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モデルニスモ - Wikipedia

モデルニスモまたはモデルニズモModernismo)またはモダニスモ様式ようしき


ドゥメナク・イ・ムンタネーさくのナバスてい

モデルニスモカタルーニャModernisme 発音はつおん: [muðərˈnizmə] ムダルニズマ)またはカタルーニャ・モデルニスモカタルーニャModernisme català ムダルニズマ・カタラー、カスティーリャModernismo catalán モデルニスモ・カタラン)またはモダニスモ様式ようしきは、スペインバルセロナ中心ちゅうしんとしたカタルーニャ地方ちほう19世紀せいきすえから20世紀せいき初頭しょとう流行りゅうこうした、フランスアール・ヌーボー類似るいじした芸術げいじゅつ様式ようしきをいう。

ルネッサンス文化ぶんか批判ひはんという時代じだい背景はいけいのなかで、放物線ほうぶつせん鍾乳洞しょうにゅうどう曲線きょくせんあかあおみどりきむという自然しぜん色彩しきさいれたあたらしい建築けんちくで、ガウディによるサグラダ・ファミリアカサ・ミラはその代表だいひょうさく。  

詳細しょうさい

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ガウディのバトリョてい

アール・ヌーボーなどのあたらしい芸術げいじゅつ様式ようしきがヨーロッパでさかんだったころ、スペインではのヨーロッパ諸国しょこく先駆さきがけて産業さんぎょう革命かくめいえ、カタルーニャ地方ちほうのバルセロナでモデルニスモが流行りゅうこうする。曲線きょくせん使用しようはなやかな装飾そうしょくせいなどアール・ヌーボーの特徴とくちょうつことからカタルーニャばんアール・ヌーボーとばれることもある。さらに、カタルーニャの19世紀せいきにおける繁栄はんえいは、隆盛りゅうせいきわめた中世ちゅうせい復興ふっこうによるものであると、文芸ぶんげい復興ふっこう運動うんどうカタルーニャ・ラナシェンサ(=ルネサンス、Renaixençam、レナシェンサとも「再生さいせい」を意味いみする。)がきる。そしてこの民族みんぞく主義しゅぎてき伝統でんとうたいする関心かんしんたかまりとともにモデニスモは独自どくじ展開てんかいせる。

建築けんちくにおいてもラナシェンサ表現ひょうげんとして中世ちゅうせい主義しゅぎ建築けんちくあらわれ、あらたな表現ひょうげん建築けんちく様式ようしきもとめてモデルニスモの建築けんちく登場とうじょうする。アントーニ・ガウディー(1852-1926)やそのでもあるリュイス・ドゥメナク・イ・ムンタネー(1849-1922)とうカタルーニャの建築けんちくたちはアール・ヌーボーからのつよ影響えいきょうけながら、みなみフランスおよきたアフリカイスラーム建築けんちく研究けんきゅうし、伝統でんとうてきムデハル様式ようしきくわえた独特どくとくなスタイルをきずいていった。

バルセロナ市街しがいひとつに、モデルニスモ建築けんちくさん巨匠きょしょうのドメネク、ガウディ、プーチの作品さくひんならんでいる。周囲しゅういみちかこまれたまちブロックのことをスペインでマンサナといい、リンゴ意味いみもあることから「不和ふわのリンゴ」という[1]。そのまちかってみぎはしにガウディが改築かいちくをデザインしたパトリョてい左端ひだりはしにドメネクがデザインのレオ・モレラていりょう作品さくひんはさまれてプーチの設計せっけいしたアマトリエていが1900ねん新築しんちくされた。その2、3ねん左右さゆう建物たてもの改築かいちくされて、今日きょういたっている。バルセロナいち格式かくしきたかいグラシアどおりにのきつらねている。

モデルニスモの芸術げいじゅつ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 岡部おかべ明子あきこ『バルセロナ 地中海ちちゅうかい都市とし歴史れきし文化ぶんか中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、2010ねん、62ぺーじISBN 978-4-12-102071-0 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 近代きんだい建築けんちく』 石田いしだ潤一郎じゅんいちろう中川なかがわさとしへん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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