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渉成園 - Wikipedia

わたるなりえん

京都きょうと下京しもぎょうにある東本願寺ひがしほんがんじ飛地とびち境内けいだい

わたるなりえん(しょうせいえん)は、京都きょうと京都きょうと下京しもぎょうにある真宗しんしゅう大谷おおや本山ほんざん真宗しんしゅうほんびょう東本願寺ひがしほんがんじ飛地とびち境内けいだい東本願寺ひがしほんがんじ東方とうほうやく150メートルに位置いちし、ほぼ200メートル四方しほう正方形せいほうけいをなす。面積めんせき3.4ヘクタール。西にし間之あいのまちどおりひがし河原町かわらまちどおりきた上珠数屋かみじゅずやまちどおりみなみした珠数屋じゅずやまちどおりせっする。

わたるなりえん

はたはなかく
所在地しょざいち 京都きょうと京都きょうと下京しもぎょうした珠数屋じゅずやまちどおりあいだ町東まちひがしいれ東玉水ひがしたまみずまち
位置いち 北緯ほくい3459ふん29びょう 東経とうけい13545ふん47.6びょう / 北緯ほくい34.99139 東経とうけい135.763222 / 34.99139; 135.763222
宗旨しゅうし 浄土真宗じょうどしんしゅう
宗派しゅうは 真宗しんしゅう大谷おおや
寺格じかく真宗しんしゅうほんびょう飛地とびち境内けいだい
創建そうけんねん うけたまわおう2ねん1653ねん
別称べっしょう 枳殻からたちてい
公式こうしきサイト 東本願寺ひがしほんがんじ参拝さんぱいのご案内あんないわたるなりえん
渉成園の位置(京都市内)
渉成園
わたるなりえん
東本願寺
東本願寺ひがしほんがんじ
京都駅
京都きょうとえき
京都きょうと盆地ぼんちにおける位置いち
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おかせゆききょう

名称めいしょうは、中国ちゅうごく六朝りくちょう時代じだい詩人しじんとうふかしあきらの「えんわたる而成おもむき」のにちなむ。また、周囲しゅうい枳殻からたちカラタチ)がえてあったことから、「枳殻からたちてい」(きこくてい)とも通称つうしょうされる。

昭和しょうわ11ねん1936ねん)12月、くに名勝めいしょう指定していされる。

概要がいよう

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9世紀せいきすえ嵯峨天皇さがてんのうだい12みなもととおる奥州おうしゅう塩釜しおがま風景ふうけいしてさくにわしたろくじょう河原院かわらのいんとされる。付近ふきんいまものこる塩竈しおがままち塩小路しおこうじどおりなどの地名ちめいは、その名残なごりという。

寛永かんえい18ねん1641ねん)、徳川とくがわ家光いえみつから東本願寺ひがしほんがんじ寄進きしんされる。

うけたまわおう2ねん1653ねん)、石川いしかわ丈山じょうざんによって書院しょいんしき回遊かいゆう庭園ていえんとしてさくにわされる。

以後いご近世きんせい近代きんだいつうじてもんくび隠退いんたいしょ外賓がいひんせっぐうしょとしてもちいられるなど、東本願寺ひがしほんがんじ飛地とびち境内けいだいとして重要じゅうよう機能きのうたした。また、のべたから6ねん1678ねん)からたかられき4ねん1754ねん)のあいだは、西にしとなりせっして東本願寺ひがしほんがんじ学寮がくりょう大谷大学おおたにだいがく淵源えんげん)がかれた。

園内えんないには、ぜん敷地しきちの6ぶんの1をめる広大こうだいしるしがつをはじめとするよりゆき山陽さんようせんじゅう三景さんけいひろがり、大書たいしょいんの閬風ていや、漱枕きょちぢみとおていだいかさせきの3茶室ちゃしつだいじゅういちだいいむ如(大谷おおや光勝こうしょう[1]阿弥陀如来あみだにょらいぞう持仏堂じぶつどうであったえん林堂はやしどうとう瀟洒しょうしゃしょ殿舎でんしゃ点在てんざいする。えん林堂はやしどう昭和しょうわ32ねん(1957ねん)に再建さいけんされた建物たてもので、どうないには、親鸞しんらん聖人せいじん700かい遠忌えんきわせて昭和しょうわ33ねん(1958ねん)と35ねん(1960ねん)に製作せいさくされた棟方むなかた志功しこう肉筆にくひつふすまてんしん杉木すぎき」「河畔かはん呼吸こきゅう」、わせて44めんおさめられている[2]。閬風ていは、東山ひがしやま阿弥陀あみだほう借景しゃっけいとしてのぞむことができるようつくられている大書たいしょいん室内しつないには江戸えど幕府ばくふ15だい将軍しょうぐん徳川とくがわ慶喜よしのぶふでわたるなりえんがくと、石川いしかわ丈山じょうざんひつの閬風ていがくかかげられている。明治めいじ13ねん(1880ねん)に明治天皇めいじてんのう休憩きゅうけいしょもちいられた。

庭園ていえんさくにわ姿すがたのこすが、安政あんせい5ねん1858ねん)・元治もとはる元年がんねん1864ねん)の2罹災りさいにより焼失しょうしつする。現在げんざい殿舎でんしゃは、慶応けいおう元年がんねん1865ねん)から明治めいじ初期しょきまでに再建さいけんされたもの。7000㎡をえるひろいけは「しるしがつ」といい、ふるくは高瀬川たかせがわみずかれていた。明治めいじはい琵琶湖びわこ疏水そすい開通かいつうすると、東本願寺ひがしほんがんじぼう噴水ふんすいようじょうから専用せんよう鉄管てっかん疎水そすいみずがひかれ、このみずわたるなりえんにもまれた[3]

年間ねんかんつうじて一般いっぱん公開こうかいされており、東本願寺ひがしほんがんじおこなわれるしょ行事ぎょうじとうさいには、種々しゅじゅもよおしの会場かいじょうとしてもちいられている。

参観さんかんりょう

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参観さんかん協力きょうりょく寄付きふきん」として、500えん以上いじょう懇志こんしつのる。

こころざしおさめした参観さんかんしゃには、『わたるなりえんガイドブック』が贈呈ぞうていされる。

開園かいえん時間じかん

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【3がつ〜10がつ】9:00~17:00(参観さんかん受付うけつけは、16:30まで)

【11月〜2がつ】9:00〜16:00(参観さんかん受付うけつけは、15:30まで)

交通こうつうアクセス

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ いむ如…きゅう字体じたい正式せいしき表記ひょうき。「いむ如」としん字体じたい表記ひょうきする場合ばあいもある。
  2. ^ 公益社こうえきしゃだん法人ほうじん 京都きょうと観光かんこう協会きょうかい (2023ねん11月). だい58かい きょうふゆたび 非公開ひこうかい文化財ぶんかざい特別とくべつ公開こうかいガイドブック 
  3. ^ わたるなりえん歴史れきし」『造園ぞうえん歴史れきし文化ぶんか』86-128ページ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 中村なかむらはじめ造園ぞうえん歴史れきし文化ぶんか』(京都きょうと大学だいがく造園ぞうえんがく研究けんきゅうしつへん) やしなえ賢堂かしこどう 昭和しょうわ62ねん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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