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京城府 - Wikipedia

きょう城府じょうふ

日本にっぽん統治とうち時代じだいのソウル特別とくべつ
きょうしろから転送てんそう

きょう城府じょうふ(けいじょうふ、キョンソンブ、あさ: 경성부)は、大韓たいかん帝国ていこくきゅう朝鮮ちょうせん)のかん城府じょうふいでかれた日本にっぽんりょう朝鮮ちょうせん行政ぎょうせい区域くいき現在げんざいソウル特別とくべつにあたる。なお、「きょう城市じょうし」はあやまりである(概説がいせつ参照さんしょう)。

きょう城府じょうふ
1925ねんから1945ねんまでのきょう城府じょうふ徽章きしょう
位置いち
地図ちず

きょう城府じょうふ庁舎ちょうしゃ現在げんざいのソウル図書館としょかん(きゅう ソウル特別とくべつ市庁しちょう
各種かくしゅ表記ひょうき
ハングル: 경성부
漢字かんじ: きょう城府じょうふ
日本語にほんご仮名がな: けいじょうふ
片仮名かたかな転写てんしゃ: キョンソンブ
英語えいご表記ひょうき: Keijō /Keizyo/ Kyŏngsŏng/ Gyeongseong
統計とうけい
行政ぎょうせい
くに: 大日本帝国の旗 大日本帝国だいにっぽんていこく
下位かい行政ぎょうせい区画くかく: 8
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1930ねんごろきょうじょう地図ちず
日本にっぽん統治とうち時代じだい南大門なんだいもんどお

概説がいせつ

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1105ねんこううらら粛宗だい南京なんきん建設けんせつはじめたのがはじまりで、まごじんむねだいおうひとつとされ、かんしょうした。高麗こうらいほろぼした朝鮮ちょうせんは、開城かいじょうかんじょう体制たいせい継承けいしょうし、かん城府じょうふ名前なまえあらためた。以来いらい、およそ500ねんにわたって首都しゅとであり、そのちょうとしてはんごといた。これは睿宗だいはんいん改称かいしょうされ、さらにたてよう元年がんねん1896ねん)にいん改称かいしょうされた。

1910ねん明治めいじ43ねん)の韓国かんこく併合へいごう同年どうねん9月30にち施行しこうされた朝鮮ちょうせん総督そうとく地方ちほうかん官制かんせいもとづききょう城府じょうふ改称かいしょうされ、京畿けいきどうしたかれた。他方たほうでそのちょういんとされ、これは改称かいしょうされなかった。

また、朝鮮ちょうせん総督そうとく京畿けいき道庁どうちょうがここにかれ、かん城府じょうふいきがそのままがれた。

朝鮮半島ちょうせんはんとうにおいての「」は内地ないち日本にっぽん)の「」に相当そうとうする。よってしばしばあやまってばれるが、「きょう城市じょうし」という歴史れきしじょう存在そんざいしない。いん市長しちょう相当そうとうする。また、「きょうじょう」は王城おうじょうすめらぎじょうおな意味いみ漢語かんごであって、朝鮮ちょうせんにおいてはふるくからかんじょうして使つかわれた一般いっぱん名詞めいしひとつであった。1945ねん昭和しょうわ20ねん8がつ15にち日本にっぽん敗戦はいせんひかりふくもしばらくは「きょうじょう」の名称めいしょう使つかわれた。連合れんごうぐん軍政ぐんせい1946ねん昭和しょうわ21ねん10月18にち京畿けいきどう管轄かんかつからはなれて「ソウル自由じゆう」が設定せっていされ、大韓民国だいかんみんこく独立どくりつした1948ねん昭和しょうわ23ねん)には首都しゅと「ソウル特別とくべつ」が誕生たんじょうし、現在げんざいいたっている。

日本にっぽんでは戦後せんごじゅうすう年間ねんかん、「きょうじょう」という旧称きゅうしょう使つかわれてきた[1]黒田くろだ勝弘かつひろ日本にっぽんで「ソウル」の呼称こしょう定着ていちゃくしたのは「1960年代ねんだい以降いこうではなかったか」とし、その背景はいけい韓国かんこくからのつよ要請ようせい(とりわけにちかん基本きほん条約じょうやく締結ていけつ)があったという見解けんかいしめしている[2]

きょう城府じょうふ

行政ぎょうせい区画くかく

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  • 1911ねん明治めいじ44ねん)に58めんせい実施じっし城内きうちかん城府じょうふ東部とうぶ南部なんぶ西部せいぶ北部ほくぶ中部ちゅうぶ)をぎ、しろがい龍山たつやまめん西にし江面えづらたかしじんめんまめめん仁昌ひとあきめんおん平面へいめんのべ禧面・かんしばめんの8めんとした。
  • 1914ねん大正たいしょう3ねん)に龍山たつやまめんたかしじんめん仁昌ひとあきめんかんしばめんまめめん各面かくめん一部いちぶきょう城府じょうふ編入へんにゅうした。しろがい地域ちいきこうぐん編入へんにゅう
  • 同年どうねん4がつ1にち、58めんせいかん城府じょうふ以来いらいぼうちぎりほら制度せいど廃止はいしし、きょう城府じょうふ直轄ちょっかつ行政ぎょうせい区画くかくを186とするだい規模きぼ改編かいへんおこなった。
  • 同年どうねん9がつ27にち東部とうぶ西部せいぶ北部ほくぶ龍山たつやまの4つの出張所しゅっちょうしょ設置せっちした。しかし、いちねんあま1915ねん大正たいしょう4ねん)6がつ17にち龍山たつやま出張所しゅっちょうしょのみをのこして廃止はいしされた。
  • 1936ねん昭和しょうわ11ねん)、きょう城府じょうふ行政ぎょうせい区画くかく名称めいしょう既存きそんの「〜ほら」から「〜まち」に改称かいしょうされ、都市とし進行しんこうともなこうぐんりゅう江面えづらのべ禧面・たかしじんめんかく一部いちぶはじめおきぐん北面ほくめんえいのぼるうら邑・東面とうめんのそれぞれ一部いちぶ金浦かなうらぐん陽東ようとうめん一部いちぶ編入へんにゅうしていきやく4ばい(133.94平方へいほうキロメートル)に拡大かくだいした。[3]
  • 同年どうねん7がつ23にち東部とうぶ出張所しゅっちょうしょえいのぼるうら出張所しゅっちょうしょ1940ねん昭和しょうわ15ねん)に西部せいぶ出張所しゅっちょうしょき、けい4つの出張所しゅっちょうしょかれた。
  • 1943ねん昭和しょうわ18ねん)6がつ10日とおかには人口じんこう増加ぞうかによってせい導入どうにゅうされ、以下いか区分くわけにより7設置せっちされた(7)。
  • 1944ねん昭和しょうわ19ねん)11月1にち西にし大門おおかど龍山たつやま一部いちぶ分割ぶんかつしてあさうら新設しんせつし、現在げんざいせいもととなる8ができあがった(8)。

住所じゅうしょ

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ひかりふくのもの。大半たいはんは「まちほら」にえられたが一部いちぶ日本にっぽんてきなイメージのあるものまったべつ名前なまええられた。

  • ちゅう: 太平通たいへいとおりいち丁目ちょうめ南大門なんだいもんどおりいち丁目ちょうめ御成おなりまち吉野よしのまちいち丁目ちょうめ古市ふるいちまちよもぎ萊町いち丁目ちょうめよしさんまち舟橋ふなばしまちはやしまち笠井かさいまちみずしるべまち長橋ながはしまち水下みぞおちまち三角さんかくまち茶屋ちゃやまちたけきょうまち黄金町こがねちょういちなな丁目ちょうめひかり熙町いち丁目ちょうめ初音はつねまち花園はなぞのまち桜井さくらいまちいち丁目ちょうめ若草わかくさまち永楽えいらくまちいち丁目ちょうめ明治めいじまちいち丁目ちょうめ長谷川はせがわまち本町ほんまちいち丁目ちょうめ並木なみきまち東西とうざいのきまち新町しんまち大和やまとまちいちさん丁目ちょうめまちやまとじょううてなまち寿ことぶきまち南山なんざんまちいちさん丁目ちょうめあさひまちいちさん丁目ちょうめきた米倉よねくらまちみなみ米倉よねくらまち
  • 鍾路: ろう上町うえまちろう下町したまちたまじんまち新橋しんばしまちきよしくもまち宮井みやいまち孝子きょうしまちあきら成町なるまちつうじんまち通義みちよしまちからだまち、弼雲まち社稷しゃしょくまちうちまち積善せきぜんまち都染つそめまち内需ないじゅまちからたままち西にし大門おおかどまちいち丁目ちょうめひかりもんどおりみず麟町、鍾路いちろく丁目ちょうめせいすすむまち寿ことぶきまつまち中学ちゅうがくまちつかさ諫町、まつ峴町、あきらかくまちはなほらまちはちばんまち三清さんきょうまちよしみかいまちひとしほらまち安国やすくにまちけいくもまちひろしくんまちけんしむらまち公平こうへいまちぬきてつまちじん寺町てらまち楽園らくえんまちあつしよしまちえきぜんまち雲泥うんでいまちかつらほらまちえん西町にしまち臥龍がりょうまちすすむのうまち、授恩まちおおとりつばさまちかおるまちかん水町みずまちちょうすなまちれいさとしまち仁義じんぎまちえん南町みなみまち蓮池はすいけまち孝悌こうていまちはちすけんまち明倫めいりんまちいちよん丁目ちょうめめぐみまちあずまたかしまち梨花りかまち忠信ちゅうしんまち
  • 東大門ひがしだいもん: あつしいわまち昌信まさのぶまちたかしひとしまち新設しんせつまち龍頭りゅうずまちあんいわまちまつりはじめまちきよし凉里まちかいもとまちさとかどまち、徽慶まちてんのうまち、鍾岩まち、踏十さとまち城北しろきたまち
  • 城東じょうとう: すなきんまち馬場うまばまちあんずどうまち鷹峰たかがみねまちきむみずうみまちしも往十さとまちうえ往十さとまち新堂しんどうまち玉水たまみずまち
  • 西にし大門おおかど: さだほらまち西にし小門おかどまちよもぎ萊町さんよん丁目ちょうめ和泉いずみまちよししゅうどおりいち丁目ちょうめ中林なかばやしまちはまぐりまち竹添たけぞえまちいちさん丁目ちょうめだい峴町、ろうしゅうとやままち、滄川まちのべ禧町、新村しんむらまちたてまつ元町もとまちきたおもね峴町、渼芹まちたいらほらまち松月しょうげつまちはし南町みなみまち冷泉れいせんまち天然てんねんまち玉川たまがわまち館町たてまちはし北町きたまちべにまち杏村きょうそんまち、峴底まちひろずみまちひろしさとしまちしん営町、づけいわまち
  • 龍山たつやま: 西にしさかいまち三板さんぱんまち岡崎おかざきまち練兵れんぺいまち漢江かんこうどおりいちさん丁目ちょうめ龍山たつやままちいちろく丁目ちょうめなしたいいんまちかん南町みなみまちひろしひかりまちぐすくまちひがしごおりまち西にしごおりまち二村ふたむらまち青葉あおばまちいちさん丁目ちょうめ京町きょうまちさかえまち元町もとまちいちよん丁目ちょうめ岩根いわねまち山手やまてまち清水しみずまち弥生やよいまち大島おおしままちにしきまち
  • あさうら: おもね峴町、あなとくまちしんあなとくまちももはなまちあさうらまちていまちりゅうまちしおさとまちだいおきまちしん水町みずまちきゅう水町みずまちげん石町こくまち新井あらいまち中町なかまち倉前くらまえまちひがしきょうまち西橋にしはしまち上水じょうすい溢町、下水げすい溢町、唐人とうじんまちごうまち望遠ぼうえんまち栗島くりしままち
  • えいのぼるうら: なんじ矣島まちどうすずめまち黒石くろいしまちほんほらまちはりまち上道あがりみちまちばん大方おおがたまち新吉しんよしまち道林どうりんまちえいのぼるうらまち堂山どうやままち、楊平まち、楊花まち

きょう城府じょうふいん

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  1. 大庭おおば寛一かんいち 1910ねん明治めいじ43ねん)10がつ1にち〜1912ねん4がつ1にち
  2. 金谷かなやたかし 1912ねん4がつ1にち1919ねん大正たいしょう8ねん)12月4にち
  3. 斎藤さいとう礼三れいぞう 1919ねん大正たいしょう8ねん)12月4にち1921ねん大正たいしょう10ねん)8がつ5にち
  4. よしまつ憲郎のりお 1921ねん大正たいしょう10ねん)8がつ5にち1923ねん大正たいしょう12ねん)2がつ24にち
  5. たに多喜たきすり 1923ねん大正たいしょう12ねん)2がつ24にち1925ねん大正たいしょう14ねん)6がつ15にち
  6. 馬野うまの精一せいいち 1925ねん大正たいしょう14ねん)6がつ15にち1929ねん昭和しょうわ4ねん)1がつ21にち
  7. 松井まつい房治ふさじろう 1929ねん昭和しょうわ4ねん)1がつ21にち1929ねん昭和しょうわ4ねん)12月11にち
  8. せきみずたけし 1929ねん昭和しょうわ4ねん)12月11にち1930ねん昭和しょうわ5ねん)12月12にち
  9. 安藤あんどう袈裟けさいち 1930ねん昭和しょうわ5ねん)12月12にち1931ねん昭和しょうわ6ねん)9がつ23にち
  10. 井上いのうえきよし 1931ねん昭和しょうわ6ねん)9がつ23にち1933ねん昭和しょうわ8ねん)12月5にち
  11. 伊達だてよんゆう 1933ねん昭和しょうわ8ねん)12月5にち1936ねん昭和しょうわ11ねん)5がつ
  12. 甘蔗かんしゃ義邦よしくに 1936ねん昭和しょうわ11ねん)5がつ1937ねん昭和しょうわ12ねん)7がつ
  13. 佐伯さえきあらわ 1937ねん昭和しょうわ12ねん)7がつ1938ねん昭和しょうわ13ねん)11月
  14. 高橋たかはしさとし 1938ねん昭和しょうわ13ねん)11月〜1941ねん昭和しょうわ16ねん)1がつ
  15. 矢野やの桃郎とうろう 1941ねん昭和しょうわ16ねん)1がつ1942ねん昭和しょうわ17ねん)5がつ22にち
  16. 古市ふるいちすすむ 1942ねん昭和しょうわ17ねん)5がつ22にち1945ねん昭和しょうわ20ねん)5がつ2にち
  17. 生田いくた清三郎せいさぶろう 1945ねん昭和しょうわ20ねん)5がつ2にち1945ねん昭和しょうわ20ねん)6がつ16にち
  18. つじかつら 1945ねん昭和しょうわ20ねん)6がつ16にち1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ15にち
  19. 金昌永きむしょうえい(キム・チャンヨン)1945ねん8がつ16にち〜1945ねん9がつ11にち
  20. はんのぼり(イ・ボムスン) 1945ねん10がつ25にち1946ねん5月9にち
  21. きむ炯敏(キム・ヒョンミン) 1946ねん6がつ30にち〜1946ねん9がつ28にち

きょう城府じょうふふくいん

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  • だい馬場ばば政義まさよし 1944ねん昭和しょうわ19ねん)8がつ21にち1945ねん昭和しょうわ20ねん)5がつ1にち
  1. つじかつら[4] 1945ねん昭和しょうわ20ねん)5がつ2にち1945ねん昭和しょうわ20ねん)6がつ18にち
  2. はんのぼり(イ・ボムスン) 1945ねん8がつ16にち〜1945ねん10がつ24にち
  3. 金昌永きむしょうえい(キム・チャンヨン) 1945ねん10がつ25にち〜1946ねん9がつ29にち

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 朝鮮ちょうせん内戦ないせんをめぐって”. 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい. 2024ねん4がつ8にち閲覧えつらん
  2. ^ 黒田くろだ勝弘かつひろ (2004ねん7がつ2にち). “随筆ずいひつ>◇かんじょうきょうじょう、セソウル?◇ ”. 東洋とうよう経済けいざい日報にっぽう. 2024ねん4がつ8にち閲覧えつらん
  3. ^ 朝鮮ちょうせん総督そうとく京畿けいきどう告示こくじだい32ごう
  4. ^ "人事じんじ", 每日まいにちさるほう 1945.05.02.

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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まえ行政ぎょうせい区画くかく
  かん城府じょうふ
ソウル特別とくべつ
歴史れきしてき行政ぎょうせい区画くかく

1910ねん - 1946ねん
つぎ行政ぎょうせい区画くかく
  ソウル