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吉見一起 - Wikipedia

吉見よしみ一起かずき

日本にっぽんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ

吉見よしみ 一起かずき(よしみ かずき、1984ねん9月19にち - )は、京都きょうと福知山ふくちやま出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅみぎとうみぎ)、野球やきゅう解説かいせつしゃYouTuber現在げんざいトヨタ自動車とよたじどうしゃ硬式こうしき野球やきゅうのテクニカルアドバイザー、野球やきゅう日本にっぽん代表だいひょう投手とうしゅコーチをつとめている。

吉見よしみ 一起かずき
野球やきゅう日本にっぽん代表だいひょう 投手とうしゅコーチ #81
中日ちゅうにちドラゴンズ選手せんしゅ時代じだい
(2012ねん8がつ28にち こまちスタジアム
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 京都きょうと福知山ふくちやま
生年月日せいねんがっぴ (1984-09-19) 1984ねん9月19にち(39さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
182 cm
90 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 投手とうしゅ
プロ 2005ねん 希望きぼう入団にゅうだんわく
はつ出場しゅつじょう 2006ねん9がつ10日とおか
最終さいしゅう出場しゅつじょう 2020ねん11月6にち引退いんたい試合しあい
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
選手せんしゅれき
派遣はけんれき
コーチれき
YouTube
チャンネル
活動かつどう期間きかん 2021ねん4がつ10日とおか -
ジャンル 野球やきゅう
登録とうろくしゃすう やく5.66まんにん
そう再生さいせい回数かいすう 13,277,477かい
チャンネル登録とうろくしゃすうそう再生さいせい回数かいすう
2022ねん7がつ4にち時点じてん
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経歴けいれき

編集へんしゅう

プロまえ

編集へんしゅう

京都きょうと福知山ふくちやままれ。福知山ふくちやま市立しりつ大正たいしょう小学校しょうがっこう入学にゅうがくし、2年生ねんせいへの進級しんきゅうしきまえ時期じき父親ちちおや仕事しごと都合つごう大阪おおさか吹田すいたへと転居てんきょした[1][2]。それにともな吹田すいた市立しりつ片山かたやま小学校しょうがっこう転校てんこうし、同校どうこう2年生ねんせい野球やきゅうはじめた[3]。その吹田すいた市立しりつ片山かたやま中学校ちゅうがっこう金光かねみつ大阪おおさか高等こうとう学校がっこう進学しんがくし、エースとして活躍かつやく2002ねんだい74かい選抜せんばつ大会たいかいはつ出場しゅつじょうするも1回戦かいせん森岡もりおか良介りょうすけ(のち東京とうきょうヤクルトスワローズ)らをようする明徳義塾めいとくぎじゅくやぶれる。

卒業そつぎょうトヨタ自動車とよたじどうしゃはいり、社会しゃかいじんナンバー1投手とうしゅひょうされた。中学校ちゅうがっこう同窓生どうそうせい(1学年がくねんじょう)であるつま出会であったのもこのころ[3]ひじ手術しゅじゅつもあり評価ひょうかはややがっていたものの、2005ねんのドラフトの目玉めだまとなり、2005ねんのドラフト希望きぼう入団にゅうだんわく中日ちゅうにちドラゴンズ入団にゅうだんした。背番号せばんごう19

中日ちゅうにち時代じだい

編集へんしゅう

2006ねんは9がつ10日とおか一軍いちぐん昇格しょうかくし、たい広島東洋ひろしまとうようカープせんでプロはつ登板とうばんし1かい1/3を失点しってん、9月18にちたい横浜よこはまベイスターズせんで5かい2失点しってんはつ勝利しょうり日本にっぽんシリーズにも中継なかつぎとして登板とうばんする。

2007ねんファーム日本にっぽん選手権せんしゅけん最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅしょうドミニカ共和国どみにかきょうわこくウィンターリーグ参加さんかし、帰国きこくの12月16にち結婚けっこん[3]

2008ねんは、オープンせんで3試合しあい15イニングを失点しってんおさえ、はつ開幕かいまく一軍いちぐん[3]。4月6にちたい東京とうきょうヤクルトスワローズせんはつ完投かんとうはつ完封かんぷう勝利しょうり。4月13にち広島ひろしません安打あんだ11ながら連続れんぞく完封かんぷうする[ちゅう 1]開幕かいまくからの連続れんぞく失点しってんイニングを24かい2/3までばし、8連勝れんしょうはチームタイ記録たいきろく[3]。また、どうシーズンはウエスタン・リーグ開幕かいまく投手とうしゅつとめた。一時期いちじきはチーム事情じじょうからセットアッパーにまわったが、右肩みぎかた故障こしょうによりチームから一時いちじ離脱りだつ出場しゅつじょうまっていたオールスターゲーム出場しゅつじょう辞退じたいした。かたつうえたなつ以降いこうふたた先発せんぱつローテーションにもどり、このシーズンは10しょう記録きろくした。また、シーズン通算つうさん2完封かんぷうコルビー・ルイス広島ひろしま)とならセ・リーグ最多さいたであった。

2009ねんは、先発せんぱつローテーションりし、4がつ4にちたい横浜よこはませんでシーズンはつ先発せんぱつを95きゅう完封かんぷう勝利しょうり前半ぜんはんせん最後さいご登板とうばんとなった7がつ18にちたい横浜よこはませんで、シーズン10しょう・4度目どめ完封かんぷう勝利しょうりオールスターゲーム監督かんとく推薦すいせん選出せんしゅつされ、だいせん登板とうばんするが敗戦はいせん投手とうしゅとなる。後半こうはんせんは10月3にちたい横浜よこはませんで16しょう最終さいしゅうてき館山たてやま昌平しょうへい(ヤクルト)とともに16しょう最多さいた勝利しょうり防御ぼうぎょりつも1.996(同僚どうりょうチェンぐリーグ2)、シーズン通算つうさん4完封かんぷうはチェン、涌井わくい秀章ひであき埼玉さいたま西武せいぶライオンズ)とならりょうリーグ最多さいた四球しきゅう試合しあい3試合しあいりょうリーグつうじて単独たんどく最多さいた

2010ねんは、自身じしんはつ開幕かいまく投手とうしゅたい広島ひろしません)をつとめ、6かい3失点しってん敗戦はいせん投手とうしゅとなる。開幕かいまく投手とうしゅまかされるといたのは、お風呂場ふろばもりヘッドコーチからだった[4]読売よみうりジャイアンツ相手あいてに5しょうするなど3ねん連続れんぞく2けた勝利しょうり。2009ねんに16しょうげる活躍かつやくをしたにもかかわらず、契約けいやく交渉こうしょうでフロントに「巨人きょじんせんってない」とわれて奮起ふんき。2010ねんにはみずか巨人きょじんせんでの登板とうばん希望きぼうして、5しょうげた[5]つぎ契約けいやく交渉こうしょうでは微増びぞう提案ていあんされたが、巨人きょじんせんでの活躍かつやくをアピールし、保留ほりゅう結果けっか年俸ねんぽうげてもらった、と吉見よしみ本人ほんにんかたっている[6]CSファイナルステージではだいせんに、日本にっぽんシリーズでは初戦しょせん先発せんぱつし1はい

2011ねんは、前年ぜんねんいためたひじを2手術しゅじゅつした影響えいきょうでシーズン開幕かいまくにはわなかったが、一軍いちぐん合流ごうりゅう活躍かつやくし、オールスターゲームにも監督かんとく推薦すいせん選出せんしゅつされ、9月には自身じしんはつ月間げっかんMVP獲得かくとく最終さいしゅうてき内海うつみ哲也てつや巨人きょじん)とならぶ18しょうげ2度目どめ最多さいたかち獲得かくとくし、4ねん連続れんぞくの2けた勝利しょうりとなった。防御ぼうぎょりつも1.65と自身じしん2度目どめ防御ぼうぎょりつ1てんだい記録きろくし、はつ最優秀さいゆうしゅう防御ぼうぎょりつのタイトルも獲得かくとくした。さらに、たにしげる元信もとのぶともに、自身じしんはつ最優秀さいゆうしゅうバッテリーしょう受賞じゅしょうした。その最高さいこう勝率しょうりつ(.857)、最多さいた完封かんぷう(3完封かんぷう)、最多さいた四球しきゅう試合しあい(3試合しあい)も達成たっせいしている。

退任たいにんひかえていた落合おちあい監督かんとくについて、落合おちあい監督かんとくは「他人たにんのために野球やきゅうをするな、自分じぶんのためにしろ」といつもっていたが、退任たいにんって、「落合おちあい監督かんとくのためになんとしても」という気持きもちでプレーしていた[7]

ヤクルトとのクライマックスシリーズファイナルステージでは、11月2にちだい1せん先発せんぱつし7かい1/3をげて1失点しってん勝利しょうり中日ちゅうにち日本にっぽんシリーズ進出しんしゅつめた11月6にちだい5せんにもちゅう3にちふたた先発せんぱつし、館山たてやま昌平しょうへいとのエース対決たいけつせいし、8かいげて失点しってんどうシリーズ2しょうげた。防御ぼうぎょりつも0.59で、クライマックスシリーズMVPを受賞じゅしょうした。落合おちあい監督かんとくも、試合しあい優勝ゆうしょう監督かんとくインタビューのなかで、「(監督かんとくに)就任しゅうにんしてから、吉見よしみのこんないいピッチングをたのははじめてで素晴すばらしかった」と絶賛ぜっさんした[8]落合おちあい監督かんとく絶賛ぜっさん言葉ことばは、ベンチにいてよくこえず、新聞しんぶんでその言葉ことばった[9]落合おちあい監督かんとくってもけてもきびしい言葉ことばだったので、められたのはこのときだけだった[10]日本にっぽんシリーズではだい2せん先発せんぱつ、6かい1/3を1失点しってん勝敗しょうはいつかず、だい6せんでも先発せんぱつし7かい2/3を1失点しってん勝利しょうり投手とうしゅとなり、敢闘かんとう選手せんしゅしょう受賞じゅしょう

2012ねんは、選手せんしゅ会長かいちょう就任しゅうにん。2ねんぶり2度目どめ開幕かいまく投手とうしゅつとめた。開幕かいまくせんは2ねんまえ開幕かいまくせんけた前田まえだ健太けんたとのいだったが、途中とちゅうまでノーヒットノーランというかいとうせ、自身じしんはつ開幕かいまくせん勝利しょうり投手とうしゅとなった。5月2にちから6がつ16にちまでひだりあし大腿だいたいとうすじ挫傷ざしょうにより登録とうろく抹消まっしょうとなった。この怪我けがについて吉見よしみは「登板とうばん予定よていの2にちまえ練習れんしゅうちゅう、50mダッシュで普段ふだんよりタイムが0.1びょうほどはや違和感いわかんはあった。あのときはオーバーヒート状態じょうたいだった。」とかたっている[11]。9月19にちからリーグせん終了しゅうりょうの10がつ5にちまでみぎひじひじ頭骨とうこつとげ骨折こっせつにより再度さいど抹消まっしょうとなり、2かげつ以上いじょうぐんごし規定きてい投球とうきゅうかいたなかったものの、自身じしんはつのシーズン最多さいた完投かんとう勝利しょうり、4度目どめ最多さいた完封かんぷう、3度目どめ最多さいた四球しきゅう試合しあい達成たっせいした。また、中日ちゅうにちでは星野ほしのせんいち以来いらいとなる5ねん連続れんぞく2けた勝利しょうり達成たっせいした[12]。なお、13しょううち4しょう巨人きょじんからげている[13]。オフの12月4にちに、だい3かいWBC日本にっぽん代表だいひょう候補こうほ選手せんしゅ34にん発表はっぴょうされ[14]候補こうほりした[15]

2013ねんは、前年ぜんねん12がつだい3かいWBC日本にっぽん代表だいひょう候補こうほりした時点じてんトミー・ジョン手術しゅじゅつすすめられており、万全ばんぜんではなかったため、だい3かいWBC日本にっぽん代表だいひょう辞退じたいした[16][17]。シーズンでは2ねん連続れんぞく開幕かいまく投手とうしゅつとめ(たいDeNAせん)、7かい1失点しってんおさえ、勝利しょうり投手とうしゅ権利けんりって降板こうばんしたが、後続こうぞくたれたためけはかなかった。2013ねんちがひと開幕かいまく投手とうしゅをする、といううわさいたため、みずか高木たかぎ監督かんとくのところに近藤こんどうしんコーチと出向でむいた。そこで「きみ一番いちばん信用しんようしている」とわれ、無事ぶじ開幕かいまく投手とうしゅつとめた[18]。そのみぎひじりによる2登録とうろく抹消まっしょうて、6月4にちみぎ肘内ひじうち側側そくそくふく靱帯じんたい再建さいけん手術しゅじゅつトミー・ジョン手術しゅじゅつ)とみぎひじ関節かんせつないクリーニング手術しゅじゅつ[19]、そのままシーズンをえた。

2014ねんは、7がつ8にちたいヤクルトせんで427にちぶりのマウンドにったが、安定あんていかんき、7がつ24にちにはみぎひじ炎症えんしょう登録とうろく抹消まっしょう[20]以降いこう一軍いちぐんでの登板とうばんく、3試合しあい登板とうばん、0しょう1はいわった。

2015ねんは、4がつ1にちたい読売よみうりジャイアンツせんでマウンドにち、708にちぶりに勝利しょうりかざった[21]。そのちゅう7 - 10日とおか使つかわれ安定あんていした投球とうきゅうつづけたが、試合しあいちゅう再度さいどみぎひじ違和感いわかんかん緊急きんきゅう降板こうばん登録とうろく抹消まっしょうされ再度さいど手術しゅじゅつとなった。オフ(11月13にち)の契約けいやく更改こうかいでは同年どうねん年俸ねんぽうが9900まんえんだったことをかしたうえで、1000まんえんげんやく10%[22])の8900まんえん合意ごういした[23]

2016ねんは、開幕かいまくまもなく先発せんぱつローテーションりした。100きゅう前後ぜんこうでの交替こうたいみずか希望きぼう[24]たますう制限せいげんけながらも21試合しあい先発せんぱつ怪我けがなく6しょう7はいでシーズンをえた。登板とうばんするさいもりヘッドコーチからの激励げきれいを「大事だいじにされている、リスペクトしてもらえている」とかんじていた[25]年間ねんかん登板とうばん日程にってい決定けってい吉見よしみ自身じしんたくされるなど、モチベーションを維持いじでき、「めるまえ一番いちばんちゃんとげられた1ねんだった」と吉見よしみ回顧かいこしている[24]

2017ねんは、調子ちょうしおおきくとし3しょうとどまった。

2018ねんは、8がつ11にちに6ねんぶりとなる四球しきゅう完封かんぷう勝利しょうりげた[26]。オフにはシーズンちゅう取得しゅとくした国内こくないFAけん行使こうしせず、2ねん総額そうがく1おく8000まんえん契約けいやく残留ざんりゅうすることを発表はっぴょうした[27]

2019ねんは、わずか5登板とうばんで1しょうという成績せいせきわった。

2020ねんは、6月27にち広島ひろしません勝利しょうり投手とうしゅとなるも[28]以降いこう目立めだった活躍かつやくせることができず、11月1にち同年どうねんかぎりで現役げんえき引退いんたいすることを発表はっぴょうした[29]ナゴヤドーム同年どうねん最終さいしゅう試合しあいとなる同月どうげつ6にちのヤクルトせんにて引退いんたい試合しあいおこなわれ、とも自主じしゅトレーニングをおこなっていた福岡ふくおかソフトバンクホークス千賀せんがひろしだい石川いしかわひいらぎふとしもとチームメイトである髙橋さとしぶんらが見守みまもなか先発せんぱつ登板とうばんし、先頭せんとう打者だしゃ山崎やまざきあきらだいろう空振からぶ三振さんしん降板こうばん[30]現役げんえき最後さいご登板とうばんえた。

現役げんえき引退いんたい

編集へんしゅう

現役げんえき引退いんたいからやく1かげつとなる12月10にちに、2021ねんよりCBCテレビCBCラジオとキーきょくTBSテレビ横浜よこはまDeNAベイスターズ主催しゅさい試合しあいBS-TBSTBSチャンネル放送ほうそうぶん)の野球やきゅう解説かいせつしゃ中日ちゅうにちスポーツ野球やきゅう評論ひょうろんとして活動かつどうすることが発表はっぴょうされた[31]

2021ねん1がつ13にちトヨタ自動車とよたじどうしゃ硬式こうしき野球やきゅうInstagramにて古巣ふるすであるトヨタ自動車とよたじどうしゃ硬式こうしき野球やきゅうのテクニカルアドバイザーに就任しゅうにんしたことが発表はっぴょうされた[32]

2022ねん5がつさむらいジャパンU―12代表だいひょう投手とうしゅコーチに就任しゅうにん[33]

2023ねんオフのウインターリーグでは、たいこうホークス臨時りんじ投手とうしゅコーチをつとめた[34]

選手せんしゅとしての特徴とくちょう

編集へんしゅう

通算つうさんあずか四球しきゅうりつ1.55の抜群ばつぐん制球せいきゅうりょく武器ぶきとする。ノーワインドアップのスリークォーターから速球そっきゅうおなうでりでげるスライダーシュートフォークボールける[35]パームボールげることができるが、基本きほんてきたましゅであるカーブは「く」感覚かんかくからずげられない[36]。ストレートの球速きゅうそくはかつては平均へいきん球速きゅうそくやく141km/h[37]最速さいそく148km/h[38]計測けいそくしていたが、アマチュア時代じだいふくめてかたひじすうかい故障こしょうした影響えいきょうからか2011ねん以降いこう平均へいきん球速きゅうそくやく139km/hにたず[35]最速さいそくでも146km/h[39]程度ていどになっている。

投球とうきゅうのテンポがく、打者だしゃを2ストライクにんでからは圧倒的あっとうてきつよさをほこ[40]。また試合しあい終盤しゅうばんつよく、2009ねんにはっきゅうすう90をえて以降いこう打率だりつ.149と驚異きょういてき数値すうちのこした[41]

人物じんぶつ

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阪神はんしんタイガース岩田いわたみのるとは高校こうこう時代じだい大阪おおさか市内しないおな治療ちりょういんかよっていた。

高校こうこう時代じだいから、マウンドのトンボかけは3年生ねんせいのチームの中心ちゅうしん選手せんしゅになっても後輩こうはいまかせず自分じぶんおこなっていた[42]

2人ふたりおとうと双子ふたご)がおり、2人ふたりとも自身じしんおな金光かねみつ大阪おおさか高等こうとう学校がっこう野球やきゅう所属しょぞくしていた。2007ねんなつには大阪おおさか大会たいかい決勝けっしょう中田なかたしょうようする大阪桐蔭おおさかとういん高校こうこうやぶって甲子園こうしえんきをめた。両者りょうしゃとも甲子園こうしえんメンバーりしている。いもうと同校どうこう野球やきゅうのマネージャーをつとめていた。

詳細しょうさい情報じょうほう

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年度ねんどべつ投手とうしゅ成績せいせき

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とし

たま

だん
とう

いた
さき

はつ
かん

とう
かん

ふう

よん
たま
かち

はい

せん





かち

りつ


もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
W
H
I
P
2006 中日ちゅうにち 4 2 0 0 0 1 0 0 0 1.000 53 13.1 10 1 3 0 0 10 0 0 4 4 2.70 0.98
2007 5 4 0 0 0 0 1 0 0 .000 74 14.2 25 5 7 0 0 14 1 0 14 12 7.36 2.18
2008 35 14 3 2 0 10 3 0 10 .769 476 114.1 118 11 25 0 4 82 1 0 46 41 3.23 1.25
2009 27 25 5 4 3 16 7 0 1 .696 750 189.1 166 10 33 2 3 147 6 1 52 42 2.00 1.05
2010 25 25 1 1 0 12 9 0 0 .571 659 156.2 159 19 25 4 5 115 5 0 67 61 3.50 1.17
2011 26 25 5 3 3 18 3 0 0 .857 734 190.2 143 8 23 1 4 120 0 0 38 35 1.65 0.87
2012 19 19 6 2 3 13 4 0 0 .765 529 138.2 121 5 13 0 0 76 1 0 28 27 1.75 0.97
2013 6 6 0 0 0 1 4 0 0 .200 157 36.1 40 5 10 3 0 29 0 0 19 19 4.71 1.38
2014 3 3 0 0 0 0 1 0 0 .000 62 15.0 16 4 2 0 0 6 0 0 8 7 4.20 1.20
2015 8 8 0 0 0 3 0 0 0 1.000 186 48.0 34 0 12 0 1 39 1 0 5 5 0.94 0.96
2016 21 21 1 0 0 6 7 0 0 .462 535 131.1 134 11 27 2 0 81 1 0 49 45 3.08 1.23
2017 14 14 0 0 0 3 7 0 0 .300 334 75.2 93 8 14 0 1 38 0 0 49 44 5.23 1.41
2018 20 20 1 1 1 5 7 0 0 .417 516 125.2 136 15 24 0 4 61 1 1 54 54 3.87 1.27
2019 5 5 0 0 0 1 1 0 0 .500 96 19.2 30 0 4 0 2 17 1 0 14 14 6.41 1.73
2020 5 5 0 0 0 1 2 0 0 .333 77 17.2 21 6 3 0 2 10 0 0 11 11 5.60 1.36
通算つうさん:15ねん 223 196 22 13 10 90 56 0 11 .616 5238 1287.0 1246 108 225 12 26 845 18 2 458 421 2.94 1.14
  • かく年度ねんど太字ふとじはリーグ最高さいこう

年度ねんどべつ守備しゅび成績せいせき

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とし
たま
だん
投手とうしゅ
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
2006 中日ちゅうにち 4 2 3 1 0 .833
2007 5 0 4 0 0 1.000
2008 35 10 15 1 0 .962
2009 27 10 32 1 4 .977
2010 25 7 24 1 1 .969
2011 26 10 41 2 3 .962
2012 19 7 27 0 0 1.000
2013 6 2 11 0 0 1.000
2014 3 0 3 0 0 1.000
2015 8 2 13 0 4 1.000
2016 21 5 27 0 1 1.000
2017 14 6 14 0 0 1.000
2018 20 3 28 0 1 1.000
2019 5 2 6 0 0 1.000
2020 5 4 1 0 0 1.000
通算つうさん 223 70 249 6 14 .982

表彰ひょうしょう

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投手とうしゅ記録きろく
打撃だげき記録きろく
  • はつ安打あんだ:2006ねん10がつ7にちたい横浜よこはまベイスターズ20回戦かいせん横浜よこはまスタジアム)、5かいひょう門倉かどくらけんから中前ちゅうぜん安打あんだ
  • はつ打点だてん:2008ねん4がつ27にちたい東京とうきょうヤクルトスワローズ6回戦かいせん明治めいじ神宮じんぐう野球やきゅうじょう)、6かいひょう増渕ますぶちりゅうよしから一塁いちるいぜんスクイズ

背番号せばんごう

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  • 19(2006ねん - 2020ねん
  • 81(2023ねん - )

登場とうじょうきょく

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関連かんれん情報じょうほう

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著書ちょしょ

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出演しゅつえん

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テレビドラマ

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 安打あんだ11以上いじょう完封かんぷうは、1989ねん8がつ4にちたい読売よみうりジャイアンツたたかえ横浜よこはまスタジアム)で大洋たいようしんうら壽夫としおが13安打あんだたれて以来いらい記録きろくとなる。

出典しゅってん

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  1. ^ 中日ちゅうにち黄金おうごんささえた「精密せいみつ機械きかい」 福知山ふくちやま出身しゅっしん吉見よしみ一起かずき投手とうしゅ引退いんたいりょう日日ひび新聞しんぶん、2020ねん11月9にち。2021ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  2. ^ 中日ちゅうにち吉見よしみ山井やまい大阪おおさか北部ほくぶ地震じしん被害ひがい地元じもと勇気ゆうきあたえる…リーグせん再開さいかいカード先発せんぱつ」スポーツ報知ほうち、2018ねん6がつ19にち。2021ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e 雑誌ざっし週刊しゅうかんベースボール』2008ねん8がつ25にちごう白球はっきゅう入魂じっこん 覚醒かくせい裏側うらがわ 吉見よしみ一起かずき」35-39ページ
  4. ^ ドラゴンズスペシャル ドラたましいキング 2023ねん1がつ18にち
  5. ^ ドラゴンズスペシャル ドラたましいキング 2023ねん1がつ18にち
  6. ^ ドラゴンズスペシャル ドラたましいキング 2023ねん1がつ18にち
  7. ^ ドラゴンズスペシャル ドラたましいキング 2023ねん3がつ8にち
  8. ^ 吉見よしみ、エースの重責じゅうせきたす好投こうとう落合おちあい監督かんとく素晴すばらしかった」 スポニチアネックス 2011ねん11月6にちづけ[リンク] 中日ちゅうにちが2ねん連続れんぞく日本にっぽんシリーズへ! 落合おちあい監督かんとくだれ一人ひとりけてもできなかった」 Baseball Times 2011ねん11月6にちづけ落合おちあい監督かんとく、ソフトBとの日本にっぽんS実現じつげんに「おうさんとの約束やくそくがあったから」 Baseball Times 2011ねん11月6にちづけ
  9. ^ ドラゴンズスペシャル ドラたましいキング 2023ねん3がつ8にち
  10. ^ ドラゴンズスペシャル ドラたましいキング 2023ねん3がつ8にち
  11. ^ ドラゴンズスペシャル ドラたましいキング 2023ねん3がつ8にち
  12. ^ 35ねんぶり!中日ちゅうにち吉見よしみ、5ねん連続れんぞく10しょう サンケイスポーツ 2012ねん8がつ23にちづけ
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