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前田利祐 - Wikipedia

前田まえだとしゆう

日本にっぽん実業じつぎょう侯爵こうしゃく前田まえだとしけんで、前田まえだ宗家そうけきゅう加賀かが藩主はんしゅ)18だい当主とうしゅ

前田まえだ としゆう(まえだ としやす、1935ねん昭和しょうわ10ねん11月6にち - )は、きゅう加賀かがはん前田まえだだい18だい当主とうしゅ宮内庁くないちょう委嘱いしょくてのひらてん全国ぜんこく石川いしかわけんじんかい連合れんごうかい会長かいちょう関東かんとう東京とうきょう石川いしかわけんじんかい会長かいちょうよんだか記念きねん文化ぶんか交流こうりゅうかん初代しょだい館長かんちょう[1]

経歴けいれき

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学習院大学がくしゅういんだいがく政経学部せいけいがくぶ卒業そつぎょう日本郵船にっぽんゆうせん入社にゅうしゃし、のちに同社どうしゃのグループ会社かいしゃであるはちうま汽船きせん常務じょうむ取締役とりしまりやくつとめた。徳川とくがわ宗家そうけだい18だい当主とうしゅである徳川とくがわ恒孝つねたかは、学習院大学がくしゅういんだいがく政経学部せいけいがくぶ日本郵船にっぽんゆうせん双方そうほうで5ねん後輩こうはいである[2]前田まえだ徳川とくがわ日本郵船にっぽんゆうせんおな勤務きんむしたことがあり[2]徳川とくがわ当時とうじのことを下記かきのように回想かいそうしている。

随分ずいぶんむかしですが、ひと怒鳴どなることで有名ゆうめいふく部長ぶちょうがいまして、「前田まえだ徳川とくがわ!ちょっとい!」などとびつけたのは太閤たいこうさま以来いらいおれだけだ、といっていたとのことです。 — 徳川とくがわ恒孝つねたか[2]

2001ねん平成へいせい13ねん12月7にちたかしみや愛子あいこ内親王ないしんのうの「よく」において、徳川とくがわ徳川とくがわ宗家そうけ当主とうしゅ)と前田まえだ加賀かが前田まえだ当主とうしゅ)の2人ふたりは、「読書どくしょやく(とくしょやく)」の児玉こだまみゆき学習院大学がくしゅういんだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ)とともに、読書どくしょつるおこなった。ちちけん1960ねん昭和しょうわ35ねん2がつ29にち浩宮ひろのみやとくじん親王しんのうげんだい126だい天皇てんのう)および1965ねん昭和しょうわ40ねん12月6にち礼宮あやのみやぶんじん親王しんのうげん皇嗣こうし)のよくにおいてつるおこなっており[3]親子おやこ2だいつる役目やくめつとめたことになる。

2023ねんれい5ねん)10がつ金沢かなざわ尾山おやま神社じんじゃ祭礼さいれい参列さんれつしたのち宴席えんせきで、同年どうねん11がつ家督かとく長男ちょうなんよろしゆずかんがえをしめした。前田まえだ家督かとく生前せいぜん継承けいしょうは、1866ねんの13だい斉泰なりやすから14だい慶寧よしやすへの継承けいしょう以来いらい157ねんぶりとなる[4]

加賀かが前田まえだ初代しょだい前田まえだ利家としいえ直系ちょっけい男系だんけい子孫しそんであり、血統けっとうじょうおも先祖せんぞには徳川とくがわ家康いえやす浅井あさい長政ながまさ織田おだ信秀のぶひで鍋島なべしまただししげる池田いけだ輝政てるまさ島津しまつ義弘よしひろ毛利もうり元就もとなりなどがいる。

前田まえだとしゆう ちち
前田まえだとしけん
祖父そふ
前田まえだ利為としなり
曾祖父そうそふ
前田まえだ利昭としあき
曾祖母そうそぼ
酒井さかい春子はるこ
祖母そぼ
前田まえだ渼子
曾祖父そうそふ
前田まえだとし
曾祖母そうそぼ
鍋島なべしま朗子あきこ
はは
前田まえだ政子まさこ
祖父そふ
黒田くろだちょうれい
曾祖父そうそふ
黒田くろだ長成ちょうせい
曾祖母そうそぼ
島津しまつ清子きよこ
祖母そぼ
黒田くろだ茂子しげこ
曾祖父そうそふ
閑院みやじん親王しんのう
曾祖母そうそぼ
じん親王しんのう智恵子ちえこ

著書ちょしょ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ しん拠点きょてん幻想げんそうてきにライトアップ よんだか記念きねん文化ぶんか交流こうりゅうかん開館かいかん」『北國きたぐに新聞しんぶん』2008ねん4がつ27にち(2012ねん8がつ2にち時点じてんアーカイブ
  2. ^ a b c 財団ざいだん法人ほうじん徳川とくがわ記念きねん財団ざいだん理事りじちょう 徳川とくがわ恒孝つねたか (2008ねん1がつ10日とおか). “しょくのうむす活力かつりょくあるJAづくりのために 2008」”. 農業のうぎょう協同きょうどう組合くみあい新聞しんぶん. 社団しゃだん法人ほうじん 農協のうきょう協会きょうかい. 2019ねん2がつ17にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん2がつ17にち閲覧えつらん
  3. ^ 朝日新聞あさひしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃばん、1960ねん2がつ29にちづけ夕刊ゆうかんだい3はん1めんおよび1965ねん12月6にちづけ夕刊ゆうかんだい3はん1めん
  4. ^ 加賀かがひゃくまんせき前田まえだ、18だい当主とうしゅ交代こうたいへ 157ねんぶりの生前せいぜん継承けいしょうに”. 朝日新聞あさひしんぶん. (2023ねん10がつ4にち). https://www.asahi.com/articles/ASRB37SMYRB3PISC009.html 2023ねん10がつ5にち閲覧えつらん