図書としょ寮りょう(ずしょりょう)は、日本にっぽんの律令制りつりょうせいにおいて中務なかつかさ省しょうに属ぞくする機関きかんの一ひとつである。また、明治めいじ以後いごの宮みや内省ないせいにも同名どうめいの機関きかんが設置せっちされた。
図書としょ寮りょうの第だい一いちの職掌しょくしょうは国家こっかの蔵書ぞうしょを管理かんりすることで現在げんざいでいう国立こくりつ図書館としょかんの役割やくわりを担になっていた。またそれに付属ふぞくして儒教じゅきょう・仏教ぶっきょうの経典きょうてん、仏像ぶつぞうなども管理かんりしていた。管理かんり事務じむを補助ほじょするため書物しょもつを書かき写うつす写うつし書手かきてや書物しょもつの装丁そうていを行おこなう装そう潢手が属ぞくしていた。さらに撰せん史し事業じぎょうも職掌しょくしょうの一ひとつと『養老ようろう令れい』にあげられている。実際じっさいの撰せん史し事業じぎょうはその都度つど機構きこう(撰せん国史こくし所しょ)を設もうけて事務じむを行おこなっていた(また、撰せん史しに必要ひつような公文書こうぶんしょ・記録きろく類るいが集あつめられたのが内記ないきや外そと記きであったということも図書としょ寮りょうが撰せん史し事業じぎょうに関かかわらなかった理由りゆうとして挙あげられる)。また図書としょの管理かんりも平安へいあん時代じだいには御ご書しょ所しょ・内うち御ご書しょ所しょ・一本いっぽん御ご書しょ所しょなどの機関きかんに実権じっけんを奪うばわれ形骸けいがい化かした。 図書としょ寮りょうの第だい二にの職掌しょくしょうは紙かみ・墨すみ・筆ふでなどの製造せいぞうを行おこなうことである。のちの図書としょ寮りょうの業務ぎょうむはこれが中心ちゅうしんになった。
江戸えど時代じだいには、天保てんぽう12年ねん(1841年ねん)8月がつに、江戸えど幕府ばくふの正史せいし『御ご実紀みき』(通称つうしょう『徳川とくがわ実紀みき』)の編集へんしゅう主幹しゅかんである奥おく儒者じゅしゃ成島なりしま司直しちょくが図書としょ頭あたまに任にんじられている。
紙屋かみや院いん(かみやいん)は図書としょ寮りょうの別所べっしょ(付属ふぞく機関きかん)で紙かみの製造せいぞうを主おも任務にんむとしていた。設備せつびがととのった9世紀せいきには良質りょうしつの紙かみを製造せいぞうし「紙屋かみや紙し」と称しょうされた。品しな部ぶの紙かみ戸どが実務じつむにあたった。
明治めいじ時代じだいに宮みや内省ないせいの一部いちぶ局きょくとして置おかれた。図書としょ頭あたまを長ちょうとして皇統こうとう譜ふや実録じつろくなどの編纂へんさん及および管理かんり、皇室こうしつ典範てんぱんなどの皇室こうしつ関連かんれん法令ほうれいの正本しょうほんや貴重きちょうな宮中きゅうちゅう保管ほかん書籍しょせきの管理かんりなどを行おこなった。1949年ねん(昭和しょうわ24年ねん)、諸しょ陵りょう寮りょうと統合とうごうされて宮内庁くないちょう書しょ陵りょう部ぶとなった。