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三十一年式速射砲 - Wikipedia

さんじゅういちねんしき速射そくしゃほう

さんじゅういちねんしき速射そくしゃほう(さんじゅういちねんしきそくしゃほう)[1]は、日本にっぽん陸軍りくぐん明治めいじ31ねん1898ねん)に制式せいしきほうとした大砲たいほうさんじゅういちねんしき野砲やほうさんじゅういちねんしき山砲さんぽうの2種類しゅるいがある。著名ちょめい銃砲じゅうほう設計せっけいしゃである陸軍りくぐん中将ちゅうじょう有坂ありさか成章しげあき開発かいはつしたもので、別名べつめい有坂ありさかほう」といわれる。にち戦争せんそうでの主力しゅりょくほうとして活躍かつやくした。

さんじゅういちねんしき速射そくしゃほう
運用うんよう
配備はいびさき  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
しょもと
重量じゅうりょう 908 kg

砲弾ほうだん
  • 榴弾りゅうだん炸薬さくやく800 g)6.1 kg
  • 榴霰だんたま234 g)6.0 kg
口径こうけい 75 mm
仰角ぎょうかく -5 - +38
発射はっしゃ速度そくど やく3はつ/ぶん
初速しょそく 487 m/びょう
最大さいだい射程しゃてい 6,500 m
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口径こうけいは7.5 cm、射程しゃてい野砲やほうが7,800 m、山砲さんぽうが4,300 mとなっていた。砲身ほうしんもうけられたほうみみ先端せんたん車軸しゃじくねており、砲身ほうしんほうみみ車軸しゃじく十文字じゅうもんじがたえがくような構成こうせいとなっている。ロシアぐん保有ほゆうする野山のやまほう射程しゃていでは見劣みおとりしたものの、砲弾ほうだん性能せいのう将兵しょうへい射撃しゃげき技術ぎじゅつはロシアぐん凌駕りょうがしていた。野砲やほうについては、にち戦争せんそうちゅう仰角ぎょうかく修正しゅうせいぼうだて装備そうびとう改良かいりょうくわえ、性能せいのう向上こうじょうさせている。にち戦争せんそう陸戦りくせん勝利しょうりには、この大砲たいほうじゅうはちサンチ榴弾りゅうだんほうさんじゅうねんしき歩兵ほへいじゅう貢献こうけんおおきかったといわれる。ほんほう後継こうけい野山のやまほうえられて保管ほかん兵器へいきとなったが、のちの満州まんしゅう事変じへん以降いこう兵器へいき不足ふそくおぎなうために、歩兵ほへいほうとしてふたたもちいられるようになった。さらにインパール作戦さくせんでは野砲やほうへいだい21連隊れんたいが、よん一式いっしき山砲さんぽうくわえ、分解ぶんかい搬送はんそう容易よういさんじゅういちねんしき山砲さんぽう投入とうにゅうしている。

1916ねんにはロシア帝国ていこくほんほう100もん売却ばいきゃくされ、そのうち44もんフィンランド内戦ないせんてフィンランドのわたっている。その1937ねんになると、42もん弾薬だんやく2まん8せんはつあわせてスペイン内戦ないせん共和きょうわ売却ばいきゃくされたが、輸送ゆそうせんベルメオ到着とうちゃくするまえにフランコ艦船かんせんから妨害ぼうがいけており、ほんほう実際じっさい陸揚りくあげされたかどうかは不明ふめいである。

ほんほうが「速射そくしゃほう」とばれたのは、はじめて無煙むえん火薬かやく使用しようしたことにより、それ以前いぜん黒色こくしょく火薬かやくによるはいすす作業さぎょう不要ふようとなり「はやてる」ようになったことにぎない。ほんほう簡単かんたんふく装置そうちしかそなえていなかった。左右さゆう車輪しゃりん内側うちがわにはつづみどう(リール)、ほうにはふくばねが装着そうちゃくされ、両者りょうしゃ鋼索こうさく連結れんけつされていた。射撃しゃげきまえには、軔履(すべりどう防止ぼうしようのスパイク)を両輪りょうりんうしがわける。だい(フレームけんあし)の後端こうたんにはちゅうすきく、従来じゅうらい火砲かほうおな尻上しりあがりの形状けいじょうをしていた。発砲はっぽう反動はんどうほう後退こうたいするが、車輪しゃりんめぐろうとするとどう鋼索こうさくみ、ふくばねが圧縮あっしゅくされ、その反発はんぱつりょくほうもと位置いちもどそうとするものであった。この砲車ほうしゃふくしきでは、発射はっしゃ反動はんどうほう全体ぜんたい移動いどうしてしまうてん従来じゅうらい火砲かほう同様どうようであった。したがって、人力じんりきほうもともどしてまた照準しょうじゅんをやりなおさなければならず、速射そくしゃほうといえども実際じっさい射撃しゃげき速度そくどは1分間ふんかんに2~3はつとあまりたかくなかった。また、ほうをまっすぐ後退こうたいさせることが前提ぜんてい設計せっけいなので当然とうぜんではあるのだが、砲身ほうしん可動かどう範囲はんい俯仰ふぎょうのみで、方向ほうこうしゃかいあたえるには、わずかの修正しゅうせいであってもほうごときをえる必要ひつようがあった。日本にっぽん陸軍りくぐんはじめて本格ほんかくてきちゅう退すさふくそなえた火砲かほう導入どうにゅうするのは、さんはちしき野砲やほう登場とうじょうたねばならない。弾薬だんやく分離ぶんり薬莢やっきょうしきであり、弾丸だんがん薬莢やっきょう順々じゅんじゅん装填そうてんする必要ひつようがあった。弾丸だんがん炸薬さくやくには黄色おうしょくやく採用さいようされた。

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ 明治めいじ時代じだい陸軍りくぐん制式せいしき名称めいしょうは、明治めいじ31ねん~45ねんまでは採用さいようした年号ねんごうかん数字すうじ2けた表記ひょうき個々ここ発音はつおんしていた。したがってまさしくはさん一式いっしき速射そくしゃほう(さんいちしきそくしゃほう)という。

関連かんれん項目こうもく

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