沼津ぬまづ大だい空襲くうしゅう(ぬまづだいくうしゅう)は第だい二に次じ世界せかい大戦たいせん末期まっき、アメリカ軍ぐんにより静岡しずおか県けん沼津ぬまづ市しに対たいして行おこなわれた空襲くうしゅうである。
1945年ねん(昭和しょうわ20年ねん)7月がつ17日にち午前ごぜん1時じ頃ごろ、アメリカ軍ぐん第だい20航空こうくう軍ぐん第だい58航空こうくう団だんのB-29130機きの編隊へんたいが、海軍かいぐん工廠こうしょうや多おおくの中小ちゅうしょう軍事ぐんじ工場こうじょうのある沼津ぬまづ市街しがい上空じょうくう3200mに侵入しんにゅうした。愛鷹山あしたかやまと香貫山かぬきやまの高射こうしゃ砲ほうが迎撃げいげきするも3時じ頃ごろまでに9077発はつ、1039トンの焼夷弾しょういだんを投下とうかし9523戸こが焼失しょうしつ、274人にんが死亡しぼうした。アメリカ軍ぐんの記録きろくによるとこの空襲くうしゅうにより市しの89.5%が破壊はかいされたという。沼津ぬまづ市しはサイパン島とうから富士山ふじさんへ続つづくB29の本土ほんど空襲くうしゅうコースの真下ましたにあたり、同年どうねん1月がつごろから延のべ8回かいの小規模しょうきぼな空襲くうしゅうや機銃きじゅう掃射そうしゃを受うけており、それらを合計ごうけいすると死者ししゃ322人にん、重軽傷じゅうけいしょう者しゃ634人にん、全ぜん半焼はんしょう11756戸こ、全ぜん半壊はんかい127戸こという被害ひがいだった。
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