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土生商船 - Wikipedia

土生はぶ商船しょうせん株式会社かぶしきがいしゃ(はぶしょうせん)は、広島ひろしまけん尾道おのみち因島いんのしま土生はぶまち本社ほんしゃ海運かいうん会社かいしゃ[1]である。

土生はぶ商船しょうせん株式会社かぶしきがいしゃ
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
722-2323
広島ひろしまけん尾道おのみち因島いんのしま土生はぶまち1684番地ばんち2
北緯ほくい3417ふん27.5びょう 東経とうけい13310ふん32.1びょう / 北緯ほくい34.290972 東経とうけい133.175583 / 34.290972; 133.175583座標ざひょう: 北緯ほくい3417ふん27.5びょう 東経とうけい13310ふん32.1びょう / 北緯ほくい34.290972 東経とうけい133.175583 / 34.290972; 133.175583
設立せつりつ 1918ねん大正たいしょう7ねん4がつ
業種ぎょうしゅ 海運かいうんぎょう
法人ほうじん番号ばんごう 8240001038421 ウィキデータを編集
事業じぎょう内容ないよう
代表だいひょうしゃ 代表だいひょう取締役とりしまりやく 弓場ゆば 一輝いっき
資本しほんきん 3,600まんえん
外部がいぶリンク habushosen.jp
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重井しげいこう停泊ていはく高速こうそくせん「しまなみ」

グループ会社かいしゃとしてどうけん三原みはら本社ほんしゃく、しまなみ海運かいうん弓場ゆば汽船きせんがある。しまなみ海運かいうん土生はぶ商船しょうせんおな場所ばしょ営業えいぎょうしょいてある。

沿革えんかく

編集へんしゅう
  • 1915ねん大正たいしょう4ねん) - 「弓場ゆば汽船きせん」として、因島いんのしま三原みはらあいだむすび、あししげっていた当時とうじ三原みはらないみなとを桟ぱん(はしけ)でおも三原みはらよね木炭もくたんひとし生活せいかつ物資ぶっし輸送ゆそうはじめる。
  • 1920ねん大正たいしょう9ねん5月 - 弓場ゆば汽船きせん代表だいひょう弓場ゆば好之よしゆきすけ土生はぶまち長崎ながさきこう - 三原みはらこうあいだ旅客りょかく定期ていき航路こうろ事業じぎょう開始かいし
  • 1949ねん昭和しょうわ24ねん12月1にち - 弓場ゆば汽船きせん土生はぶ長崎ながさき) - 三原みはらあいだ一般いっぱん旅客りょかく定期ていき航路こうろ事業じぎょう認可にんかされる。使用しよう船舶せんぱくだいかんおん(30t、70馬力ばりき)。
  • 1952ねん昭和しょうわ27ねん
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん
    • 9月30にち - 資本しほんきん200まんえん増資ぞうし
    • 10月1にち - 弓場ゆば汽船きせん三原みはら - 重井しげいあいだ一般いっぱん旅客りょかく定期ていき航路こうろ事業じぎょう認可にんかされる。
  • 1954ねん昭和しょうわ29ねん
    • 9月24にち - 弓場ゆば汽船きせん三原みはら - 岩子島いわしじまあいだ一般いっぱん旅客りょかく定期ていき航路こうろ事業じぎょう認可にんかされる(中国ちゅうごく306ごう)。
    • 12月3にち - 弓場ゆば汽船きせん因島いんのしま長崎ながさき) - 宮窪みやくぼあいだ一般いっぱん旅客りょかく定期ていき航路こうろ事業じぎょう認可にんかされる。
  • 1956ねん昭和しょうわ31ねん
    • 1がつ25にち - 三原みはら - 宮窪みやくぼならびに三原みはら - 重井しげいあいだ旅客りょかく定期ていき航路こうろ事業じぎょう弓場ゆば汽船きせんより土生はぶ商船しょうせん株式会社かぶしきがいしゃ譲渡じょうと認可にんか
    • 2がつ25にち - 資本しほんきん350まんえん増資ぞうし
  • 1957ねん昭和しょうわ32ねん
    • 1がつ21にち - 資本しほんきん400まんえん増資ぞうし
    • 5月1にち - 弓場ゆば汽船きせん高根たかね - 土生はぶ航路こうろほんだい7103ごう)を因島いんのしませいこう運航うんこう協同きょうどう組合くみあい理事りじちょう弓場ゆば好之よしゆきすけ)へ譲渡じょうと
    • 6月24にち - 土生はぶ商船しょうせん株式会社かぶしきがいしゃ重井しげい - 瀬戸田せとだあいだ一般いっぱん旅客りょかく定期ていき航路こうろ事業じぎょう認可にんかされる(中国ちゅうごくだい220ごう)。
  • 1961ねん昭和しょうわ36ねん7がつ10日とおか - 邦人ほうじん旅行りょこう旋業届出とどけで
  • 1962ねん昭和しょうわ37ねん9がつ10日とおか - 重井しげい - 三原みはらあいだフェリーボート運航うんこう開始かいしふねめい:わかなみ(わかなみ代表だいひょう弓場ゆば敏男としお)。
  • 1963ねん昭和しょうわ38ねん9月5にち - 重井しげい - 瀬戸田せとだあいだ一般いっぱん旅客りょかく定期ていき航路こうろ事業じぎょう休止きゅうし中国ちゅうごくだい220ごう)。
  • 1964ねん昭和しょうわ39ねん
    • 7がつ25にち - 愛媛えひめ汽船きせん土生はぶ/尾道おのみちよるあいだ便びん)と、土生はぶ商船しょうせん宮窪みやくぼ/長崎ながさき/三原みはら航路こうろうち長崎ながさき/宮窪みやくぼあいだ交換こうかん
    • 8がつ8にち - 広島ひろしまけん因島いんのしま土生はぶまち1719番地ばんちの14に本社ほんしゃ移転いてん
    • 11月10にち - 宮窪みやくぼ/長崎ながさきあいだ一般いっぱん旅客りょかく定期ていき航路こうろ事業じぎょう廃止はいし認可にんか
    • 12月28にち - 重井しげい - 瀬戸田せとだあいだ一般いっぱん旅客りょかく定期ていき航路こうろ事業じぎょう廃止はいし認可にんか
  • 1965ねん昭和しょうわ40ねん8がつ15にち - フェリーボート(わかなみ代表だいひょう弓場ゆば敏男としお合併がっぺい土生はぶ商船しょうせん株式会社かぶしきがいしゃとして、旅客船りょかくせんけん自動車じどうしゃ渡船とせん運航うんこう開始かいし使用しようせん:わかなみ
  • 1971ねん昭和しょうわ46ねん1がつ - 土生はぶ商船しょうせん株式会社かぶしきがいしゃ代表だいひょう取締役とりしまりやく弓場ゆば敏男としお就任しゅうにん
  • 1975ねん昭和しょうわ50ねん2がつ - 高速こうそくせん因島いんのしま1ごう竣工しゅんこう
  • 1976ねん昭和しょうわ51ねん
    • 4がつ14にち - 土生はぶ - 尾道おのみちあいだ一般いっぱん旅客りょかく定期ていき航路こうろ事業じぎょう廃止はいし中国ちゅうごくだい307ごう)。
    • 4がつ - 高速こうそくせん因島いんのしま2ごう竣工しゅんこう
  • 1977ねん昭和しょうわ52ねん4がつ21にち - 資本しほんきん1,200まんえん増資ぞうし
  • 1979ねん昭和しょうわ54ねん
    • 7がつ - 高速こうそくせんしまなみ竣工しゅんこう
    • 7がつ24にち - 高速こうそくせん因島いんのしま3ごう竣工しゅんこう
  • 1980ねん昭和しょうわ55ねん3がつ20日はつか - 広島ひろしまけん因島いんのしま土生はぶまち1899番地ばんち31に本社ほんしゃ移転いてん
  • 1981ねん昭和しょうわ56ねん
    • 4がつ - フェリーボートだいじゅうかんおん竣工しゅんこう
    • 5月 - 高速こうそくせん因島いんのしま5ごう竣工しゅんこう
  • 1983ねん昭和しょうわ58ねん12月9にち - 因島いんのしま大橋おおはし供用きょうよう開始かいし
  • 1984ねん昭和しょうわ59ねん5月26にち - 本四架橋ほんしかきょう因島いんのしま大橋おおはし供用きょうよう開始かいしともない、旅客船りょかくせんけん自動車じどうしゃ渡船とせん重井しげい - 土生はぶあいだならびに土生はぶ - 三原みはらあいだ普通ふつう便びん(かんおん)を廃止はいし高速こうそくせんぶし運航うんこうしゅうねん運航うんこうとする。
  • 1985ねん昭和しょうわ60ねん
    • 2がつ16にち - 資本しほんきん2,400まんえん増資ぞうし
    • 10月6にち - 高速こうそくせん重井しげいこう因島いんのしま重井しげいまち)へ寄港きこう開始かいし
    • 12月27にち - 因島いんのしま田熊たぐままち足摺あしずり4275番地ばんち18「コーポいんのしま」の買収ばいしゅうにより不動産ふどうさん賃貸ちんたいぎょう進出しんしゅつ
  • 1987ねん昭和しょうわ62ねん
    • 7がつ - フェリーボートだいかんおん竣工しゅんこう
    • 8がつ31にち - 広島ひろしま西にし田方たがた1丁目ちょうめ「ベルメゾン田方たがた買収ばいしゅうにより不動産ふどうさん賃貸ちんたいぎょう部門ぶもん強化きょうか
  • 1988ねん昭和しょうわ63ねん)5がつ - 両頭りょうとうがたフェリー(だいいちかんおん)竣工しゅんこう
  • 1989ねん平成へいせい元年がんねん)5がつ - 両頭りょうとうがたフェリー(だいかんおん)竣工しゅんこう
  • 1992ねん平成へいせい4ねん)5がつ - そうどうがた高速こうそくせん因島いんのしま6ごう竣工しゅんこう
  • 1999ねん平成へいせい11ねん
    • 2がつ24にち - 土生はぶ商船しょうせん株式会社かぶしきがいしゃ代表だいひょう取締役とりしまりやく弓場ゆばすすむ就任しゅうにん
    • 8がつ - たんどうがた高速こうそくせん(かがやき1ごう竣工しゅんこう
    • 9月 - たんどうがた高速こうそくせん(かがやき2ごう竣工しゅんこう
  • 2003ねん平成へいせい15ねん
  • 2008ねん平成へいせい20ねん)5がつ1にち - 資本しほんきん3,600まんえん増資ぞうし
  • 2015ねん平成へいせい27ねん)12月1にち - 高速こうそくせん因島いんのしまモール桟橋さんばし[2]尾道おのみち因島いんのしま田熊たぐままち)へ寄港きこう開始かいし[3]
  • 2021ねんれい3ねん
    • 土生はぶ商船しょうせん株式会社かぶしきがいしゃ代表だいひょう取締役とりしまりやく弓場ゆば一輝いっき就任しゅうにん
    • 5月1にち - フェリー重井しげい - さぎ - 三原みはら航路こうろ廃止はいし[4]

現在げんざい航路こうろ

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片道かたみちやく40ふんむすんでいる。2015ねん平成へいせい27ねん12月1にちより、あらたに広島ひろしまけん尾道おのみち因島いんのしま田熊たぐままち位置いちする、因島いんのしまモール桟橋さんばし[2]寄港きこう開始かいしした[3]

高速こうそくせん

過去かこ航路こうろ

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  • 三原みはら - 糸崎いとさき - 岩子島いわしじま[5]
航路こうろ距離きょり7.5km
  • 宮窪みやくぼ - 木浦きうら - 岩城いわき - 佐島さじま - 弓削ゆげ - 長崎ながさき - 宇和うわ - 田熊たぐま - 金山かなやま - 西浦にしうら - 重井しげい - さぎ - 糸崎いとさき - 三原みはら[5]
航路こうろ距離きょり43.8km
  • 重井しげい - 瀬戸田せとだ[5]
航路こうろ距離きょり6.5km
  • 土生はぶ - 尾道おのみち[6]
航路こうろ距離きょり19.5km
2021ねんれい3ねん5月1にちフェリー航路こうろ廃止はいし[4]

船舶せんぱく

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就航しゅうこうちゅう船舶せんぱく

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高速こうそくせん
 
かがやき1ごう (三原みはらこう)
  • しまなみ
1979ねん昭和しょうわ54ねん7がつ進水しんすい木曽きそ造船ぞうせん鉄工てっこうしょ建造けんぞう下記かき因島いんのしま3ごう」をげんトン改造かいぞう改名かいめい
19そうトン、全長ぜんちょう17.25m、かたはば4.05m、かたふかさ1.72m、航海こうかい速力そくりょく26ノット、旅客りょかく定員ていいん92めい
  • かがやき1ごう
1999ねん平成へいせい11ねん8がつ進水しんすい木曽きそ造船ぞうせん建造けんぞう
19そうトン、全長ぜんちょう17.51m、かたはば4.2m、かたふかさ1.71m、航海こうかい速力そくりょく26.9ノット、旅客りょかく定員ていいん78めい

過去かこ船舶せんぱく

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フェリー
  • だいかんおん (初代しょだい)[7]
1965ねん7がつ進水しんすい
117.72そうトン、ディーゼル、機関きかん出力しゅつりょく210ps、航海こうかい速力そくりょく10ノット、旅客りょかく定員ていいん260めい
  • だいななかんおん (初代しょだい)[8]
1969ねん12月竣工しゅんこう、備南船舶せんぱく工業こうぎょう建造けんぞうもとぼう汽船きせんげんぼうフェリー所有しょゆうの「だいさんおおしま」。引退いんたい正栄しょうえい貨物かもつうれせん貨物かもつフェリー「だいはちしば」に改造かいぞう[9]
194.34そうトン、全長ぜんちょう33.90m、かたはば9.00m、かたふかさ2.80m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく500ps、航海こうかい速力そくりょく10.5ノット、旅客りょかく定員ていいん200めい、トラック9だい
  • だいさんかんおん[10]
1971ねん竣工しゅんこう大成たいせい造船ぞうせん建造けんぞう引退いんたい大石おおいし海運かいうんうれせん貨物かもつフェリー「だいろくフェリー美咲みさき」に改造かいぞう[11]
127そうトン、垂線すいせんあいだちょう28.0m、かたはば7.0m、かたふかさ2.5m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく300ps、航海こうかい速力そくりょく9ノット、旅客りょかく定員ていいん250めい
  • だいはちかんおん (初代しょだい)[8]
1971ねん5月竣工しゅんこう、備南船舶せんぱく工業こうぎょう建造けんぞうもとぼう汽船きせん所有しょゆうの「だいろくおおしま」。
192.82そうトン、全長ぜんちょう33.09m、かたはば7.80m、かたふかさ2.80m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく500ps、航海こうかい速力そくりょく10.5ノット、旅客りょかく定員ていいん360めい、トラック9だい
  • だいじゅうかんおん[8]
1981ねん5月竣工しゅんこう川本かわもと造船ぞうせんしょ建造けんぞう2020ねんれい2ねんフィリピン売却ばいきゃく
207そうトン、全長ぜんちょう38.00m、かたはば8.60m、かたふかさ2.89m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく800ps、航海こうかい速力そくりょく10.3ノット、旅客りょかく定員ていいん250めい、8tトラック4だい乗用車じょうようしゃ2だい
  • だいじゅういちかんおん (2だい)
1984ねん8がつ竣工しゅんこう、1999ねん5がつ就航しゅうこう内海造船ないかいぞうせん因島いんのしま工場こうじょう建造けんぞうもとげい観光かんこうフェリー(げんげい汽船きせん所有しょゆうの「だいななげい」。
244そうトン、全長ぜんちょう39.78m、かたはば10.00m、かたふかさ3.10m、航海こうかい速力そくりょく12.6ノット、旅客りょかく定員ていいん250めい
  • だいじゅうやえしま
1987ねん8がつ竣工しゅんこう神原かみはら造船ぞうせん建造けんぞうもと安芸津あきつフェリー所有しょゆう
264そうトン、全長ぜんちょう43.20m、かたはば10.40m、かたふかさ3.20m、航海こうかい速力そくりょく10.0ノット、旅客りょかく定員ていいん250めい
  • だいいちかんおん (2だい)[12]
1988ねん5月竣工しゅんこう川本かわもと造船ぞうせんしょ建造けんぞう
291そうトン、全長ぜんちょう42.70m、かたはば9.50m、かたふかさ3.10m、ディーゼル、機関きかん出力しゅつりょく1,200ps、航海こうかい速力そくりょく11.0ノット、旅客りょかく定員ていいん350めい大型おおがた貨物かもつしゃ4だい乗用車じょうようしゃ4だい
  • だいかんおん (2だい)[12]
1989ねん7がつ竣工しゅんこう川本かわもと造船ぞうせんしょ建造けんぞう引退いんたい竜ヶ岳りゅうがだけ観光かんこう開発かいはつ売却ばいきゃく、「だいしらぬひ」に改名かいめい
282そうトン、全長ぜんちょう42.70m、かたはば9.50m、かたふかさ3.10m、ディーゼル、機関きかん出力しゅつりょく1,200ps、航海こうかい速力そくりょく11.0ノット、旅客りょかく定員ていいん350めい大型おおがた貨物かもつしゃ4だい乗用車じょうようしゃ4だい
  • シャトル3ごう
1992ねん12月竣工しゅんこう神原かみはら造船ぞうせん建造けんぞうもと山陽さんよう商船しょうせん所有しょゆう2010ねん「SUPER SHUTTLE FERRY 20」としてフィリピンへ売却ばいきゃく
353そうトン、全長ぜんちょう49.00m、かたはば9.50m、かたふかさ3.60m、航海こうかい速力そくりょく11.52ノット、旅客りょかく定員ていいん373めい
  • だいかんおん (3だい)
1993ねん12月進水しんすい内海造船ないかいぞうせん因島いんのしま工場こうじょう建造けんぞうもと山陽さんよう商船しょうせん所有しょゆうの「だいさんよう」。2022ねん現在げんざい弓場ゆば汽船きせん運航うんこう[13]
291そうトン、全長ぜんちょう38.51m、全幅ぜんはば10.40m、かたふかさ3.60m、航海こうかい速力そくりょく11ノット、旅客りょかく定員ていいん250めい
  • だいはちかんおん (2だい)
2004ねん5がつ20日はつか進水しんすい本瓦ほんかわら造船ぞうせん建造けんぞうもと大島おおしま汽船きせん所有しょゆうの「フェリー亀山かめやま」。
306そうトン、全長ぜんちょう49.80m、全幅ぜんはば10.50m、かたふかさ3.30m、航海こうかい速力そくりょく10ノット、旅客りょかく定員ていいん250めい
客船きゃくせん
  • だい観音かんのんまる[14]
1932ねん6月進水しんすい木造もくぞう
30.57そうトン、焼玉やきだま機関きかん機関きかん出力しゅつりょく70ps、航海こうかい速力そくりょく7.0ノット、旅客りょかく定員ていいん71めい
  • だい観音かんのんまる[14]
1937ねん4月進水しんすい木造もくぞう
13.66そうトン、焼玉やきだま機関きかん機関きかん出力しゅつりょく30ps、航海こうかい速力そくりょく5.0ノット、旅客りょかく定員ていいん29めい
  • だいなな観音かんのんまる[6]
1954ねん4月進水しんすい木造もくぞう
50.40そうトン、ディーゼル、機関きかん出力しゅつりょく75ps、航海こうかい速力そくりょく10ノット、旅客りょかく定員ていいん60めい
  • だいはち観音かんのんまる[10][15]
1953ねん竣工しゅんこう村上むらかみ造船ぞうせんしょ建造けんぞう木造もくぞう
49.48そうトン、垂線すいせんあいだちょう20.61m、かたはば4.02m、かたふかさ1.41m、焼玉やきだま機関きかん機関きかん出力しゅつりょく115ps、最大さいだい速力そくりょく11ノット、旅客りょかく定員ていいん141めい
  • だいじゅういち観音かんのんまる[5]
1951ねん3月進水しんすい木造もくぞう
19.92そうトン、焼玉やきだま機関きかん機関きかん出力しゅつりょく40ps、航海こうかい速力そくりょく8ノット、旅客りょかく定員ていいん77めい
  • だいじゅう観音かんのんまる[14][15]
1936ねん6月竣工しゅんこう村上むらかみ造船ぞうせんしょ建造けんぞう木造もくぞう
40.13そうトン、焼玉やきだま機関きかん→ディーゼル、機関きかん出力しゅつりょく20ps→75ps、航海こうかい速力そくりょく9.0ノット→最大さいだい速力そくりょく10.5ノット、旅客りょかく定員ていいん101→89めい
  • だいじゅう観音かんのんまる[5][15]
1933ねん4月進水しんすい川本かわもと造船ぞうせんしょ建造けんぞう木造もくぞう
49.38そうトン、登録とうろくちょう21.71m、かたはば4.15m、かたふかさ1.30m、焼玉やきだま機関きかん機関きかん出力しゅつりょく120ps、航海こうかい速力そくりょく9ノット、旅客りょかく定員ていいん91めい
  • だいじゅう六観音ろくかんのんまる[15]
1938ねん3月進水しんすい村上むらかみ造船ぞうせんしょ建造けんぞう木造もくぞう
39.71そうトン、登録とうろくちょう20.35m、かたはば3.99m、かたふかさ1.76m、焼玉やきだま機関きかん機関きかん出力しゅつりょく105ps、最大さいだい速力そくりょく11ノット、旅客りょかく定員ていいん78めい
  • だいじゅういちかんおん (初代しょだい)[10]
1953ねん竣工しゅんこう村上むらかみ造船ぞうせんしょ建造けんぞう木造もくぞう
49そうトン、垂線すいせんあいだちょう23.4m、かたはば4.4m、かたふかさ1.6m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく200ps、航海こうかい速力そくりょく10ノット、旅客りょかく定員ていいん148めい
1959ねん竣工しゅんこう木造もくぞう
49.37そうトン、垂線すいせんあいだちょう18.6m、かたはば4.7m、かたふかさ1.6m、ディーゼル、機関きかん出力しゅつりょく90ps、航海こうかい速力そくりょく10ノット、旅客りょかく定員ていいん215めい
  • だいいちかんおん (初代しょだい)[10][15]
1963ねん7がつ竣工しゅんこうだいいち船舶せんぱく工業こうぎょう建造けんぞう
60.17そうトン、垂線すいせんあいだちょう20.33m、かたはば4.50m、かたふかさ1.80m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく90→230ps、航海こうかい速力そくりょく10.5ノット、旅客りょかく定員ていいん208→193めい
  • だいさん日立ひたちまる[16]
1932ねん1がつ進水しんすい木造もくぞう用船ようせん
21.51そうトン、焼玉やきだま機関きかん機関きかん出力しゅつりょく25ps、航海こうかい速力そくりょく7ノット、旅客りょかく定員ていいん103めい
高速こうそくせん
  • 因島いんのしま1ごう[10]
1975ねん竣工しゅんこう木曽きそ造船ぞうせん建造けんぞう
28そうトン、垂線すいせんあいだちょう15.7m、かたはば3.8m、かたふかさ1.7m、ディーゼル2機関きかん出力しゅつりょく700ps、航海こうかい速力そくりょく25ノット、旅客りょかく定員ていいん60めい
  • 因島いんのしま2ごう[17]
1976ねん4がつ竣工しゅんこう木曽きそ造船ぞうせん建造けんぞう1991ねん売却ばいきゃく
29.28そうトン、登録とうろくちょう15.75m、かたはば3.90m、かたふかさ1.70m、ディーゼル2機関きかん出力しゅつりょく700ps、航海こうかい速力そくりょく25ノット、旅客りょかく定員ていいん68めい[18]
  • 因島いんのしま3ごう[17]
1979ねん7がつ竣工しゅんこう木曽きそ造船ぞうせん建造けんぞう上記じょうき「しまなみ」に改造かいぞう
36.63そうトン、登録とうろくちょう17.25m、かたはば4.05m、かたふかさ1.72m、ディーゼル2機関きかん出力しゅつりょく910ps、航海こうかい速力そくりょく26ノット、旅客りょかく定員ていいん70めい[18]
  • 因島いんのしま5ごう[17]
1981ねん3がつ竣工しゅんこう木曽きそ造船ぞうせん建造けんぞう、1999ねん売却ばいきゃく
38.92そうトン、登録とうろくちょう17.35m、かたはば4.05m、かたふかさ1.80m、ディーゼル2機関きかん出力しゅつりょく910ps、航海こうかい速力そくりょく26.5ノット、旅客りょかく定員ていいん70めい[18]
  • 因島いんのしま6ごう[17]
1992ねん5がつ竣工しゅんこう木曽きそ造船ぞうせん建造けんぞう船舶せんぱく整備せいび公団こうだんとの共有きょうゆうせん。1999ねん10月上関かみのせきわたるうんうれせん、「いわい」に改名かいめい[19]
48そうトン、登録とうろくちょう19.73m、かたはば5.40m、かたふかさ1.90m、ディーゼル2機関きかん出力しゅつりょく1,250ps、航海こうかい速力そくりょく23ノット[19]

その事業じぎょう

編集へんしゅう

海運かいうんごうのほか、以下いか業務ぎょうむいとなんでいる。

尾道おのみち因島いんのしま広島ひろしま西にし所在しょざいする賃貸ちんたいマンション運営うんえいしている。
旅行りょこう代理だいりてん運営うんえいしている。

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ 旅客船りょかくせん事業じぎょうしゃ概要がいよう”. 国土こくど交通省こうつうしょう中国ちゅうごく運輸うんゆきょく. 2011ねん11月24にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 因島いんのしまモール桟橋さんばし開港かいこう 式典しきてんに500にん出席しゅっせき しん航路こうろ祝賀しゅくがにわく”. せとうちタイムズ. (2015ねん12月5にち). https://web.archive.org/web/20220926094058/http://0845.boo.jp/times/archives/8978 2015ねん12月5にち閲覧えつらん 
  3. ^ a b 因島いんのしまモール桟橋さんばしひらけ­みなとしました。 - 土生はぶ商船しょうせんグループ、2015ねん12月7にち閲覧えつらん
  4. ^ a b 運航うんこうはん世紀せいき三原みはらこうはつフェリーがまく 佐木島さぎしまめぐ航路こうろ. 中國ちゅうごく新聞しんぶんデジタル. (2021ねん4がつ30にち). https://web.archive.org/web/20220816055629/https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/84232 2021ねん5がつ1にち閲覧えつらん 
  5. ^ a b c d e 旅客りょかく定期ていき不定期ふていき航路こうろ事業じぎょう現況げんきょうひょう』,日本にっぽん旅客船りょかくせん協会きょうかい,[1960]. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2524318 (参照さんしょう 2024-03-12)
  6. ^ a b c 旅客りょかく定期ていき不定期ふていき自動車じどうしゃこうおく貨物かもつ定期ていき航路こうろ事業じぎょう現況げんきょうひょう昭和しょうわ42ねん8がつ1にち現在げんざい,運輸省うんゆしょう海運かいうんきょく定期ていきせん,[1968]. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2516678 (参照さんしょう 2024-03-12)
  7. ^ 旅客りょかく定期ていき不定期ふていき自動車じどうしゃこうおく貨物かもつ定期ていき航路こうろ事業じぎょう現況げんきょうひょう昭和しょうわ41ねん8がつ1にち現在げんざい,運輸省うんゆしょう海運かいうんきょく定期ていきせん,[1967]. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2531329 (参照さんしょう 2024-03-12)
  8. ^ a b c 日本にっぽん船舶せんぱく明細めいさいしょ 1985 (日本にっぽん海運かいうん集会しゅうかいしょ 1984)
  9. ^ 日本にっぽん船舶せんぱく明細めいさいしょ 1990 (日本にっぽん海運かいうん集会しゅうかいしょ 1990)
  10. ^ a b c d e f 池田いけだ良穂よしほへん 日本にっぽん旅客船りょかくせん (日本にっぽんないこう客船きゃくせん資料しりょう編纂へんさんかい 1976)
  11. ^ 森田もりた裕一ひろいち 日本にっぽん客船きゃくせん総覧そうらん P.395 (1989)
  12. ^ a b 日本にっぽん船舶せんぱく明細めいさいしょ 1997 (日本にっぽん海運かいうん集会しゅうかいしょ 1996)
  13. ^ フェリー:生口島いくちしま佐木島さぎしま向田むかいだこう)・三原みはら”. 土生はぶ商船しょうせんグループ. 2022ねん11月15にち閲覧えつらん
  14. ^ a b c 国内こくない旅客船りょかくせんせんめいろく昭和しょうわ34年度ねんど,日本にっぽん旅客船りょかくせん協会きょうかい事務じむきょく,1959. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2490636 (参照さんしょう 2024-03-12)
  15. ^ a b c d e 日本にっぽん旅客船りょかくせんせんめいろく昭和しょうわ39年版ねんばん,日本にっぽん旅客船りょかくせん協会きょうかい,1964. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2504820 (参照さんしょう 2024-03-12)
  16. ^ 旅客りょかく定期ていき不定期ふていき航路こうろ事業じぎょう現況げんきょうひょう』,運輸省うんゆしょう海運かいうんきょく定期ていきせん,[1962]. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2513296 (参照さんしょう 2024-03-12)
  17. ^ a b c d 日本にっぽん船舶せんぱく明細めいさいしょ 1999Ⅱ (日本にっぽん海運かいうん集会しゅうかいしょ 1998)
  18. ^ a b c 全国ぜんこくフェリー・旅客船りょかくせんガイド 1987ねん上期かみきごう (日刊にっかん海事かいじ通信つうしんしゃ 1986)
  19. ^ a b フェリー・旅客船りょかくせんガイド 2006ねん春季しゅんきごう (日刊にっかん海事かいじ通信つうしんしゃ 2006)

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