漢かん口こう(かんこう/ハンコウ、簡体字かんたいじ:汉口、繁体字はんたいじ:漢かん口こう、拼音: Hànkǒu、武漢ぶかん語ご:/xan˧˥kʰəu˦˨/、英語えいご:Hankou/Hankow)とは、漢かん水すいの北岸ほくがん、長江ながえの西岸せいがんに位置いちし、長江ちょうこうと支流しりゅうの漢かん水すいが合流ごうりゅうする所ところを指さす地理ちり名称めいしょうである。
漢かん口こうは、かつて中華民国ちゅうかみんこく時代じだいに行政ぎょうせい院いんに直轄ちょっかつされた院いん轄市で、現在げんざいの中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく湖北こほく省しょう武漢ぶかん市しの一部いちぶに当あたる。
現在げんざい、「漢かん口こう」という自治体じちたいは存在そんざいしないが、現地げんちの慣習かんしゅう上じょうでは旧きゅう漢かん口こう院いん轄市に因ちなんで、武漢ぶかん市しの長江ながえ・漢江かんこう以北いほく(左岸さがん)の江こう岸きし区く、江こう漢かん区く、礄口区くを漢かん口こうと総称そうしょうし、都市とし化かの進行しんこうに伴ともない、以上いじょう3区くに隣接りんせつする郊外こうがい的てき地域ちいきであった東ひがし西湖さいこ区くをも漢かん口こうの一部いちぶと見みなすこともある。
漢かん口こうは、もとは夏なつ口こう鎮という商業しょうぎょう都市としであった。夏なつ水すいという川かわが長江ながえに合流ごうりゅうする場所ばしょにあるため夏なつ口こうという地名ちめいになったが、後のちに夏なつ水すいが漢かん水すい(漢江かんこう)という名なに変かわったため漢かん口こうと改名かいめいした。かつては、漢江かんこうの長江ちょうこうへの合流ごうりゅう口こうは漢かん陽ひの南みなみであったが、15世紀せいき後半こうはんに亀山かめやまの北側きたがわに変かわり、16世紀せいきには新しん合流ごうりゅう口こうの北岸ほくがんに新しん都市としの夏なつ口こう鎮が徐々じょじょに形成けいせいされ始はじめた。隣接りんせつする歴史れきしの古ふるい城郭じょうかく都市としである漢かん陽ひと武たけ昌あきらに比くらべると、漢かん口こうは明あきら代だい中頃なかごろ以後いごに自然しぜん発生はっせいした都市としであり歴史れきしは比較的ひかくてき浅あさいが、明朝みんちょう末期まっきには漢かん陽ひと武たけ昌あきらをしのぐ大おおきな商業しょうぎょう都市としとなり長江ちょうこう中流ちゅうりゅうの物流ぶつりゅう・商業しょうぎょうの中枢ちゅうすうとして栄さかえた。清きよし代だいには漢かん口こう鎮は山西さんせい商人しょうにんや陝西せんせい商人しょうにんや徽州商人しょうにん(新しん安やす商人しょうにん)ら各地かくちの商人しょうにんが集あつまる商都しょうととなり、江西えにし省しょうの景けい徳とく鎮・河南かなん省しょうの朱しゅ仙せん鎮(現在げんざいの開封かいふう市し付近ふきん)・広東かんとん省しょうの仏山ほとけやま鎮と並ならぶ「四よん大名だいみょう鎮」の一ひとつと称しょうされた。
漢かん口こうは1858年ねんに結むすばれた天津てんしん条約じょうやくにより開港かいこうし、イギリス・ドイツ・フランス・ロシア・日本にっぽんの5カ国かこくの租界そかいが置おかれた(漢かん口こう租界そかい)。これ以後いご、経済けいざいが高度こうどに発展はってんした漢かん口こうは「東方とうほうのシカゴ」とも呼よばれた。
長江ながえと漢江かんこうを挟はさんで鼎立ていりつする漢かん陽ひ・漢かん口こう・武たけ昌あきらの3市し(鎮)は武漢ぶかん三さん鎮と呼よばれていたが、互たがいに大河たいがで隔へだてられており連絡れんらくが不便ふべんであったため合一ごういつすることはなかった。中華民国ちゅうかみんこく期きの1927年ねん1月がつに初はじめて武漢ぶかん市しとなり、国民こくみん政府せいふが広州こうしゅうから遷都せんとし、4月がつには武漢ぶかん特別とくべつ市しとなった。8月に武漢ぶかん国民こくみん政府せいふが南京なんきん国民こくみん政府せいふに合流ごうりゅうすると、再ふたたび分割ぶんかつされ漢かん口こう特別とくべつ市しとなった。1936年ねんには日本にっぽん総領事館そうりょうじかんの警察官けいさつかんが殺害さつがいされる漢かん口こう邦人ほうじん巡査じゅんさ射殺しゃさつ事件じけんが起おき外交がいこう問題もんだいとなった。
太平洋戦争たいへいようせんそう中なか、アメリカ陸軍りくぐん航空こうくう隊たいのB-29爆ばく撃げき機きによる漢かん口こう大だい空襲くうしゅうで、駐屯ちゅうとんする日本にっぽん軍ぐん部隊ぶたいもろとも焼夷弾しょういだんで焼やき尽つくされ完全かんぜんに破壊はかいされた。
1949年ねん5月がつに中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほう軍ぐんの支配しはい下かに入はいり、武漢ぶかん三さん鎮は再ふたたび統合とうごうされ、武漢ぶかん市し人民じんみん政府せいふが成立せいりつした。中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく成立せいりつ以降いこう、武漢ぶかん市しの下したで市し轄区となっている漢かん陽ひ・武たけ昌あきらとは違ちがい、漢かん口こうの名なを冠かんする行政ぎょうせい区くは存在そんざいしない。かつての漢かん口こうの市域しいきが大おおきく江こう岸きし区く、江こう漢かん区く、礄口区く、東ひがし西湖さいこ区くの4区くに分わかれているためである。漢かん口こう地区ちくは現代げんだいでも武漢ぶかんの経済けいざい的てきな中心ちゅうしんである。