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対空兵器 - Wikipedia

対空たいくう兵器へいき(たいくうへいき)は、たい空戦くうせんのための兵器へいきのこと。火器かきとしてはほうはん兵器へいきじゅうほう)やロケットだんミサイルなどがもちいられるほか、これらのための制御せいぎょシステムFCS)と連接れんせつ統合とうごうされて武器ぶきシステムを構築こうちくしている場合ばあいもある。

ほうはん兵器へいき

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航空機こうくうき戦争せんそう使用しようされるようになると、従来じゅうらい地上ちじょうせん用兵ようへい転用てんようして対抗たいこうするとともに、対空たいくう兵器へいき開発かいはつ着手ちゃくしゅされた。まず使用しようされたのが速射そくしゃほうで、ふるくはひろしふつ戦争せんそうなか1870ねんクルップしゃ開発かいはつした軽量けいりょうほうしょう口径こうけいほうを、プロイセンぐんてきだん観測かんそくよう気球ききゅうたいして使用しようした[1]。その航空機こうくうき発達はったつともなって各国かっこく高射こうしゃほう開発かいはつされていったが、これもおおくは野砲やほうなどにだい仰角ぎょうかくあたえて高角こうかく射撃しゃげきができるようにしたものであった[2]。まただいいち世界せかい大戦たいせん航空機こうくうきだい規模きぼ実戦じっせん投入とうにゅうされると、軍艦ぐんかんでも高角こうかくほう搭載とうさいすすめられた[3]

一方いっぽう航空機こうくうき同士どうし戦闘せんとうもちいるための兵器へいきとしては、だいいち世界せかい大戦たいせん時点じてんでは小銃しょうじゅうよう実包じっぽうもちいた機関きかんじゅう主流しゅりゅうだったが、航空機こうくうき発達はったつして構造こうぞう強固きょうこになると、よりだい口径こうけいじゅう機関きかんじゅうもちいられるようになっていった[4]。また防空ぼうくうにおいても同様どうよう問題もんだいしょうじており、とく1930年代ねんだいころからは航空機こうくうき構造こうぞうさら強固きょうこになってじゅう機関きかんじゅうでも力不足ちからぶそくとなる一方いっぽうてい高度こうど飛行ひこうする目標もくひょうたいしては高射こうしゃほうでは捕捉ほそく困難こんなんであるという問題もんだいしょうじて、高射こうしゃほうちがって連射れんしゃ能力のうりょくそなえつつもじゅう機関きかんじゅうよりだい口径こうけい機関きかんほう注目ちゅうもくされるようになった[5]

のち対空たいくうミサイル(SAM)が登場とうじょうすると、とくこうちゅう高度こうど防空ぼうくう (HIMADについてはこちらが台頭たいとうしたが[6]高射こうしゃほうも、電子でんし攻撃こうげき(EA)をけてレーダー使つかえない場合ばあいでも目視もくし照準しょうじゅん発砲はっぽうできるなどのメリットがあり、とく東側ひがしがわ諸国しょこくではつづ使つかわれた[7]とく高度こうど1,000メートル以下いかてい高度こうど領域りょういきでは、対空たいくう機関きかんほうがもっとも有効ゆうこう対空たいくう兵器へいきでありつづけている[7][ちゅう 1]。またそら対空たいくうミサイル(AAM)の普及ふきゅうとともに航空こうくう機関きかんほう役割やくわり縮小しゅくしょうしていき、たとえばアメリカ海軍かいぐんF-4艦上かんじょう戦闘せんとうはミサイル装備そうびのみの戦闘せんとうとして登場とうじょうしたものの、ベトナム戦争せんそうではAAMの命中めいちゅうりつ当初とうしょ予想よそうはるかに下回したまわったこともあり、結局けっきょくM61 バルカン収容しゅうようしたガンポッド携行けいこうし、また空軍くうぐん仕様しようのF-4Eでは機体きたい一部いちぶ改造かいぞうしてM61を搭載とうさいした[4]

上記じょうきとおり、戦闘せんとうそら対空たいくう兵器へいきとしては機関きかんじゅうほうもちいられてきたが[8]弾丸だんがん一発いっぱつあたりの威力いりょくおおきくない場合ばあい衝突しょうとつコース攻撃こうげきのように短時間たんじかんしか射撃しゃげき機会きかいられないと目標もくひょう十分じゅうぶん破壊はかいできない一方いっぽう十分じゅうぶん弾丸だんがん投射とうしゃするため一定いってい時間じかんにわたって追尾ついびコース攻撃こうげきおこなうと、てき銃座じゅうざ火力かりょくさらされる時間じかんながくなるという問題もんだいがあった[9]

これにたいし、ロケットだんであれば、要撃ようげき発射はっしゃてんうらないして一斉いっせい射撃しゃげきをすればよいことになり、安全あんぜんせい増大ぞうだいすることが発想はっそうされた[9]。アメリカ空軍くうぐんF-86Dでは機関きかんじゅう全廃ぜんぱいし、かわって24はつ2.75インチ・ロケットだん隠顕いんけんしきランチャーに収容しゅうようして搭載とうさいする方式ほうしきとした[10]つづF-89では、A・B・Cがた20mm機関きかんほう6もん搭載とうさいしたものの、威力いりょく不足ふそく指摘してきされて、1954ねんより部隊ぶたい配備はいびされたDがたでは、ふたたび2.75インチ・ロケットだんおもへいそうとし、最大さいだいで104はつ搭載とうさいした[11]。その誘導ゆうどう可能かのうそら対空たいくうミサイル発達はったつジェット機じぇっとき高速こうそく高性能こうせいのうすすむと、ロケットだんそら対空たいくう兵器へいきとしてはもちいられなくなっていった[11]

なおだい世界せかい大戦たいせん末期まっきドイツこくでは、ロケットだん対空たいくう兵器へいきとしてもちいたルフトファウスト開発かいはつされていたが、これは試作しさくまり、ひろもちいられることはなかった[12]

だい世界せかい大戦たいせん末期まっきより、戦闘せんとう補完ほかんするちょう射程しゃてい対空たいくう兵器へいきとして対空たいくうミサイル(SAM)が登場とうじょうし、アメリカ陸軍りくぐん1953ねんよりナイキ・エイジャックスを、1959ねんにはアメリカ空軍くうぐんボマーク配備はいびした[13]。またアメリカ海軍かいぐんも、特別とくべつ攻撃こうげきたい脅威きょうい契機けいきとしてちょう射程しゃてい対空たいくう兵器へいきとしてのかん対空たいくうミサイル着目ちゃくもくしており[14]1949ねんにはすでテリアミサイルプロトタイプ受領じゅりょう開始かいししていた[15]。SAMの登場とうじょうとともに、とくこうちゅう高度こうど防空ぼうくうにおいてはSAMへの移行いこうすすみ、たとえばイギリスぐん1958ねんにはなかだい口径こうけい対空たいくうほうをこれ以上いじょう改良かいりょうしないことを決定けっていして、SAMへの移行いこう加速かそくさせた[13]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ システムの搬性のめんでは、携帯けいたいしき防空ぼうくうミサイルシステム(MANPADS)などSAMのほうがすぐれているめんもある[7]

出典しゅってん

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  1. ^ Hogg 1972.
  2. ^ 佐山さやま 2008, pp. 194–217.
  3. ^ つつみ 2006.
  4. ^ a b 立花りっか 1999, pp. 162–172.
  5. ^ ワールドフォトプレス 1986, pp. 70–84.
  6. ^ 猪口いのぐち修道しゅうどう高射こうしゃほう」『日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ株式会社かぶしきがいしゃDIGITALIOコトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E5%B0%84%E7%A0%B2-622252022ねん10がつ19にち閲覧えつらん 
  7. ^ a b c Dunnigan 1992, pp. 188–190.
  8. ^ 立花りっか 1999, pp. 162–164.
  9. ^ a b 立花りっか 1999, pp. 205–208.
  10. ^ 立花りっか 1999, pp. 130–132.
  11. ^ a b 柘植つげ 2020.
  12. ^ ゆか 2008, pp. 314–316.
  13. ^ a b Hogg 1982, pp. 151–161.
  14. ^ Montoya 2001.
  15. ^ Kelley 1965.

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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