機銃 掃射
概要
航空機 による機銃 掃射
また、
トーチカなどの
列車 列車 は、基本 的 にレール上 しか移動 せず、自動車 や戦車 が当然 のように行 うジグザグ走行 や急激 なハンドル操作 などの回避 行動 ができないため、移動 中 であっても移動 先 を簡単 に予測 して見切 り射撃 ができることから、航空機 が兵器 として確立 して以来 、機銃 掃射 で狙 われやすい目標 になった。第 二 次 大戦 時 までは装甲 列車 や列車 砲 なども用 いられており、列車 輸送 が兵站 の中心 でもあった。このことから、連合 軍 は防空 力 の低下 したドイツおよび日本 の勢力 圏内 において、機関 銃 の他 にロケット弾 を使用 して積極 的 に列車 を牽引 する動力 となる機関 車 を破壊 し、列車 の足 を止 めた上 で路線 を不通 にしたり、積荷 や客車 などへの攻撃 を行 った。列車 側 は、編成 に組 み込 んだ対空 兵器 を積載 した貨車 から応戦 しながら、トンネルに逃 げ込 むなどの方法 がある。船舶 船舶 は、小型 の高速 ボートであっても一般 に考 えるより回避 能力 が小 さいため、機銃 掃射 の目標 になりやすい。また、潜水 艦 に対 しても機銃 掃射 を仕掛 けているケースもある[7]。外洋 では隠 れる場所 がないため、複数 機 により、空中 戦 のロッテ戦術 の要領 で反復 して攻撃 された場合 は、敵 機 が弾 切 れや燃料 切 れを起 こして帰還 するまで逃 げ回 るか、船舶 に装備 された機関 銃 などの武器 で撃墜 する以外 には、なす術 がない[6]。特 に輸送 船 のように防御 力 の低 い艦船 は、ブリッジを攻撃 されて機能 を失 った場合 は撃沈 の憂 き目 を見 ることにつながりかねない。また、たとえ対空 戦闘 能力 を有 し、防御 力 のある戦闘 艦艇 であっても、対空 砲 の砲座 などに対 する機銃 掃射 は有効 であり、第 二 次 世界 大戦 中 のアメリカ海軍 では、航空機 が日本 海軍 の軍艦 を相手 にする際 は、事情 が許 す限 り、雷撃 などの本格 的 な攻撃 を繰 り出 す前 に対空 機 銃座 に向 かって機銃 掃射 とロケット弾 による攻撃 を行 うことによって、対空 機 銃座 を沈黙 させるのが常 であった。- なお、
日本 海軍 の駆逐 艦 「如月 」のように、アメリカ海軍 のF4F ワイルドキャット艦上 戦闘 機 の12.7mm弾 の機銃 掃射 が「撃沈 」の一因 となった例 もある(魚雷 ないし爆雷 の誘爆 )。 人間 兵士 や民間 人 に対 する恐怖 攻撃 として実施 するもの。人間 は、車両 ・船舶 に比較 して標的 が小 さいものの、開 けた場所 を動 き回 る人間 は、低空 まで降下 した航空機 のパイロットの目 には非常 に目立 つため、これも機銃 掃射 の目標 となる。特 にアメリカ軍 は、太平洋戦争 において日本 軍 に対 して航空機 の機銃 掃射 による対人 攻撃 を積極 的 に行 った。輸送 船 などの防御 力 の低 い艦船 やその乗員 、地上 に展開 する兵士 への攻撃 が繰 り返 された結果 、有効 な対空 兵器 をほとんど装備 していなかった日本 軍 が受 けた被害 は甚大 なものとなった。
実例
湯 の花 トンネル列車 銃撃 事件 大山口 列車 空襲 筑紫 駅 列車 空襲 事件 多治見 空襲 那賀川 鉄橋 空襲 保戸島 空襲 - 1945
年 5月8日 昼 、千葉 県 市原 市 の養老 小学校 川在 分校 を狙 って、アメリカ軍 機 が高度 を落 とし機銃 掃射 した。4年生 の男女 3人 が即死 、児童 10人 と教員 1人 が重傷 を負 った[8]。
個人 の体験
大和 ハウス工業 会長 の樋口 武男 は、国民 学校 (小学校 )1年生 だった1945年 6月1日 に尼崎 市 で、低空 飛行 していた米 軍 のP-51 マスタングから機銃 掃射 を受 けたが、家 の近 くの防空壕 に飛 び込 み命 からがら助 かった[9]。一橋大学 名誉 教授 の野中 郁 次郎 は、小学校 4年生 だった1945年 に疎開 していた富士 市 で、グラマン(F4F ワイルドキャットかF6F ヘルキャットかは不明 )から機銃 掃射 を受 けた。隠 れていた木 が激 しく撃 たれる直前 に木 から飛 び出 し九死 に一生 を得 た。その時 、パイロットの笑 っている顔 が見 えた[10]。開高 健 は、第 二 次 世界 大戦 終戦 間近 のまだ少年 の頃 に、低空 飛行 する米 軍 の戦闘 機 から機銃 掃射 を受 けた。逃 げ回 っているうち、見上 げると米 軍機 の乗務 員 が笑 っているのが見 えた[11]。小澤 征爾 は、立川 市 の柴崎 小学校 の生徒 だった第 二 次 大戦 中 に、空襲 警報 を無視 して弟 と庭 で遊 んでいる時 に、米 軍機 から機銃 掃射 を受 けた。低空 飛行 だったので操縦 士 の顔 が見 えた。これが西洋 人 を見 た最初 だった[12]。岸 惠子 は、1945年 5月 29日 の横浜 大 空襲 の時 に、自宅 の近 くの山手 公園 の曲 がり角 の松 によじ登 っていると、米 軍機 が地 を這 うような超 低空 飛行 で機銃 掃射 してきた。機体 の窓 からパイロットの顔 が見 えた[13]。
そのほか
文献 情報
脚注
- ^
三省堂 大辞林 (第 二 版 ) - ^ ドイツ
軍 機関 銃 戦術 歴史 群 像 2007年 12月 号 - ^
歩兵 の戦術 - ^ これは、
第 二 次 世界 大戦 時 のP-40から最 新鋭 のF-22までさほど変化 はない。戦闘 爆撃 機 としても活躍 したP-47は比較的 多 く1銃 あたり425発 、8銃 で最大 3,400発 を携行 した - ^
第 二 次 大戦 時 のIl-2や九 九 式 襲撃 機 などは、コックピット全体 やエンジン下部 など各 要 部 に装甲 を施 しており、現代 のA-10 サンダーボルトIIはさらなる重 装甲 を施 し、エンジンの位置 を工夫 することによって損害 を抑 える配慮 がされている - ^ a b 「エア・アパッチ」
歴史 群 像 76号 2006年 4月 - ^ Submarines Sunk by Patrol Squadrons During World War II P697
- ^ 「
戦跡 を歩 く(2)養老 小学校 (市原 市 )児童 襲 った機銃 掃射 」東京 新聞 千葉 版 2013年 8月 15日 - ^
樋口 武男 「私 の履歴 書 」日本経済新聞 、2012年 3月 3日 - ^
野中 郁 次郎 「私 と経営 学 05」三菱総研 倶楽部 Vol.5 No.5、2008年 5月 - ^ 「
開高 健 の問 い 3」(張 競 「詩文 往還 」)日本経済新聞 2013年 8月 25日 - ^ 「
私 の履歴 書 」日本経済新聞 2014年 1月 4日 - ^ 「
私 の履歴 書 」日本経済新聞 2020年 5月 3日 - ^ a b
戦後 70年 千 の証言 スペシャル私 の街 も戦場 だった TBS