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戴冠式 - Wikipedia

戴冠たいかんしき

国王こくおう皇帝こうてい王位おうい帝位ていいへの就任しゅうにん宣明のぶあきする儀式ぎしき
戴冠たいかんから転送てんそう

戴冠たいかんしき(たいかんしき、coronation)は、君主くんしゅせい国家こっかで、国王こくおう皇帝こうてい即位そくいのち公式こうしき王冠おうかんみかどかんむり聖職せいしょくしゃとうからけ、王位おうい帝位ていいへの就任しゅうにん宣明のぶあきする儀式ぎしき

ボヘミアおうフェルディナンド5せい戴冠たいかん(1836ねん
ナポレオン1せい戴冠たいかんしき(1804ねん部分ぶぶん

日本にっぽんでは、即位そくいれい中心ちゅうしん儀式ぎしきである即位そくいれい正殿せいでんがこれに相当そうとうする。キリスト教きりすときょうこくでも、タイブルネイマレーシア東南とうなんアジア諸国しょこくや、中近東ちゅうきんとう君主くんしゅせい国家こっかでは、戴冠たいかんしきやそれに類似るいじした即位そくいしきおこなわれる。

概要がいよう

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『カール大帝たいてい戴冠たいかんしき』。16世紀せいきラファエロ

戴冠たいかんしきは、高僧こうそう神官しんかん高位こうい貴族きぞくが、しん君主くんしゅ王冠おうかんみかどかんむりをかぶせることによりおこなわれる。先代せんだい君主くんしゅ存命ぞんめいちゅうに、先代せんだい君主くんしゅ自身じしんによりおこなうこともある。また、すべての君主くんしゅせいくに王冠おうかんみかどかんむり存在そんざいするわけではなく、国家こっか象徴しょうちょうとして製作せいさくしただけで戴冠たいかんしきげたことがないくにもある[1]

ふるくは、アケメネスあさペルシア帝国ていこく紀元前きげんぜん550ねん - 紀元前きげんぜん330ねん)で、ゾロアスターきょう大司教だいしきょう皇帝こうてい戴冠たいかんしたとされる。

キリスト教きりすときょうくにでは、高僧こうそうしん君主くんしゅあたま聖油せいゆそそかみへの奉仕ほうしちかわせる儀式ぎしき主体しゅたいとなる。このため、英国えいこくではひじりべつしき(せいべつしき、consecration)、フランスではなりひじりしき(せいせいしき、sacre あるいは sacre de roi)といわれた。

せいべつしき起源きげんは、『旧約きゅうやく聖書せいしょ』の「れつおうした」にしるされた故事こじにある。同書どうしょには、ソロモンおう王冠おうかんけたことがしるされ、また、イスラエルユダヤ諸王しょおうせいべつしきおこなったことがしるされている。「あぶらられたもの」(ヘブライの「マスィアッハ」)は「おう」の婉曲えんきょくてき表現ひょうげんとなり、のちには救世主きゅうせいしゅラテン語らてんごの「メシア」)をすようになる。

ヨーロッパ大陸たいりくでは、カール大帝たいてい西にしマ帝国まていこくかみきよしマ帝国まていこく)を再興さいこうして、ローマ教皇きょうこうからみかどかんむりけた西暦せいれき800ねんから、皇帝こうていフリードリヒ3せいローマおもむいてローマ教皇きょうこうからみかどかんむりけた1440ねんまで、聖油せいゆそそ慣習かんしゅうおこなわれた。

アングロ・サクソン年代ねんだいには、デーンじん大軍たいぐんやぶってイングランド死守ししゅしたアルフレッド大王だいおうが、872ねん聖油せいゆあたまけて即位そくいしたとある。また、1066ねんには、ハロルド2せいロンドンウェストミンスター寺院じいん戴冠たいかんしきおこなったと記録きろくされ、12世紀せいきまではローマ教皇きょうこうから王冠おうかんけた。その多少たしょう改変かいへんはあったものの、1189ねんリチャード1せいのとき、英国えいこく戴冠たいかんしき様式ようしきがほぼ確立かくりつした。

カトリックこくでは、国王こくおう皇帝こうていのほか、ローマ教皇きょうこう即位そくいするさいにも戴冠たいかんしきおこなわれた。14世紀せいきクレメンス5せい在位ざいい:1305ねん - 1314ねん)のときからは、三重みえかんむり教皇きょうこうかんむり英語えいごばん:Papal Tiara)が戴冠たいかんされた。バチカンこく国旗こっきくにあきらにも、この三重みえかんむりえがかれている。しかし、三重みえかんむり戴冠たいかんは、1978ねんヨハネ・パウロ1せい即位そくいさい廃止はいしされた。ヨハネ・パウロ1せいは、三重みえかんむりアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく首都しゅとワシントンD.C.にある原罪げんざい宿やどりの聖母せいぼ教会きょうかい寄贈きぞうした。2005ねん即位そくいしたベネディクト16せいは、紋章もんしょうからも三重みえかんむりはいした。ヨハネ・パウロ1せい以降いこうのローマ教皇きょうこう即位そくいしきは「着座ちゃくざしき」(ちゃくざしき)とばれる。

1977ねん12月4にちには、中央ちゅうおうアフリカ共和きょうわこくジャン=ベデル・ボカサ大統領だいとうりょうが、やく2000まんドル(国家こっか予算よさんの1/4)もの巨費きょひをつぎんで、ぜいくしたフランスふう戴冠たいかんしきおこない、中央ちゅうおうアフリカ帝国ていこく初代しょだい皇帝こうていボカサ1せい即位そくいした(「くろいナポレオン」)。

キリスト教きりすときょう文化ぶんかけん戴冠たいかんしき

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キリスト教きりすときょう文化ぶんかけん儀礼ぎれい

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英国えいこく戴冠たいかんしき

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英国えいこく戴冠たいかんしきもちいられる宝物ほうもつ連合れんごう王国おうこく戴冠たいかんたから

今日きょう英国えいこくは、戴冠たいかんしき廃止はいししていないヨーロッパで唯一ゆいいつくにである[1]

英国えいこく戴冠たいかんしきは、ロンドンのウェストミンスター寺院じいんおこなわれる。

まず、カンタベリーだい主教しゅきょう祈祷きとうし、国王こくおう宣誓せんせいして「スクーンのいし」がはめまれた戴冠たいかんしき椅子いすエドワードおう椅子いす」にく。だい主教しゅきょうは、国王こくおうあたまむね両手りょうてのてのひらに聖油せいゆそそぐ。

つぎに、国王こくおうきぬ法衣ほうえをまとい、宝剣ほうけんおうしゃくおうつえ指輪ゆびわ手袋てぶくろなどをさづけられ、だい主教しゅきょうにより王冠おうかんをかぶせられる。国王こくおう椅子いすもどり、列席れっせき貴族きぞくたちの祝辞しゅくじける。その国王こくおう配偶はいぐうしゃ宝冠ほうかん(coronet)をける。

1953ねん昭和しょうわ28ねん6月2にちおこなわれた女王じょおうエリザベス2せい戴冠たいかんしきでは、じゅんきむせいおもやく2kgの「ひじりエドワード王冠おうかん」(St. Edward's Crown)が戴冠たいかんされた。この王冠おうかんおもすぎるため戴冠たいかんしき以外いがいではもちいられず、その儀式ぎしきでは「インペリアル・ステート・クラウン」(だいえい帝国ていこく王冠おうかん、Imperial State Crown)がもちいられている。このしきさいには、日本にっぽんから皇太子こうたいし明仁あきひと親王しんのう(当時とうじ)が、昭和しょうわ天皇てんのう名代なだいとして列席れっせきした。

1996ねん戴冠たいかんしきよう椅子いすである「キング・エドワード・チェアー」(エドワードおう椅子いす)にはめまれていた「スクーンのいし」が、スコットランド返還へんかんされた。スクーンのいしは、1296ねんエドワード1せいが、スコットランドからったもので、スコットランド征服せいふく象徴しょうちょうとして、歴代れきだいイングランドおう戴冠たいかんしきおうしりかれていた。

2023ねん5月6にちには、チャールズ3せい戴冠たいかんしきおこなわれた[2]

脚注きゃくちゅう

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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