地下道ちかどう(ちかどう)とは、地下ちかまたは土中どちゅうをくりぬいて設置せっちされた不ふ特定とくてい多数たすうの通行つうこうのためのトンネル通路つうろである。都市とし部ぶにおいて主要しゅよう河川かせんや鉄道てつどう、道路どうろを横断おうだんするために設もうけられる。都市としの地下ちか構造こうぞう物ぶつは地下ちか通路つうろ、地下街ちかがい、下水げすい路ろ、地下ちか共同きょうどう溝みぞなど多岐たきにわたるが、本ほん項こうでは主おもに人ひとの通とおるための通路つうろとしての地下道ちかどうについて詳述しょうじゅつする。
地下道ちかどうは、地上ちじょうの歩道橋ほどうきょうや跨線橋こせんきょうと比較ひかくして建設けんせつに多額たがくの費用ひようがかかる。また、地下ちかにあるため常時じょうじ灯火ともしびしておく必要ひつようがあり、換気かんきや防犯ぼうはんの点てんでも留意りゅういする必要ひつようがあるため、設備せつびの維持いじ改修かいしゅうに要ようする費用ひようも高たかくなり一般いっぱん的てきには都市とし部ぶで景観けいかんを優先ゆうせんしたり、架橋かきょう用ようの土地とちの確保かくほが難むずかしい場合ばあいに設置せっちされる場合ばあいが多おおい。寒冷かんれい地ちでは防寒ぼうかんと積雪せきせつ対策たいさくのために地下道ちかどうを設置せっちする場合ばあいがある。また、軍事ぐんじ目的もくてきで地下道ちかどうを掘ほる例れいも多おおく、ベトナムのクチトンネルなどは有名ゆうめいである。
世界せかいで最初さいしょに人ひとが通とおれる人工じんこうの地下道ちかどうとして完成かんせいしたものはギリシャの歴史れきし家かディオドロスによると、古代こだいバビロンの王宮おうきゅうと神殿しんでんをつなぐ目的もくてきでユーフラテス川がわの下したに設もうけられた地下道ちかどうで、紀元前きげんぜん2000年ねんごろのものといわれている。日本にっぽん最古さいこの地下道ちかどうとしては1763年ねんに完成かんせいした菊池きくち寛ひろしの小説しょうせつで有名ゆうめいな青あおの洞門どうもんが知しられている。
トンネルの歴史れきしも参照さんしょう
日本にっぽんの道路どうろ法ほう上うえ、地下道ちかどうはトンネルとして道路どうろ構造こうぞう令れい34条じょうに規定きていされている。
日本にっぽんの公道こうどうの地下ちかを利用りようして作つくられた地下道ちかどうは、道路どうろ法ほう上じょうの道路どうろ管理かんり者しゃによって道路どうろとして管理かんりされる。そのため通行つうこうの妨さまたげとなるような店舗てんぽや設置せっち物ぶつは原則げんそくとして認みとめられず、例外れいがい的てきに道路どうろ管理かんり者しゃから道路どうろ占うらない用よう許可きょかを得えた場合ばあいにのみ認みとめられる(工事こうじなどやむをえない場合ばあいにしか認みとめられず、ガスを扱あつかうような飲食いんしょく店てんなどの常設じょうせつは地下ちか防災ぼうさい上じょうの観点かんてんから概おおむね許可きょかされない。詳くわしくは静岡しずおか駅前えきまえ地下街ちかがい爆発ばくはつ事故じこ、天てん六ろくガス爆発ばくはつ事故じこ参照さんしょう)。また、広告こうこくについても道路どうろ標識ひょうしき以外いがいの掲出けいしゅつ物ぶつについては道路どうろ管理かんり者しゃの許可きょかが必要ひつようとされる。なお、商用しょうようの道路どうろ占うらない用ようの場合ばあいには道路どうろ管理かんり者しゃは必要ひつように応おうじて道路どうろ占うらない用よう料りょうの徴収ちょうしゅうが認みとめられている。したがって、日本にっぽんの地下道ちかどうでいわゆる地下街ちかがいとして発展はってんしているのは多おおくは私有地しゆうちの地下ちかにある準じゅん地下道ちかどうの場合ばあいが多おおい。
河川かせんの下したを通とおる地下道ちかどうは河川かせん管理かんり者しゃによって管理かんりされ、概おおむね道路どうろと同様どうようの使用しよう制限せいげんと河川かせん占うらない用よう料りょうの支払しはらいが生しょうずる場合ばあいがある。
地下ちか横断おうだん歩道ほどうも参照さんしょう