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フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング - Wikipedia

フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング

かつて存在そんざいした日本にっぽんのプロレス団体だんたい

フロンティア・マーシャルアーツ・レスリングは、かつて存在そんざいした日本にっぽんプロレス団体だんたい略称りゃくしょうFMW(エフ・エム・ダブリュー)。コンセプトは「おもちゃばこをひっくりかえしたような団体だんたい」。FMWの崩壊ほうかい設立せつりつされたスーパーFMW(スーパー・エフ・エム・ダブリュー)、ちょう戦闘せんとうプロレスFMW(ちょうせんとうプロレス・エフ・エム・ダブリュー)、FMWE(エフ・エム・ダブリュー・イー、エフ・エム・ダブリュー・エクスプロージョン)についても記述きじゅつしている。

フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング株式会社かぶしきがいしゃ
Frontier Martialarts Wrestling Co., Ltd.
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
略称りゃくしょう FMW
本店ほんてん所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
東京とうきょう目黒めぐろ下目黒しもめぐろ2-23-15
設立せつりつ 1995ねん8がつ7にち
業種ぎょうしゅ サービスぎょう
事業じぎょう内容ないよう プロレスの興行こうぎょう
関連かんれん企画きかく運営うんえい
代表だいひょうしゃ 代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょう 荒井あらい昌一しょういち
資本しほんきん 1,000まんえん(2015ねん1がつ20にち現在げんざい
関係かんけいする人物じんぶつ だい仁田にったあつし創設そうせつしゃ
特記とっき事項じこう
1989ねん7がつ28にち、FMW株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつ
1995ねん8がつ7にち、フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつ。いわゆる「新生しんせいFMW」。
2002ねん2がつ15にち、2度目どめ不渡ふわたりをして事実じじつじょう倒産とうさん
2015ねん1がつ20日はつか休眠きゅうみん会社かいしゃのみなし解散かいさん
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概要がいよう

編集へんしゅう

日本にっぽんにおけるインディー団体だんたい草分くさわてき存在そんざい日本にっぽんはじめて男女だんじょ混合こんごう試合しあい男女だんじょミゼット混合こんごう試合しあい女子じょし選手せんしゅだけの単独たんどく興行こうぎょうがける男女だんじょ混合こんごうプロレス団体だんたいでもあり、ハードコアスタイル先駆せんくてき存在そんざいでもあった[1]。FMWの成功せいこうはインディー団体だんたい乱立らんりつまねくことになり、1990年代ねんだい以降いこう日本にっぽんのプロレスかい団体だんたい時代じだいむかえる影響えいきょうおよぼした。

だい仁田にったあつし体制たいせい

編集へんしゅう

1989ねん7がつ28にちだい仁田にったあつし赤坂あかさか全日空ぜんにっくうホテル記者きしゃ会見かいけんおこなって手元てもとにあったぜん財産ざいさん5まんえん資金しきん設立せつりつ。10月6にち露橋つゆはしスポーツセンター、10がつ10日とおか後楽園こうらくえんホール旗揚はたあせん開催かいさい旗揚はたあげ2連戦れんせんには「格闘技かくとうぎ祭典さいてん(1989ねん7がつ2にち開催かいさい)」で大仁田おおにた遺恨いこん勃発ぼっぱつした青柳あおやぎ政司せいじとのこうそうじくターザン後藤ごとう栗栖くりすただししん徳田とくた光輝みつてる松永まつなが光弘みつひろらが参戦さんせん初期しょきはボクシング、キックボクシング、ムエタイ、テコンドー、サンボ、空手からて柔道じゅうどうなどプロレス以外いがい選手せんしゅ参戦さんせんして異種いしゅ格闘技かくとうぎせんてき要素ようそつよかった。しかし、その意味いみけは隆盛りゅうせいだったUWFへの対抗心たいこうしん(あるいは皮肉ひにく)によるところがおおきかった。

資金しきんなんはじ様々さまざまめん既存きそんメジャー団体だんたいおとっていたFMWがえらんだのは「なんでもあり」をキーワードにしてアイデアで勝負しょうぶするみちだった。FMWの看板かんばん位置付いちづけてったのがデスマッチ日本にっぽんはつ様々さまざまなデスマッチ形式けいしき試合しあい敢行かんこうしていた。1990ねん1がつ7にち後楽園こうらくえんホール大会たいかいでプロレス、キックボクシング、テコンドー、サンボの選手せんしゅきそう「総合そうごう格闘技かくとうぎオープントーナメント」を開催かいさい栗栖くりすがイス攻撃こうげき駆使くしして優勝ゆうしょう。8月4にちレールシティ汐留しおどめ大会たいかい開催かいさいした大仁田おおにたたい後藤ごとうによるノーロープ有刺鉄線ゆうしてっせん電流でんりゅう爆破ばくはデスマッチでFMWの浮沈ふちんをもけた。その思惑おもわくたって一躍いちやく注目ちゅうもくびるようになったFMWは一大いちだいセンセーションをんでUWFをのぞけばメジャー団体だんたいだったしん日本にっぽんプロレス全日本ぜんにほんプロレス匹敵ひってきするだい3勢力せいりょくになった。

大仁田おおにたはFMWの宣伝せんでん目的もくてきもあってテレビなどのメディアに出演しゅつえんしてタレントみの知名度ちめいどたことでFMWの知名度ちめいど全国ぜんこくになってニュース番組ばんぐみTBS番組ばんぐみギミア・ぶれいく」などでドキュメンタリーが放送ほうそうされた。1991ねん9月23にちはつ川崎球場かわさききゅうじょう大会たいかい開催かいさい同日どうじつやく10kmはなれた場所ばしょではしん日本にっぽんプロレス横浜よこはまアリーナ大会たいかい開催かいさいされて1まん8せんにんもの観客かんきゃく動員どういんしたこともあって「時期じき尚早しょうそうでは」とわれた。しかし、ぶたけてみればやく3まん3せんにん動員どういん成功せいこう。11月20にちから12月8にち、プロレス、ボクシング、キックボクシング、テコンドー、サンボ、柔道じゅうどう選手せんしゅきそう「世界せかい最強さいきょう総合そうごう格闘技かくとうぎタッグリーグせん」を開催かいさい東京とうきょうベイNKホール大会たいかい優勝ゆうしょう決定けっていせんおこなわれて大仁田おおにた&後藤ごとうぐみ優勝ゆうしょう1992ねん5月6にちニチイ三田みたみせ駐車ちゅうしゃじょう特設とくせつ会場かいじょう大会たいかい大仁田おおにた&後藤ごとうぐみたいザ・シーク&サブゥーくみせんによるファイヤーデスマッチ日本にっぽんはじめてっておおきな話題わだいになった。しかし、予想よそう以上いじょういきおいがつよすぎて選手せんしゅさんかけ状態じょうたいになり、シークがだい火傷かしょううなどで試合しあい不成立ふせいりつになった。9月19にちはつ横浜よこはまスタジアム大会たいかい開催かいさい。11月20にちから12月7にち、「世界せかい最強さいきょうストリートファイトタッグリーグせん」を開催かいさい大阪おおさか府立ふりつ体育たいいく会館かいかん大会たいかいでノーロープ有刺鉄線ゆうしてっせんバリケードマットトルネードタッグデスマッチによる優勝ゆうしょう決定けっていせんおこなわれて大仁田おおにた&グリゴリー・ベリチェフくみ優勝ゆうしょう試合しあい終了しゅうりょう大仁田おおにた道頓堀どうとんぼりがわんだ。

1993ねん5月5にちに2度目どめ川崎球場かわさききゅうじょう大会たいかい、8がつ22にちはつ阪急はんきゅう西宮にしのみやスタジアム大会たいかい開催かいさいして経営けいえい規模きぼ順調じゅんちょう拡大かくだいしていった。その一方いっぽう全国ぜんこく日本にっぽん各地かくち駐車ちゅうしゃじょうちいさな興行こうぎょうかさず開催かいさいして津々浦々つつうらうらにファンをやしていった。デスマッチ中心ちゅうしんのプロレス団体だんたいとして1991ねん5がつ分裂ぶんれつした代表だいひょう大迫おおさこ和義かずよし、レフェリーの川並かわなみまさし、リングアナウンサーのだいたから拓治たくじ、ブッカーの茨城いばらぎ清志きよしミスター・ポーゴらがひきいるW★INGプロモーションとははげしい興行こうぎょう戦争せんそうになったが、資金しきんめんおとるW★INGから看板かんばん選手せんしゅのポーゴをがえしてW★INGを壊滅かいめつさせてインディー団体だんたい最高峰さいこうほうった。

1994ねん1がつ7にちから1がつ18にち、「有刺鉄線ゆうしてっせんタッグトーナメント」を開催かいさい三郷みさと総合そうごう体育館たいいくかん大会たいかい優勝ゆうしょう決定けっていせんおこなわれてザ・グラジェーター&ビッグ・タイトンくみ優勝ゆうしょう。5月5にちFMW川崎球場かわさききゅうじょう大会たいかいみずからの土俵どひょうである電流でんりゅう爆破ばくはマッチにみながらも天龍てんりゅう源一郎げんいちろうやぶれた大仁田おおにた引退いんたい決意けつい日本にっぽん全国ぜんこくで1年間ねんかんの「日本にっぽん全国ぜんこく縦断じゅうだん だい仁田にったあつしメモリアル引退いんたいツアー」がおこなわれた。1995ねん5月5にち川崎球場かわさききゅうじょう大会たいかい大仁田おおにた引退いんたい試合しあいおこなった。対戦たいせん相手あいて当初とうしょ後藤ごとう予定よていだったが4がつ23にち馬込まごめ東京とうきょうイン・アネックス後藤ごとうミスター雁之助がんのすけ市原いちはら昭仁あきひと記者きしゃ会見かいけんおこなって退団たいだんすることを発表はっぴょう[2]対戦たいせん相手あいて再考さいこう余儀よぎなくされた大仁田おおにた名乗なのりをげていた東京とうきょうプロレス石川いしかわたかし指名しめい。しかし、試合しあい調印ちょういん直前ちょくぜん名乗なのりをげた大仁田おおにた弟子でし次代じだいエースであるハヤブサ石川いしかわ了解りょうかい大仁田おおにた引退いんたい試合しあいおこなった。大仁田おおにた引退いんたい代表だいひょう退任たいにんしてFMWと無関係むかんけいになった。

荒井あらい昌一しょういち体制たいせいによる「新生しんせいFMW」

編集へんしゅう

1995ねん8がつ7にちあらたに運営うんえい会社かいしゃ設立せつりつしてリングアナウンサーけん企画きかく部長ぶちょうでFMWの関連かんれん子会社こがいしゃ「FMWクリエイティブ」の取締役とりしまりやく広報こうほう部長ぶちょうだった荒井あらい昌一しょういち代表だいひょう就任しゅうにんしん会社かいしゃかぶ割合わりあい大仁田おおにたが53%、荒井あらいが47%だった[3]。「大仁田おおにたがいなければFMWは3ヶ月かげつつぶれる」というようなこえをよそに大仁田おおにた引退いんたいもFMWはちこたえた。5月28にち後楽園こうらくえんホール大会たいかい皮切かわきりにハヤブサを中心ちゅうしんW★ING金村かなむら黒田くろだあきらひろ田中たなか正人まさと工藤くどうめぐみらのわかちから活力かつりょくよみがえらせて大仁田おおにた体制たいせい胡散臭うさんくささ、あやしさをしたスタイルとはことなる試合しあいおこなってのちハードコアスタイルばれるはげしいたたかいがファンの支持しじた。ハヤブサがうで負傷ふしょうして半年はんとし欠場けつじょうあいだ金村かなむら田中たなかによるライバルストーリーがファンの支持しじてパワーはちなかった。

1996ねん5月5にち川崎球場かわさききゅうじょう大会たいかいのメインイベントでハヤブサ&田中組たなかぐみたいポーゴ&テリー・ファンクくみせんおこなってビッグマッチを成功せいこうさせた。しかし、もう1スポットライトをびたいとねが大仁田おおにた復帰ふっき画策かくさく。12月11にち、ポーゴを引退いんたいさせてポーゴの最後さいごねがいとして大仁田おおにたとのタッグ結成けっせいをファンにうというアングル駒沢こまざわオリンピック公園こうえん体育館たいいくかん大会たいかい強引ごういん復帰ふっき。このころからハヤブサ、金村かなむら田中たなかわか世代せだい期待きたいする路線ろせん創始そうししゃ大仁田おおにたへの回帰かいき路線ろせんという2つの方向ほうこうせいまれてFMWは混乱こんらんはじめた。大仁田おおにた突然とつぜんZENという団体だんたいない団体だんたい設立せつりつしたのも2つの方向ほうこうせい両立りょうりつさせようとするFMWのフロントによる苦心くしん結果けっかである[4]。また、経営けいえいじん大仁田おおにたあいだには大仁田おおにた給料きゅうりょうめぐって金銭きんせんトラブルが多発たはつしていたとされる。1997ねんWAR退団たいだんした冬木ふゆき弘道ひろみち邪道じゃどう外道げどう参戦さんせんして金村かなむら雁之助がんのすけらとユニット「TNR」を結成けっせいしてFMWの歴史れきしじょうでももっと存在そんざいかんおおきなユニットになった。

ディレクTVとの契約けいやく - エンターテイメント路線ろせん

編集へんしゅう

日本にっぽん進出しんしゅつはかったディレクTVがキラーコンテンツの1つとしてFMWをえらんだ[5]1998ねん3月、3ねん3おくえん契約けいやくしてテレビ放映ほうえいにしてFMWは最大さいだいのインディー団体だんたいわれるようになる。契約けいやくむすんだFMWは制作せいさく提供ていきょうけてグレードアップしたエンターテイメント路線ろせんはしはじめた。4月30にち横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん大会たいかいでエンターテイメント路線ろせんだい1だんとしてハヤブサたい雁之助がんのすけ大仁田おおにたたい冬木ふゆき田中たなかたいバンバン・ビガロ黒田くろだ&グラジエーターぐみたいスーパー・レザー&ホーレス・ボウダー英語えいごばんくみ金村かなむらたい新崎あらさき人生じんせいなどがおこなわれて、いずれもこう勝負しょうぶになった。5月、荒井あらい所属しょぞく選手せんしゅ一丸いちがんになって大仁田おおにたたいして撤退てったい要求ようきゅう。11月20にち横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん大会たいかい最後さいご大仁田おおにたはFMWをはなれた。

1999ねん3月29にちから5がつ3にち、「FMW統一とういつ機構きこう最強さいきょうタッグリーグせん」を開催かいさい愛知あいちけん武道館ぶどうかん大会たいかい優勝ゆうしょう決定けっていせんおこなわれて黒田くろだ&田中組たなかぐみ優勝ゆうしょう。5月5にち横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん大会たいかいからエンターテイメント路線ろせんにシフトチェンジをおこなって、6月15にち後楽園こうらくえんホール大会たいかい敗者はいしゃドッグフードマッチ(敗者はいしゃはドッグフードをべる)、8がつ20日はつか後楽園こうらくえんホール大会たいかいで「おばけ屋敷やしき」と銘打めいうった企画きかく興行こうぎょう試合しあい会場かいじょうに、お屋敷やしきをイメージしたかざけがされていた)、10月29にち後楽園こうらくえんホール大会たいかい敗者はいしゃ肛門こうもん爆破ばくはマッチ(敗者はいしゃ肛門こうもんにダイナマイトをけて爆破ばくはさせる。ちなみに試合しあい結果けっかはノーコンテスト)など、これまでの日本にっぽんではかんがえられなかったショー要素ようそつよいプロレスを展開てんかい。さらにAV男優だんゆうチョコボール向井むかい、AV女優じょゆう若菜わかな瀬奈せな演歌えんか歌手かしゅ谷本たにもと知美ともみなどのプロレス経験けいけんがない素人しろうとまでを試合しあい参加さんかさせてファンの話題わだい反発はんぱつんだ。10月29にち後楽園こうらくえんホール大会たいかいHにせハヤブサ乱闘らんとうこして一般人いっぱんじんはおろか杉作すぎさくJ太郎たろうまでもまれて警備けいびいん制止せいしされる羽目はめになった(さらにHがディレクTVの1000まんえん相当そうとう業務ぎょうむようビデオカメラをはたこわしたりもしている)。11月23にち横浜よこはまアリーナ大会たいかいドリー・ファンク・ジュニアテリー・ファンクショーン・マイケルズボールズ・マホーニーレイヴェントミー・ドリーマーウィリー・ウィリアムスマリア・ホサカジャズ招聘しょうへいして旗揚はたあげ10周年しゅうねん記念きねん大会たいかい開催かいさいしたが興行こうぎょうてきには失敗しっぱい経営けいえい状態じょうたい一気いっき悪化あっかしていった。

ディレクTVの撤退てったい - 迷走めいそう

編集へんしゅう

2000ねん3月、ディレクTVが業績ぎょうせき不振ふしんのため、日本にっぽんでの事業じぎょう続投ぞくとう断念だんねんしてスカイパーフェクト・コミュニケーションズ事実じじつじょう統合とうごうになった。FMWのPPV放送ほうそうスカイパーフェクTV!がれたが放映ほうえいけんりょう大幅おおはばがって経営けいえい悪化あっか一気いっき拍車はくしゃがかかった状況じょうきょうになった。

2001ねん3月5にち後楽園こうらくえんホール大会たいかいでネイキッドマンマッチ(敗者はいしゃ全裸ぜんらになる)がおこなわれてファンはおろかマスコミからも反発はんぱつけた。荒井あらい自著じちょで「失笑しっしょうすらおきないだい顰蹙ひんしゅくい、さらにネイキッドマンマッチにかんしては事前じぜんに「敗者はいしゃ全裸ぜんらにする」と告知こくちしていたため、試合しあい会場かいじょう私服しふく警官けいかんあらわれてしをけた」とべている。さらに観客かんきゃくまえ荒井あらいたいしてにせ尿にょうびせるといった下品げひんなストーリー展開てんかいおこなわれた。このような事態じたいがFMWの迷走めいそうぶりをしめしていたとえる。8月11にち駒沢こまざわオリンピック公園こうえん体育館たいいくかん大会たいかい話題わだいづくりのためか荒井あらいひきいる正規せいきぐん3にん(ハヤブサ、黒田くろだバイオモンスターDNA)、冬木ふゆきぐん冬木ふゆき金村かなむら雁之助がんのすけ)によるFMW会社かいしゃ経営けいえいけん強奪ごうだつ株式かぶしき譲渡じょうと3だいシングルマッチがおこなわれて冬木ふゆきぐん勝利しょうりして経営けいえいけんうばわれる。ただし、これはあくまでもアングルであって実際じっさいにはFMWが倒産とうさんまで荒井あらい代表だいひょうつとめていた。10月22にち後楽園こうらくえんホール大会たいかい試合しあいちゅうにハヤブサが頸椎を損傷そんしょうして長期ちょうき欠場けつじょう余儀よぎなくされた。このとき、シリーズの日程にってい異常いじょうともいえるほどのハードスケジュールで当日とうじつ、ハヤブサは発熱はつねつしていたと荒井あらい著書ちょしょしるされている。

2002ねん1がつ6にち後楽園こうらくえんホール大会たいかい雁之助がんのすけ負傷ふしょうして長期ちょうき欠場けつじょう余儀よぎなくされた。看板かんばん選手せんしゅ長期ちょうき欠場けつじょう経営けいえい基盤きばんよわいFMWには致命傷ちめいしょうになった。このあいだにも荒井あらいはコストカットのために田中たなか邪道じゃどう外道げどう中山なかやま香里かおり契約けいやく解除かいじょおこなうなどFMWの危機きき一般いっぱんのファンにもあきらかになった[6]

崩壊ほうかい - 荒井あらい昌一しょういち自殺じさつ

編集へんしゅう

2がつ15にち、2にち連続れんぞく同月どうげつ14にちと15にち)で不渡ふわたりをして事実じじつじょう倒産とうさん負債ふさい総額そうがくは3おくえん)。経営けいえい不振ふしんなか荒井あらいはたった1人ひとり金融きんゆう業者ぎょうしゃ28しゃから3000まんえんれていたとわれている[7]。その運営うんえい責任せきにんかんからるものかいえ権利けんりしょまでそうとした。実際じっさい赤字あかじつづきでくびまわらなくなったさいにもちゃんと所属しょぞく選手せんしゅにはギャランティーが支払しはらわれていたという。借金取しゃっきんとりからのがれるために失踪しっそうしていた荒井あらい著書ちょしょ倒産とうさん!FMW カリスマ・インディー・プロレスはこうして潰滅かいめつした」(2002ねん4がつ1にち)を執筆しっぴつ、5月16にち生家せいかちかくの公園こうえん首吊くびつ自殺じさつ。その前日ぜんじつけの消印けしいんでFMW関係かんけいしゃたくに「ご迷惑めいわくをおかけしました」といった文書ぶんしょとどいていたこともあきらかになった。日本にっぽん最大さいだいのインディー団体だんたい代表だいひょう自殺じさつという最悪さいあく終焉しゅうえんむかえた。この事件じけんは「乱立らんりつするインディー団体だんたいへのメッセージ」として安易あんい旗揚はたあげできるインディー団体だんたいたいしての警鐘けいしょうともなった。

崩壊ほうかい

編集へんしゅう

3月、冬木ふゆき中心ちゅうしんとしたメンバーはWEW設立せつりつ。5月4にち大仁田おおにた後楽園こうらくえんホールでプロレスプロモーションとしてFMWのさい旗揚はたあせん開催かいさい。8月、ハヤブサを中心ちゅうしんとしたメンバーはWMF設立せつりつ。8月11にち長野ながの運動公園うんどうこうえん総合そうごう体育館たいいくかん大会たいかい最後さいごさい旗揚はたあげしたFMWが活動かつどう停止ていし

一方いっぽうで「FMW」名義めいぎのプロレス団体だんたい、プロレスプロモーションは後述こうじゅつのように幾度いくど復活ふっかつしている。

2009ねん11月6にち後藤ごとう記者きしゃ会見かいけんおこなってターザン後藤ごとう一派いっぱ母体ぼたいにプロレス団体だんたい設立せつりつ発表はっぴょう。12月24にちしん木場きば1stRING旗揚はたあせん開催かいさい

2022ねん5月、後藤ごとう逝去せいきょにより活動かつどう停止ていし

FMW25周年しゅうねん記念きねんシリーズ

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2014ねん5月8にち大仁田おおにた記者きしゃ会見かいけんおこなって「FMW25周年しゅうねん記念きねんシリーズ」を開催かいさいすることを発表はっぴょう。シリーズを開催かいさいする5大会たいかいのうち、開幕かいまくせん新宿しんじゅくFACE大会たいかい(7がつ25にち開催かいさい)をのぞく4大会たいかいは、いずれも「だい花火はなびシリーズ」のなか試合しあいまれていた。

ちょう戦闘せんとうプロレスFMW

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2015ねん3月4にちもとFMW専務せんむ取締役とりしまりやく営業えいぎょう部長ぶちょう高橋たかはし英樹ひでき、ハヤブサ、ちょうでん戦士せんしバトレンジャー記者きしゃ会見かいけんおこなってプロレスプロモーションの設立せつりつ発表はっぴょう運営うんえい高橋たかはし代表だいひょうつとめるFMWプロモーション。4月21にち河西かさい体育たいいくセンターでプレ旗揚はたあせん開催かいさい。4月27にち新宿しんじゅくFACEで旗揚はたあせん開催かいさい。6月25にちちょう花火はなびプロレスとの業務ぎょうむ提携ていけい発表はっぴょう。8月12にち運営うんえいめん強化きょうかのためにダイヤモンド・ジャパン・ホールディングが母体ぼたいとなり、ザメディアジョン・グループの代表だいひょうであるやまきん義幸よしゆきがオーナーけん代表だいひょう高橋たかはし営業えいぎょう本部ほんぶちょう就任しゅうにん

2016ねん11月24にち本業ほんぎょう多忙たぼうきわめるようになったため、やまこん円満えんまん退任たいにんしてダイヤモンド・ジャパン・ホールディングは一時いちじ凍結とうけつとなり、運営うんえい母体ぼたいはFMWプロモーションにもどった。

2018ねん5月25にち水戸みと市民しみん体育館たいいくかんサブアリーナ大会たいかい最後さいご興行こうぎょう開催かいさいされてないため事実じじつじょう活動かつどう停止ていし状態じょうたいとなる。

2021ねん5月6にち、コウフ・フィールドの代表だいひょうである加治木かじき英隆ひでたか大仁田おおにた記者きしゃ会見かいけんおこなってプロレスプロモーションの設立せつりつ発表はっぴょう運営うんえい加治木かじき大仁田おおにた共同きょうどう代表だいひょうつとめる株式会社かぶしきがいしゃFMW。7月4にち鶴見つるみ青果せいか市場いちば旗揚はたあせん開催かいさい

2022ねん9月30にち、FMWEは大仁田おおにた代表だいひょうつとめる大仁田おおにた譲渡ゆずりわたされて加治木かじき代表だいひょうけん大仁田おおにたゆずった。

FMW
ちょう戦闘せんとうプロレスFMW

所属しょぞく選手せんしゅ

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男子だんし選手せんしゅ

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女子じょし選手せんしゅ

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レギュラー参戦さんせん選手せんしゅ

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リングアナウンサー

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来日らいにち外国がいこくじん選手せんしゅ

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男子だんし選手せんしゅ

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女子じょし選手せんしゅ

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男子だんし格闘かくとう

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女子じょし格闘かくとう

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来日らいにち外国がいこくじん関係かんけいしゃ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 男女だんじょ混合こんごうプロレス団体だんたいとしては、それより以前いぜん全日本ぜんにほんプロレス協会きょうかい国際こくさいプロレスがあったが、いずれも女子じょし選手せんしゅ試合しあい興行こうぎょうない挿入そうにゅうするかたちおこなっていた。
  2. ^ 退団たいだんターザン後藤ごとうミスター雁之助がんのすけ市原いちはら昭仁あきひとI.W.A.JAPAN参戦さんせんしていた。その雁之助がんのすけ市原いちはら1997ねん1がつさい入団にゅうだんしていた。
  3. ^ だい仁田にったあつしヒストリー<22> スポーツ報知ほうち(2017ねん10がつ22にち
  4. ^ だい仁田にったあつしW★ING金村かなむらから勝利しょうりして金村かなむらひきいていたW★ING同盟どうめい解散かいさんさせるかたち吸収きゅうしゅう。さらに正規せいきぐんから黒田くろだあきらひろ加入かにゅうしてZEN設立せつりつにより、冬木ふゆき弘道ひろみちがカムバックしたことに反発はんぱつした雁之助がんのすけらが加入かにゅう。なお、大仁田おおにたしん団体だんたい位置付いちづけて団体だんたい参戦さんせんさないというむねしめしていた。しかし、大仁田おおにたが「FMWがきだからこそ(てきとなってFMWと)たたかった」と発言はつげんしたのをにFMWの壊滅かいめつ目標もくひょうとしていた金村かなむららが反発はんぱつ金村かなむらはじめとするすうめいがZENを離反りはんするにいたった。ちなみに金村かなむら非道ひどう暫定ざんていてきヒールユニット「チームあく」をのち結成けっせいしたユニット「TNR」(後述こうじゅつ)の名称めいしょうには、「カリスマ(大仁田おおにた)に忠誠ちゅうせいちかう」といったFMWの長年ながねん傾向けいこうたいして「もうだれ尊敬そんけいしない」といった反発はんぱつ皮肉ひにくめたとされている。また、金村かなむららが流行はやらせたブリブラダンスはZENが試合しあい終了しゅうりょう、パフォーマンスとしてったZENダンスとばれたおどりがもとであり、ブリブラダンスおよびチーム・ノーリスペクトのテーマきょくとして定着ていちゃくしたCOME OUT AND PLAY元々もともとはZENの入場にゅうじょうきょくであった。
  5. ^ ディレクTV同様どうよう旗揚はたあげしたばかりであったアルシオンとも契約けいやくしていた。
  6. ^ 契約けいやく解除かいじょ田中たなかすすむ邪道じゃどう外道げどう中山なかやま香里かおりはユニット「コンプリート・プレイヤーズ」を結成けっせいして団体だんたい参戦さんせんしていた。
  7. ^ そのなかには商工しょうこうローンのほか、いわゆるやみ金融きんゆうふくまれていたとわれる。
  8. ^ a b c コディ・テンプレトンソウル・キングレイ・バレラは、いずれも大仁田おおにた挑戦ちょうせんじょうたたきつけたという空手からてゴールド・ウィリアムス先兵せんぺいとしておくった自身じしん弟子でしというみだった。しかし、バレラとテンプレトンはタッグをんで大仁田おおにたとの対戦たいせん機会きかい幾度いくどめぐまれたものの、そのたびよわさを露呈ろていして「これではおきゃくさんが満足まんぞくしない」と判断はんだんした大仁田おおにたに、もう1べつ試合しあいをさせる事態じたいこした。さらにキングは後藤ごとうとのシングルマッチにのぞんだが、やはり実力じつりょくさを露呈ろていして力量りきりょう見切みきった後藤ごとう一方いっぽうてきたたつぶされるかたち敗退はいたい。そのかれらの師匠ししょうのはずであるウィリアムスは1姿すがたげんわさなかった。

外部がいぶリンク

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