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横浜正金銀行 - Wikipedia

横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう

かつて存在そんざいした日本にっぽん特殊とくしゅ銀行ぎんこう

横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう(よこはましょうきんぎんこう、英語えいご: Yokohama Specie Bank)は、かつて存在そんざいした日本にっぽん特殊とくしゅ銀行ぎんこう1880ねん明治めいじ13ねん)に開設かいせつされた国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれい準拠じゅんきょ銀行ぎんこうで、外国がいこく為替かわせシステムが確立かくりつだった当時とうじ日本にっぽん不利益ふりえき軽減けいげんするよう現金げんきん正金しょうきん)で貿易ぼうえき決済けっさいおこなうことをおも業務ぎょうむとしていた[2]。そのとお神奈川かながわけん横浜よこはまちゅう本店ほんてんいた。東京銀行とうきょうぎんこう現在げんざい三菱みつびしUFJ銀行ぎんこう)の前身ぜんしんとされる。

きゅう:横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう本店ほんてんげん:神奈川かながわ県立けんりつ歴史れきし博物館はくぶつかん
きゅう:神戸こうべ支店してんげん:神戸こうべ市立しりつ博物館はくぶつかん
きゅう:門司もじ支店してんげん:北九州きたきゅうしゅう銀行ぎんこう門司もじ支店してん
きゅう:長崎ながさき支店してん
関東大震災かんとうだいしんさいでドーム屋根やね焼失しょうしつした横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう本店ほんてん[1]

貿易ぼうえき金融きんゆう外国がいこく為替かわせとくした銀行ぎんこうであり、明治維新めいじいしんこう急速きゅうそく成長せいちょうし、やがて列強れっきょう仲間なかまくわわっていく日本にっぽん国際こくさい金融きんゆうめんささえ、香港ほんこん上海しゃんはい銀行ぎんこう[注釈ちゅうしゃく 1]チャータード・マーカンタイル銀行ぎんこう英語えいごばん[注釈ちゅうしゃく 2]なら外国がいこく為替かわせ銀行ぎんこうへと発展はってんしていった。また、関東大震災かんとうだいしんさい昭和しょうわ恐慌きょうこうおおきな打撃だげきけながら、緊縮きんしゅく政策せいさく前提ぜんていとするきむ解禁かいきん加担かたんした。

だい世界せかい大戦たいせんにおいては日本にっぽん軍需ぐんじゅ必要ひつよう外国がいこく通貨つうか収集しゅうしゅうため機関きかんとみなされたために、敗戦はいせん1946ねん昭和しょうわ21ねん)にGHQ指令しれいによって解体かいたい清算せいさんされ、外国がいこく為替かわせ銀行ぎんこうとしての役割やくわりあらたに設立せつりつされた東京とうきょう銀行ぎんこうがれることになった。それでも、頭取とうどりしょく日銀にちぎん総裁そうさいへの登竜門とうりゅうもんであった。

設立せつりつ経緯けいい

編集へんしゅう

広業こうぎょう商会しょうかい業務ぎょうむけるかたち設立せつりつされた。 日米にちべい修好しゅうこう通商つうしょう条約じょうやく締結ていけつにより、横浜よこはま下田しもだわるかたち1859ねん開港かいこうした。事実じじつじょう首都しゅとである江戸えど1862ねん外国がいこくじん開放かいほう)にちかこと手伝てつだい、またた国際こくさい貿易ぼうえき都市としとしてきゅう成長せいちょうげていった。

1871ねんしん貨条れい制定せいていされ、これにもとづいて鋳造ちゅうぞうされた1えん銀貨ぎんか純度じゅんど90%)が正貨せいかとなり、海外かいがい貿易ぼうえき使用しようされていた。しかし1877ねん勃発ぼっぱつした西南せいなん戦争せんそうインフレこし、また輸入ゆにゅうぞうによる銀貨ぎんか海外かいがい流出りゅうしゅつかさなって、政府せいふ紙幣しへい正貨せいかとのあいだにはおおきなしょうじていた。これは横浜よこはまつど商人しょうにんなやみのたねとなり、安定あんていした正貨せいか供給きょうきゅうする貿易ぼうえき金融きんゆう機関きかん必要ひつようせいさけばれるようになった。

1879ねん明治めいじ12ねん)に丸屋まるや商社しょうしゃげん:丸善まるぜん雄松おまつどう)のもと社長しゃちょうだいはち国立こくりつ銀行ぎんこう愛知あいちけん豊橋とよはし)の設立せつりつにもかかわった中村なかむらみちふとし代表だいひょうとする22にんは、福澤ふくさわ諭吉ゆきち井上いのうえかおるらの支援しえんした貿易ぼうえき振興しんこう取引とりひき円滑えんかつ、そして堅実けんじつ現金げんきん当時とうじ言葉ことばで「正金しょうきん」)金融きんゆう趣旨しゅしに、国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれいもとづくしん銀行ぎんこう設立せつりつよく1880ねん2がつ28にち中村なかむら頭取とうどりとし、資本しほんきん300まんえん横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう営業えいぎょう開始かいしした[3]資本しほんきんのうち100まんえん大蔵省おおくらしょう銀貨ぎんか出資しゅっしし、民間みんかんがわ出資しゅっしの200まんえん銀貨ぎんか40まんえん紙幣しへい160まんえんという内訳うちわけであった。

設立せつりつあたっては、1えん銀貨ぎんか導入どうにゅう支援しえんするなど当時とうじ日本にっぽん海外かいがい貿易ぼうえき外国がいこく為替かわせおおきな影響えいきょうりょくっていた香港ほんこん上海しゃんはい銀行ぎんこう模範もはんとし、香港ほんこん上海しゃんはい銀行ぎんこう横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう協力きょうりょくしまなかった。

沿革えんかく

編集へんしゅう
  • 1879ねん明治めいじ12ねん)2がつ - 国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれいにより設立せつりつ頭取とうどり中村なかむらみちふとしふく頭取とうどり小泉こいずみ信吉のぶよし
  • 1880ねん明治めいじ13ねん)2がつ23にち - 設立せつりつ免許めんきょ資本しほんきん300まんえん、うち100まんえん政府せいふ出資しゅっし。2月28にち - 営業えいぎょう開始かいし。7月17にち - 神戸こうべ支店してん開設かいせつ
  • 1883ねん明治めいじ15ねん)3がつ - 初期しょき経営けいえい混乱こんらん収拾しゅうしゅうするため、政府せいふよりはら六郎ろくろうだい4だい頭取とうどりとしておくまれる。
  • 1884ねん明治めいじ16ねん)7がつ22にち - 大蔵省おおくらしょう横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう外国がいこくじん為替かわせ取組とりくみ手続てつづきをさだめ、紙幣しへい整理せいりのために正貨せいか獲得かくとく目的もくてきとして資金しきん運用うんようするよう指令しれい。12月1にち - ロンドン支店してん開業かいぎょう
  • 1887ねん明治めいじ20ねん)4がつ - 資本しほんきんを600まんえん増資ぞうし
  • 1887ねん明治めいじ20ねん)7がつ6にち - 横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう条例じょうれい公布こうふ。「内外ないがいこくにおいて貿易ぼうえきじょう要用ようようなる支店してんまた出張所しゅっちょうしょ設置せっちし、また銀行ぎんこうと『コルレスポンデンス』を締約ていやくすることができる」むね規定きていされた[4]。またどう条例じょうれい同年どうねんに「大蔵おおくら大臣だいじん横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう諸般しょはん事務じむ管理かんりかん派遣はけんしてかんする」むね改正かいせいおこなわれた。12月20にち - 政府せいふぎん300まんえん横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう預入よにゅう同行どうこうたい中国ちゅうごく輸出ゆしゅつ綿糸めんし荷為替にがわせ取組とりくみをおこなわせることを決定けってい
  • 1889ねん明治めいじ22ねん)2がつ6にち - 横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう条例じょうれい改正かいせい。「条例じょうれい定款ていかんそむけもどする所為せいあるとき、または危険きけんなる所為しょいみとめられる事件じけんがあるときは、大蔵おおくら大臣だいじんはこれを制止せいしし、また取締役とりしまりやく改選かいせんめいずることができる」むねとう規定きていされた[4]
  • 1892ねん 小泉こいずみ信吉のぶよし本店ほんてん支配人しはいにん就任しゅうにん
  • 1893ねん5月15にち - 上海しゃんはい出張所しゅっちょうしょ開設かいせつ
  • 1894ねん12月20にち - ボンベイ出張所しゅっちょうしょ開設かいせつ
  • 1897ねん明治めいじ30ねん相馬そうまひさしたねだい6だい頭取とうどり就任しゅうにん
  • 1899ねん明治めいじ32ねん)4がつ15にち - 日銀にちぎん横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこうたいしんこく事業じぎょう拡張かくちょう資金しきんとして金貨きんか1000まんえん年利ねんり2ふん預入よにゅうむね通告つうこく。5月1にち - 東京とうきょう出張所しゅっちょうしょ開設かいせつ。7月1にち - 長崎ながさき出張所しゅっちょうしょ開設かいせつ。8月1にち - 天津てんしん出張所しゅっちょうしょ開設かいせつ
  • 1900ねん1がつ1にち - ボンベイ出張所しゅっちょうしょ支店してん昇格しょうかく
  • 1901ねん1がつ - 上海しゃんはい出張所しゅっちょうしょ東京とうきょう出張所しゅっちょうしょ長崎ながさき出張所しゅっちょうしょ天津てんしん出張所しゅっちょうしょ支店してん昇格しょうかくうしそう支店してん開設かいせつ中国人ちゅうごくじん買弁ばいべん利用りようをやめた最初さいしょ支店してん
  • 1904ねん8がつ22にち - ダルニー(あおどろくぼ、のちの大連たいれん出張所しゅっちょうしょ設立せつりつ。11月15にち - りょう出張所しゅっちょうしょ設立せつりつ
  • 1905ねん4がつ1にち - 旅順りょじゅんこう出張所しゅっちょうしょ開設かいせつ。5月 - りょう出張所しゅっちょうしょ閉鎖へいさ奉天ほうてん出張所しゅっちょうしょ(1906ねん支店してん昇格しょうかく)を開設かいせつ。6月 - しば出張所しゅっちょうしょ開設かいせつ。8月 - てつみね出張所しゅっちょうしょ開設かいせつ。9月1にち - 大阪おおさか出張所しゅっちょうしょ再開さいかい、1906ねん支店してん昇格しょうかく
  • 1905ねん明治めいじ38ねん)12月16にち - 政府せいふ横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこうに、満州まんしゅうにおいて軍票ぐんぴょう整理せいり幣制へいせい統一とういつのための一覧いちらんはらい手形てがた発行はっこうめいずる。
  • 1906ねん明治めいじ39ねん)3がつ - 高橋たかはし是清これきよだい7だい頭取とうどり就任しゅうにん。9月 - 関東かんとうしゅう(=遼東りゃおとん半島はんとう当時とうじ日本にっぽん租借そしゃく)・中国ちゅうごくにおける銀行ぎんこうけん横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこうけん)の発行はっこう許可きょかされる。(最終さいしゅうてきに9支店してん93種類しゅるい銀行ぎんこうけん発行はっこうされた[5]。)
  • 1906ねん明治めいじ39ねん)7がつ20日はつか - 日本にっぽんはつ専用せんようせん電話でんわ日本銀行にっぽんぎんこう横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう本店ほんてんあいだ開通かいつう。9月15にち - 関東かんとうしゅう清国きよくににおける銀行ぎんこうけん発行はっこうかんするけんみことのりれい公布こうふ、10月15にち施行しこう日本にっぽん外相がいしょう蔵相ぞうしょう監督かんとく公私こうし制限せいげん通用つうようぎん兌換だかん銀行ぎんこうけん発行はっこう。11月15にち - ダルニー(あおどろくぼ、のちの大連たいれん出張所しゅっちょうしょ支店してん昇格しょうかく
  • 1911ねん明治めいじ44ねん)3がつ24にち - 横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう清国きよくに郵傅と、同国どうこく鉄道てつどう公債こうさい1000まんえんとし5ふん手取てどり95えん引受ひきうけ契約けいやく締結ていけつ。6月 - 三島みしま弥太郎やたろうだい8だい頭取とうどり就任しゅうにん。7月1にち - 日銀にちぎん横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこうたいする外国がいこく為替かわせ手形てがたさい割引わりびき制度せいどを、外国がいこく為替かわせ手形てがた引当ひきあて外国がいこく為替かわせ貸付かしつけきん制度せいどにあらためる。
  • 1913ねん大正たいしょう2ねん)9がつ - 井上いのうえ準之助じゅんのすけだい10代頭取とうどり就任しゅうにん[6]。10月 - 満州まんしゅう金券きんけん発行はっこう従来じゅうらいぎんけんとともに行使こうし)。
  • 1927ねん昭和しょうわ2ねん)5がつ9にち - かく支店してん営業えいぎょう再開さいかい
  • 1929ねん昭和しょうわ4ねん)7がつ10日とおか - 政府せいふ意向いこうにより、在外ざいがい正貨せいか補充ほじゅうのため輸出ゆしゅつ手形てがたかいれを開始かいし。11月19にち - ニューヨークで米国べいこく金融きんゆうだんと2500まんドルのクレジット設定せってい契約けいやくに、えい金融きんゆうだんと500まんポンドクレジット成立せいりつかね解禁かいきん実施じっし直前ちょくぜん準備じゅんび
  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん)9がつ26にち - 正貨せいか現送げんそう開始かいし政変せいへんきむさい禁止きんし懸念けねんによるドル為替かわせ思惑おもわくかいへの対策たいさく
  • 1931ねん昭和しょうわ6ねん)12月11にち - 為替かわせ売却ばいきゃく中止ちゅうし
  • 1932ねん昭和しょうわ7ねん) - 本店ほんてん機能きのう東京とうきょううつす。
  • 1936ねん昭和しょうわ11ねん)9がつ - 大久おおひさ保利ほりけんだい13だい頭取とうどり就任しゅうにん
  • 1938ねん昭和しょうわ13ねん)5がつ - 香港ほんこん上海しゃんはい銀行ぎんこう傘下さんかおさめ、中国ちゅうごくにおける徴税ちょうぜいけん[7]
  • 1941ねん昭和しょうわ16ねん)12月23にち - てきさん管理かんりほうにより、ニューヨーク・ナショナル・シティー銀行ぎんこう香港ほんこん上海しゃんはい銀行ぎんこうチャータード銀行ぎんこう、オランダけい銀行ぎんこう2ぎょう以上いじょう5ぎょうについて、政府せいふ横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう財産ざいさん管理かんりめいずる。
  • 1946ねん昭和しょうわ21ねん) - 閉鎖へいさ機関きかん指定していされる。株式会社かぶしきがいしゃ東京銀行とうきょうぎんこう設立せつりつし、同行どうこう業務ぎょうむいで解散かいさん。7月2にち - GHQ、解散かいさんさい組織そしき原則げんそくてき承認しょうにんする覚書おぼえがき。10月15にち - だい会社かいしゃとして東京銀行とうきょうぎんこう設立せつりつ許可きょか。12月16にち - 設立せつりつ資本しほんきん5000まんえん頭取とうどり浜口はまぐち雄彦たけひこ
  • 1947ねん昭和しょうわ22ねん)6がつ30にち - きゅう勘定かんじょう資産しさんおよ負債ふさい整理せいり特例とくれいとうかんするけん政令せいれい公布こうふ閉鎖へいさ機関きかん指定していされ、そのきゅう勘定かんじょう資産しさん東京とうきょう銀行ぎんこう移転いてん
  • 1957ねん昭和しょうわ32ねん) - きゅう:ふつりょうインドシナ占領せんりょうちゅう日本にっぽんぐんがその軍費ぐんぴ調達ちょうたつするため、にちふつ政府せいふあいだおよびきゅう:正金しょうきん銀行ぎんこうインドシナ銀行ぎんこうあいだでそれぞれ協定きょうてい締結ていけつしていたが、協定きょうていによる終戦しゅうせん日本にっぽんがわ債務さいむ残高ざんだかとフランスがわ特別とくべつえん勘定かんじょう最終さいしゅうてき解決かいけつすべく、両国りょうこく政府せいふあいだ議定ぎていしょつく清算せいさんした。のち国会こっかい問題もんだいするが、特別とくべつえん勘定かんじょうについてあたかも円建えんだてであったかのような言及げんきゅうがなされているてんについて、実際じっさいスターリング・ポンド金本位きんほんいせい)で支払しはらわれた[注釈ちゅうしゃく 4][9]
  • 1963ねん昭和しょうわ38ねん) - 清算せいさんゆいりょう残余ざんよ財産ざいさんのうち、不動産ふどうさんしゅたる資産しさんとして日本中央地所にほんちゅうおうじしょ株式会社かぶしきがいしゃPHYLLITE設立せつりつ

歴代れきだい頭取とうどり

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本支店ほんしてん旧跡きゅうせき

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本店ほんてん

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妻木つまきよりゆき設計せっけいになる横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう本店ほんてん建物たてもの1904ねん落成らくせい戦後せんご東京銀行とうきょうぎんこう横浜よこはま支店してんとして使つかわれた。

現在げんざい神奈川かながわ県立けんりつ歴史れきし博物館はくぶつかんとなり、歴史れきしてき意義いぎをもつ銀行ぎんこう建物たてものであることなどから、くに重要じゅうよう文化財ぶんかざい史跡しせき指定していされている[10][11]

国内こくない支店してん

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海外かいがい支店してん

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きゅう:北京ぺきん支店してんひだり)。みちはさんだかいはろくこく飯店はんてん
  • 大連たいれん支店してんげん:中国銀行ちゅうごくぎんこう大連たいれんぶんぎょう) - 1909ねん 妻木つまきよりゆき大田おおたあつし
  • 北京ぺきん支店してんげん:中国ちゅうごくほういん博物館はくぶつかん) - 1910ねん 妻木つまきよりゆき
  • ハルビン支店してんげん:黒竜江こくりゅうこうしょう美術館びじゅつかん) - 1912ねん 不詳ふしょう
  • 青島ちんたお支店してんげん:青島ちんたお銀行ぎんこうかんすえささえくだり) - 1919ねん 長野ながの宇平
  • かんこう支店してんげん:湖北こほくしょう国際こくさい信託しんたく投資とうし公司こうし) - 1921ねん Hemmings & Berkeley
  • 上海しゃんはい支店してんげん:中国ちゅうごくこうしょう銀行ぎんこう上海しゃんはいぶんぎょう) - 1924ねん Palmer & Turner
  • 奉天ほうてん支店してんげん:中国ちゅうごくこうしょう銀行ぎんこう中山なかやま広場ひろばささえくだり) - 1925ねん 宗像むねかた主一しゅいち
  • 長春ちょうしゅん支店してんげん:長春ちょうしゅん雑技ざつぎみや) - 1922ねん 中村なかむらあずかひらた
  • 天津てんしん支店してんげん:中国銀行ちゅうごくぎんこう天津てんしんぶんぎょう) - 1926ねん Hemmings & Berkeley
  • すみみなみ支店してんげん:すみ南市みなみいち京劇院きょうげきいん
  • ハワイ支店してんげん:子供こども教育きょういく施設しせつ) - 1909ねん Harry Livingston Kerr
  • ウラジオストク支店してん(げん:国立こくりつアルセーニエフ博物館はくぶつかん) - 1924ねん

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく
  1. ^ げん:HSBC
  2. ^ 1959ねん昭和しょうわ34ねん》HSBC傘下さんかはいり、1982ねん昭和しょうわ57ねん》HSBCに吸収きゅうしゅう
  3. ^ コルレスポンデンス(Correspondence)は「通信つうしん外交がいこうとう
  4. ^ きし信介しんすけちゅうにちふつ大使たいしアルマン・ベラールが署名しょめい[8]
出典しゅってん
  1. ^ 【9/1関東大震災かんとうだいしんさい犠牲ぎせい10まんにん以上いじょう海底かいていねむえき"がかた防災ぼうさい大切たいせつ公式こうしきにっテレNEWS
  2. ^ 加太かだひろしくに注釈ちゅうしゃく『ふらんす物語ものがたり』:遊歩ゆうほしゃ荷風かふうのリヨン」『法政大学ほうせいだいがく多摩たま論集ろんしゅうだい20かん法政大学ほうせいだいがく多摩たま論集ろんしゅう編集へんしゅう委員いいんかい、2004ねん3がつ、199-271ぺーじdoi:10.15002/00003148ISSN 09112030NAID 120000994070 
  3. ^ 荒井あらい泰治やすじ銀行ぎんこうあお梅堂ばいどう、1888ねん 近代きんだいデジタルライブラリー
  4. ^ a b 横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう条例じょうれい明治めいじ20ねん7がつみことのりれいだい29ごう)。法規ほうき提要ていよう明治めいじ22ねんへんちゅうまき1903ねん)、法制ほうせいきょく[注釈ちゅうしゃく 3]
  5. ^ 横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう世界せかいさんだい為替かわせ銀行ぎんこうへのみちー』神奈川かながわ県立けんりつ歴史れきし博物館はくぶつかん、2004ねん
  6. ^ 大分おおいたけん人士じんしろく大分おおいたけん人士じんしろく発行はっこうしょ、1914ねん
  7. ^ しょう一平いっぺいかくいさおひろしとう、1993ねん。「中国ちゅうごく抗日こうにち戦争せんそうぜん」、だい87しょう日本にっぽんてき殖民しょくみん経済けいざい掠奪りゃくだつあずか殖民しょくみん文化ぶんか
  8. ^ インドシナ銀行ぎんこう名義めいぎ横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう開設かいせつされたしょ勘定かんじょうかんする問題もんだい解決かいけつかんする日本国にっぽんこく政府せいふとフランス共和きょうわこく政府せいふとのあいだ議定ぎていしょ 昭和しょうわ32ねん3がつ27にち
  9. ^ だい33かい国会こっかい 外務がいむ委員いいんかい だい20ごう 昭和しょうわ34ねん12月17にち(1959ねん
    「まず特別とくべつえんという問題もんだいにつきましては、戦時せんじちゅう当時とうじきゅうふつりょうインドシナを占領せんりょうちゅう日本にっぽんぐんが、そのぐん軍費ぐんぴ調達ちょうたつ」「いたしまするために、にちふつ政府せいふあいだ協定きょうていをいたしました。またきゅう正金しょうきん銀行ぎんこうとインドシナ銀行ぎんこうとのあいだに、これにもとづいて金融きんゆう協定きょうていというものを締結ていけついたしました。」「その結果けっか終戦しゅうせん当時とうじに」━━よくここのところをいておいていただきたいんです━━「その結果けっか終戦しゅうせん当時とうじにわがほう債務さいむとしてのこりましたものは、あめりかドル勘定かんじょうよんじゅうななまんきゅうせんろくひゃくじゅういちドルじゅうきゅうセントでございます。また特別とくべつえん勘定かんじょうといたしましてのこりましたものが、じゅうさんおくせんひゃくじゅうななまんせんはちひゃくじゅうはちえんさんせん、かくのごとくしょうなっております。」「あめりかドル勘定かんじょう債務さいむ決済けっさいのこり、特別とくべつえん債務さいむ決済けっさいのこり、これらはいろいろと勘考かんこういたしまして、あらためてフランスがわとのあいだはないによりまして、さんじゅうねんさんがつじゅうななにち円貨えんかじゅうおくえんとドル貨四じゅうはちまんドルをもってこれの決済けっさいをいたしたわけでございますから、」「戦時せんじちゅう、」━━ここも重要じゅうようだとおもう━━「戦時せんじちゅう戦争せんそう以前いぜんからのいわゆるふつしるし特別とくべつえん問題もんだいというものは全部ぜんぶへんがついた、こういうことにあいなるわけでございます。それからさんじゅうさんトンのかね価格かかくがどうであるか、これの見合みあいのものはなん決済けっさいであったかというおたずねがございましたが、」「これは、」「戦争せんそうまえからの協定きょうていによりまして、こういうぐんピアストル貨の調達ちょうたつについては、かね支払しはらという条項じょうこうもとづきまして、いちきゅうよんいちねん十一月じゅういちがつろくにち以来いらい、」「やくじゅうかいにわたりまして軍費ぐんぴ調達ちょうたつ」「それから」「ゴムの輸入ゆにゅう代金だいきん」「そのほかに、昭和しょうわじゅうななねんまつに、一般いっぱん勘定かんじょうしょうするものがございまして、その残高ざんだかかね決済けっさいしなければならなかったわけであります。これらを合計ごうけいいたしますると、」「さんじゅうさんトンにあいなるわけでございます。」と、こういう答弁とうべんなんでございます。これはにちふつ特別とくべつえん決済けっさいかんする政府せいふのわざわざ閣議かくぎひらいて統一とういつした見解けんかいであります。」
  10. ^ "きゅう横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう本店ほんてん". くに指定してい史跡しせきガイド. コトバンクより2022ねん3がつ25にち閲覧えつらん
  11. ^ 建物たてもののご紹介しょうかい”. 神奈川かながわ県立けんりつ歴史れきし博物館はくぶつかん. 2022ねん3がつ25にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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研究けんきゅう文献ぶんけん
  • 山口やまぐち和雄かずお加藤かとう俊彦としひこへんりょう大戦たいせんあいだ横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう日本にっぽん経営けいえい研究所けんきゅうじょ、1988ねん
  • 白鳥しらとりけいこころざし横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう研究けんきゅう 外国がいこく為替かわせ銀行ぎんこう経営けいえい組織そしき構築こうちく吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2021ねん

外部がいぶリンク

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