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ゲリラ - Wikipedia

ゲリラ

正規せいきせん形態けいたい
戦争せんそう


軍事ぐんじ

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ゲリラスペイン: guerrilla)は、ゲリラせんゆうげきせん)とばれる不正規ふせいき戦闘せんとうおこな民兵みんぺいまたははん政府せいふ組織そしきのこと。

 
スペイン独立どくりつ戦争せんそうで、フランスぐんによる侵略しんりゃく抵抗ていこうするスペインのゲリラをえがいた絵画かいが
 
だいボーア戦争せんそうにおけるゲリラ

1808ねんからのスペイン独立どくりつ戦争せんそうナポレオンぐんこうして蜂起ほうきしたスペインぐんスペインじん民衆みんしゅうった作戦さくせんを、ゲリーリャ(guerrilla、guerra「戦争せんそう」+ゆびしょう-illaで「ちいさな戦争せんそう」を意味いみするスペイン単語たんご)とんだのが、ゲリラの語源ごげんである。ただし、戦術せんじゅつとしてのゲリラせんは、このかたりまれる以前いぜん古代こだいから存在そんざいしていた。

日本語にほんごでは「ゆうげき」という言葉ことばやくされることがある。ここでの「ゆう」の意味いみは「本拠ほんきょとする場所ばしょからはなれる」という意味いみである。

概要がいよう

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ゲリラせんとは、戦線せんせんがいにおいて小規模しょうきぼ部隊ぶたい運用うんようして奇襲きしゅうせ、後方こうほう支援しえん破壊はかい攪乱かくらん攻撃こうげきおこな戦法せんぽうまたは戦闘せんとうす。ゲリラによるゲリラせんは、正規せいきぐんによる正規せいきせんとく会戦かいせんによる決戦けっせん方法ほうほうとは対極たいきょくてき戦争せんそう形態けいたいである。一般いっぱんにゲリラせんは、少数しょうすうあるいは劣勢れっせいとなったがわ住民じゅうみんしゅ支持しじ背景はいけい小規模しょうきぼ戦闘せんとう効果こうかてき反復はんぷくてき実施じっしすることによって、優勢ゆうせいてきたいして消耗しょうもうせん神経しんけいせんいて占領せんりょう長期ちょうき継続けいぞく困難こんなんにさせること目的もくてきとする。反面はんめん、ゲリラせんだけでは短期間たんきかん決定的けっていてき軍事ぐんじてき損害そんがいあたえること困難こんなんで、そのあいだ優勢ゆうせいてきがわから「正規せいきへいではない犯罪はんざいしゃテロリスト」とみなされての弾圧だんあつ報復ほうふく予想よそうされるため、長期ちょうき継続けいぞくりょく必要ひつようとなる。

同様どうよう任務にんむ遂行すいこうする正規せいきぐん兵士へいしは「ゲリラコマンド」などと区別くべつする。正規せいきぐん必要ひつようおうじてゲリラ戦術せんじゅつ実施じっしするほか、特殊とくしゅ部隊ぶたいによる後方こうほう攪乱かくらんなどコマンドー攻撃こうげき採用さいようする場合ばあいや、さらには前線ぜんせんでの正規せいきぐん占領せんりょうでの市民しみんによるゲリラが連携れんけいする場合ばあいなどもあり、どこまでを「ゲリラ」または「ゲリラせん」とぶかの明確めいかく区別くべつ分類ぶんるい困難こんなんである。

近代きんだい以降いこう代表だいひょうてきなゲリラせんまたはゲリラ組織そしきには、19世紀せいきスペイン独立どくりつ戦争せんそうボーア戦争せんそう20世紀せいきアラブ反乱はんらん毛沢東もうたくとうひきいるはちぐんだい世界せかい大戦たいせんなか各地かくちでのレジスタンス運動うんどうパルチザン東西とうざい冷戦れいせんアルジェリア戦争せんそうベトナム戦争せんそうキューバ革命かくめいだいいちアフガニスタン紛争ふんそう冷戦れいせんだいアフガニスタン紛争ふんそうナクサライトの反乱はんらん英語えいごばんネパール内戦ないせんなどがある。とくパレスチナ・ゲリラは、西側にしがわ先進せんしん諸国しょこくミュンヘンオリンピック襲撃しゅうげき多数たすうハイジャック事件じけんこして紛争ふんそう国際こくさいねらい、連携れんけいしたドイツ赤軍せきぐんあか旅団りょだん日本にっぽん赤軍せきぐんなども同様どうようのゲリラ事件じけん発生はっせいさせた。

ゲリラせん代表だいひょうてき理論りろんしょ教本きょうほんには、ウラジーミル・レーニンの『ゲリラ戦争せんそう』、毛沢東もうたくとうの『ゆうげきせんろん』、チェ・ゲバラの『ゲリラ戦争せんそう』、カルロス・マリゲーラの『都市としゲリラ教程きょうてい英語えいごばん』などがある。

また、ゲリラせんでは、ゲリラがわ捕虜ほりょとなった場合ばあい待遇たいぐう歴史れきしてき議論ぎろんがあり、近代きんだい戦時せんじ国際こくさいほう主題しゅだいの1つとなっている。

19世紀せいきのゲリラ

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アフリカ分割ぶんかつにおいて、ヨーロッパ諸国しょこく軍隊ぐんたいたいする抵抗ていこうは、ゲリラせん形態けいたいることがおおかった。アルジェリアアブデルカーデル西にしアフリカサモリ・トゥーレ採用さいようしたゲリラ戦術せんじゅつは、フランスぐんおおいになやませた。ボーア戦争せんそうさいして、アフリカーナーイギリスぐんたいしてゲリラせん抵抗ていこうしたが、コマンドー語源ごげんはこのときイギリスぐん互角ごかく以上いじょうたたかった彼等かれら言葉ことばアフリカーンス由来ゆらいしている。これらのゲリラ戦術せんじゅつはヨーロッパ諸国しょこくぐん撤退てったいいやることはできず、理論りろんもなされなかったが、アフリカの歴史れきしすくなからぬ影響えいきょうのこした。

日本にっぽんにおいては、だい長州ちょうしゅう征伐せいばつにおいて江戸えど幕府ばくふがわについた小倉こくらはんへいが、どう領内りょうないんできた長州ちょうしゅうはんへいたいし、小倉こくらじょうから撤退てったいして香春かわらまち拠点きょてんうつしゲリラせんおこなっている。

20世紀せいきのゲリラ

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農村のうそんゲリラ

編集へんしゅう

イギリスぐんトーマス・エドワード・ロレンスは、だいいち世界せかい大戦たいせんにおいてアラブ反乱はんらんひきいてオスマン帝国ていこくたたかった。かれった作戦さくせんは、オスマン帝国ていこくとの正面しょうめんからの衝突しょうとつではなく、ヒジャーズ鉄道てつどう神出鬼没しんしゅつきぼつ攻撃こうげきしてよりおおくのオスマンぐん部隊ぶたい鉄道てつどう沿線えんせんけ、イギリスぐんパレスチナでの進軍しんぐんをしやすくすることにあった。かれった戦法せんぽうは、各国かっこくのゲリラ戦術せんじゅつ特殊とくしゅ部隊ぶたい影響えいきょうあたえた。

近代きんだいゲリラせん定型ていけいしたのは、ニカラグアアウグスト・セサル・サンディーノ将軍しょうぐんだった。サンディーノは、1927ねんちゅうニカラグアアメリカ海兵かいへいたい攻撃こうげきしてニカラグア北部ほくぶ密林みつりん山岳さんがく地帯ちたいでのゲリラ戦争せんそうみ、国際こくさい社会しゃかいラテンアメリカ諸国しょこく支援しえんけて1933ねん海兵かいへいたい撤退てったいいやった。

現代げんだいにおいてゲリラせん有効ゆうこうせい実証じっしょうしたのは、だいいち国共こっきょう内戦ないせんにおいて、毛沢東もうたくとうひきいた中国共産党ちゅうごくきょうさんとうべにぐんであった。のべやすちょうただししたのちかれは『ゆうげきせんろん』などの著作ちょさくなかで、それまでのマルクス主義まるくすしゅぎにおける革命かくめい戦術せんじゅつ唯一ゆいいつ公式こうしきとなっていた都市としプロレタリア蜂起ほうき戦術せんじゅつ批判ひはんし、山岳さんがく根拠地こんきょちとする農村のうそんゲリラ戦術せんじゅつ理論りろんし、国共こっきょう内戦ないせんにちちゅう戦争せんそう実践じっせんした。背景はいけいには中国ちゅうごくかずある農民のうみん反乱はんらん伝統でんとうがあったが、毛沢東もうたくとう単純たんじゅん農民のうみんかずをあてにするのではなく、険阻けんそ山岳さんがく士気しきたかいゲリラぐんはいって長期ちょうき抗戦こうせん態勢たいせいととのえ、それを一般いっぱん農民のうみん支援しえんするというスタイルをす。

だい世界せかい大戦たいせんでは、中華民国ちゅうかみんこくポーランドユーゴスラビアギリシャソ連それんフランススロバキアフィリピンベトナムイタリアムッソリーニ失脚しっきゃく)など、枢軸すうじくこく侵攻しんこうけた諸国しょこく占領せんりょうぐんたいするゲリラせん展開てんかいされ、ヨーロッパのゲリラは、とくレジスタンス運動うんどうパルチザンばれた。これらのゲリラのしゅ任務にんむは、連合れんごうこくぐん正規せいきぐん連携れんけいし、戦線せんせん後方こうほう破壊はかい活動かつどう諜報ちょうほう活動かつどうをすることであった。ただし、中国ちゅうごくとユーゴスラビアのゲリラは山岳さんがくから勢力せいりょく拡大かくだいして都市とし争奪そうだつにまでした。大戦たいせん末期まっきソ連それんぐん東欧とうおうバルトさんこく占領せんりょうすると、枢軸すうじくぐんたたかっていたゲリラは国民こくみん解放かいほうもとめてソ連それんぐん相手あいてにゲリラせんつづけ、ウクライナリトアニアエストニアラトビアではウクライナ蜂起ほうきぐんもり兄弟きょうだいによる抵抗ていこう運動うんどう戦後せんごしばらつづいた。

だい大戦たいせんだつ植民しょくみん時代じだいはいったアジアアフリカ植民しょくみんてい開発かいはつこくでは、社会しゃかい主義しゅぎ思想しそうてき影響えいきょうした独立どくりつ運動うんどうはん帝国ていこく主義しゅぎ闘争とうそうさかんになった。中国ちゅうごくでは、にちちゅう戦争せんそうちゅうから日本にっぽんぐんたいするゲリラせん優位ゆういすすめ、だい国共こっきょう内戦ないせん勝利しょうりした毛沢東もうたくとう中国共産党ちゅうごくきょうさんとう1949ねん中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく建国けんこくし、社会しゃかい主義しゅぎけん東側ひがしがわ諸国しょこく)に加盟かめいした。そのなかで、宗主そうしゅこく相手あいて独立どくりつ戦争せんそう開始かいしする人々ひとびとあらわれた。独立どくりつ戦争せんそうのほとんどはゲリラせんかたちをとり、なかでもアルジェリア独立どくりつ戦争せんそうだいいちインドシナ戦争せんそうベトナム戦争せんそうでは、フランツ・ファノンホー・チ・ミンヴォー・グエン・ザップ理論りろんてき指導しどうしゃとしたゲリラせん重要じゅうよう役割やくわりになった。

 
『ゲリラ戦争せんそう』の著者ちょしゃ、チェ・ゲバラ。アルベルト・コルダ撮影さつえいしたこの写真しゃしんのタイトルは、「英雄えいゆうてきゲリラ」である

独立どくりつしゅとしてアジアで、毛沢東もうたくとう主義しゅぎ思想しそうてき影響えいきょうけて社会しゃかい主義しゅぎ革命かくめい目指めざすゲリラがおこったが、大半たいはん失敗しっぱいし、中国ちゅうごく影響えいきょうにはないキューバフィデル・カストロチェ・ゲバラはん独裁どくさいゲリラが成功せいこうをおさめた。そのラテンアメリカではキューバ革命かくめい影響えいきょうをうけて親米しんべい独裁どくさい政権せいけん軍事ぐんじ政権せいけん反対はんたいするゲリラがこされるが、のち世界せかい各国かっこくのゲリラの教本きょうほんにもなった『ゲリラ戦争せんそう』でゲバラ主義しゅぎ標榜ひょうぼうした、社会しゃかい主義しゅぎ革命かくめいのために都市としのプロレタリアによる蜂起ほうきではなく、農村のうそんゲリラ戦術せんじゅつ主要しゅよう路線ろせんとするゲリラ闘争とうそうは、1967ねん10月にゲバラ自身じしんボリビア戦死せんししたことにより重大じゅうだい挫折ざせつきたした。そのラテンアメリカにおける革命かくめい運動うんどうは、1968ねんペルーにおけるフアン・ベラスコ・アルバラード将軍しょうぐん社会しゃかい主義しゅぎ標榜ひょうぼうしたクーデターや、1970ねんチリにおけるサルバドール・アジェンデ平和へいわ革命かくめいなど、1973ねん9月11にちにチリ革命かくめいチリ・クーデターによって終焉しゅうえんするまで、ゲリラ闘争とうそう以外いがい社会しゃかい主義しゅぎ達成たっせいしようとするうごきに移行いこうしたが、チリ・クーデターにはIMF世界銀行せかいぎんこうによる構造こうぞう調整ちょうせいれた軍事ぐんじ政権せいけんたいしてふたたびゲリラ戦争せんそう開始かいしされた。このたねのゲリラ闘争とうそう1979ねんニカラグアでのサンディニスタ革命かくめいなど成功せいこうするものもあったものの、グアテマラ内戦ないせんしょ勢力せいりょくコロンビア革命かくめいぐんセンデロ・ルミノソのようにおおくは敗北はいぼくするか、長引ながび内戦ないせんですべての当事とうじしゃ疲弊ひへいし、さらに冷戦れいせん終結しゅうけつするとかつてゲリラがわかかげていた社会しゃかい主義しゅぎ大義たいぎおおきくゆがみ、1990年代ねんだいになるとその一部いちぶ麻薬まやく取引とりひき資金しきんげん見出みいだすようになった。

なお、ニカラグアコントラコロンビア右翼うよく民兵みんぺい組織そしきパラ・ミリタリー)のように、親米しんべい右派うはであり、アメリカぐんCIA援助えんじょ教育きょういくけていた私兵しへい組織そしきもまた、ゲリラせん(とテロリズム)を戦術せんじゅつとして多用たようすることとなった[ちゅう 1]。また、こう掲のキプロスにおけるエノシス運動うんどうも、毛沢東もうたくとうなどのゲリラ理論りろんまえたものであった。

また、どう時期じき世界せかいてきだつ植民しょくみん潮流ちょうりゅうなかでも、西にしヨーロッパ最貧さいひんこくでありしん植民しょくみん主義しゅぎおこなうほどの実力じつりょくたなかったポルトガル植民しょくみん手放てばなさなかったため、ポルトガルりょうアフリカではアミルカル・カブラルアゴスティニョ・ネトエドゥアルド・モンドラーネサモラ・マシェル指導しどうされた独立どくりつ目指めざすゲリラ部隊ぶたいポルトガルぐんたたかいがつづいた(ポルトガルの植民しょくみん戦争せんそう)。

 
ベトナム戦争せんそう最中さいちゅう炎上えんじょうしたベトコンの拠点きょてん1968ねん4がつ5にち

アジアとアフリカには、国内こくない少数しょうすう民族みんぞくによる独立どくりつ要求ようきゅうおおくある。その一部いちぶもゲリラせんかたち戦争せんそうおこなっている。ただし、アルメニア支援しえんされたナゴルノ・カラバフぐんのように、経済けいざいてき政治せいじてき余裕よゆうがあれば、ゲリラせんよりも正規せいきせんこたえる正規せいきぐん編成へんせいすることほうおおい。みなみベトナム解放かいほう民族みんぞく戦線せんせん(いわゆるベトコン)にしても、ベトナム戦争せんそう後期こうき(とくにテト攻勢こうせい以後いご)にはソ連それん中国ちゅうごくきたベトナム強力きょうりょくかつ弾力だんりょくてき支援しえんによって正規せいきせんこたえうる装備そうび部隊ぶたい獲得かくとくしていたとするせつもある。ぎゃくヒズボラのように意図いとてき正規せいきぐん指向しこうたず、あくまでも装備そうび兵力へいりょくをゲリラせん主体しゅたいめる組織そしきもある。ただし、どう組織そしきイランから強力きょうりょく支援しえんており、シリア事実じじつじょう補給ほきゅう拠点きょてんとなっている。

さらに、強力きょうりょく外国がいこくぐんたたかうアラブゲリラがある。パレスチナ解放かいほう機構きこう(PLO)などをはじめとするパレスチナのゲリラは、アラブ諸国しょこく第三次中東戦争だいさんじちゅうとうせんそうイスラエル敗北はいぼくし、さらにエジプトサーダートがナセル主義しゅぎから転向てんこうして1977ねんにイスラエルと和平わへいむすぶなど、アラブ民族みんぞく主義しゅぎ路線ろせん重大じゅうだい挫折ざせつきたしてから、イスラエル領内りょうない越境えっきょう攻撃こうげきおこなった。パレスチナゲリラは、社会しゃかい主義しゅぎ理論りろんてき支柱しちゅうとしていたが、アフガニスタンでは1979ねん侵攻しんこうしてソビエト連邦れんぽうたいして社会しゃかい主義しゅぎそのものの失墜しっついもあり、従来じゅうらいゲリラ戦術せんじゅつ理論りろんてき支柱しちゅうだった社会しゃかい主義しゅぎではなく、イスラム主義しゅぎ背景はいけいとしたムジャーヒディーンアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく援助えんじょけてゲリラせん抵抗ていこうした。また、アラブ諸国しょこくひとつであるレバノンでは、シーアイスラム原理げんり主義しゅぎ組織そしきヒズボラ同国どうこく南部なんぶ占領せんりょうしていたイスラエルぐんたいしてゲリラせんおよび自爆じばく攻撃こうげき展開てんかいし、2000ねん同軍どうぐん撤退てったいという一定いってい成果せいかげた。

メキシコでは、NAFTA発効はっこう1994ねん1がつ1にちに、国籍こくせき企業きぎょう進出しんしゅつ補助ほじょきんにより圧倒的あっとうてき競争きょうそうりょくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくさん農産物のうさんぶつ事実じじつじょうダンピング)の流入りゅうにゅうにより、メキシコ農家のうかインディオ先住民せんじゅうみん)に失業しつぎょう宣告せんこくするようなこの協定きょうてい締結ていけつたいして、マヤけい先住民せんじゅうみん主体しゅたいとしたサパティスタ民族みんぞく解放かいほうぐん(EZLN)が最貧さいひんしゅうチアパスしゅうラカンドンから反乱はんらんこした。EZLNは、従来じゅうらいのゲリラ戦術せんじゅつ目指めざした「国家こっか権力けんりょく奪取だっしゅ」を目指めざさないまったあたらしいかたちのゲリラ闘争とうそうひろげ、チアパスしゅうにて自治じちおこなっている。

21世紀せいきはいり、たいテロ戦争せんそう文脈ぶんみゃくアフガニスタン侵攻しんこうイラク戦争せんそう勃発ぼっぱつしたため、イスラム主義しゅぎしゃによるアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく有志ゆうし連合れんごう諸国しょこくたいするゲリラせんアフガニスタンイラク展開てんかいされた。テロリズムをその闘争とうそう手段しゅだんとしたゲリラ組織そしきには、タミル・イーラム解放かいほうのトラなどがあったが、たいテロ戦争せんそう開始かいし以降いこうは、テロリストという言葉ことばはイスラム主義しゅぎゲリラと同義どうぎ言葉ことばとして濫用らんようされる傾向けいこうにある。

都市としゲリラ

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都市としゲリラは、1960年代ねんだいブラジルカルロス・マリゲーラ提唱ていしょうしたもので、都市としにおいて軍隊ぐんたい警察けいさつ間断かんだんなくしょう襲撃しゅうげきくわえることである。ゲリラはふだんは住民じゅうみんにまぎれ、住民じゅうみんかくまわれて潜伏せんぷくしている。都市としゲリラは、活動かつどう開始かいしこそ世間せけん耳目じもくあつめたが、小規模しょうきぼ散発さんぱつてきテロリズムえることはなかった。例外れいがいてき成長せいちょうしたのがウルグアイツパマロスであったが、ウルグアイ政府せいふ内戦ないせん状態じょうたい宣言せんげんするとこれもはげしい弾圧だんあつけて頓挫とんざし、いずれもほどのともなわない結果けっかわった。先進せんしんこくにも都市としゲリラを標榜ひょうぼう実行じっこうした組織そしきおおいが、それだけで戦争せんそういち類型るいけいというほどの規模きぼになったものはない。

キプロス独立どくりつさいしては、ゲオルギオス・グリバスひきいる、「エオカ」とばれるギリシャへのキプロス併合へいごうをももとめるギリシャじん過激かげき駐留ちゅうりゅう英軍えいぐんとその家族かぞくたいして攻撃こうげきおこない、のちトルコけい住民じゅうみん独立どくりつ運動うんどう関心かんしんしめさないギリシャけい住民じゅうみんをも標的ひょうてきとした。キプロスは狭小きょうしょう島国しまぐにであり、ちょうただしのようにてき攻撃こうげきけて「まわれる」土地とち存在そんざいしない。また、併合へいごう運動うんどう精神せいしんてき物質ぶっしつてきささえであるギリシャとは地中海ちちゅうかいをもってとおはなれており(トルコほう近距離きんきょり)、ギリシャからの効果こうかてきない軍事ぐんじてき支援しえんけること実質じっしつ不可能ふかのうであった。このため、エオカはゲリラせんというよりテロリズムちか作戦さくせん実行じっこうした。
作戦さくせんそのものは成功せいこうしたが、かれらの本来ほんらい目標もくひょうであるギリシャ併合へいごう達成たっせいされなかった。また、独立どくりつ、こうした行動こうどうがトルコけい住民じゅうみん反発はんぱついかりをい、トルコけい住民じゅうみん独自どくじ民兵みんぺい組織そしき結成けっせいされた。エオカの後身こうしん(「エオカB」とばれる)とトルコけい民兵みんぺい組織そしきはげしく衝突しょうとつし、1974ねんにはトルコの軍事ぐんじ介入かいにゅう(こちらはキプロスと短距離たんきょりであることかしての正規せいきぐん主体しゅたい上陸じょうりくせんとなった)とキプロス北部ほくぶ占領せんりょうによってトルコけい住民じゅうみんだけの国家こっかきたキプロス・トルコ共和きょうわこく」が建国けんこくされ、キプロスは分断ぶんだん国家こっか、という「副作用ふくさよう」にくるしめられることになった。

国際こくさいほうじょう位置いちづけ

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ゲリラせんは、正規せいきぐん同士どうし戦争せんそう劣勢れっせい明白めいはくそくが、敗北はいぼくみとめずに続行ぞっこうする延長えんちょうせんとしてもちいることがおおい。強国きょうこくにとってゲリラせんよわてき屈服くっぷくさせにくくする障害しょうがいでしかない。しかし、弱者じゃくしゃにとってゲリラせん侵略しんりゃくたいする有効ゆうこう戦法せんぽうであり、なかにはゲリラせんによって独立どくりつったくにもある(インドネシア独立どくりつ戦争せんそうなど)。そのため、ゲリラせん正当せいとう戦争せんそう方法ほうほうとしてみとめるかをめぐって、近代きんだい戦時せんじ国際こくさいほう現代げんだい国際こくさい人道じんどうほう)の形成けいせい対立たいりつがあった。

この対立たいりつは、ゲリラせん従事じゅうじしたもの戦闘せんとうちゅう、または戦闘せんとうちゅうてきらえられたときの捕虜ほりょ待遇たいぐう直結ちょっけつするものである。ゲリラせん否認ひにんはゲリラへい凶悪きょうあく殺人さつじんしゃとして処刑しょけいしていとする主張しゅちょうみちひらく。語源ごげんとなった半島はんとう戦争せんそうでは、フランスの正規せいきぐんらえたスペインのゲリラへい銃殺じゅうさつしており、報復ほうふくとして、らえられたフランスへい銃殺じゅうさつされた[1]。スペイン以外いがいでも、政府せいふ正規せいきぐん崩壊ほうかいした状態じょうたい民族みんぞく主義しゅぎてき動機どうきから武器ぶきをとった将兵しょうへいは、てきから山賊さんぞくあつかいされて銃殺じゅうさつされることがおおかった[2]。ゲリラせん容認ようにんすれば戦闘せんとう参加さんか理由りゆう処刑しょけいされることはなくなる。ゲリラせん比重ひじゅうおおきかった1830年代ねんだいカルリスタ戦争せんそうでは、はじめ捕虜ほりょ殺害さつがいされたが、のち協定きょうていむすばれて、捕虜ほりょ交換こうかん実施じっしされるようになった[3]

1874ねんのブリュッセル会議かいぎ1899ねんハーグ会議かいぎ両者りょうしゃ妥協だきょうとしてまれたしょ条約じょうやくは、基本きほんてきにゲリラせん容認ようにんする立場たちばをとりつつも、民間みんかんじん保護ほごのために制限せいげんした。

ハーグ陸戦りくせん条約じょうやくは、責任せきにんちょうち、遠方えんぽうから認識にんしきできる徽章きしょうけ、公然こうぜん武器ぶき携行けいこうし、戦争せんそう法規ほうき慣例かんれい遵守じゅんしゅする民兵みんぺい義勇ぎゆうへい交戦こうせんしゃ資格しかくつとさだめた(1じょう)。また、占領せんりょう人民じんみんてき接近せっきんさいしてぐん組織そしきするひまなく公然こうぜん武器ぶき携行けいこうし、戦争せんそう法規ほうき慣例かんれい遵守じゅんしゅするときには、これもまた、交戦こうせんしゃ資格しかくつとした(2じょう)。条件じょうけんは、戦闘せんとういんたる住民じゅうみん戦闘せんとういんたるゲリラへい区別くべつし、一般いっぱん住民じゅうみんよそおって接近せっきんしてから突如とつじょ武器ぶきして攻撃こうげきくわえるような背信はいしんふせ意義いぎつ。

しかし、これらの条件じょうけんは、たすことがむずかしいだけでなく、たした場合ばあいにおいても敵国てきこくから戦闘せんとういんとしての権利けんり否認ひにんされることがおおかった。ゲリラは、制服せいふく徽章きしょう着用ちゃくようしていない場合ばあいおおく、着用ちゃくようしていてもてき制服せいふく徽章きしょうとしての効力こうりょく否定ひていされることがおおかったからである。

だい世界せかい大戦たいせん植民しょくみんからの独立どくりつのためにゲリラせん遂行すいこうする組織そしき交戦こうせんしゃ資格しかくあたえようとするうごきがたかまり、ジュネーブ条約じょうやくだいいち議定ぎていしょ正規せいきぐんとゲリラに区別くべつなく交戦こうせんしゃ資格しかくあたえる規定きていまれた。どう議定ぎていしょは、てきがわ承認しょうにん有無うむにかかわらず政府せいふ当局とうきょくした武装ぶそうされ組織そしきされた集団しゅうだん軍隊ぐんたいさだめ、正規せいきぐん正規せいきぐん区別くべつはいした(43じょう1こう)。一般いっぱん住民じゅうみんとの区別くべつのためには、攻撃こうげき準備じゅんび行動こうどうちゅうてきられているあいだ交戦こうせんちゅう公然こうぜん武器ぶき携行けいこうすることを条件じょうけんとした(44じょう)。

この拡張かくちょう勘案かんあんしても、都市としゲリラが戦闘せんとういんとしてみとめられる余地よちはほとんどない。条約じょうやくした条件じょうけんたさない状態じょうたい戦闘せんとうした兵士へいしてきらえられた場合ばあい捕虜ほりょとしてぐうされることはなく、その戦闘せんとう参加さんか行為こうい犯罪はんざいとしてさばかれる。捕縛ほばくしゃは、戦争せんそう犯罪はんざいしゃとしてあつかわれ、権限けんげんのある裁判所さいばんしょ後送こうそうして、その処遇しょぐう決定けっていする[4]。ゲリラの嫌疑けんぎをかけたれた文民ぶんみんは、法的ほうてきには文民ぶんみんとみなされる(だいいち追加ついか議定ぎていしょだい50じょうだい1こう)。また、独立どくりつせいおよび公平こうへいせいゆうする裁判所さいばんしょくだされた有罪ゆうざい判決はんけつによらずして、けい執行しっこうしてはならない(だい追加ついか議定ぎていしょだい6じょうだい2こう)。

警察けいさつ用語ようごとしてのゲリラ

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日本にっぽんではテロという言葉ことば一般いっぱんてきになるまえはテロのことをゲリラということがおおかったが、警察庁けいさつちょう発行はっこうする警察けいさつ白書はくしょでは、施設しせつなどを攻撃こうげきする対物たいぶつテロを「ゲリラ」、個人こじん標的ひょうてきとする対人たいじんテロを「テロ」と区分くぶんしている。ただし分類ぶんるい困難こんなんなケース(れい警視庁けいしちょう独身どくしんりょう爆破ばくは事件じけん)もあり、「テロ・ゲリラ」と一括いっかつしてあつかっている[5]

ゲリラせんかんする古典こてん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 特異とくいなケースであるものの、日本にっぽん三島みしま由紀夫ゆきお主宰しゅさいした民族みんぞく団体だんたいだてかい』も(左翼さよく革命かくめい発生はっせいにおいての反動はんどう作戦さくせんとしての)ゲリラせん研究けんきゅう対象たいしょうとしていた

出典しゅってん

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  1. ^ Francis Lieber "Guerrilla Parties", p.7.
  2. ^ Francis Lieber "Guerrilla Parties", pp. 10 - 14.
  3. ^ Francis Lieber "Guerrilla Parties", p.19.
  4. ^ 足立あだち純夫すみお現代げんだい戦争せんそう法規ほうきろん』(けいせいしゃ、1979ねん)187ぺーじジュネーヴしょ条約じょうやく (1949ねん)だいさん条約じょうやくだいじょうだいこう参照さんしょう
  5. ^ 「テロ、ゲリラ」を展開てんかい暴力ぼうりょく革命かくめい目指めざ過激かげき」(PDF)『焦点しょうてんだい269ごう警察庁けいさつちょう、2004ねん9がつ、p. 16、2009ねん10がつ30にち閲覧えつらん 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 山本やまもと純一じゅんいち『インターネットを武器ぶきにした“ゲリラ” はんグローバリズムとしてのサパティスタ運動うんどう慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出版しゅっぱんかい 2002/09 (ISBN 4766409523
  • 足立あだち純夫すみお現代げんだい戦争せんそう法規ほうきろん』(けいせいしゃ、1979ねん
  • Francis Lieber "Guerrilla Parties: Laws and Usages of War", Department of War, New York, 1862. Google Books

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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