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法の歴史 - Wikipedia

ほう歴史れきし(ほうのれきし)または法制ほうせい(ほうせいし)は、どのようにほう進化しんかし、何故なぜほうわってきたのかを研究けんきゅうする学問がくもんじょういち分野ぶんやである。法制ほうせいは、文明ぶんめい発展はってん密接みっせつむすびついており、社会しゃかいという分類ぶんるい傘下さんか位置付いちづけられている。法律ほうりつ学者がくしゃ法制ほうせい学者がくしゃあいだにおいて、法制ほうせいは、種々しゅじゅ法的ほうてき概念がいねん起源きげんをより理解りかいするためのいち手段しゅだんであって、ほう進化しんか記録きろくするものであるととらえられている。換言かんげんすれば、これは、知的ちてき営為えいいかか歴史れきしがく一部いちぶである。 20世紀せいき歴史れきしらは、法制ほうせいを、社会しゃかい学者がくしゃらのかんがえに立脚りっきゃくしたうえで、より序列じょれつととのえられた規範きはん概念がいねんであるとみた。かれらは、法体ほうたいけいを、市民しみん社会しゃかい要請ようせいおうじて行政府ぎょうせいふ立法府りっぽうふ必要ひつようてき法体ほうたいけいちゅうかく要素ようそ変化へんかさせ、適用てきようし、改廃かいはいほどこすための、ある複雑ふくざつ機構きこうであるとたのである。このような法政ほうせい学者がくしゃらは、ほう運用うんようにおいて複数ふくすう解釈かいしゃく存立そんりつしうるなか信頼しんらいせい確保かくほ可能かのう方法ほうほうによる社会しゃかい科学かがく研究けんきゅう結果けっかもちいて事例じれい分析ぶんせきする傾向けいこうにある。 事例じれい分析ぶんせきとうおこなうことによって、ほう制度せいど判例はんれいほう民法みんぽうひとし詳細しょうさい分析ぶんせきはじめたのである。

紀元前きげんぜん3000ねんごろにまでおよ古代こだいエジプト法律ほうりつには、12へん分別ふんべつされた民法みんぽうがあった。それは、伝統でんとう重視じゅうし修辞しゅうじてき文言もんごん社会しゃかいてき平等びょうどうせい尊重そんちょう公平こうへいせい重視じゅうし特徴とくちょうとする、「マアト」の概念がいねんもとづいていた[1]紀元前きげんぜん22世紀せいきごろまでに、古代こだいシュメール支配しはいしゃであるウルナムムは、平易へいい表現ひょうげん(「もしなに々ならばなに々」という形式けいしき)からる、現存げんそんするうちで最初さいしょ法典ほうてん策定さくていした。ハンムラビおうは、紀元前きげんぜん1760ねんごろ、バビロニア法典ほうてん発展はってんさせた。ハンムラビおうは、バビロニアのいたるところにこの法典ほうてん散在さんざいさせ、国民こくみん閲覧えつらんできるように体制たいせいととのえた。これは、ハンムラビ法典ほうてんとしてられる。この法典ほうてん全体ぜんたいは、19世紀せいきに、英国えいこく宗教しゅうきょう学者がくしゃによって発見はっけんされたのち英訳えいやく、ドイツおよフランス語ふらんすごふく様々さまざま言語げんご完全かんぜんこぼしされ、翻訳ほんやくされるにいたった。古代こだいギリシアは、抽象ちゅうしょうてき概念がいねんとしての「法律ほうりつ」に相当そうとうする単語たんごたなかったが、かみおきて(thémis、テミス)、人間にんげんほう(nomos、ノモス)、慣習かんしゅう(díkē、ディケー)という区別くべつをしていた[2]。しかし、古代こだいギリシア法律ほうりつは、民主みんしゅ主義しゅぎ発展はってんともなくにせい革新かくしんともなっていた[3]

みなみアジア

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古代こだいインドと中国ちゅうごくは、独特どくとく伝統でんとうち、歴史れきしてき独立どくりつした法理ほうりろんおよびその教育きょういく機関きかんっていた。 紀元前きげんぜん400ねんごろからの『実理じつりろん』と紀元前きげんぜん100ねんごろからの『マヌ法典ほうてん』は、インドの有力ゆうりょく論文ろんぶんであり、権威けんいある法的ほうてき参考さんこう文献ぶんけんとされていた。 後者こうしゃ根底こんていながれる哲学てつがくてき思想しそうは、寛容かんよう多元たげん主義しゅぎであり、東南とうなんアジアにおいてひろ浸透しんとうした[4]。 しかし、ヒンドゥーきょう伝統でんとうともいうべきこの思想しそうは、イスラムほうとともに、インドがだいえい帝国ていこく一部いちぶとなったさいにコモン・ローにってわられた[5]マレーシアブルネイシンガポール香港ほんこんどうほう採択さいたくした。

ひがしアジア

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ひがしアジアの法的ほうてき伝統でんとうは、世俗せぞくてきおよ宗教しゅうきょうてき影響えいきょうを、独自どくじに、法理ほうりろん体系たいけいなかんだものである[6]日本にっぽんは、フランスけいのものを輸入ゆにゅうすることで、率先そっせんしてそのほう制度せいど近代きんだいせんとする最初さいしょくにであったが、その法理ほうりろん体系たいけいは、しゅとしてドイツほう依存いぞんするものであった[7]。これは、19世紀せいき後半こうはんにおけるドイツの社会しゃかいてき地位ちい影響えいきょうりょくをその背景はいけい、その根拠こんきょとして、ドイツほう部分ぶぶんてき反映はんえいしたものである。同様どうように、伝統でんとうてき中国ちゅうごく法律ほうりつは、清朝せいちょう晩年ばんねんちかづくにつれ、ドイツほう導入どうにゅうした日本にっぽん法体ほうたいけい参考さんこうに、6へん私法しほう形式けいしきもっ西洋せいようげるにいたった[8]今日きょう台湾たいわんにおけるほうは、逃亡とうぼうした蔣介せき国家こっか主義しゅぎしゃと、1949ねん中国ちゅうごく本土ほんど支配しはいした毛沢東もうたくとう共産きょうさん主義しゅぎしゃ分裂ぶんれつのために、その時代じだいほうもっと親和しんわせいっている。また、中国ちゅうごくは、ソビエト社会しゃかい主義しゅぎほう影響えいきょうつよけており、私法しほう権利けんり犠牲ぎせいにして、行政ぎょうせいほう本質ほんしつてきにその法体ほうたいけいだい部分ぶぶんめている[9]。しかしながら、今日きょう急速きゅうそく工業こうぎょうのために、すくなくとも経済けいざいてき社会しゃかいてきかつ政治せいじてきではないにせよ)のめん中国ちゅうごくおおきく変革へんかくむかえている。 1999ねんあたらしい契約けいやくほうは、管理かんり主義しゅぎからはなれたことをしめしているとみてよい[10]。さらに、加盟かめい交渉こうしょうが15ねんつづいたのち、2001ねんに、中国ちゅうごくは、世界せかい貿易ぼうえき機関きかん(WTO)に加盟かめいしたのだ[11]

教会きょうかいほう

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カトリック教会きょうかいほう歴史れきしは、カトリック教会きょうかいほう歴史れきしであり、西洋せいようもっとふるくから存在そんざいしているほう制度せいどである[12]教会きょうかいほうは、ローマほうよりもずっとうしろ成立せいりつすることとなるが、近代きんだいヨーロッパにおける民法みんぽうだい改正かいせいよりもまえ成立せいりつした。世俗せぞくほう教会きょうかいほうあいだ文化ぶんか交流こうりゅうは、ある集団しゅうだんし、私法しほう一般いっぱんほう両方りょうほうに、おおきな影響えいきょうあたえた。

ラテンしき教会きょうかいほう歴史れきしは、4つに大別たいべつすることが可能かのうである。jus antiquum、jus novum、jus novissimum、教会きょうかいほうである[13]。これら法律ほうりつ区分くぶんもちいた場合ばあい歴史れきしじょう成立せいりつした法典ほうてんはすべて、分類ぶんるいすることが可能かのうである。欧州おうしゅう東部とうぶ教会きょうかいほうは、別途べっと発展はってんした。

20世紀せいきには、教会きょうかいほう包括ほうかつてき成文せいぶんされた。 1917ねん5がつ27にちベネディクト15せいは、1917ねん教会きょうかいほう英語えいごばん成文せいぶんした。ヨハネ23せいは、だいバチカンこう会議かいぎ招集しょうしゅうする意思いしあわせて教会きょうかいほう改正かいせい意思いしあらわし、1983ねん1がつ25にちヨハネ・パウロ2せいによって1983ねん教会きょうかいほう英語えいごばんとして公布こうふされた。 1990ねん10がつ18にち東部とうぶ教会きょうかい教会きょうかい規範きはん公布こうふすることによって、東部とうぶカトリック教会きょうかい23のすべてに、共通きょうつう法的ほうてき規定きてい公布こうふするにいたった。

イスラムほう

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中世ちゅうせい発展はってんした主要しゅようほう制度せいどひとつは、イスラムほう法学ほうがくであった。 重要じゅうようおおくの法律ほうりつ機関きかんは、イスラムほう法学ほうがく古典こてんに、イスラム法学ほうがくしゃによって開発かいはつされた。 このような機関きかんの1つは、初期しょき非公式ひこうしき価値かち移転いてん機構きこうである「ハワラ」であり、これは、8世紀せいきはやくもイスラム法学ほうがく教科書きょうかしょ言及げんきゅうされている。 どう機構きこう自身じしんは、のちに、フランスほう、イタリアほう発展はってんに、それぞれ影響えいきょうあたえた[14]

欧州おうしゅうほう

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マ帝国まていこく

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ローマほうは、ギリシャおしえにおおきく影響えいきょうされた[15]どうほうは、マ帝国まていこく勃興ぼっこう衰退すいたいあいだの、なに世紀せいきにもわたり、現代げんだい法的ほうてき世界せかいへのはし形成けいせいしてきたといえる[16]。ローマほうは、共和きょうわせいローママ帝国まていこく時代じだいにはそのさだめるところがきびしくり、専門せんもんてき法律ほうりつじょう階級かいきゅうはなかった[17]。そのわりとして、平等びょうどう人物じんぶつすなわ裁判官さいばんかんが、わたし人間にんげん紛争ふんそう判決はんけつくだすため、選出せんしゅつされた[18]。この体制たいせいかか証拠しょうこ報告ほうこくされていないので、その判例はんれい法理ほうりがいかなるものであったか、じゅつ存在そんざいしない。かく紛争ふんそうかか判決はんけつは、今日きょう私法しほう制度せいどの、判例はんれいの(理論りろんてきな)重要じゅうようせい体現たいげんしているくに法律ほうりつ予定よていするものであった。ひがしマ帝国まていこく時代じだいの6世紀せいきに、皇帝こうていユスティニアヌス1せいは、ローマに存在そんざいしていた法律ほうりつ成文せいぶんし、統合とうごうした結果けっか法文ほうぶん総量そうりょうは、従前じゅうぜんのものと比較ひかくすると20ぶんの1となった。これは、ローマほう大全たいぜんとしてられるようになった[19]法制ほうせい学者がくしゃ一人ひとりいたように、「ユスティニアヌスは意識いしきてきに、ローマほう黄金おうごん時代じだいかえり、ローマほうを3世紀せいきまえ最盛さいせいもどすことを目指めざしていた」のだ[20]

中世ちゅうせい

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King John of England signs the Magna Carta

ビザンチン帝国ていこく時代じだいには、ローマほう大全たいぜん拡張かくちょうされ、帝国ていこく崩壊ほうかいする時期じきまでほどこせせいされたが、これが正式せいしき西洋せいよう導入どうにゅうされたことはなかった。わりに、西洋せいよう帝国ていこく崩壊ほうかいと、きゅうローマ国家こっかもとという背景はいけいで、支配しはい階級かいきゅうは、テオドシウス法典ほうてんもとづいてゲールゲルマンほう民俗みんぞく権利けんりとしてられる制度せいど)を施行しこうした。ローマ法廷ほうてい制度せいど崩壊ほうかいして以来いらい法律ほうりつじょう紛争ふんそうは、堅実けんじつ法的ほうてき手続てつづきなかはぐくまれた弁護士べんごし集会しゅうかい証言しょうげんおおきく依存いぞんしていた口頭こうとう審理しんりるところ、ドイツの慣習かんしゅうほう参考さんこうにした判決はんけつけた。

西側にしがわ諸国しょこくだい部分ぶぶんが、カール大帝たいていした統合とうごうされたのち法律ほうりつ一元化いちげんかされ、王室おうしつ裁判さいばん制度せいど強化きょうかされて、判例はんれいほう強化きょうかされ、さらには人民じんみん権利けんり廃止はいしされた。しかし、どう帝国ていこく決定的けっていてき分断ぶんだんされれば、ヨーロッパは封建ほうけん主義しゅぎてきになり、法律ほうりつ一般いっぱんてきぐん市町村しちょうそんまたぐん段階だんかい以上いじょう統治とうちされなくなる。そのため、市民しみん一般いっぱんされた判例はんれいほうもとづく慣習かんしゅうほう発展はってん支持しじすることとなる。しかし、11世紀せいきには、ビザンチン帝国ていこく略奪りゃくだつした十字軍じゅうじぐんが、ユスティニアヌス法典ほうてんふくむビザンチン法典ほうてんかえった。ボローニャ大学だいがく学者がくしゃらは、かれ自身じしん慣習かんしゅうほう解釈かいしゃくするため、これをはじめて使用しようした[21]中世ちゅうせいヨーロッパの法学ほうがくしゃらは、ローマほう研究けんきゅうし、その概念がいねんもちはじめた[22]。また、世界せかいだい部分ぶぶんにおいて、現代げんだい私法しほうとして、ローマほう理念りねん部分ぶぶんてき復活ふっかつみち辿たどるにいたった。しかしながら、私法しほう中世ちゅうせい末期まっきだい部分ぶぶんにおいて慣習かんしゅうほう匹敵ひってきするにいたるまでは、おおきな反発はんぱつがあった。

中世ちゅうせいイギリスにノルマンの法的ほうてき概念がいねん導入どうにゅうしたノルマン・コンクエスト、イギリス国王こくおう強力きょうりょく裁判官さいばんかんは、コモン・ローとなった先例せんれい開発かいはつした[23]とくに、ヘンリー2せい法的ほうてき改革かいかくおこない、ウェストミンスターにんで王国おうこくたびした少数しょうすう裁判官さいばんかんによっておこなわれた王立おうりつ法廷ほうてい制度せいど開発かいはつした。ヘンリー2せいはまた、1166ねんにクラレンドンの立法府りっぽうふさだめた。これにより、陪審ばいしんいん審判しんぱん可能かのうとなり、当事とうじしゃ決闘けっとう裁判さいばん減少げんしょうした。フランスルイ9せいはまた、だい規模きぼ法制ほうせい改革かいかくおこない、教会きょうかい裁判さいばん手続てつづき触発しょくはつされ、教会きょうかいほうおよ尋問じんもん審判しんぱん制度せいど根拠こんきょを、王立おうりつ法廷ほうていもとめ、拡大かくだいさせた。また、裁判官さいばんかんは、その担当たんとうする範囲はんい固定こていされなくなり、陪審ばいしんいんは、保安ほあんかんではなく、法的ほうてき紛争ふんそう当事とうじしゃによって指名しめいされた[24]。さらに、10世紀せいきまで、ハンザ同盟どうめいによってかためられた北欧ほくおう貿易ぼうえき習慣しゅうかん最初さいしょ設立せつりつされた「ほう商人しょうにん(Law Merchant)」は、商業しょうぎょうしゃ多数たすう地元じもと法律ほうりつではなく、よくられた基準きじゅん使つかって取引とりひきできるよう、かたちととのえた。近代きんだい商法しょうほう前身ぜんしんであるこの団体だんたいは、契約けいやく自由じゆう財産ざいさん譲渡じょうと可能かのうせい強調きょうちょうした[25]

現代げんだいヨーロッパ

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現代げんだいヨーロッパにおける法体ほうたいけいは、おおきく2つ、大陸たいりく諸国しょこくだい部分ぶぶん採用さいようされる成文法せいぶんほうと、イギリスの伝統でんとうてき判例はんれいほうである。

18世紀せいきから19世紀せいきにかけての国家こっか主義しゅぎ進展しんてんともない、国際こくさいしょう慣習かんしゅうほうは、あたらしい私法しほうしたくに法律ほうりつまれた。 これらのうち、フランスのナポレオン法典ほうてんドイツ民法みんぽうてんが、もっともその影響えいきょうけた。 大文字おおもじばん小文字こもじばん構成こうせいされている英語えいご一般いっぱんほうとは対照たいしょうてきに、しょう冊子さっし法典ほうてん使用しようしやすく、陪審ばいしんいんにとっては、適用てきようするのが容易よういである。 しかし、今日きょう民法みんぽう一般いっぱんほうとが収斂しゅうれんしているという兆候ちょうこうがある。 EUほう条約じょうやく成文せいぶんされているが、欧州おうしゅう司法しほう裁判所さいばんしょさだめる判例はんれいつうじて発展はってんしている。

アメリカのほう制度せいどは、おもにイギリスのコモン・ローから成立せいりつした(しゅうとなったのちフランスほう採用さいよう英語えいごばんしたルイジアナしゅうのぞく)。 事前じぜん規定きてい主義しゅぎ共同きょうどうたい財産ざいさんなど、スペインほうのいくつかの概念がいねんは、1848ねんまでメキシコ割譲かつじょうであった一部いちぶ米国べいこくしゅうでも依然いぜんとして存続そんぞくしている。

連邦れんぽう主義しゅぎ原則げんそくしたでは、各州かくしゅうには独自どくじ裁判さいばん制度せいどと、連邦れんぽう政府せいふ留保りゅうほされていない地域ちいきない法律ほうりつ制定せいていする能力のうりょくがある。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Théodoridés. "law". Encyclopedia of the Archaeology of Ancient Egypt.* VerSteeg, Law in ancient Egypt
  2. ^ Kelly, A Short History of Western Legal Theory, 5-6
  3. ^ Ober, The Nature of Athenian Democracy, 121
  4. ^ Glenn, Legal Traditions of the World, 276
  5. ^ Glenn, Legal Traditions of the World, 273
  6. ^ Glenn, Legal Traditions of the World, 287
  7. ^ Glenn, Legal Traditions of the World, 304
  8. ^ Glenn, Legal Traditions of the World, 305
  9. ^ Glenn, Legal Traditions of the World, 307
  10. ^ Glenn, Legal Traditions of the World, 309
  11. ^ Farah, Five Years of China WTO Membership, 263-304
  12. ^ Dr. Edward N. Peters, CanonLaw.info, accessed Jul-1-2013
  13. ^ Manual of Canon Law, pg. 13, #8
  14. ^ Badr, Gamal Moursi (Spring 1978). “Islamic Law: Its Relation to Other Legal Systems”. The American Journal of Comparative Law (American Society of Comparative Law) 26 (2 [Proceedings of an International Conference on Comparative Law, Salt Lake City, Utah, February 24–25, 1977]): 187–198 [196–8]. doi:10.2307/839667. JSTOR 839667 
  15. ^ Kelly, A Short History of Western Legal Theory, 39
  16. ^ As a legal system, Roman law has affected the development of law in most of Western civilization as well as in parts of the Eastern world. It also forms the basis for the law codes of most countries of continental Europe ("Roman law". Encyclopædia Britannica.).
  17. ^ Gordley-von Mehren, Comparative Study of Private Law, 18
  18. ^ Gordley-von Mehren, Comparative Study of Private Law, 21
  19. ^ Stein, Roman Law in European History, 32
  20. ^ Stein, Roman Law in European History, 35
  21. ^ Stein, Roman Law in European History, 43
  22. ^ Roman and Secular Law in the Middle Ages Archived 2011-09-27 at the Wayback Machine.
  23. ^ Makdisi, John A. (June 1999). “The Islamic Origins of the Common Law”. North Carolina Law Review 77 (5): 1635–1739  suggests that there may have been some importation of Islamic concepts as well, but others have shown that occasional similarities are more likely coincidence than causal.
  24. ^ Klerman D, Mahoney PG (2007). “Legal Origins”. Journal of Comparative Economics 35 (2): 278–293. doi:10.1016/j.jce.2007.03.007. http://lawweb.usc.edu/users/dklerman/documents/Klerman.LegalOrigin.JCompEcon.pdf 2009ねん9がつ4にち閲覧えつらん. 
  25. ^ Sealey-Hooley, Commercial Law, 14

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Farah, Paolo (August 2006). “Five Years of China WTO Membership. EU and US Perspectives about China's Compliance with Transparency Commitments and the Transitional Review Mechanism”. Legal Issues of Economic Integration 33 (3): 263–304. SSRN 916768. 
  • Barretto, Vicente (2006). Dicionário de Filosofia do Direito. Unisinos Editora. ISBN 85-7431-266-5 
  • Glenn, H. Patrick (2000). Legal Traditions of the World. Oxford University Press. ISBN 0-19-876575-4 
  • Sadakat Kadri, The Trial: A History from Socrates to O.J. Simpson, HarperCollins 2005. ISBN 0-00-711121-5
  • Kelly, J.M. (1992). A Short History of Western Legal Theory. Oxford University Press. ISBN 0-19-876244-5 
  • Gordley, James R.; von Mehren; Arthur Taylor (2006). An Introduction to the Comparative Study of Private Law. ISBN 978-0-521-68185-8 
  • Otto, Martin (2011). “Law”. European History Online. http://nbn-resolving.de/urn:nbn:de:0159-20101025349 November 11, 2011閲覧えつらん. 
  • Sealy, L.S.; Hooley, R.J.A. (2003). Commercial Law. LexisNexis Butterworths 
  • Stein, Peter (1999). Roman Law in European History. Cambridge University Press. pp. 32. ISBN 0-521-64372-4 
  • Kempin, Jr., Frederick G. (1963). Legal History: Law and Social Change. Englewood Cliffs, New Jersey: Prentice-Hall.

関連かんれん書籍しょせき

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外部がいぶリンク

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