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熱田台地 - Wikipedia

熱田あつた台地だいち(あつただいち)は、愛知あいちけん名古屋なごや中心ちゅうしんにある台地だいち

概要がいよう

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標高ひょうこうおおむね10メートルから15メートルで南北なんぼくながい。北端ほくたん名古屋なごやじょう南端なんたん熱田あつた神宮じんぐう所在しょざいする[1]台地だいち表面ひょうめん熱田あつためんしょうし、これは熱田あつたそう堆積たいせきめん相当そうとうする[1]。また、台地だいち中央ちゅうおう大曽根おおそねから鶴舞つるまいにかけては、その東西とうざいくらべて2メートルほどひくくなっている[1]。この部分ぶぶん熱田あつた台地だいち成立せいりつ庄内川しょうないがわないし矢田川やだがわ浸食しんしょくにより形成けいせいされたたにであり、大曽根おおそねそうから大曽根おおそねめん構成こうせいされている[1]熱田あつたそうしゅとして軽石かるいしふくすなにより形成けいせいされ、大曽根おおそねそう砂礫されきそうである[2]

熱田あつた台地だいち広義こうぎ)の範囲はんいは、おおよそ東西とうざい堀川ほりかわから池下いけした今池いまいけ付近ふきんまでやく5キロメートル南北なんぼく西側にしがわ名古屋なごやじょうから熱田あつた神宮じんぐうやく7キロメートル、東側ひがしがわでは大曽根おおそねから笠寺かさでらまでやく10キロメートルにひろがっている。西にしえん堀川ほりかわ断層だんそう断層だんそうがけ沿って開削かいさくされた人工じんこう河川かせん堀川ほりかわなみそうし、きたえん名鉄めいてつ瀬戸線せとせん清水しみずえき - 森下もりしたえき - ナゴヤドーム付近ふきんにあり、沖積ちゅうせき低地ていちとの境界きょうかいだか5 - 10 mのがけさかつくっている。名古屋なごやじょう北西ほくせいはしすみ利用りようして築城ちくじょうされている[3]

台地だいちめん形成けいせいされた年代ねんだい熱田あつためん大曽根おおそねめん区分くぶんされ、熱田あつためん大曽根おおそねめん東西とうざい分断ぶんだんされ、ひがしはさらに山崎やまざきかわ分断ぶんだんされているが、いずれも同期どうき形成けいせいされためんである。

熱田あつためんつく熱田あつたそうおもすなしつ堆積たいせきぶつそうあつ20 - 40 m。さかえ以西いせい下層かそうには海産かいさん貝類かいるい化石かせきふくむ。御岳みたけ火山かざんなどの軽石かるいしふくそうられる。

大曽根おおそねめん熱田あつためん中央ちゅうおうに1.5 kmほどのはばあさくぼみとしてみなみび、その東西とうざい境界きょうかいは、東側ひがしがわ千種ちくさえき付近ふきんのJR中央ちゅうおうせん沿い、西側にしがわ白壁しらかべ - 東海テレビ放送とうかいてれびほうそう本社ほんしゃ - 松坂屋まつざかや本店ほんてん名古屋なごやパルコ付近ふきんにあり、熱田あつためんとの境界きょうかいだか2 - 3 mのさかがみられる。みなみまつはし若宮わかみや大通だいつう付近ふきん沖積ちゅうせき低地ていちしずむがさらつづいている。構成こうせいする大曽根おおそねそうおも砂礫されき堆積たいせきぶつそうあつやく5 m。

また熱田あつた台地だいち熱田あつためんけて、西側にしがわでは、那古野なごの台地だいち北部ほくぶしろ中心ちゅうしんがい)、狭義きょうぎ熱田あつた台地だいち南部なんぶきゅう熱田あつたぞうはなじょう)、東側ひがしがわでは御器所ごきしょ台地だいち北部ほくぶ)、瑞穂みずほ台地だいち南部なんぶ)、笠寺かさでら台地だいち山崎やまざきかわ以南いなん)とする場合ばあいもある[4]

形成けいせい

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最終さいしゅうあいだごおりうみしんやく12まんねんまえ最大さいだいとなる)に内陸ないりくはいんだ臨海りんかい熱田あつたそう堆積たいせきはじまる。近傍きんぼう各務原かがみはら台地だいちどう時期じき

初期しょき現在げんざい中心ちゅうしん市街しがい海底かいていにあり貝類かいるい化石かせきふくどろしつ下層かそうとなる。

海水かいすいめん変動へんどう土砂どしゃ堆積たいせきによって、うみであった土地とちりく平野へいや末端まったんとなり、当時とうじ河川かせん砂礫されき堆積たいせき上層じょうそう形成けいせいする。流下りゅうかした御岳おんたけなどの軽石かるいし堆積たいせきする。

最終さいしゅうごおり寒冷かんれいはじまると、熱田あつた台地だいち北東ほくとうから矢田川やだがわ台地だいちめん中央ちゅうおうみなみなが侵食しんしょくする。大曽根おおそねめん形成けいせい

最終さいしゅうごおり海面かいめん低下ていか最大さいだい100 mにたっした(2まんねんまえ)。伊勢湾いせわんりく海面かいめん低下ていかすすむ過程かていで、矢田川やだがわりゅう台地だいちめん北側きたがわ西にしながれるようになる。大曽根おおそねめん侵食しんしょく停止ていし台地だいちのこり、台地だいちきたえん庄内しょうないがわ矢田川やだがわ侵食しんしょくされて東西とうざい方向ほうこうきゅうがけつくられた。

ばんこおりこうこおり温暖おんだんし、濃尾平野のうびへいやでは縄文じょうもん前期ぜんき(6000ねんまえ)には大垣おおがきみなみ羽島はしまきゅう尾西びさい稲沢いなざわ付近ふきんまで海岸かいがんせん上昇じょうしょうした。このとき海面かいめん上昇じょうしょうによって伊勢湾いせわんめんした熱田あつた台地だいち侵食しんしょくされ後退こうたい広大こうだいなみしょくだいじょうなる傾斜けいしゃとなり、西にしえんにはなみしょくがけをつくった。それが現在げんざい西にしえんであるというせつと、直線ちょくせんてきびているかつ断層だんそう堀川ほりかわ断層だんそう)が存在そんざいがけせんかつ断層だんそうによってつくられたというせつしめされており研究けんきゅうつづけられている[5]

けずられた熱田あつたそう上部じょうぶにも土砂どしゃ堆積たいせき沖積ちゅうせき低地ていちひろがった。このため一般いっぱんてきには沖積ちゅうせき平野へいや臨海りんかいあつおき積層せきそうつく軟弱なんじゃくであるが、このおき積層せきそうは5 - 10 mと比較ひかくてきうす直下ちょっか熱田あつたそうがあり、名古屋なごやえき付近ふきんすなしつおき積層せきそう熱田あつたそうなみしょくだいじょうとなった熱田あつた台地だいち)によって比較ひかくてき安定あんていしている。地下鉄ちかてつ太閤通たいこうとおりえき地下ちかおき積層せきそうやく10 mで下部かぶ熱田あつたそうつづいており、おき積層せきそうから出土しゅつどした干潟ひがた貝類かいるい年代ねんだい測定そくてい結果けっか縄文じょうもんうみしんしめしている[6][7][8][9]

熱田あつた台地だいち中央本線ちゅうおうほんせん

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この台地だいち様子ようす地上ちじょうから観察かんさつするのに格好かっこう手段しゅだんとして、中央ちゅうおう本線ほんせんられている[10]。それは鉄道てつどう高低こうていいちじるしくしょうじるのをきらうために、盛土もりつちきりにより、どういちレベルをたもとうとするためである[10]具体ぐたいてきには始発しはつとなる名古屋なごやえきから金山かなやまえき標高ひょうこう5メートルから6メートル、千種ちくさえきから大曽根おおそねえきでは標高ひょうこう8メートルから10メートルをたもつという[10]金山かなやまえきは4メートルから5メートル程度ていど堀割ほりわりなかにあるが、えきるとすぐに沖積ちゅうせきめんるために高架こうかつづくことになる[11]。しかし、千種ちくさえきではふたた熱田あつた台地だいちにあたるため[注釈ちゅうしゃく 1]堀割ほりわりなかすすみ、大曽根おおそねえきではふたた沖積ちゅうせきめん進行しんこうすることになる[11]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 実際じっさい千種ちくさえき南側みなみがわ東西とうざい横切よこぎ広小路ひろこうじどおり愛知あいちけんどう60ごう名古屋なごや長久手ながくてせん)は千種ちくさえき西側にしがわみじか勾配こうばいとなっている。[よう出典しゅってん]

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 社団しゃだん法人ほうじん地質ちしつこう学会がっかい中部ちゅうぶ支部しぶ最新さいしん名古屋なごや地盤じばん名古屋なごや地盤じばん出版しゅっぱんかい、1988ねん1がつ14にち 
  • しんおさむ名古屋なごや編集へんしゅう委員いいんかい へんあたらしおさむ名古屋なごやだい8かん名古屋なごや、1997ねん3がつ31にち 

関連かんれん項目こうもく

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