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教皇不可謬説 - Wikipedia

教皇きょうこう不可ふか謬説(きょうこうふかびゅうせつ)は、カトリック教会きょうかいにおいて、ローマ教皇きょうこうが「信仰しんこうおよび道徳どうとくかんする事柄ことがらについて教皇きょうこうエクス・カテドラ)からおごそかに宣言せんげんする場合ばあい、その決定けってい聖霊せいれいみちびきにもとづくものとなるため、まさしくけっしてあやまりえない」という教義きょうぎのこと。

教皇きょうこう不可ふか謬が教義きょうぎとして正式せいしき宣言せんげんされたのは1870ねんだい1バチカンこう会議かいぎにおいてであるが、その思想しそう自体じたいには初代しょだい教会きょうかい以来いらいなが歴史れきしてき伝統でんとうがある。カトリック神学しんがくにおいて教皇きょうこう不可ふか謬性は教会きょうかいのもつよっつの不可ふか謬性(後述こうじゅつ)のうちのひとつとしてかんがえられ、思想しそうてき発展はってんさせられてきた。教皇きょうこう不可ふか謬の教義きょうぎをめぐってはカトリック教会きょうかい内外ないがいおおくの議論ぎろんおこなわれてきた。

教皇きょうこう不可ふか謬が条件じょうけん

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教皇きょうこう不可ふか謬といってもけっして教皇きょうこう発言はつげんがすべてあやまりなく、ただしいということではない。不可ふか謬になりうるのは「教会きょうかいながきにわたって伝統でんとうとしておしえてきたこと」か「教皇きょうこうエクス・カテドラ)からおごそかに宣言せんげんされた」信仰しんこうかんする事柄ことがらのみに限定げんていされている。さらにたとえ「教皇きょうこうからの荘厳そうごん宣言せんげん」であっても、それが「教会きょうかい伝統でんとうてきおしえ」と矛盾むじゅんしないよう配慮はいりょされる。「教会きょうかい伝統でんとうとしておしえてきたこと」というのは「普遍ふへんてき教導きょうどうけん」あるいは「一定いってい教導きょうどうけん」ともいわれる。そして「教皇きょうこうからの荘厳そうごん宣言せんげん」は「特別とくべつ教導きょうどうけん」あるいは「荘厳しょうごん教導きょうどうけん」とばれる。すなわちいくら信仰しんこうかんする教皇きょうこう発言はつげんであっても教会きょうかいなか伝統でんとうてきわれてきたことでないものや、教皇きょうこう私的してきでの意見いけんなどは「教皇きょうこうから」の荘厳そうごん宣言せんげんではないので不可ふか謬にはなりえないのである。

教皇きょうこうから」の荘厳そうごん発言はつげんとなりうるためには以下いかのような条項じょうこうたしている必要ひつようがある。

  • 教皇きょうこう一人ひとり神学しんがくしゃとしてではなく、世界せかいひろがる教会きょうかい霊的れいてきちょうとして宣言せんげんすること。
  • 信仰しんこう道徳どうとくかんする事柄ことがらであり、それらが荘厳そうごんかたち手順てじゅんんで発言はつげんされること。
  • その発言はつげん教会きょうかい過去かこおしえに矛盾むじゅんしないこと。
  • あらかじめよく検討けんとうされ、十分じゅうぶん納得なっとくされ、変更へんこう余地よちがないまでに完成かんせいされた信仰しんこう事柄ことがらについて使徒しと権威けんいをもって公式こうしき宣言せんげんおこなわれること。荘厳そうごん宣言せんげんかんしてはつぎのような定式ていしき表現ひょうげんはじまることがおおい: 「われわれはここに宣言せんげんし、以下いかのようにさだめる。」
  • さらに「不可ふか謬」の条件じょうけんたすには、教皇きょうこう宣言せんげんぜん世界せかい教会きょうかい対象たいしょうとされたものであることが必須ひっすである。つまり教皇きょうこう公式こうしき手順てじゅんんで「ぜん世界せかい教会きょうかい」にたいして宣言せんげんしたものでなければ、その宣言せんげんは「教皇きょうこうから」のもので「不可ふか謬」なものとはなりえない。
  • 歴史れきしてきれば、このような権威けんいをもっておこな宣言せんげんには、これらの宣言せんげん反対はんたいてき言辞げんじべるものはカトリック教会きょうかいからはなれているとみなされるという一文いちぶんがよく付加ふかされるが、これをアナテマという。たとえば「不可ふか謬」けん行使こうしして宣言せんげんされた教皇きょうこうピウス12せいの「聖母せいぼ昇天しょうてん」にかんする宣言せんげんには、「もしこれらのことをうたがい、否定ひていする発言はつげんおこなうものはカトリック教会きょうかい信仰しんこうからはなれているとみなされる」という一文いちぶん付加ふかされている。

思想しそうてき発展はってん

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カトリック教会きょうかいでは伝統でんとうてきにこの権威けんい新約しんやく聖書せいしょ記述きじゅつ由来ゆらいするものとかんがえているが、カトリック教会きょうかい以外いがい人々ひとびとには支持しじされていない。

聖書せいしょなかにみる論拠ろんきょ

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カトリック神学しんがくにおいては、以下いかのような聖書せいしょ箇所かしょがローマ教皇きょうこう首位しゅいけん不可ふか謬性の論拠ろんきょとなっているとみなされてきた。

  • ヨハネによる福音ふくいんしょ1:42、マルコによる福音ふくいんしょ3:16 イエスがシモンにペトロヘブライでケファ、いわ)という名前なまえをあたえる。
  • マタイによる福音ふくいんしょ16:18 「このいわうえわたし教会きょうかいてる。」(マタイ7:24-28 いわうえにたてられたいえ箇所かしょ参考さんこう
  • ヨハネ16:13 「真理しんりれいると、真実しんじつしめす。」
  • ヨハネ14:26 「ちちわたしによっておく聖霊せいれいがすべてをしめす。」
  • ヨハネ21:15-17 「わたしのひつじまきせよ。」
  • ルカによる福音ふくいんしょ10:16  「あなたのことばをくものはわたしのことばをく。あなたをこばむものはわたしこばんでいる。わたしこばむものは、わたしがおくるものをこばんでいる。」
  • テモテへのだいいち手紙てがみ3:15 「かみいえでどのようにふるまうか、それは真理しんりはしら土台どだいである。」
  • ヨハネのだいいち手紙てがみ2:27 「御子みこからあぶらけているので、あなたたちはだれにもおしえを必要ひつようはありません。あぶらによってすべてのことがおしえられ、それらはいつわりのない真実しんじつである。おしえにあるようにかれのうちにとどまりなさい。」
  • 使徒しと言行げんこうろく15:28 「聖霊せいれいとわたしたちにとってそれはよいことのようにおもえます。」(ここでは使徒しとたちが聖霊せいれいちからによってかたっている)
  • マタイ10:2 「12にん名前なまえ以下いかのとおりである。だいいちにペトロとばれるシモン。」(ペトロの首位しゅいせいしめ箇所かしょ
  • マタイ28:20 「わたしがめいじたことをすべてまもるようにおしえなさい。わたしはいつもあなたとともにいる。」

神学しんがくしゃルドヴィク・オットー著作ちょさく『カトリック教義きょうぎ基礎きそ』 (Ludwig Ott: Grundriss der katholischen Dogmatik, 1952) において、上記じょうき箇所かしょほかにも使徒しとあいだにおけるペトロの首位しゅいせいしめおおくの箇所かしょ指摘してきしている(れい:マルコ5:37、マタイ17:1、ルカ5:3など。4かんだい22しょう5参照さんしょう)。

古代こだい教会きょうかいにおける教皇きょうこう不可ふか謬説の解釈かいしゃく

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初期しょき教会きょうかいではまだローマ教会きょうかいおよびローマ司教しきょうたる教皇きょうこう権威けんい全域ぜんいきみとめられていたわけではなかった。

ローマ教会きょうかいおよびその司教しきょうには教会きょうかい司教しきょうにない卓越たくえつした権威けんいがあるというかんがかた徐々じょじょ発展はってんひろまったものだった。それにともなってその根拠こんきょ福音ふくいんなど聖書せいしょなかもとめようとする理論りろん発展はってんした。教会きょうかいあいだにローマ教会きょうかい首位しゅいけんがみとめられるようになるのはせいぜい1世紀せいきわりからである。 — ルドヴィク・オットー『カトリック教義きょうぎ基礎きそ』4かんだい22しょう6

クレメンス1せい(ローマのクレメンス)は99ねんコリント信徒しんとにあてた手紙てがみにこういている。

ほんとうにあなたたちの存在そんざいわたしたちをよろこばせてくれます。もしわたしたちが聖霊せいれいみちびきによっておく書簡しょかんしたがうなら、わたしたちのあいだ平和へいわ一致いっちたもたれることでしょう。 — デンツィンガー・シェーンメッツァーへん『カトリック教会きょうかい 文書ぶんしょ資料集しりょうしゅう』41ばん以下いかデンツィンガー)

アレクサンドリアのクレメンス200ねんごろ、ペトロの権威けんいについていている。

せいなる、えらばれたペトロは使徒しとのうちのかしらであり、すくぬし自身じしんがそれをえらばれたのである。 — ユルゲンス436ばん

かく教会きょうかいあいだ順列じゅんれつについては251ねん教皇きょうこうステファヌス1せいアンティオキア司教しきょうにあてた手紙てがみなか強調きょうちょうしている。

それ以上いじょうに、あの福音ふくいん守護しゅごしゃノヴァティアヌス)はカトリック教会きょうかいに(ローマの)司教しきょうはただ一人ひとりであることをらねばなりません。これはかくれない事実じじつです。 — デンツィンガー45ばん

341ねんにはユリウス1せいがアンティオキアの教会きょうかいにこうおくっている。

あなたがたはらないのですか、わたしたちが最初さいしょらされることが慣習かんしゅうであること、なにがただしいかがここ(ローマ)でめられるということを。 — デンツィンガー57ばん

使徒しとたちのかんがえていたことがかたつたえられたすえに、文書ぶんしょされて新約しんやく聖書せいしょ原型げんけいとなったことはうたがいの余地よちがなく、使徒しとたちに由来ゆらいする伝統でんとうがやがて教会きょうかいせいなる伝統でんとうひじりつたえ)をつくっていったこともうたがない。ここからひとつの結論けつろんみちびされる。

シリキウス385ねんにヒメリウスにこうおくっている。

あなたの質問しつもんたいしては法的ほうてきただしい解答かいとうこばむことはできない。なぜならわたしたちには教会きょうかい全体ぜんたいたいする義務ぎむがある以上いじょういつわりをいうことができないだけでなく、沈黙ちんもくすることもゆるされないからである。わたしたちは教会きょうかい全体ぜんたい重荷おもにともになっている、そこではせいなるペトロがその後継こうけいしゃまもってくれているのである。 — デンツィンガー87ばん

初期しょき一連いちれんおおやけ会議かいぎ関連かんれんして、教父きょうふたちのおおくも聖書せいしょひじりつたえ判断はんだんかんするローマ司教しきょう優越ゆうえつ正当せいとうせいについて言及げんきゅうしている。

中世ちゅうせいにおける進展しんてん

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中世ちゅうせいとルネサンスにおいては、教会きょうかいよっつの不可ふか謬がみとめられていた。だいいちぜん教会きょうかい構成こうせいいん総意そういによる決定けってい不可ふか謬、だい世界せかい司教しきょうたちの総意そういによる不可ふか謬、だいさんおおやけ会議かいぎ不可ふか謬、そしてだいよん教皇きょうこう不可ふか謬である。

おおやけ会議かいぎ不可ふか謬についてはじめて体系たいけいてきろんじたのは9世紀せいき神学しんがくしゃテオドール・アブ・クーラであった。さらに中世ちゅうせいすうにん神学しんがくしゃたちが信仰しんこう道徳どうとくかんする事柄ことがらについての教皇きょうこう不可ふか謬性についてろんじている。そのなかとく有名ゆうめいなのはトマス・アクィナスピエトロ・オリヴィであるが、1330ねんカルメルかいいんであった司教しきょうグイド・テレーニが賜物たまものとしての教皇きょうこう不可ふか謬性の行使こうしについて言及げんきゅうしている。これはだい1バチカンこう会議かいぎにおける「教皇きょうこう不可ふか謬」へのアプローチとまったくおなじものであった。

だい1バチカンこう会議かいぎにおける教義きょうぎとしての布告ふこく(1870ねん

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だい1バチカンこう会議かいぎ教皇きょうこう不可ふか謬についてつぎのように宣言せんげんした。

われわれはこうおしえ、さだめる。すなわちローマ教皇きょうこうせいからかたるとき、すなわちそれはすべてのキリストしゃ牧者ぼくしゃとし教師きょうしとして、その使徒しとてき権威けんいによってぜん教会きょうかいまもるべき信仰しんこう道徳どうとく事柄ことがらかんしてべるなら、それはペトロのにおいて約束やくそくされたせいなるちからたすけをうけるものであり、教会きょうかい信仰しんこう道徳どうとくかんするおしえについてすくぬしから不可ふか謬性があたえられる。そしてそのような決定けっていは、それ自体じたいによって教会きょうかい同意どういによってではなく、改正かいせい不能ふのうなものとなる。 — デンツィンガー1839ばんだい1バチカンこう会議かいぎ だいよん会期かいき キリストの教会きょうかい 4しょう

カトリック神学しんがくではこれがおおやけ会議かいぎによってみとめられた不可ふか謬性の公式こうしき教義きょうぎ確定かくていであるとる。1870ねんになってようやく教皇きょうこう不可ふか謬は教義きょうぎとして公式こうしき布告ふこくされたものが、それにいたるまでになが歴史れきしてき神学しんがくてき展開てんかいていることは否定ひていできない。

教皇きょうこう不可ふか謬のれい

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カトリックについてよくらない人々ひとびとだけでなく、カトリック信徒しんとあいだですら教皇きょうこう不可ふか謬があやまって理解りかいされているれいがしばしばられる。それらの人々ひとびといだもっともポピュラーな誤解ごかいは、「教皇きょうこう言葉ことばなんでもかんでもあやまりがなく、反論はんろんできないものだ」といったものであることがおおい。しかし、教皇きょうこう不可ふか謬とは上述じょうじゅつのようにきびしい要件ようけんされたうえ宣言せんげんされるものであり、このような見方みかたけっしてただしいとはいえない。また、実際じっさいには教皇きょうこう不可ふか謬権が行使こうしされたれいきわめてまれであり、これからもめったにないであろうとかんがえられている。

1854ねん教皇きょうこうピウス9せいの「聖母せいぼ原罪げんざい宿やど」の教義きょうぎ布告ふこく(これはだい1バチカンこう会議かいぎ以前いぜんのものであり、遡及そきゅう適用てきようされた)と、1950ねんピウス12せいの「聖母せいぼ昇天しょうてん」の教義きょうぎ布告ふこくれいかんしては、教皇きょうこう不可ふか謬権をともなって宣言せんげんされたものであるとおおくの神学しんがくしゃたちからなされている(なお、どちらも突然とつぜん宣言せんげんされたものではなく、古代こだい以来いらい、カトリック教会きょうかいにおいて伝統でんとうてき尊重そんちょうされてきたおしえであった。ただし、正式せいしき教義きょうぎとしての宣言せんげんけていなかっただけであるとされている)。

しかしこのわずかれいのぞけば、近代きんだい以降いこう教皇きょうこう文書ぶんしょ布告ふこくにおいて教皇きょうこう不可ふか謬権を行使こうしして宣言せんげんされたものはない、というのがおおくの神学しんがくしゃたちの共通きょうつうした見解けんかいである。なお、神学しんがくしゃクラウス・シャッツの1985ねん見解けんかいおよおなじくフランシス・サリバンの1995ねん見解けんかいによれば、上記じょうきれい以外いがいいつつの文書ぶんしょにおいて教皇きょうこう不可ふか謬権の行使こうしおこなわれている、とされている。

バチカン自身じしんは、どの布告ふこく教皇きょうこう不可ふか謬権を行使こうしして宣言せんげんされたかということを公式こうしき宣言せんげんしているわけではない。1998ねん当時とうじ教理きょうりしょう長官ちょうかんであったヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿すうききょう(のちのだい265だいローマ教皇きょうこうベネディクト16せいおよ同省どうしょう局長きょくちょうタルチジオ・ベルトーネ枢機卿すうききょうによってしめされた注釈ちゅうしゃくには、教皇きょうこうおおやけ会議かいぎによる決定けっていのうちで不可ふか謬であると、みなされるもののリストがしめされているが、そこにおいても「これは完全かんぜんなものでない」とべられている。どちらにせよ、教皇きょうこう決定けっていよりもおおやけ会議かいぎ決定けっていほうが、不可ふか謬権を行使こうししているものがおおいことは間違まちがいないとされている。

教皇きょうこう不可ふか謬説への異論いろん

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カトリック教会きょうかい以外いがいキリスト教きりすときょうしょ教派きょうは正教会せいきょうかい東方とうほうしょ教会きょうかいせい公会こうかいプロテスタント)は、教皇きょうこう権威けんいみとめないため教皇きょうこう不可ふか謬説も必然ひつぜんてきみとめていないが、カトリック教会きょうかい内部ないぶからも教皇きょうこう不可ふか謬を教義きょうぎとすることの必要ひつようせいについての疑義ぎぎしめされている。

カトリック教会きょうかい内部ないぶからの異論いろん

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1870ねんだい1バチカンこう会議かいぎ教皇きょうこう不可ふか謬の教義きょうぎがあわただしく決定けっていされたのち、ドイツ、オーストリア、スイスのカトリック関係かんけいしゃから教皇きょうこう不可ふか謬を教義きょうぎとして宣言せんげんすることへの疑問ぎもんしめされた。かれらはおおやけ会議かいぎ不可ふか謬については異論いろんがなかったものの、教皇きょうこう不可ふか謬権については納得なっとくできず、あるものはカトリック教会きょうかいはなれ、復古ふっこカトリック教会きょうかいといわれる独自どくじのグループを形成けいせいした。

カトリック教会きょうかい内部ないぶにも教皇きょうこう不可ふか謬を教義きょうぎとすることはれがたいとかんがえていたものがいた。たとえば神学しんがくしゃハンス・キュング歴史れきしギャリー・ウィルスなどがそうであった。1989ねんから1992ねんにかけて15さいから25さいまでの教皇きょうこう不可ふか謬の教義きょうぎについてじゅうすうカ国かこくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく、オーストリア、カナダ、エクアドル、日本にっぽん、フランス、アイルランド、イタリア、韓国かんこく、ペルー、スペイン、スイス)のカトリック青年せいねん対象たいしょう調査ちょうさおこなわれた。結果けっか不可ふか謬を教義きょうぎとしてれられるというものが36.9%、れられないというのが36.9%、よくわからないというのが26.2%という結果けっかであった。(出典しゅってん: Report on surveys of the International Marian Research Institute, by Johann G. Roten, S.M.)

近代きんだいてき意味いみでの不可ふか謬にたいしてさまざまな反論はんろんられる。たとえばブライアン・ティエーニーのあらわした『教皇きょうこう不可ふか謬性の起源きげん 1150-1350』(ライデン、1972ねん)。議論ぎろんこしたものとしては教皇きょうこう不可ふか謬というかんがかたただしいとか、間違まちがいという以前いぜん無意味むいみなものであるというウィトゲンシュタイン研究けんきゅうでも有名ゆうめいイエズス会員かいいんガース・ハレットの『ひかりかげ 教義きょうぎ分析ぶんせき』(サンパウロ、1975ねん)がある。

外部がいぶリンク

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