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五衛府 - Wikipedia

まもる(ごえふ)とは、天皇てんのう日常にちじょう行幸ぎょうこうときい、身辺しんぺん警護けいごをはじめ、宮城みやぎ警護けいごきょうない夜間やかん巡回じゅんかいなどをおも任務にんむとする律令制りつりょうせい中央ちゅうおう軍事ぐんじ組織そしきをいう。

律令制りつりょうせいした軍団ぐんだんは、諸国しょこくかれたが、まもる京都きょうと常駐じょうちゅうした。

変遷へんせん

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701ねん大宝たいほうもと成立せいりつ大宝たいほうれい718ねん養老ようろう2)成立せいりつ養老ようろうれいでは、衛門えもん(えもんふ)と左右さゆう衛士えじ(えじふ)そして左右さゆう兵衛ひょうえ(ひょうえふ)のまもるせいであった。その皇位こうい継承けいしょうあらそいやそれにともな貴族きぞくあいだ権力けんりょく抗争こうそうかんして、この軍事ぐんじ組織そしき自分じぶん有利ゆうりはたらくように幾度いくど改変かいへんされたが、最終さいしゅうてきには811ねんひろしひとし2)以降いこう左右さゆう近衛府このえふ(このえふ)・左右さゆう衛門えもん(えもんふ)左右さゆう兵衛ひょうえ(ひょうえふ)のろくまもるせいとして定着ていちゃくした。

まもるは、それぞれにとく(とく)・(さ)・じょう(い)・こころざし(し)の四等官しとうかんかれ、そのしたに、衛門えもんでは門部かとべ(かどべ)200にん物部ものべ(ものべ)30にん衛士えじかれた。衛士えじでは衛士えじかれた。兵衛ひょうえには左右さゆう兵衛ひょうえかく400にん配置はいちされ、それぞれかくまもる武力ぶりょく構成こうせいした。 衛士えじ定員ていいんは、れいには規定きていされていなかったので、適宜てきぎ充当じゅうとうされたようである。その718ねん養老ようろう2)には、くにべつ徴発ちょうはつすうさだめられた。

このうち物部ものべは、しゅとして警察けいさつてき任務にんむたった。刑部おさかべしょうしゅうごく(ぎょうぶしょうしゅうごくし)や(いちのつかさ)にも配置はいちされた。

舎人とねり兵部ひょうぶしょう

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衛門えもん以外いがい中央ちゅうおう兵力へいりょくとしては、各種かくしゅ舎人とねり(とねり)がある。 天皇てんのう身辺しんぺん警護けいごしたうち舎人とねり(うどねり・中務なかつかさしょう)・だい舎人とねり(おおとねり・だい舎人とねりりょう)。 中宮ちゅうぐう皇后こうごう皇太后こうたいごう太皇太后たいこうたいこう)の身辺しんぺん警護けいご中宮ちゅうぐう舎人とねり中宮ちゅうぐうしょく)。 東宮とうぐう(とうぐう・皇太子こうたいし)の身辺しんぺん警護けいご東宮とうぐう舎人とねり東宮とうぐうぼう舎人とねりかん)。 左右さゆうりょう(めりょう)・左右さゆう兵庫ひょうごうち兵庫ひょうご造兵ぞうへいなどの兵部ひょうぶしょう被官ひかんしょつかさ中央ちゅうおう軍事ぐんじりょく

関連かんれん項目こうもく

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