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ヒズボラ - Wikipedia

ヒズボラ

レバノンのイスラム教いすらむきょうシーア武装ぶそう組織そしき

ヒズボラアラビア: حزب الله‎, こぼし: Ḥizb Allāh, 文語ぶんごアラビア簡略かんりゃく発音はつおん:ヒズブッラー、口語こうご発音はつおん:ヒズボッラー、ヒズバッラー)は、1982ねん結成けっせいされたレバノンシーアイスラム主義しゅぎ政治せいじ組織そしき武装ぶそう組織そしき

ヒズボラ
かみとう
حزب الله
レバノン内戦ないせんレバノン侵攻しんこうシリア内戦ないせん2023ねんパレスチナ・イスラエル戦争せんそう2023ねんイスラエルとヒズボラの紛争ふんそう参加さんか
活動かつどう期間きかん 1982ねん - 現在げんざい
活動かつどう目的もくてき レバノンでのイスラム共和きょうわせい樹立じゅりつ
イスラム国家こっか主義しゅぎ
ひろしイスラム主義しゅぎ
ホメイニズム
シーア たたかえせい主義しゅぎ
宗派しゅうは主義しゅぎ
はん帝国ていこく主義しゅぎ
はん西洋せいよう主義しゅぎ
はんユダヤ主義しゅぎ
はんシオニズム
アラブ民族みんぞく主義しゅぎ
はんLGBT
指導しどうしゃ スビ・アル・トゥファイリ(1989ねん〜1991ねん)
アッバス・アル・ムサウィ(1991ねん〜1992ねん)
ハサン・ナスルッラーフ(1992ねん現在げんざい)
本部ほんぶ レバノンの旗 レバノンベイルートけんベイルート
活動かつどう地域ちいき レバノンの旗 レバノン
関連かんれん勢力せいりょく
敵対てきたい勢力せいりょく
  • レバノンの旗 レバノン親米しんべいはんシリア
  • サウジアラビアの旗 サウジアラビア
  • アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長しゅちょうこく連邦れんぽう
  • バーレーンの旗 バーレーン
  •  エジプト
  • イスラエルの旗 イスラエル
  • アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
  • オーストラリアの旗 オーストラリア
  • 欧州連合の旗 欧州おうしゅう連合れんごう
  • 北大西洋条約機構の旗 北大西洋きたたいせいよう条約じょうやく機構きこう
  • トルコの旗 トルコ
  • アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
  • 自由じゆうシリアぐん
  • アルカイダ
  • ひがしトルキスタンイスラム運動うんどう
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    レバノンの旗 レバノン政党せいとう
    ヒズボラ
    かみとう
    حزب الله
    Hezbollah
    成立せいりつ年月日ねんがっぴ 1982ねん
    本部ほんぶ所在地しょざいち ベイルート
    国民こくみん議会ぎかい
    12 / 128   (9%)
    (2018ねん5がつ6にち
    政治せいじてき思想しそう立場たちば イスラム共和きょうわせい
    イスラム教いすらむきょうシーア
    はんシオニズム
    公式こうしきサイト www.moqawama.org
    テンプレートを表示ひょうじ

    イランシリア政治せいじ支援しえんけ、その軍事ぐんじ部門ぶもんはアラブ・イスラム世界せかい大半たいはん抵抗ていこう運動うんどう組織そしきなされている。日本にっぽん[1]欧州おうしゅう連合れんごう米国べいこくオランダ[2][3][4][5]バーレーン[6][7]エジプト[8]英国えいこく豪州ごうしゅうカナダイスラエルは、ヒズボラの全体ぜんたいまたは一部いちぶをテロ組織そしき指定していしている[9][10][11]

    名称めいしょう

    編集へんしゅう

    アラビアで「かみとう」「アッラーのとう」を意味いみするふく合名ごうめいで、حِزْب(ḥizb, ヒズブ, 「集団しゅうだん徒党ととう政党せいとう」の)とイスラームなどのセムけいさんだい宗教しゅうきょう唯一ゆいいつかみのアラビア名称めいしょう الله(Allāh, 実際じっさい発音はつおん:ʾallāh, アッラー)の2からる。

    アラビア発音はつおんでは文語ぶんご発音はつおん休止きゅうしがたがヒズブッラーフ、文語ぶんご簡略かんりゃく発音はつおんヒズブッラー口語こうごアラビア方言ほうげん発音はつおんがヒズバッラーやヒズボッラーとなっており、日本にっぽん多用たようされているヒズボラは後者こうしゃ口語こうご発音はつおんもとになっている。またペルシア風発ふうはつおんもとづいたヘズボッラーとのカタカナ表記ひょうきられる。

    日本にっぽん報道ほうどう機関きかんでは「ヒズボラ」と表記ひょうきされること一般いっぱんてきである。

    概要がいよう

    編集へんしゅう

    レバノンを中心ちゅうしん活動かつどうしている急進きゅうしんてきシーアイスラム主義しゅぎ組織そしきで、イランがたイスラム共和きょうわせいをレバノンに建国けんこくし、イスラムてき影響えいきょうをその地域ちいきからのぞくことを運動うんどう中心ちゅうしんとする。はん欧米おうべい立場たちばり、イスラエル殲滅せんめつかかげている。

    ヒズボラはレバノン内戦ないせん最中さいちゅう1982ねんイスラエル国防こくぼうぐんによるレバノンでの軍事ぐんじ作戦さくせんへの抵抗ていこう契機けいきまれた[12]。イスラエルの軍事ぐんじ作戦さくせんみなみレバノンのテロ・グループによるテロ攻撃こうげきと、シュロモ・アルゴフちゅう英国えいこくイスラエル大使たいしへの暗殺あんさつ未遂みすい事件じけんたいする反撃はんげきとして遂行すいこうされた[13][14][15][16]

    ヒズボラ指導しどうは、イランのルーホッラー・ホメイニー薫陶くんとうけ、その部隊ぶたいイラン革命かくめい防衛ぼうえいたいから訓練くんれんけて組織そしきされた[17]

    ヒズボラの1985ねん宣言せんげんは4つの目的もくてきとして、「イスラエル抹殺まっさつ準備じゅんび段階だんかいとしてイスラエルをレバノンから最終さいしゅうてき撤退てったいさせる」こと「レバノンからあらゆる帝国ていこく主義しゅぎ勢力せいりょく追放ついほうする」こと、キリスト教きりすときょうマロンけい極右きょくう政党せいとう民兵みんぺい組織そしきであるファランヘとうを「正義せいぎ支配しはい」のしたき、その犯罪はんざい行為こうい裁判さいばんにかけること、「完全かんぜん自由じゆうもとで、希望きぼうする統治とうち体制たいせい」を選択せんたくする機会きかいをレバノン国民こくみんあたえることをげる一方いっぽうで、イスラム支配しはいへの傾倒けいとうかくそうとはしなかった[18]

    ヒズボラ指導しどうはまたイスラエル国家こっかを「シオニスト政体せいたいالكيان الصهيوني, al-kiyān al-ṣahyūnī, アル=キヤーン・アッ=サフユーニー)」とび、その破壊はかいもとめる数々かずかず声明せいめいしてきた[18]

    イランとシリアが組織そしき支援しえんしているとわれており、とくにイランは組織そしき設立せつりつ関与かんよ武器ぶき供給きょうきゅうなどヒズボラと密接みっせつむすびつき、一部いちぶ活動かつどうはイランの指示しじによるものとされている[19]スンナムスリムおおサウジアラビアヨルダンエジプトなどはヒズボラの行動こうどう批判ひはんしている。シリアはしゅとして、後方こうほう補給ほきゅう拠点きょてん訓練くんれん施設しせつ要人ようじん自宅じたくなどを提供ていきょうしており、イランから空路くうろ到着とうちゃくした物資ぶっし人員じんいんダマスカスベイルート街道かいどう陸路りくろとおり、レバノン国境こっきょうてヒズボラに供給きょうきゅうされているとわれる。

     
    ヒズボラのロケットだん(2006ねん

    1980年代ねんだい以降いこう、レバノン国内外こくないがいにある欧米おうべいやイスラエルの関連かんれん施設しせつへの攻撃こうげき相次あいつこした(後述こうじゅつの「軍事ぐんじ行動こうどう参照さんしょう)。1983ねんには首都しゅとベイルートで4がつこめ大使館たいしかん、10月にべいふつ海兵かいへいたい兵舎へいしゃ自爆じばく攻撃こうげきし、べいふつぐん撤退てったいんだ。

    よく1984ねんには中央ちゅうおう情報じょうほうきょく(CIA)支局しきょくちょう誘拐ゆうかいし、9月にべい大使館たいしかん再度さいど自爆じばく攻撃こうげきおこなった。CIA支局しきょくちょう誘拐ゆうかい計画けいかくについて、イスラエル参謀さんぼう本部ほんぶ諜報ちょうほうきょく(アマン)はヒズボラに潜入せんにゅうさせたスパイつうじて察知さっち警告けいこくした。だが当時とうじ中東ちゅうとうでは過激かげきでもあってもアメリカやソビエト連邦れんぽう機関きかんへの攻撃こうげきはタブーしており、アメリカは深刻しんこくめなかったという[20]

    1992ねん以来いらい、ヒズボラはハサン・ナスルッラーフ日本にっぽん報道ほうどう機関きかんではナスララまたはナスラッラーと表記ひょうきされることがおおい)がひきいている。

    2000ねんにイスラエルがレバノンから撤退てったいしたのちも、イスラエルへの攻撃こうげきかえしている。2006ねん7がつにイスラエルぐん部隊ぶたい交戦こうせんしたさい投降とうこうしたへい2めい捕虜ほりょにした。この結果けっか、イスラエルのレバノンさい侵攻しんこうまねき、全面ぜんめん衝突しょうとつとなったが、同年どうねん8がつ14にち停戦ていせん成立せいりつし、現在げんざいいたっている。

    一説いっせつには2006ねん侵攻しんこうげきはレバノンにおけるヒズボラの政治せいじてき地位ちい確保かくほのための行動こうどうともわれる。レバノン国軍こくぐんまさ軍事ぐんじりょくち、レバノン政府せいふから施設しせつ運営うんえいていくために必要ひつようだったとされるが、その動機どうきなどは追及ついきゅうされていない。なお、ヒズボラ自身じしんは、2006ねんたいイスラエルせんについて「歴史れきしてき勝利しょうり」と主張しゅちょうしている[21]

    2006ねん8がつ11にち国際こくさい連合れんごう安全あんぜん保障ほしょう理事りじかい決議けつぎ1701で、国連こくれん安保理あんぽりは、イスラエルがレバノンから撤退てったいすること、その撤退てったいした地域ちいきにレバノンぐん国連こくれんぐんUNIFILが駐留ちゅうりゅうすること、武装ぶそう集団しゅうだん(ヒズボラなど)の武装ぶそう解除かいじょをすることを要求ようきゅうしている。しかし、ヒズボラは武装ぶそう解除かいじょしていない。また、安保理あんぽり過去かこにも、2004ねん9がつ2にち国際こくさい連合れんごう安全あんぜん保障ほしょう理事りじかい決議けつぎ1559や、2006ねん5がつ17にち国際こくさい連合れんごう安全あんぜん保障ほしょう理事りじかい決議けつぎ1680で、レバノンの民兵みんぺい組織そしき解散かいさん武装ぶそう解除かいじょ、レバノン政府せいふがレバノン全土ぜんど統治とうちすることを要求ようきゅうしている。

    2018ねん、イスラエルは、ヒズボラがレバノンからイスラエル領内りょうないけて地下ちかトンネルをっており、その破壊はかい作戦さくせん実施じっしすると発表はっぴょうした[22]同年どうねん9がつ27にち国連こくれん総会そうかいにおいて、ネタニヤフ・イスラエル首相しゅしょうは、イランの指揮しきで、ヒズボラはてい精度せいどのミサイルを命中めいちゅう精度せいど10m以内いないこう精度せいどのミサイルにつくえる転換てんかん工場こうじょうを、ベイルート国際こくさい空港くうこう周辺しゅうへん3箇所かしょもうけていると、衛星えいせい写真しゃしんのパネルを提示ていじして説明せつめいし、「ヒズボラにぐ。イスラエルはおまえたちがなにを、何処どこでやっているのか、すべっている。イスラエルはおまえたちのきなようにはさせない。」と名指なざしで非難ひなんする演説えんぜつおこなっている [23] [24]

    少数しょうすう民兵みんぺい組織そしきからはじまったヒズボラは、レバノン議会ぎかい議席ぎせきゆうし、ラジオ・衛星えいせいテレビ局てれびきょくち、社会しゃかい開発かいはつ計画けいかく実施じっしする組織そしきへと発展はってんげた[25]。ヒズボラはレバノンのイスラム教いすらむきょうシーア住民じゅうみんからの強固きょうこ支持しじけ、すうじゅうまんにん規模きぼのデモを組織そしきする能力のうりょく[26]

    ヒズボラは2006ねん - 2008ねん政治せいじ勢力せいりょく協力きょうりょくし、当時とうじフアード・シニオラ首相しゅしょう政府せいふ相手取あいてど抗議こうぎ行動こうどう開始かいしした[27]。ヒズボラによる通信つうしんネットワークの保有ほゆうをめぐるその論争ろんそう衝突しょうとつ発展はってんし、ヒズボラひきいる抵抗ていこう勢力せいりょくはシニオラ首相しゅしょう忠誠ちゅうせいちか政党せいとう未来みらい運動うんどう」の民兵みんぺい組織そしき支配しはいする西にしベイルートの複数ふくすう地域ちいき制圧せいあつした。これらの地域ちいきレバノンぐんわたされた[28]

    2008ねんには挙国一致きょこくいっち政府せいふ成立せいりつし、ヒズボラをふく野党やとう勢力せいりょくは、ぜん閣僚かくりょうポスト30のうちの11にたいする影響えいきょうりょく確保かくほし、事実じじつじょう拒否きょひけんにした[29]2018ねんそう選挙せんきょではおなじシーアアマルキリスト教きりすときょう勢力せいりょくとの連携れんけい派閥はばつがレバノン議会ぎかい過半数かはんすう以上いじょう確保かくほし、政治せいじてき影響えいきょうりょくさらつよまっている[30]

    ヒズボラはイランから軍事ぐんじ訓練くんれん武器ぶき財政ざいせい支援しえんけ、シリアからは政治せいじ支援しえんけている。2000ねんにイスラエルぐんみなみレバノンの駐留ちゅうりゅう終結しゅうけつさせたことをけてヒズボラの軍事ぐんじりょく顕著けんちょ増大ぞうだいした[31][32]

    2008ねん6がつ国連こくれんがイスラエルぐんのレバノンりょうからの完全かんぜん撤退てったい認定にんていしたにもかかわらず[33]同年どうねん8がつ、レバノン新内しんないかくはヒズボラが軍事ぐんじ組織そしきとして存続そんぞくすることをみとめ、ヒズボラが「占領せんりょう地域ちいき解放かいほうまたは奪還だっかんする」権利けんり保証ほしょうする政治せいじ宣言せんげん全会ぜんかい一致いっち了承りょうしょうした。[よう検証けんしょう]

    組織そしき兵力へいりょく

    編集へんしゅう
     
    ヒズボラの組織そしき構成こうせい

    1990年代ねんだいから軍事ぐんじ部門ぶもん政治せいじ部門ぶもん分離ぶんりすすめられ、1992ねん軍事ぐんじ部門ぶもんレバノン・イスラムの抵抗ていこう」は形式けいしきじょうヒズボラとは無関係むかんけい独立どくりつ機構きこう分離ぶんりされた。

    • 精神せいしんてき指導しどうしゃだいアーヤトッラーフセイン・ファドラッラー晩年ばんねん組織そしきから距離きょりいていた。レバノンにおけるシーア最高さいこう権威けんいでもある。2010ねん7がつ4にち死去しきょ
    • 議長ぎちょうハサン・ナスルッラーフ現地げんち発音はつおん:ハサン・ナスラッラー)
    • ふく議長ぎちょう:ナイーム・カースィム
    • 政治せいじきょく会議かいぎ議長ぎちょう:イブラーヒーム・アミーン・アッ=サイイド
    • 政治せいじきょく会議かいぎふく議長ぎちょう:マフムード・クマーティー
    • 議会ぎかい会派かいは「レジスタンスへの忠誠ちゅうせい議員ぎいん団長だんちょう:ムハンマド・ラアド
    • 執行しっこう評議ひょうぎかい議長ぎちょうハーシム・サイフッディーン
    • 執行しっこう評議ひょうぎかいふく議長ぎちょう:ムハンマド・ヤーギー
    • 政治せいじ顧問こもん:フセイン・アル=ハリール
    • 軍事ぐんじ作戦さくせん顧問こもんイマード・ファーイズ・ムグニヤ英語えいごばん 1983ねんべいふつ海兵かいへいたい兵舎へいしゃ爆破ばくはテロの容疑ようぎで、国際こくさい手配てはいされている。2008ねん2がつ13にち、シリアでイスラエル情報じょうほう機関きかんにより暗殺あんさつされる。 
    • 対外たいがい関係かんけい局長きょくちょう:ナウワーフ・アル=ムーサウィー 

    その ムハンマド・フナイシュ ぜんみず資源しげん・エネルギーしょう

    日本にっぽん公安調査庁こうあんちょうさちょうは、平時へいじ戦闘せんとういん最大さいだい4まん5000にんで、そのうち2まん1000にん常勤じょうきんやく7000にんがシリアで活動かつどうしているとされる。 非常時ひじょうじには2まん5000にん程度ていど動員どういん可能かのうている[1]。『毎日新聞まいにちしんぶん』の報道ほうどうによると、戦闘せんとういんは1000にんじゃく戦時せんじ動員どういんで2まんにん以上いじょう)で、たいイスラエル攻撃こうげきようミサイル / ロケットやく15まんはつ保有ほゆうしている[34]

    政治せいじ社会しゃかい活動かつどう

    編集へんしゅう

    ヒズボラは一般いっぱん過激かげき組織そしきなされているが、パレスチナ過激かげきハマースのように選挙せんきょ参加さんかしている政治せいじ組織そしきである。独自どくじ議会ぎかい会派かいは「レジスタンスへの忠誠ちゅうせい」を結成けっせいして、議会ぎかい選挙せんきょでは1992ねん8議席ぎせき1996ねん7議席ぎせき2000ねん12議席ぎせき議席ぎせき毎回まいかい獲得かくとくし、2005ねん7がつには連立れんりつないかく参加さんかした。近年きんねん議会ぎかい選挙せんきょでは、2018ねんに71議席ぎせき獲得かくとくしたが2022ねんには(128議席ぎせきちゅう)62議席ぎせき程度ていどにとどまり過半数割かはんすうわれしている[35]

    また、貧困ひんこんそうへの教育きょういく福祉ふくしネットワーク(2002ねんのデータで、学校がっこう9こう病院びょういん3かしょ診療しんりょうしょ13かしょ運営うんえい)をつくっており、それゆえ貧困ひんこんそうからの支持しじあつい。

    2007ねんのイスラエルとのたたかいのさいにも、被害ひがいけた人々ひとびと直接的ちょくせつてき援助えんじょおこなっている。

    インターネットうえ複数ふくすうウェブサイト開設かいせつしており、テレビ局てれびきょく「アル=マナール(المنار, al-Manār, 「灯台とうだいこうとう、ミナレット」の)」、ラジオきょく「アン=ヌール(النور, al-Nūr, 「ひかり」の)」、週刊しゅうかん・ニュースサイト『アル=アフド(العهد, al-ʿAhd, 「誓約せいやくちかい」の)も運営うんえいしている。

    軍事ぐんじ行動こうどう

    編集へんしゅう
     
    ヒズボラの民兵みんぺい(1998ねん
    • 1がつ18にち - アメリカン大学だいがく次期じき総長そうちょうマルコルム・ケルを暗殺あんさつする。
    • 3月7にち - CNNレバノン支局しきょくちょうジェレミ・レヴィンを誘拐ゆうかいかれのち逃亡とうぼう成功せいこうした。
    • 3月8にち - 米国べいこくせきのレヴェレンド・ヴェイルを誘拐ゆうかい。16ヵ月かげつ、シリアとイランの仲介ちゅうかいにより解放かいほう
    • 3月16にち - 中央ちゅうおう情報じょうほうきょく(CIA)レバノン支局しきょくちょうウィリアム・バクリー英語えいごばん誘拐ゆうかい囚人しゅうじんとの交換こうかん要求ようきゅうしたが、拒絶きょぜつされる。バクリーは拷問ごうもんにより心臓しんぞう発作ほっさこし死亡しぼう
    • 8がつ12にち - ざいスペインべい空軍くうぐん基地きちばくだん攻撃こうげき実行じっこう。18にん殺害さつがいし、83にん負傷ふしょうさせる。
    • 9がつ20日はつか - ちゅうベイルートべい大使館たいしかんたいして自爆じばく攻撃こうげき実行じっこう。23にん殺害さつがいし、べいえい大使たいしふくむ21にん負傷ふしょうさせる。
    • 12月4にち - ドバイからカラーチーかっていたクウェート航空こうくう旅客機りょかくきハイジャック[36]クウェート収監しゅうかんなかすうにん仲間なかま釈放しゃくほう要求ようきゅう機体きたいテヘラン着陸ちゃくりくしたが、特殊とくしゅ部隊ぶたい突入とつにゅうした。2人ふたり死亡しぼう
    • 6月14にち - ローマからアテネかっていた旅客機りょかくきをハイジャックし、ベイルートにかった。イスラエルとみなみレバノンに収監しゅうかんちゅうすうひゃくにん仲間なかま釈放しゃくほう要求ようきゅう搭乗とうじょういん8にん乗客じょうきゃく145にんを17日間にちかんにわたって拘束こうそくし、乗客じょうきゃく1にん殺害さつがいした。機体きたいは、アルジェリアに2んだのち、ベイルートに着陸ちゃくりくした。人質ひとじち解放かいほうされ、実行じっこうはん逮捕たいほされた。くわしくはトランス・ワールド航空こうくう847便びんテロ事件じけん参照さんしょう
    • 9月30にち - レバノンでソ連それん外交がいこうかん4めいうち2めいソ連それん国家こっか保安ほあん委員いいんかい職員しょくいん)を誘拐ゆうかいし、そのうち1めい殺害さつがいした[37][38]要求ようきゅうシリアぐん準備じゅんびしていたレバノン北部ほくぶでの掃討そうとう作戦さくせん中止ちゅうし掃討そうとう作戦さくせん自体じたいソ連それんがわがシリアに圧力あつりょくをかけて中止ちゅうしさせたが、ヒズボラは追加ついか要求ようきゅうして人質ひとじち解放かいほう拒否きょひした[38]最終さいしゅうてきには実行じっこうはんのうち1にんがレバノンぐん射殺しゃさつされ、KGBがルーホッラー・ホメイニー暗殺あんさつをほのめかしてフセイン・ファドラッラーを脅迫きょうはくしたため、生存せいぞんしていた人質ひとじち全員ぜんいん解放かいほうされた[38]
    • 9月9にち - アメリカン大学だいがく総長そうちょう誘拐ゆうかい。44ヵ月かげつ解放かいほう
    • 10月21にち - アメリカ国籍こくせきのエドワード・トレイシーを誘拐ゆうかい。1991ねん8がつ解放かいほう
    • 2がつ17にち - 国連こくれん監視かんし団長だんちょうウィリアム・ヒギンズ大佐たいさ誘拐ゆうかい。イスラエルぐんのレバノン撤退てったいと、収監しゅうかんちゅうパレスチナじんおよびレバノンじん全員ぜんいん釈放しゃくほう要求ようきゅうべい政府せいふ交渉こうしょう拒否きょひ大佐たいさは1991ねん白骨はっこつ死体したいとなって発見はっけんされ、1990ねん絞首こうしゅにより殺害さつがいされたと推測すいそくされた。
    • 3月17にち - ちゅうアルゼンチン・イスラエル大使館たいしかん付近ふきん自動車じどうしゃばくだん攻撃こうげき実行じっこう。29にん殺害さつがいする。同年どうねん当時とうじのヒズボラ議長ぎちょうシャイフ・アッバース・ムーサウィーがイスラエルぐんヘリによる攻撃こうげき死亡しぼう
    • 7がつ18にち - ブエノスアイレスユダヤ文化ぶんかセンター自爆じばく攻撃こうげき実行じっこう。86にん殺害さつがい同年どうねん12月12にち、イマード・ムグニヤのおとうと、フアード・ムグニヤがベイルート南部なんぶ自動車じどうしゃ仕掛しかけられたばくだん爆発ばくはつ死亡しぼう
    • 2がつ28にち - けい航空機こうくうきでイスラエル領空りょうくうへの侵入しんにゅうこころみたが、撃墜げきついされる。
    • 3月4にち - マナールむら付近ふきん爆破ばくは事件じけんこし、イスラエルへい4にん殺害さつがい
    • 3がつ20日はつか - レバノン南部なんぶにてイスラエルぐん車列しゃれつへの自爆じばく攻撃こうげき。イスラエルへい1にん殺害さつがい。2あいだ自爆じばく場所ばしょからすうマイルはなれた場所ばしょみなみレバノンぐん民兵みんぺい殺害さつがいされる[39]
    • 6月25にち - サウジアラビアべいぐん兵舎へいしゃ爆破ばくは米兵べいへい19にん殺害さつがい
    • あき - スイスでビジネスマンのエルハナン・タンネンバウムを誘拐ゆうかい
    • 7がつ - イスラエルへい拉致らち報復ほうふくとしてイスラエルぐんはレバノンを空爆くうばく。ヒズボラはイスラエルへのロケットほう攻撃こうげき敢行かんこう、イスラエル北部ほくぶ主要しゅよう都市としハイファひとし打撃だげきあたえた。また、海上かいじょう封鎖ふうさなかさい新鋭しんえいかんにミサイルを命中めいちゅう炎上えんじょうさせ、イスラエルがわ衝撃しょうげきあたえた。その空爆くうばくつづきイスラエルがわがレバノンに越境えっきょう侵攻しんこうし、ヒズボラがわはげしい戦闘せんとうになった(イスラエル・レバノン紛争ふんそう)。ヒズボラは、イランやシリアから提供ていきょうされた最新さいしんロシアせい携行けいこう対戦たいせんしゃミサイルメティスMコルネットなどで、イスラエルの戦車せんしゃメルカバ装甲車そうこうしゃおおきな損害そんがいあたえた。結局けっきょくイスラエルがわ兵士へいしだけでも100にん以上いじょう死者ししゃし、停戦ていせん成立せいりつイスラエル国民こくみんのうち6わり今回こんかい戦争せんそう敗北はいぼくであるとかんがえる結果けっかわった。
    • 8がつ14にち - 国連こくれん安保理あんぽり決議けつぎもとづき、停戦ていせん発効はっこうされる(レバノン時間じかん8)。ヒズボラは停戦ていせん成立せいりつ、ナスルッラーフ議長ぎちょう)が歴史れきしてき勝利しょうり宣言せんげんおこなった。そしてただちにイスラエルの空爆くうばくによっていえうしなったレバノン国民こくみんたいし、強力きょうりょく復興ふっこう支援しえん開始かいしした。そのがく1にんあたり1まんドルという大金たいきん支援しえんしている。
    • 2がつ13にち - ヒズボラのテレビ局てれびきょく「アル=マナール」は、軍事ぐんじ作戦さくせん顧問こもん数々かずかずのテロ事件じけん立案りつあん指揮しきしたとされるイマード・ムグニーヤ英語えいごばんが、シリアの首都しゅとダマスカスでモサドによって自動車じどうしゃ仕掛しかけられたばくだん爆発ばくはつにより死亡しぼうしたと発表はっぴょうした。暗殺あんさつ現場げんばは、ダマスカスのカファル・ソウサア地区ちくで、周辺しゅうへんにはイランじん学校がっこうとシリア情報じょうほう機関きかん本部ほんぶがある。ムグニヤは、アメリカから国際こくさいテロリストとして国際こくさい手配てはいけたことから潜伏せんぷくし、変装へんそうしてレバノン-シリア-イランあいだ往来おうらいしていたとされる。2006ねんにイランのマフムード・アフマディーネジャード大統領だいとうりょう会談かいだんしたともつたえられた。

    ラフィーク・ハリーリーもと首相しゅしょう暗殺あんさつ関与かんよ

    編集へんしゅう

    2005ねん2がつ14にち、レバノンでラフィーク・ハリーリーもと首相しゅしょうなどをせた車列しゃれつがベイルート市内しない走行そうこうちゅう道路どうろわき仕掛しかけられたばくだん爆発ばくはつし、同氏どうしふくむ22にん殺害さつがいされた。ハリーリーは1992ねん - 1998ねん、2000ねん - 2004ねんにレバノン首相しゅしょうつとめた。

    2009ねん、ハリーリーの暗殺あんさつ事件じけん審理しんりする国連こくれん特別とくべつ法廷ほうていが、ヒズボラが殺害さつがい関与かんよした証拠しょうこ発見はっけんしたと報道ほうどうされた[40]

    2011ねん6がつ30にち、ハリリ殺害さつがい事件じけん捜査そうさのため設置せっちされたレバノン特別とくべつ法廷ほうていは、ヒズボラ幹部かんぶ4にん逮捕たいほじょうした[41]同年どうねん7がつ3にち、ヒズボラ最高さいこう指導しどうしゃハサン・ナスルッラーフ起訴きそ事実じじつ否認ひにんし、どう法廷ほうていをヒズボラにたいする陰謀いんぼうであると糾弾きゅうだんし、逮捕たいほじょうされた幹部かんぶ絶対ぜったい逮捕たいほさせないと言明げんめいした[42]

    2020ねん8がつ18にち国連こくれん特別とくべつ法廷ほうていは、被告人ひこくにん不在ふざいのまま、4にんうち1にん殺人さつじんやテロ行為こういなどのつみ有罪ゆうざい判決はんけつをいいわたした。のこり3にん証拠しょうこ不十分ふじゅうぶん無罪むざいとし、ヒズボラの組織そしきてき関与かんよについても「ハリーリーを排除はいじょする動機どうきはあったかもしれないが殺害さつがい関与かんよした証拠しょうこはない」とした[43]

    シリア内戦ないせんへの関与かんよ

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    ヒズボラは長期ちょうきにわたってアサドひきいるシリアの政権せいけん与党よとうバアスとう同盟どうめい勢力せいりょくであった。ヒズボラはシリア内戦ないせん同国どうこく政府せいふによるはん体制たいせい弾圧だんあつ協力きょうりょくしてきたとされている[44]

    2012ねん8がつ国連こくれんはヒズボラがどう内戦ないせん関与かんよしたとして制裁せいさいくわえた。最高さいこう指導しどうしゃのナスルッラーフは、ヒズボラがシリア政府せいふがわについてたたかった事実じじつ否定ひていし、同年どうねん10がつ12にち演説えんぜつで「当初とうしょからシリアはん体制たいせいはマスメディアにけてヒズボラが3000にん戦闘せんとういんをシリアに派遣はけんしたと主張しゅちょうしてきたがヒズボラは否定ひていした」とかたった[45]。しかしレバノン「デイリー・スター」によるとナスルッラーフはおな演説えんぜつなかで、「レバノン国籍こくせきのシーア住民じゅうみん居住きょじゅうである(シリア国内こくないの)23の戦略せんりゃくてき重要じゅうようむら支配しはいをシリア政府せいふ維持いじする」ことにヒズボラ戦闘せんとういん協力きょうりょくしたとかたった[46]。ナスルッラーフはヒズボラ戦闘せんとういんがシリアで「聖戦せいせん義務ぎむ」をたして死亡しぼうしたともかたった[46]

    脚注きゃくちゅう

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