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川端崇義 - Wikipedia

川端かわばたたかしよし

日本にっぽん野球やきゅう選手せんしゅ

川端かわばた たかしよし(かわばた たかよし、1985ねん2がつ4にち - )は、静岡しずおかけん焼津やいづ出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ外野がいやしゅ)・コーチ。みぎとうみぎ

川端かわばた たかしよし
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 静岡しずおかけん焼津やいづ
生年月日せいねんがっぴ (1985-02-04) 1985ねん2がつ4にち(39さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
176 cm
80 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 外野がいやしゅ
プロ 2011ねん ドラフト8
はつ出場しゅつじょう 2012ねん3月30にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 2017ねん6月14にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
選手せんしゅれき
コーチれき
  • オリックス・バファローズ (2018)

経歴けいれき

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プロまえ

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小学しょうがく3年生ねんせいときから野球やきゅうをスタート。同郷どうきょう同級生どうきゅうせいである牧田まきた和久かずひさ増井ますい浩俊ひろとし(いずれも投手とうしゅ)とは、のちにオリックスの外野がいやしゅとして、パシフィック・リーグ(パ・リーグ)公式こうしきせんあいまみえている[1] [2]

東海大学とうかいだいがくだいいち中学校ちゅうがっこう現在げんざい東海大学とうかいだいがく付属ふぞく静岡しずおかしょうよう中学校ちゅうがっこう時代じだいは「1ばん捕手ほしゅ」で、3ねん全国ぜんこく大会たいかいベスト8を経験けいけん東海大相模とうかいだいさがみ高校こうこうへの進学しんがくは、4ばん打者だしゃまかされた。3ねんなつ神奈川かながわ大会たいかい決勝けっしょうまですすんだが、在学ざいがくちゅうにははるなつともに、甲子園こうしえん出場しゅつじょうできなかった。ちなみに、当時とうじ同級生どうきゅうせいであったはら拓也たくや[3]とは、のちにオリックスでもチームメイトになっている。

高校こうこう卒業そつぎょう国際武道大学こくさいぶどうだいがく進学しんがくすると、千葉ちばけん大学だいがく野球やきゅうリーグで、2・3ねんあき首位しゅい打者だしゃ獲得かくとく。リーグのベストナインに4かいえらばれたほか、大学だいがく選手権せんしゅけんでは本塁打ほんるいだはなつ。4ねんには、大学だいがく日本にっぽん代表だいひょうとして、だい35かい日米にちべい大学だいがく野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかいだい3かい世界せかい大学だいがく野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかいにも出場しゅつじょうしている。

大学だいがく卒業そつぎょう入社にゅうしゃしたJR東日本ひがしにっぽんでは、1ねん2007ねんはるから外野がいやレギュラーの一角いっかく確保かくほ。2ねん2008ねんには、だい35かい社会しゃかいじん野球やきゅう日本にっぽん選手権せんしゅけん大会たいかい優秀ゆうしゅう選手せんしゅや、社会しゃかいじんベストナインえらばれた。5ねん2011ねんには、だい82かい都市とし対抗たいこう野球やきゅう大会たいかいでの優勝ゆうしょう経験けいけんしたほか、だい39かいIBAFワールドカップ日本にっぽん代表だいひょうにもえらばれた。在籍ざいせきちゅうのチームメイトに、じゅうかめけんしまひらけわたる吉田よしだいちしょう戸田とだあきらなどがいる。

2011ねんのNPBドラフト会議かいぎで、オリックス・バファローズから8じゅん指名しめい契約けいやくきん2000まんえん年俸ねんぽう800まんえん金額きんがく推定すいてい)という条件じょうけん入団にゅうだんした。この会議かいぎでは、じゅうかめ埼玉さいたま西武せいぶライオンズから1じゅんしまがオリックスから2じゅん指名しめいしまとは、オリックスでもチームメイトになった。ちなみに、オリックスでは翌年よくねん以降いこうも、JR東日本ひがしにっぽんから戸田とだ2013ねん)・吉田よしだ2014ねん)・西野にしの真弘まさひろ2015ねん)を相次あいついで入団にゅうだんさせている。

プロ

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2012ねん新人しんじん選手せんしゅから投手とうしゅ海田かいた智行ともゆきとも開幕かいまく一軍いちぐんりをたすと、3月30にち福岡ふくおかソフトバンクホークスとの開幕かいまくせん福岡ふくおかYahoo! JAPANドーム)8かいうらから、右翼うよくしゅとして一軍いちぐんデビュー。このカードをえたのちにいったん出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろく抹消まっしょうされた。抹消まっしょうに11試合しあい出場しゅつじょうしたウエスタン・リーグ公式こうしきせん打率だりつ.295、10打点だてん好調こうちょうだったことや、一軍いちぐんせい右翼うよくしゅまらなかったことから、4がつ21にちたい北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ5回戦かいせんほっともっとフィールド神戸こうべ)で「9ばん右翼うよくしゅ」としてスタメンで一軍いちぐん復帰ふっき。この試合しあいで、一軍いちぐん公式こうしきせんでのはつ安打あんだはなった。のちT-岡田おかだひだりふとももうら肉離にくばな戦線せんせんはなれたことから、岡田おかだわる左翼さよくしゅとしてレギュラーに定着ていちゃくセ・パ交流こうりゅうせんでは、5月19にちたい東京とうきょうヤクルトスワローズたたかえ明治めいじ神宮じんぐう野球やきゅうじょう)で、11かいひょう満塁まんるい局面きょくめんからの打席だせき走者そうしゃ一掃いっそう決勝けっしょう適時てきじ二塁打にるいだはなったことによって、チームに交流こうりゅうせん7試合しあいでのはつ勝利しょうりをもたらした[4]。さらに、5月22にちたい阪神はんしんタイガースたたかえきょうセラドーム大阪おおさか)では、一軍いちぐん公式こうしきせんでのはつ本塁打ほんるいだランディ・メッセンジャーからの満塁まんるい本塁打ほんるいだ記録きろくした。新人しんじん選手せんしゅによる一軍いちぐん公式こうしきせんでのはつ本塁打ほんるいだ満塁まんるい本塁打ほんるいだであった事例じれいはパ・リーグ史上しじょう9にんとなり[5]、オリックスの新人しんじん選手せんしゅかぎると、阪急はんきゅうブレーブス時代じだい1956ねん4がつ11にち投手とうしゅ米田よねだ哲也てつや記録きろくして以来いらい56ねんぶり[6]。この試合しあい勝利しょうり岡田おかだ彰布あきのぶ監督かんとく交流こうりゅうせん通算つうさん100しょうとなった[7]。また、同僚どうりょうみや﨑祐じゅが1ばん打者だしゃとしてスタメンに起用きようされた9月29にちたい千葉ちばロッテマリーンズたたかえ(QVCマリンフィールド)で1かいうら一軍いちぐん公式こうしきせんはつ本塁打ほんるいだ先頭せんとう打者だしゃ本塁打ほんるいだ記録きろくしたことから、「おなじチームで2人ふたり選手せんしゅ初回しょかい先頭せんとう打者だしゃ本塁打ほんるいだ満塁まんるい本塁打ほんるいだによって一軍いちぐん公式こうしきせんはつ本塁打ほんるいだ記録きろく」というNPB史上しじょう3れいのチーム記録きろく達成たっせいした[8]。5月27にちたい広島東洋ひろしまとうようカープたたかえ(ほっともっとフィールド神戸こうべ)では前田まえだ健太けんたから決勝けっしょうてんとなる先制せんせい適時てきじ二塁打にるいだはなち、直近ちょっきん6試合しあいで3度目どめのおだいがった[9]。6月には月間げっかん打率だりつを.140までげたものの、7がつには.371、8がつには.340と復調ふくちょう。7月18にちフレッシュオールスターゲームHARD OFF ECOスタジアム新潟にいがた)では、ウエスタン・リーグ選抜せんばつとして4ばん右翼うよくしゅとして出場しゅつじょう[10]。4打数だすう3安打あんだ[11]活躍かつやく優秀ゆうしゅう選手せんしゅしょうえらばれた[12]8がつ18にちたいソフトバンクせんから9月4にちたい千葉ちばロッテマリーンズせんきょうセラドーム)まで15試合しあい連続れんぞく安打あんだ記録きろくするとともに、9月3にちたい東北とうほく楽天らくてんゴールデンイーグルスたたかえクリネックススタジアム宮城みやぎ)3かいひょう安打あんだで、一軍いちぐん公式こうしきせんでの安打あんだすう通算つうさん100ほん到達とうたつした。NPBがプロ野球やきゅうドラフト会議かいぎ導入どうにゅうした1965ねん以降いこう新人しんじんあつかいで阪急はんきゅう・オリックスへ入団にゅうだんした野手やしゅで、入団にゅうだん1ねん一軍いちぐん公式こうしきせんでシーズン100安打あんだ記録きろくした事例じれいは、当時とうじのチームメイトで2007ねん入団にゅうだん大引おおびきあきら以来いらい3にんであった[13]。9・10がつには月間げっかん打率だりつが.176にとどまるなど大幅おおはば調子ちょうしとしたが、シーズン全体ぜんたいでは、一軍いちぐん公式こうしきせん125試合しあい出場しゅつじょうでパ・リーグの最終さいしゅう規定きてい打席だせき到達とうたつ阪急はんきゅう時代じだい1985ねん熊野くまの輝光てるみつ樹立じゅりつした新人しんじん野手やしゅとしての一軍いちぐん公式こうしきせんシーズン通算つうさん安打あんだすう記録きろく(114安打あんだ)にならんだほか、打率だりつ.266、2本塁打ほんるいだ、6盗塁とうるいという成績せいせきのこすなど、最下位さいかい低迷ていめいするチームにあって孤軍こぐん奮闘ふんとうはたらきをせた。

2013ねん4がつ29にちたい北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズたたかえ札幌さっぽろドーム)と5月9にちたいソフトバンクせんほっともっとフィールド神戸こうべ[14])で頭部とうぶ死球しきゅうけた影響えいきょうで、極度きょくど打撃だげき不振ふしんおちいった[14]。6月には出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろくを2抹消まっしょう[14]されたが、シーズン終盤しゅうばん9月4にちから一軍いちぐん復帰ふっき一軍いちぐん公式こうしきせんには74試合しあい出場しゅつじょうで、前年ぜんねんよりおおい7盗塁とうるい記録きろくしたものの、打率だりつ.244、1本塁打ほんるいだ、16打点だてんという成績せいせきわった[14]

2014ねん一軍いちぐん公式こうしきせん65試合しあい出場しゅつじょうながら、打率だりつ.288、2本塁打ほんるいだ復調ふくちょう。6盗塁とうるい記録きろくしたほか、夏場なつば以降いこう公式こうしきせんではスタメン起用きよう機会きかいえた。

2015ねん一軍いちぐん公式こうしきせん56試合しあい出場しゅつじょう一軍いちぐんはじめての三塁打さんるいだ(2ほん)を記録きろくしたが、本塁打ほんるいだはなてず、打率だりつも.239にとどまった。

2016ねん7がつ31にちたい埼玉さいたま西武せいぶライオンズたたかえ(きょうセラドーム大阪おおさか)でプロはじめてのサヨナラ安打あんだはなったが[15]、シーズン全体ぜんたいでは、一軍いちぐん公式こうしきせん28試合しあい出場しゅつじょう打率だりつ.194と低迷ていめいした。

2017ねん一軍いちぐん公式こうしきせんでは、18試合しあい出場しゅつじょう通算つうさん28打席だせき)で打率だりつ.214を記録きろく。シーズン終了しゅうりょう10月28にち球団きゅうだんから戦力せんりょくがい通告つうこくけた。もっとも球団きゅうだんでは、現役げんえき選手せんしゅとしての川端かわばた実績じっせきや、普段ふだん練習れんしゅう態度たいどなどをかねてからたか評価ひょうか。このような評価ひょうかもと川端かわばたぐん育成いくせいコーチの就任しゅうにん要請ようせいした[16]ところ、川端かわばた自身じしん受諾じゅだくしたため、現役げんえきからの引退いんたいまった。

現役げんえき引退いんたい

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2017ねん10月29にちに、オリックスのぐん育成いくせいコーチへ就任しゅうにんすることが、球団きゅうだんから正式せいしき発表はっぴょうされた[17]

2018ねん10月15にち本人ほんにんからのもうにより同年どうねんかぎりで退団たいだんすることが発表はっぴょうされた[18]

オリックス退団たいだんは、出身しゅっしん静岡しずおかけん在住ざいじゅうし、野球やきゅう個人こじんレッスンの「セレソン」の講師こうしとして野球やきゅう指導しどうたっている[19]

選手せんしゅとしての特徴とくちょう人物じんぶつ

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現役げんえき時代じだいには、パンチりょくのある打撃だげきや、50mで最速さいそく5びょう97を記録きろくした俊足しゅんそく武器ぶき活躍かつやくした[20]

特技とくぎけんだま。オリックスの選手せんしゅ時代じだいには、「集中しゅうちゅうりょくたかまる」との理由りゆうから、リラクゼーションをねてけんだま自主じしゅトレーニングにれていた[21]

相模原さがみはら市議会しぎかい議員ぎいん榎本えのもとようすけとは、高校こうこう大学だいがく野球やきゅうでの同期どうきでもあり、オリックス退団たいだん2019ねん4がつ施行しこうされた市議会しぎかい議員ぎいん選挙せんきょさいには自転車じてんしゃ遊説ゆうぜいや2れんポスターの掲載けいさいとう協力きょうりょくしている。

詳細しょうさい情報じょうほう

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年度ねんどべつ打撃だげき成績せいせき

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とし

たま

だん
ためし

ごう


せき


かず
とく

てん
やす


るい
さん
るい
ほん
るい
るい



てん
ぬすめ

るい
ぬすめ
るい




よん

たま
けい

とお


たま
さん


ころせ


りつ

るい
りつ
なが

りつ
O
P
S
2012 オリックス 125 484 429 31 114 16 0 2 136 27 6 3 24 0 22 1 9 59 8 .266 .315 .317 .632
2013 74 257 217 28 53 12 0 1 68 16 7 1 16 1 18 0 5 34 2 .244 .315 .313 .629
2014 65 184 156 23 45 7 0 2 58 16 6 2 7 2 12 0 7 25 5 .288 .362 .372 .733
2015 56 141 134 9 32 4 2 0 40 7 1 0 0 1 5 0 1 17 3 .239 .270 .299 .568
2016 28 71 62 3 12 2 0 0 14 5 1 0 7 1 0 0 1 11 1 .194 .203 .226 .429
2017 18 28 28 4 6 2 0 0 8 2 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .214 .214 .286 .500
NPB:6ねん 366 1165 1026 98 262 43 2 5 324 73 21 6 54 5 57 1 23 148 19 .255 .308 .316 .624

年度ねんどべつ守備しゅび成績せいせき

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とし
たま
だん
外野がいや
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
2012 オリックス 122 204 4 4 1 .981
2013 64 74 3 1 2 .987
2014 56 67 1 0 0 1.000
2015 46 70 1 1 0 .986
2016 22 22 0 0 0 1.000
2017 16 14 1 1 0 .938
通算つうさん 326 451 10 7 3 .985

背番号せばんごう

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  • 46 (2012ねん - 2017ねん
  • 96 (2018ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 野球やきゅう : オリックス8川端かわばたたかしよし「26さい遅咲おそざきルーキー」 ~ルーキーたちの軌跡きせきNo.6~”. スポーツコミュニケーションズ (2012ねん1がつ31にち). 2012ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん
  2. ^ オリドラ8川端かわばた「すぐにアピールしたい」”. 日刊スポにっかんすぽツ新聞社つしんぶんしゃ (2011ねん11月15にち). 2012ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん
  3. ^ だい44かい 突撃とつげきインタビュー「坂下さかしたしんふとし石井いしい大輔だいすけ」~ いざ日本にっぽん選手権せんしゅけんへ ~”. JX-ENEOS野球やきゅう (2010ねん). 2011ねん12月9にち閲覧えつらん
  4. ^ オリ ドラフト8川端かわばたがV 連敗れんぱい6でめる”. スポニチアネックス (2012ねん5がつ20日はつか). 2022ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  5. ^ 川端かわばた、プロはつ満塁まんるい本塁打ほんるいだ パでは炭谷すみたに以来いらいにん”. スポニチアネックス (2012ねん5がつ22にち). 2022ねん2がつ22にち閲覧えつらん
  6. ^ “【オリックス】56ねんぶり!新人しんじん川端かわばたまんだん1ごう. 日刊にっかんスポーツ. (2012ねん5がつ22にち). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120522-955339.html 2012ねん5がつ24にち閲覧えつらん 
  7. ^ つねがけっぷちの覚悟かくご”. 週刊しゅうかんベースボールONLINE (2012ねん7がつ17にち). 2022ねん2がつ22にち閲覧えつらん
  8. ^ “2ねん宮崎みやざき史上しじょうはつ快挙かいきょ はつ安打あんだのプロ1ごうがプレーボールだん. スポニチアネックス. (2012ねん9がつ30にち). オリジナルの2012ねん10がつ4にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121004034613/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/30/kiji/K20120930004228450.html 
  9. ^ 岡田おかだ采配さいはいズバリ 川端かわばたマエケンちV”. 日刊にっかんスポーツ (2012ねん5がつ27にち). 2022ねん2がつ22にち閲覧えつらん
  10. ^ “2012年度ねんどフレッシュオールスター・ゲーム 試合しあい結果けっか. 日本にっぽん野球やきゅう機構きこう. https://npb.jp/bis/scores/freshallstargame/boxscore2012.html 2022ねん2がつ18にち閲覧えつらん 
  11. ^ 川端かわばた、4ばん責任せきにんたす3安打あんだ自分じぶんでもびっくり」”. スポーツニッポン. (2012ねん7がつ19にち). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/07/19/kiji/K20120719003714950.html 2022ねん2がつ18にち閲覧えつらん 
  12. ^ “ウエスタン選抜せんばつ快勝かいしょう埼玉さいたま九州きゅうしゅうの“ダル”競演きょうえんも”. スポーツニッポン. (2012ねん7がつ19にち). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/07/19/kiji/K20120719003713490.html 2022ねん2がつ18にち閲覧えつらん 
  13. ^ “ドラフト8川端かわばた 100安打あんだマーク 新人しんじんおう候補こうほ浮上ふじょう. スポニチアネックス. (2012ねん9がつ4にち). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/04/kiji/K20120904004039280.html 2012ねん10がつ9にち閲覧えつらん 
  14. ^ a b c d 週刊しゅうかんベースボール2013ねん11月11にちごう P53
  15. ^ “オリックス川端かわばたプロはつサヨナラ初球しょきゅうからいけた」”. 日刊にっかんスポーツ. (2016ねん7がつ31にち). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1687446.html 2022ねん3がつ7にち閲覧えつらん 
  16. ^ オリックスが川端かわばた岩崎いわさき佐野さのの3選手せんしゅ戦力せんりょくがい通告つうこく”. 日刊にっかんスポーツ (2017ねん10がつ28にち). 2017ねん10がつ28にち閲覧えつらん
  17. ^ しんコーチングスタッフ決定けっていのおらせ”. オリックス・バファローズ (2017ねん10がつ29にち). 2017ねん10がつ29にち閲覧えつらん
  18. ^ オリックス川端かわばたたかしぐん育成いくせいコーチ退団たいだん今後こんご未定みてい”. 日刊にっかんスポーツ (2018ねん10がつ15にち). 2018ねん10がつ15にち閲覧えつらん
  19. ^ 川端かわばたコーチご挨拶あいさつ”. セレソン. 2024ねん4がつ18にち閲覧えつらん
  20. ^ だい82かい都市とし対抗たいこう野球やきゅう決勝けっしょう JRひがし悲願ひがんはつV(その1)/東京とうきょう”. 毎日まいにち.jp (2011ねん11月2にち). 2011ねん11月14にち閲覧えつらん
  21. ^ オリのヤッターマンよ…川端かわばたけんだま名人めいじん”. デイリースポーツonline (2012ねん1がつ10日とおか). 2012ねん1がつ14にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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