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敵国条項 - Wikipedia

敵国てきこく条項じょうこう

国連こくれん憲章けんしょう条文じょうぶんうちきゅう枢軸すうじくこくかんする条項じょうこう総称そうしょう

敵国てきこく条項じょうこう(てきこくじょうこう、えい: Enemy Clausesどく: Feindstaatenklausel、またはきゅう敵国てきこく条項じょうこう[1])は、国際こくさい連合れんごう憲章けんしょう以下いか憲章けんしょう」)で、「だい世界せかい大戦たいせんなか連合れんごうこく敵国てきこくであったくに」(枢軸すうじくこく)にたいする措置そち規定きていしただい53じょうおよびだい107じょうだい77じょう一部いちぶ文言もんごんのこと。条項じょうこう削除さくじょ改定かいていけてのうごきはあり、総会そうかい決議けつぎもなされているが、2024ねん時点じてん削除さくじょ改定かいていにはいたっていない。また、日本にっぽんこくとしては「文化ぶんか」していると主張しゅちょうしているが、ロシア外務省がいむしょうは、北方領土ほっぽうりょうど関連かんれんして国連こくれん憲章けんしょう107じょうしてくることがあり、適用てきようこころみるくにはある[2][3][4][5][6]

条文じょうぶん日本語にほんごやく

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  1. 安全あんぜん保障ほしょう理事りじかいは、その権威けんいしたにおける強制きょうせい行動こうどうのために、適当てきとう場合ばあいには、前記ぜんき地域ちいきてきごくまたは地域ちいきてき機関きかん利用りようする。ただし、いかなる強制きょうせい行動こうどうも、安全あんぜん保障ほしょう理事りじかい許可きょかがなければ、地域ちいきてききょくもとづいてまた地域ちいきてき機関きかんによってとられてはならない。もっとも、本条ほんじょう2にさだめる敵国てきこくのいずれかにたいする措置そちで、だい107じょうしたがって規定きていされるものまたはこの敵国てきこくにおける侵略しんりゃく政策せいさく再現さいげんそなえる地域ちいきてききょくにおいて規定きていされるものは、関係かんけい政府せいふ要請ようせいもとづいてこの機構きこうがこの敵国てきこくによるあらたな侵略しんりゃく防止ぼうしする責任せきにんうときまで例外れいがいとする。
  2. 本条ほんじょう1でもちいる敵国てきこくというかたりは、だい世界せかい戦争せんそうちゅうにこの憲章けんしょうのいずれかの署名しょめいこく敵国てきこくであったくに適用てきようされる。 — 国際こくさい連合れんごう憲章けんしょうだい53じょう
信託しんたく統治とうち制度せいどは、つぎ種類しゅるい地域ちいき信託しんたく統治とうち協定きょうていによってこの制度せいどしたにおかれるものに適用てきようする。
中略ちゅうりゃく
B だい世界せかい大戦たいせん結果けっかとして敵国てきこくから分離ぶんりされる地域ちいき
以下いかりゃく — 国際こくさい連合れんごう憲章けんしょうだい77じょう
この憲章けんしょうのいかなる規定きていも、だい世界せかい大戦たいせんちゅうにこの憲章けんしょう署名しょめいこくてきであったくにかんする行動こうどうでその行動こうどうについて責任せきにんゆうする政府せいふがこの戦争せんそう結果けっかとしてとりまた許可きょかしたものを無効むこうにし、また排除はいじょするものではない。 — 国際こくさい連合れんごう憲章けんしょうだい107じょう

条文じょうぶん解説かいせつ

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憲章けんしょうだい2しょうでは主権しゅけん平等びょうどう原則げんそくをうたっており、だい53じょうふくまれている憲章けんしょう8しょうでは地域ちいきてききょくについてかれている。だい53じょうだい1こう前段ぜんだんでは地域ちいき安全あんぜん保障ほしょう機構きこう強制きょうせい行動こうどう武力ぶりょく制裁せいさいたい国際こくさい連合れんごう安全あんぜん保障ほしょう理事りじかい安保理あんぽり)の許可きょかけることが必要ひつようであるとしている[7]。しかし、だい53じょうだい1こう後段こうだん安保理あんぽり許可きょか例外れいがい規定きてい)は、「だい世界せかい大戦たいせんちゅう連合れんごうこく敵国てきこくだったくに」が、戦争せんそうにより確定かくていした事項じこう無効むこうに、または排除はいじょした場合ばあい国際こくさい連合れんごう加盟かめいこく地域ちいき安全あんぜん保障ほしょう機構きこう安保理あんぽり許可きょかがなくとも、当該とうがいこくたいして軍事ぐんじてき制裁せいさいすことが容認ようにんされ、この行為こうい制止せいしできないとしている[8]。また敵国てきこく侵略しんりゃく政策せいさく再現さいげんそなえる地域ちいきてききょくがなされている場合ばあいも、安保理あんぽり許可きょかがなくとも敵国てきこくたいして制裁せいさい軍事ぐんじてきしくは経済けいざいてきな。憲章けんしょうだい7しょう定義ていぎ)をすことができる。

だい107じょう連合れんごうこく敵国てきこくたいする加盟かめいこく行動こうどう例外れいがい規定きてい)は、だい106じょうとともに「過渡かとてき安全あんぜん保障ほしょう」をさだめた憲章けんしょうだい17しょう構成こうせいしている。だい107じょうきゅう敵国てきこく行動こうどうたいして責任せきにん政府せいふ戦争せんそう過渡かとてき期間きかんあいだったかく措置そち休戦きゅうせん降伏ごうぶく占領せんりょうなどの戦後せんご措置そち)は、憲章けんしょうによって無効むこうされないというものである[9]

だい77じょう信託しんたく統治とうちかんする条文じょうぶんであるが、その対象たいしょうとして「だい世界せかい戦争せんそう結果けっかとして敵国てきこくから分離ぶんりされる地域ちいき」がげられている。「きゅう敵国てきこく」にたいするあつかいの条文じょうぶんではないが、「敵国てきこく」のかたり言及げんきゅうされているために「敵国てきこく条項じょうこう」の一部いちぶとしてあつかわれている。

だい53じょうだい2こうでは「ほんこうもちいる敵国てきこくというかたりは、だい世界せかい大戦たいせんちゅうにこの憲章けんしょうのいずれかの署名しょめいこく敵国てきこくであったくに適用てきようされる」としているが、具体ぐたいてきにどのくにがこれに該当がいとうするかは明記めいきされていない。また107じょうの「責任せきにん政府せいふ」についても同様どうようである。しかしこれらはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくイギリスフランス[10]ソビエト連邦れんぽう継承けいしょうこくロシア連邦れんぽう)・中華民国ちゅうかみんこく継承けいしょうこく中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく)をふくむ51のげん加盟かめいこくすなわちだい世界せかい大戦たいせんにおける連合れんごうこくすとするせつ有力ゆうりょくである[9]だい107じょう過渡かとてき期間きかん明示めいじされておらず、過渡かとてき期間きかんが「責任せきにん政府せいふ」からのもうてがかぎ永久えいきゅうてきつづくという解釈かいしゃく存在そんざいする[11]

これらの条文じょうぶんは、敵国てきこく敵国てきこくでなくなる状態じょうたいについて言及げんきゅうしておらず、その措置そちについてもなんら制限せいげん定義ていぎしていない。このため「きゅう敵国てきこく永久えいきゅう無法者むほうもの宣言せんげんする効果こうか」があるとされ[12]きゅう敵国てきこくとの紛争ふんそうについては「平和へいわてき解決かいけつする義務ぎむすらわされていない」と指摘してきされている[12]

該当がいとうこくとされるくに

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日本にっぽん政府せいふ見解けんかいでは、だい世界せかい大戦たいせんちゅう憲章けんしょうのいずれかの署名しょめいこく敵国てきこくであったくにとされており、日本にっぽんドイツイタリアブルガリアハンガリールーマニアフィンランドがこれに該当がいとうすると例示れいじしている[13]タイ王国おうこく連合れんごうこく交戦こうせんしたくにであるが、この対象たいしょうふくまれていない。オーストリアについては、当時とうじドイツに併合へいごうされていたためきゅう敵国てきこくにはふくまれないという見方みかた一般いっぱんてきである[注釈ちゅうしゃく 1]

ヨーロッパのきゅう枢軸すうじくこく

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ヨーロッパ枢軸すうじくこくのうち、連合れんごうこく降伏ごうぶくしたくにはその枢軸すうじくこく交戦こうせん、もしくは宣戦せんせん布告ふこくおこなっている。イタリア王国おうこくは1943ねんにドイツ、1945ねん日本にっぽん宣戦せんせん布告ふこくしている。またブルガリア王国おうこくルーマニア王国おうこくも1944ねん相次あいついでドイツに宣戦せんせん、もしくは交戦こうせんしている。フィンランド共和きょうわこくはドイツと同盟どうめいしていないという建前たてまえ継続けいぞく戦争せんそうおこなっていたが、実質じっしつてきには枢軸すうじくこくられていた。1944ねんにはソ連それん休戦きゅうせんし、ラップランド戦争せんそうなどでドイツと交戦こうせんしている。またハンガリー王国おうこくは、休戦きゅうせん発表はっぴょうもなくドイツぐんによってクーデターこされ、じゅうとうによる国民こくみん統一とういつ政府せいふ樹立じゅりつされた。このためハンガリーは、日本にっぽんとドイツの軍事ぐんじ同盟どうめいから脱退だったいせず、1945ねん5がつまで戦闘せんとうつづけた。しかしハンガリーのだい部分ぶぶんはソビエト連邦れんぽう占領せんりょうされており、占領せんりょう地域ちいきではソビエト連邦れんぽうによってハンガリー臨時りんじ国民こくみん政府せいふ設置せっちされた。この政府せいふにちどく宣戦せんせんしており、戦後せんごのハンガリー政府せいふ前身ぜんしんとなった。ただしこれらの国々くにぐに連合れんごうこく共同きょうどう宣言せんげんへの署名しょめいゆるされず、連合れんごうこくではない共同きょうどう参戦さんせんこくというあつかいであった。

イタリア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、フィンランドは、1947ねん連合れんごうこく条約じょうやく締結ていけつし、領土りょうど割譲かつじょう賠償金ばいしょうきん支払しはらいを受諾じゅだくした。これらのくに国際こくさい連合れんごう加盟かめいは、日本にっぽん加盟かめいする前年ぜんねん1955ねん)にまでおくれている。2001ねん7がつ発行はっこう外務省がいむしょうパンフレット『日本にっぽん国連こくれん』によると、イタリアも、日本にっぽんやドイツととも敵国てきこく条項じょうこう削除さくじょ協議きょうぎおこなっている。

タイ王国おうこく

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タイは日本にっぽん進駐しんちゅうにちたい攻守こうしゅ同盟どうめい条約じょうやく締結ていけつし、1942ねん1がつ25にちにアメリカとイギリスにたいして宣戦せんせん布告ふこくしている。しかしちゅうアメリカ大使たいしセーニー・プラーモート連合れんごうこくへの宣戦せんせん布告ふこく伝達でんたつ拒否きょひし、アメリカ政府せいふ協調きょうちょうした自由じゆうタイ運動うんどう開始かいしして日本にっぽん抵抗ていこうした。日本にっぽんポツダム宣言せんげん受諾じゅだく発表はっぴょうしたのちの1945ねん8がつ16にちクアン・アパイウォン首相しゅしょう攻守こうしゅ同盟どうめい条約じょうやくならびに宣戦せんせん布告ふこく日本にっぽん軍事ぐんじりょく背景はいけいとした強迫きょうはくによるものであり、憲法けんぽうにもはんしているため無効むこうであるという政令せいれい発表はっぴょうしたが、これは事前じぜん山本やまもと熊一くまいち日本にっぽん大使たいし諒解りょうかい措置そちであった[15]。1946ねん1がつ1にち、イギリスとタイは正式せいしき協定きょうてい(Formal Agreement)英語えいごばん締結ていけつし、戦時せんじちゅうにタイがおこなった併合へいごう措置そち無効むこうにすることで合意ごういした。1月5にちにアメリカおよびイギリスはタイ王国おうこくとの国交こっこう回復かいふくし、12月には国際こくさい連合れんごうへの加盟かめい許可きょかされている。このためタイは「きゅう敵国てきこくあつかいをけていないとされている[だれ?]

枢軸すうじくこくによって建設けんせつされた国家こっか

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ドイツの指導しどうにおいてクロアチアどく立国りっこくスロバキアだいいち共和きょうわこくなどが建国けんこくされ、日本にっぽんビルマこくなどを建国けんこくした。これらのくに連合れんごうこくたいして宣戦せんせん布告ふこく戦闘せんとう行為こういおこなっている。しかし連合れんごうこくはこれらのくに承認しょうにんしておらず、現在げんざいその領域りょういきにあるくにもそれらのくに継承けいしょうこくとしてあつかわれていないため、敵国てきこく条項じょうこう対象たいしょうとはなっていない。

国際こくさい関係かんけい動向どうこう

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日本にっぽんでは、1950ねん締結ていけつされたちゅう友好ゆうこう同盟どうめい相互そうご援助えんじょ条約じょうやく1980ねん失効しっこう)において日本にっぽん名指なざしで「仮想かそう敵国てきこく」とされたことから批判ひはんき、国際こくさい連合れんごう憲章けんしょうにおける敵国てきこく条項じょうこう撤廃てっぱい議論ぎろんされるようになった[注釈ちゅうしゃく 2]冷戦れいせんのこの時期じきには国連こくれんにおいて中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく中国共産党ちゅうごくきょうさんとう政府せいふ)の議席ぎせき存在そんざいせず、ソビエト連邦れんぽう中国共産党ちゅうごくきょうさんとう中国ちゅうごく代表だいひょうけんみとめられないかぎ国連こくれん憲章けんしょうさい審議しんぎには絶対ぜったい反対はんたい立場たちばをとっていたため、当時とうじ敵国てきこく条項じょうこう撤廃てっぱいきわめて困難こんなんであった[17]

1965ねんころから、日本にっぽん政府せいふは、敵国てきこく条項じょうこう不平等ふびょうどうなものであり改正かいせいのぞましいが、「平和へいわ愛好あいこうこくとして国連こくれん加盟かめいいたしましたくににとっては、この条項じょうこう適用てきようされないものと解釈かいしゃく[18] し、1970ねんには国際こくさい連合れんごうくにべつ出資しゅっしきんだい3になるにあたって「国連こくれん自身じしんあたらしい時代じだいはいってじゅうねんたった今日きょうでございますから、さきの戦争せんそう云云うんぬん、そのときの敵国てきこく条項じょうこう、これなどはもうえてしかるべき」[19]認識にんしきしていた。

1970ねん参議院さんぎいん予算よさん委員いいんかい愛知あいち揆一外務がいむ大臣だいじんだい3佐藤さとう内閣ないかく)は「敵国てきこく条項じょうこう常識じょうしきてき日本にっぽん立場たちばにおいて現在げんざい実害じつがいがある規定きていとはおもわないが、こういう条項じょうこうはもう排除はいじょされてしかるべき」との認識にんしきべている[20]。これにたい日本にっぽん社会党しゃかいとう木村きむら禧八郎きはちろう参議院さんぎいん議員ぎいんは「敵国てきこく条項じょうこうがなくならなければ日本にっぽん戦後せんごわったとはいえない」と対論たいろんしている[21]

愛知あいち外相がいしょうは1970ねん9がつおこなわれただい25かい国連こくれん総会そうかいにおいて「きゅう敵国てきこく条項じょうこうは、今日きょうまったくその存続そんぞく意味いみしつなった」として「敵国てきこく条項じょうこう削除さくじょ」をうったえている[22]

1989ねんまつ冷戦れいせん終結しゅうけつ東西とうざいドイツ統一とういつ見通みとおせるようになり、1990ねん日本にっぽん米国べいこくたいし、アメリカ大統領だいとうりょうから敵国てきこく条項じょうこう削除さくじょ提起ていきするよう打診だしんした[23]

1991ねん4がつ18にちゴルバチョフ大統領だいとうりょう訪日ほうにち共同きょうどう声明せいめいにおいて、「双方そうほうは、国際こくさい連合れんごう憲章けんしょうにおける『きゅう敵国てきこく条項じょうこうがもはやその意味いみうしなっていることを確認かくにん」と表明ひょうめいされた[24][25]

ただし、1989ねんソ連それん時代じだいにち平和へいわ条約じょうやく締結ていけつ交渉こうしょうにおいて、北方領土ほっぽうりょうど領有りょうゆう根拠こんきょとしてだい107じょうげていたこともあり[26]1991ねん共同きょうどう声明せいめいで「もはや意味いみうしなった」と合意ごういしたのち[25]ソ連それん後継こうけいこくであるロシア連邦れんぽうセルゲイ・ラブロフ外相がいしょうは2011ねん前後ぜんこうから度々たびたび北方領土ほっぽうりょうどについて、敵国てきこく条項じょうこう援用えんようしている[27][28]

削除さくじょ改定かいていけての議論ぎろん

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1991ねん、イタリアは国際こくさい連合れんごう総会そうかいにおいて、敵国てきこく条項じょうこう削除さくじょふく国際こくさい連合れんごう制度せいど改革かいかくもとめた[29]

だい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつ50周年しゅうねんにあたる1995ねん当時とうじ加盟かめいこく185カ国かこく[30])には、日本にっぽんこくやドイツ連邦れんぽう共和きょうわこくなどが国際こくさい連合れんごう総会そうかいにおいてだい53・77・107じょう憲章けんしょうから削除さくじょする決議けつぎあん提出ていしゅつし、12月11にち総会そうかいにおいて賛成さんせい多数たすうによって採択さいたくされてもいる[注釈ちゅうしゃく 3][5][31][6]。そこでは、条項じょうこう時代遅じだいおくれ(obsolete)であることが認識にんしきされ[32]削除さくじょ(deletion)にけて作業さぎょう開始かいしすることが決議けつぎされた[33]さらに、1995ねん9月の国連こくれん総会そうかい決議けつぎにおいて「きゅう敵国てきこく条項じょうこう」が死文しぶんしたとの認識にんしき削除さくじょへの投票とうひょう賛成さんせい155 反対はんたい0 棄権きけん3で決議けつぎされた。

戦争せんそう終結しゅうけつ60周年しゅうねんにあたる2005ねん9月の国連こくれん首脳しゅのう会合かいごうにおいても、削除さくじょへの国連こくれん加盟かめいこく決意けつい成果せいか文書ぶんしょ表明ひょうめいされた。この「成果せいか文書ぶんしょ」において、きゅう敵国てきこく条項じょうこうについて「『敵国てきこく』への言及げんきゅう削除さくじょ決意けついする」と明記めいきされたことをけて、外務省がいむしょうホームページでは、ほん条項じょうこう死文しぶんしているとしている[34]

日本にっぽん政府せいふ外務省がいむしょう国連こくれんにおける文化ぶんか公認こうにん削除さくじょ賛成さんせい多数たすう国連こくれん憲章けんしょう改正かいせい必要ひつよう条件じょうけんひとつである「3ぶんの2以上いじょう賛成さんせい」)に成功せいこうしたものの、敵国てきこく条項じょうこう自体じたい国連こくれん憲章けんしょうじょうから削除さくじょいたっていない。背景はいけいには憲章けんしょう改正かいせい自体じたいには安全あんぜん保障ほしょう理事りじかい常任じょうにん理事りじこく5かこくふく国連こくれん加盟かめいこく3ぶんの2以上いじょう批准ひじゅん必要ひつようとなっているものの、国連こくれん憲章けんしょう敵国てきこく条項じょうこう)を援用えんようする常任じょうにん理事りじこくである中国ちゅうごくとロシアによる反対はんたい予見よけんされているからである[35][1][5][31][6][34][36][37][38]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ オーストリアについては、渡辺わたなべ幸生さちおが『国際こくさい平和へいわほう研究けんきゅう』(1970ねん)においてふくまれるとしているが、神谷かみや龍男たつおはこれを否定ひていしている[14]
  2. ^ ちゅう友好ゆうこう同盟どうめい相互そうご援助えんじょ条約じょうやくは、国際こくさい連合れんごう憲章けんしょう敵国てきこく条項じょうこう法的ほうてき根拠こんきょとしたものであった[16]
  3. ^ 賛成さんせい155、棄権きけん3(北朝鮮きたちょうせん朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく)、キューバリビア

出典しゅってん

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  8. ^ 吉川よしかわさとし 1993, pp. 96–97.
  9. ^ a b 吉川よしかわさとし 1993, pp. 94–95.
  10. ^ 1945ねん6がつ26にちフランス共和きょうわこく臨時りんじ政府せいふ国連こくれん憲章けんしょう署名しょめいしている
  11. ^ 吉川よしかわさとし 1993, pp. 95–96.
  12. ^ a b 吉川よしかわさとし 1993, pp. 98.
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  16. ^ 1962ねん8がつ11にちだい2池田いけだだい2改造かいぞうないかく池田いけだ勇人はやと首相しゅしょう国会こっかい議事ぎじろくだい41かい衆議院しゅうぎいんほん会議かいぎ4ごう昭和しょうわ37ねん8がつ11にち民社党みんしゃとう佐々木ささき良作りょうさく衆議しゅうぎ
  17. ^ 1964ねん3月6にちだい3池田いけだ内閣ないかく池田いけだ勇人はやと首相しゅしょう)、国会こっかい議事ぎじろくだい46かい参議院さんぎいん予算よさん委員いいんかい8ごう昭和しょうわ39ねん3がつ6にち大平おおひら正芳まさよし外相がいしょう発言はつげん番号ばんごう30
  18. ^ 1965ねん2がつ16にちだい1佐藤さとう内閣ないかく佐藤さとう榮作えいさく首相しゅしょう国会こっかい議事ぎじろくだい48かい衆議院しゅうぎいんほん会議かいぎ8ごう昭和しょうわ40ねん2がつ16にち椎名しいな悦三郎えつさぶろう外相がいしょう発言はつげん番号ばんごう15
  19. ^ 1970ねん3月4にちだい3佐藤さとう内閣ないかく佐藤さとう榮作えいさく首相しゅしょう国会こっかい議事ぎじろくだい63かい参議院さんぎいん予算よさん委員いいんかい4ごう昭和しょうわ45ねん3がつ4にち佐藤さとう榮作えいさく首相しゅしょう発言はつげん番号ばんごう19
  20. ^ 1970ねん3月24にち国会こっかい議事ぎじろくだい63かい参議院さんぎいん予算よさん委員いいんかい6ごう昭和しょうわ45ねん3がつ24にち愛知あいち揆一外相がいしょう発言はつげん番号ばんごう181
  21. ^ 1970ねん3がつ24にち国会こっかい議事ぎじろくだい63かい参議院さんぎいん予算よさん委員いいんかい6ごう昭和しょうわ45ねん3がつ24にち日本にっぽん社会党しゃかいとう木村きむら禧八郎きはちろう参議さんぎ発言はつげん番号ばんごう192
  22. ^ だい25かい国連こくれん総会そうかいにおける愛知あいち外務がいむ大臣だいじん一般いっぱん討論とうろん演説えんぜつわがくに外交がいこうかんする重要じゅうよう演説えんぜつおよびメッセージ昭和しょうわ45年度ねんど外交がいこう青書せいしょ
  23. ^ 日本にっぽん世界せかい平和へいわ貢献こうけんしていく」きゅう敵国てきこく条項じょうこう削除さくじょべい異例いれい打診だしん朝日新聞あさひしんぶんデジタル”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル. 2022ねん5がつ23にち閲覧えつらん
  24. ^ 1991ねん4がつ18にち共同きょうどう声明せいめい (PDF) では、「双方そうほうは、国際こくさい連合れんごう憲章けんしょうにおける『きゅう敵国てきこく条項じょうこうがもはやその意味いみうしなっていることを確認かくにん」するとされている。
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  32. ^ 国連こくれん憲章けんしょうきゅう敵国てきこく条項じょうこうだいじゅうさんじょうだいひゃくななじょう)にかんする質問しつもん主意しゅいしょ”. www.shugiin.go.jp. 2020ねん6がつ20日はつか閲覧えつらん
  33. ^ 国連こくれん総会そうかい決議けつぎ A/RES/50/52
  34. ^ a b 外務省がいむしょう: 国連こくれん改革かいかく日本にっぽん優先ゆうせん事項じこう”. www.mofa.go.jp. 2022ねん5がつ23にち閲覧えつらん。 “きゅう敵国てきこく条項じょうこう 日本にっぽんは、憲章けんしょうだい53じょうだい77じょうおよだい107じょうからいわゆる「きゅう敵国てきこく条項じょうこう」を削除さくじょすることをつよ主張しゅちょうしている。このてんについて国連こくれんでは,1995ねん9がつ国連こくれん総会そうかい決議けつぎ50/52において「きゅう敵国てきこく条項じょうこう」が死文しぶんしたとの認識にんしきしめされたほか,2005ねん9がつ国連こくれん首脳しゅのう会合かいごう成果せいか文書ぶんしょ」においては,国連こくれん憲章けんしょうじょうの「敵国てきこく」への言及げんきゅう削除さくじょすることへの加盟かめいこく決意けつい表明ひょうめいされている”
  35. ^ 2005ねんサミット(国連こくれん首脳しゅのう会合かいごう成果せいか文書ぶんしょ主要しゅようポイント) 外務省がいむしょう
  36. ^ 良介りょうすけ, 遠藤えんどう (2020ねん11月10にち). “いちぴつろん国連こくれん悪用あくようをやめよ 遠藤えんどう良介りょうすけ”. 産経さんけいニュース. 2022ねん5がつ23にち閲覧えつらん
  37. ^ 「21世紀せいきにおける国連こくれん役割やくわり強化きょうかさく (PDF) 国連こくれん改革かいかくかんする有識者ゆうしきしゃ懇談こんだんかい(h16.6.28) P3『きゅう敵国てきこく条項じょうこう死文しぶんしていることは、すでに世界せかい常識じょうしき
  38. ^ だい186かい国会こっかい 外務がいむ委員いいんかい だい7ごう平成へいせい26ねん3がつ28にち金曜日きんようび))”. www.shugiin.go.jp. 2022ねん5がつ23にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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