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現象的意識 - Wikipedia

現象げんしょうてき意識いしき(げんしょうてきいしき、えい: phenomenal consciousness)は、人間にんげん意識いしきという言葉ことばかんする区分くぶんのひとつで、質的しつてき内容ないようった、主観しゅかんてき体験たいけんのこと。現象げんしょうてき意識いしきふくまれる個々ここ質感しつかんのことをクオリアう。

現象げんしょうてき意識いしき現在げんざい物理ぶつりがくなか還元かんげんできる特性とくせいのひとつでしかない、とかんがえる唯物ゆいぶつろん(または物理ぶつり主義しゅぎてき立場たちばと、そうした還元かんげん出来できないとかんがえる二元論にげんろんてき立場たちばあいだで、その存在そんざいろんてき位置いちづけをめぐって、一部いちぶ論争ろんそうおこなわれた。

類義語るいぎご同義語どうぎご 編集へんしゅう

まず類義語るいぎご同義語どうぎごについて説明せつめいする。現象げんしょうてき意識いしきという概念がいねんおおくの類義語るいぎご同義語どうぎごっている。このことをらなければ、しん哲学てつがくのう科学かがく関係かんけいほんんだときに、かなり混乱こんらんする。この概念がいねん決定的けっていてき用語ようごというのはまださだまっておらず、大抵たいてい研究けんきゅうしゃは「意識いしき体験たいけんとか現象げんしょう特性とくせいとかクオリアなどとばれるソレについてこれからはなす」といったかんじでこの概念がいねん言及げんきゅうする。こうした語法ごほう混乱こんらんは、この概念がいねんがまさに研究けんきゅう途上とじょうであることを意味いみする。以下いか、このふしでは様々さまざま類義語るいぎご同義語どうぎごについて紹介しょうかいしていく。

よくられるものとして、意識いしき現象げんしょうてき側面そくめんphenomenal aspect of consciousness)、意識いしき体験たいけんconscious experience)、主観しゅかんてき経験けいけんsubjective experience)、質的しつてき経験けいけんqualitative experience)、現象げんしょう特性とくせいphenomenal property)、とはどのようなことか(What it is like)、かんじ・実感じっかんsensation)、せいかんじ(raw feel)などがある。これらの言葉ことばは、その言葉ことば使用しようされる文脈ぶんみゃくにもよるが、現象げんしょうてき意識いしきとほぼどうじ、またはまったおな意味いみ内容ないよう言葉ことばとして使用しようされる場合ばあいおおい。

つぎすこしややこしい言葉ことばとして、現象げんしょうがくphenomenology)というものがある。この言葉ことばしん哲学てつがく分野ぶんやでは現象げんしょうてき意識いしきのことをして使つかわれる場合ばあいおおいが、たんフッサール創始そうしした哲学てつがくいち分野ぶんや記事きじ現象げんしょうがく参照さんしょうのこと)のことをしている場合ばあいもある。このふたつの意味いみ区別くべつ文脈ぶんみゃくから容易よういくだりなえるだろう。また経験けいけん体験たいけんexperience)という言葉ことばも、まれ現象げんしょうてき意識いしきのことを言葉ことばとして使用しようされることがある。しかしこの言葉ことば日常にちじょうてき意味いみ使用しようされていることほうおおい。この言葉ことば意味いみ区別くべつは、とく説明せつめいがないかぎり、文脈ぶんみゃくから判断はんだんしていくしかない。

さらにややこしい言葉ことばとしては表象ひょうしょうrepresentation)というものがある。この言葉ことば現象げんしょうてき意識いしきとほぼおな意味いみ内容ないよう言葉ことばとして使つかわれることもあるが、思考しこう推論すいろんさい変形へんけい操作そうさける心的しんてき記号きごうのこと、を意味いみする言葉ことばとして使つかわれていることもある。このどちらの意味いみ表象ひょうしょうという言葉ことば使用しようされているかは、とく説明せつめいがないかぎり、言葉ことば使用しようされている文脈ぶんみゃくから、逐一ちくいち判断はんだんしていくほかない。とはいえ表象ひょうしょうという言葉ことばうえふたつの意味いみには、たがいにかさなり部分ぶぶんおおいため、文章ぶんしょう執筆しっぴつしゃがどちらの意味いみ表象ひょうしょうという言葉ことば使用しようしているのかが判然はんぜんとしない場合ばあいすくなくない。

このように様々さまざま表現ひょうげん使つかわれているが、しかし現象げんしょうてき意識いしきこと言葉ことばとして、現在げんざいもっと頻繁ひんぱんにする言葉ことば

である。このことは意識いしき関連かんれん文献ぶんけん読者どくしゃ無駄むだ混乱こんらんさせているめんがある。 しかしこうした用法ようほう実際じっさい使つかわれているため、文献ぶんけん読者どくしゃは、著者ちょしゃがその場面ばめんにおいて、どういう意味いみで「意識いしき」と言葉ことば使用しようしているのか、については、十分じゅうぶん注意ちゅういしながらすすんでいかなければならない。その意味いみ記事きじ意識いしきうち解説かいせつされている意味いみのどれかひとつであったり、そうした意味いみ複数ふくすうわせであったり、または著者ちょしゃ独自どくじ新規しんき概念がいねんであったりする。こうしたてん正確せいかく判断はんだんすることはとき困難こんなんでさえあるが、ひとつの目安めやすとして「意識いしきなぞである」「意識いしき問題もんだいむずかしい」などといったかたちで「意識いしき」という言葉ことば使用しようされている場合ばあい、それはほん項目こうもく説明せつめいしている現象げんしょうてき意識いしき、またはそれに類似るいじした概念がいねんしているとかんがえておおよそ間違まちがいない。このように複数ふくすうした意識いしきたいして著者ちょしゃ読者どくしゃあいだでズレがしょうじたとしてもとく間違まちがいではなく、それ自体じたい意識いしきであるとえる。

性質せいしつ 編集へんしゅう

主観性しゅかんせい

現象げんしょうてき意識いしきだれかにとってのものである。たとえばいたみの経験けいけんつねだれかにとってのいたみの経験けいけんであり、だれのものでもないいたみ、というようなことはかんががたい。ものながさやおおきさなどの属性ぞくせい客観きゃっかんてきなありかたたいして、現象げんしょうてき意識いしきのもつこうしたありかたのことを一般いっぱん主観性しゅかんせいえい:subjectivity)という。

わたしせい

現象げんしょうてき意識いしき外部がいぶから計器けいきもちいて物理ぶつりてき観測かんそくすることができない。これにかんしては、現象げんしょうてき意識いしき存在そんざいろんてき物理ぶつりてきなものと別枠べつわくにあるから観測かんそくできないのだ、という二元論にげんろんてきかんがかたと、物理ぶつりてき現象げんしょうだが観測かんそくできるような概念がいねんではないから観測かんそくできないのだ、というかんがえのふたつの立場たちばがある。なににせよ、現象げんしょうてき意識いしき外部がいぶから計測けいそくできない、という性質せいしつのことを一般いっぱんわたしせいえい:privacy)という。「我々われわれ意識いしきメーターをたない」という表現ひょうげんでいいあらわされることもある。

統一とういつせい

現象げんしょうてき意識いしきはある範囲はんい統一とういつされている。たとえばんでくるボールを視覚しかくとらえたとき、うごきの情報じょうほうかたち情報じょうほうはそれぞれのうべつ部位ぶい処理しょりされているが、それでもうごきとかたち最終さいしゅうてきには統合とうごうされたかたち提示ていじされる。つまりのうことなる部位ぶいで、空間くうかんてき時間じかんてき距離きょりへだてて物理ぶつりてき処理しょりされた情報じょうほうであっても、現象げんしょうてき意識いしきとしてはのない単一たんいつのものとして提示ていじされているようにおもわれる。この性質せいしつのことを統一とういつせいえい:unity)とう。のうはり切断せつだんされた分離ぶんりのう患者かんじゃは、のう全体ぜんたい単位たんいとした統一とういつせいいているのではないか、とわれている[1]

また、自分じぶんとはちが他人たにん、つまりべつのう処理しょりされている情報じょうほう現象げんしょうてき意識いしきとして統一とういつされない(つまり、だれひと腹痛はらいたかんじる、ということはない)。グレッグ・ローゼンバーグはこのひとつののう単位たんいとしておきる現象げんしょう意識いしき統合とうごうと、のうへだてた場合ばあい現象げんしょう意識いしき分離ぶんりあいだのギャップを境界きょうかい問題もんだいび、問題もんだいとして定式ていしきした。

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

  1. ^ Tim Bayne(2009) "Unity of consciousness" Scholarpedia, 4(2):7414. より。以下いか記事きじちゅうぶん一部いちぶ翻訳ほんやくして引用いんようおおくの理論りろん分離ぶんりのうたいしてふたつのながれモデル(two-streams model of the split-brain)を採用さいようしている。この理論りろんによれば、分離ぶんりのう患者かんじゃにはふたつの意識いしきながれ(two streams of consciousness)、左右さゆうそれぞれの大脳だいのう半球はんきゅうひとつずつの意識いしきながれ、があるとされる。」 このぶんのち、いくつかの文献ぶんけん紹介しょうかいと、べつ理論りろん簡単かんたん説明せつめいされている。みっ以上いじょう意識いしきながれがあるとする理論りろん、そして意識いしきながれはひとつだが左右さゆうのう半球はんきゅうをスイッチしている、という理論りろんとである。詳細しょうさいはリンクさき参照さんしょうのこと。

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう