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石岡大火 - Wikipedia

石岡いしおか大火たいか

1929ねん茨城いばらきけん石岡いしおかまち発生はっせいした火災かさい

石岡いしおか大火たいか(いしおかたいか)は、1929ねん昭和しょうわ4ねん3月14にち茨城いばらきけん新治しんじぐん石岡いしおかまち現在げんざいどうけん石岡いしおか)で発生はっせいした火災かさい石岡いしおかまち中心ちゅうしん市街地しがいちの4ぶんの1を焼失しょうしつするおおきな災害さいがいであった[1]

石岡いしおか大火たいか

火事かじおおまち」とばれた石岡いしおか[2][3]においても、もっと焼失しょうしつ面積めんせきおよび焼失しょうしつ規模きぼおおきい災害さいがいであり、関東大震災かんとうだいしんさいにおける石岡いしおかまち被害ひがいおおきく上回うわまわることとなった[4]

概要がいよう

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石岡いしおかふるくからけた地域ちいきであり、奈良なら時代じだいには常陸ひたちこく国府こくふかれ、江戸えど時代じだいには水戸みと徳川とくがわから分家ぶんけした松平まつだいら常陸ひたち府中ふちゅうはん藩主はんしゅとして府中ふちゅう[ちゅう 1]にゅうふうし、その城下町じょうかまちとしてさかえた[5]なが歴史れきしゆうする石岡いしおかでは、ふるくはてんけい2ねん939ねん)に平将門たいらのまさかどやく300はらったという記述きじゅつが『将門まさかど』にあり、天正てんしょう18ねん1590ねん)にはだいじょう滅亡めつぼうさいして居城きょじょうのあった府中ふちゅう兵火へいかっている[2]近世きんせいにも4大火たいかをくぐりけ、明治めいじ時代じだいに6大正たいしょう時代じだいに1だい規模きぼ火災かさい発生はっせいしている[6]。こうした経験けいけんから1878ねん明治めいじ11ねん)には16くみ1,200にんの「火消ひけしぐみ」が組織そしきされ、のちに「消防しょうぼうぐみ」に改称かいしょう消火しょうかようタンク見櫓みやぐら設置せっちポンプ購入こうにゅうなどにより火事かじそなえてきた[7]。しかしながら1929ねん昭和しょうわ4ねん)3がつ14にち石岡いしおか大火たいかでは、石岡いしおかまち消防しょうぼうぐみではえないほどのだい規模きぼ火災かさいとなり、近隣きんりん町村ちょうそん消防しょうぼうぐみぐんからの協力きょうりょくて、ようやく翌日よくじつ鎮火ちんかたのであった[8]

火災かさい発生はっせい

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石岡いしおか大火たいか中町なかまち

石岡いしおか大火たいか発生はっせいする1929ねん昭和しょうわ4ねん)3がつ14にちあさから北西ほくせいふうがあり、ひるにはそのつよさをし、砂塵さじんげて日光にっこうさえぎるほどであった[9]。こうした状況じょうきょう午後ごご730ふんごろ中町なかまち[ちゅう 2]にてがり、風速ふうそく15mふうあふ(あお)られてひがし隣接りんせつする金丸かねまるまち[ちゅう 3]へと拡大かくだいし、石岡いしおか劇場げきじょうなどをいた[9]火災かさい発生はっせいから20ふんもたたないうちに金丸かねまるまちから富田とみたまち[ちゅう 4]一帯いったいつつまれ、「石岡いしおかまち市街しがい防火ぼうかかべ」ともばれた石岡いしおか老舗しにせ高喜たかよし呉服ごふくてんいしへいをはじめとして、おおくの土蔵どぞうまれた[9]西にし隣接りんせつするまち[ちゅう 5]んだは、石油せきゆ倉庫そうこ引火いんかしてだい爆発ばくはつこし、火勢かせいして南隣みなみどなり守木もりきまち[ちゅう 6]おそい、金毘羅こんぴら神社じんじゃ焼失しょうしつさせ、富田とみたまちひがしからの合流ごうりゅうした[1]。そのほのおすさまじさは、昼間ひるまよりもあかるいほどであったとつたえられ、そそなか人々ひとびとまどい、方々かたがたで「はやげろ」などの怒号どごうったという[11]石岡いしおか郵便ゆうびんきょく常磐ときわ銀行ぎんこう支店してん活動かつどう常設じょうせつかん国文こくぶんかん村山むらやま裁縫さいほう学校がっこうなども焼失しょうしつした[12]

富田とみたまちから南東なんとう方向ほうこうすすみ、貝地かいじまち[ちゅう 7]かった[1]急報きゅうほうきつけた近隣きんりん町村ちょうそん消防しょうぼうぐみくわえ、水戸みと土浦つちうらまち現在げんざい土浦つちうら)からも応援おうえんけたものの鎮火ちんかせず、水戸みと工兵こうへいだいじゅうよん大隊だいたい霞ヶ浦かすみがうら航空こうくうたい出動しゅつどう要請ようせいおこなって[13]、5あいだにおよぶ破壊はかい消防しょうぼう結果けっか、これ以上いじょう拡大かくだいふせがれ、ようやくよく3月15にち午前ごぜん2ごろ[ちゅう 8]おさまった[1]あとそらにはしろけむりのぼっていた[14]

みずからも石岡いしおか大火たいか被災ひさいしゃである今泉いまいずみ哲太郎てつたろうは、火災かさい翌日よくじついちめん野原のはらとなった石岡いしおかまちめぐり、その惨状さんじょうしるしている[15]今泉いまいずみによれば、たよるべき親戚しんせき知人ちじんいえもすべてかれてうしなった人々ひとびと野山のやま田畑たはたみ、安全あんぜんつたえられた清凉寺せいりょうじには本堂ほんどう墓地ぼちては茶畑ちゃばた竹林ちくりんいたるまで、避難ひなんした人々ひとびとかれらがはこれたこわれた家財道具かざいどうぐくされ、ある場所ばしょさえないほどだったという[14]

大火たいかからの復興ふっこう

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復興ふっこうした中町なかまち商店しょうてんがい1935ねん
 
大火たいか建設けんせつされた看板かんばん建築けんちく
 
丁子屋ちょうじや

大火たいかにより、まもり横町よこちょう[ちゅう 9]130中町なかまち126などけい6061,700むね[ちゅう 10]焼失しょうしつ被害ひがい総額そうがくは2,000まんえん以上いじょうたっした[17]じつ石岡いしおか町民ちょうみんの5ぶんの1以上いじょう被災ひさいしたことになる[14]。これをけ、皇室こうしつより内帑ないどきん(ごないどきん)[ちゅう 11]下賜かしされた[13]。その今泉いまいずみ哲太郎てつたろう今泉いまいずみ義文よしふみ兄弟きょうだいによって石岡いしおか大火たいかつづった『あゝ石岡いしおかだい火災かさい』がまとめられた[9]

まち景観けいかんは、石岡いしおか大火たいかによって一変いっぺんした[16]中町なかまち商店しょうてんがいでは道路どうろ拡幅かくふく歩道ほどう整備せいびおこなわれ、ポプラ街路がいろじゅえられ、ガス灯がすとう設置せっちされた[16]中町なかまち土蔵どぞうのこったものの、焼失しょうしつしたおおくの建物たてものは2かいけん洋風ようふう建築けんちく木造もくぞうモルタル建築けんちくへとえられた[16]。なお石岡いしおか大火たいかでは丁子屋ちょうじや[ちゅう 12]唯一ゆいいつ焼失しょうしつまぬかれた商家しょうか建築けんちくとして現存げんそんし、くに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざいとなっている[18]

また駅前えきまえどおり(はちあいだ道路どうろ現在げんざい茨城いばらきけんどう277ごう石岡いしおか停車場ていしゃじょうせん)があらたに整備せいびされ、1929ねん昭和しょうわ4ねん10月21にち大火たいかからの復興ふっこうねて盛大せいだい開通かいつうしきおこなわれた[20]同年どうねん11月15にちには茨城いばらき県内けんない大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん特別とくべつだい演習えんしゅうおこなわれ[21]はちあいだ道路どうろせいどおり(せいがつうぎょ)[ちゅう 13]記念きねんして、「御幸みゆきどおり」の別名べつめいあたえられた[20]。このとき内帑ないどきんへの感謝かんしゃとして、『石岡いしおか写真しゃしんじょう』が献呈けんていされた[13]

中町なかまちきたにあるこう丸町まるまち[ちゅう 14]大火たいかまれなかったため、しばらくのあいだ土蔵どぞうのこっていたが、1983ねん昭和しょうわ58ねん)から1988ねん昭和しょうわ63ねん)にかけて歩道ほどう確保かくほするためのセットバック工事こうじ店舗てんぽ住宅じゅうたく新築しんちくおこなわれ、中町なかまちとはことなる景観けいかんていするようになった[16]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく
  1. ^ 石岡いしおか古称こしょう常陸ひたち府中ふちゅうつね府中ふちゅうたいらむらともばれたが、明治めいじ時代じだいに「石岡いしおか」へ改称かいしょうした。
  2. ^ 現在げんざい国府こくふさん丁目ちょうめおよび総社そうじゃ丁目ちょうめ[10]
  3. ^ 現在げんざい国府こくふ丁目ちょうめおよびさん丁目ちょうめ[10]
  4. ^ 現在げんざい国府こくふ丁目ちょうめおよびろく丁目ちょうめ[10]
  5. ^ 現在げんざい国府こくふさん丁目ちょうめおよび府中ふちゅう丁目ちょうめ[10]
  6. ^ 現在げんざい国府こくふさん丁目ちょうめどうろく丁目ちょうめどうなな丁目ちょうめおよび総社そうじゃ丁目ちょうめ[10]
  7. ^ 現在げんざい国府こくふ丁目ちょうめ[10]
  8. ^ 石岡いしおか 下巻げかん』による記述きじゅつ。『茨城いばらきけんだい百科ひゃっか事典じてん』では午前ごぜん4ごろ鎮火ちんかとされる[13]
  9. ^ 現在げんざい国府こくふいち丁目ちょうめからろく丁目ちょうめ[10]
  10. ^ 石岡いしおか 下巻げかん』による記述きじゅつ。『茨城いばらきけんだい百科ひゃっか事典じてん』では600やく1,800むね被害ひがい[13]高橋たかはしほかの論文ろんぶんでは589全焼ぜんしょう[16]、となっている。
  11. ^ 天皇てんのう手持てもちの資金しきんのこと。
  12. ^ 丁子屋ちょうじやは、江戸えど時代じだい末期まっき建設けんせつされた建物たてもので、もと染物そめものであったが、現在げんざい観光かんこう施設しせつ「まちぞうあい」として利用りようされている[18]石岡いしおか大火たいかえたものの、2011ねん平成へいせい23ねん3月11にち発生はっせいした東北とうほく地方ちほう太平洋たいへいようおき地震じしんでは被災ひさいした[19]
  13. ^ 天皇てんのうものとおること。
  14. ^ 現在げんざい府中ふちゅういち丁目ちょうめおよび丁目ちょうめ[10]
出典しゅってん
  1. ^ a b c d 石岡いしおかへんさん委員いいんかい へん(1985):1182ページ
  2. ^ a b 石岡いしおかへんさん委員いいんかい へん(1985):1015ページ
  3. ^ 高橋たかはしほか(1994):5ページ
  4. ^ 石岡いしおかへんさん委員いいんかい へん(1985):1180 - 1181ページ
  5. ^ 茨城新聞いばらきしんぶんしゃ へん(1981):40ページ
  6. ^ 石岡いしおかへんさん委員いいんかい へん(1985):1015 - 1016ページ
  7. ^ 石岡いしおかへんさん委員いいんかい へん(1985):1016 - 1017ページ
  8. ^ 石岡いしおかへんさん委員いいんかい へん(1985):1181 - 1184ページ
  9. ^ a b c d 石岡いしおかへんさん委員いいんかい へん(1985):1181ページ
  10. ^ a b c d e f g h 石岡いしおかへんさん委員いいんかい へん(1979):877, 879ページ
  11. ^ 石岡いしおかへんさん委員いいんかい へん(1985):1181 - 1182ページ
  12. ^ 石岡いしおか大火たいかせんひゃく全焼ぜんしょう東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん昭和しょうわ4ねん3がつ15にち(『昭和しょうわニュース事典じてんだい2かん 昭和しょうわ4ねん-昭和しょうわ5ねん本編ほんぺんp12 昭和しょうわニュース事典じてん編纂へんさん委員いいんかい 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  13. ^ a b c d e 茨城新聞いばらきしんぶんしゃ へん(1981):41ページ
  14. ^ a b c 石岡いしおかへんさん委員いいんかい へん(1985):1184ページ
  15. ^ 石岡いしおかへんさん委員いいんかい へん(1985):1181, 1184ページ
  16. ^ a b c d e 高橋たかはしほか(1994):7ページ
  17. ^ 石岡いしおかへんさん委員いいんかい へん(1985):1182, 1184ページ
  18. ^ a b 石岡いしおか市役所しやくしょ生涯しょうがい学習がくしゅう"丁子屋ちょうじや 茨城いばらきけん石岡いしおか"(2012ねん3がつ15にち閲覧えつらん。)
  19. ^ 茨城新聞いばらきしんぶんしゃ"被災ひさい文化財ぶんかざい修理しゅうり 石岡いしおか桜川さくらかわ独自どくじ補助ほじょ 県議会けんぎかいくに助成じょせいもと意見いけんしょ"2011ねん6がつ21にち(2012ねん3がつ15にち閲覧えつらん。)
  20. ^ a b 石岡いしおかへんさん委員いいんかい へん(1985):1187ページ
  21. ^ 長谷川はせがわほか(1997):付録ふろく18ページ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 石岡いしおか編纂へんさん委員いいんかい へん石岡いしおか 上巻じょうかん石岡いしおか市長しちょう 鬼沢きざわ賢造けんぞう 発行はっこう昭和しょうわ54ねん2がつ11にち、1065pp.
  • 石岡いしおかへんさん委員いいんかい へん石岡いしおか 下巻げかん石岡いしおか市長しちょう 鈴木すずき堅太郎けんたろう 発行はっこう昭和しょうわ60ねん3がつ31にち、1334pp.
  • 茨城新聞いばらきしんぶんしゃ へん茨城いばらきけんだい百科ひゃっか事典じてん茨城新聞いばらきしんぶんしゃ、1981ねん10がつ8にち、1099pp.
  • 高橋たかはし伸夫のぶお小野寺おのでらあつし松村まつむら公明こうめい・舩杉がたなおさむ芳賀はが博文ひろぶみ(1994)"石岡いしおか中心ちゅうしんにおける都市とし空間くうかん特性とくせい"地域ちいき調査ちょうさ報告ほうこく筑波大学つくばだいがく地球ちきゅう科学かがくけい人文じんぶん地理ちりがく研究けんきゅうグループ).16:1-23.
  • 長谷川はせがわしんさん糸賀いとが茂男しげお今井いまい雅晴まさはる秋山あきやま髙志・佐々木ささきひろし茨城いばらきけん歴史れきしけん 8、山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、1997ねん6がつ5にち、340pp. ISBN 4-634-32080-0

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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