白銀 町 (八戸 市 )
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11,070 |
UTC+9 ( | |
031-0822 | |
0178[2] | |
ナンバープレート |
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地理
小字
世帯 数 と人口
2022
392 |
761 | |
137 |
260 | |
172 |
402 | |
2 |
4 | |
93 |
176 | |
298 |
588 | |
2 |
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18 |
42 | |
31 |
62 | |
209 |
451 | |
349 |
765 | |
17 |
37 | |
222 |
459 | |
105 |
227 | |
86 |
131 | |
7 |
19 | |
2 |
4 | |
208 |
439 | |
37 |
72 | |
43 |
68 | |
186 |
332 | |
101 |
210 | |
6 |
12 | |
30 |
51 | |
69 |
142 | |
93 |
171 | |
137 |
269 | |
98 |
201 | |
207 |
407 | |
191 |
373 | |
162 |
299 | |
429 |
823 | |
302 |
625 | |
241 |
466 | |
140 |
266 | |
17 |
327 | |
163 |
281 | |
5,156 |
10,224 |
歴史
1961
沿革
江戸 時代 から明治 初年 ごろ八戸 藩 三戸 郡 浜通 村 にあった10の浦 (浜 )の一 地区 として成立 。浜通 村 の役所 は、湊 (現在 の湊 町 )に設置 されていたが、湊 、白銀 浜 、鮫 湊 を合 わせて八戸 湊 ・八戸 浦 と言 われていた。- 1681
年 (天和 元年 )、36頭 の鯨 を捕獲 して、解体 後 に鯨 の骨 で小川 に橋 を架 けた。 - 1690
年 (元禄 3年 )、家数 78、他 領 の持 ち家 4、猟 船 数 46艇 (6人 乗 り4、5人 乗 り1、3人 乗 り2、2人 乗 り28、半 役 12)[4] - 1769
年 (明和 6年 )、鰯 の〆粕 、魚油 の生産 高 は1130俵 、315樽 [5] - 1719
年 (享 保 4年 )、八戸 藩 資料 の浦 数 覚 の中 で、八戸 廻 りの一 つとして「白金 」の記述 がある。 - 1770
年 (明和 7年 )、「湊 に大船 が入船 することが難 しいときは、白銀 浜 が対応 して荷物 を積 むなり」[6]の記録 がある。 - 1826
年 (文政 6年 )、船着場 の防波堤 工事 がはじまる。 - 1868
年 (慶応 4年 )、軍艦 孟春 が白銀 浦 で座礁 する。
- 1868
年 (明治 元年 )から1929年 (昭和 4年 )- 1868
年 (明治 元年 )戸数 11。土地 の状況 は下 の下 。田 は無 く、農耕 する人 4割 、漁業 する人 4割 、商 漁 する人 2割 だった。(商 漁 とはイサハと読 む。遠方 に魚 を売 りにいく人 。現在 でも『イサバのカッチャ』=(魚 を遠 くに売 に行 く女性 )という言葉 が残 る) 明治 時代 、地内 の東 南部 に「大久保 平 」、西端 に「浜 の平 」の2箇所 に原野 があった[7]。- 1875
年 (明治 8年 )、清水 小学校 (現 八戸 市立 白銀 小学校 )が地内 の福 昌 寺内 に創立 する[8]。 - 1900
年 (明治 33年 )三戸 郡 湊 村 の小学校 内 に水産 補習 学校 が付設 (県立 青森 県立 八戸 水産 高等 学校 の前身 ) - 1909
年 (明治 42年 )青森 県 水産 試験場 伝習 部 が開設 (現 青森 県立 八戸 水産 高等 学校 ) - 1925
年 (大正 14年 )、白銀 尋常 小学校 (現 八戸 市立 白銀 小学校 )が、地内 字 大久保 道 (現在地 )に移転 。校舎 が増築 される[8]。
- 1868
- 1929
年 (昭和 4年 )地内 が八戸 市 に編入 する。
- 1952
年 (昭和 27年 )5月1日 から現在 八戸 市 大字 白銀 町 - 1952
年 (昭和 27年 )、国鉄 八戸 線 に白銀 駅 が開設 する。 - 1961
年 (昭和 36年 )、白銀 大火 が発生 。1043戸 を焼失 。 - 1962
年 (昭和 37年 )、青森労災病院 が開設 する。 - 1965
年 (昭和 40年 )、八戸 市立 白 鴎 小学校 が開校 する。 - 1956
年 (昭和 31年 )、八戸 高等 電波 学校 (現 八戸工業大学 第一高等学校 )が開校 する。 - 1962
年 (昭和 37年 )、白銀 町 の一部 が築港 街 1丁目 から2丁目 に住居 表示 が新設 される。 - 1968
年 (昭和 43年 )、白銀 町 の一部 が白銀台 1丁目 から3丁目 に住居 表示 に追加 される。 - 1974
年 (昭和 49年 )、白銀 町 の一部 が白銀 1丁目 から5丁目 になる。同年 、白銀台 4丁目 から7丁目 に住居 表示 が追加 される。 - 1981
年 (昭和 56年 )、白銀 町 の南東 の高台 に岬台 団地 の建設 が始 まる。 - 1991
年 (平成 3年 )、白銀 町 の一部 (字 佐部 長根 )が岬台 1丁目 から4丁目 住居 表示 に追加 される。
- 1952
地名 の由来
伝説
芸能 ・民謡
芸能 :神楽 白銀 四 頭 (しとう)権現 民謡 :白銀 ころばし(白銀 ころし)
交通
鉄道
施設
教育
八戸 市立 白銀 小学校 (字 大久保 道 1-1)八戸 市立 白 鴎 小学校 (字 中平 13-3)八戸 市立 白銀 中学校 (字 栗沢 道 38)八戸 市立 湊 中学校 (字 右 新井田 道 13-2)八戸工業大学 第一高等学校 (字 右 岩淵 通 7-10)青森 県立 八戸 水産 高等 学校 (字 人形 沢 6-1)労働福祉事業団 青森 労災 看護 専門 学校 (字 南ケ丘 1)
病院
独立 行政 法人 労働 者 健康 福祉 機構 青森労災病院 (字 南ケ丘 1)
公園 ・公民館 ・社寺
白銀 緑地 (字 三島 下 )白銀 水道 公園 (字 雷 35-10)三嶋 神社 (字 三島 上 5-9)
・
出典
- ^ a b
八戸 市 (2022年 4月 30日 ). “八戸 市 人口 データ(令 和 4年度 )”.八戸 市 . 2023年 2月 14日 閲覧 。 - ^ “
市外 局番 の一覧 ”.総務 省 . 2017年 5月 29日 閲覧 。 - ^ “
八戸 市 の地名 (大字 ・字 のつく住所 )”.八戸 市 (2021年 2月 3日 ). 2024年 8月 26日 閲覧 。 - ^ 「さめの
記録 」 - ^ 「
八戸 勘定 所 日記 」 - ^
本文 は、「(湊 へ)大船 が入 りかたきときは白銀 浜 へかかり荷物 積 也」「日本 汐路 之 記 」 - ^
角川 日本 地名 大 辞典 編纂 委員 会 (1985)「角川 日本 地名 大 辞典 青森 県 」角川書店 pp485 - ^ a b
八戸 市立 白銀 小学校 HP - ^ 「
遠野 南部 文書 」角川 日本 地名 大 辞典 編纂 委員 会 (1985)「角川 日本 地名 大 辞典 青森 県 」角川書店 pp485 - ^
角川 日本 地名 大 辞典 編纂 委員 会 (1985)「角川 日本 地名 大 辞典 青森 県 」角川書店 pp484
関連 項目