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吉記 - Wikipedia

きち

平安へいあん末期まっき公家くげ吉田よしだけいぼう日記にっき

きち(きっき)は、平安へいあん時代じだい末期まっき公家くげ吉田よしだけいぼう1142ねん - 1200ねん)の日記にっきである。

けいぼう勧修寺かんしゅうじりゅう藤原ふじわらぞく日記にっきいえばれる)。けんみぎちゅうべん藤原ふじわらひかりぼうで、京都きょうと東郊とうこう吉田よしだ別邸べっていてたため、「吉田よしだけん中納言ちゅうなごん」とばれ、吉田よしだとなった。『きち』は、吉田よしだせいからのちひとけいぼう日記にっきんだしょうべつけいぼうかんであったみんきょう唐名とうみょう戸部とべから『よし』(きっこき)とばれることもある。

じんやす元年がんねん1166ねん)からたてひさ4ねん1193ねん)まで28ねんぶん記録きろくされていたというが、原本げんぽん現存げんそんせず、写本しゃほん(ほとんどは子孫しそん甘露かんろてらおやちょう蒐集しゅうしゅうした書写しょしゃ)やしょ引用いんようされた佚文いつぶんわせても、断続だんぞくてきに13ねんぶんのこるのみとなっている。「日記にっきいえ勧修寺かんしゅうじりゅうほか公家くげ日記にっき同様どうよう朝廷ちょうてい儀式ぎしき典礼てんれいなどにかんする記事きじくわしい。またいわゆる源平げんぺい合戦かっせんうけたまわ寿ことぶきひさしらん)の時代じだいふくむため、どう時期じき朝廷ちょうていうごきをじょうでも貴重きちょう史料しりょうといえる。『きち』は、内乱ないらんけいぼう蔵人くろうどあたまいん別当べっとうとして、朝廷ちょうてい決定けっていくわしくることのできる立場たちばにあったため、おな内容ないよう記事きじでも、まだ朝廷ちょうてい中心ちゅうしんてき立場たちばになるまえ九条くじょうけんの『たま』より詳細しょうさい事実じじつることができる箇所かしょもある。

書誌しょし情報じょうほう

編集へんしゅう
  • 増補ぞうほ史料しりょう大成たいせいほん臨川りんせん書店しょてんぜん2さつ
  • 高橋たかはし秀樹ひでき へんしんていきち』(和泉いずみ書院しょいん本文ほんぶんへん3さつ索引さくいん解題かいだいへん1さつ
本文ほんぶんへんいち(2002ねんISBN 978-4-7576-0146-8
本文ほんぶんへん(2004ねんISBN 978-4-7576-0249-6
本文ほんぶんへんさん(2006ねんISBN 978-4-7576-0356-1
索引さくいん解題かいだいへん(2008ねんISBN 978-4-7576-0454-4