富山平野とやまへいや(とやまへいや、英えい: Toyama Plain)は、富山とやま県けんに位置いちする富山湾とやまわんに面めんする扇状地せんじょうちの複ふく合あいからなる平野へいやである[1] [2]。
広義こうぎの富山平野とやまへいやは、東ひがしは黒部川くろべがわの扇状地せんじょうち(黒部くろべ扇状地せんじょうち、黒部川くろべがわ扇状地せんじょうち)、西にしは庄川しょうがわの扇状地せんじょうちにまで及および、その中央ちゅうおう部ぶにある呉羽くれは丘陵きゅうりょう(呉羽山くれはやま丘陵きゅうりょう)で大おおきく二分にぶんされ、東側ひがしがわを呉ご東平野ひがしひらの、西側にしがわを呉ご西平野にしひらのという[1][2]。あるいは三さん分ふんして、砺波となみ平野へいや、狭義きょうぎの富山平野とやまへいや、黒部川くろべがわ扇状地せんじょうちに分わけられる[3]。
富山湾とやまわんは水深すいしんが深ふかく海底かいていの勾配こうばいが急きゅうであるため、河川かせんからの土砂どしゃは海底かいていに沈しずんだり沿岸えんがん流りゅうに流ながされて三角州さんかくすを発達はったつさせず、富山平野とやまへいやの大だい部分ぶぶんは砂礫されきの扇状地せんじょうちで構成こうせいされている[2]。
旧石器時代きゅうせっきじだいに該当がいとうする遺跡いせきが多数たすう発見はっけんされており、ハナイズミモリウシおよび他たのバイソン属ぞく、ヤベオオツノジカ、ヘラジカ、ナウマンゾウ、オオヤマネコ、トラ、ヒグマなどの現在げんざいの日本にっぽん列島れっとうには生息せいそくしていない中なか・大型おおがた動物どうぶつも富山平野とやまへいやに多数たすう生息せいそくしていたと思おもわれ、当時とうじの人類じんるいによる狩猟しゅりょうの対象たいしょうにされていた可能かのう性せいが高たかい[4]。
広義こうぎの富山平野とやまへいやのうち、呉羽くれは丘陵きゅうりょうの西側にしがわには、庄川しょうがわのつくる扇状地せんじょうち部ぶである砺波となみ平野へいやと海岸かいがん部ぶの三角州さんかくす性せい低地ていちである射水いみず平野へいやがある[2]。砺波となみ平野へいやは散ち村むら景観けいかん(散ち居村いむら)で知しられている[2]。庄川しょうがわ扇状地せんじょうちが発達はったつしているために小矢部川おやべがわはその西側にしがわに押おし出だされる地形ちけいになっている[1]。また、射水いみず平野へいやにはかつて放生津ほうじょうづ潟かたという潟かた湖こがあり低てい湿地しっちを含ふくむ[2]。
なお、呉羽くれは丘陵きゅうりょうの西側にしがわにある台地だいちを境野新さかいのしん台地だいちという。
呉羽くれは丘陵きゅうりょうの東側ひがしがわには、常願寺川じょうがんじがわ及および神通川じんづうがわの扇状地せんじょうちとその海うみ側がわにある低地ていちを含ふくむ狭義きょうぎの富山平野とやまへいやと、黒部川くろべがわや片貝川かたかいかわ、早月川はやつきがわの急きゅう勾配こうばい扇状せんじょう地域ちいきである新川しんかわ平野へいやに分わけられる[2]。
狭義きょうぎの富山平野とやまへいやはさらに常願寺川じょうがんじがわ扇状地せんじょうち、神通川じんづうがわ扇状地せんじょうち、富山とやま低地ていちなどに細分さいぶん化かされる。
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