灸の起源は約三千年前の古代中国の北方地方において発明された。多くの地方に皮膚を焼くことを治療行為とする伝記は残っている。
日本において鍼、灸、湯液などの伝統中国医学概念は遣隋使や遣唐使などによってもたらされた。灸は律令制度や仏教と共に日本に伝来したが、江戸時代に「弘法大師が持ち帰った灸法」として新たな流行となり、現在も各地に弘法の灸と呼ばれて伝わっている。また他にも「家伝の灸」として無量寺の灸、四ツ木の灸などがある。これらの灸法は打膿灸と呼ばれ、特に熱刺激が強く、皮膚の損傷も激しいため、あまり一般化していない。打膿灸は日本において腰痛や神経痛など様々な症状に用いられるが、実際のところは腫れ物(癰)などに用いたのではないかとも考えられる。
鍼とは異なって、奥の細道にも『三里に灸すゆるより』とあるように、旅路での足の疲れを癒したり、徒然草にあるように「40歳以上の者は三里に灸をすると、のぼせ(高血圧)を引き下げる」というように、灸をすることは庶民へ民間療法的側面を強くしながら伝わっていった。
もちろん公家や医官の間でも灸法は発達し『名家灸選』や『灸法指南』などといった書物が編纂された。戦後に活躍し昭和の名灸師と言われた深谷伊三郎は『黄帝明堂灸経』や『名家灸選』などを読んで深谷灸法を作り上げた。彼の灸法は、中医学で行われている灸法や奇穴も取り入れており、そのツボに灸することで出る効能が現在も多くの鍼灸師に多大な影響を与えている。
子供などを強く叱る意味の言葉として『灸を据える』『やいとを据える』という言葉があったが、家庭での灸が行われなくなったため、あまり聞かれなくなった。言葉の通り指頭大の灸を四肢や背部、臀部などに据えて我慢をさせるしつけであるが、これにより「灸はやけどが残るほど熱いもの」というイメージが定着することとなった。また灸の医療としての価値が損なわれる言葉でもあった。
実際に鍼灸院などで使われている灸は米粒大・半米粒大の灸や熱くなると取る知熱灸が主流なので、人により知熱感や肌の弱さによって異なってくるが、チクリとする程度の熱さ程度ないし目に見えるか見えない程度のやけどであることが多い。
但し、上記にある弘法灸や家伝の灸のように故意に火傷や膿を形成すると、免疫力が高まると言われているが、実際に免疫力が上がるかどうかは、綿密な研究が為されていないため、安易に行うには疑問が残る。
上述のように、過去に灸が「お仕置き」や「制裁」の手段として行われてきたことから、「お灸」という言葉はかなり昔から、そのような意味の隠喩(メタファー)としても用いられてきた。1990年頃までは新聞記事などにも、「汚職公務員に厳しいおキュウ」などと書かれたことがある。しかし、灸は東アジアの伝統的な優れた医療であり、こうした意味に使われるのは好ましくないと、日本鍼灸師会が主張し、現在は使われなくなった。
ここでは灸法の一例を紹介する。灸は、皮膚の上に直接据えて灸痕を残す有痕灸と、直接は据えるが灸痕を残すことを目的としないまたは直接は据えない無痕灸とに大きく二分される。
- 透熱灸
- 本来の「灸法」はこれを指し、皮膚の上に直接モグサをひねったものである艾炷(がいしゅ)を立てて線香で火をつけて焼ききる。艾炷の大きさは灸法によってさまざまであるが米粒大(べいりゅうだい)や半米粒大(はんべいりゅうだい)が基本である。
- 焼灼灸
- 魚の目や胼胝(タコ)など角質化した部位に据える。硬くひねった艾炷によって角質化した部位を焼き落とす。角質化した部位にうまく当たれば熱さはあまり感じない。
- 打膿灸
- 大豆大から指頭大の灸を焼ききり、その部位に膏薬を塗って故意に化膿させる。本来は、膿瘍や癰腫に用いられたと考えられるが、日本では化膿することにより白血球数を増加させて免疫力を高める灸法といわれる。大きな灸痕を残すため一部の灸療所でのみ行われ、家伝灸として伝えられている。
- 直灸(点灸)
- その名の通り、皮膚の上に点を付けてその上に艾炷を立てる。やり方は透熱灸と同じであるが、治療院や鍼灸師によっては知熱灸と同じやり方をしているところもある。
- 知熱灸
- 米粒大や半米粒大を8分で消す八分灸や大き目の艾炷(シュ)をつくり熱を感じると取る方法がある。
- 隔物灸
- 艾の下に物を置いて伝導熱を伝える灸。下に置くものとしてはしょうがやにんにく、ビワの葉、ニラ味噌、塩、附子などがある。下に置く物の薬効成分と温熱刺激を目的とした灸法。
- 台座灸(温筒灸、円筒灸)
- 既製の台座または筒状の空間を作り台座とする隔物灸の一種。せんねん灸やカマヤ灸、長生灸(レギュラー、ライト)、つぼ灸などの商品名で市販されてものもこれに含まれる。現在、最も一般な灸である。
- 棒灸
- 棒状の灸をそのまま近づけるまたは専用の器具を使って近づける。輻射熱で温める灸。中国で主流の灸法。
- 灸頭鍼
- 皮膚に鍼を刺鍼してその鍼柄に丸めた灸をつけて火をつける。鍼の刺激と灸の輻射熱を同時に与えることが出来る。元来は鍼頭灸と呼ばれ、これを行ったのは中国から帰った笹川智興が日本で最初である。当時は極端に斜刺した鍼の鍼柄に艾をからませて、灸をメインとした治療法であった。現在知られる「灸頭鍼」は赤羽幸兵衛からであり、鍼と灸の両方の効果を期待したのはここからである。また、中国では「温鍼」と呼ばれ、日本のように丸々と艾を固めるのではなく、鍼に艾を長細く巻き付けるような感じで行う。
- 薬物灸
- 艾は使用せず、体の上に薬品を塗って皮膚に熱を伝える灸。紅灸、漆灸、水灸、油灸、硫黄灸などがある。
- 箱灸
- 木箱や枡灸を枠にして、中に金網などで底を作り、木などで蓋を作る。箱ので艾を燃やすことで、皮膚を燻蒸したり、輻射熱で温めたりする[1]。材質はヒノキが多く、腹・腰・背中などを温める。中国では艾盒灸とも称される。
- 綿灸(綿花灸)
- 湿らせた綿花の上に艾を乗せて線香で火をつける。
- ガーゼ灸
- 湿らせたガーゼの上に艾炷を乗せてライターで直接焼く。
- 深谷灸法
- 深谷伊三郎の秘伝の灸として有名な灸法である。灸の8文目あたりが燃えたくらいで竹筒で施灸部を覆うという特殊な透熱灸を行う。
- 四畔の灸
- 瘡瘍(おでき)の灸法として使う。瘡の四畔(まわり)に鍼を刺し(水平刺で瘡の中心に向って刺す)又は糸状灸を間隔をおいて周らす方法である。
- 点状の灸
- 点状に糸状の細かい艾炷(シュ)を経穴に拘らず患部に並べて施灸する施術法である。筋違いや、胸鎖乳突筋の緊張などに応用する。
- 艾炷の大小:艾炷の大きいものは刺激が強く、小さいものは刺激が弱い
- ひねりの硬軟:ひねりの硬いもの刺激が強く、柔らかいものは刺激が弱い
- 壮数:壮数の多いものは刺激が強く、壮数の少ないものは刺激が弱い
- 施灸法:手技により施灸も強弱が分かれる
属性
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感受性
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高い |
低い
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被灸者の年齢 |
小児、老年 |
青年、壮年
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被灸者の性別 |
女子 |
男子
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被灸者の体質 |
虚弱な者、神経質な者 |
頑健な者、多血質な者、脂肪質な者
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被灸者の栄養状態 |
不良な者 |
佳良な者
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被灸者の労働 |
精神労働者 |
肉体労働者
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被灸者の被灸経験 |
未経験者 |
経験者
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刺激部位 |
顔、手足など |
腰、背など
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顔面部、化膿を起こしやすい部位、浅層に大血管がある部位、皮膚病の患部・妊産婦の下腹部などへの直接灸
灸では気が少なかったり、余ったりすると気を補ったり、瀉したりすることで体を整える
項目
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補する方法
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瀉する方法
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艾の質
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良質の艾を用いる
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良質でない艾を用いる
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艾の大きさ
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小さい艾を用いる
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大きい艾を用いる
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艾の硬さ
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艾を柔かく捻る
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艾を硬く捻る
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艾の形状
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艾炷を高くし、底面を狭くする
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艾炷を低くし、底面を広くする
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艾と皮膚との距離
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皮膚に軽く付着させる
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皮膚に密着させる
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艾の燃やし方
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風を送らず、自然に火が消えるのを待つ
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風を送って、吹いて火を速く消す
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艾の燃焼温度
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低くする(心地よい熱感)
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高くする(強い熱感)
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艾の足し方
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灰の上に新しい艾を重ねて施灸する
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灰を除去しながら施灸する
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壮数(回数)
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少なくする
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多くする
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六十九難による取穴は、その臓腑の気が不足した場合はその母を補い、気が充満した場合はその子を瀉せとしている。
補法 |
瀉法
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虚経 |
取穴 |
実経 |
取穴
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木経 |
木経の水穴、水経の水穴 |
木経 |
木経の火穴、火経の火穴
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火経 |
火経の木穴、木経の木穴 |
火経 |
火経の土穴、土経の土穴
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土経 |
土経の火穴、火経の火穴 |
土経 |
土経の金穴、金経の金穴
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金経 |
金経の土穴、土経の土穴 |
金経 |
金経の水穴、水経の水穴
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水経 |
水経の金穴、金経の金穴 |
水経 |
水経の木穴、木経の木穴
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東洋獣医学では牛、豚、ヤギなどの家畜に対してもお灸を施す。基本的な方法は人間と同様だが、ツボの位置や数は相応に異なる。近年日本でも自然治癒力の向上、繁殖障害や食欲不振の解消を目的として、牛や豚にお灸を施す講習会などの取り組みが行われている[2]。
- ^ 岡田明三著・上村由美子協力『まるごとお灸百科』医道の日本社、2017年7月31日、62-63,90頁。
- ^ 保坂虎重、白水完児、他著『家畜のお灸と民間療法:クスリに頼らず経営改善』、農山漁村文化協会、1997年、pp.30-31,34.
2.縁里庵かつもと鍼灸院『トリカブトのお灸「附子灸」』2023年2月13日
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