隋代が成立すると当初は3郡3県を管轄した。607年(大業3年)、郡制施行に伴い敦煌郡と改称され、下部に3県を管轄した。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
瓜州都督府…隋代の敦煌郡の常楽県であり、武徳5年(622年)に瓜州を置き、総管府を立てて瓜州(現在の瓜州県)・西沙州(元瓜州)・粛州の3州を管轄する。武徳8年(625年)、都督府を廃止。貞観年間(627年 - 649年)、再び都督府となる。天宝元年(742年)、晋昌郡となる。乾元元年(758年)、再び瓜州となる。
旧領県2、戸数:1164、人口:4322。天宝時は戸数:477、人口:4987。京師(長安)の西3310里にあり、東都(洛陽)までは4306里ある。
- 晋昌県…漢代の冥安県で、敦煌郡に属した。冥とは、川の名である。晋昌郡及び冥安県を置き、北周が晋昌郡を改めて永興郡とした。隋では瓜州と改名、冥安県を改めて常楽県とした。武徳7年(624年)、再び晋昌県となる。
- 常楽県…漢代の広至県で、敦煌郡に属した。魏が広至県を分けて宜禾県を置く。西涼の李暠はここに涼興郡を置く。隋代は廃止して常楽鎮を置く。武徳5年(622年)、鎮を改めて県とする。
瓜州晋昌郡…武徳5年(622年)、沙州の常楽県を分割して設置。土貢:野馬革,緊鞓,草鼓子,黄礬,絳礬,胡桐涙。
戸数:477、人口:4987。県数:2、府数:1。
- 大黄府…西北千里には墨離軍あり。
- 晋昌県…中下。もとの常楽県で、武徳4年(621年)に更名。東北には合河鎮あり、また120里には百帳守捉あり、また東150里には豹文山守捉あり、また7里には寧寇軍があり、甘州と路合。
- 常楽県…中下。武徳5年(622年)に別置。抜河帝山あり。
唐代の行政区画変遷
|
区分 |
武徳3年 |
区分 |
天宝元年 |
区分 |
乾元元年
|
州 |
瓜州 |
郡 |
晋昌郡 |
州 |
瓜州
|
県 |
晋昌県 常楽県 |
府 |
大黄府 |
県 |
晋昌県 常楽県
|
県 |
晋昌県 常楽県
|