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ロザス湾 - Wikipedia

ロザスわんカタルーニャ: Golf de Roses, [ˈɡoɫv ðə ˈrɔzəs])は、スペインカタルーニャしゅうジローナけんにあるわん。スペイン=フランス国境こっきょうからじゅうすうキロみなみにあり、地中海ちちゅうかいコスタ・ブラバかってけている。高級こうきゅうリゾートとしてられ、「スペインのヴェネツィア」ともばれるアンプリアブラバ英語えいごばんなどのまちがある。

ロザスわん
ロザス湾の位置(スペイン内)
ロザス湾
ロザスわん
ロザス湾の位置(カタルーニャ州内)
ロザス湾
ロザスわん
位置いち カタルーニャしゅうジローナけん
座標ざひょう 北緯ほくい4211ふん00びょう 東経とうけい0311ふん00びょう / 北緯ほくい42.18333 東経とうけい3.18333 / 42.18333; 3.18333 (source Segre)
河川かせん フルビアーがわ英語えいごばん(84 km)、ムガがわ(58 km)
海洋かいよう 地中海ちちゅうかい
くに スペインの旗 スペイン
延長えんちょう 7km
最大さいだいはば 15km
おも沿岸えんがん自治体じちたい ロザス
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地理ちり 編集へんしゅう

 
ジローナけんにおける位置いち

ロザスわんはばやく15km、奥行おくゆきはやく7kmである。わんからやく15km内陸ないりくにはジローナけん北部ほくぶ中心ちゅうしん都市としであるフィゲラスがあり、フィゲラスとジローナなかあいだながれるフルビアーがわ英語えいごばん(84km)はわん中央ちゅうおうそそいでいる。わん北部ほくぶにはマノールがわ支流しりゅうつムガがわ(58km)がそそいでおり、これらの河川かせんピレネー山脈さんみゃく東端ひがしばたにあるアルベラ山塊さんかいみなみ斜面しゃめんからながれてくる。

北側きたがわにはイベリア半島はんとうさいひがしはしであるクレウスみさき(クレウス半島はんとう)があり、クレウス半島はんとう沿岸えんがんいわがちでちいさな入江いりえをいくつもつ。ロザス湾内わんないしま存在そんざいしないが、南端なんたんからすうキロはなれたテルがわ沖合おきあいには無人島むじんとうマデス諸島しょとうが、クレウスみさき沖合おきあい無人島むじんとうのポルトゥリガットとうがある。

ロザスわん沿岸えんがんまちきたからみなみじゅん

歴史れきし 編集へんしゅう

 
アンプリアス遺跡いせき

ギリシア・ローマ時代じだい 編集へんしゅう

フランスの地中海ちちゅうかい沿岸えんがん地域ちいきイタリア半島はんとうきた中部ちゅうぶとイベリア半島はんとう北東ほくとうむす海上かいじょう交通こうつう途中とちゅうにあるため、ふるくからロザスわんでは交易こうえき活動かつどうおこなわれており、また交通こうつう要衝ようしょうであるため軍事ぐんじ行動こうどうおこなわれた。ギリシア都市とし国家こっかポカイアからマッサリア(げんマルセイユ)を経由けいゆしてやってきたギリシアじんはロザス湾岸わんがん植民しょくみんし、575ねんアンプリアスげんラスカーラ郊外こうがい)、つづいてローデ(げんロザス)と、ロザスわん南北なんぼくはしまち商業しょうぎょう施設しせつ設立せつりつした。アンプリアスはイベリア半島はんとう北東ほくとう商業しょうぎょうおよび交易こうえき拠点きょてんとして繁栄はんえいし、イベリア半島はんとう最大さいだいのギリシア植民しょくみん都市としとなった。

紀元前きげんぜん3世紀せいきポエニ戦争せんそうさいにはローマと同盟どうめいむすび、紀元前きげんぜん218ねんにはプブリウス・コルネリウス・スキピオによるヒスパニア征服せいふく入口いりくちとなった。ロザスわん沿岸えんがん地域ちいきヒスパニア・タッラコネンシスぞくしゅう一部いちぶとなったが、タッラコ(げんタラゴナ)やバルチーノ(げんバルセロナ)の繁栄はんえいとともにアンプリアスの地位ちい徐々じょじょ後退こうたいしていった。

ちゅう近世きんせい 編集へんしゅう

ローマじん以後いごには西にしゴートじん、フランクじん、アラブじんがやってきた。ノルマンじんやイスラーム教徒きょうと海賊かいぞくがこの地域ちいき海岸かいがん襲撃しゅうげきしたことで、9世紀せいき中頃なかごろにはアンプリアスのきゅう市街しがい放棄ほうきされた。19世紀せいきなかばに封建ほうけん制度せいど廃止はいしされるまで、この地域ちいきはアンプルダーはくによって封建ほうけん支配しはいおこなわれた。中世ちゅうせい後期こうきには湿地しっち要塞ようさいきずかれ、ロザスがこの地域ちいきしゅ要港ようこうとなった。

13世紀せいきまつシチリアばんいのり戦争せんそうではアラゴン連合れんごう王国おうこくなどとフランス王国おうこくなどが地中海ちちゅうかいたたかい、ロザスわん海戦かいせん舞台ぶたいとなった。16世紀せいきスペイン・ハプスブルクあさ体制たいせい確立かくりつすると、スペイン帝国ていこくはイベリア半島はんとうとイタリア半島はんとう領地りょうちむすぶポイントであったロザスわんみなときずき、しろ大砲たいほう梯子はしごという三位一体さんみいったい防衛ぼうえい設備せつびからなるロザス城塞じょうさい建設けんせつした。この要塞ようさい結局けっきょく、19世紀せいき初頭しょとうにナポレオンぐんがイベリア半島はんとうんだスペイン独立どくりつ戦争せんそうのち解体かいたいされた。

中世ちゅうせいのロザスわん沿岸えんがん空気くうきよどんだ湿地しっちひろがっていたが、灌漑かんがい計画けいかくがかつての湿地しっち大半たいはん農地のうちえた。18世紀せいきから19世紀せいきにはこの地域ちいき農業のうぎょう拡大かくだいし、ロザスわん沿岸えんがん湿地しっちいけおおくが干拓かんたくされたのである。この地域ちいきだい部分ぶぶん稲作いなさく牧草ぼくそうとなった。

現代げんだい 編集へんしゅう

20世紀せいきになるとアンプリアス遺跡いせき発掘はっくつ調査ちょうさ開始かいしされ、現在げんざい調査ちょうさ継続けいぞくされている。1960年代ねんだいには、邸宅ていたくごとにヨット係留けいりゅう場所ばしょ多数たすう別荘べっそうからなるアンプリアブラバ英語えいごばん開発かいはつされた。20世紀せいき後半こうはんにはロザスわんおおくのまちがリゾートとなり、ロザスわん世界せかいもっとうつくしいわんクラブ加盟かめいした。

自然しぜん 編集へんしゅう

わたどりにとってロザスわん重要じゅうよう越冬えっとうであり、湿地しっちはアイグアモルス・ダ・ランポルダー自然しぜん公園こうえん指定していされている。わん見下みおろす北側きたがわにあるクレウスみさきはアイグアモルス・ダ・ランポルダー自然しぜん公園こうえんとはべつにクレウスみさき自然しぜん公園こうえん指定していされている。この地域ちいきはしばしば深刻しんこくトラムンターナ英語えいごばん(トラモンタン)とばれる強風きょうふう影響えいきょうける。

文化ぶんか 編集へんしゅう

 
アンプリアブラバの運河うんが

リゾート 編集へんしゅう

ロザスわん北端ほくたんにはロザスが、南端なんたんにはラスカーラがある。そのにも、カステリョー・ダンプリアス/アンプリアブラバ英語えいごばんサント・パレ・パスカドール英語えいごばんなど、リゾートとしてられるちいさなまち複数ふくすう存在そんざいする。

ロザスわん世界せかいもっとうつくしいわんクラブ加盟かめいしている。このクラブは観光かんこう振興しんこう資源しげん保護ほごなどを目的もくてきとした組織そしきであり、「すぐれた自然しぜんうつくしさがあること」「ゆたかな生態せいたいけいがあること」「経済けいざいてき潜在せんざいりょくがあること」などが加盟かめい条件じょうけんとされており、スペインではロザスわんほかサンタンデールわん加盟かめいしている。ロザスわん北側きたがわのクレウスみさき、モントホイ入江いりえ休暇きゅうかむら地中海ちちゅうかい見渡みわたせる場所ばしょには、フェラン・アドリアがオーナーシェフをつとめていたレストラン、エル・ブジがある。

アンプリアブラバ 編集へんしゅう

ロザスわんにあるアンプリアブラバは「スペインのヴェネツィア」ともばれる[1]。ロザスのまちちかわん北部ほくぶはかつて湿地しっちひろがっていたが、1964ねん観光かんこうコミュニティを造成ぞうせいする都市とし開発かいはつ開始かいしされ、1975ねん現在げんざいのアンプリアブラバが完成かんせいした。そう延長えんちょう40km以上いじょう運河うんががコミュニティちゅうめぐらされており、個別こべつのヨット係留けいりゅう別荘べっそうならんでいる。このコミュニティには全長ぜんちょう660mの滑走かっそうつアンプリアブラバ飛行場ひこうじょうがあり、スカイダイビングなどのスカイスポーツに使用しようされている。アンプリアブラバはスカイダイビングのメッカであり、ヨーロッパちゅうからスカイダイバーがあつまる。

アンプリアブラバは単独たんどくムニシピオ基礎きそ自治体じちたい)ではなく、人口じんこうやく11,000にんカステリョー・ダンプリアス自治体じちたいないにあるコミュニティであるが、夏季かきにはアンプリアブラバ単独たんどく滞在たいざいしゃすうやく80,000にんとなり、ジローナけんけんジローナにもかたならべるほどのコミュニティ人口じんこうつ。

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

  1. ^ スペインにある“ヴェネツィア”;アンプリアブラーバ”. Yoso-Walk (2014ねん4がつ3にち). 2015ねん11月27にち閲覧えつらん

文献ぶんけん 編集へんしゅう

  • Pepita Barbarà,La bahía de Rosas: recopilación de textos, fragmentos de publicaciones, grabados ..., Rosas, Dalmau Carles Pla, 1989.
  • Pep Collelldemont,La bahía de Rosas: Rosas, Castelló de Ampurias ..., Gerona, Ediciones Periódicas de las Comarcas, 1992.
  • Pablo de la Fuente,Las fortificaciones reales del golfo de Rosas en la época moderna, Figueres, Brau-Ayuntamiento de Roses, 1998.
  • Rosa Regàs et al., Golfo de Rosas: una bahía empapada de historia, dossier de Descubrir Cataluña, 76 (2004), 38-81.
  • Josep Reig i Vilardell,Excursión en el golfo de Rosas: memoria leída por su autor, el 12 de noviembre de 1885 en la Asociación Catalanista de Excursiones Científicas, Barcelona, Estampa de Redondo y Xumetra, 1886.
  • Victòria Riera i Aragó y Josep Lloret, "El medio marino del cabo de Creus y el golfo de Rosas",Revista de Gerona, 236 (2006), 74-77.

外部がいぶリンク 編集へんしゅう

座標ざひょう: 北緯ほくい4210ふん59びょう 東経とうけい310ふん59びょう / 北緯ほくい42.183 東経とうけい3.183 / 42.183; 3.183