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朱貴 - Wikipedia

しゅ たか(しゅ き)は、中国ちゅうごく小説しょうせつよんだい奇書きしょひとつである『みず滸伝』の登場とうじょう人物じんぶつ

歌川うたがわ国芳くによし通俗つうぞくすい滸伝豪傑ごうけつひゃくはちにんいちひでりゆるがせりつしゅたか

梁山泊りょうざんぱくだいきゅうじゅう好漢こうかんしゅうほしまれわり。渾名あだなひでりゆるがせりつ(かんちこつりつ)で、ゆるがせりつとはワニのことで、りくのワニという意味いみたか細身ほそみ体躯たいく口髭くちひげあごひげたくわえ、てんかわ上着うわぎ鹿しかかわくつこなしたしゃれたおとこである。梁山泊りょうざんぱくにおいてはおうりん時代じだいからの古参こさん一人ひとりで、梁山泊りょうざんぱく対岸たいがん居酒屋いざかやもうけて見張みはり、資金しきん調達ちょうたつしびしゅによるぎもふくむ)、情報じょうほう収集しゅうしゅう人材じんざい品定しなさだめ、入山にゅうざん希望きぼうしゃ面接めんせつ客人きゃくじん案内あんないなど事務じむてき仕事しごとになっている。

生涯しょうがい 編集へんしゅう

沂州沂水けん居酒屋いざかや息子むすこいえおとうとしゅとみまか自身じしん各地かくちわたある商売しょうばいをしていたが元手もとでをすって梁山泊りょうざんぱくのぼぞくとなる。その梁山泊りょうざんぱくひがし対岸たいがん居酒屋いざかやもうけ、そこで情報じょうほう収集しゅうしゅう訪問ほうもんしゃ応接おうせつなどをになった。

あるとしふゆしばすすむ推薦すいせん梁山泊りょうざんぱくりをのぞはやし冲がたずねてきたので、しゅたか首領しゅりょうおうりんもと案内あんないするが、はやし冲の実力じつりょくおそれるおうりんはあれこれ理由りゆうをつけてかれかえそうとした。しかししゅたかさき反対はんたいし、ふく首領しゅりょうそうまんもり遷もそれに賛成さんせいしたため、紆余曲折うよきょくせつすえおうりん渋々しぶしぶ入山にゅうざんみとめた。半年はんとしほど官憲かんけん追及ついきゅうのがれてきたあきらぶたななにん好漢こうかん入山にゅうざんもとめてきた。しゅたかよろこんで彼等かれらむかえるが、おうりんはまたしてもあきらぶたたち入山にゅうざん拒絶きょぜつ、これに激怒げきどしたはやし冲がおうりん斬殺ざんさつあきらぶた頭領とうりょうえるというクーデターがこった。もとよりおうりん不満ふまんのあったしゅたかはすんなり彼等かれらしたがい、つづ見張みはやくまかされた。

いちねんほどしゅう役人やくにん軍師ぐんしよう旧友きゅうゆう戴宗にこれとらずしびやくるが、かれとわかるとあわてて介抱かいほうあきらぶた恩人おんじんそうこう無実むじつつみ処刑しょけいされかかっていることをりこれを報告ほうこく紆余曲折うよきょくせつすえあきらぶたたちはそうこう救出きゅうしゅつ成功せいこうした。また同郷どうきょうということもあり、母親ははおや梁山泊りょうざんぱくむかえにった目付めつやくとして沂州にかける。ここで逵が官憲かんけんにつかまるが、おとうとしゅとみとともに救出きゅうしゅつ護送ごそう役人やくにんくも梁山泊りょうざんぱくれてかえった。その手伝てつだいとして配属はいぞくされたらくとともに店番みせばんつづけ、脱獄だつごくしたかみなりよことそのはは保護ほごしたり、すすき碭山の樊瑞一味いちみ梁山泊りょうざんぱく襲撃しゅうげき計画けいかく察知さっちするなどした。

ひゃくはちほし集結しゅうけつは、相方あいかたもりきょうわりてんみなみうつる。朝廷ちょうてい帰順きじゅん梁山泊りょうざんぱくはなれるさい引越ひっこしの準備じゅんび後始末あとしまつおこなってから物語ものがたりおもて舞台ぶたいから姿すがたし、ほう討伐とうばつせんにおいて杭州こうしゅう流行はやった疫病えきびょうにかかりぼっした。

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