ジローナ県 けん における位置 いち
ロザス湾 わん の幅 はば は約 やく 15km、奥行 おくゆ きは約 やく 7kmである。湾 わん から約 やく 15km内陸 ないりく にはジローナ県 けん 北部 ほくぶ の中心 ちゅうしん 都市 とし であるフィゲラス があり、フィゲラスとジローナ の中 なか 間 あいだ を流 なが れるフルビアー川 がわ (英語 えいご 版 ばん ) (84km)は湾 わん の中央 ちゅうおう 部 ぶ に注 そそ いでいる。湾 わん の北部 ほくぶ にはマノール川 がわ を支流 しりゅう に持 も つムガ川 がわ (58km)が注 そそ いでおり、これらの河川 かせん はピレネー山脈 さんみゃく 東端 ひがしばた 部 ぶ にあるアルベラ山塊 さんかい の南 みなみ 斜面 しゃめん から流 なが れてくる。
北側 きたがわ にはイベリア半島 はんとう 最 さい 東 ひがし 端 はし であるクレウス岬 みさき (クレウス半島 はんとう )があり、クレウス半島 はんとう の沿岸 えんがん は岩 いわ がちで小 ちい さな入江 いりえ をいくつも持 も つ。ロザス湾内 わんない に島 しま は存在 そんざい しないが、南端 なんたん から数 すう キロ離 はな れたテル川 がわ 沖合 おきあい には無人島 むじんとう のマデス諸島 しょとう が、クレウス岬 みさき の沖合 おきあい に無人島 むじんとう のポルトゥリガット島 とう がある。
ロザス湾 わん 沿岸 えんがん の町 まち (北 きた から南 みなみ の順 じゅん )
アンプリアス遺跡 いせき
フランスの地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん 地域 ちいき やイタリア半島 はんとう 北 きた 中部 ちゅうぶ とイベリア半島 はんとう 北東 ほくとう 部 ぶ を結 むす ぶ海上 かいじょう 交通 こうつう 路 ろ の途中 とちゅう にあるため、古 ふる くからロザス湾 わん では交易 こうえき 活動 かつどう が行 おこな われており、また交通 こうつう の要衝 ようしょう であるため軍事 ぐんじ 行動 こうどう も行 おこな われた。ギリシア都市 とし 国家 こっか ポカイア からマッサリア(現 げん ・マルセイユ )を経由 けいゆ してやってきたギリシア人 じん はロザス湾岸 わんがん に植民 しょくみん し、575年 ねん にアンプリアス (現 げん ・ラスカーラ 郊外 こうがい )、続 つづ いてローデ(現 げん ・ロザス )と、ロザス湾 わん の南北 なんぼく 端 はし の町 まち に商業 しょうぎょう 施設 しせつ を設立 せつりつ した。アンプリアスはイベリア半島 はんとう 北東 ほくとう 部 ぶ の商業 しょうぎょう および交易 こうえき 拠点 きょてん として繁栄 はんえい し、イベリア半島 はんとう 最大 さいだい のギリシア植民 しょくみん 都市 とし となった。
紀元前 きげんぜん 3世紀 せいき のポエニ戦争 せんそう の際 さい にはローマと同盟 どうめい を結 むす び、紀元前 きげんぜん 218年 ねん にはプブリウス・コルネリウス・スキピオ によるヒスパニア 征服 せいふく の入口 いりくち となった。ロザス湾 わん 沿岸 えんがん 地域 ちいき はヒスパニア・タッラコネンシス 属 ぞく 州 しゅう の一部 いちぶ となったが、タッラコ(現 げん ・タラゴナ )やバルチーノ(現 げん ・バルセロナ )の繁栄 はんえい とともにアンプリアスの地位 ちい は徐々 じょじょ に後退 こうたい していった。
ローマ人 じん 以後 いご には西 にし ゴート人 じん 、フランク人 じん 、アラブ人 じん がやってきた。ノルマン人 じん やイスラーム教徒 きょうと の海賊 かいぞく がこの地域 ちいき の海岸 かいがん を襲撃 しゅうげき したことで、9世紀 せいき 中頃 なかごろ にはアンプリアスの旧 きゅう 市街 しがい が放棄 ほうき された。19世紀 せいき 半 なか ばに封建 ほうけん 制度 せいど が廃止 はいし されるまで、この地域 ちいき はアンプルダー伯 はく によって封建 ほうけん 支配 しはい が行 おこな われた。中世 ちゅうせい 後期 こうき には湿地 しっち に要塞 ようさい が築 きず かれ、ロザスがこの地域 ちいき の主 しゅ 要港 ようこう となった。
13世紀 せいき 末 まつ のシチリア晩 ばん 祷 いのり 戦争 せんそう ではアラゴン連合 れんごう 王国 おうこく などとフランス王国 おうこく などが地中海 ちちゅうかい で戦 たたか い、ロザス湾 わん も海戦 かいせん の舞台 ぶたい となった。16世紀 せいき にスペイン・ハプスブルク朝 あさ が体制 たいせい を確立 かくりつ すると、スペイン帝国 ていこく はイベリア半島 はんとう とイタリア半島 はんとう の領地 りょうち を結 むす ぶポイントであったロザス湾 わん に港 みなと を築 きず き、城 しろ ・大砲 たいほう ・梯子 はしご という三位一体 さんみいったい の防衛 ぼうえい 設備 せつび からなるロザス城塞 じょうさい を建設 けんせつ した。この要塞 ようさい は結局 けっきょく 、19世紀 せいき 初頭 しょとう にナポレオン軍 ぐん がイベリア半島 はんとう に攻 せ め込 こ んだスペイン独立 どくりつ 戦争 せんそう 後 のち に解体 かいたい された。
中世 ちゅうせい のロザス湾 わん 沿岸 えんがん は空気 くうき の淀 よど んだ湿地 しっち が広 ひろ がっていたが、灌漑 かんがい 計画 けいかく がかつての湿地 しっち の大半 たいはん を農地 のうち に変 か えた。18世紀 せいき から19世紀 せいき にはこの地域 ちいき で農業 のうぎょう が拡大 かくだい し、ロザス湾 わん 沿岸 えんがん の湿地 しっち や池 いけ の多 おお くが干拓 かんたく されたのである。この地域 ちいき の大 だい 部分 ぶぶん は稲作 いなさく 地 ち や牧草 ぼくそう 地 ち となった。
20世紀 せいき になるとアンプリアス遺跡 いせき の発掘 はっくつ 調査 ちょうさ が開始 かいし され、現在 げんざい も調査 ちょうさ が継続 けいぞく されている。1960年代 ねんだい には、邸宅 ていたく ごとにヨット係留 けいりゅう 場所 ばしょ を持 も つ多数 たすう の別荘 べっそう からなるアンプリアブラバ (英語 えいご 版 ばん ) が開発 かいはつ された。20世紀 せいき 後半 こうはん にはロザス湾 わん の多 おお くの町 まち がリゾート地 ち となり、ロザス湾 わん は世界 せかい で最 もっと も美 うつく しい湾 わん クラブ に加盟 かめい した。
渡 わた り鳥 どり にとってロザス湾 わん は重要 じゅうよう な越冬 えっとう 地 ち であり、湿地 しっち はアイグアモルス・ダ・ランポルダー自然 しぜん 公園 こうえん に指定 してい されている。湾 わん を見下 みお ろす北側 きたがわ にあるクレウス岬 みさき はアイグアモルス・ダ・ランポルダー自然 しぜん 公園 こうえん とは別 べつ にクレウス岬 みさき 自然 しぜん 公園 こうえん に指定 してい されている。この地域 ちいき はしばしば深刻 しんこく にトラムンターナ (英語 えいご 版 ばん ) (トラモンタン)と呼 よ ばれる強風 きょうふう の影響 えいきょう を受 う ける。
アンプリアブラバの運河 うんが
ロザス湾 わん の北端 ほくたん にはロザス が、南端 なんたん にはラスカーラ がある。その他 た にも、カステリョー・ダンプリアス /アンプリアブラバ (英語 えいご 版 ばん ) 、サント・パレ・パスカドール (英語 えいご 版 ばん ) など、リゾート地 ち として知 し られる小 ちい さな町 まち が複数 ふくすう 存在 そんざい する。
ロザス湾 わん は世界 せかい で最 もっと も美 うつく しい湾 わん クラブ に加盟 かめい している。このクラブは観光 かんこう 振興 しんこう や資源 しげん 保護 ほご などを目的 もくてき とした組織 そしき であり、「優 すぐ れた自然 しぜん の美 うつく しさがあること」「豊 ゆた かな生態 せいたい 系 けい があること」「経済 けいざい 的 てき 潜在 せんざい 力 りょく があること」などが加盟 かめい 条件 じょうけん とされており、スペインではロザス湾 わん の他 ほか にサンタンデール湾 わん が加盟 かめい している。ロザス湾 わん の北側 きたがわ のクレウス岬 みさき 、モントホイ入江 いりえ 休暇 きゅうか 村 むら の地中海 ちちゅうかい を見渡 みわた せる場所 ばしょ には、フェラン・アドリア がオーナーシェフを務 つと めていたレストラン、エル・ブジ がある。
ロザス湾 わん にあるアンプリアブラバは「スペインのヴェネツィア 」とも呼 よ ばれる[1] 。ロザスの町 まち に近 ちか い湾 わん 北部 ほくぶ はかつて湿地 しっち が広 ひろ がっていたが、1964年 ねん に観光 かんこう コミュニティを造成 ぞうせい する都市 とし 開発 かいはつ が開始 かいし され、1975年 ねん に現在 げんざい のアンプリアブラバが完成 かんせい した。総 そう 延長 えんちょう 40km以上 いじょう の運河 うんが がコミュニティ中 ちゅう に張 は り巡 めぐ らされており、個別 こべつ のヨット係留 けいりゅう 地 ち を持 も つ別荘 べっそう が立 た ち並 なら んでいる。このコミュニティには全長 ぜんちょう 660mの滑走 かっそう 路 ろ を持 も つアンプリアブラバ飛行場 ひこうじょう があり、スカイダイビング などのスカイスポーツに使用 しよう されている。アンプリアブラバはスカイダイビングのメッカであり、ヨーロッパ中 ちゅう からスカイダイバーが集 あつ まる。
アンプリアブラバは単独 たんどく のムニシピオ (基礎 きそ 自治体 じちたい )ではなく、人口 じんこう 約 やく 11,000人 にん のカステリョー・ダンプリアス の自治体 じちたい 内 ない にあるコミュニティであるが、夏季 かき にはアンプリアブラバ単独 たんどく で滞在 たいざい 者 しゃ 数 すう が約 やく 80,000人 にん となり、ジローナ県 けん の県 けん 都 と ジローナ にも肩 かた を並 なら べるほどのコミュニティ人口 じんこう を持 も つ。
バルデラ城 じょう から見 み たロザス湾 わん
ロザス湾内 わんない の港湾 こうわん
ロザスの海岸 かいがん
エル・ブジ
アンプリアブラバの運河 うんが
アンプリアブラバの地図 ちず
Pepita Barbarà,La bahía de Rosas: recopilación de textos, fragmentos de publicaciones, grabados ... , Rosas , Dalmau Carles Pla, 1989.
Pep Collelldemont,La bahía de Rosas: Rosas, Castelló de Ampurias ... , Gerona , Ediciones Periódicas de las Comarcas, 1992.
Pablo de la Fuente,Las fortificaciones reales del golfo de Rosas en la época moderna , Figueres , Brau-Ayuntamiento de Roses , 1998.
Rosa Regàs et al., Golfo de Rosas: una bahía empapada de historia , dossier de Descubrir Cataluña , 76 (2004), 38-81.
Josep Reig i Vilardell,Excursión en el golfo de Rosas: memoria leída por su autor, el 12 de noviembre de 1885 en la Asociación Catalanista de Excursiones Científicas , Barcelona , Estampa de Redondo y Xumetra, 1886.
Victòria Riera i Aragó y Josep Lloret, "El medio marino del cabo de Creus y el golfo de Rosas",Revista de Gerona , 236 (2006), 74-77.