教皇 不可 謬説
教皇 不可 謬が成 り立 つ条件
「
教皇 が一人 の神学 者 としてではなく、世界 に広 がる教会 の霊的 な長 として宣言 すること。信仰 や道徳 に関 する事柄 であり、それらが荘厳 な形 で手順 を踏 んで発言 されること。- その
発言 が教会 の過去 の教 えに矛盾 しないこと。 - あらかじめよく
検討 され、十分 に納得 され、変更 の余地 がないまでに完成 された信仰 の事柄 について使徒 の権威 をもって公式 に宣言 が行 われること。荘厳 な宣言 に関 しては次 のような定式 表現 で始 まることが多 い: 「われわれはここに宣言 し、以下 のように定 める。」 - さらに「
不可 謬」の条件 を満 たすには、教皇 の宣言 が全 世界 の教会 を対象 とされたものであることが必須 である。つまり教皇 が公式 の手順 を踏 んで「全 世界 の教会 」に対 して宣言 したものでなければ、その宣言 は「教皇 座 から」のもので「不可 謬」なものとはなりえない。 歴史 的 に見 れば、このような権威 をもって行 う宣言 には、これらの宣言 に反対 的 な言辞 を述 べるものはカトリック教会 から離 れているとみなされるという一文 がよく付加 されるが、これをアナテマという。たとえば「不可 謬」権 を行使 して宣言 された教皇 ピウス12世 の「聖母 の被 昇天 」に関 する宣言 には、「もしこれらのことを疑 い、否定 する発言 を行 うものはカトリック教会 の信仰 から離 れているとみなされる」という一文 が付加 されている。
思想 的 発展
カトリック
聖書 の中 にみる論拠
カトリック
- ヨハネによる
福音 書 1:42、マルコによる福音 書 3:16 イエスがシモンにペトロ(ヘブライ語 でケファ、岩 )という名前 をあたえる。 - マタイによる
福音 書 16:18 「この岩 の上 に私 は教会 を立 てる。」(マタイ7:24-28岩 の上 にたてられた家 の箇所 も参考 ) - ヨハネ16:13 「
真理 の霊 が来 ると、真実 を示 す。」 - ヨハネ14:26 「
父 が私 の名 によって送 る聖霊 がすべてを示 す。」 - ヨハネ21:15-17 「わたしの
羊 を牧 せよ。」 - ルカによる
福音 書 10:16 「あなたのことばを聴 くものは私 のことばを聴 く。あなたを拒 むものは私 を拒 んでいる。私 を拒 むものは、私 がおくるものを拒 んでいる。」 - テモテへの
第 一 の手紙 3:15 「神 の家 でどのようにふるまうか、それは真理 の柱 、土台 である。」 - ヨハネの
第 一 の手紙 2:27 「御子 から油 を受 けているので、あなたたちは誰 にも教 えを請 う必要 はありません。油 によってすべてのことが教 えられ、それらは偽 りのない真実 である。教 えにあるように彼 のうちにとどまりなさい。」 使徒 言行 録 15:28 「聖霊 とわたしたちにとってそれはよいことのように思 えます。」(ここでは使徒 たちが聖霊 の力 によって語 っている)- マタイ10:2 「12
人 の名前 は以下 のとおりである。第 一 にペトロと呼 ばれるシモン。」(ペトロの首位 性 を示 す箇所 ) - マタイ28:20 「わたしが
命 じたことをすべて守 るように教 えなさい。わたしはいつもあなたとともにいる。」
古代 教会 における教皇 不可 謬説の解釈
ローマ教会 およびその司教 には他 の教会 や司教 にない卓越 した権威 があるという考 え方 は徐々 に発展 し広 まったものだった。それにともなってその根拠 を福音 など聖書 の中 に求 めようとする理論 も発展 した。他 の教会 の間 にローマ教会 の首位 権 がみとめられるようになるのはせいぜい1世紀 の終 わりからである。 — ルドヴィク・オットー『カトリック教義 の基礎 』4巻 第 2部 2章 6
クレメンス1
ほんとうにあなたたちの存在 が私 たちを喜 ばせてくれます。もしわたしたちが聖霊 の導 きによって書 き送 る書簡 に従 うなら、私 たちの間 の平和 と一致 が保 たれることでしょう。 — デンツィンガー・シェーンメッツァー編 『カトリック教会 文書 資料集 』41番 (以下 デンツィンガー)
アレクサンドリアのクレメンスは200
聖 なる、選 ばれたペトロは使徒 のうちのかしらであり、救 い主 ご自身 がそれを選 ばれたのである。 — ユルゲンス436番
341
あなたがたは知 らないのですか、わたしたちが最初 に知 らされることが慣習 であること、なにが正 しいかがここ(ローマ)で決 められるということを。 — デンツィンガー57番
あなたの質問 に対 しては法的 に正 しい解答 を拒 むことはできない。なぜならわたしたちには教会 全体 に対 する義務 がある以上 、偽 りをいうことができないだけでなく、沈黙 することもゆるされないからである。私 たちは教会 全体 の負 う重荷 を共 に担 っている、そこでは聖 なるペトロがその後継 者 を守 ってくれているのである。 — デンツィンガー87番
中世 における進展
第 1バチカン公 会議 における教義 としての布告 (1870年 )
われわれはこう教 え、定 める。すなわちローマ教皇 が聖 座 から語 るとき、すなわちそれはすべてのキリスト者 の牧者 とし教師 として、その使徒 的 な権威 によって全 教会 が守 るべき信仰 と道徳 の事柄 に関 して述 べるなら、それはペトロの名 において約束 された聖 なる力 の助 けをうけるものであり、教会 の信仰 と道徳 に関 する教 えについて救 い主 から来 る不可 謬性があたえられる。そしてそのような決定 は、それ自体 によって教会 の同意 によってではなく、改正 不能 なものとなる。 — デンツィンガー1839番 、第 1バチカン公 会議 第 四 会期 キリストの教会 4章
カトリック
教皇 不可 謬の例
カトリックについてよく
1854
しかしこのわずか
バチカン
教皇 不可 謬説への異論
カトリック
カトリック教会 内部 からの異論
1870
カトリック
外部 リンク
- Clear Ideas on the Pope's Infallible Magisterium, the fraternity of St Pius X point of view, not part of Roman Catholic Church/
教皇 不可 謬についての解説 (英語 ) - Universal Cathechism of the Catholic Church on Infallibility/ バチカン
公式 ウェブサイト、「不可 謬性とは」(英語 ) - CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: Infallibility – historical treatment/ 「カトリック・エンサイクロペディア」から「
教皇 不可 謬」(英語 ) - Catholic Answers: Papal Infallibility/ カトリックドットコム、「
教皇 不可 謬」(英語 )