下田 市
しもだし | |||||
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22219-4 | |||||
8000020222194 | |||||
104.38km2 | |||||
18,673 ( | |||||
179 | |||||
( | |||||
オオシマザクラ | |||||
アジサイ | |||||
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〒415-8501 | |||||
www | |||||
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概要
1854
1928
その
2011
地勢
歴史
古代
律令 時代
- 680
年 :駿河 国 二 郡 が分離 され、伊豆 国 が誕生 する。 - 686
年 :大津皇子 の謀反 事件 に連座 した帳 内 礦杵道 作 が市内 箕作 に流 されたといわれる。 - 701
年 :伊豆 国 に、田方 、那賀 、賀茂 の3郡 が置 かれる。賀茂 郡 家 が南伊豆 町 下賀茂 辺 に設置 され、賀茂 、築 間 、色 日 、稲梓 、川津 、三島 などの郷 があった。 - 735
年 :伊豆 国 賀茂 郡 稲梓 郷 稲梓 里 の占部 石 麻呂 が調 の麁堅魚 を貢 納 する(平城京 出土 木簡 )。 - 9
世紀 中頃 :稲梓 郷 は大社 郷 に改称 。 - 10
世紀 :色 日 郷 は月間 郷 と合併 。 - 10 - 11
世紀 :金山 遺跡 -砂鉄 と木炭 を原料 にタタラで製鉄 が行 われた跡 。
鎌倉 時代 から室町 時代 まで
- 1180
年 :源 頼朝 が、平家 打倒 のため、韮山 で挙兵 。 - 1334
年 :現在 、河内 の重 福 院 にある宝 篋印塔 (静岡 県 指定 文化財 )が建立 される。 - 1399
年 :「下田 村 若宮 」と刻 まれた鰐口 が、下田 八幡 神社 に奉納 される。「下田 」の地名 が出 てくる最初 の例 。 - 1498
年 :伊勢 新九郎 (北条早雲 )、深 根城 に立 て篭 もる足利茶々丸 、関戸 吉信 を滅 ぼす。
戦国 時代 から江戸 時代 まで
- 1588
年 :後 北条 氏 は下田 城 を築 き、清水 康 英 を城主 とする。 - 1590
年 :豊臣 秀吉 の小田原 攻 めにより、下田 城 攻 防戦 。4月 末 に、落城 。徳川 家康 麾下 の戸田 忠次 が下田 城主 となる。 - 1601
年 :戸田 忠次 の子 、戸田 尊 次 、三河 に移 封 。下田 、天領 となる。 - 1616
年 :今村 彦兵衛 正勝 、初代 下田 奉行 。須崎 に遠見 番所 を置 く。 - 1623
年 :遠見 番所 、大浦 に移転 。 - 1636
年 :遠見 番所 を改築 して船 改 番所 とし、上下 の廻船 を検問 。入 津 廻船 3千 艘 といわれ繁栄 した。 - 1645
年 :2代目 下田 奉行 、今村 伝四郎 正 長 、自 俸を投 じて武 が浜 に浪 除 堤 を普請 。 - 1664
年 :3代目 下田 奉行 、石野 八兵衛 、大浦 切通 しを開削 。 - 1668
年 :4代目 下田 奉行 、今村 伝三郎 、町内 の水道 敷設 。 - 1683
年 :6代目 下田 奉行 、服部 久右衛門 、井戸水 に切 り替 え、水道 木管 を辻 の木戸 とする。 - 1688
年 :日向 佐土原 藩 の御 手 船 「日向 丸 」、漂着 。御 用材 投棄 の責任 を取 り、乗組 員 16名 が全員 切腹 。(大安寺 に「薩摩 十 六 烈士 の墓 」がある。) - 1721
年 :御 番所 が浦賀 に移転 。下田 奉行 が廃止 され、浦賀 奉行 所 支配 の浦方 御用 所 が置 かれる。 - 1727
年 :餓 人 2,151人 を出 し、1人 宛 荒 麦 3号 60日 分 の夫 食 の救済 を仰 ぐ。 - 1755
年 :白浜 村 の三之 助 がルソンに漂流 後 、中国 から長崎 に送還 。その後 、同様 に下田 の清次 郎等 4名 も帰国 。 - 1793
年 :老中 松平 定信 が海防 検分 のため、伊豆 を巡見 。 - 1815
年 :専修 念仏 行者 徳本 が、巡錫 。稲 田寺 、海善寺 で説教 。 - 1815
年 :南京 船 「永 茂 」が漂着 (翌年 、長崎 に出航 )。 - 1836
年 :下田 町 にうちこわし騒動 、25人 逮捕 。 - 1842
年 :下田 奉行 、再 置 。 - 1843
年 :幕府 、洲 佐 里 崎 と狼煙 崎 に御 台場 を築 く。沼津 藩 も三穂 ヶ崎 に御 台場 を築 く。 - 1844
年 :幕府 、洲 佐 里 崎 と狼煙 崎 の御 台場 廃止 。下田 奉行 所 廃止 。
幕末
- 1849
年 :英 艦 マリーナ号 入港 、海辺 一帯 の測量 強行 。韮山 代官 江川 英龍 が兵 40余人 と大筒 小銃 を携 えて到着 し退去 させる。 - 1853
年 :米 使 マシュー・ペリー浦賀 に来航 、開国 を求 める。高馬 にて反射 炉 の築造 に着手 するが、泥酔 した米兵 が敷地 内 に侵入 するできごとがあったため、高馬 での築造 を中止 。翌年 、韮山 にて改 めて築造 する。 - 1854
年 3月:日米 和親 条約 が神奈川 で調印 。下田 が箱 館 とともに開港 。米 使 ペリー提督 艦隊 が下田 に入港 。下田 奉行 設置 。吉田 松陰 ・金子 重 輔、米 艦 での密航 を企 てる。5月、下田 条約 が了 仙 寺 で調印 。10月、露 使 エフィム・プチャーチン、ディアナ号 で下田 に入港 。11月、安政 東海 地震 による大 津波 で、下田 町 は壊滅 的 な被害 を受 ける。ディアナ号 大破 。12月、日 露 和親 条約 、長楽寺 で調印 。 - 1855
年 :プチャーチン、戸田 で建造 したヘダ号 で帰国 。中村 に、下田 奉行 所 屋敷 が建 てられる。 - 1856
年 :タウンゼント・ハリス、日本 最初 の米国 総領事 として玉泉寺 に着任 。 - 1857
年 :斎藤 きち、タウンゼント・ハリスに仕 えるが3夜 で解雇 。タウンゼント・ハリス、陸路 、江戸 に向 かい、通商 条約 締結 の談判 開始 。 - 1858
年 :日米 修好 通商 条約 、神奈川 小柴 沖 ポーハタン号 上 で調印 (オランダ、ロシア、イギリス、フランスも続 いて調印 )。英国 使節 エルギン伯爵 ジェイムズ・ブルース搭乗 の英 蒸気 船 艦隊 下田 入港 。 - 1859
年 6月 :横浜 港 開港 。玉泉寺 の領事館 閉鎖 。タウンゼント・ハリス公使 となり、江戸 善福寺 [要 曖昧 さ回避 ]に移 る。12月、下田 閉港。 - 1860
年 :下田 奉行 廃止 。 - 1861
年 :ヘンリー・ヒュースケン、芝 赤 羽 で攘夷 派 に襲 われ死亡 。 - 1862
年 4月 :タウンゼント・ハリス帰国 。 - 1863
年 :第 14代 将軍 徳川 家茂 、海路 で上洛 途中 、西風 に阻 まれ下田 の海善寺 に止宿 。 - 1864
年 :御蔵島 に座礁 した米 船 「ヴァイキング号 」乗組 員 や広東 人 乗員 460人 が下田 に送 られる。
明治 期
- 1868
年 (明治 1年 ):伊豆 は韮山 県 と一部 菊間 藩 などの支配 となる。 - 1869
年 (明治 2年 ):稲生 沢 、下田 、稲梓 に打 ちこわし事件 が起 こる。 - 1870
年 (明治 3年 ):神子元島 灯台 完成 。※現存 する日本 最古 の現役 灯台 (国 の史跡 に指定 )。 - 1871
年 (明治 4年 ):韮山 県 廃止 により伊豆 は足柄 県 の管轄 となる。 - 1872
年 (明治 5年 ):7月 、下田 郵便 局 設置 される。 - 1873
年 (明治 6年 ):新 民 学校 など、小学校 が各地 に創立 される。 - 1874
年 (明治 7年 ):上大 賀茂 村 と下 大賀茂 村 が合併 。大賀茂 村 となる。7月、下田 警察 署 創 置 される。 - 1875
年 (明治 8年 ):岡 方 村 、下田 町 に吸収 合併 。上大沢 村 と下 大沢 村 合併 、大沢 村 に。 - 1876
年 (明治 9年 ):足柄 県 廃止 、伊豆 国 は静岡 県 に編入 、静岡 県 第 九大 区 とす。須郷 深山 入会 地 をめぐり、9か村 の争論 起 こる。「馬場 七 騒動 」( - 1882年 )。 - 1877
年 (明治 10年 ):茅原 野村 、北野 沢村 、本 須郷 村 、新 須郷 村 が合併 、須原 村 となる。 - 1878
年 (明治 11年 ):賀茂 郡 所属 の伊豆諸島 は、東京 府 管轄 となる。稲生 沢橋 (下田 橋 )が初 めて架 けられた。タウンゼント・ハリス、ニューヨークで死去 。 - 1879
年 (明治 12年 ):大小 区 制 廃止 、郡 制 施行 。賀茂 那賀 郡 役所 設置 (宝 福 寺 が仮 庁舎 )。私立 豆 陽 学校 創立 (のちの静岡県立下田北高等学校 、現在 の静岡 県立 下田 高等 学校 )。治安 裁判所 創 置 。 - 1883
年 (明治 16年 ):稲生 沢川 河口 浚渫 工事 が始 められた。 - 1884
年 (明治 17年 ):数 村 を合 して戸長 役場 を置 くこととなり、下田 、柿崎 、須崎 、白浜 の一 町 三 村 の役場 を下田 に置 いた。下田 沖 に漂着 したアメリカ船 の船員 により、「こっくりさん」が日本 に伝 えられたといわれる。 - 1888
年 (明治 21年 )4月 :下田 銀行 設立 。 - 1889
年 (明治 22年 ):市町村 制 施行 、自治 制 が定 められた(今 までの戸長 、人民 惣 代 、什長等 の制度 を廃 して町長 、助役 、収入 役 、書記 を置 いた)。下田 町 、稲 梓 村 、稲生 沢村 、浜崎 村 、朝日 村 となる。 - 1890
年 (明治 23年 ):斎藤 きち(唐人 お吉 )、稲生 沢川 門 栗 で溺死 (享年 50)。稲 生沢 橋 を改造 し、下田 橋 と称 す。 - 1892
年 (明治 25年 ):新 民 学校 を下田 尋常 高等 小学校 と改称 。 - 1894
年 (明治 27年 ):下田 消防 組 設置 。 - 1895
年 (明治 28年 ):下田 町 役場 新築 。 - 1896
年 (明治 29年 ):浜崎 村 より白浜 村 分立 。那賀 ・賀茂 郡 廃止 。新 賀茂 郡 は、城東 村 ・宇久須 村 以南 に郡 域 変更 。 - 1897
年 (明治 30年 )6月 :下田 信用組合 設立 。 - 1898
年 (明治 31年 ):9月22日 、下田 船渠 合資 会社 設立 。 - 1899
年 (明治 32年 ):3月13日 、下田 倶楽部 、下田 町 の青年 有志 により発会 。郡 立中 学 豆 陽 学校 設置 。 - 1901
年 (明治 34年 ):城山 公園 を開 く。武 ヶ浜 に防風 林 として松 を植 栽。神子元島 を下田 町 に払下 げ。 - 1902
年 (明治 35年 )11月11日 :下田 船渠 (株) 設立 。 - 1904
年 (明治 37年 ):下田 伝染 病舎 竣工 。 - 1905
年 (明治 38年 ):天城 新道 完成 。東京湾 汽船 、豆 州 共同 汽船 会社 を吸収 し、伊豆 から東京 への航路 を独占 。5月、町立 女子 技芸 学校 設立 。 - 1906
年 (明治 39年 ):下田 橋 改修 。 - 1907
年 (明治 40年 )6月 :岩崎 吉太郎 、南 豆 電氣 (株) 設立 。 - 1908
年 (明治 41年 ):河津川 水力 電気 (株) 創立 。10月21日 、吉田 松陰 五 十 年 祭 、下田 八幡 神社 で開催 。11月1日 、下田 町 役場 主催 の開港 五 十 年 祭 (五 十 回忌 大法 会 )、玉泉寺 で開催 。 - 1911
年 (明治 44年 )1月 1日 :河津川 水力 電気 (株) 開業 。4月5日 、賀茂 郡 役所 新築 。都 新聞 に「洋妾 (らしゃめん)物語 」(作者 :信田 葛葉 )連載 。※唐人 お吉 について最初 の発表 。 - 1912
年 (明治 45年 ・大正 元年 ):6月17日 、下田 橋 が洪水 で流失 。城山 御料林 が国 からの払下 げを受 け下田 町 有 林 となった(同時 に狼煙 崎 、赤根 島 、犬走 島 、みさご島 の払下 げを受 ける)。足立 鍬 太郎 、賀茂 郡 立 豆 陽 学校 長 に着任 。
大正 期 から第 二 次 大戦 終戦 まで
- 1913
年 (大正 2年 ):下田 橋 を架設 。信田 葛葉 「薔薇 娘 」刊行 。※「洋妾 物語 」の単行本 化 。 - 1914
年 (大正 3年 ):3月3日 、下岡 蓮杖 死去 。6月19日 、「伊豆 鏡 」刊 。7月28日 、「南 豆 風土 誌 」刊 。 - 1915
年 (大正 4年 ):2月 28日 、下田 自動車 (株) 、開業 (静岡 県 史 年表 )。4月29日 、下田 町 町會 で下田 町 の紋章 を決議 。 - 1916
年 (大正 5年 ):2月 20日 下田 自動車 (株) 設立 。3月23日 、下田 -大仁 間 路線 運行 開始 (静岡 県 史 年表 )。 - 1917
年 (大正 6年 ):蓮台寺 に、久原 鉱業 (株) 河津 鉱業 所 を開設 。12月、須崎 町 より出火 し武 ヶ浜 類焼 する。焼失 家屋 82。 - 1918
年 (大正 7年 ):9月18日 、南 豆 馬車 鉄道 (株) 設立 (蓮台寺 -武 ヶ浜 間 )※静岡 県 史 年表 。下田 町 青年 団 創立 。 - 1919
年 (大正 8年 ):東洋 練乳 設立 (その後 、森永乳業 )。豆 陽 中学校 、県 へ移管 。 - 1920
年 (大正 9年 ):3月1日 、蓮台寺 鉱山 鉱夫 スト。全国 鉱夫 同盟 会 蓮台寺 支部 発会 。4月、郡 立 賀茂 高等 女学校 開校 (のちの静岡県立下田南高等学校 、現在 の静岡 県立 下田 高等 学校 )。 - 1922
年 (大正 11年 ):5月27日 、下田 港 、国 指定 港湾 となる。11月、東京湾 汽船 、清水 -下田 間 航路 開設 (静岡 県 史 年表 )。郡 立 賀茂 高等 女学校 が県 へ移管 、県立 下田 高等 女学校 となる。 - 1923
年 (大正 12年 ):9月1日 、関東大震災 。激震 15分 後 、津波 3度 あり浸水 家屋 300戸 。 - 1924
年 (大正 13年 ):10月1日 、雑誌 「黒船 」創刊 。 - 1925
年 (大正 14年 ):開国 70年 。3月、下田 神津島 間 無線 電信 局 開局 。4月16日 、エドガー・バンクロフト駐 日米 大使 がタウンゼント・ハリスゆかりの場所 を訪 ねるべく、下田 を訪問 。村松 春水 、雑誌 「黒船 」に唐人 お吉 について発表 。下田 幼稚園 開園 。 - 1926
年 (大正 15年 ・昭和 元年 ):3月 10日 、「下田 之 友 」創刊 。9月、ポール・クローデル駐 日 仏 大使 来訪 。 - 1927
年 (昭和 2年 ):9月、下田 公園 循環 道路 が和歌 の浦 まで完成 。10月、玉泉寺 にハリス記念 碑 建立 、除幕 式 。下田 町 、武 ヶ浜 塵芥 捨場に衛生 上 の問題 が多 く、芥 焼場 を敷根 に設置 。昭和 金融 恐慌 。 - 1928
年 (昭和 3年 ):昭和 自動車 創業 (のちの伊豆下田 バス)。十一谷 義三郎 、「唐人 お吉 」発表 。川端 康成 、「伊豆 の踊子 」出版 。下岡 蓮杖 碑 除幕 。 - 1929
年 (昭和 4年 ):十一谷 義三郎 、「時 の敗者 唐人 お吉 」を東京 朝日新聞 に連載 。5月、河津川 水力 電気 (株) は東邦 電力 の傘下 に入 る。7月13日 、田方 ・賀茂 郡 町村 長 会 、河津川 水力 電気 (株) 電灯 料 値下 げ第 1回 交渉 を元 賀茂 郡 役所 で開始 。8月、真山 青果 「唐人 お吉 」が歌舞伎座 で市川 松 蔦 のお吉 で初演 。循環 道路 第 2期 工事 (赤根島 まで)完成 。10月、下田 婦人 会 創立 。10月2日 、下田 町 役場 新 庁舎 落成 式 。10月24日 、世界 恐慌 始 まる。11月3日 、第 1回 町民 体育 大会 開催 。11月17日 、東京 航空 輸送 社 、東京 -下田 間 の定期 航空 路 開設 。 - 1930
年 (昭和 5年 ):5月21日 、武山 閣 開設 。11月、下田 町 で初 めての水道 給水 開始 (毎日 数時間 、共用 栓 27箇所 )。11月26日 、豆 相 大震災 強震 。 - 1931
年 (昭和 6年 )4月 1日 :東京 航空 輸送 (株) 、東京 -下田 -清水 間 の定期 航空 路 開設 。7月16日 、東京湾 汽船 貨物 船 次郎丸 、大工 町 河岸 にて爆破 。焼死 者 2名 。 - 1932
年 (昭和 7年 )3月 :下田 銀行 、伊豆 銀行 に吸収 合併 (その後 、伊豆 銀行 も1943年 (昭和 18年 )6月 に静岡銀行 に吸収 合併 )。9月11日 、了 仙 寺 境内 に綿 吉 当主 、元 下田 町長 、鈴木 吉兵衛 の銅像 建立 。11月11日 、下田 自動車 、東海自動車 に吸収 合併 。 - 1933
年 (昭和 8年 )3月 :森永 練乳 (株) 下田 工場 設立 。東京湾 汽船 「葵 丸 」、東京 -大島 -下田 航路 に就航 。伊豆 循環 道路 東海岸 線 伊東 -下田 間 完成 。4月21日 、三井 海洋 生物 学 研究所 落成 。6月11日 、鍋田 海岸 に、東京文理科大 学 (現 筑波大学 )附属 下田 臨海 実験 所 開設 。南 豆 馬車 鉄道 、旅客 営業 休止 。 - 1934
年 (昭和 9年 )4月 20日 - 5月3日 :開港 80周年 記念 、第 1回 「黒船 祭 」挙行 。ジョセフ・グルー駐 日米 大使 らを来賓 に迎 える。下田 幼稚園 、町 に移管 。 - 1935
年 (昭和 10年 ):東京湾 汽船 「橘 丸 」、東京 -大島 -下田 航路 に就航 。下田 温泉 (株) 、河内 から下田 に引湯。 - 1937
年 (昭和 12年 ):8月 、豆 陽 中学校 プール竣工 。8月9日 、県 、満州 農業 移民 対策 協議 会 開催 。下田 港 新 岸壁 完成 。 - 1938
年 (昭和 13年 )9月 18日 :賀茂 青年 団 員 約 40人 、ヒトラーユーゲント派遣 団 一 行 と伊豆 大島 三原 山頂 で交歓 会 。 - 1939
年 (昭和 14年 ):4月 、第 6回 黒船 祭 に米 軍艦 アストリア号 乗組 員 80余 名 特別 参加 。7月12日 、河津 鉱山 で朝鮮 人 労働 者 が争議 。 - 1941
年 (昭和 16年 ):黒船 祭 中止 。5月、河津川 水力 電気 (株) は近隣 の伊豆 水力 電気 ・伊東 水力 電気 ・狩野川 水力 電気 と合併 し、伊豆 合同 電気 に改組 。伊豆 地方 豪雨 により、下田 町 浸水 250戸 、須崎 鉱山 浸水 で閉鉱。 - 1942
年 (昭和 17年 ):伊豆 合同 電気 、関東 配電 に統合 (その後 、関東 配電 は1951年 (昭和 26年 )5月 、電気 事業 再 編成 令 により東京電力 として発足 )。賀茂 教育 会 、柿崎 に吉田 松陰 像 建立 (保田 龍 門 作 )。 - 1943
年 (昭和 18年 ):県下 で米 英 思想 撃滅 運動 。黒船 やお吉 にちなんだ絵葉書 、掲示 、歌集 などの禁止 。 - 1944
年 (昭和 19年 ):雑誌 「黒船 」廃刊 。※黒船 が敵性 用語 として紙 の配給 停止 。 - 1945
年 (昭和 20年 )3月 :海軍 第 16突撃 隊 (16嵐 部隊 )、陸軍 潜水 輸送 隊 が下田 に配属 。4月下田 町 空襲 、その後 も数 回 。7月 第 57震 洋 隊 が和歌 の浦 配備 。8月第 6海龍 隊 が下田 配備 。8月13日 陸軍 潜水 輸送 隊 8号 艇 が鍋田 海岸 において空襲 により撃沈 。
第 二 次 大戦 後 から昭和 末期 まで
- 1946
年 (昭和 21年 ):8月 、南 豆 馬車 鉄道 、貨物 営業 休止 。 - 1947
年 (昭和 22年 ):7月 、1941年 (昭和 16年 )より中断 されていた黒船 祭 が、通算 第 8回 として復活 。 - 1949
年 (昭和 24年 ):下田 中学校 開校 。 - 1951
年 (昭和 26年 ):下田 保育 所 開所 。 - 1952
年 (昭和 27年 ):下田 信用組合 、信用金庫 法 により下田信用金庫 として改組 。 - 1954
年 (昭和 29年 ):縄地 有料 道路 完成 。 - 1955
年 (昭和 30年 ):3月15日 、富士 箱根 国立 公園 に伊豆半島 編入 。3月31日 、下田 町 、浜崎 村 、白浜 村 、稻梓 村 、稻 生澤 村 及 び朝日 村 の6か町村 合併 、改 めて下田 町 が発足 。 - 1957
年 (昭和 32年 ):新町 役場 完成 (4月 1日 より業務 開始 )。東伊豆 道路 の下田 区間 開通 。 - 1958
年 (昭和 33年 ):5月17日 、第 19回 黒船 祭 における式典 の席上 で、下田 市 とペリーの出身 地 であるアメリカ・ロードアイランド州 ニューポート市 との姉妹 都市 提携 成立 を宣言 。6月5日 、新 下田 橋 完成 。8月13日 、羽田 発 名古屋 行 き全日空 ダグラス DC-3が下田 沖 に墜落 (全日空 下田 沖 墜落 事故 )。乗客 30人 、乗員 3人 全員 死亡 。10月1日 、下田 町 国民 健康 保険 実施 。 - 1959
年 (昭和 34年 ):3月31日 、日本 鉱業 (株) 河津 鉱業 所 が操業 停止 。 - 1960
年 (昭和 35年 ):4月 、当時 の鈴木 貞雄 町長 ら一 行 がニューポート市 を初 訪問 。この年 は日米 修好 100周年 の節目 であった。 - 1961
年 (昭和 36年 ):10月 20日 、伊豆急行 伊豆急行線 の伊東 -伊豆 急 下田 間 全線 完工 。12月10日 、伊豆急行線 営業 開始 。下田 ロープウェイ開業 。 - 1962
年 (昭和 37年 ):1月 、伊豆下田 農協 設立 。6月3日 、北海道 音更 町 の十勝川温泉 と姉妹 温泉 の観光 提携 。8月24日 、三宅島 が大 噴火 。8月29日 、三宅 島 の島民 が東海汽船 で下田 町 へ避難 。 - 1964
年 (昭和 39年 ):柿崎 武 山地 先 の公有 水面 埋 め立 て(昭和 40年 1月 14日 竣工 認可 。現 ・外 ヶ岡 。)。 - 1966
年 (昭和 41年 ):5月7日 、群馬 県 沼田 市 と姉妹 都市 提携 。9月1日 、下田 テレビ協会 (SHK)開局 。12月16日 、下田 船渠 (株) 武ガ浜 工場 に1,000トン船台 完成 。 - 1967
年 (昭和 42年 ):下田 町 消防署 庁舎 落成 。9月15日 、第 1回 日米 関係 民間 会議 (下田 会議 )、反対 派 抗議 。下田 海中 水族館 開業 。南 豆 衛生 プラント落成 。 - 1968
年 (昭和 43年 ):八 百 半 デパート下田 店 開業 。6月、じん芥 処理 場 、現在地 に移転 。11月1日 、第 1次 住居 表示 実施 (一 丁目 、二 丁目 、三 丁目 の一部 )。 - 1969
年 (昭和 44年 ):9月1日 、第 2次 住居 表示 実施 (三 丁目 の一部 、五 丁目 、六 丁目 )。 - 1970
年 (昭和 45年 ):5月1日 、第 3次 住居 表示 実施 (柿崎 、武ガ浜 )。5月6日 、落合 浄水 場 竣工 。下田 町 漁協 設立 。 - 1971
年 (昭和 46年 ):1月 1日 、市制 施行 で下田 市 発足 、県下 19番目 の市 。11月5日 、須崎 御用邸 完成 。 - 1972
年 (昭和 47年 ):1月 、下田 船渠 、大野 造船 、下田 造船 が合併 。4月5日 、武ガ浜 -柿崎 に渚 ライン開通 。10月、下田 船渠 (株) 武ガ浜 新 工場 完成 (3,000トン船台 。12月、4,300トン、昭和 48年 10月 、5000トン、昭和 49年 10月 、7,500トンに拡張 )。11月15日 、浜崎 共同 調理場 完成 。 - 1973
年 (昭和 48年 ):1月 11日 、下田 市 観光 キャッチフレーズとして一般 公募 25,021点 の中 から「伊豆 の太陽 」が特選 として採用 される(佳作 として、一席 「海 と遊 ぼう歴史 と話 そう」、二 席 「昔 がある今 がある こころがある」、三 席 「黒船 も最初 に選 んだ伊豆下田 」、四 席 「日本 の心 をひらいた町 」、五 席 「花 と波 とあなたと・・・」)。4月30日 、本郷 地区 住居 表示 実施 (東本郷 1-2丁目 、西本郷 1-3丁目 、敷根 、高馬 )。11月、市議会 で「伊豆 急 ショッピングセンター建設 に反対 する請願 」を採択 。12月、市 が下水道 計画 を発表 。浄化 センターは柿崎 赤崎 海面 埋立 を予定 。地元 柿崎 地区 が反対 。 - 1974
年 (昭和 49年 ):1月 4日 、石油 危機 の影響 により市役所 に物資 対策 本部 設置 。3月30日 、5月9日 、伊豆半島 沖 地震 。建物 や商品 などに大 きな損害 。市内 被害 額 およそ20億 円 。 - 1975
年 (昭和 50年 ):第 36回 黒船 祭 に、当時 のニューポート市長 ハンフリー・J・ドネリー夫妻 が参加 。ニューポート市長 の訪問 はこれが初 めて。10月8日 、稲梓 、稲生 沢 を中心 に集中 豪雨 。死者 4人 、床上 浸水 600余 戸 の大 被害 。災害 救助 法 発動 。 - 1976
年 (昭和 51年 ):7月 11日 、集中 豪雨 。死者 5人 、床上 浸水 1,200戸 。道路 寸断 、伊豆 急 不通 となり、観光 客 6,000人 余 を船 延 べ21隻 で下田 港 から伊東 、熱 海港 へピストン輸送 。10月9日 、再 び集中 豪雨 が発生 。床上 浸水 10戸 、床下 浸水 39戸 [2]。 - 1977
年 (昭和 52年 ):4月 20日 、伊豆 急 下田 駅 前 に、伊豆 急 ショッピングセンター「サンプラーザ」(現 、東急 ストア下田 店 )開店 。初日 、1万 5千 人 の人出 。 - 1978
年 (昭和 53年 ):1月 14日 、伊豆 大島 近海 の地震 。6月22日 、集中 豪雨 により、南 豆 各地 で浸水 、土砂崩 れ被害 。 - 1979
年 (昭和 54年 ):6月27日 、カーター米 大統領 が来 下 。下田 中学校 の体育館 を会場 にタウンミーティングを開催 するとともに、市内 中心 部 でパレードを行 った。 - 1982
年 (昭和 57年 ):4月 1日 、有料 道路 だった東伊豆 道路 がこの日 より無料 開放 。現在 の国道 135号 。 - 1984
年 (昭和 59年 ):3月17日 、中島 橋 交差点 から了 仙 寺前 に至 る下田 マイマイ通 り(市道 平滑 中島 線 )開通 式 。この年 より、ニューポート市 でも「黒船 祭 」と称 して催事 を開始 。下田 市 からも友好 使節 団 が派遣 されている。 - 1985
年 (昭和 60年 ):3月23日 、「下田 ワイワイ」開催 。町 おこしの一環 として市内 の経済 団体 や官公庁 が市民 総 参加 の祭 りを創出 すべく実行 委員 会 を発足 させて実施 。 - 1986
年 (昭和 61年 ):2月 17日 、県 下田 総合 庁舎 、新築 落成 。11月21日 、伊豆 大島 三原山 噴火 、全 島民 避難 。 - 1987
年 (昭和 62年 ):8月 、浄化 センター用地 埋立 工事 着手 、11月27日 、下田 船渠 解散 決議 、138人 の従業 員 全員 解雇 。11月30日 、同 労組 が職場 占拠 。 - 1988
年 (昭和 63年 ):1月 、下田 船渠 、労組 が自主 生産 開始 。9月16日 、新 下田 ドック(株) 設立 。10月営業 開始 。
平成 以降
- 1989
年 (平成 元年 ):4月 26日 、下田 市民 文化 会館 開館 。5月、第 50回 黒船 祭 開催 、あわせて記念 誌 が発刊 された。7月、浄化 センター用地 埋立 工事 完了 。 - 1990
年 (平成 2年 ):10月1日 、伊豆下田 農協 、伊豆 東 農協 、南伊豆 町 農協 、西伊豆 農協 の合併 により、伊豆 太陽 農協 設立 。 - 1991
年 (平成 3年 ):9月 10日 、伊豆半島 南部 集中 豪雨 。 - 1992
年 (平成 4年 ):5月、浄化 センター処理 開始 。須崎 地区 一部 下水道 供用 開始 。 - 1993
年 (平成 5年 ):8月 31日 、新 下田 ドック(株) 、解散 。12月、桧沢 林道 沿 いの産業 廃棄 物 処理 施設 からの公害 被害 が広 がる。 - 1994
年 (平成 6年 ):ペリーロードが第 7回 静岡 県 都市 景観 賞 で最優秀 賞 (静岡 県知事 賞 )を受賞 。 - 1995
年 (平成 7年 ):9月、石廊崎 沖 で不審 な台湾 船 発見 。中国人 密航 者 57人 逮捕 。10月桧沢 林道 沿 いの産廃 埋立 処分 場 で火災 (翌月 にも隣接 する事業 者 の処分 場 で火災 )。 - 1996
年 (平成 8年 ):5月、桧沢 の産廃 施設 で火災 。7月 産廃 公害 反対 の住民 運動 「自然 破壊 と廃棄 物 公害 を防止 する住民 連合 会 」始 まる。 - 1998
年 (平成 10年 ):8月 、桧沢 の産廃 焼却 場 の上空 に敷設 の東京電力 の送電 線 の断線 により南伊豆 町 一帯 の停電 事故 発生 。9月、産廃 埋立 処分 場 の実質 的 経営 者 ら4人 逮捕 。無 許可 で産廃 を埋 め立 てた疑 い。10月2日 下田 市議会 、市民 グループから2,842人 の署名 により直接 請求 された「下田 市 における『外 ヶ岡 交流 拠点 』(リープロ施設 )建設 の是非 を問 う住民 投票 に関 する条例 の制定 について」を反対 多数 で否決 (賛成 3、反対 14)。 - 1999
年 (平成 11年 ):4月 、桧沢 の産廃 焼却 施設 事業 者 の産廃 収集 運搬 業 ・同 処分 業 、特 管 産廃 収集 運搬 業 ・同 処分 業 の各 許可 取消 。9月下田 港 沖 防波堤 建設 に伴 い、特殊 潜航 艇 海龍 が海中 で発見 される。 - 2000
年 (平成 12年 ):7月 、三宅島 噴火 。9月三宅島 漁業 関係 者 が下田 市 に避難 。11月、ベイ・ステージ下田 (現在 の道 の駅 開国 下田 みなと)開館 。「伊豆 新 世紀 創造 祭 」が「チェンジ伊豆 2000」を標語 として開催 。 - 2002
年 (平成 14年 ):10月、下田信用金庫 は伊豆信用金庫 と合併 [3](その後 、伊豆信用金庫 も2006年 (平成 18年 )年 10月 16日 に三島信用金庫 と合併 [4])。 - 2003
年 (平成 15年 ):12月、下田 市 ・河津 町 ・南伊豆 町 の法定 合併 協議 会 解散 。 - 2004
年 (平成 16年 ):6月 、南伊豆 町議会 、下田 市 ・南伊豆 町 合併 協議 会 の設置 議案 否決 。 - 2005
年 (平成 17年 ):4月 16日 、政府 主催 の日 露 修好 150周年 記念 式典 及 び記念 講演 会 開催 。 - 2006
年 (平成 18年 ):10月、伊豆下田 バス営業 廃止 。南伊豆 東海 バス・新 東海 バスに事業 譲渡 。 - 2007
年 (平成 19年 ):7月 1日 、家庭 ごみ収集 の有料 化 開始 (市 指定 ごみ袋 にごみ収集 手数料 を設定 )。 - 2008
年 (平成 20年 ):3月 末 、県立 下田北 高校 と県立 下田南 高校 が閉校 。4月1日 、両校 を統合 し、新 たに県立 下田 高校 が開校 。 - 2009
年 (平成 21年 ):6月 、松崎 ・南伊豆 町 両 議会 の合併 議案 否決 により、賀茂 地区 合併 破綻 (下田 市 ・河津 町 ・南伊豆 町 ・松崎 町 )。 - 2011
年 (平成 23年 ):黒船 祭 、東日本 大震災 の影響 などにより中止 。代 わりに市民 有志 により5月 21日 ・22日 にチャリティーイベントが開催 された。 - 2012
年 (平成 24年 ):5月1日 、旧 ・県立 下田南 高校 跡地 に下田 メディカルセンター開院 (南伊豆 町 にあった共立湊病院 が下田 市 に新築 移転 )。 - 2014
年 (平成 26年 ):4月 、市立 下田 認定 こども園 開園 。9月30日 、SHK、小林 テレビなど市内 をサービスエリアとするCATV事業 者 が在京 キー局 のうち4局 (日本 テレビ・テレビ朝日 ・TBSテレビ・フジテレビ)の区域 外 再 送信 を終了 (なお、静岡 県内 に系列 局 のないテレビ東京 は引 き続 き視聴 可能 )。11月18日 、神 新 汽船 の「あぜりあ丸 」、半 世紀 にわたる運航 を終 えて引退 。12月19日 、前述 の「あぜりあ丸 」の後継 船 「フェリーあぜりあ」就航 。 - 2015
年 (平成 27年 ):5月、第 76回 黒船 祭 において下田 市 PRマスコットキャラクター「ぺるりん」お披露目 。12月11日 、市議会 、市庁舎 の敷根 民有 地 移転 の条例 改正 案 を否決 。議員 定数 13人 中 賛成 7人 ・反対 6人 で、可決 に必要 な出席 議員 の3分 の2以上 の賛成 を得 られなかった。 - 2016
年 (平成 28年 ):同年 7月 より市長 に就任 した福井 祐輔 が、下田 市 PRマスコットキャラクター「ぺるりん」について嫌悪 感 を露 わに存在 を否定 する発言 を行 い、物議 を醸 す。9月、市内 須崎 に完成 の新 ・学校 給食 センター、同 年度 2学期 の開始 に合 わせ本格 稼働 。 - 2017
年 (平成 29年 ):4月 1日 、同日 付 で施行 の過疎 地域 自立 促進 特別 措置 法 の一部 を改正 する法律 に基 づき、下田 市 の全域 が過疎 地域 の要件 に該当 する地域 として指定 される。7月21日 、THE ROYAL EXPRESS(ザ ロイヤル エクスプレス)の運行 開始 。10月2日 、市議会 9月 定例 会 において、市庁舎 を河内 の稲 生沢 中学校 近傍 へ移転 する旨 の条例 改正 案 を否決 。議論 の中 で「市民 への説明 不足 」との指摘 があったことからその後 2か月 あまりをかけて市民 向 けの説明 会 等 を実施 のうえ、12月7日 の市議会 12月 定例 会 において再 び議題 にかけ、採決 の結果 、議員 定数 13人 中 賛成 11人 ・反対 2人 で、賛成 が出席 議員 の3分 の2を超 え可決 。 - 2019
年 (平成 31年 ):3月15日 、県 より告示 の稲生 沢川 洪水 浸水 想定 区域 図 にて、新 市庁舎 建設 予定 地 は2.2メートルの浸水 地域 に含 まれていることが判明 。 - 2019
年 (令 和 元年 ):5月、第 80回 黒船 祭 開催 。平成 元年 に発刊 された第 50回 記念 誌 を継承 し、さらに第 50回 以降 の開催 内容 を加筆 した、第 80回 記念 誌 が発刊 された。 - 2020
年 (令 和 2年 ):1月 、新 市庁舎 建設 工事 の入札 が不調 に終 わる。3月13日 、特急 スーパービュー踊 り子 の運行 終了 。翌 3月 14日 、特急 サフィール踊 り子 の運行 開始 。3月16日 、黒船 祭 について新型 コロナウイルス感染 拡大 のため中止 を決定 した。7月16日 、下田 市 独自 の新型 コロナウイルス対策 「下田 モデル」を提唱 するとともに、これに基 づく具体 的 行動 として「下田 ルール」を実施 した。「下田 モデル」は翌 2021年 7月 に改訂 し「新 ・下田 モデル」として運用 中 。11月、市役所 移転 事業 の延期 を表明 。新型 コロナウイルス感染 症 の影響 による財源 不足 と計画 地 の浸水 対策 で設計 の見直 しが必要 になったことが理由 。 - 2021
年 (令 和 3年 ):1月 1日 、市制 施行 50周年 。1月14日 、市制 施行 50周年 記念 式典 を下田 市民 文化 会館 にて挙行 。12月19日 、NHK静岡放送局 開局 90周年 ならびに市制 施行 50周年 記念 として「NHKのど自慢 」を下田 市民 文化 会館 にて公開 生放送 。 - 2022
年 (令 和 4年 ):4月 1日 、少子化 の影響 に伴 い、市内 4校 の中学校 を再編 。稲梓 、稲生 沢 、下田東 の3校 を下田 中学校 へ統合 。これにより市内 の中学校 は下田 中学校 1校 のみとなった。4月1日 、伊豆 太陽 農協 が県 東部 地域 の各 農協 と統合 し富士 伊豆 農業 協同 組合 (JAふじ伊豆 )として発足 。7月から8月 の海水浴 場 開設 期間 中 、白浜 大浜 海水浴 場 において、反 社会 的 勢力 の資金 源 のひとつとされる違法 営業 の貸 パラソル業者 等 の締 め出 しを目的 に、格闘技 興行 ・アイドルの野外 イベント・渋谷 のハロウィンなどで実績 のある都内 の警備 会社 と契約 し警備 員 を現地 に投入 。 - 2023
年 (令 和 5年 ):3月、この時点 で市内 唯一 の幼稚園 であった下田 幼稚園 が、市立 下田 認定 こども園 への統合 により閉園 。7月25日 、市役所 移転 事業 の一環 として旧 ・稲生 沢中 学校 校舎 を整備 ・改築 する工事 の起工式 を挙行 。7月28日 、本市 初 のマンホールカードの配布 を開始 。 - 2024
年 (令 和 6年 ):4月 、旧 ・稲生 沢中 学校 校舎 を活用 した市役所 新 庁舎 が完成 し、4月 21日 に記念 式典 を挙行 、4月 30日 より現 庁舎 から一部 機能 を移転 し業務 開始 。
人口
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行政
現職 首長
歴代 首長
1 | 1955 |
1962 |
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2 | 1962 |
1964 |
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3 | 1964 |
1970 |
2 |
1 | 1971 |
1976 |
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2 | 1976 |
1984 |
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3 | 1984 |
2000 |
||
4 | 2000 |
2012 |
2000 | |
5 | 2012 |
2016 |
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6 | 2016 |
2020 |
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7 | 2020 |
県 の機関
公共 施設
地区
稲梓 (いなずさ)地区 -旧 稲 梓 村 須原 (すはら) -旧 須原 村 (旧 茅原 野村 ・旧 北 野沢 村 ・旧 本 須郷 村 ・旧 新 須郷 村 )宇土金 (うどがね) -旧 宇土金 村 箕作 (みつくり) -旧 箕作 村 荒増 (あらぞう) -旧 荒増 村 堀之内 (ほりのうち) -旧 堀之内 村 落合 (おちあい) -旧 落合 村 北湯ケ野 (きたゆがの) -旧 北 湯 ヶ野村 椎原 (しいばら) -旧 椎原 村 相玉 (あいたま) -旧 相玉 村 横川 (よこかわ) -旧 横川 村 加増野 (かぞうの) -旧 加増野 村
稲生 沢 (いのうざわ)地区 -旧 稲生 沢村 河内 (こうち) -旧 河内 村 立野 (たちの) -旧 立野 村 蓮台寺 (れんだいじ) -旧 蓮台寺 村 大沢 (おおさわ) -旧 大沢 村 (旧 下 大沢 村 ・旧 上大沢 村 )本郷 (ほんごう) -旧 本郷 村 高馬 (たこうま)西本郷 (にしほんごう)東本郷 (ひがしほんごう)
敷根 (しきね)中 (なか) -旧 中村 西中 (にしなか)東 中 (ひがしなか)
白浜 (しらはま)地区 白浜 (しらはま) -旧 白浜 村
浜崎 (はまざき)地区 -旧 浜崎 村 柿崎 (かきさき) -旧 柿崎 村 須崎 (すざき) -旧 須崎 村
旧 下田 地区 -旧 下田 町 一 丁目 -六 丁目 旧岡方 村 (きゅうおかがたむら) -旧岡方 村 武ガ浜 (たけがはま)-旧 下田 町 、旧 柿崎 村 外 ケ岡 (そとがおか)-旧 6か町村 合併 後 、埋立 で生 じた土地
朝日 (あさひ)地区 -旧 朝日 村 大賀 茂 (おおがも) -旧 上 大賀茂 村 、旧 下 大賀茂 村 吉佐美 (きさみ) -旧 吉佐美 村 田牛 (とうじ) -旧 田牛 村
姉妹 都市
フラワー都市 交流
1983
中富良野 町 (北海道 ):町 のシンボル花 - ラベンダー
長井 市 (山形 県 ):市 のシンボル花 - アヤメ
砺波 市 (富山 県 ):市 のシンボル花 - チューリップ
下田 市 (静岡 県 ):市 のシンボル花 - スイセン大野 町 (岐阜 県 ):町 のシンボル花 - バラ
宝塚 市 (兵庫 県 ):市 のシンボル花 - スミレ
萩 市 (山口 県 ):市 のシンボル花 - ツバキ
久留米 市 (福岡 県 ):市 のシンボル花 - ツツジ
和泊 町 (鹿児島 県 ):町 のシンボル花 - エラブユリ
産業
下田 市 観光 協会 伊豆 白浜 観光 協会 下田 商工 会議 所 下田 市 漁業 協同 組合 富士 伊豆 農業 協同 組合 伊豆 太陽 地区 本部 (旧 :伊豆太陽農業 協同 組合 )
漁業
海水浴 場
学校
大学 の付属 機関
専門 学校
高等 学校
中学校
小学校
下田 市立 下田 小学校 下田 市立 朝日 小学校 下田 市立 稲梓 小学校 下田 市立 稲 生沢 小学校 下田 市立 大賀茂 小学校 下田 市立 白浜 小学校 下田 市立 浜崎 小学校 静岡 県立 東部 特別 支援 学校 伊豆下田 分校 小学 部 ・中学 部
交通
鉄道
路線 バス
道路
港湾 ・航路
名所 ・旧跡 ・観光 施設 など
寺社
白浜 神社 (伊 古奈 比 咩命神社 ) -市内 白浜 。伊豆 最古 の神社 。県 指定 文化財 。八幡 神社 -市内 一 丁目 。下田 市街地 の中心 的 な神社 。毎年 8月 14日 と同 15日 の2日間 にかけて開催 される例 大祭 は「太鼓 祭 り」の通称 で、下田 の夏 の風物詩 として親 しまれている。玉泉寺 -市内 柿崎 。日本 最初 の米国 領事館 が設 けられた。国 の史跡 。宝 福 寺 -市内 一 丁目 。唐人 お吉 の菩提寺 。了 仙 寺 -市内 三 丁目 。下田 条約 締結 の地 。5月になると境内 に植 栽しているアメリカジャスミン(ニオイバンマツリ)が見頃 を迎 え、境内 は紫色 の花 と香 りに包 まれる。国 の史跡 。長楽寺 -市内 三 丁目 。日 露 和親 条約 が調印 された寺 。宝物 館 あり。
開国 関連
弥 冶川界隈 (ペリーロード) -市内 三 丁目 。平滑 川 河口 から了 仙 寺 に至 る川 沿 いの道 。下田 条約 締結 のために稲生 沢川 河口 付近 に上陸 したペリー艦隊 一 行 が、この道 を行進 して了 仙 寺 へ向 かったとされる。かつては花柳 街 だった。なまこ壁 や伊豆 石造 りの民家 などがあり、風情 あるたたずまいを見 せる。- ハリスの
小径 -下田 湾 の柿崎 にある遊歩道 。特攻 艇 震 洋 の格納 壕 跡 がある。 下田 開国 博物館 -市内 四 丁目 。開国 や下田 の民俗 を物語 る品々 を展示 。黒船 ミュージアム「Mobs」(モッブス) -市内 三 丁目 、了 仙 寺 の敷地 内 。2016年 1月 1日 、了 仙 寺 にて所蔵 する開国 に関 する資料 を展示 ・公開 する施設 として開館 した。吉田 松陰 寓 寄 所 -市内 蓮台寺 。下田 湾内 に停泊 する黒船 に便乗 してアメリカへ密航 しようと企 てた吉田 松陰 が、下田 港 へ向 かう途上 で数日 間 滞在 した邸宅 。かねてより患 っていた皮膚 病 の湯治 のために立 ち寄 った蓮台寺 温泉 で懇意 となった地元 の医師 の邸宅 であり、滞在 当時 そのままの姿 を今 に伝 えている。県 指定 文化財 。安直 楼 -市内 三 丁目 。唐人 お吉 が晩年 に経営 していた小料理 屋 跡 。お吉 自身 も飲 みながら接客 していたため、酔 った勢 いで客 と喧嘩 することがたびたびあり、悪評 が広 まって店 自体 は数 年 で廃業 。その後 、建物 は別人 の手 に渡 り、所有 者 が寿司 店 を開業 。下田 でも老舗 の部類 に入 る寿司 店 として100年 余 り営業 してきたが1999年 10月 1日 にて閉店 。現在 は前述 の寿司 店 経営 者 の親族 が管理 しているが、普段 は県 外 に在住 しており現地 には不在 のため、屋内 は原則 非公開 。ただし、お吉 の命日 である3月 27日 や5月 中旬 の「黒船 祭 」などにあわせて年 に数 回 、不定期 ではあるが、屋内 に風 を通 す目的 で開放 され、その際 に見学 もできる。市 指定 文化財 。
温泉
日帰 り温泉
観音 プリンシプル(観音 温泉 )昭吉 の湯 千 人 風呂 金谷 旅館 (河内 温泉 )- クアハウス
石橋 旅館 (蓮台寺 温泉 ) 下田 プリンスホテル(白浜 温泉 )下田 ベイクロシオ黒船 ホテル昭和 湯 -市内 三 丁目 。賀茂 地区 唯一 の銭湯 。湯 は引湯している。下田大和館 (吉佐美 温泉 )- リブマックスリゾート
伊豆下田 (吉佐美 温泉 )
海水浴 場
白浜 (しらはま)海岸 外浦 (そとうら)海水浴 場 九 十 浜 (くじゅっぱま)海水浴 場 爪木崎 (つめきざき)海水浴 場 (いけんだ (池之 段 )浜 )鍋田 浜 (なべたはま)海水浴 場 吉佐美 (きさみ)海岸 田牛 (とうじ)海水浴 場
サーフィン・スキューバ
- サーフィン
- スキューバ
須崎 ダイビングセンター
須崎 半島 関連
寝 姿 山 関連
下田 港 周辺
- まどが
浜 海 遊 公園 遊覧 船 黒船 サスケハナ -伊豆 クルーズ (加 森 観光 グループ)下田 港内 めぐり。道 の駅 開国 下田 みなと(ベイ・ステージ下田 ) -下田 の名産 や歴史 などの魅力 が分 かる情報 館 。下田 公園 -戦国 時代 に下田 城 があった場所 。日本 で一 二 を争 うアジサイの名所 。循環 道路 を歩 くのも良 い。毎年 6月 に開催 される「あじさい祭 」の会場 。県 指定 文化財 。下田 海中 水族館 -世界 初 の水中 に浮 かぶ水族館 。イルカやアシカのショーも行 われる。神子元島 灯台 -明治 3年 竣工 。下田 港 9km沖合 いの神子元島 にある、現存 する日本 最古 の洋式 灯台 。国 の史跡 。
田牛 関連
美術館
上原 美術館 -大正製薬 名誉 会長 の上原 正吉 と、その妻 で下田 出身 の上原 小枝 より、それぞれ寄付 を受 けた仏教 美術 品 と、正吉 の次男 で同 じく大正製薬 名誉 会長 の上原 昭二 より寄付 を受 けた近代 美術 品 を、所蔵 ・展示 する私設 美術館 。仏教 美術 品 については、現代 仏師 の作 になる百 数 十 体 の木彫 仏像 、平安 時代 の十 一 面 観音 立像 (重要 美術 品 )、鎌倉 時代 の阿弥陀如来 立像 、中国 宋 時代 の菩薩 立像 などを常設 展示 。平山 郁夫 ・村上 華岳 らの日本 画 、平安 後期 の中尊寺 経 (重要 美術 品 )も所蔵 。近代 美術 品 については、 ルノワール、マティス、ピカソなどの手 による近代 西洋 絵画 や彫刻 などを多数 展示 。
その他
旧 澤村 邸 -市内 三 丁目 。ペリーロードの一角 に建 つ邸宅 。1915年 に建 てられ、賀茂 地区 の政治 ・経済 に多大 な足跡 を残 した澤村 久右衛門 およびその養子 の澤村 正三 が居住 していた。久右衛門 は下田 船渠 (解散 )を創業 し、下田信用金庫 の理事 長 や東海自動車 の取締役 などをつとめた他 、戦前 には当時 の下田 町議会 議員 や下田 町長 に加 え静岡 県議会 議員 などもつとめた。久右衛門 から家督 を継 いだ正三 も下田 市議会 議長 などをつとめた。下田 市内 の旧家 によく見 られる「なまこ壁 」と伊豆 石 を用 いた蔵 がいずれも良好 な状態 で保存 されている。1985年 に下田 市 歴史 的 建造 物 の指定 を受 けた後 、2008年 に澤村 家 から下田 市 へ寄贈 。2010年 から2011年 にかけて耐震 改修 ならびにリノベーションを実施 し、2012年 より観光 交流 拠点 として使用 されている。入場 無料 、水曜日 定休 日 (水曜日 が祝日 と重 なる場合 は翌日 が定休 日 )。なお、母屋 2階 は地元 芸者 衆 の稽古 場 として使用 されているため、立 ち入 りおよび見学 は1階 部分 のみ。下田 城 -隕石 などを展示 した美術館 を併設 (休業 中 )(※上述 の下田 城 とはまったく無関係 の娯楽 施設 )。
イベント
天然記念物
国 の天然記念物
静岡 県 指定 天然記念物
出身 者
中根 東里 (1694-1765):陽明学 者 。平井 平次郎 (1774-1843):江戸 時代 の下田 町 会所 書役 ・町年寄 。20年 の歳月 を費 やし、天保 14年 (1843年 )に完成 した「下田 年中 行事 」87巻 は、江戸 時代 の下田 の基本 史料 。松本 雲 松 (1796-1873):下田 市 ・河津 町 ・南伊豆 町 ・松崎 町 を中心 に多 くの仏像 ・仏画 ・絵画 作品 を残 した伊豆 を代表 する仏師 ・絵師 。篠田 雲 鳳 (1810-1883):江戸 後期 から明治 初期 、江戸 で名 をはせた女性 儒学 者 、教育 者 、詩人 。書 も能 くした奇才 で、絶世 の美女 だったという。下岡 蓮杖 (1823-1914):日本 商業 写真 の祖 。小川 清助 (1832-1880):第 一 回 内国 勧業 博覧 会 で褒章 を受章 した名 石工 。中村 岳陵 (1890-1969):日本 画家 。昭和 37年 (1962年 )、下田 町 名誉 町民 。浦辺 粂子 (1902-1989):日活 映画 で最初 の主演 女優 、戦後 は老婆 役 で人気 。晩年 はバラエティー番組 にも頻繁 に出演 していた。加藤 虎之助 (1903-1934):医師 。大阪 府 吹田 市 にあった「三島 無産 者 診療 所 」初代 所長 。「あのころひとりの医師 がいた」柏木 みどり著 上原 小枝 (1909-1996):元 大正製薬 名誉 会長 。自身 の郷里 ・下田 市 宇土金 に上原 美術館 を設立 した。和泉 覚 (1912-2005):創価学会 理事 長 (第 4代 )、参議院 議員 。大久保 婦 久子 (1919-2000):皮革 工芸 家 。平成 12年 (2000年 )、下田 市 名誉 市民 。浦岡 敬一 (1930-2008):映画 編集 者 。小林 正樹 監督 の「人間 の條件 」など、多 くの映画 の編集 を手 がけた。日本 映画 ・テレビ編集 協会 初代 理事 長 。平野 ますみ(1931- ):詩人 、児童 文学 者 。著書 「もんぺはすてき」。稲葉 國光 (1934- ):ジャズ・ベーシスト。1968-1970年 、菊地 雅章 =日野 皓正 クインテットに参加 。1979年 7月 、山本 剛 トリオでモントルージャズ・フエステイバルに出演 。2011年 1月 24日 、 リーダーアルバム「BSSIN'(ベイスィン)」リリース。2020年度 日本 ジャズ大賞 受賞 。栗原 はるみ(1947- ):料理 研究 家 。著書 「ごちそうさまが、聞 きたくて」がベストセラー。嶋津 武仁 (1949- ):作曲 家 、福島大学 教授 。ベルリン国際 作曲 コンクール3位 入選 。秀男 (1949- ):大相撲 の元 呼出 。呼出 の中 でもっとも階級 が高 い「立 呼出 」をつとめた。松本 路子 (1950- ):写真 家 。『Portraits女性 アーティストの肖像 』など、ポートレイトで著名 。鈴木 由美子 (1960- ):漫画 家 。『白鳥 麗子 でございます!』で講談社 漫画 賞 少女 部門 を受賞 。鈴木 みそ(1963- ):漫画 家 。フリーライターからデビュー。代表 作 に『限界 集落 温泉 (ギリギリおんせん)』など多数 。御法川 修 (1972- ):映画 監督 。映画 『世界 はときどき美 しい』 (第 19回 東京国際映画祭 公式 出品 )鈴木 將 義 (1976- ):文化 人 。マルチメディアクリエイター・デジタルメディア評論 家 。元 サクラゲート取締役 。- ぷろたん(1989- ):YouTuber。ボディビルダー。タレント。
実業 家 。
下田 を舞台 にした作品
文学 ・記録 ・漫画
- ロバート・ルイス・スティーヴンソン:ヨシダ・トラジロウ
- ペリー:
日本 遠征 記 - タウンゼント・ハリス:
日本 滞在 記 - ヒュースケン:
日本 日記 川路 聖謨 :下田 日記 幸田 露伴 :いさなとり蒲原 有明 :豆 南 豆 北 島崎 藤村 :伊豆 の旅 梶井 基次郎 :冬 の蠅 川端 康成 :伊豆 の踊子 有難 う中島 敦 :下田 の女 十一谷 義三郎 :唐人 お吉 、時 の敗者 唐人 お吉 真山 青果 :唐人 お吉 、唐人 お吉 と攘夷 群 山本 有三 :女人 哀 詞 林 芙美子 :下田 港 まで井上 友一郎 :唐人 お吉 - ベルトルト・ブレヒト:
下田 のユーディット 松本 清張 :天城 越 え放送 ジャーナル社 :こちら下田 CATV中山 あい子 :紅 椿 無惨 三島 由紀夫 :月 澹荘綺 譚 大南 勝彦 :ペテルブルグからの黒船 - ニコライ・ザドルノフ:
北 から来 た黒船 - オリヴァー・スタットラー:
下田 物語 吉村 昭 :落日 の宴 -勘定 奉行 川路 聖謨 高橋 治 :片意地 へんくつ一 本気 -下田 うなぎ屋 風流 噺 草野 唯雄 :南伊豆 殺人 行 島田 一男 :下田 子守 り唄 殺人 西村 京太郎 :下田 情死 行 、南伊豆 殺人 事件 、南伊豆 高原 殺人 事件 、十津川 警部 捜査 行 〔5〕伊豆 箱根 事件 簿 藤堂 志津子 :海 の時計 津村 秀 介 :伊豆 の朝凪 安部 竜太郎 :お吉 写真 帖 - まつもと
泉 :幕末 綿羊 娘 情 史 宮城 賢 秀 :伊豆 惨殺 剣 柏木 みどり:あのころひとりの医師 がいた
映画
海 に叫 ぶ女 :1928年 、松竹 。監督 -清水 宏 出演 -水島 亮 太郎 、藤野 秀夫 、柳 さく子 唐人 お吉 :1930年 、日活 。監督 -溝口 健二 出演 -梅村 蓉子 、山本 嘉一 、島 耕 二 雪 の渡 り鳥 :1931年 、阪 東 妻 三郎 プロダクション。監督 -宮田 十 三 一 出演 -阪 東 妻 三郎 、岡田 喜久 也、堀川 浪 之 助 恋 の花 咲 く伊豆 の踊子 :1933年 、松竹 。監督 -五 所 平之 助 出演 -田中 絹代 、大日方 傅 、小林 十 九 二 唐人 お吉 :1935年 、新興 キネマ。監督 -冬島 泰三 出演 -水谷 八重子 、沢村 田之助 、早川 雪 州 有 りがたうさん :1935年 、松竹 キネマ。監督 -清水 宏 出演 -上原 謙 、桑野 通子 下田 夜曲 :1936年 、松竹 。監督 -宗 本 英男 出演 -佐分利 信 、八雲 恵美子 、水島 光代 青 い山脈 :1949年 、東宝 。監督 -今井 正 出演 -原 節子 、池部 良 、杉 葉子 若 い人 :1952年 、東宝 。監督 -市川 崑 出演 -池部 良 、久慈 あさみ、島崎 雪子 、杉村 春子 、二本柳 寛 坊 ちゃん社員 :1954年 、東宝 。監督 -山本 嘉次郎 出演 -小林 桂樹 、藤間 紫 、伊豆 肇 、河内 桃子 唐人 お吉 :1954年 、京 映 プロ。監督 -若杉 光夫 出演 -山田 五十鈴 、薄田 研二 、下 元 勉 伊豆 の踊子 :1954年 、松竹 。監督 -野村 芳太郎 出演 -石濱 朗 、美空 ひばり、片山 明彦 雪 の渡 り鳥 :1957年 、大映 。監督 -加戸 敏 出演 -長谷川 一夫 、山本 富士子 、黒川 弥太郎 黒船 :1958年 、20世紀 フォックス。監督 - ジョン・ヒューストン出演 - ジョン・ウェイン、安藤 永子 伊豆 の踊子 :1960年 、松竹 。監督 -川頭 義郎 出演 -津川 雅彦 、鰐淵 晴子 、田浦 正巳 伊豆 の踊子 :1963年 、日活 。監督 -西河 克己 出演 -高橋 英樹 、吉永 小百合 、大坂 志郎 伊豆 の踊子 :1967年 、東宝 。監督 -恩地 日出夫 出演 -黒沢 年雄 、内藤 洋子 、江原 達 怡青春 の海 :1967年 、日活 。監督 -西村 昭五郎 出演 -吉永 小百合 、渡 哲也 、和泉 雅子 - たぬき
坊主 :1970年 。監督 -渡辺 祐介 出演 -フランキ ー堺 、市原 悦子 、伴 淳 三郎 、中村 玉緒 、ロケ地 -太 梅 寺 (下田 市 横川 ) 野良猫 ロック ワイルドジャンボ:1970年 。監督 -藤田 敏 八 出演 -梶 芽衣子 、范文雀 、地井 武男 、藤 竜也 、夏 夕 介 伊豆 の踊子 :1974年 、東宝 。監督 -西河 克己 出演 -三浦 友和 、山口 百恵 、中山 仁 男 はつらいよ柴又 より愛 をこめて:1985年 、松竹 。監督 -山田 洋次 出演 -渥美 清 、栗原 小巻 、美保 純 - バーバー
吉野 :2003年 、PFFパートナーズ。監督 -荻 上 直子 出演 - もたいまさこ
テレビドラマ
必殺 仕事 人 ワイド大老 殺 し下田 港 の殺 し技 珍 プレー好 プレー:1987年 、朝日放送
音楽
民謡 「下田 ぶし」:江戸 時代 歌謡 曲 「唐人 お吉 の唄 (黒船 篇 )」:1930年 佐藤 千夜子 (唄 )、西條 八十 (詞 )、中山 晋平 (曲 )歌謡 曲 「唐人 お吉 小唄 (明烏 篇 )」:1930年 藤本 二 三 吉 (唄 )、西條 八十 (詞 )、佐藤 紅 華 (曲 )歌謡 曲 「下田 小唄 」:1930年 毛利 幸 尚 (唄 )、松村 又一 (詞 )、高 田守 久 (曲 )歌謡 曲 「下田 しぐれ」:1935年 東海林 太郎 (唄 )、藤田 まさと(詞 )、森 義 八郎 (曲 )歌謡 曲 「下田 夜曲 」:1936年 音 丸 (唄 )、高橋 掬太郎 (詞 )、竹岡 信幸 (曲 )歌謡 曲 「下田 のお吉 」:1938年 小唄 勝太郎 (唄 )、佐伯 孝夫 (詞 )、清元 梅吉 (曲 )歌劇 「黒船 」:1940年 山田 耕筰 (作曲 )歌謡 曲 「下田 の雨 」:1951年 林 伊佐 緒 (唄 )、若杉 雄三郎 (詞 )、林 伊佐 緒 (曲 )歌謡 曲 「下田 夜 雨 」:1951年 市 三 (唄 )、藤田 まさと(詞 )、阿部 武雄 (曲 )歌謡 曲 「下田 夜船 」:1952年 野崎 整 子 (唄 )、坂口 淳 (詞 )、加藤 光男 (曲 )歌謡 曲 「下田 の雨 」:1953年 永田 とよ子 (唄 )、英 玲二 (詞 )、上原 げんと(曲 )歌謡 曲 「下田 エレジー」:1953年 三 岐麗子 (唄 )、高橋 掬太郎 (詞 )、細川 潤一 (曲 )歌謡 曲 「下田 の千鳥 」:1956年 島倉 千代子 (唄 )、奥野 椰子 夫 (詞 )、平川 英夫 (曲 )歌謡 曲 「下田 港 に雨 が降 る」:1957年 藤島 桓夫(唄 )、松井 由 利夫 (詞 )、島田 逸平 (曲 )歌謡 曲 「下田 物語 」:1958年 島倉 千代子 (唄 )、石本 美由紀 (詞 )、竹岡 信幸 (曲 )演歌 「お吉 物語 」:1960年 天津 羽衣 (唄 )、藤田 まさと(詞 )、陸奥 明 (曲 )歌謡 曲 「花 散 る下田 」:1960年 島倉 千代子 (唄 )歌謡 曲 「下田 港 の弥太郎 さん」:1961年 こまどり姉妹 (唄 )、石本 美由紀 (詞 )、上原 げんと(曲 )歌謡 曲 「船頭 可愛 や」、「下田 夜曲 」:1961年 花村 菊江 (唄 )歌謡 曲 「下田 ブルース」:和田 弘 とマヒナ・スターズ、神楽坂 とき子 (唄 )歌謡 曲 「下田 ブルース」:1973年 湯原 昌幸 (唄 )歌謡 曲 「唐人 物語 」:1998年 サザンオールスターズ(唄 )、桑田 佳祐 (詞 ・曲 )、サザンオールスターズ(編曲 )演歌 「風 恋歌 」:2008年 香西 かおり(唄 )、里村 龍一 (詞 )、叶 弦 大 (曲 )演歌 「下田 慕情 」:2014年 竹川 美子 (唄 )、我妻 ゆき子 (詞 )、河合 秀郎 (曲 )
アニメ
幕末 のスパシーボ(1997年 、NHKエンタープライズ21製作 ・マジックバス制作 ) -幕末 の日 露 交渉 と日本人 ・ロシア人 の友好 を描 いたアニメーション映画 。市 が製作 協力 を行 った。夏 色 キセキ(2012年 、MBS製作 ・サンライズ制作 、TBS・SBSほかで放送 ) -下田 市 を舞台 に女子 中学生 4人 の日常 を描 いたテレビアニメ。本 作 には市内 各地 の名所 や伝統 行事 が登場 することから、同市 の観光 協会 や商工 会議 所 により市内 限定 グッズの製作 ・発売 やスタンプラリーなどのイベントが開催 された他 、伊豆急行 では期間 限定 でラッピングトレインを運行 したり[10]、伊豆 急 下田 駅前 から寝 姿 山中 腹 までを結 んで運行 する下田 ロープウェイでも同 じく期間 限定 でメインキャラクターの声 を担当 した声優 によるアナウンスをゴンドラ内 で流 すなど、制作 側 と地元 企業 の連携 による企画 も実施 された。
脚注
- ^ “
資料 1-3市町村 別 平均 津波 高 一覧 表 <満潮 位 >”.内閣 府 防災 情報 のページ (2012年 8月 29日 ). 2024年 2月 16日 閲覧 。 - ^
南伊豆 またも豪雨 禍 『朝日新聞 』1976年 (昭和 51年 )10月 10日 朝刊 、13版 、23面 - ^ “
伊豆信用金庫 と下田信用金庫 の合併 について:財務省 東海 財務局 ”. 2023年 7月 23日 閲覧 。 - ^ “
三島信用金庫 と伊豆信用金庫 の合併 認可 について:財務省 東海 財務局 ”. 2023年 7月 23日 閲覧 。 - ^ “きょうのニュース 2023
年 4月 5日 放送 - YouTube”. 2023年 5月 1日 閲覧 。 - ^
下田 市 過疎 地域 自立 促進 計画 を策定 しました下田 市 市役所 HP 2017年 12月26日 閲覧 。 - ^ “フラワー
都市 交流 |下田 市 ”. 2023年 6月 12日 閲覧 。 - ^ “2018
年 7月 号 広報 しもだ |下田 市 10-11頁 ”. 2023年 6月 12日 閲覧 。 - ^
佐藤 健太郎 「国道 の名所 を行 く/国道 の始 まる場所 」『ふしぎな国道 』講談社 〈講談社 現代新書 〉、2014年 、43頁 。ISBN 978-4-06-288282-8。 - ^
夏 色 キセキ駅長 |伊豆 急 「オモシロ駅長 」情報 !伊豆急行 公式 サイト 2012年 7月 31日 閲覧 。