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演繹 - Wikipedia

演繹えんえき

一般いっぱんてき普遍ふへんてき前提ぜんていから、より個別こべつてき特殊とくしゅてき結論けつろん論理ろんりてき推論すいろん方法ほうほう

演繹えんえき(えんえき、えい: deduction)は、一般いっぱんてき普遍ふへんてき前提ぜんていから、より個別こべつてき特殊とくしゅてき結論けつろん論理ろんりてき推論すいろん方法ほうほうである。

帰納きのうける前提ぜんてい結論けつろん導出どうしゅつ関係かんけいが「蓋然的がいぜんてき」にただしいとされるのみであるのにたいし、演繹えんえき導出どうしゅつ関係かんけいは、その前提ぜんていみとめるなら、「絶対ぜったいてき」「必然ひつぜんてき」にただしい。したがって理論りろんじょうは、前提ぜんてい間違まちがっていたり適切てきせつでない前提ぜんていもちいられたりした場合ばあいには、あやまった結論けつろんみちびされることになる。近代きんだいでは、演繹えんえきほうとは記号きごうろん理学りがくによって記述きじゅつできる論法ろんぽうことす。

具体ぐたいれい

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たとえば、物体ぶったい落下らっかするとき、おもいものほどはやちるというのがかつての常識じょうしきであった。これにたいしてガリレオ・ガリレイは、くわしい実験じっけんから物体ぶったい落下らっか時間じかん質量しつりょう比例ひれいするものではないことをしめした。これは帰納的きのうてき判断はんだんである。また、ここからかれ物体ぶったい落下らっか速度そくど質量しつりょうにかかわらず一定いっていだろうと判断はんだんした。これはアブダクション仮説かせつ形成けいせい)である。

その様々さまざま実験じっけん研究けんきゅうから物体ぶったいがそれにしたがうべき法則ほうそくとして万有引力ばんゆういんりょく法則ほうそく運動うんどう法則ほうそく設定せっていされた。これがみとめられたのちは、物体ぶったい落下らっかさせる実験じっけんおこなわなくても、その落下らっか時間じかん計算けいさんできるし、まったことなる条件下じょうけんか、たとえば金星かなぼしおな実験じっけんおこなった場合ばあい結果けっかについてもられることになる。これが演繹えんえきてき判断はんだんである。かり実験じっけん結果けっかことなったれば、実験じっけん失敗しっぱいうたがうか、そこにあたえるほか要素ようそ探求たんきゅうすることになろう。なぜならば、その実験じっけん範囲はんいでは、前提ぜんていとする法則ほうそくただしいものと判断はんだんできたうえでの結果けっかだからである。

応用おうよう

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以上いじょうのことを一般いっぱんした演繹えんえき代表だいひょうれいとして三段論法さんだんろんぽうがある。 「ひとかならぬ」という大前提だいぜんてい、「ソクラテスひとである」という小前提しょうぜんていから「ソクラテスはかならぬ」という結論けつろんみちびす。このれいのようにふたつの前提ぜんていから結論けつろんみちび演繹えんえき三段論法さんだんろんぽうという。演繹えんえきにおいては前提ぜんていしんであれば、結論けつろんしんとなる。

ここで、「ソクラテス」のわりに「わたし」をれてもただしい演繹えんえきとなる。演繹えんえきによる必然ひつぜんせいとは前提ぜんていには依存いぞんしておらず、前提ぜんていかりみとめるとすれば、必然ひつぜんてき結論けつろんみちびかれるというかたちになってあらわれる。

アリストテレス演繹えんえき体系たいけい構築こうちくし、フレーゲ登場とうじょうまでそれがながらく西洋せいよう論理ろんりがく中心ちゅうしんとなっていた。

イマヌエル・カントは、通常つうじょう意味いみとはことなったかたち演繹えんえき (Deduktion) というかたりもちいている。カントにおいて演繹えんえきとは概念がいねん正当せいとうせい証明しょうめい意味いみする。もっと代表だいひょうてきれいは『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』におけるカテゴリー範疇はんちゅう)の超越ちょうえつろんてき演繹えんえきである。演繹えんえきのこのような用法ようほう当時とうじ法学ほうがく用語ようご由来ゆらいするといわれ、カントのいたるところにみられる。

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