうしょはバリンのボーカルを中心ちゅうしんに、1966ねんのデビュー・アルバム「テイクス・オフ(Takes Off)」[8] では、サンフランシスコ・ローカルのトップ・グループ、ボーブラメルズ(Beau Brummels・英語えいごばん)のながれを軽快けいかい楽曲がっきょく、フォーク・シーンでは堅実けんじつなブルース・ギターを得意とくいにとしていたカウコネンらの演奏えんそうに、プロデュースと録音ろくおんエンジニアをつとめたデヴィッド・ハッシンジャー(:David Hassinger・英語えいごばん)のアレンジでフォーク/R&R/R&B/ブルースがざりったフォークロックだった。東海岸ひがしかいがんニューヨークラヴィン・スプーンフルやブルース・プロジェクトなど派生はせいしたグループと西海岸にしかいがんサンフランシスコでは音楽おんがく傾向けいこうことなった。フォークロック先駆せんくにあたるバーズは1966ねんにアルバム「きりの5次元じげん(Fifth Dimension)」を発表はっぴょう、この新奇しんきな(ロックミュージックの)実験じっけん音楽おんがく流行りゅうこう電気でんき増幅ぞうふくされた楽器がっき音響おんきょう装置そうち改良かいりょう進化しんか反映はんえいしたものだった。演劇えんげき実験じっけん音楽おんがくオペラなどの体験たいけんから独自どくじ特徴とくちょうある男女だんじょ3にんによるボーカルハーモニーで一般いっぱんてき認知にんちのギター/ベース・サウンドがからむスタイルはほぼ確立かくりつされていった。

 
グレイス・スリック加入かにゅう (1967ねん)

1967ねんの『Surrealistic Pillow』制作せいさくまえにはグレイス・スリック加入かにゅうしてバンドに一大いちだい飛躍ひやくをもたらす[ちゅう 3]。そのカリスマせい体現たいげんするかのような強力きょうりょく歌声うたごえで、アルバムから「ホワイト・ラビット[ちゅう 4]なかヒット、「サムバディ・トゥ・ラブ:Somebody To Love」[9]だいヒットがまれた。またかくメンバーも強烈きょうれつ主張しゅちょうはじめ、バリンさくのメランコリックなきょく、すでにホット・ツナを予感よかんさせるヨーマ・カウコネンきょく、3にんのボーカルがからきょくなど、そのながらくバンドをいろど多様たようなスタイルがすでにあらわれていた。そして、モンタレー・ポップ・フェスティバルへの出演しゅつえんによりエアプレインの名前なまえ全米ぜんべいひろまった。このころよりライブ照明しょうめいリキッドライト導入どうにゅうしている。

当初とうしょはバリンがリーダーだったが、3rdアルバムを制作せいさくするころからは、独創どくそうせい発揮はっきはじめたカントナーのリーダーシップやメンバーの主張しゅちょう台頭たいとうし、バンドないちから関係かんけい変化へんかはじめる。傍目はためにはあやういとさえかんじられるこの個性こせいのぶつかりいこそが、バンドを時代じだい頂点ちょうてんげる原動力げんどうりょくになった。ちなみに、バリンはポップ・ソングやR&R/R&B、カントナーはフォーク・ミュージック、ギターのカウコネンはトラディショナルなブルース追求ついきゅうしゃベースジャック・キャサディはR&B、ブルーズ、R&R、ジャズ幅広はばひろこのみ、ドラムススペンサー・ドライデンはジャズ出身しゅっしんという多様たようせいっていた。

当時とうじ大掛おおがかりなフェスティバルにも、くまなく参加さんかし1967~1969ねんにかけて人気にんきはピークにたっした。ひたすらあたらしい音楽おんがく表現ひょうげん追求ついきゅうしたサイケデリアの時代じだいぎ、1969ねんウッドストック[ちゅう 5]出演しゅつえんするころにはベトナム戦争せんそう泥沼どろぬま、バンドは「はん体制たいせいメッセージ」の代弁だいべんしゃとしての存在そんざいかんしてく。その中心ちゅうしんは、政治せいじてきメッセージをはっするカントナーと、カリスマせい頂点ちょうてんたっしたスリックにうつっていた。また、演奏えんそうスタイルも1970年代ねんだいはいころにはストレートで、ややハードなものに変化へんかしていった。

一方いっぽうあまりにも過酷かこくになった活動かつどうなかで、よりパーソナルな音楽おんがく活動かつどうのぞむカウコネンとキャサディは1969ねんごろからブルーズ・デュオ:ホット・ツナ・Hot Tunaの原型げんけいをスタート。西海岸にしかいがんのミュージシャンとPlanet Earth Rock and Roll Orchestraとぶセッションを活発かっぱつおこなっていたカントナーは、1970ねん自己じこのプロジェクトユニット、Paul Kantner Jefferson Starship名義めいぎでのアルバムを発表はっぴょうした(ここでスターシップというつぎのコンセプトがまれた。理屈りくつとおらない権力けんりょくしゃなどは相手あいてにせず理想りそう追求ついきゅうする人達ひとたち宇宙うちゅう脱出だっしゅつしようというストーリーは、1969ねん発表はっぴょうきょく「Wooden Ships」が原点げんてん。)。さらに、1969ねん12月6にちオルタモント・フリーコンサート出演しゅつえんでは、観客かんきゃく喧嘩けんか直接ちょくせつ仲裁ちゅうさいへステージからりたバリンに暴徒ぼうと一人ひとりなぐりかかり、その卒倒そっとう失神しっしんする傷害しょうがい事件じけん発生はっせいジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリン契機けいきに、バリンは音楽おんがく活動かつどう自体じたい見直みなおしたいとかんがえるようになり、自分じぶんつくったバンドから1971ねん脱退だったい

RCAとの契約けいやく期間きかん終了しゅうりょうしたバンドは、このような状況じょうきょうにおいても1971ねん自分じぶんたちのインディペンデント・レーベル「GRUNT(グラント)」を設立せつりつし、同年どうねん、エアプレインとしてミリオンセラーのスタジオさく『Bark(バーク)』を制作せいさくのアーティストとも契約けいやくして作品さくひんをリリースするなど、チャレンジはつづけた。しかしこの時期じき、L.A.勢力せいりょく台頭たいとうなど音楽おんがくシーンの新旧しんきゅう交代こうたい影響えいきょうしてエアプレインとしての活動かつどう停滞ていたい。カントナーはスリックのソロをふくむプロジェクト作品さくひん1973ねんまでにさらに3まい制作せいさくしてスターシップのコンセプトを発展はってん、ホット・ツナもアルバム制作せいさくつづけるなど、各々おのおののソロ活動かつどう本格ほんかくてきになり、そとかってった。

1972ねん最後さいごのツアーがおこなわれたのちよく1973ねんにはそのライブばんがリリースされた。しかし、Hot Tunaぐみ2人ふたり完全かんぜんにバンドをはなれてしまい、ジェファーソン・エアプレインは正式せいしき解散かいさんした。

ジェファーソン・スターシップ時代じだい(1974ねん - 1984ねん

編集へんしゅう
 
1976ねん
 
USA・サンフランシスコ公演こうえん (1976ねん7がつ)

エアプレイン解散かいさんよく1974ねん、カントナー・プロジェクト(1970-1973)のメンバーをベースにグレイス・スリックの1stソロをプロモートするツアーをおこなうことになり、バンドめいをパーマネントバンドとしてのジェファーソン・スターシップ決定けってい。メンバーは、ポール・カントナー、グレイス・スリック、ディヴィッド・フライバーグ、パパ・ジョン・クリーチ、ジョン・バーベイタのエアプレイン最終さいしゅうぐみに、ギタリストのクレイグ・チャキーソ、ベーシスト/ギタリストにピーター・カウコネン(ヨーマの実弟じってい)をくわえたもの。この公演こうえんのち、ピーター・カウコネンがピート・シアーズに交代こうたいして1stアルバム『Dragon Fly』 が制作せいさくされた。

このように、ある時期じきさかいにエアプレインからスターシップにたん改名かいめいされたのではなく、「エアプレイン」と「カントナーのスターシップ」が平行へいこうして活動かつどうし、エアプレインが解散かいさんしたのちでスターシップがあらためてデビューしたのが経緯けいいだった。1stアルバムとライブにはマーティ・バリンがはやくもゲスト参加さんかし、そのきょく「Caroline」はFMステーションでヘビーローテーションになる。2ndアルバム『Red Octopus』(エアプレイン以来いらいはつ全米ぜんべい最高さいこう1獲得かくとく)からはバリンがフルタイムで復帰ふっきし、かれ作品さくひん「ミラクルズ:Miracles」[10](シングルチャート最高さいこう3)がだいヒット。同年どうねんの「ランナウェイ」も好評こうひょうだった。さらに78ねんには、「カウント・オン・ミー」もヒットした。復活ふっかつしたバリン/スリック/カントナーのコーラスワークをあたらしいバンド・アンサンブルにせて、一気いっき人気にんきグループの奪還だっかんした。エアプレインとは大幅おおはばことなる音楽おんがくれて1970年代ねんだいロックシーンのメインストリームに登場とうじょうしたかたちだが、このときはメンバー自身じしん主導しゅどうしてつかんだ成功せいこうであり、1980年代ねんだいきた変化へんか後述こうじゅつ)とはことなっていたとえる。1970年代ねんだいのロックシーンで通用つうようする音楽おんがくづくりというめんでは、作曲さっきょく編曲へんきょくだい活躍かつやくせたピート・シアーズの手腕しゅわんおおきく貢献こうけんした。また、カウコネンとはまったちがったコンテンポラリーなスタイルをつクレイグ・チャキーソも演奏えんそう作曲さっきょく活躍かつやくした。

4ねんあまつづいたこのジェファーソン・スターシップの全盛期ぜんせいきには、音楽おんがくてきにバリンの存在そんざいかんおおきくなり、エアプレイン結成けっせい以来いらいようやくかれ理想りそうてきなバンドが実現じつげんした時代じだいでもあった。そしてかれだけでなく、グレイス・スリックの歌唱かしょうりょくかしたきょくや、エアプレイン以来いらいのボーカル・ワークをかしたきょく数多かずおおまれ、4まいのアルバムが成功せいこうおさめる。バンドとしての調和ちょうわもとれた時期じきだった。しかし、ながらくバンドのシンボルでありつづけたスリックが、精神せいしんてき不安定ふあんていから深刻しんこくなドラッグ中毒ちゅうどくのトラブルをかかいち脱退だったい余儀よぎなくされる(1978ねん-1981ねん)。リードシンガーはマーティ・バリンいちにんという体制たいせいでツアーもつづけ、1978ねんにはこの編成へんせいでの最終さいしゅうシングル「Light The Sky on Fire」を発表はっぴょう。これは、アメリカのTVばん『Star Wars Holiday Special』のテーマきょくになり、バンドも演奏えんそうシーンで出演しゅつえんした。こののち、ドラマーのジョン・バーベイタが自動車じどうしゃ事故じこ活動かつどうできなくなり、エインズレー・ダンバー参加さんかする。

 
1981ねん

バンドは、ラブ・バラードとう極力きょくりょくらしてより強力きょうりょく音楽おんがくでイメージチェンジをはかることをめ、新作しんさくのためのリハーサル/レコーディングにはいる。しかし、ふたたびバリンがバンドをはなれる事態じたいになり、後任こうにんとして南部なんぶ出身しゅっしんのミッキー・トーマスを起用きよう[ちゅう 6]完成かんせいされた1979ねんの『Freedom At Point Zero』は、トーマスの声質せいしつかしたハードロック路線ろせんだった。TOTOふうハード・ロックのシングルばん「ジェーン」はまずまずの成功せいこうおさめたが、60年代ねんだい以来いらいのファンからは産業さんぎょうロック志向しこうであるとの否定ひていてき評価ひょうかけた。その延長線えんちょうせんじょうつくられた1981ねんの『Modern Times』にはグレイス・スリックがゲストとして参加さんか、さらに1982ねんの『Winds Of Change』では正式せいしき復帰ふっきした。バンドは万全ばんぜん体制たいせい回復かいふくしたかにえたのだが、1980年代ねんだい初頭しょとうから方向ほうこうせい模索もさくつづけなければならない状況じょうきょうおちいっていた。レコード会社かいしゃは、当時とうじのメインストリームになったジャーニー/ボストン/ヴァン・ヘイレン/カンサス/スティクス/ナイト・レンジャー/TOTO、REOスピードワゴン、フォリナーといった産業さんぎょうロック/スタジアム・ロック・スタイルのヒットきょく要求ようきゅう。そして、さらに急速きゅうそく変化へんかする音楽おんがくシーンはMTV全盛期ぜんせいき突入とつにゅうし、音楽おんがくビジネスの先端せんたんは、ビジュアル戦略せんりゃくにもおもきをいたマドンナマイケル・ジャクソンなどのポップ・ソングにうつってった。

会社かいしゃは1960年代ねんだい以来いらいのベテラン・アーティストにきびしい対処たいしょをするようになり、ジェファーソンらしい音楽おんがく急激きゅうげきしつなわれ、メンバーあいだ対立たいりつ深刻しんこくになった。それは一般いっぱんてきつたえられたような、カントナーひとりがいてしまったという単純たんじゅんなものではなかった。よりわかいターゲットにけてコンテンポラリーなMTV路線ろせん志向しこうするようになったミッキー・トーマス/クレイグ・チャキーソ/ドニー・ボールドウィン、それにたいして、シンセサイザー/コンピューターを多用たようしながらも従来じゅうらいどおりのコアなロック・ファンにアピールしたいとかんがえるポール・カントナー/ピート・シアーズ/ディヴィッド・フライバーグの2わかれ、最後さいごふだにぎるのがグレイス・スリックという構図こうずだったとつたえられる。

このあいだ、マーティー・バリンは81ねんに「ハーツ(ハートかなしく)」のヒットをはなった[ちゅう 7]。このいきおいで82ねん1がつにソロバンドで来日らいにちたしている。カントナーは13ねんぶりにソロ・プロジェクトでの制作せいさく復活ふっかつ、「Planet Earth Rock And Roll Orchestra」名義めいぎでのソロ・アルバム『Planet Earth Rock And Roll Orchestra』を発表はっぴょう、こちらのほうが、本来ほんらいのジェファーソンサウンドが展開てんかいされている作品さくひんだった。つづくジェファーソン・スターシップの『Nuclear Furniture』では、当時とうじ最新さいしんのエレクトロ・ポップを大幅おおはば導入どうにゅう。ここで本来ほんらいのコンセプト・メーカーであったカントナーが突出とっしゅつしてバンドと対立たいりつするようになる。

分裂ぶんれつ(1985ねん - 1990ねん

編集へんしゅう

この時期じきはレコードセールスの要因よういんもあって、とく日本にっぽんでは「スターシップ」についての情報じょうほうしかはいらず、ながいジェファーソンの歴史れきしたん最後さいごのバンドがスターシップだった、という認識にんしきつよい。しかし、1985ねん以降いこうすう年間ねんかんは、スリックやトーマスを看板かんばんとするスターシップと、カントナーを中心ちゅうしんとしたKBC/さい結成けっせいエアプレインに分裂ぶんれつしていた。

スターシップ

編集へんしゅう

やがて、レコード会社かいしゃやプロデューサーがもとめるような、MTV時代じだいのこるためのスタイルをれようとかんがえたスリック/トーマスがバンドの方向ほうこうせいにぎるようになる。バンドの変容へんようすすみ、あるライブでは女性じょせいバック・コーラスを配置はいちするあんまでて、これにカントナーは激怒げきど。また、当時とうじいきおいにっていたロックバンド「ジャーニー」の前座ぜんざつとめるという提案ていあんもあったが、かつて一緒いっしょにツアーをしたときくらべ「極度きょくどやす報酬ほうしゅう提案ていあんされた」ために拒否きょひ、というはなしのこっている。このような経緯けいいから、もはや主導しゅどうけんれなくなったカントナーは、もう1まいアルバムを制作せいさくしたのち解散かいさんするという意思いし表明ひょうめいするが、メンバーは存続そんぞく要求ようきゅう1984ねん結局けっきょくカントナーが単独たんどく脱退だったいし、のこったメンバーたちにバンドめい「ジェファーソン・スターシップ」を使つかわないように訴訟そしょうこす。(公判こうはんちゅう一時いちじスターシップ・ジェファーソンと名乗なのって公演こうえんつづけたといい、事態じたい混乱こんらん物語ものがたっている)1985ねん判決はんけつ結果けっか両者りょうしゃとも使つかえないことになり、折衷せっちゅうあんとして「ジェファーソン」をはずして「スターシップ」となり、あらたにRCAと4まいのアルバム制作せいさく契約けいやくむすんでさい出発しゅっぱつした。

バンドは当時とうじ先端せんたんのサウンドを全面ぜんめんてきれ、マーティン・ペイジによるシングル「シスコはロックシティ(We Built This City)」(これは邦題ほうだいだけで実際じっさい特定とくていまちうたったものではない。)は、エアプレイン時代じだいから通算つうさんしてもシングルはつとなる全米ぜんべい11985ねん11月16にちづけ - 23にちづけ)を獲得かくとく。エアプレイン以来いらいたせなかった日本にっぽん公演こうえん実現じつげんしている。

外部がいぶライターの楽曲がっきょく中心ちゅうしんに、完全かんぜんにマーケティング主導しゅどうがた制作せいさくをする「コーポレート・ロック体制たいせい」に変更へんこう。ファンそうわった。「Sara」(1986ねん3月15にちづけ)、「Nothing's Gonna Stop Us Now(あいはとまらない)」(1987ねん4がつ4にちづけ-11にちづけ)の2きょくはNo.1ヒットになったが、熱心ねっしんなロック・ファンからは見放みはなされてしまった。1988ねん年齢ねんれい音楽おんがくせい不一致ふいっち理由りゆうに、ジェファーソン・エアプレイン時代じだいから在籍ざいせきした最後さいごのメンバーである、グレイス・スリックがライブ活動かつどうからの引退いんたい表明ひょうめい、そのまま脱退だったいしてしまう。中心ちゅうしんメンバーがミッキー・トーマスとクレイグ・チャキーソだけになったバンドは、メンバーを補充ほじゅうしながら活動かつどう継続けいぞくし、もう1まいのアルバム『Love Among The Cannibals』(最高さいこう64)は低迷ていめいし、シングル「It's Not Enough」(最高さいこう12)、「I Didn't Mean to Stay All Night」(最高さいこう75)とおもうようなヒットはせなかった。そして、1990ねん解散かいさんめた。トーマス以外いがいすべてスタジオミュージシャンを起用きようすること要求ようきゅうするほどに、レコード会社かいしゃのコントロールは熾烈しれつになり、だい企業きぎょうにより『バンドの音楽おんがくせいもミュージシャンのパーソナリティも破壊はかいされてしまった』と、1974ねんのジェファーソン・スターシップデビューから在籍ざいせきつづけた最後さいご一人ひとりであったチャキーソがのちかたっている。

一方いっぽう、カントナーは本来ほんらい自分じぶん目指めざしてきた音楽おんがくをやるためうごはじめた。ソロ活動かつどうをしていたマーティ・バリンのライブで1984ねんちゅうにははやくも共演きょうえんし、SVT(Hot Tuna解散かいさんジャック・キャサディが結成けっせい)が解散かいさんしていたジャック・キャサディもくわわって1985ねんにKBC(カントナー・バリン・キャサディ)BANDを結成けっせい。1986ねんアリスタからアルバム『KBC BAND』(全米ぜんべい最高さいこう75)を発表はっぴょうした。シングル「It's Not You, It's Not Me」がかろうじて最高さいこう89などレコードセールスてきにはるわなかったが、アルバムちゅうすうきょくで8ねんぶりにカントナー/バリンのともさく復活ふっかつしてジェファーソンの正統せいとうながれを演奏えんそうかせ、事実じじつじょうのファミリーさい結集けっしゅうとしてライブで人気にんきはくした。当時とうじ、アメリカのかかえるしょ問題もんだいをストレートにげたブルース・スプリングスティーンの「Born In The USA」やジャクソン・ブラウンの「For America」などがヒットしていた。KBC BANDでは1969ねん当時とうじのエアプレインをおもわせるような、カントナー/バリンどもさくのシングル「America(Arista AS1 9572)」を発表はっぴょう(12inchシングルやプロモーションビデオもつくられたがチャートインはならず)。これは、「ベトナム戦争せんそう問題もんだい権力けんりょくへの批判ひはん」をみながらも未来みらい肯定こうていするという内容ないようで、商業しょうぎょう成績せいせきという重石おもしれ、れてかろやかになかけてうたえるようになった久々ひさびさのカントナーらしいメッセージのきょくだった。

1987ねん、カントナーはアルバムに収録しゅうろくされていたきょく「Mariel」がきっかけで、シンガーソングライターのクリス・クリストファーソンとともニカラグア長期ちょうき滞在たいざいし、帰国きこく、ペーパーバック『Paul Kantner's Nicaragua Diary』を出版しゅっぱんした。バンドは活発かっぱつなライブ活動かつどうつづけ、2ndアルバムにとりかかったがレコード会社かいしゃのサポートはられず解散かいさんした。短期間たんきかん活動かつどうわったが、このときのメンバーが、げんジェファーソン・スターシップ(JEFFERSON STARSHIP -The Next Generation)さい結成けっせい基盤きばんにもなった。

さい結成けっせいジェファーソン・エアプレイン

編集へんしゅう

カントナーはKBC解散かいさん、ヨーマ・カウコネン、ジャックキャサディとともに「Hot Tuna with Paul Kantner」としてツアーをおこない、これがつぎ再編さいへんげき幕開まくあけとなる。1988ねん、ここに引退いんたいしたはずのグレイス・スリックもくわわり、エアプレインの4にんが16ねんぶりにかおわせた。そして1989ねんにはマーティ・バリンも参加さんか承諾しょうだくし、かつてのドラマーだったスペンサー・ドライデンをのぞ全盛期ぜんせいきの5にんでジェファーソン・エアプレインさい結成けっせい実現じつげんした。これは、スリックをふくむメンバーでバンドにもうひとはなかせようとのぞんだカントナーが奔走ほんそうして実現じつげんしたリユニオンであり、けっしてレコード会社かいしゃ主導しゅどうのイベントではなかった。アルバム『Jefferson Airplane』は最高さいこう85、シングル「Planes」「Summer Of Love」はチャートインをたせなかったが、全米ぜんべいツアーは成功せいこうおさめる。東海岸ひがしかいがんでもすうのアリーナ公演こうえんをソールドアウト、地元じもとゴールデンゲイト・パークでは65,000にん動員どういんするが、その直後ちょくごにまた活動かつどう停止ていしした。ホット・ツナ再始動さいしどうけてうごはじめたヨーマ・カウコネンとジャック・キャサディのふたたびの脱退だったい直接ちょくせつ原因げんいんになったとされる。ちなみに、カントナーのはつ来日らいにちとなるはずだった「日本にっぽん公演こうえん中止ちゅうし」になっている。

このように1985ねんから1989ねんにかけては、かつての仲間なかま同士どうし裁判さいばん沙汰ざたになったり、ふたたんだりという離合りごう集散しゅうさんうごきがはげしく、これにたいして産業さんぎょうロックのスターシップにのこったメンバーは激怒げきどしたといわれる。1989ねんのスターシップのアルバム『Love Among The Cannibals』は彼等かれら皮肉ひにくったタイトルであるとトーマスはインタビューでかたっていた。1989ねん、「スターシップ」「さい結成けっせいジェファーソン・エアプレイン」2グループが併存へいそんするかたちになった。

新生しんせいジェファーソン・スターシップ(1992ねん - 現在げんざい

編集へんしゅう

19901991ねんにかけては、カントナーはKBC BANDのキーボーディスト、ティム・ゴーマンと、ギタリスト、スリック・アギラーらとソロ・アコースティックユニットPaul Kantner's Woodenshipを全米ぜんべいでライブ活動かつどうおこなった。この当時とうじのライブは日本にっぽんけに収録しゅうろくされ、NHK-BS放映ほうえいされたことがある。

また、Paul Kantner&Female Singers Projectをげてデモ音源おんげんまで制作せいさくしたが正式せいしきには発表はっぴょうされないままになっている。ただしここには、Jefferson Starship-The Next Generationに参加さんかする女性じょせいシンガー、ダービー・グールドも参加さんかし、このとき楽曲がっきょくのスタジオさくでもげられている。

 
USA・サンタクルーズ公演こうえん (1996ねん8がつ)

1992ねん、Paul Kantner's Woodenshipの3にんに、ベースのジャック・キャサディ、フィドルのパパ・ジョン・クリーチ、しん女性じょせいシンガーに地元じもとシスコで活動かつどうしていたダービー・グールドをくわえ、ジェファーソン・スターシップ(Jefferson Starship-The Next Generation)が結成けっせいされた。よく1993ねんにはバリンもさい合流ごうりゅうし、1994ねんにはようやくのはつ来日らいにち福岡ふくおか大阪おおさか東京とうきょう)をたしている。権利けんり関係かんけい問題もんだいでエアプレインを名乗なのことはできないが、ライブでは1965ねんデビュー以来いらいかくソロ作品さくひんふくめた膨大ぼうだい楽曲がっきょく網羅もうらし、1992-2007ねんまでに21かこくけい900かいちかくがおこなわれている。またフル編成へんせいのJefferson Starship-The Next Generation、マーティとドラムスがはずれたカントナーのソロステージにちかいJefferson Starship-Acoustic Explorerの2種類しゅるいがあり、セットリストが大幅おおはばことなる。

1995ねん新曲しんきょくふくむライブCD(グレイス・スリックもゲスト参加さんか)を発表はっぴょう一部いちぶ収録しゅうろくきょく・ミックスのことなるスタジオ作品さくひん(グレイス・スリックもゲスト参加さんか)を1998ねん(ドイツばん)、1999ねん(アメリカ・日本にっぽんばん)に発表はっぴょう1999ねんには2度目どめ東京とうきょう公演こうえんおこなった。

2000ねん以降いこうには、ライブCDやDVDをマイナーレーベルや公式こうしきサイトから数多かずおお作品さくひんをリリース。2005ねんから、親交しんこうのあるロックバンド「ファミリー」のデビュー40周年しゅうねん記念きねんツアーに同行どうこう

2007ねん時点じてんでは、マーティ・バリン、ポール・カントナー、ディヴィッド・フライバーグ(2005ねん正式せいしき復帰ふっき)、ダイアナ・マンガーノ、スリック・アギラー、プレイリー・プリンス、クリス・スミス。ツアーによって、ダービー・グールド、トム・コンスタンテン、リンダ・インペリアル(クイックシルバー・ファミリーで、フライバークの夫人ふじん)、ピート・シアーズ、ピーター・カウコネン、ボビー・ヴェガ(ベーシスト)などがゲスト参加さんかしている。

 
USA・ジャクソンビル公演こうえん (2011ねん5がつ)

2008ねん、ダイアナ・マンガーノにわり、歴代れきだい5にんになる女性じょせいボーカル、キャシー・リチャードソン英語えいごばんしん加入かにゅう同年どうねん9がつ、10ねんぶりのアルバム『Jefferson Tree Of Liberty』をリリース。

2012ねん再始動さいしどうから長年ながねん在籍ざいせきしているギタリスト スリック・アギラーがやまいにより降板こうばん代役だいやくにジュード・ゴールドが加入かにゅう2016ねん1がつ28にち同日どうじつ創設そうせつメンバーのポール・カントナーと[11]初代しょだい女性じょせいボーカルのシグニー・トリー・アンダーソンが死去しきょ[12]

2018ねん創設そうせつメンバーのマーティ・バリンがしくも死去しきょした[13]

げんラインナップ

編集へんしゅう
  • ディヴィッド・フライバーグ (David Freiberg) - ベース、キーボード、ボーカル (1972ねん-1985ねん、2005ねん-)
    クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのオリジナルメンバーで、バリン脱退だったいあなめるためにシンガーとしてエアプレインに参加さんか。デビューまえには、カントナー、デビッド・クロスビーと共同きょうどう生活せいかつをしていたという、西海岸にしかいがん人脈じんみゃくにおけるかくれたレジェンドのひとり。ジェファーソン・スターシップではピート・シアーズと、ベースとキーボードのパートをって担当たんとう。シンガーとしても個性こせいてき魅力みりょくがあるといわれる。脱退だったい、1986ねんごろからはゲイリー・ダンカン(Gary Duncan)がさい編成へんせいしたクイックシルヴァー(Gary Duncan Quicksilver)のアルバム/ライブに参加さんか。2005ねんからジェファーソン・スターシップにシンガーとして正式せいしき復帰ふっきしている。
  • ドニー・ボールドウィン (Donny Baldwin) - ドラム (1982ねん-1990ねん、2007ねん-)
    通算つうさんで6代目だいめのドラマー。エルヴィン・ビショップ・バンドではミッキー・トーマスの僚友りょうゆうで、スターシップに体制たいせい変更へんこうしたのちつづ参加さんかしたが、1990ねん関係かんけい悪化あっかしたミッキーとのトラブルからバンドを脱退だったい事実じじつじょう解雇かいこ)。2005ねんには、ひさしぶりにジェファーソン・スターシップTNGにゲストとして登場とうじょう。2006ねん現在げんざいさい結成けっせいしたベイエリアのめいファンクバンド、リディア・ペンス&コールド・ブラッドでアルバム/ツアーに参加さんか。また、2007ねん以降いこうプレイリー・プリンスが、ニュー・カーズ後述こうじゅつ)のツアーによりジェファーソン・スターシップTNGを一時いちじ離脱りだつしたさいには、代役だいやく正式せいしきメンバーに復帰ふっきした。
  • クリス・スミス (Chris Smith) - キーボード (1998ねん-)
    ジェファーソン・スターシップTNGから参加さんかダイアナ・ロス・バンドとう、R&Bけいのアーティストのサポートをしていたミュージシャン。
  • キャシー・リチャードソン (Cathy Richardson) - ボーカル (2008ねん-)
    2008ねん3がつより加入かにゅうし、1999ねん以来いらいひさしぶりに開始かいしされた新作しんさくスタジオばんのレコーディングに参加さんかして以降いこうのツアーに参加さんかし、主力しゅりょく女性じょせいシンガーとして活動かつどうする。
  • ジュード・ゴールド (Jude Gold) - リード・ギター (2012ねん-)

歴代れきだいメンバー(正式せいしき在籍ざいせきした経歴けいれきがあるものすべて)

編集へんしゅう

※スターシップに在籍ざいせきしたメンバーは、スターシップ (バンド)参照さんしょう

  • ポール・カントナー (Paul Kantner) - ボーカル、ギター (1965ねん-1984ねん、1989ねん、1992ねん-2016ねん) ※2016ねん死去しきょ
    エアプレイン中期ちゅうきから実質じっしつてきにバンドのオーガナイザーとなり、1984ねんから脱退だったいしていた時期じきのぞいて現在げんざいまでの中心ちゅうしん人物じんぶつ自身じしん独特どくとくのスタイルをつが、あたらしいサウンドを導入どうにゅうすることについては、意外いがいほど許容きょよう範囲はんいひろいプロデュース感覚かんかくつミュージシャンでもある。エアプレインから大幅おおはば変化へんかしてさらに商業しょうぎょうてき成功せいこうおさめた、1970年代ねんだいのジェファーソン・スターシップも、かくメンバーの能力のうりょく的確てきかくかすことができたかれ手腕しゅわんによるところがおおきい。しかし、自身じしんのスタイル自体じたいえることを要求ようきゅうされた1980年代ねんだい変化へんかれることができず、バンド脱退だったいいたった。
    ルーツはフレッド・ニールなどにあこがれたっからのフォーキーであり、1960年代ねんだいから1970年代ねんだいのロック・レジェンド、詩人しじん作家さっか、ユニークな12げんギター奏者そうしゃ。サイエンスフィクションをあいし、ここからスターシップのコンセプトもされた。クロスビー、スティルス&ナッシュグレイトフル・デッドをはじめとするカリフォルニアしゅうのアーティストにひろ人脈じんみゃくち、かれらとの交流こうりゅうから数々かずかず作品さくひんした。2016ねん死去しきょ
  • マーティ・バリン (Marty Balin) - ボーカル、アコースティックギター(1965ねん-1971ねん、1975ねん-1979ねん、1993ねん-2008ねん) ※2018ねん死去しきょ
    ソロでレコード・デビュー、フォーク・グループ「タウン・クライアーズ」での活動かつどうとうて、1964ねん、クラブ「マトリックス」を開設かいせつ、ポール・カントナーとの出会であいからエアプレインを結成けっせい独特どくとくなハイトーンボイスをつシンガー。R&Bもこのみ、初期しょきのエアプレインでウィルソン・ピケットの「In The Midnight Hour」、1970ねんごろにはシル・ジョンスンの「You Wear Your Dresses Too Short」をカバーしている。1971ねん一時いちじ脱退だったいし、サンフランシスコ・バンドの「グルートナ (Grootna)」をプロデュースし、自身じしんのバンドである「ボデイシャスDF (Bodacious DF)」でアルバムを発表はっぴょうしたのち、ジェファーソン・スターシップに復帰ふっき。ソロ転向てんこうは1981ねんに「ハートかなしく」(日本にっぽんではオリコン洋楽ようがくシングルチャートで1981ねん10がつ19にちづけから7しゅう連続れんぞく1獲得かくとく[14])などのヒットをはなった。ジェファーソン・スターシップにヒットきょく提供ていきょうした友人ゆうじんジェシ・バリッシュのアルバム2まいでプロデューサーもつとめている。ソロ・キャリアでの成功せいこうもおさめたが、セッション・ミュージシャンをしたがえた完全かんぜんなソロ・シンガーとしてのみちかず、つね気心きごころれたバンドでうたうことをえらんだ。結局けっきょく、1993ねんよりジェファーソン・スターシップにさい合流ごうりゅうし、ソロ活動かつどう並行へいこうして継続けいぞく画家がかとしても制作せいさく活動かつどうをしている。ベイリン、ないしベーリンと表記ひょうきされることがおおかったが、実際じっさい発音はつおんはバランとバリンのあいだであり、本稿ほんこうではバリンで統一とういつした。2018ねん死去しきょ
  • ヨーマ・カウコネン (Jorma Kaukonen) - ギター、ボーカル (1966ねん-1972ねん、1989ねん
    おなじクラブに出入でいりしていたカントナーにさそわれてエアプレインに参加さんか厳密げんみつには、かれとバリン、カントナーの3にんがオリジナル・メンバー。1969ねんにジャック・キャサディとともにホット・ツナ結成けっせい。1990ねんさい結成けっせいして現在げんざい活動かつどうつづける。平行へいこうしてソロ活動かつどう精力せいりょくてきおこなう。また、ギター・キャンプを運営うんえいしてギターをおしえる活動かつどうおこなっている。「ローリング・ストーンえら歴史れきしじょうもっと偉大いだいな100にんのギタリスト」において2003ねんだい54、2011ねん改訂かいていばんでは削除さくじょされた。
  • ボブ・ハーヴェイ(Bob Harvey) - ベース (1965ねん)
    ごく初期しょき在籍ざいせきしたベーシスト。アップライトベースを使つかいオーソドックスなブルーグラスやフォーク・スタイルのバッキング演奏えんそうをした。レコーディング以前いぜんにジャック・キャサディに交代こうたいした。
  • ジェリー・ペロクィン (Jerry Peloquin) - ドラム (1965ねん)
    ごく初期しょき在籍ざいせきしたドラマー。ジャズのバックグラウンドをち、軍隊ぐんたいのバンドでドラムを担当たんとうした経歴けいれきあり、とつたえられる。レコーディング以前いぜんにスキップ・スペンスに交代こうたいした。
  • シグニー・トリー・アンダーソン (Signe Toly Anderson) - ボーカル (1965ねん-1966ねん) ※2016ねん死去しきょ
    結成けっせい女性じょせいボーカリストでフォーク/ジャズにバックグランドをつスタイル。歌唱かしょうりょくすぐれていたが、ファースト・アルバムを発表はっぴょうした直後ちょくご子育こそだてに専念せんねんするために引退いんたい脱退だったい。 ジェファーソン・スターシップTNGではなんかステージに登場とうじょうしている。2016ねん死去しきょ
  • ジャック・キャサディ (Jack Casady) - ベース (1966ねん-1972ねん、1989ねん、1992ねん-2000ねん
    エアプレイン以前いぜんはリード・ギタリストだったが、カウコネンにわれてベーシストとして参加さんか。エアプレイン解散かいさんも、カントナーとの交流こうりゅうつづいてKBC BANDやジェファーソン・スターシップTNGにも参加さんかした。2000ねん以降いこうは、サザン・グループのガヴァメント・ミュールにゲスト参加さんかしていたが、現在げんざいはホット・ツナをメインに活動かつどうつづけている。
  • アレックス・スキップ・スペンス (Alex Skip Spence) (en)- ドラム (1965ねん-1966ねん) ※1999ねん死去しきょ
    カナダ出身しゅっしん本名ほんなアレクサンダー・スペンスと表記ひょうきされる場合ばあいもある(アレックスはアレクサンダーの愛称あいしょう)。先祖せんぞにはネイティブ・アメリカン血脈けちみゃくがあり、カリフォルニアしゅうには父親ちちおやがある航空機こうくうき製造せいぞうメーカーにいたことから少年しょうねん家族かぞく移住いじゅうしている。ニックネーム「スキップ」は、るいまれ音楽おんがく才能さいのう破天荒はてんこう人柄ひとがら破綻はたんしゃ)に由来ゆらいする。本来ほんらいギタリストで、エアプレイン加入かにゅうまえ西海岸にしかいがんのフォーク・クラブ、コーヒーハウスをわたあるきそのなか、ごく初期しょきクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス活動かつどうしていたことがあるともわれている(クイックシルヴァーの歴史れきしにおいては、ほとんど重要じゅうようされていない)。ハイスクールのブラスバンドやアマチュアR&Rバンドでドラムスをたたいていた経験けいけんがある程度ていどだったが、バリンに「きみぼくのバンドのドラマーだ」とわれてドラムを担当たんとうすることになった。このとき本人ほんにんはギタリストだとしか自己じこ紹介しょうかいせず、バリンもかれ経歴けいれきまったらずにさそったという。ジェファーソン・エアプレイン脱退だったいモビー・グレープ参加さんか、のちいちにん多重たじゅう録音ろくおん(ドラムスも担当たんとう)した1971ねんソロ・アルバム『Oar(en)』を発表はっぴょうする。1999ねん死去しきょ
  • グレイス・スリック (Grace Slick) - ボーカル、ピアノ (1966ねん-1979ねん、1981ねん-1988ねん、1989ねん
    マトリックスに出演しゅつえんしていたバンド、グレート・ソサエティからかれてライブ・デビュー。アルバムは『シュールリアリスティック・ピロー』(1967ねん)から参加さんか以降いこう、バンドを象徴しょうちょうする重要じゅうよう人物じんぶつになり、女性じょせいロックスターの草分くさわてき存在そんざい。また、つねにエキセントリックな言動げんどう注目ちゅうもくびた。数々かずかずのアルバムでかれるピアノも独特どくとくなセンスがひかり、強力きょうりょくなバッキングはぶつ。ジェファーソン・スターシップTNGでは、1995ねん・2001ねんとステージに登場とうじょうしているが、原則げんそくてきには音楽おんがくかいからは引退いんたいして画家がかなどの活動かつどうをしている。
    2005ねん発売はつばいDVD、ジェファーソン・エアプレインのアンソロジードキュメンタリー『フライ〜ジェファーソン・エアプレイン・ストーリー』ないのインタビューでは「おやドイツからの移民いみん一族いちぞく銀行ぎんこう (または銀行ぎんこういん)の家庭かていそだった。メンバーたちとは『一緒いっしょた』がマーティ・バリンとは交渉こうしょう関係かんけいかった。親友しんゆうか(肉親にくしんの)おとうとみたいな存在そんざいだった」と述懐じゅっかいしていた。
    マーティ・バリン (Marty Balin)とポール・カントナー (Paul Kantner)の姓名せいめいはドイツけいえん名字みょうじで、バンドの主導しゅどうけんにぎる3にんがほぼ偶然ぐうぜんからドイツけい移民いみん末裔まつえいだった。
  • スペンサー・ドライデン (Spencer Dryden) - ドラム (1966ねん-1970ねん) ※2005ねん死去しきょ
    全盛期ぜんせいきジェファーソン・エアプレインのリズムセクションをささえた実力じつりょくドラマーで、喜劇きげきおうチャップリンおい。ジャズ出身しゅっしんらしいシャープなドラミングがバンドサウンドに特色とくしょくあたえた。脱退だったいはグレイトフル・デッドのスプリンター・バンドであるニュー・ライダース・オブ・パープル・セイジに参加さんかしてカントリーロックをながらく演奏えんそうもとクイックシルヴァーのジョン・シポリナとも活動かつどうともにした。1989ねんさい結成けっせいジェファーソン・エアプレインには不参加ふさんか。KBCバンドや現在げんざいのジェファーソン・スターシップのライブにはゲスト参加さんかしたことがある。2005ねん死去しきょ
  • パパ・ジョン・クリーチ (Papa John Creach) - ヴァイオリン (1971ねん-1975ねん、1992ねん-1994ねん
    友人ゆうじんだったジョーイ・コヴィントンに紹介しょうかいされて加入かにゅうフィドラーのいるバンドとえばカンサスイッツ・ア・ビューティフル・デイおもされるが、こちらはブルース/カントリー/ジャズなどのルーツ・ミュージックが得意とくい黒人こくじんフィドラーが西海岸にしかいがんバンドに参加さんかというのがユニークだった。並行へいこうしてホット・ツナや自分じぶんのバンド、ズールーでも活動かつどう現在げんざいだい一線いっせん活躍かつやくするブルーズ・ギタリスト、ケブ・モ(ケビン・ムーア)は、かつてズールーの一員いちいんだった。1992ねんから1994ねん死去しきょまで、げんジェファーソン・スターシップTNGに参加さんかクリーンヘッド・ヴィンスンスリム・ゲイラードなどの有名ゆうめいブルーズ/ジャイヴ・ミュージシャンとの交流こうりゅうもあり、わかころ録音ろくおんのこっている。
  • ジョーイ・コヴィントン (Joey Covington) - ドラム、ボーカル (1970ねん-1972ねん) ※2013ねん死去しきょ
    スペンサー・ドライデンの後任こうにんとしてエアプレインに参加さんか。バンドがのぞんだ、よりロックてきでタイトなリズムをもたらした。エアプレインをめたのちも、サンフランシスコのミュージシャンなどと活動かつどうつづけている。2013ねん死去しきょ[15]
  • ジョン・バーベイタ (John Barbata) - ドラム、ボーカル (1972ねん-1979ねん
    タートルズや、クロスビー、スティルス&ナッシュとの活動かつどうなどをて、エアプレインに参加さんかしたロック・ドラマー。伝説でんせつのL.A.スワンプバンドLAゲッタウェイ通称つうしょう)での活動かつどうられる。西海岸にしかいがんらしいカラっとした音色ねいろ端正たんせいなビートをたたす。交通こうつう事故じこで1978ねん活動かつどう休止きゅうし現在げんざいは、自分じぶんのバンドでローカルな活動かつどうをしている。
  • グレイグ・チャキーソ (Craig Chaquico) - ギター (1974ねん-1992ねん
    ハイスクール在籍ざいせきちゅうにプロとしてはつレコーディングを経験けいけん、1971ねんからカントナー&スリックのプロジェクトに参加さんか。エアプレインが運営うんえいするグラント・レーベル所属しょぞくのバンド、ジャックトレイラー&スティールウインド在籍ざいせきしてレコードもリリース。カントナーに才能さいのうみとめられ、のちに19さいでジェファーソン・スターシップに加入かにゅう個性こせいてきでカラフルなギターワークでバンドに新風しんぷうんだ。スターシップ解散かいさんはソロに転向てんこうし、アコースティック・アルバムを精力せいりょくてき発表はっぴょうしてグラミーしょうノミニーとなっている。自己じこのバンドでライブ活動かつどうおこなっている。
  • ピーター・カウコネン (Peter Kaukonen) - ベース、ギター (1974ねん
    ヨーマ・カウコネンの実弟じっていで、グラント・レーベルからソロ作品さくひんをリリース、カントナーのプロジェクトてジェファーソン・スターシップ初期しょきのツアーに参加さんかした。1989ねんさい結成けっせいエアプレイン・サマーツアーにはギタリストとして参加さんか、1990年代ねんだいからジェファーソン・スターシップTNGのツアーではジャック・キャサディの代役だいやくとして度々どど登場とうじょうしている。近年きんねんもシンガーソングライターとして、ソロ・アルバムをインディペンデントからリリースしている。
  • ピート・シアーズ (Pete Sears) - ベース、キーボード (1974ねん-1987ねん
    ニッキー・ホプキンスひとしおなじく英国えいこくから西海岸にしかいがんわたってたミュージシャンのひとり。1960年代ねんだいにはレ・フルール・ド・リスに一時期いちじき在籍ざいせきロッド・スチュワートとの仕事しごとでもられ、ジャーニー結成けっせい以前いぜんニール・ショーン、ドラマーのグレッグ・エリコとHappy Birthdayというトリオをんだこともあるが、このユニットは実質じっしつてきにほとんど活動かつどうしないまま空中くうちゅう分解ぶんかいしている。サンフランシスコのめいシンガー、キャシ・マクドナルドのソロにも参加さんか。1973ねん、グレースの1stソロアルバムからファミリーにくわわり、ジェファーソン・スターシップのメンバーになる。また、コパーヘッドもとクイックシルヴァーのギタリスト、ジョン・シポリナ活動かつどうしたこともある。あらゆるキーボードるい、ベース、ギターをきこなし、作曲さっきょく/アレンジにもすぐれる。近年きんねんは、一時期いちじきHot Tunaに正式せいしき参加さんかしたり、ジェファーソン・スターシップTNGのライブにゲスト参加さんかしたりしている。
  • ミッキー・トーマス (Micky Thomas) - ボーカル (1979ねん-1984ねん
    南部なんぶ出身しゅっしんで、黒人こくじんゴスペルシンガーのバックコーラスなどをて、エルヴィン・ビショップ・バンドで活躍かつやく。スリック、バリンの後釜あとがまとしてジェファーソン・スターシップに参加さんか。1985ねんごろピーター・セテラけたシカゴ参加さんか打診だしんけたが実現じつげんしなかった。近年きんねんでは自己じこのスターシップ以外いがいに、プロジェクト=オーヴァー・ジ・エッジ(2004ねん)のCDにも参加さんかしている。
  • エインズレー・ダンバー (Aynsley Dunber) - ドラム (1979ねん-1982ねん
    名門めいもんジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ出身しゅっしんで、ジェフ・ベック・グループジャーニーにも在籍ざいせきしていた英国えいこくじんめいドラマー。ジャーニー脱退だったい、ピート・シアーズの推薦すいせんでジェファーソン・スターシップに参加さんか脱退だったいは、英国えいこくバンド中心ちゅうしん活動かつどうもどり、ホワイトスネイク参加さんか度々たびたびとりざたされたレッド・ツェッペリンさい編成へんせい話題わだいでは参加さんかうわさされた。近年きんねん再編さいへんされたアニマルズのライブに参加さんかしている。
  • ティム・ゴーマン (Tim Gorman) - キーボード、ボーカル (1985ねん-1987ねん、1990ねん-1995ねん
    1982ねんザ・フーのアルバム制作せいさくとツアーに参加さんか、1985ねんKBC BAND参加さんか。1992ねんジェファーソン・スターシップTNG参加さんかニッキー・ホプキンスやピート・シアーズをおもわせるピアノプレイが秀逸しゅういつ
  • スリック・アギラー (Mark "Slick" Aguilar) - ギター、ボーカル (1985ねん-1987ねん、1990ねん-2012ねん、2014ねん)
    ジェファーソン・スターシップTNGのリードギタリスト。マイアミスタジオ・ミュージシャン出身しゅっしんで、KC&ザ・サンシャイン・バンドなどに参加さんか。1980年代ねんだいにバリンのソロ、デヴィッド・クロスビーひとし活動かつどう。1985ねんKBC参加さんか以降いこう、カントナー、バリンの右腕うわんとして活動かつどうともにしている。病気びょうき療養りょうようのため2012ねんよりツアーには不参加ふさんかだったが、2014ねん8がつのライブに客演きゃくえん
  • ブレット・ブルームフィールド (Blett Bloomfield) - ベース (1988ねん-1990ねん、1992ねん
    1987ねん、グレイス・スリックのソロ・アルバムに参加さんかしたのち、ピート・シアーズがけたスターシップに参加さんか。1992ねんにはさい編成へんせいスターシップに一時いちじ参加さんかした。
  • マーク・モーガン (Mark morgan) - キーボード (1988ねん-1990ねん)
    ピート・シアーズの脱退だったい、スターシップに参加さんか
  • ダービー・グールド (Darby Dould) - ボーカル (1992ねん-1995ねん、2008ねん)
    サンフランシスコで人気にんきのあった、ワールド・エンタテインメント・ウォー(World Entertainmennt War)から、ポール・カントナー&フィーメイル・シンガーズ・プロジェクトに参加さんかしたのち、ジェファーソン・スターシップTNGに。ライブ・アルバム『Deep Space/Virgin Sky』でCDデビュー。その脱退だったいするが『ウィンドウズ・オブ・ヘヴン』にもトラック8でゲスト・ボーカルとして参加さんか近年きんねんふたたびライブに登場とうじょうし、ダイアナ・マンガーノとのツインボーカルも復活ふっかつしている。
  • プレイリー・プリンス (Prarie Prince) - ドラム (1992ねん-2008ねん)
    ジェファーソン・スターシップTNGから参加さんか通算つうさん7にんで、一番いちばんながくドラマーのについている。かつてジャーニーのメジャー・デビュー以前いぜん前身ぜんしんバンドであったゴールデン・ゲート・リズムセクション在籍ざいせき。サンフランシスコのニュー・ウェイヴ・グループであったThe TUBESのオリジナルメンバー。ジェームズ・ギャングやディープ・パープルのギタリストだったトミー・ボーリンのファースト・ソロ・アルバムにも参加さんかトッド・ラングレンのサポートでも活動かつどう現在げんざいは、リック・オケイセックきでトッド・ラングレンをフロントマンにえてさい結成けっせいしたニュー・カーズのアルバム/ツアーにも正式せいしき参加さんかしているなど、多彩たさい活動かつどうれきつ。なお、さい結成けっせいカーズへの加入かにゅうともない、現在げんざい正式せいしきメンバーではないが、時折ときおりジェファーソン・スターシップTNGのライブにもゲスト出演しゅつえんしている。
  • ダイアナ・マンガーノ (Diana Mangano) - ボーカル (1993ねん-2008ねん)
    1993ねん開催かいさいされたWoodstock-Mexicoでジェファーソン・スターシップTNGのシンガーとしてデビュー。カントナーにデモ・テープをわたしてファンからメンバーになった。当初とうしょはダービー・グールドとのツインボーカルでステージにったが、ダービー脱退だったいはメインボーカルとなる。
  • ゲイリー・キャンブラ (Gary Cambra) - キーボード (1995ねん-1996ねん
    ジェファーソン・スターシップTNGから参加さんか西海岸にしかいがんでは、TV番組ばんぐみ音楽おんがく監督かんとくとしてもられる人物じんぶつ
  • T・ラヴィッツ (T Lavitz) - キーボード (1996ねん-1998ねん
    ジェファーソン・スターシップTNGから参加さんかスティーヴ・モーズげんディープ・パープル)が在籍ざいせきしていたディキシー・ドレッグスもとメンバー。

ディスコグラフィ

編集へんしゅう
  • アルバムはベストばんのぞく/はつリリースねん記載きさい/太字ふとじはオリジナルスタジオ作品さくひん

(シングルはUS初回しょかいリリースどおり常盤ときわのみ)

ジェファーソン・エアプレイン アルバム

編集へんしゅう
  • 1966/RCA Jefferson Airplane Takes Off
  • 1967/RCA Surrealistic Pillow
  • 1967/RCA After Bathing at Baxter's
  • 1968/RCA Crown of Creation
  • 1969/RCA Bless Its Pointed Little Head
  • 1969/RCA Volunteers
  • 1971/GRUNT Bark
  • 1972/GRUNT Long John Silver
  • 1973/GRUNT Thirty Seconds Over Winterland
  • 1974/GRUNT Early Flight (スタジオ発表はっぴょうきょくしゅう
  • 1990/Thunderbolt Live At the Monterey Festival
  • 1998/BMG Live At The Fillmore East 1968
  • 2006/CHARLY At Golden Gate Park, May 7 1969
  • 2007/CHARLY Last Flight at Winterland Arena 22/09/1972
  • 2007/Legacy-SONY USA Sweeping Up the Spotlight At the Fillmore East 1969
  • 2007/CHARLY At The Family Dog Ballroom sept.1969 feat. Jerry Garcia

ポール・カントナーのプロジェクト アルバム

編集へんしゅう
  • 1970/GRUNT Blows Against The Empire / Paul Kantner Jefferson Starship
  • 1971/GRUNT Sunfighter / Paul Kantner& Grace Slick
  • 1973/GRUNT Baron Von Tollbooth & The Chrome Nun / Kantner,Slick & Freiberg
  • 1973/GRUNT Manhole / Grace Slick
  • 1983/GRUNT Planet Earth Rock And Roll Orchestra / Paul Kantner(feat,JS)

ジェファーソン・スターシップ アルバム

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  • 1974/GRUNT Dragon Fly
  • 1975/GRUNT Red Octopus
  • 1976/GRUNT Spitfire
  • 1978/GRUNT Earth
  • 1979/GRUNT Freedom At Point Zero
  • 1981/GRUNT Modern Times
  • 1982/GRUNT Winds Of Change
  • 1984/GRUNT Nuclear Furniture

スターシップ アルバム

編集へんしゅう
  • 1985/GRUNT Knee Deep In The Hoopla (フープラ)
  • 1987/GRUNT No Protection
  • 1989/RCA Love Among The Cannibals

KBC バンド アルバム

編集へんしゅう
  • 1986/ARISTA KBC Band

ジェファーソン・エアプレイン(さい結成けっせい) アルバム

編集へんしゅう
  • 1989/EPIC Jefferson Airplane

ジェファーソン・スターシップ(さい結成けっせい) アルバム

編集へんしゅう
  • 1995/INTERSOUND Deep Space/Virgin Sky (新曲しんきょくふくむLive)
  • 1998/SPV Windows Of Heaven (GER Ver.)
  • 1999/CMC Windows Of Heaven (USA Ver./Japan Ver.)
  • 1999/CMC Greatest Hits Live At The Fillmore (Live)
  • 2001/CIA B.B.King's Blues Club 10-31-00 (Live)
  • 2001/CIA Vinoy Park 11-11-00 (Live)
  • 2001/ZEBRA Across The Sea Of Suns (Live)
  • 2003/RAINMAN Deeper Space/Extra Virgin Sky (Live)(1995ねんばん完全かんぜん収録しゅうろくばん
  • 2008/GRA Jefferson's Tree of Liberty

以下いか限定げんてい発売はつばい・CD-R仕様しよう

  • 2003/CIA Post 911-9.19.2001 Vincent's at Randolph,Ma. (Live)
  • 2003/CIA Post 911-9.21.2001 NJ Harley Pistol Grip Rally-Seaside Heights,NJ (Live)
  • 2003/CIA Post 911-11.02.2001 Mystic Theatre-Petaluma,CA (Live)
  • 2003/CIA Post 911-11.10.2001 Chameleon Club-Lancaster,PA (Live)
  • 2003/CIA Post 911-11.13.2001 Rechter Theater-Towson,MD (Live)
  • 2003/CIA Post 911-11.19.2001 The Turning Point-Piermont,NY (Live)
  • 2003/CIA UK 10-27-2002 Cardiff,Wales (Live)
  • 2003/CIA UK 10-28-2002 The Stables Wavendon (Live)
  • 2003/CIA UK 10-29-2002 Newcastle Opera House (Live)
  • 2003/CIA UK 10-31-2002 The Mean Fiddler London (Live)
  • 2003/CIA UK 11-01-2002 Bilston,England Robin2 (Live)
  • 2003/CIA UK 11-02-2002 Southampton,England The Brook (Live)
  • 2003/DISCLIVE Live 6/6/2003 (Live)
  • 2003/DISCLIVE Live 6/7/2003 8:00PM (Live)
  • 2003/DISCLIVE Live 6/7/2003 10:30PM (Live)

ジェファーソン・エアプレイン シングル

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  • 1966 It's No Secret / Runnin' Round This World
  • 1966 Come Up the Years / Blues from An Airplane
  • 1966 Bringing Me Down / Let Me In
  • 1967 My Best Friend / How Do You Feel
  • 1967 Somebody to Love (あなただけを) / She Has funny Cars #5 US
  • 1967 White Rabbit / Plastic Fantastic lover #8 US
  • 1967 Ballad of You and Me and Pooneil / Two Heads #42 US
  • 1967 Watch Her Ride / Martha #61 US
  • 1968 Greasy Heart / Share A Little Joke #98 US
  • 1968 Crown of Creation / Lather #64 US
  • 1969 The Other Side of This Life / Plastic Fantastic Lover
  • 1969 Volunteers / We Can Be Together #65 US
  • 1970 Have You Seen the Saucers? / Mexico
  • 1971 Pretty as You Feel / Wild Turkey #60 US
  • 1971 Long John Silver / Milk Train
  • 1972 Twilight Double Leade / Trial By Fire

プロジェクト シングル

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  • 1970 Child Is Coming / Let's Go Together
  • 1971 Sunfighter / China

ジェファーソン・スターシップ シングル

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  • 1974 Ride the Tiger / Devils Den #84 US
  • 1975 Caroline / Be Young You
  • 1975 Miracles / Ai Garimasu #3 US
  • 1975 Play on Love / I Want To See Another World #49 US
  • 1976 With Your Love / Switchblade #12 US
  • 1976 St. Charles / Love Lovely Love #64 US
  • 1977 Count on Me / Show Yourself #8 US
  • 1977 Runaway / Hot water #12 US
  • 1978 Crazy Feelin / Love Too Good #54 US
  • 1978 Light the Sky on Fire / Hyper Drive #66 US
  • 1979 Jane / Freedom At Point Zero #14 US
  • 1980 Girl with the Hungry Eyes / Just The same #55 US
  • 1980 Rock Music / Lightning Rose
  • 1981 Find Your Way Back / Modern Times #29 US
  • 1981 Stranger / Free #48 US
  • 1981 Save Your Love / Wild Eyes
  • 1982 Be My Lady / Out of Control #28 US
  • 1982 Winds of Change / Black Widow #38 US
  • 1983 Can't Find Love / I Will Stay
  • 1984 No Way Out / Rose Goes to Yale #23 US
  • 1984 Layin' It on the Line / SHow Down #66 US

スターシップ シングル

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  • 1985 We Built This City(シスコはロック・シティ) #1 US
  • 1985 Sara(セーラ) #1 US
  • 1986 Tomorrow Doesn't Matter Tonight #26 US
  • 1986 Before I Go #68 US
  • 1987 Nothing's Gonna Stop Us Now (あいはとまらない) #1 US - 映画えいがマネキン主題歌しゅだいか (ダイアン・ウォーレンさく)
  • 1987 It's Not Over Til It's Over #9 US
  • 1987 Beat Patrol #46 US
  • 1987 Set the Night to Music
  • 1988 Wild Again #73 US
  • 1989 It's Not Enough (CD single) #12 US
  • 1989 I Didn't Mean to Stay All Night (CD single) #75 US
  • 1989 I'll Be There (CD single)
  • 1991 Good Heart (CD single) #81 US

KBC バンド シングル

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  • 1986 America/WRECKING CREW
  • 1986 It's Not You, It's Not Me / Dream Mortorcycle
  • 1986 Hold Me

ジェファーソン・エアプレイン(さい結成けっせい) シングル

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  • 1989 Summer of Love
  • 1989 Planes
  • 1989 True Love

ジェファーソン・スターシップ(さい結成けっせい) シングル

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  • 1999 Let Me Fly

関連かんれん項目こうもく

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参考さんこう文献ぶんけん

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Take Me to a Circus Tent: The Jefferson Airplane Flight Manual / Craig Fentonちょ (Infinity Pub, USA 2006)

Got A Revolution! The Turbulent Flight of Jefferson Airplane / Jeff Tamarkinちょ (ATRIA BOOKS, USA 2003)

We All Are One / Gianluigi Blasi ちょ (Sonic Book - Stampa Alternativa, Italy 1996)

ストレンジ・デイズ 2008ねん3がつごう / ジェファーソン・スターシップ記事きじ (ストレンジデイズかん, 2008)

ストレンジ・デイズ 2005ねん9がつごう / ジェファーソン・エアプレイン特集とくしゅう (ストレンジデイズかん, 2005)

レコード・コレクターズ 1987ねん8がつごう / サンフランシスコ・サウンド(1) ジェファスン・エアプレイン (ミュージック・マガジンかん, 1987)

レコード・コレクターズ増刊ぞうかん / アメリカン・ロック Vol.1 (ミュージック・マガジンかん, 1992)

POP-SICLE (ポップシクル) Vol.4 No.10, December 1979 (ポップシクル 木崎きざき義二よしじ かん, 1979)

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ローリング・ストーンズ、アニマルズ、キンクス、ザ・フーなど、おおくのUKバンドがアメリカのチャートでヒットをはなった。
  2. ^ グレイトフル・デッドやベルベット・アンダーグラウンドも同様どうようのステージをせていた。
  3. ^ スリックはインタビューで「ドイツ移民いみん末裔まつえい」とこたえている。家系かけい由来ゆらいべつとしてバリン、カントナーという姓名せいめいはドイツじんとそのねやばつおおくみられる。
  4. ^ 不思議ふしぎくにのアリス』と、ドラッグをテーマにしているものとられている。
  5. ^ ジミヘンドリクス、ジャニス・ジョプリン、サンタナら30くみ以上いじょう出演しゅつえんやく40まんにんあつめたともわれる。
  6. ^ エルヴィン・ビショップの76ねんのヒットきょくのヴォーカルを担当たんとうしていた。
  7. ^ つづく「アトランタ・レイディ」もヒットさせている。

出典しゅってん

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  1. ^ Hall, Mitchell K. (2014). The Emergence of Rock and Roll: Music and the Rise of American Youth Culture. Oxfordshire: Taylor & Francis. p. 144. ISBN 978-1-135-05357-4 
  2. ^ Citron, Stephen (2008). Songwriting: A Complete Guide to the Craft. Limelight. p. 63. ISBN 978-0-879-10716-1 
  3. ^ Ruhlmann, William. Jefferson Airplane Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2023ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  4. ^ Ruhlmann, William. Jefferson Starship Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2023ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  5. ^ Mikiki編集へんしゅう (2022ねん11月25にち). “ジェファーソン・スターシップ(Jefferson Starship)が来日らいにち 伝説でんせつてきアメリカンロックバンドのなま演奏えんそうをビルボードライブで体感たいかんしよう”. Mikiki. タワーレコード. 2023ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  6. ^ Buckley, Peter, ed (2003). The Rough Guide to Rock. London: Rough Guides. p. 507. ISBN 978-1-843-53105-0 
  7. ^ 書籍しょせき「Got a Revolution!」Jeff Tamarkin
  8. ^ 「Jeffarson Airplane Unauthorized」 RB Grimm
  9. ^ Somebody to Love All Music 2020ねん12月7にち
  10. ^ http://www.allmusic.com/album/miracles-mw0000232168
  11. ^ ジェファーソン・エアプレインのポール・カントナー、死去しきょ”. BARKS (2016ねん1がつ29にち). 2018ねん9がつ30にち閲覧えつらん
  12. ^ ジェファーソン・エアプレインの結成けっせいメンバーであった女性じょせいヴォーカリストのシグニー・トリー・アンダーソンが死去しきょ”. amass (2016ねん1がつ31にち). 2018ねん9がつ30にち閲覧えつらん
  13. ^ ジェファーソン・エアプレインの創設そうせつメンバー、マーティ・バリン、死去しきょ”. BARKS (2018ねん9がつ29にち). 2018ねん9がつ30にち閲覧えつらん
  14. ^ オリコンのデータ協力きょうりょくによる “全曲ぜんきょく、80年代ねんだい週間しゅうかんオリコンチャートNo.1” の洋楽ようがくコンピが登場とうじょう、ソニーミュージック、2017ねん8がつ8にち
  15. ^ ジェファーソン・エアプレインやホット・ツナでも活躍かつやくしたドラマーのジョーイ・コヴィントンが死去しきょ”. amass (2013ねん6がつ6にち). 2018ねん9がつ30にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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