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開高健 - Wikipedia

開高かいこうけん

日本にっぽん小説しょうせつ (1930-1989)

開高かいこう けん(かいこう たけし/かいこう けん[2]1930ねん昭和しょうわ5ねん12月30にち - 1989ねん平成へいせい元年がんねん12月9にち)は、日本にっぽん小説しょうせつ組織そしき人間にんげん問題もんだいあつかった『パニック』『はだか王様おうさま』や、ベトナム戦争せんそう取材しゅざい体験たいけんをもとにした『かがやけるやみ』などがある。また趣味しゅみについて世界せかい各地かくちでの体験たいけんつづったエッセイ『フィッシュ・オン』『オーパ!』などでもられる。

開高かいこう けん
(かいこう たけし)
扶桑社ふそうしゃ週刊しゅうかんサンケイ』2がつ16にちごう(1958)より
誕生たんじょう 1930ねん12月30にち
日本の旗 日本にっぽん 大阪おおさか天王寺てんのうじ
死没しぼつ (1989-12-09) 1989ねん12月9にち(58さいぼつ
日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょうみなと三田みた東京とうきょう済生会さいせいかい中央ちゅうおう病院びょういん[1]
墓地ぼち 円覚寺えんかくじ
職業しょくぎょう 小説しょうせつ
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
教育きょういく 学士がくし法学ほうがく
最終さいしゅう学歴がくれき 大阪市立大学おおさかいちりつだいがく法文学部ほうぶんがくぶ
活動かつどう期間きかん 1957ねん - 1989ねん
ジャンル 小説しょうせつ随筆ずいひつ
代表だいひょうさくはだか王様おうさま』(1957ねん
日本にっぽん三文さんもんオペラ』(1959ねん
かがやけるやみ』(1968ねん
なつやみ』(1971ねん
やぶれたまゆ』(1986ねん
よる陽炎かげろう』(1986ねん
おも受賞じゅしょうれき 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけしょう(1958ねん
毎日まいにち出版しゅっぱん文化ぶんかしょう(1968ねん
川端かわばた康成やすなり文学ぶんがくしょう(1979ねん
菊池きくちひろししょう(1981ねん
日本にっぽん文学ぶんがく大賞たいしょう(1987ねん
デビューさくパニック』(1957ねん
ウィキポータル 文学ぶんがく
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生涯しょうがい

編集へんしゅう

編集へんしゅう

大阪おおさか天王寺てんのうじちち正義まさよしはは文子ふみことのあいだ長男ちょうなんとしてまれる。7さいとき住吉すみよし北田辺きたたなべげん東住吉ひがしすみよし)へ転居てんきょ子供こども時代じだいは、紙芝居かみしばいほんきで、江戸川えどがわ乱歩らんぽ山中やまなか峯太郎みねたろう海野うみの十三じゅうざなどをんでいた[3]。1943ねん4がつ旧制きゅうせい天王寺てんのうじ中学校ちゅうがっこうげん大阪おおさか府立ふりつ天王寺てんのうじ高等こうとう学校がっこう)へ入学にゅうがく勤労きんろう動員どういん合間あいま内外ないがい文学ぶんがく作品さくひん乱読らんどくした。5月に国民こくみん学校がっこう教頭きょうとうであったちち死去しきょする。

だい世界せかい大戦たいせんのち旧制きゅうせい大阪おおさか高等こうとう学校がっこう文科ぶんかかぶとるい英語えいご)に入学にゅうがくするが、学制がくせい改革かいかくにより1ねん旧制きゅうせい高校こうこう修了しゅうりょうし、大阪市立大学おおさかいちりつだいがく法文学部ほうぶんがくぶほう学科がっかげん法学部ほうがくぶ)に入学にゅうがくした。リルケマルテの手記しゅき』や、サルトル嘔吐おうと』をんで衝撃しょうげきけ、『嘔吐おうと』はそのかえ愛読あいどく[4]戦後せんご作家さっかでは大岡おおおか昇平しょうへい武田たけだ泰淳たいじゅんをよくんだ。当時とうじ文学ぶんがくろん仲間なかま高原たかはら慶一けいいちろうがおり、大学だいがく在学ざいがくちゅう谷沢たにさわ永一えいいち主宰しゅさい同人どうじん『えんぴつ』に参加さんか。1951ねん処女しょじょ長編ちょうへん小説しょうせつ『あかでみあ めらんこりあ』を私家しかばんとして友人ゆうじんあいだくばった[5]。またパン焼ぱんやこう旋盤せんばん見習みならこうとしてまち工場こうじょう転々てんてんとした[6]。1952ねん1がつ同人どうじん仲間なかまだった詩人しじんまき羊子ようこ壽屋ことぶきや勤務きんむ)と結婚けっこん同年どうねん7がつ13にちに、長女ちょうじょ開高かいこう道子みちこ誕生たんじょう。1953ねん2がつ大学だいがく在学ざいがくちゅう洋書ようしょ輸入ゆにゅうしょう北尾きたお書店しょてん入社にゅうしゃ。1953ねん12月1にち大阪市立大学おおさかいちりつだいがく卒業そつぎょう

作家さっか活動かつどう

編集へんしゅう

1954ねん昭和しょうわ29ねん)2がつ22にち洋酒ようしゅ会社かいしゃ壽屋ことぶきやげんサントリー社員しゃいんであった羊子ようこ育児いくじのため退社たいしゃするのにともない、後任こうにんしゃとして壽屋ことぶきや宣伝せんでん中途ちゅうと採用さいよう。 1956ねん昭和しょうわ31ねん)には東京とうきょう支店してん配属はいぞく[7]文案ぶんあんコピーライター)としてはたらき、PR洋酒ようしゅ天国てんごく』の編集へんしゅうウイスキーのキャッチコピー(トリスウイスキーの「人間にんげんらしくやりたいナ」が有名ゆうめい)をがける。『洋酒ようしゅ天国てんごく』は開高かいこう編集へんしゅうした4年間ねんかん発行はっこう部数ぶすうが1まんから13まんになった[8]また1954ねんから「えん」などの習作しゅうさくを『近代きんだい文学ぶんがく発表はっぴょう自然しぜん主義しゅぎ心理しんり主義しゅぎアナキズムといった潮流ちょうりゅう限界げんかいかんはじめ、1957ねんに「シチュエーションの文学ぶんがく」を意図いとして、ネズミのだい発生はっせい題材だいざいにした「パニック」を執筆しっぴつ佐々木ささき基一きいちはからいで『しん日本にっぽん文学ぶんがく』に発表はっぴょうされ商業しょうぎょうデビュー、寓話ぐうわ作家さっかともばれた[9]つづいて伊藤いとうせいはじまる「組織そしき人間にんげんろんのモデル作品さくひんともられる「巨人きょじん玩具おもちゃ」「はだか王様おうさま」を発表はっぴょう[10]、「はだか王様おうさま」で1958ねん芥川賞あくたがわしょう受賞じゅしょう。これを壽屋ことぶきや退職たいしょくし(1963ねんまで嘱託しょくたく契約けいやく)、執筆しっぴつぎょう専念せんねんする。

遅筆ちひつられ、受賞じゅしょうだいいちさくとなる「文學ぶんがくかい」から依頼いらいされた原稿げんこうを、間近まぢかになってもげることができなかった。開高かいこうさき講談社こうだんしゃの『群像ぐんぞう』に提出ていしゅつしていた原稿げんこうかえり「文學ぶんがくかい」に提出ていしゅつしてそのしのいだ。しかし、講談社こうだんしゃいかりをって絶縁ぜつえんじょうたたけられ、16ねんものあいだ講談社こうだんしゃからされてしまう[11]大阪おおさか軍需ぐんじゅ工場こうじょうあとからてつくずす”泥棒どろぼう部落ぶらく”、”アパッチぞく”ともばれた集落しゅうらく取材しゅざいし、『日本にっぽん三文さんもんオペラ』を発表はっぴょう

1960ねん中国ちゅうごく訪問ほうもん日本にっぽん文学ぶんがく代表だいひょうだん(野間のまひろし団長だんちょう)の一員いちいんとして大江おおえ健三郎けんざぶろうらとともに中国ちゅうごくおとずれ、毛沢東もうたくとうしゅう恩来おんらいらと会見かいけん随筆ずいひつ地球ちきゅうはグラスのふちをまわる』では当時とうじ大江おおえとのエピソードがしるされている。帰国きこくまたヨーロッパを訪問ほうもんし、大江おおえ健三郎けんざぶろうとともにパリでサルトルと面会めんかい

戦争せんそうとノンフィクション

編集へんしゅう

1964ねん11月15にち朝日新聞社あさひしんぶんしゃ臨時りんじ特派とくはいんとして戦時せんじしたベトナムへ。サイゴンマジェスティック・ホテル拠点きょてんベトナム共和きょうわ国軍こくぐん(みなみベトナムぐん)に従軍じゅうぐんして最前線さいぜんせんさいはん政府せいふゲリラ機銃きじゅう掃射そうしゃうも生還せいかん総勢そうぜい200めいのうちのこったのは17めいであった。このときいちは「行方ゆくえ不明ふめい」とも報道ほうどうされた。このときルポルタージュ『ベトナム戦記せんき』を発表はっぴょう、その3ねんをかけて凄烈せいれつ体験たいけんをもとに小説しょうせつかがやけるやみ』を執筆しっぴつ。『なつやみ』『はなわるやみ未完みかん)』とともに3さくとなる。

帰国きこく(1965ねん2がつ24にち小田おだみのるらのベ平連べへいれん加入かにゅうして反戦はんせん運動うんどうをおこなったが[12]ベ平連べへいれんない反米はんべい左派さは勢力せいりょくつよ反発はんぱつ脱退だったい過激かげきする左派さはとは距離きょりくようになる。その保守ほしゅけい立場たちばをとり、のち谷沢たにさわ永一えいいち向井むかいさとしなどの右派うはけい文化ぶんかじんした。

熱心ねっしんつりでもあり、日本にっぽんはもちろんブラジルアマゾン川あまぞんがわなど世界中せかいじゅうつりぎょうし、様々さまざまさかなげ、『フィッシュ・オン』『オーパ!』などをテーマにした作品さくひんおおい。現在げんざいでは浸透しんとうしている「キャッチ・アンド・リリースったさかなかわもどす)」という思想しそうひろめたのもひらけだかだといわれている。また食通しょくつうでもあり、しょくさけかんするエッセイも多数たすうある。

 
開高かいこうけん記念きねんかん茅ヶ崎ちがさき

1974ねんから神奈川かながわけん茅ヶ崎ちがさき居住きょじゅう。1982ねんから『週刊しゅうかんプレイボーイ』の読者どくしゃからの人生じんせい相談そうだんコーナー「ふうけ」を連載れんさい。このなかで、開高かいこうけんという名前なまえについて「一切いっさい名詞めいしはいっていないめずらしい名前なまえっている」とつづり、開高かいこうけんを「かいた、かけん=いた?けん!」とへんみした読者どくしゃからの投稿とうこう非常ひじょうり、度々たびたびサインのさい引用いんようしていた。

1989ねん食道しょくどうがん手術しゅじゅつ、『珠玉しゅぎょく』をだつ稿こうするも東京とうきょう済生会さいせいかい中央ちゅうおう病院びょういんさい入院にゅういん食道しょくどう腫瘍しゅよう肺炎はいえん併発へいはつ死去しきょ[1][13]。58さいぼつ墓所はかしょ鎌倉かまくら円覚寺えんかくじ塔頭たっちゅう松嶺まつみねいんにある。死後しご開高かいこう業績ぎょうせき記念きねんして、1992ねんから2001ねんまでTBSブリタニカげん阪急はんきゅうコミュニケーションズ)が開高かいこうけんしょうを、2003ねんから集英社しゅうえいしゃノンフィクション対象たいしょう開高かいこうけんノンフィクションしょう創設そうせつした。2000ねん1がつ羊子ようこ夫人ふじんぼっし、そのいもうとにより16年間ねんかんごした邸宅ていたく茅ヶ崎ちがさき寄贈きぞうされ、開高かいこうけん記念きねんかんとして開設かいせつされた。

受賞じゅしょうれき

編集へんしゅう

作品さくひん

編集へんしゅう
 
開高かいこうけん記念きねんかんにある石碑せきひはいってきて人生じんせいさけていってさけぶ」

小説しょうせつ

編集へんしゅう

『パニック』は、ささ開花かいかネズミの大量たいりょう発生はっせいかんする新聞しんぶん科学かがく記事きじて、関連かんれん資料しりょう調しらべて執筆しっぴつした。『パニック』では自然しぜんかい物理ぶつりてきエネルギー、『はだか王様おうさま』では個人こじん圧殺あっさつする組織そしきのメカニズムにたいして、それらに対抗たいこうできる人間にんげん生命せいめいりょくもとめた作品さくひんとなっている。平野ひらのけんが「『組織そしきなか人間にんげん』というかつての逃亡とうぼう奴隷どれいおもってもみなかった運命うんめいにまず着目ちゃくもくすること、それ以外いがいわたしどものみちはあるまい」という発見はっけんべたのが1955ねんだったが、これは「開高かいこうけんのような戦後せんご世代せだいには自明じめい前提ぜんていだったのではないか」と佐々木ささき基一きいちひょうしている[10]。『片隅かたすみ迷路めいろ』では、徳島とくしまラジオしょうころ事件じけんげて小説しょうせつしたが、新聞しんぶん連載れんさいちゅうアイヒマン裁判さいばんきたためエルサレム裁判さいばん傍聴ぼうちょうにもおこなった。

『ベトナム戦記せんき連載れんさいのち東西とうざい分裂ぶんれつした架空かくうくに舞台ぶたいにした寓話ぐうわかたちの『なぎさからるもの』を『朝日あさひジャーナル』で連載れんさいし、ルポルタージュ作家さっかとしてではなく、開高かいこうけんが「人間にんげんにあるやみなければならなかった作家さっか」として「決定的けっていてき変化へんかし、その作用さようてき結果けっかとしてかれた作品さくひん」ともひょうされるが(中田なかた耕治こうじ[14])、自身じしんでこれを「惨敗ざんぱい」として、再度さいど1ねんかけてろし、ハイデッガー現代げんだいあらわした言葉ことばをタイトルにした『かがやけるやみ』を執筆しっぴつした[15]。『かがやけるやみ』に三島みしま由紀夫ゆきおは「すべてを想像そうぞうりょくえがいたのならえらいが、現地げんちって取材しゅざいしてからくのでは、たいしたことではない」とひょうしたが、秋山あきやま駿しゅんはこれを「きゅう世代せだい文学ぶんがくかん」とし、「現実げんじつればるほど、凝視ぎょうしすればするほど、って現実げんじつかたちかいからなくなり、同時どうじに、ている自分じぶんという主体しゅたいまでが混乱こんらんし、解体かいたいし、わけからぬものになってくる」のであり、この作品さくひんがそういう認識にんしき変貌へんぼうしめしん世代せだい現代げんだい文学ぶんがくだとべている[16]。『ニューヨーク・タイムズ』では『かがやけるやみ』について「ベトナム戦争せんそう風景ふうけいが、おとが、においが、名手めいしゅはじめて作品さくひんされた」「これほどいきいきしたベトナム報道ほうどうを、わたしはみたことがない」とかれ、『なつやみ』の英訳えいやくばんについてえいべいでは安部あべ公房こうぼうとともに日本にっぽんもっと重要じゅうよう作家さっかともひょうされた[17]。ベトナムにはその1968ねんと1973ねんにも取材しゅざいき、また中東ちゅうとうビアフラ戦争せんそう取材しゅざいし、それらを題材だいざいにした短編たんぺんは『あるかげたち』におさめられている。

あたらしい天体てんたい』は、「純粋じゅんすいべることの快楽かいらくえがくのみで長編ちょうへん小説しょうせつ構築こうちくするという破天荒はてんこうこころみ」の「巧緻こうちきわまる独創どくそうてき文学ぶんがく作品さくひん」である「食味しょくみ小説しょうせつ」といわれる(谷沢たにさわ永一えいいち[18])。

ノンフィクション

編集へんしゅう

1963ねんから『週刊しゅうかん朝日あさひ連載れんさいのルポルタージュ『日本人にっぽんじんあそ』『ずばり東京とうきょう』の評判ひょうばんたかかったため、『週刊しゅうかん朝日あさひ』はベトナム戦争せんそう取材しゅざい依頼いらいし、『ベトナム戦記せんき』として連載れんさいした。『かがやけるやみ執筆しっぴつころから、運動うんどう不足ふそく解消かいしょうのために少年しょうねん時代じだい以来いらいはじめ、日本にっぽん各地かくちまわるようになり、1968ねんのヨーロッパ訪問ほうもんボン釣具つりぐ店主てんしゅルアーフィッシングほどきをける[19]。その戦争せんそう取材しゅざいふく海外かいがい取材しゅざいさきではりも計画けいかくみ、カメラマン秋元あきもと啓一けいいち同行どうこうし、アラスカでのさけりからスウェーデンなどの北欧ほくおうナイジェリア中東ちゅうとう東南とうなんアジアなどをめぐり、タイのライとう桟橋さんばしからちたとき右足みぎあしかぶと骨折こっせつして帰国きこく、これらのりの経験けいけんをルポルタージュにして『フィッシュ・オン』として刊行かんこう。この『フィッシュ・オン』をサンパウロ大学だいがく教授きょうじゅ人文じんぶん研究所けんきゅうじょちょうであった斉藤さいとう広志ひろしみ、日本語にほんご学校がっこう講師こうしをしていた醍醐だいごあさすなおっとつうじてアマゾン川あまぞんがわでのりをさそわれ、『PLAYBOY企画きかくとして、カメラマン高橋たかはし曻を同行どうこうしてツアーを敢行かんこうし、『オーパ!』として連載れんさいした。これらはりをつうじてかく土地とちにおける「自然しぜんかたり、人間にんげんかたるすぐれたレポート」(菊谷きくやただしゆう)となっている。『オーパ!』は2年間ねんかんに10まんげを記録きろくし、高橋たかはし曻はこれにより木村きむら伊兵衛いへえ写真しゃしんしょう候補こうほとなった[17]

その週刊しゅうかん朝日あさひ』で南北なんぼくアメリカ大陸あめりかたいりくをアラスカからフエゴとうまで9ヶ月かげつかけて縦断じゅうだんし、『もっととおく!』『もっとひろく!』の2さつとして刊行かんこう。このときはサントリーの佐治さじ敬三けいぞうにスポンサーになってもらい、テレビCMにも出演しゅつえんした。このCMはアラスカ鉄道てつどう線路せんろはたって列車れっしゃめる(フラッグ・ストップ)というもので、これを日本にっぽん若者わかものたちがアンカレッジにおしかけて真似まねをしたため、アラスカ鉄道てつどうでは一時いちじ時刻じこくひょう変更へんこうすることになった。それからまた『PLAYBOY』で『オーパ!』のPARTⅡを最後さいご旅行りょこうとしてやることになり、『オーパ、オーパ!!』として刊行かんこうした。[20]

著作ちょさく

編集へんしゅう

小説しょうせつ

編集へんしゅう
短編たんぺん※は初出しょしゅつねん長編ちょうへん作品さくひんしゅう刊行かんこうねん
  • 『あかでみあ めらんこりあ』私家版しかばん 1951。のち角川かどかわ文庫ぶんこ改版かいはん 
  • はだか王様おうさま文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1958(「パニック」(『しん日本にっぽん文学ぶんがく』1957ねん8がつ)、「巨人きょじん玩具おもちゃ」(『文學ぶんがくかい』1957ねん10がつ),「はだか王様おうさま」(『文學ぶんがくかい』1957ねん12がつ)、「なまけもの」収録しゅうろく)、のち『パニック・はだか王様おうさま新潮しんちょう文庫ぶんこ改版かいはん 
  • 流亡りゅうぼう」※1959。「流亡りゅうぼうあるかげたち」集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 2020
  • 屋根裏やねうら独白どくはく中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1959
  • 日本にっぽん三文さんもんオペラ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1959 のち角川かどかわ文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ改版かいはん 
  • 『パニック』パトリア書店しょてん 1959
  • 『ロビンソンの末裔まつえい中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1960 のち角川かどかわ文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ  
  • 片隅かたすみ迷路めいろ毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1962(『毎日新聞まいにちしんぶん』1961ねん5-11月) のち角川かどかわ文庫ぶんこはじめもと推理すいり文庫ぶんこ
  • た・れた・わらわれた』筑摩書房ちくましょぼう 1964 のち角川かどかわ文庫ぶんこ 
  • かがやけるやみ新潮社しんちょうしゃ 1968 のち文庫ぶんこ改版かいはん毎日まいにち出版しゅっぱん文化ぶんかしょう 
  • あお月曜日げつようび文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1969 のち文庫ぶんこ集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 
  • ななつのみじか小説しょうせつ新潮社しんちょうしゃ 1969 
  • なつやみ新潮社しんちょうしゃ 1972 のち文庫ぶんこ改版かいはん直筆じきひつ原稿げんこうばん2010
  • あたらしい天体てんたい潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1974 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ 
  • あるかげたち』新潮社しんちょうしゃ 1979 のち文庫ぶんこ 
  • なぎさからるもの』角川書店かどかわしょてん 1980(『朝日あさひジャーナル』1966ねん1がつ2にち-10月30にち) のち文庫ぶんこ
  • 『ロマネ・コンティ・いちきゅうさんねん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1980 のち文庫ぶんこ改版かいはん短篇たんぺん小説しょうせつぜん6へん 
    • ロマネ・コンティいちきゅうさんねん」※1978
    • たまくだける」※1978。よく79ねんだいろくかい川端かわばた康成やすなり文学ぶんがくしょう
  • やぶれたまゆ みみ物語ものがたり1』新潮社しんちょうしゃ 1986 のち文庫ぶんこ、イースト・プレス 文庫ぶんこ岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • よる陽炎かげろう みみ物語ものがたり2』新潮社しんちょうしゃ 1986 のち文庫ぶんこ、イースト・プレス 文庫ぶんこ岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • 珠玉しゅぎょく文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1990 のち文庫ぶんこ 
  • はなおわやみ新潮社しんちょうしゃ 1990 のち文庫ぶんこ 
  • ちくま日本にっぽん文学ぶんがく全集ぜんしゅう 開高かいこうけん』1991、ちくま日本にっぽん文学ぶんがく文庫ぶんこ 2008
  • じゅうかべ・なまけもの 開高かいこうけん初期しょき作品さくひんしゅう講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ 2004。大岡おおおかれい解説かいせつ
  • 戦場せんじょう博物はくぶつ 開高かいこうけん短篇たんぺんしゅう講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ 2009
  • 開高かいこうけん短篇たんぺんせん岩波いわなみ文庫ぶんこ 2019。大岡おおおかれいへん
  • 流亡りゅうぼうあるかげたち』集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 2020

随筆ずいひつ・ノンフィクション

編集へんしゅう
  • 過去かこ未来みらい国々くにぐに 中国ちゅうごく東欧とうおう岩波いわなみ新書しんしょ、1961 のちどう時代じだいライブラリー、光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ  
  • こえ狩人かりゅうど岩波いわなみ新書しんしょ、1962 のちどう時代じだいライブラリー、光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ  
  • 日本人にっぽんじんあそ朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1963 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ  
  • 『ずばり東京とうきょう朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1964 のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ  
  • 『ベトナム戦記せんき写真しゃしん秋元あきもと啓一けいいち朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1965、朝日あさひ文庫ぶんこ 1990 新版しんぱん2022(『週刊しゅうかん朝日あさひ』1964ねん1がつ1にちごう-3月5にちごう連載れんさい
  • 饒舌じょうぜつ思想しそう講談社こうだんしゃ、1966、ちくま文庫ぶんこ 2009
  • わたし釣魚ちょうぎょ大全たいぜん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1969 のち文庫ぶんこ 
  • かみなか戦争せんそう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1972 のちどう時代じだいライブラリー 
  • 『サイゴンの十字架じゅうじか文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1973 のち光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ  
  • あるはな々』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1974 のちちゅう公文こうぶん、「あるはな々/開口かいこういちばん光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ  
  • 開口かいこういちばん ユーモアエッセイしゅうばんまち書房しょぼう、1974 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ改版かいはん 
  • しろいページ』潮出版社うしおしゅっぱんしゃ(1・2)、1975、新版しんぱんぜん1かん のち角川かどかわ文庫ぶんこ角川書店かどかわしょてん光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ
  • 開口かいこう閉口へいこう毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ(1・2)、1976-77 のち新潮しんちょう文庫ぶんこぜん1かん改版かいはん 
  • 自選じせん作家さっかたび開高かいこうけんやま渓谷社けいこくしゃ、1977
  • 最後さいご晩餐ばんさん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1979 のち文庫ぶんこ光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ
  • 食後しょくご花束はなたば 現代げんだい随想ずいそう日本にっぽん書籍しょせき 1979 のち角川かどかわ文庫ぶんこ
  • 白昼はくちゅうしろそう エッセイ 1967-78』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1979(12年間ねんかん未刊みかんエッセイ130へん
  • 地球ちきゅうはグラスのふちをまわる』新潮しんちょう文庫ぶんこ 1981・改版かいはん
  • 食卓しょくたくわらう』新潮社しんちょうしゃ 1982 のち文庫ぶんこ
  • 『あぁ。じゅうねん 1958-1983』潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1983、のち光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ 
  • 舞台ぶたいのない台詞せりふ ままな断片だんぺん383』文化出版局ぶんかしゅっぱんきょく 1983 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ語句ごくしゅう[21]
  • ふうけ ライフスタイル・アドバイス』 集英社しゅうえいしゃ(1・2)1984-85 のち文庫ぶんこ人生じんせい相談そうだんしゅう
  • 生物せいぶつとしての静物せいぶつ集英社しゅうえいしゃ 1984 のち文庫ぶんこ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 2022 
  • 今夜こんやねむれない 名著めいちょゼミナール』角川書店かどかわしょてん 1985
  • 『さまざまな邂逅かいこう大和やまと出版しゅっぱん 1986。アンソロジー・エッセイ
  • 知的ちてき経験けいけんのすすめ なんでも逆説ぎゃくせつにしてかんがえよ』青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 1987 のち文庫ぶんこ新版しんぱん人生じんせい相談そうだんしゅう
没後ぼつごかん新編しんぺん再刊さいかん
  • 知的ちてきてき教養きょうよう講座こうざ集英社しゅうえいしゃ 1990 のち文庫ぶんこ 
  • 小説しょうせつのメニュー』TBSブリタニカ 1990 のちちゅう公文こうぶん改版かいはん2003
  • 『シブイ』TBSブリタニカ 1990 
  • 『ピカソはほんまに天才てんさい文学ぶんがく映画えいが絵画かいが中公ちゅうこう文庫ぶんこ 1991
  • 衣食いしょくりて文学ぶんがくわすれられた!? 文学ぶんがくろん中公ちゅうこう文庫ぶんこ 1991、『開高かいこうけん文学ぶんがくろん中公ちゅうこう文庫ぶんこ 2010
  • 冒険ぼうけんしゃ書斎しょさい角川かどかわ春樹はるき事務所じむしょ・ランティエ叢書そうしょ 1997
  • 開高かいこうけん 見開みひらけ、みみてろ、そして、もっと言葉ことばに…』「人生じんせいのエッセイ3」日本にっぽん図書としょセンター 2000
  • ちまた美食びしょく角川かどかわ春樹はるき事務所じむしょハルキ文庫ぶんこ 2005 新版しんぱん2017
  • しょく王様おうさま角川かどかわ春樹はるき事務所じむしょ・ハルキ文庫ぶんこ 2006 新版しんぱん2017
  • 開高かいこうけんベスト・エッセイ』ちくま文庫ぶんこ 2018。小玉こだまたけしへん
  • 葡萄酒ぶどうしゅしょく夜明よあけ ぞく 開高かいこうけんベスト・エッセイ』ちくま文庫ぶんこ 2019。小玉こだまたけしへん
  • 開高かいこうけんのパリ』集英社しゅうえいしゃ 2019
  • さかなみず(ニョクマム)はおいしい しょくさけエッセイ傑作けっさくせん河出かわで文庫ぶんこ 2020
  • びんのなかのたび しゅ煙草たばこエッセイ傑作けっさくせん河出かわで文庫ぶんこ 2021
  • 魚心うおごころあれば りエッセイ傑作けっさくせん河出かわで文庫ぶんこ 2022 
著作ちょさく集成しゅうせい
  • 言葉ことば落葉らくよう冨山とやまぼうぜん4かん) 1979-82、「All my tomorrows」角川かどかわ文庫ぶんこぜん4かん)1990
  • 『オールウェイズ 単行たんこうほん収録しゅうろくぜんエッセイ』角川書店かどかわしょてんうえした)1990、角川かどかわ文庫ぶんこぜん4かん)1993。谷沢たにさわ永一えいいち浦西うらにし和彦かずひこへん
  • 一言半句いちごんはんく戦場せんじょう-もっと、いた! もっと、しゃべった!』 集英社しゅうえいしゃ 2008。「単行本たんこうぼん収録しゅうろく作品さくひん集成しゅうせい編集へんしゅう委員いいんかいへん
    副題ふくだい全集ぜんしゅう単行本たんこうぼん収録しゅうろくエッセイ、コラム、インタビュー、対談たいだん座談ざだんかい・きき 1958~1989
  • 『われらの獲物えものは、一滴いってきひかり』ロングセラーズ 2009。谷沢たにさわ永一えいいち山野やまの博史ひろふみへん
  • 『ポ・ト・フをもう一度いちど』ロングセラーズ 2012。山野やまの博史ひろふみへん単行たんこう本初ほんしょ収録しゅうろくエッセイ
  • 開高かいこうけん本棚ほんだな河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 2021。書斎しょさいほか写真しゃしんとエッセイ

図版ずはんほん

編集へんしゅう
  • 『フィッシュ・オン』秋元あきもと啓一けいいち写真しゃしん 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1971、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ改版かいはん 
  • 『オーパ!』高橋たかはしのぼる写真しゃしん 集英社しゅうえいしゃ、1978、復刻ふっこく2021、のち文庫ぶんこ集英社しゅうえいしゃ直筆じきひつ原稿げんこうばん)2010
  • 『もっととおく! 南北なんぼくりょうアメリカ大陸あめりかたいりく縦断じゅうだん北米ほくべいへん水村みずむらたかし写真しゃしん 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1981 のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ上下じょうげ) 
  • 『もっとひろく! 南北なんぼくりょうアメリカ大陸あめりかたいりく縦断じゅうだん南米なんべいへん水村みずむらたかし写真しゃしん 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1981 のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ上下じょうげ) 
  • うみよ、巨大きょだい怪物かいぶつよ オーパ、オーパ!!アラスカへん高橋たかはしのぼる写真しゃしん 集英社しゅうえいしゃ 1983
  • 開高かいこうけんC・W・ニコル野性やせいごえ立木たちき義浩よしひろ撮影さつえい 集英社しゅうえいしゃ 1984 のち文庫ぶんこ
  • 扁舟へんしゅうにて オーパ、オーパ!!カリフォルニア・カナダへん高橋たかはしのぼる写真しゃしん 集英社しゅうえいしゃ 1985 のち文庫ぶんこ 
  • 王様おうさまわたし オーパ、オーパ!!アラスカ至上しじょうへん高橋たかはしのぼる写真しゃしん 集英社しゅうえいしゃ 1987 のち文庫ぶんこ 
  • 宝石ほうせきうた オーパ、オーパ!!コスタリカへんスリランカへん高橋たかはしのぼる写真しゃしん 集英社しゅうえいしゃ 1987 のち文庫ぶんこ 
  • 国境こっきょうみなみ オーパ、オーパ!!モンゴル・中国ちゅうごくへん高橋たかはしのぼる写真しゃしん 集英社しゅうえいしゃ 1989 のち文庫ぶんこ 
  • 『ゴルバン・ゴル みっつのかわ 開高かいこうけんのモンゴルだい紀行きこう高橋たかはしのぼる写真しゃしん 角川書店かどかわしょてん 1992 のち朝日あさひ文庫ぶんこ
  • 開高かいこうけん博物はくぶつ集英社しゅうえいしゃ新書しんしょ 2001。奥本おくもとだい三郎さぶろうへん解題かいだい 
  • 開高かいこうけんがいた。』平凡社へいぼんしゃコロナ・ブックス 2003。どう編集へんしゅうへん
  • かわねむらない』青柳あおやぎ陽一よういち写真しゃしん 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 2009

翻訳ほんやく

編集へんしゅう

対談たいだんしゅう

編集へんしゅう
  • ひととこの世界せかい 対談たいだんしゅう河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1970 のちちゅう公文こうぶん、ちくま文庫ぶんこ
  • 午後ごごたのしみ 開高かいこうけん対談たいだんしゅう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1974  
  • 開高かいこうけん前略ぜんりゃく対談たいだん面白おもしろ半分はんぶん 1976
  • 悠々ゆうゆうとしていそ対談たいだんしゅう日本交通公社にほんこうつうこうしゃ 1977 のち角川かどかわ文庫ぶんこ 
  • 黄昏たそがれいちはい 対談たいだんしゅう潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1980 のちしお文庫ぶんこ 
  • 対談たいだん 文人ぶんじんおおかみやましス』江藤えとうあつし文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1981
  • 書斎しょさいのポ・ト・フ』 谷沢たにさわ永一えいいち向井むかいさとし潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1981、のちしお文庫ぶんこ、ちくま文庫ぶんこ 2012
  • 開高かいこうけんぜん対話たいわ集成しゅうせい1 ああこうしょくだい論争ろんそう潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1982、のちしお文庫ぶんこ 
  • 開高かいこうけんぜん対話たいわ集成しゅうせい2 なん土曜日どようび水平すいへいせん潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1982、のちしお文庫ぶんこ
  • 開高かいこうけんぜん対話たいわ集成しゅうせい3 じんかたらず』潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1982、のちしお文庫ぶんこ
  • 言葉ことばを、もっと言葉ことばを!・・・ 開高かいこうけん文学ぶんがく対談たいだんしゅう冨山とやまぼう 1982
  • 対談たいだん 美酒びしゅについて ひとはなぜさけかたるか 吉行よしゆき淳之介じゅんのすけvs.開高かいこうけん』サントリー 1982 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ改版かいはん  
  • まちかおがあったころ 浅草あさくさ銀座ぎんざ新宿しんじゅく 吉行よしゆき淳之介じゅんのすけVS.開高かいこうけん』TBSブリタニカ 1985 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ  
  • みずうえあるく? 酒場さかばでジョークじゅうばん勝負しょうぶ島地しまじ勝彦かつひこ TBSブリタニカ 1989 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ新版しんぱんCCCメディアハウス 2015
  • 『もっとわらいを! 開高かいこうけん対談たいだんしゅう潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1990

著作ちょさくしゅう

編集へんしゅう
  • 開高かいこうけんぜん作品さくひん小説しょうせつぜん9かん)/ エッセイ(ぜん3かん)、新潮社しんちょうしゃ、1973-74
  • 開高かいこうけんしゅう 新潮しんちょう日本にっぽん文学ぶんがく63』新潮社しんちょうしゃ、1977 
  • 開高かいこうけん しんしお現代げんだい文学ぶんがく54』新潮社しんちょうしゃ、1980
  • 開高かいこうけんぜんノンフィクション』ぜん5かん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1977
  • 開高かいこうけんぜん対話たいわ集成しゅうせいぜん8かん潮出版社うしおしゅっぱんしゃ、1982-83 
  • ひとは、いざ・・・ 開高かいこうけんぜん人物じんぶつ論集ろんしゅうぜん4かん潮出版社うしおしゅっぱんしゃ、1983-84 
  • 開高かいこうけん全集ぜんしゅうぜん22かん新潮社しんちょうしゃ、1991-93 

編著へんちょ共編きょうへん

編集へんしゅう
  • 世界せかいカタコト辞典じてん小田おだみのる 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1965 のち文庫ぶんこ 
  • 平和へいわこえ ベトナム反戦はんせん日本人にっぽんじんねがい』鶴見つるみ俊輔しゅんすけ小田おだみのる共編きょうへん ばんまち書房しょぼう 1967
  • 反戦はんせん論理ろんり 全国ぜんこく縦断じゅうだん日米にちべい反戦はんせん講演こうえん記録きろく鶴見つるみ俊輔しゅんすけ小田おだみのる共編きょうへん 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1967
  • 新編しんぺん人生じんせいほん10 自然しぜんへの希求ききゅう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1972
  • 『わがうちそとなるヒトラー』佐々木ささき基一きいち共編きょうへん 講談社こうだんしゃ 1974
  • 日本にっぽんめい随筆ずいひつ4 つり作品社さくひんしゃ 1982 
  • 『それでもまずにいられない』講談社こうだんしゃ 1984 のち文庫ぶんこ
  • 露伴ろはんり』アテネ書房しょぼう 1985
  • 弔辞ちょうじ大全たいぜんぜん2かん 新潮しんちょう文庫ぶんこ 1986
  • 渓流けいりゅう道具どうぐづくし』山本やまもともとせき共編きょうへん 筑摩書房ちくましょぼう 1988
  • 渓流けいりゅうあじづくし』山本やまもともとせき共編きょうへん 筑摩書房ちくましょぼう 1988
  • 渓流けいりゅうぎょづくし』山本やまもともとせき共編きょうへん 筑摩書房ちくましょぼう 1988
  • 『やってみなはれみとくんなはれ』山口やまぐちひとみ 新潮しんちょう文庫ぶんこ 2003。私的してきサントリーしゃ
  • 悠々ゆうゆうとしていそ追悼ついとう開高かいこうけん』(まき羊子ようこへん筑摩書房ちくましょぼう, 1991)
  • 谷沢たにさわ永一えいいち回想かいそう 開高かいこうけん[22]新潮社しんちょうしゃ, 1992、PHP文庫ぶんこ, 1999)
    • 開高かいこうけん名言めいげん』(ロングセラーズ, 2009)- 語句ごく解説かいせつ新書しんしょ新版しんぱんかん
  • 向井むかいさとし開高かいこうけん 青春せいしゅんやみ』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう, 1992、文春ぶんしゅん文庫ぶんこ, 1999)
  • 開高かいこうけん 新潮しんちょう日本にっぽん文学ぶんがくアルバム52』(新潮社しんちょうしゃ, 2002)- 栗坪くりつぼ良樹よしき評伝ひょうでん立松たてまつ和平わへい作家さっかエッセイ
  • そう特集とくしゅう 開高かいこうけん KAWADEゆめムック』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ, 2010、増補ぞうほ新版しんぱん2015)
  • 大阪おおさかまれた開高かいこうけん』(たる出版しゅっぱん, 2011)。大阪おおさかでの友人ゆうじんらによる人物じんぶつエッセイしゅう
  • 細川ほそかわぬの久子ひさこ『わたしの開高かいこうけん』(そうしゃ, 2011)。担当たんとう編集へんしゅうしゃ回想かいそう
  • つぼまつ博之ひろゆき壽屋ことぶきやコピーライター 開高かいこうけん』(たる出版しゅっぱん, 2014)。壮年そうねんまでの伝記でんき
  • きたかんとし佐治さじ敬三けいぞう開高かいこうけん 最強さいきょうのふたり』(講談社こうだんしゃ, 2015、講談社こうだんしゃαあるふぁ文庫ぶんこ ぜん2かん, 2017)
  • 小玉こだまたけし開高かいこうけん きた、いた、ぶつかった!』(筑摩書房ちくましょぼう, 2017、ちくま文庫ぶんこ, 2020)
  • 吉岡よしおか栄一えいいち開高かいこうけん文学ぶんがく世界せかい 交錯こうさくするオーウェルのかげ』(アルファベータブックス, 2017)
回想かいそう書誌しょしほか
  • 菊谷きくやただしゆう開高かいこうけんのいる風景ふうけい』(集英社しゅうえいしゃ, 2002)
  • 菊谷きくやただしゆう開高かいこうけんった』(実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ, 2005)
  • 高橋たかはしのぼる写真しゃしん開高かいこうけんたびかみとともにけ』(集英社しゅうえいしゃ, 1990)
  • 高橋たかはしのぼる写真しゃしんぶんおとこ、が、いた。開高かいこうけん』(小学館しょうがくかん, 2004)
  • 高橋たかはしのぼる旅人たびびと 開高かいこうけん』(つり人社びとしゃ, 2005)
  • 高橋たかはしのぼる開高かいこうけん ゆめける草原そうげん』(つり人社びとしゃ, 2006)。続編ぞくへん
  • 谷口たにぐち博之ひろゆき開高かいこうけん先生せんせいと、オーパ!たび特別とくべつ料理りょうり』(集英社しゅうえいしゃ, 1991、集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ, 1995)
  • 滝田たきた誠一郎せいいちろう長靴ながぐついた開高かいこうけん』(小学館しょうがくかんラピタ・ブックス, 2006、朝日あさひ文庫ぶんこ, 2010)
  • 菊池きくち治男はるお開高かいこうけんとオーパ!をあるく』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ, 2012、増補ぞうほばん2021)
  • 菊池きくち治男はるお開高かいこうけんなにをどう血肉けつにくとしたか』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ, 2020)
  • 仲間なかま秀典ひでのり開高かいこうけん憂鬱ゆううつ』(文芸ぶんげいしゃ, 2004)。医師いしから開高かいこうけんやまいあとがくアプローチ
  • 『コレクシオン 開高かいこうけん谷沢たにさわ永一えいいち向井むかいさとし浦西うらにし和彦かずひこへん潮出版社うしおしゅっぱんしゃ, 1982)
  • 近代きんだい文学ぶんがく書誌しょし大系たいけい1 開高かいこうけん書誌しょし浦西うらにし和彦かずひこへん和泉いずみ書院しょいん, 1990)

映画えいが作品さくひん

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ドキュメンタリー

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関連かんれん項目こうもく

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  • おく只見ただみダム - 乱獲らんかくされる奥只見湖おくただみこイワナ保護ほご目的もくてきに「おく只見ただみさかなそだてるかい」を結成けっせい
  • 薄明はくめい光線こうせん(レンブラント光線こうせん)
  • JLA - 日本にっぽん最古さいこのルアーフィッシング団体だんたい開高かいこう関係かんけいしていた。

関連かんれん人物じんぶつ

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脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ a b 史上しじょうはつだい調査ちょうさ 著名ちょめいじん100にん最後さいごたよった病院びょういん あなたの病院びょういんえらびは間違まちがっていませんか”. 現代げんだいビジネス (2011ねん8がつ17にち). 2019ねん12月22にち閲覧えつらん
  2. ^ 開高かいこうけんは「かいこうけん」とんでもただしいか。」福井ふくい県立けんりつ図書としょ) - レファレンス協同きょうどうデータベース
  3. ^ 開高かいこうけん文学ぶんがくろん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 2010ねん(「熱烈ねつれつ外道げどう美学びがく」)
  4. ^ 開高かいこうけん文学ぶんがくろん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 2010ねん(「『嘔吐おうと』の周辺しゅうへん」「サルトル『嘔吐おうと』」)
  5. ^ 谷沢たにさわ永一えいいちかみつぶて(完本かんぽんばん)』PHP文庫ぶんこ 1999ねん(「古書こしょてんおしえられる」)
  6. ^ 開高かいこうけん文学ぶんがくろん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 2010ねん(「乱読らんどく、また乱読らんどく」)
  7. ^ 開高かいこうけん出身しゅっしんけんべつ 現代げんだい人物じんぶつ事典じてん 西日本にしにほんばん』p850 サン・データ・システム 1980ねん
  8. ^ 『ピカソはほんまに天才てんさい文学ぶんがく映画えいが絵画かいが』(「マスコミ雑感ざっかん」)
  9. ^ 開高かいこうけん文学ぶんがくろん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 2010ねん(「作家さっかうちそと」「ネズミの習性しゅうせい調しらべて」「抽象ちゅうしょうへの方向ほうこう」「へびあしとして」)
  10. ^ a b 『パニック・はだか王様おうさま新潮社しんちょうしゃ 1960ねん佐々木ささき基一きいち解説かいせつ」)
  11. ^ きたかんとし佐治さじ敬三けいぞう開高かいこうけん 最強さいきょうのふたり」講談社こうだんしゃ
  12. ^ 月刊げっかん基礎きそ知識ちしき from 現代げんだい用語ようご基礎きそ知識ちしき”. www.jiyu.co.jp. 自由じゆう国民こくみんしゃ. 2019ねん9がつ29にち閲覧えつらん
  13. ^ 大塚おおつかえいりょう文学ぶんがくしゃ掃苔ろく図書館としょかん』(はら書房しょぼう、2015ねん)66ぺーじ
  14. ^ なぎさからるもの』角川かどかわ文庫ぶんこ 1983ねん中田なかた耕治こうじ解説かいせつ」)
  15. ^ 開高かいこうけん文学ぶんがくろん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 2010ねん(「作品さくひん背景はいけい-『かがやけるやみ』」)
  16. ^ かがやけるやみ新潮しんちょう文庫ぶんこ 1982ねん秋山あきやま駿しゅん解説かいせつ」)
  17. ^ a b 『オーパ!』集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 1981ねん菊谷きくやただしゆう解説かいせつ」)
  18. ^ 谷沢たにさわ永一えいいちかみつぶて(完本かんぽんばん)』PHP文庫ぶんこ 1999ねん(「君子くんし厨房ちゅうぼうはいる」
  19. ^ 『フィッシュ・オン』
  20. ^ 『オーパ、オーパ!! アラスカへんカリフォルニア・カナダへん集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 1990ねん(「うみよ、巨大きょだい怪物かいぶつよ」)
  21. ^ 語句ごくしゅうは、に『あやうい世界せかい言葉ことば青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ、『開高かいこうけん名言めいげん谷沢たにさわ永一えいいちへん・ロングセラーズ、『ただよえどしずまず 開高かいこうけん名言めいげん辞典じてん滝田たきた誠一郎せいいちろう小学館しょうがくかんがある
  22. ^ 谷沢たにさわ回想かいそうには、「ななつとしうえのおんなにつかまり、しだいに事態じたい意味いみするところにづき」「不機嫌ふきげんとなった」という、当時とうじ存命ぞんめいだったつままき羊子ようこにとってショッキングな記述きじゅつがある。両者りょうしゃは、開高かいこう生前せいぜんからなかわるく、当然とうぜんだが以後いご完全かんぜん決別けつべつした。なお一人娘ひとりむすめ開高かいこう道子みちこによる『ちち開高かいこうけんからまなんだこと』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう, 1994)がある。
  23. ^ 井伏いぶせ鱒二ますじ世界せかい〜“荻窪おぎくぼ風土記ふどき”から〜”. NHK. 2021ねん7がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん7がつ8にち閲覧えつらん
  24. ^ 大村おおむら彦次郎ひこじろう文壇ぶんだん挽歌ばんか物語ものがたり筑摩書房ちくましょぼう 2011ねん
  25. ^ [1]2007ねん5がつ26にちづけブログ

外部がいぶリンク

編集へんしゅう