特命全権公使(とくめいぜんけんこうし、英: envoy extraordinary and minister plenipotentiary、envoy)とは、外交使節団の長の上から2番目の階級であり、接受国の国家元首に対して派遣される者である(最上位は接受国の国家元首に対して派遣される特命全権大使、第3位は接受国の外務大臣に対して派遣される代理公使(仏: chargé d'affaires))。
日本の場合、本来的には特命全権公使は在外公館たる公使館の長(在外公館長)であり、特別職の国家公務員かつ外務公務員である。しかし、1967年[1]に日本国公使館は全て大使館に昇格しているので、このような意味での特命全権公使は存在しない。ただし、現在でもアメリカや中国、ロシアなど一部の国に置かれる大使館には、名称公使とは別に、正式に特命全権公使として発令された外交官が配置されることがある。その場合、「特命全権公使○○○○、□□国在勤」との発令となる。(在外公館の長である特命全権大使に対しては、「□□国在勤」ではなく「□□国駐箚」との発令になる。)
1967年以前においては、米、華、英、仏、西独、ソビエト、トルコ、ブラジルなどの主要国に対し特命全権大使が、それ以外の国に特命全権公使が派遣されていた。ただし戦間期から戦時中にかけては、日本から特命全権公使しか派遣されていなかったスペインやスウェーデン、メキシコなどを差し置いて、満洲国とビルマ、仏印に日本の大使が常駐していた。さらに1905年以前においては常駐の特命全権大使は存在せず、国交を結ぶすべての国に対して特命全権公使以下の外交官(特命全権公使より階級の低い弁理公使、代理公使など)が置かれていた。したがって、日露戦争の停戦仲介を米国へ依頼する窓口となったのは大使館ではなく公使館である。1905年12月に英国に対し、翌月にドイツ、米国、フランスに対し特命全権大使に切り替え、その後順次オーストリア、ロシアなどの列強が順次大使派遣国となった。
一般的には略して公使と呼ばれるが、「特命全権公使」と通常の「公使」は格式が異なり、前者のほうが上である。
なお、参事官(英: counsellor)の公の名称を用いる者のうち、特に対外的に「公使」のローカルランクを名乗ることを許された者を「名称公使」又は「公使参事官」という。
派遣国政府を代表するもので、接受国との外交交渉、条約の署名調印、滞在する自国民の保護などの任務を行なう。
- ^ 昭和42年6月5日 法律第32号